▼2024/08/14:あがいた日々は透き徹った轍
皆様お久しぶりです。本州は地震と台風、大雨などの災害が起きまくっていて非常に心配だが、私が住んでいる北海道にも大地震が起きる可能性が高まっているとされている。そのニュースを見て直ぐにスマートフォンのモバイルバッテリーを満充電にした。蓄電池や手回し発電機なども有効だろう。しかし、それを持っている事実を同居の家族以外に報せると大変な事になるケースがあると聞き、人間は恐ろしいなぁと思うなどした。と言うのも、近所のよしみでそれを貸してほしいとかスマートフォンを充電させてほしいと方々から言われ収拾がつかなくなることがあると言うのだ。非常食にも言える事だが、下手に情けで使わせてあげたら『斜向かいのうちも』『裏手の私も』と長蛇の列が作られてもおかしくないのだそうだ。そうなると本来使用権のある本人がまともに使えなくなったりもするし、自助努力は何処行ったと言う話である。ただ、これはある程度許容出来る範囲であれば『助け合いの美談』になるのだ。私も胆振東部の地震の際叔父一家にお風呂を貸したしご飯もご馳走したが、叔父一家には普段から大変お世話になっているのでお返しの様なものだ。特に叔父は毎週の様に祖母を買い物へ連れて行ってくれ重い物を運んでくれるし、私が遠出したい時に嫌な顔一つせず連れて行ってくれた。『ギブ&テイク』と言う関係と言えるだろう。
或る記事で読んだが、最近の日本は『テイカー』と呼ばれる人物が増えているらしい。テイカーとは『take(貰う)だけの人』と言う意味だとか。つまりは自分を助けて貰ったからお返しに相手を助けようと言う気にならない人の事だろう。貰いっぱなしと言う奴である。そういう人物が少数派であれば其処まで影響がないであろうが、多数派に近づいてしまうと問題だ。助け合いではなく一方的に自分や身内だけが良ければそれで良い、となると人間関係は崩壊の一途をたどってしまう。だから、他の人にはモバイルバッテリーの存在を教えてはいけないらしい。怖い世の中だ。
まあそもそも人間と言うのは自分本位で最優先すべきは自分の安全や満足なのであろうが、折角思考や理性を与えられているのだから気持ち好いお付き合いの為にも多少の『ギブ』は必要だ。言うほど私がそれをできているかと問われると黙ってしまうが。
せめて此処でだけでも皆様の安全と安心をお祈りさせてほしい。避難は早めに、警報通りに災害が来なかったらラッキー! と思って日常に戻ってほしい。酷い事が起きる予報が外れるのはとても良い事だ。
話は変わるが、私は現在通院する精神科病院を変えようと思っている。今の主治医とは十三年の付き合いになるのだが、去年あたりから『この人は私の事を理解してくれていない』と感じる事が増えた。何と言うか、私の話を聴いてくれても碌に理解していないと分かる返答しかしないし、私がより良い未来を望む言葉を述べるとそれらを全て否定するのだ。
医師として『これ以上悪い状態にはしたくない』と思うのは自然だと思ってずっと我慢してきた。しかし先々月に『太る薬』の事を此処に書いたと思うが、その薬を減薬すると言い出したのは主治医なのに、何故か私がお願いして減らしたような事を言われたのだ。私は一切そのような事を口にしていない。なのに主治医も看護師も私が言い出したとばかりに話をするのだ。おまけに看護師は私のお腹を触って「これヤバいよ。矢野さん折角可愛くしてるのに」と言ったのだ。幾ら同性でも許可なく他人の身体に触れて良いのだろうか?
確かに私は短期間に肥った。でも医療者がする言動にしてはやや不適切ではないかと感じた。他にも就労移行支援の通院同行でも此方の話を理解できない様子を見せたので、もうこの人達に治療してもらうのは辛いと病院を変えてみようと思うのだ。
幸い、現在の病院以外にも通いやすい場所のメンタルクリニックは沢山ある。これは都会ならではの強みだろう。たまたま徒歩で行ける距離にあるメンタルクリニックが就労移行支援事業所でも評判の良い先生がいらっしゃるとの事なので、まずは其処に行ってみようと思う。
精神科病院に行って逆にメンタルがやられ、死にたくなるとか本末転倒だと思う。私は死にたくないから、死にたいと思わなくてもいいように頑張っているのにそれを阻害する主治医は何がしたいのだろう? 私の祖母よりも歳が上の女医さんだが、あの人の年齢で精神科の医師になるのが大変だったであろうことは何となくわかる。努力に努力を重ねたであろうことも想像できる。でも、だからって自分の考えを患者に押し付けるのは違うと思う。
私は別に無謀な事をしようとはしていない。また働いて、自立した生活を送りたいだけだ。細々と働いて、最悪生活保護でもなんでも受ければいいと言われるのは不本意極まりないし、人生はまだ長いだろうにずうっと他者の力が無いと生きていけない状態が良しとは出来ない。貴方は私を理解できていないとはっきり言いたい。そう言っても何とも思わない人だろうともわかる。無駄な争いは避けるが吉だ。其処に注ぐエネルギーは別のポジティブな何かに向けたいと思うタイプの人間なので。
なので、少々遠い場所にある病院に通っている事実を盾に『もっと通いやすい場所の病院に変えたい』と言う事にした。実際キロ単位の徒歩移動と公共交通機関の乗り継ぎを伴う通院経路なので、多分誰も悪く言わなくて済む。
病院の事が落ち着けば、時々爆発する食欲もおさまるだろうか。運動で如何にかしていられるうちにメンタルを改善させないと自分が辛いのだと分かっている。これ以上自分に失望したくない。自分を好きで居られる内に、大切にしたいという気持ちが阻害されない内に逃げなければ。自尊心を削ってくるメンタル医師とか害悪以外の何者でもないだろう。糾弾した所で何も解決しないので私は立つ鳥跡を濁さずとばかりに逃げさせてもらうが。
新しく通おうと思っている病院は、院長先生が特によく話を聴いてくれる病院らしい。私は話したがりだ。自分の考えを言葉にして吐き出す事でそれを整理する癖がある。だからこのブログも細々と続けているのだろう。思考の渦から釣り上げられる言葉達は思わぬ形をしている事がある。それを見て初めて、自分は何を思っていたのか分かったり考えの傾向もはっきりする事がある。それを足掛かりに何度も自分で自分を救ってきた。その行為をどうでも良い事かの様に扱う人からは逃げてしまおう。
十三年間お世話になりました。これから私は貴方の手を離れます。