memo

▼2024/08/28:自縛する金鎖をペンチでブチッと、

夕方の風に秋の気配を感じるようになった。勿論湿気に蒸され不快な日もあるにはあるが、八月の末が近くなると涼しい夜も増える。お正月のお節料理の広告を見るようにもなり、車のスタッドレスタイヤの話題や大通公園で行われるオータムフェストの求人広告なども増え、いよいよもって秋の予感を覚えるわけである。
かかりつけの病院を変えたいと此処に書いたが、本格的に動くのは九月の初めだ。既に区役所で自立支援医療の受給者証などについて確認は済ませた。現在の病院には一人で通っているし、次にかかりつけにしたい病院は家から数分の距離にある。前回の記事では少々攻撃的な言葉で語ってしまったが、今の主治医も私を大切にしてくれない訳ではないのだ。医療者の立場では言えない事も多いだろうし、看護師は理事長である私の主治医には逆らおうとはしないのだろう。加えて、現代日本の精神科医はあまり積極的に患者を『職場』と言う場へ送り出そうとはしない方が多い傾向にあるようだ。その医師の年代にもよるが、少なくとも私の主治医の年代ならば『生きていてもらう事』を何よりも優先する為に無理に就労させようとはしない。しても作業所レベルであったり、障害者雇用でパートタイマーとかで、年金は絶対に受給させ無理が生じれば休職し傷病手当や生活保護に流そうとするのだ。
その方針が合う人も居るだろう。本当に精神が不安定で就労が難しく、日常生活も儘ならない人だっている。主治医はそういう人を助け続けてきた人だ。一応、尊敬には値する。しかし、私は違うのだ。生活保護を受ける人を馬鹿にする心算も嘲笑する心算も無い。でも、私はそれには該当しないし、フルタイムでの勤務も経験していて、もっともっと働いて色々な人と関わりたくて仕方ない。きちんと働いてその結果、お客様に笑顔になってもらいたい。楽しいんだよ、働くのって。誰かの喜びや楽しみを生み出す事が出来るって本当に嬉しいし、生きている実感に繋がると知っている。
勿論無理はしたくないし出来ないと思う。働く事は人生を豊かにするツールを得るための行動だから、それで人生を食いつぶす心算は無い。でもそれなり重要と言うか、生きる上での根幹を担っていると思うのだ。人間は一人じゃ生きていけないと言うのはそういう面でも言えるのではとよく考える。自分じゃない誰かの為に頑張れるのって凄く人間らしいんじゃないかとずっと考えている。自分一人だけが幸せになれるように生きても、周囲の人達だけでも平和に生きていないと幸せとは思えない。なるべくなら多くの人が笑顔で生きている世界の方が、私は良いと思う。
この辺、私の利己主義な一面が現れているなと思う。私の為に、貴方達も幸せでいてくださいと言うのは結構な利己主義だ。でも、それが行き過ぎての利他主義な面が強いのが私だ。

私の幸せの為に、貴方も幸せでいて。

小説で使えそうなフレーズだな。今度書く時盛り込めそうなら盛り込んでみよう。

話は少し変わって。
最近、自分の病気が本当に統合失調症なのか疑わしくなることが増えた。幻覚妄想は何年も現れておらず、時折気分の乱高下に襲われ過去のトラウマが蘇っては泣いているが、それよりも多く現れる症状があるのだ。
『離人感』である。予てより此処でも語っているが、私は大抵常に自分が自分じゃない気分にさいなまれている。自分でいられるのは小説を書いている時と絵を描いている時と筋トレをしている時だけだ。後は、ご飯を食べている時。それ以外は自分じゃなくて、自分が自分のものではないような感覚をずーっと味わってきた。常に自分じゃない自分、と書くと意味が分かり辛いかもしれないが、その場その場に合わせた自分を演じている感じ、と言えばいいのだろうか。仕事をしていても、友人や家族と話していても、買い物をしていてもお風呂に入っていても自分じゃないのだ。
これは統合失調症の症状にもあるらしいが、この前の通院同行で支援者が『統合失調感情障害』の疑いはないのかと訊いていたのを見て、調べてみる。元々友人の何人かがこの病気と生きているので多少の知識はある。気分障害が統合失調症の症状と重なって現れる病気だ。男女比では女性の方が多くなるらしい。気分障害とは『鬱病』や『双極性障害』の事である。色々な病院の医師や教授陣が書いた記事を読み漁ると、私みたいな自分が自分じゃない感覚に襲われる患者さんもいるらしい。私は鬱よりも躁に寄っていると主治医は常々言っていた。だから私には鬱の薬は出したくないのだと。
もしかして、私は統合失調症なんじゃなくて、統合失調感情障害なんじゃないか? だから躁にもなれば鬱にもなるんじゃないか? こんなにも気分が乱高下するのもそれが理由なんじゃないか。
主治医はその場では支援者の疑問に否定で答えていた。けれども、誤診の多い病なのも知っている。これも病院を変えたいと思った理由の一つだ。長年、それこそ幼稚園の頃から死にたがりだった、気分のアップダウンが激しく、時折自分を傷つけたい衝動に駆られる子供だった。首を吊り高所から飛び降りる子供だった。大人と呼ばれる歳になっても生き辛さからは解放されず、常にどこか冷めた眼で現実を見る日々は続いている。本気で自分と向き合うには環境を変えるのも良いかもしれない。
三十路を過ぎて、ようやっと見えてきた本当の自分とか、目標とか果たしたい夢とか、少しでも多く手に入れたいなら行動すべきだと思う。自分に向けられるポジティブな言葉達を素直に受け止められない自分をいい加減どうにかしたい。貴方は生きる価値があるし、例え無くても生まれちゃった時点で人権はある、この国に生きている以上は。

…あ、文章を読んでる時は自分だ。じゃあ本を読んでる時も自分だな。

以前は理想の自分を演じてるんだろうなと思ってたけど、どうやら違うらしい。演じる事が日常過ぎて、本当の自分が殻とか鎧の中に閉じ込められてるって感覚に近いみたい。本当は自分そのもので生きていたい。だから物を書くんだろうし、読むんだと思う。
過去とか理想とか家族の問題とか遺伝とか、自分一人じゃ変えられない事の方が多いし寧ろそれだらけなんだろうけど、せめて明日も生きたいと思えるように今日を過ごしていたい。取り敢えず、この前観た映画がすごく良かったから後三回は観に行きたいし、米津さんのライブにも参戦したいし、書きたい物も作りたい物も沢山ある。希望には満ちていない未来を彩るそれ等を味わい尽くしてからにしようよ。あと百年も経てばみんな地球上には居ないんだから。


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