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▼2024/01/04:新年を祝いたいけれど

皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末年始は久しぶりに連休だった。昨年の大晦日は日曜日だったため普段の休みが日曜日と木曜日になる事が多い私は公休だったのだ。元日は元々所属している商業施設がお休みなので二連休と相成ったのだ。
貴重な休みは全力でエンジョイした。買い物や美味しい物を食べる事、めいっぱい冬のお洒落を楽しみ大好きなコスメのお店で年始に発売されるコスメを予約した。これら総て自分に与えられたお金で払っているのだから気分も良くなると言うものだ。ぶっちゃけ罪悪感が無いのは気持ちが良い。
十二月は生まれて初めて一日八時間労働をこなす事が出来た。しかも皆勤だ。酷い頭痛やメンタルの落ち込みは有った。頭痛に関しては痛み止めを飲むしかなく、メンタルの落ち込みはとことんまで落ちてから這い上がるよう心掛けたのが良かったのかもしれない。私の場合、中途半端に落ちるよりとことんどん底まで落ちた方が回復が速い。深夜、遅番の後で疲れを引きずり布団に入ろうとすれば嫌な気分に支配されるときがある。自分で自分を殺したくなる。そんな時はそれを否定せず静かに沈むようにしている。好きな音楽で且つ気分に合うものを大きめのボリュームで聴いて、いつの間にか泣いている事も多かった。でも泣きつくして鼻の呼吸ができるようになった頃には気分が浮上する事が多い。よく言われるのだが、私は切り替えが早い。落ち込んで落ち込み過ぎて自分を傷つけて通院、まで行く事はほとんど無い。大体は自分の力で自分を浮上させる考えが見つかるのだ。
例えば、最近だと自分の認識の甘さや常識の無さ、仕事への配慮の足りなさに気付き全力で落ち込む事が多く、また注意されたり忠告されたり指摘される事が多かった。正直へこむし生きていたくなくなるくらいには辛い。でもそれをする人達は私を傷つけたいからする訳じゃない。自分の仕事の妨げになるのが嫌な時もあると思うが、私がより良く仕事ができるように言ってくれている時もあるし、会社の利益を守ろうとしているのだ。そう考えると『それで死にたいって雑魚過ぎないか』と思えるのだ。皆は私が期待に応えるだろうと思ってくれているから指摘するし指導する。それにマイナスな感情はきっと無い。そう考えられるようになると自分一人の力で浮上できるようになったし、それが普通の人なんだろうなとも思う。なので、落ちる度に『自分はまだまだ病気と闘い続けてるんだな』と実感する。忘れていた病識を思い出す瞬間だ。今年の十月で就労継続支援事業所のサポートは節目を迎え、その後は定期面談は無くなる。若干の不安もありつつ、このまま行けば意外とすんなり一人で社会で生きていける気もしてきた。自分の部屋で夜中に暗くなることがあっても、他人に迷惑をかけているわけじゃない。健康的ではないけれども。
あれだけ死にかけて失敗したのにまだ死にたい自分には驚くのを通り越して呆れているが、多分これは一生続く。死にたいと思いながらでも生きることはできる。死にたいって思っても、本当に死にたかったらもうとっくに死んでいると思うし。
最近ふと思ったのは、人間暇だと余計な事を考えるのだなと言う事。趣味が多くやりたい事が尽きないのは、暇にならないようにする為なのかもしれない。仕事をしながら『死にたい』と思い続けていても仕事は待ってくれないしお客様のご要望には応えないといけない。年末年始は正に関ケ原の合戦の様に忙しく『死にたい』と感じながら『死にたいと思ってる暇が無いな』と思うようになった。私は普段多趣味だと言われる。勉強したい事も沢山ある。そうなると身体と時間が足りなくなるわけだが、それは自分が無意識に余計な考えに陥らないようにしているのかもしれない。一種の自己防衛なのだ。だから普段は何も考えない時間がほとんどないのかもしれない。
話は変わるが、私は聴覚が過敏だ。故に常に自分の好きな音楽を聴くようにしている。それをしている間は何かしらの妄想をしている為文字通り何も考えない時間が無くなるのだ。私は私なりに自分の生き方を自分を生かす方へ近づけているのだろうと思うようになった。これは成長と言って良いのだろうか。それとも逃避? どちらでも良いけれど、もう少し力を緩めて生きてみたいなとも思う。ストイックだとよく言われるし、真面目と言われる由縁でもあるのだろうけど。
今年も死にたいと思いながら、死んだら出来ない事をやりたいから生きるんだと思う。取り敢えず、今月も皆勤を目指そう。主治医には怒られるかもしれないけどね。


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