▼2025/09/01:心が二つあるのかもしれない
ひとつ前の記事、私にしては強い言葉を使い過ぎたと反省している。後悔はしてないけど。最近始めたSNSでさ、お子さんの進路について投稿している方の言い方と言うか、言葉の選び方がおかしくないかなと思って書こうと思った記事だった。その方はお子さんが中学受験をしてこのまま行けばエスカレーター式に進学できて将来も安泰なのに、友人関係で悩んで外部受験をして別の高校に進みたいって言われたみたいなんだよね。『あと三年我慢してくれれば』『つらいのはわかるけど』って言ってたのが如何にも引っ掛かって、何故って、お子さんは震えながら大泣きしたらしいんだよね。中学三年生のこの時期に急に言わないでほしいって気持ちは生じちゃうのはしょうがないと思う、けど、その年頃の子、それも男の子が親の前で大泣きするなんて相当だと感じるのに(少なくとも外野の私にしたら)、親御さんは『後三年我慢すれば』って言っちゃったんだとしたら、お子さんが絶望の末に良くない思い切り過ぎた選択をしちゃうんじゃないかって心配になったから書いてしまった。個人的な意見を言わせてもらうと、その『後三年我慢すれば』って言うフレーズ自体が不味いと思うんだよね。大人になると一年が早く感じるし、年々早くなっている自覚が有る。何だかんだ今年も九月が始まったし。でもさ、それでも三年って結構長いんだよ。よく言うよね『どんなに辛い職場でも、三年は頑張ってみるべき』って話。これを信じて頑張り過ぎた結果壊れちゃった人や、その人達を助けられなくて悲しむ人をたくさん見てきた。
自分の人生の責任を取れるのは自分だけだし、子供が不自由なのは自由過ぎるが故の責任から守るためだと思ってる。辛さも苦しさも何も肩代わりできないのに『我慢しろ』って言うのはおかしいと感じてる。たかが三年、されど三年。学校以外の世界をあまり知らないかもしれないその子が世界に絶望し切っちゃう前に、もっと言うなら『親と学校だけが総てで、全部が駄目になった』と思う前に、親に守ってもらえなかったんだと感じる前にもう一回よく考えてみて欲しかったの。届くわけもないんだけど。
思えば私の心が壊れた原因は確実に子供時代にあって、其処に実父への恨みつらみや同級生たちへの色んな感情が綯い交ぜになった結果でもあるんだけど、本当に絶望してたのかは今ではもうよく覚えてない。何せ錯乱の末譫妄だし。でも強く『自分は消えなくちゃならない』って思ったのは覚えてる。でも、今はそうしなくて良かったと心の底から思ってる。大体の問題ってね、一時的な物でしかないらしいんだよね。勿論長年の悩みとかもあるんだろうけど、自分の全部を擲ってうしなう必要はないと思う。生きてさえいれば何かしら変化がある。良くも悪くもだけど、それらの可能性全てをうしなうかもしれない子供が居たら、私は間違いなく止めるし、話を聴いて如何にか励まそうとするんだと思う。嘗ての私もそうだったから。
身近な大人が護ってくれないなら、一度信じるのをやめてみても良い。誰の事も信じられなくなったなら、一度心を閉ざしてでも生きていて欲しいと思う。自分の事が信じられなくて良いから、何を裏切っても良いから、生きていてくれればそれでいい。生きてないと何も起こらないし、感じられなくなるんだよ。疲れちゃっただろうし、親にすら味方になって貰えてないと感じるなら親に期待なんてしなくていい。ただ、君は本来守られるべき存在だって事は心の中に留めて置いてほしい。
家族って選ぶ事がほぼほぼ不可能だから難しいと感じる事が結構ある。あるとすればステップファミリーくらいなのかな。うちがそうだけど。義父と一緒に暮らして『家族になろう』と決められたのは『選べた』の内に入るんだろうし。とまれ、日本のどこかに住む中学生のその子が心配過ぎたんだよね。だからつい長々と書いてしまいました。ごめんね。
▼2025/08/30:長月が鎌を擡げる、刈り取られないように逃げないと。
学生時代、夏休みが今月末まである事は一度もなかったように記憶している。毎年今頃は学期初めの憂鬱さと定期テストへの準備の焦燥感で忙しかったような。環境が変わるとか、変える為の準備とかで心がざわつくのは幼い頃の話。だけど、未だに覚えてる。小学六年生の夏、私は本気で消えたくて仕方なくてでも出来なくて、如何にか思いを両親に汲み取って貰えた。担任の先生が本当に良い方で全面的に協力してくれて、何とか生き延びさせてくれた。彼女が今何をしてらっしゃるのかももう分からないんだけど(恐らく定年退職済みだ)、あの人が居なかったら本当に辛い人生だったと思うし、若しかしたらもう終わらせていたかもしれない。
仮定形を考えても仕様の無い事なのは知ってる。幸運にも助かったんだから何も言わない方がいいって事も。でも、その後の人生で少なからずあの頃のトラウマが足を引っ張り続けたのは確かだから。九月一日って、子供が自分で消える事が多いらしい。永遠の夏休みなんて言葉だけなら一見ロマンチックなんだけれど、現実では八月の終わりで彼等彼女等が終わるって事だよ。
SNSでさ、ハッシュタグ『何か見た』ってポストをたまに見かける。だから私も書いてみようかと思った。子供の悩みや思いに両親を含む周囲が寄り添えなくて、寄り添えきれなくて失うって結構よくある(あっちゃいけないんだけどね)展開を見聞きするとフィクションでも心が苦しくなる。本当なら守られなくちゃいけないの。泣きながら震えてそれでも訴えた思いを汲み取ってくれないからこの世を捨ててしまうなんて、文学の上でもないと許しちゃいけないんだ、彼等彼女等の周囲を責めるのはお門違いって言うなら、じゃあ貴方達は何を守るべきなのか知らないんでしょうか、と問いたくなるくらいに。
別に、子供の意思を総てに於いて最優先しろとは言わない。でも間違えちゃいけない物ってあるでしょう。間違えたら貴方達が心を籠めて守って来た存在が、自分の意思でなくなるかもしれないんだよ。守りたいって、幸せに生きて欲しいって願っていた筈でしょう。
何熱くなってるんだと思う方もいらっしゃるかもしれないこの言葉達は、或る投稿を見たから書いている。子供の意思を最優先できない状況でもないと私は感じたんだよね。個人的にだけど。親として子を思う気持ちから彼の選択を疑問に思うのは分かる。努力を重ねて必死で掴んだ道だもんね、頑張ってきた彼の背中を見てきたよね、だけどさ、彼の表情をきちんと見た事はあったのかな?
「辛いのは分かるけど」
ってよく言うし聞くけれど、誰かの辛さとか苦しい気持ちは、想像できても完全には理解しきれないんだよ。理解できないから想像して推測して、導く側なら導くべきなのであって、決して強制しちゃいけない場合だって多い。考えてみて、もしも貴方が本当に辛いと感じる状況に居るのに、年単位で我慢しろと言われたとして。悪意ある誰かや何かに心を毎日毎日削られて、弱音を吐いても受け止めて貰えない、助けを呼ぶ声も出せなくなったら、何を選ぶ? 怨むだけならまだ良いよ。怨む事も出来ないくらい優しい人だったら、もっと怖い事になる。
例えば実験でも完全に絶望し切ってしまうとね、無抵抗に理不尽を受け容れて助けも求めずに沈んでいくんだよね。学習的無力感ってやつだったかな。溺れても助けとして差し出された浮き輪を掴もうともしないの。誰も助けてくれないって学んでしまったから、初めから期待しない。ただ静かに沈んでいく。そんな風になった彼等彼女等を見て誰が喜ぶの?
心ってね、壊れた時に『何時治ったか』が酷く判り難いんだよね。私は一回壊れちゃった瞬間があって、本当に危なかった。此処に来てくれた人は大体知ってると思うし本当に読んでほしい人が此処を読んでいるかも分からないんだけど、それでも書いておきたかった。
貴方が言う『辛いのは分かるけど』って何処まで彼の気持ちを想像して出たものですか? 彼の将来を思う気持ちに余計な物は混ざっていませんか。『せっかく頑張って来たのに』と思うなら、まずはその頑張りを認めてあげた方がいい。多分今は認めてないよ。『勿体無い』って、良い言葉の筈なのにね。この場合だと彼を追い詰める切っ先になるかもしれない。
『どうして今になって言うの?』と思うなら、貴方が言わせなかったのかもしれないとは考えないの?『リスクが高過ぎる』と思うなら、それでも彼はその選択を取りたいんだって本気さを感じ取れないの?
子供ってね、生きてる世界がどうしたって大人よりも狭いもの。家を出れば学校だけが総てって事も少なくない。その狭い世界で息苦しさを覚えるのはよくある話。でもじゃあ、本当に呼吸すら出来ないくらい追い詰められていたとして、最後に助けを求めたのが貴方だったとしたら。貴方だけはきっと自分の思いを汲み取ってくれると思い込んでいたとしたら。それに『我慢』を強いられたとしたら。私だったら心を殺すかもしれない。そして、誰にも助けを求められずに壊れたまま生きていくの。生きていけないかもしれないって思うのは多分、一回壊れたからなんだけどね。
此処で現実的な話をしようか。
自分で消えたいと実行しら結果、消えられない事はよくある。医療技術の発達した昨今、助かる確率は格段に上がった。発見されて直ぐなら搬送先さえ見つかれば結構な確率で戻って来られる。でも仮に心が壊れたままだと、搬送先での日々は地獄みたいな始まり方をすると思う。此処でまた私の話だけど、目覚めたら病室のベッドに拘束されたなんてよくある話みたいだよ。意識が戻ればまだ良いよ。脳機能障害で永遠に意識不明重体のままなんてのも珍しくないと思う。譫妄と錯乱で暴れるからベッドに拘束されてたみたいんだけどさ、未だに覚えてるの。
自分は消えなきゃいけないんだ、放せって怒鳴ってた。
拘束を解いてもう一回消えようとして更に拘束されるの繰り返し。母と義父には随分と酷い事を言った。きちんと寄り添って一緒に頑張ってくれてたのに。それでも駄目になる事がある。まあ、あの人の件が無かったらこうはなって無いんだけど。後はあれだね、初めの病院が私の訴えを一蹴したってのもある。で、色々あって長期の入院後に高校をドロップアウトだよ。それでもちゃんと転学して進学できたし就職も出来た。
ただ、昔出来ていた事がどうしてもできなくなったり、楽しみたい物が永遠に楽しめなくなったりした。戻って来ない物って結構あるし。もう戻れもしないと思うよ。だって感覚そのものがもう無いんだから。
つまるところ、助かっても戻らない物が確実にあるって事。何もかもが元通りとは行かない可能性の方が高いって事。一生怨まれるよりもつらい現実って意外といっぱいあるよ。何パターンもね。
『怨まれても良い、怨まれてもこれが本人の為だ』って言い切れるならそうしてみてもいいのかもしれない。結局私は外野の人間だから。
でもさ、怨まれもしない可能性を一応は考えた方がいいと思う。人生に必要なもの全部捨ててしまったら、最後残るのは空っぽの器だけ。
人生の中のたった数年と思うなら、彼が今まで生きてきた年数を考えて。貴方の半分もないよね? 割合がおかしくなるでしょ。子供の数年は大人の数年よりも何倍も長いの。何倍も長い数年間、彼の心を削り続けるんですか。震えて泣きながら必死で伸ばされた手を振り払えるんですか。たった数年と思うなら、たった数年を貴方が我慢すれば良い。貴方は大人なんだから。
私ね、未成年を守るのは成人の義務だと思ってるんです。自分が未成年の頃守られてばかりだったから、せめて今の子供達には幸せでいて欲しいんです。恩送りって奴かな、守ってくれない人も傷付けてくる人も幾らかは居たけど、私のお母さんは私を守ろうとしてくれた。
一個訊いても良い? 貴方はどうして彼を産もうと決意したのかな。答えなくていいよ。心の中で思うだけでいい。考えるだけでいい。産まれたきた彼にどうなってほしいと思った? どんな風に生きて欲しいと思った? ただ、生きていてくれればそれで良かったんじゃないのかな。五体満足に産まれてきてくれただけでも嬉しかったんじゃないのかな。その上で彼の思う幸せを生きていてくれればそれで十分な筈なんだよ。
誰かの幸せは、その誰かにしか分からない。辛い事と同じように。自分の人生は自分にしか生きられない。責任を取ってくれる人なんていない。今は大人になったから分かるけど、子供の内はそれを知らないの。なのに自分の意思でそれを選んだんだよ。立派じゃない。
この言葉達が貴方に届くかは分からないし、想像の域を出ない事も述べてると思う。自分語りも含んじゃったね。でも、画面の向こうで彼を案じる大人が居たって事を、誰かに知っておいて欲しかったから書いた。
▼2025/08/30:望むなら選び取ればいい、選択の責任を負えるなら。
また早朝に覚醒してしまった。理由は分かっている。昨日昼寝をし過ぎた事。貴重な二連休を物づくりと二次創作小説の執筆に使おうと思っていて、やりたい事はすべて出来たのだけれど、思いの外時間が余ったり疲れが取れていなかったらしい。ちょっと横になったら一時間以上経っているし、そもそも朝ご飯の後にも二度寝してしまった。宜しくない習慣なのだが、私は日常的に二度寝をする生活を送っている。仕事に行く日も朝ご飯を食べてお弁当を作ったらついつい横になってしまう。これでよく仕事に遅刻しないなと思われるだろう。私も思うので、敢えてかなり早い時間に起きるようにしている。起きて朝ご飯を食べて、お弁当の準備をして二度寝をしても尚、起きたら顔を洗ってメイクをして髪を整えデュオリンゴで英語を勉強しても間に合うくらいに。この話をすると相当な早朝に起きているのではないかと皆さん思うだろう。実の所、今までの仕事では一番遅く起きる生活を送っている。始まる時間が然程早くないのでできる芸当だ。
しかし、今の私には『一人暮らしをする』と『ゆくゆくはチワワをお迎えする』という夢があるわけなので、この悪癖とは距離を置くべきだろう。二度寝をする時間で可愛いチワワとお散歩すればよいのだ。
さて、お迎えしてみたいチワワについて書いてみる。調べてみると、私が一緒に暮らしたいチワワの色は『ブラックタン』『チョコタン』『クリーム』など様々だが、一等好きなのはブラックタンである。頭から背中にかけて黒く、お腹は白くてタンと言う模様が入る。丁度柴犬みたいに麿眉がある子も居て、出来ればそんな感じの子が良い。チョコタンは黒部分が茶色いチョコレート色で、クリームは明るい毛色も良いなと思うので候補に入れた。
以前一緒に暮らしていた柴犬は運動量が凄い子で散歩に関しては一回当たり1.5時間程歩かないと満足しない子だったのだが、チワワは一回当たり30分くらいの散歩を朝晩とかで良いらしい。更に言うなら小柄なので抱っこも簡単だろう。洋犬なので躾は難しそうだが(何せチワワは他人に噛みつくのを良しとされる目的で生み出された亜品種でもある)、職場には頼れる先輩方も多いし(皆さん何かしらの動物と暮らしている)、今はネットと言う簡単にいろんなことを調べられるツールがあるので頑張ろう。
出来れば動物用の医療保険にも入りたいし、その上でお犬貯金もしたい。名前ももう決めていて『リンちゃん』だ。そして自分の事は『ママ』と呼ぶ心算である。この前見つけた住みたい物件に住む事が出来たらまず、床をクッションフロアとカーペット敷きにする。賃貸でも床の加工ができる(多分シートを敷くんだと思う)業者を運よく見つけたので小型犬特有の下半身の関節問題を解決したいのだ。でも、もしかすると入居の時点でクッションフロアかもしれない。その場合はカーペット代だけでも良いだろう。
ゴミ箱は悪戯防止に全て蓋つきのスタイリッシュなものを置く。キッチン等の侵入を防がなければならない場所には柵を設け、ローテーブルではなく高さがあるダイニングテーブルを置いて誤食事件も防止する。その上でいじってほしくない物をきちんと手の届かない場所へ置く。家電のコードには嚙みつかないように教えて、噛みつき防止の苦いスプレーをかけよう。躾用に職場でも販売している。果物の苦み成分を利用しているらしい。
寝床と休憩できる場所兼お手洗いとしてのサークル、自動給餌器、お水のボウルとペットボトル式の水飲み器も用意して、夏はクーラーをつけっぱなしにする決意を固めた。冬はストーブの周りを柵で囲う。そして同じくつけっぱなし…と思ったのだが、不在にしている間はエアコンの方が良いかもしれない。事故防止としても。
これらの準備ができるようになって貯金が貯まり切ったらいよいよ仔犬を探すのだ。飼いたいのは女の子。小柄なのは分かっているけれど、どのくらいの大きさなんだろう。両掌に乗ってしまうんだろうな。あー早く会ってみたい。
▼2025/08/24:焦がした苦み、それでも何故だか甘い
おはよう。今日はいつもよりも遅い出勤なのに何でか早起きしてしまった。夜食を取らずに早めに寝たのは覚えているんだけど、夢の記憶もないし夜中に目が覚めても居ないから、睡眠の質自体は良いのかもしれない。基本早寝早起きな生活を送れているんだけど、夜中に何度か目が覚めるんだよね。あと、休日はつい二度寝もしてしまう事が多い。だから午前中に予定を入れたりするんだけど、休む事を主体に置くなら二度寝くらいは許してもいいのかもしれない。どちらかと言えば不眠の気の方が強いからね。眠れる時に寝ておかないと。
昨日は前通っていた就労移行支援事業所で、卒業生として今訓練しているメンバーさん達の質問に答えるプログラムに参加した。まだ卒業して幾らも経っていないから知っている面々も多かったけど、知らない人もちらほらいる。何人かは来月から働くことが決まったりもしているらしい。おめでたい事だ。
今の所この国では、何らかの事情が無い限りは働く方がベターなんだと思う。でも其処に大きな困難が有ったり、制約が課されるから大変なんだよね。只でさえ仕事は大変なのにさ。働いていないというだけで色眼鏡を向けられるのも如何にかしてほしい。けど、生きていく上ではお金は大切。いざという時の備えにもなるし、何よりも社会と関われるし(それも健全な形で)、人と繋がれている感覚が生まれるから。
いよいよもって副業の準備が終わりつつあるんだけど、何て言うか、製作業の準備って楽しいだけじゃないね。原価率とか利益率とか考えて仕入れをしたり、経費の計算、仮に収入が得られたら個人事業主の届け出を出した方がいいとか、確定申告の準備とかさ。正直調べれば調べるほど面倒くさい事も多い。だからこそ『業』という名称が与えられるんだろうけど。年間で売り上げが20万円を超えたら確定申告が必要なんだけど、出来れば青色申告にしたいな。複式の帳簿をつけないといけないけど、控除が色々と受けられるらしい。まあそもそもそこまで売り上げが伸びるかなんて保証も無いんだけど。
趣味を仕事にしようとするとそれが嫌いになっちゃうのは経験済みだからこそ、『好きで居続けるための努力』もしたいと思ってる。まあ、楽しめなくなったら一旦離れてみるってことなんだけど。本業じゃないから許される事だね。イラストや漫画もこれくらいの距離感が良かったのかも。
カスタムドールヘッドの販売だけでなく、ドールアイ、ドールのお洋服、ポーチとかヘッドドレスなんかの布小物も販売してみたいと思ってる。ハンドメイドって、或る種無心の状態で出来るから一種のストレスコントロールになる。本業のストレスを此処で解消序にお金が貰えたら少額でも嬉しい。
そう言えば前に書いたけど、最近店で可愛すぎるチワワを見てしまって、チワワと暮らしたいと考えてしまってる。来年の秋頃を目途に一人暮らしを始めようと思ってるんだけど、暮らしたいエリアの物件を見ていたら(気が早いよね。予算を知りたかったの)丁度良い広さと家賃で私が欲しい条件を殆どクリアした物件を見つけたの。間取りも内装も設備も周辺の環境も理想的だった。その上『ペット飼育可』の物件で驚いた。築年数も比較的新しいし、床はクッションフロアやカーペットを敷けばお犬の脚にも優しい。
先述のチワワちゃんは女の子で、ブラックタンと言う柄なんだけど、もう本当に可愛い。実は私これまでチワワをあまり可愛いと思った事が無くて、なのにその子が近くを通るたびに尻尾をぴこぴこと振ってくれるのを見るときゅんとしてしまって、いつの間にか可愛くて仕方なくなってた。売り場を整えたり掃除をしてると絶対にこっちを見て尻尾を振って、窓に前足をつければ小さな肉球がガラスでぷにゅッとしているのが見られる。もう可愛くて可愛くて。
勿論一人暮らしして直ぐに飼う訳じゃない。一年くらい一人で暮らしてみて、本当に出来そうならお迎えしたい感じかな。予算もあるし、準備もしないと。とか言いながら踏み台昇降運動しながら『チワワ ブラックタン 女の子 北海道』で検索しちゃうけど。
生き物を最期まで面倒を看切る覚悟も少しずつ決めている。犬種的に病気をしやすい子達だし、躾だってきちんとしなくちゃいけない。毎年必ず受けさせなきゃいけないワクチン接種や、健康診断代とか突然の医療費とか、動物用の医療保険とか、ご飯・おやつ代やトイレシーツとかの消耗品、自動給餌器とかペットカメラとかも購入しなくちゃいけない。どんなに自分の調子が悪くてもお犬に苦労は掛けられない。ご飯とお散歩とトイレの掃除、一緒に居る時間を作る事も勿論だけど、出来れば私の所に来てよかったと思って欲しいから。最期は必ず私よりも先になるように、強く生きなくちゃいけない。
でもね、そう思うとこの前の鬱々した状態からは脱したよ。ってか鬱になってる場合じゃない。未来のうちの子の為にしっかり暮らして行かないと。とか考えたから早起きしちゃったのかな。今日の札幌は私が起きてご飯を食べ終わった頃はまだ涼しくて、お散歩に丁度良かった。この夏は随分と暑かったのに、最近だと夕方くらいはもう涼しい。テレビでは灯油の購入積立金やスタッドレスタイヤのコマーシャルが流れてる。店ではもうハロウィンの売り場づくりの指示が出てるし、同じモールの百均ではそれ用らしきグッズが売ってて、冬物のお洋服の予約が始まってる。
暑い暑いと言っていたのが嘘みたいな季節が今年もやって来るんだろう。出来れば暴風雪は勘弁してほしい。
最近ハマってる曲があるんだけど『NEE』ってバンドの『第一次世界』って言う曲。これを聴いてると脳内でオリジナルキャラクター達が動き出すし、元気が出るから、興味があれば聴いてみてくれたら嬉しい。
▼2025/08/22:そう、シンプルな祈りだよ。
自分にとって毒となるものを吐き出す。遠ざけるのとは少し違うのかな。前者は物質で、後者は存在。以前ほど『腸活』をしなくなって久しいのだけれど、それでも出ないなと思う時はその方法をなぞるようにしている。やっぱり出るよ。無糖無脂肪のヨーグルトに大根おろしを入れて人肌くらいに温めて(電子レンジが便利)蜂蜜を混ぜて食べる。余裕があるならオリーブオイルも入れた方がいい。私の場合これで覿面に効果があるんだよね。後は運動。女性は比較的に腹筋が弱い人が多いから、どうしても便秘になりやすいんだってね。それと、未だに毎日やってるのは牛蒡茶を常飲する事と、イージーファイバーを一日のどこかのタイミングで取る事。仕事のある日なら化粧しながら珈琲を飲むからその時に溶かして飲んでる。飲み物以外でも良いと思うけど、楽なのはこれじゃないかな。
健康診断が迫っていて、色々と節制を重ねてる。おやつを毎日食べなくなるなんてすごいなあと我ながら思う。食べても週に三回以内にしてるんだけど、結局ね、仕事してると食べる暇が無い。そしてとにかく動く仕事だから汗もかく。そうなると毎日お風呂に入りたいし、結果疲れるからしっかり眠れる。ただ最近少し眠り過ぎる時があって、そろそろ眠剤の調整時期かもしれない。今の規格の一つ下とかあったかな。減らした場合にちゃんと眠れるかが問題だけど。
友人がね、女の人ならではの理由で長いこと悩んでるの。婦人科系の悩みって只でさえ面倒くさい事が多いし、病院もピンキリと言うか、当たりはずれが激しいんだろうな。ピルは確かに体重制限があるし、結構ずばずば言われるからきつい時もあるよね。
漢方が効くかは正直何とも言えない。あれ含む東洋医学って症状もそうなんだけど、それ以上に患者本人の状態をヒントに薬を選定していくんだよね。例えば体力がある方なのかとか、体温が高い方なのか低い方なのか、貧血気味なのか、身体に水分が多いのか少ないのか、『虚実』って言うので表す『証』をきちんと調べて把握したうえでの処方なら効果がある可能性がある。けど、元々服用している別な薬と効果が被らないようにしないと副作用の可能性も上がる。ちなみにこの辺は登録販売者試験の時に勉強した知識だから、多少は間違ってるかもしれない。何せ令和元年の話だから。
『証』って言い方は分かり辛いけど、これが理解されてないときちんとした効果は得にくい。私の場合は眠れない性質で酸棗仁湯って言う漢方を寝る前に常用してるけど、前は六君子湯って言うのを毎食前に飲む事もしてた。これ本来は胃腸薬なのに、精神科の病気にも効く事があるらしい。ただ、食欲が増すのは注意かな。
酸棗仁湯はクロウメモドキ科のサネブトナツメから採れる酸棗仁って言う生薬がメインらしい。割りとポピュラーなんじゃないかな。教本にも載ってたから。他にも五苓散とか猪苓湯とか呉茱萸湯とか飲んでた事もある。それぞれ効果は違うけど、被りやすくてたくさん摂りすぎると良くない成分もあるから重複する時は注意ね。
以前の主治医は漢方薬と新薬が好きな人だったから、結構目一杯漢方薬を処方されてた。たまに誤解している人が居るんだけど、漢方薬とか生薬だからって効果が薄いとか、副作用が無いって言うのは謝りなんだよね。例えばなんだけど、ヒキガエルの毒とかトリカブトの毒が生薬として利用される事もある。毒って聞くと怖いけど、確か強心薬の一つだったと思う。少量なら心悸亢進して利益が有ったりする。ただ、西洋薬と違って体質に合わないと効果は無いと思った方がいい。ぴったり合う処方が直ぐに見つかればいいんだけど、そうでない場合にはちょっと時間がかかる。
地元の友人に漢方薬局でオーダーメイドの漢方薬を調剤して貰ってる子も居る。結構なお値段みたいだけど、彼女的には安心して飲めるらしい。その子は西洋薬が少し苦手で、何方かと言えば体質を改善して不調を治したいタイプ。私は効いて副作用が気にならないなら何でも飲んじゃうタイプ。いろいろだね。
一時は市販薬のプロを目指してたから多少は分かるんだけど、薬って絶対に副作用があるの。どんな薬でも。最近話題なのはNSAIDsかな。非ステロイド性抗炎症薬って言って、分かり易く言うとロキソニンとかイブとかの鎮痛薬。これは突発的な頭痛とか疼痛を鎮める目的で使うんだけど、この時期暑いから熱中症で起きた頭痛に使っちゃうと最悪腎不全とかになる。腎臓は血流が滞らない事が本当に大切なんだけど、それを阻害する可能性があるんだよね。おまけに腎臓って一回壊れると治らないから怖いよ。下手したら人工透析とか行っちゃうから、もし熱中症が疑わしかったらまずは経口補水液とかで水分と電解質を補給して、涼しい所で休んでみて欲しい。それか病院行ってみてもいいと思う。熱中症での頭痛は初期症状ではないから。
こういう事を知っているのに、この前うっかり熱中症由来の頭痛で鎮痛薬飲んじゃったけどね。カロナールだからまだ良かった。
そんで、婦人科の病院探しって本当に大変らしい。当たりはずれが激しいのもそうだし、行く事へのハードルもある人が多いって。親御さんとかが『娘が婦人科へ行くなんて恥ずかしい』って止める事があるらしいけど、もしヤバめの病気だったらどうするんだろう。内膜症とかチョコレート嚢胞とかさ。下手したら癌化するんだけどな。
ピルを処方してもらうには血液検査が必須で、体重はいく度に私は量ってる。まあそれなりに落ち込む事もあるけど、現実は変わらないからね。ちなみにこの前は少し減ってて嬉しかった。
そう言えば、一年に一度エコー検査も受けてるけど、私の女性特有の臓器って左側に寄ってるんだって。だから全体像を見るのにコツがいるらしい。今年も問題なく検査は終わった。血液検査も善玉コレステロールが多いくらいかな。あと定期的に筋トレしてるって分かる検査結果だったみたいで、そんなのも分かるんだってびっくりした。
肥るのって簡単なのに、痩せるのって本当難しい。毎日これだけ動いてるのになかなか痩せないから、年取ると代謝が下がるのは本当だって実感してる。でも言い換えると、今が一番のチャンスなんだよね。人間誰でも今が一番若いからさ。
結局、お薬と運動、精神と肉体、生活習慣、全部繋がってるから一個を改善しても身体はなかなか変わらないんだよ。私がこれだけ前向きで居られるのは薬があってるからだろうし。まあそれでも昨日の夜は号泣してたんだけど。久しぶりに鬱のフェーズに入っちゃったみたいで、泣きながら色んな記事を読んで鼻水をかみまくってた。まあこの状態はそんなに長くは続かないんだけどね。やっぱり躁に寄ってるから。
こうして此処に書く事で考えが整理されてるって今も実感してる。やっぱりパソコンは必須だわ。そして一時出来なくなってたタッチタイピングがまたできるようになった。
結局ね、身体も技術も脳味噌も、使わないと巧く動かせなくなるの。錆び付かないようにしないとね。潤滑油になるのは多分、毎日のちょっとした喜びと趣味活動だね、私の場合は。
▼2025/08/21:毒を矯める、ひと時であっても
気になる書籍がある。最近見始めたYoutubeチャンネル主の精神科医の先生が書いた『私の中の希死念慮ちゃん』と言う、結構可愛らしいイラストの本。分類は実用書になるのかな。割りと昔から日本人って自分で自分を殺す事を美徳みたいに感じてしまう文化みたいなものがあるけれど、輪廻転生が信じられてきたことが背景にあるのかな。ひとつ言っておくと、私が自分を殺したいって訳ではないよ。ただ、自分には明日も明後日も変わらず未来が来ることを信じられないってだけ。今世の前には前世があって、今世の次には来世があるとして。『自分』と言う存在が終わってしまうのなら私は死にたくない。やりたい事が山ほどあって、知りたい事も同じくらいあって、きっとこれからもどんどんと増えていく確信がある。ただ、面倒になっちゃう可能性は否めないからこの本が気になってる。著者の先生はYoutubeで毎日19時に動画を投稿してるんだけど、時々視聴しては勉強になるなぁと思う。ちゃんと患者を診てくれるタイプの人なんじゃないかなと思うと同時に、たまに居る『患者を診ないお医者さん』って初めは何を思ってこの道を志したのかも若干気になるなぁと考えたりする。高い志を持っていないといけないと言い切る心算はないけど、無いならないなりにビジネスとしてきちんと職務を全うするべきなんじゃないの? と感じる。でも幾ら志が高く保たれていても技術や知識が伴わないなら志よりもそっちなんだろうな。結局、救う術がないなら何も救えないし。
私の身近な人達には、心に病みを抱えた人が多い。SNSを覗いたら『この世の皆死んじゃえばいいのに』って小さく書かれた真っ黒い写真を投稿している子も居れば、必死で家族と自分を生かす術を模索している子も居る。当事者じゃなくて関係者の子も居るし、守りたい人が病みを抱えている人も居る。
何て言うかね、この世界って人間の為に作られたものじゃないと思う。当たり前なんだけども。『社会』は他人が創り出したものだけど、人のコントロール下にはないように感じる。『社会は厳しいものだ』って言う人も多いし多分実際そうなんだけど、あまりにも多くの人が生き辛さを感じてるのって同じ人間が作ったにしては出来が悪すぎないかな。もっと優しい世界があればなぁって感じる出来事が、私が観測できる場所でもたまに起きるんだよね。もっとどうにかならなかったのかなって、ちょっと泣いちゃったりするような出来事が。
このサイトの前身だった『斜陽』は措置入院してた時に作ったんだけど、あの病院で出逢った色んな人達は今どうしてるんだろう。あの時私を生かしてくれた人達は今をどう生きてるんだろう。よく思い出すんだよね、消灯後の病棟で眠れずにナースステーションに行くと灯りがついてて、看護師さんが迎えてくれて、話したければ話せばいいし、ただ居たい時は居るだけでも良いの。『優しい世界』ってああいう場所の事を言うのかもしれない。でもあれくらい限られた場所じゃないと『それ』が成り立たないかもしれないのは悲しいかな。
全ての人の味方にはなれない。正義の裏は別のベクトルの正義だから、全方位に良い顔をするならそれはもう正しいとは言えない。誰かが泣くから誰かが笑う。逆も同じ。けど、出来るだけ悲しんだり苦しむ人が少ない世界って目指せないものなのかな。
二次創作とは言え小説を書く人間だから日常的に何かしらの妄想(症状じゃない方の)をするんだけど、前にも書いた通り、私は救われなかった自分を救う為に書き始めたんだよね。もっと生きやすい世界が、スカッとして快い気持ちになれる世界があったって良いんじゃないかって。理想を描けるって意味では良い趣味だと思う。多少嫌な事があっても妄想に昇華して文章に出来れば気が済む時の方が多いし。
私にとって文字にする事は、現実を生きる為に、理不尽さに対しての或る種の抵抗手段なんだよね。それが一時的な鎮痛剤であっても副作用もない良い薬だよ。前のサイトの時に『賄い薬』ってコンテンツがあったね。多分今にも引き継がれてると思う要素のひとつ。他の誰にも処方してもらえない、自己流の処方薬。
人間って同じ行為や作業を繰り返す事で幾らかはそれらが洗練されていくものだと思ってるんだけど、あの頃の私に誇れるくらいには文章を書く事が得意になった。漫画家を目指してたのにそっちは良いのかって訊かれたら『ごめんね。駄目だった』って謝るしかないけどね。でもイラストを描く事はその頃より上手になったから許して欲しい。創作業で食べてる人に『貴女は文章でも生きていける』って評価されたし、最近だと人形も作れるし。
二次創作って『現実ではそうならなかったけど、他でもない自分が読みたい話』を味わえる限られた手段の一つだと感じてて、自分の中にしかない妄想を形に出来るのって幸福な事だと思う。発表して他の誰かにも賛同してもらえたら本当に嬉しい。せめて文字の上では大好きなあのキャラを幸せに出来るんだって思えるし、同じ思いを持つ仲間が存在してるって知る手段にもなるから。
話がそれたね。大脱線だ。『希死念慮』って要は自分を消したい気持ちの事を言うけど、誰かが綴った文字が他の誰かを救う一方で別の誰かを崖から突き落とす事がある。悲しいけど、言葉は諸刃の剣みたいな道具だから仕方ない。考えを特定の音に載せて、文字と言う形を与える事でこの世界に送り出すのはみんな一緒。でも目的が違う事の方が多い。慰めようとした言葉がうっかり相手には傷口に塩を塗る禁句だったり、何の気なしに零した一言で見聞きした誰かが絶望から救われちゃう事もあるから、結構な確率でエラーを起こしてるよね。
学生のころ読んだエッセイに似たようなことが書かれてたんだけど、『私達は本来個々人の脳内にしかない世界を、共通のものと認識することで社会を営んでる』んだと思う。
私が見てる空の青を同じそれだと認識してる人はどれくらいいるだろう。でもその色を『青』と呼ぶことで共通の認識を持てる。日本じゃない国の人だと大分ズレそうだけどって言うのは置いておいて。
つまり、人間は『言葉』にしないと『思い』を掴みづらい生き物なんじゃないかな。勿論『察する』とか『推測する』とか『想像する』って言う手段はある。でもそれって自分以外に伝えるなら分かり易い形を与える方が効率がいい。
で、希死念慮とは長い付き合いだから分かって来たんだけど、端的に『死にたい』って感じても大体の場合は深堀すると違う感情も出てくる。『これが嫌だから逃げたい』『辛いから誰かに慰めて欲しい』『現状の何もかもが不満で気に入らないから自分の命を人質にします』とか、私の場合は一番最後が多かったかな。結構な子供だね。あくまでも個人的な意見だし、発売前の本らしいからまだ読んでも無いのに考察みたいなのをしてるのはおかしいかもなんだけど。
思考の癖みたいなのなんだよね。口癖みたいな。
初めは本当にそうしたいんだって思ってたかもしれない。でも初めて実行しようとした時『怖くて無理だ』って思ってやめた。痛いのが怖かったんだと思うけど、じゃあそれで気が済んだって事は、本当にそうしたかったわけじゃないって今は思う。思うし、あの時やらなくて本当に良かったって思う。
人間ってね、一年前の悩みを思い出せない人の方が多い生き物なんだって。一つの出来事で苦しいのって割りと短い間の事らしい。本当かは若干疑問なんだけどね。同じことで悩み続けてても、少しずつベクトルが変わるのかな。ただ、これは本当だなって感じるのは『何事にも終わりが来る』って事。これは事実として、私は永遠には生きられない。どんなに苦しんでも、悲しんでも、嬉しくなっても、楽しくなっても、怒っても、いつかは絶対に終わりが来る。この事が腑に落ちた時に何となく諦めがついた。
どうせいつか終わっちゃうなら、生き辛くても生きていこうと思えたんだよね。
不思議な話。ゴールが見えた途端に楽になっちゃった。自分じゃ決められないゴールなのにね。希死念慮は今でも常にうっすらとあるよ。でもそれ以上に生きたいって思える内は大丈夫かな。書いてないネタも山ほどあるし、作りたいものだって沢山ある。後50年くらいは尽きないと思うし、増えるかもしれない。
ただ、本当に辛かった自分を置いてきぼりにせずに生きたい。彼女が居たから私が居るしね。同じような事何回も書いちゃってごめん。辛かった時、それでも生きるのをやめないでくれてありがとう。私を生かしてくれた皆の為にも、今日も思いを文字にし続けるよ。多分、それが一番私を救うから。
▼2025/08/19:覚悟した、私の一生の光となって手を引いて。
ひとつ前の記事で自分の考えをアウトプットした事で多少は落ち着けた。昨日今日と連休で、明日から仕事。昨日少しはしゃぎ過ぎて疲れがたまってしまって、今日はほとんど何も出来なかった。年齢を重ねるとどうしても体に無理が効かなくなる。お盆が終わったね。今回は其処まで調子を崩さなかったのかな。もう四年も経つと当時の気持ちを思い出す事さえできなくなったけれど、家族だった人を喪った事よりもその後の煩雑な手続きの方が余程負担だったのは覚えている。相続放棄って本籍のある場所の役所から書類を幾つか取り寄せないといけなくてさ、私の本籍は両親と一緒だったんだけど、何と本州だったんだよね。何処かは書かないけど。
マイナスな遺産を残す可能性のある人はある程度の負担を遺族に強いるかもしれないって覚えておいた方がいいかもしれない。覚悟しとかないと死んでから怨まれるよ。
奇妙な焦燥感については一応治まった。ただこれって、気にしないようにしているだけでずっとあるものかもしれない。世の中の理不尽に怒る事も虚しさを感じる事も、全部ずっと私の内にあるものだ。疲れが溜まるとただでさえネガティブなのが酷くなっていけないね。
気分障害の可能性、つまりは統合失調感情障害の疑いについて、少し主治医と話してみたいと思っている。統合失調感情障害って言うのは、統合失調症に気分障害(別名は感情障害)が加わった病気の事。で、気分障害って言うのはうつ病と双極性障害の事。私は前の病院の頃から躁状態に寄っている事を指摘されてきたんだけど、最近少し酷くなったかもしれないと感じる。だから疑わしいのは双極性障害の方。鬱になる事があまりないタイプなんだけど(元々がネガティブだからね)、時折エネルギー切れになってパタッと倒れるから、それが代わりかもしれない。今日とか起きてご飯食べてまた寝て、起きて作って食べて寝て、起きて作って食べてごろごろしてとか言う自堕落な生活をしてたよ。明日は仕事だからお風呂には入ったけど。鬱って言うより無気力な感じかな。
もしかすると、気分障害の可能性についてあまり言及されないのは鬱状態がほぼないからかもしれない。躁状態は多分自分でコントロールが効くあたり『軽躁』くらいの状態かもしれない。本当に躁に入っちゃうとコントロールなんて効かないらしいから。
飲んでる薬は合ってる、んだと思う。肥る薬は極限まで減らしたいけど難しい。生きるために必須な薬が消えたい欲求の原因の一つっておかしいのかな。どうしても歳を取ると代謝も落ちるから、運動するか食べる量を調節するしかないよね。
生きるのってどうしてこんなに大変なんだろうね。消えるのもまあまあ大変なんだけどさ。だからあの人の最期も結構大変だったみたいだけど。私も多分消える時は一人だと思うから、ちゃんと準備しないとね。あと五十年くらい先で良いけど、準備するなら何でも早め早めがいいでしょ。
職場でさ、毎日可愛いお犬やお猫を見てるの。皆可愛いし賢そうで、目が合う度に尻尾を振って寄ってきたりする。ぴこぴこって振られる小さな尻尾と、まん丸いお目目が可愛すぎて、ついつい抱っこして連れ帰りたくなるよね。まだ自分以外の命に責任が持てないから、彼等彼女等の幸せを担保できなくてお迎えは難しいんだけど、いつか一緒に暮らしてみたいと思って頑張ってる。昔はチワワがあまり好きじゃなかったんだけど、今はすっかり考えが変わっちゃったね。お店のショーケースに居る子がもう、可愛くて可愛いくて。躾とかちゃんとするのは勿論、最期まで幸せでいて欲しいからまずは貯金かな。
あんなに小っちゃいのにさ、一生懸命生きてるの見てると、愛おしくて仕方なくなる。今の収入じゃ厳しいけど、職場の先輩の一人が来年引っ越して、日本スピッツってお犬をお迎えするらしい。って事は、いずれはそれくらいの収入が得られる可能性が私にもあるって事だよね。じゃあ頑張ろうって思うじゃない。
毎日あんなに可愛い子が隣に居たら幸せなんだろうな。お散歩に関しては地面があちちじゃない時間に行くのは当然で、抱っこして撫でて、ご飯あげて撫でて、遊んで、疲れて寝てるところを見てたらこっちの疲れは吹き飛びそう。
あ、これ結構本気で飼いたいって思ってるな私。お猫が良いんじゃなかったのって感じだけど。
いつかもっとお金が貯まったら本気でお迎えしちゃいそうだよね。
▼2025/08/17:一葉一枚、数えて整理しよう。
お盆が開ける日が来る、と殆ど同時期に心の中がざわついている。今日の仕事中から奇妙な焦燥感を覚えている。不調の前兆だろうか、いつもよりも離人感が強い。自分という『役』を演じる私を内側から眺める奇妙な感覚はいつもの事なのだけれど、心の中が落ち着かず、些細な音や肌感覚(痒いとか肩が凝っているとか)が気になって仕方ない。毎年、あの人が他界してから引っ張られるようにこの時期は向こう岸への誘いが強くなる。勿論、それはまやかしみたいなものと知っている。この時期が終わればこの感覚も気にならなくなるかもしれない。ただ、私は考えを整理する為にこうしてこのブログを書いている所があるので、もしよかったら吐き出した考えを読んでみて欲しい。
節約及び貯金は、それなりに上手くいっていると思って良いのだろうか。私の場合自分を肯定する為に他者の力を借りることがままあって、そのうちの一つが買い物だ。と書くと不親切な書き方になるので少し補足する。私は自分の事をとても可愛いと思っている。しかし、その評価は周囲から得られるものの方が自己肯定感が上がりやすい。なのでお買い物をして『可愛い。お似合いです』と言われたいがあまりに買い物をし過ぎてしまう。そして販売員の方に褒めてもらえることや話を聞いてもらえることで自己承認欲求を満たしているのだ。
この事に気付いていたのに見ないフリをしていた事をやめて、少し経った。可愛い事に重きを置くのは変わらないが、他の誰も認めなくとも私は可愛いのだと強く思いこむ事や、可愛い事以外に自分の価値を見出してみる事を少しずつ繰り返した。
私の長所(つまるところ裏返せば短所)は沢山ある。可愛い事以外にも人に親切に出来る事や、誰かにはその誰かなりの事情があるから頭ごなしに否定しない姿勢をとれる事。物を生み出す事が得意な事、自主的に継続して英語を勉強できるくらいには根気がある事、人が嫌がりそうな単純作業でも集中して取り組める事、意志を強く持って目標に向かって努力出来る事、などなど。
で、序でに『さらに言うなら結構可愛い』が後付けで来るようにした。何だろう、可愛くないと言われ続けた過去が此処まで尾を引いているのは、嫌な事を根に持つ力も強いのだろうか。自分が可愛くない事を許せない。
まあそれは置いておくとして、あまり気軽にお金を遣わないようにしている事も、少しの間とは言え継続している。焦る必要はないし、焦ったり考え込んだところで現実は変わらない。それの赴くままに行動すれば結果が悪くなる可能性だってある。それは理解している。でもたまに、納得できなくなることがある。
私は中途半端な完璧主義者だ。物事を根気よく続けることができる癖に、急にパタッと何も出来なくなることがあるしそもそもが怠惰な人間なので、途中(本来なら気を抜いてはいけない箇所)で急に力を抜いたりやめてしまったりする。それが嫌な結果を招くと知っているからますます最後まで気を抜かずに頑張らなければと心の中でだけ自分を追い詰めるのが悪癖の一つだろう。
昔から、0か100かで生きている。完璧じゃない私に価値は無いと思う事はしょっちゅうだし、かと言えば少しの成果で有頂天になって気分良く過ごす事もある。所謂白黒つけたがり過ぎる性質なのだけれど、意識的にグレーゾーンを作るようにはしてきた。就労移行支援事業所でもその練習を繰り返した。
仕事は多分、うまくいっているのだと思う。ただ、何か心の中でズレの様な物を感じる。自分ならもっとうまくできる筈なのにと思いながら、時折小さな綻びを指摘される。もっともっとできる筈だと思って、でもそれは思い込みと言うやつでしかないから如何にか現状を受け容れようとも思う。
何だろう、自分に自信があり過ぎるのも問題かもしれない。よくない意味での自信と言うか。根拠のない自信って或る程度は必要らしいんだけど、私の場合失敗すると『死ぬ事以外はかすり傷』の真反対の『生きてるだけで致命傷』モードに入るのだ。こういう時は只管考えをアウトプットすると良いのでノートパソコンを開いたんだけど、それ以外だとお風呂でぼーっとしながら音楽を聴いて瞑想みたいな感じで自分が今温かいお湯に浸かっていて、汗をかいている事へ意識を向ける。頭を空っぽにする感じ。洗顔とか洗髪に関しては行程を意識しなくても出来る事の一つなので、なるべく何も考えずに手を動かす。今はお風呂から上がってスキンケアを終わらせ髪を乾かして書き始めたところ。
で、何でどことなく不調なのかについて考えよう。幸いにも幾つか要因が思い当たる。
まず、天候(主に気圧)が不安定な事。気温も湿度も高く、幾らスポットクーラーと言う文明の利器を活用したとしても通勤中や仕事作業中は暑いし、空気がじめっとしていて不快だ。一昨日くらいから片頭痛もしばしばある。気圧由来の物もあるし、スマートフォンの頭痛予測アプリは毎日のように警告メッセージを寄越してくる。
次に、元々この時期は睡眠が乱れやすく眠りが浅いのか悪夢を見る事。元々服用している薬の副作用に『悪夢を見る』があるのだけど、はっきり言って寝ている時の夢が奇妙過ぎて怖い。でもこの薬のお陰で眠れている所もあるので、この辺りは今度主治医と相談しようと考えている。
そして、仕事に慣れてきた事。いい意味でも悪い意味でもだ。職場の人と雑談する事も増えたし、仕事のコツみたいなものも分かって来た。そうなると気が緩んで余計な事を考え始める。仕事中に余計な事を考えるとうっかりミスとかしそうで怖い。人間、慣れてきた頃が一番怖いのだ。
仕事はそれなりに楽しい。褒められる事、お礼を言われる事、可愛いお犬やお猫を見られる事。全部楽しい。でも面倒くさいと思う事も結構ある。小さな商品一つ一つの埃を払う事が楽しい時もあれば煩わしく感じる事もある。日によって、時間によって、自身のコンディションによってそれは変化する。そして、それを自分に許したくないと思ってしまうのも問題だと思う。常に完璧で在りたい。でないと此処でも居場所を失うんじゃないか。
小さな頃の経験故にか、あまり人を信用できない。なのに直ぐに信じて『この人は私にとって最高の味方だ』と感じてしまう事も多い。相反しているが、結局のところ『人との適切な°覧」の詰め方が分からない』のだ。此処で出てくるのが先程の白黒思考。つい、自分にとって敵か味方かを判断したがる。
ぶっちゃけた話、100%の敵も味方もほとんど存在しない。私だって『この人の此処は賛同できるけど、此処は違うから反対したくなる』と感じる事の方が多いし、そもそも全肯定してしまうのは危ないとも思う。理解しているのに、それを自分に適用できない。完璧な味方が欲しいと感じてしまう。否定されるのが怖いから。
私の行動の一部へ苦言を呈されただけなのに(しかも多くの場合、それは否定じゃなくて親切な指摘なのだ)、全てが駄目だと言われたような気がしてしまう。何故だろう。これ以上否定されたくないのは何となく分かっている。否定され続けてきた過去の私の傷口は、まだ瘡蓋が被ったままだ。そしてそれを『私が可愛くないからだ』と考えを飛躍させて無理矢理に剥がし、また傷口になってしまう。
こうなると正に思考の自傷と言う奴で、繰り返し何度もなぞるから傷の通りに溝が刻まれてしまいそうだ。
この思考の癖≠ヘ経験や嫌な記憶から来る認知の歪みが招いたものだけど、自分を守って保つ精一杯の抵抗≠ゥら生まれている。自分を保つ為に自分を傷つけるのはありがちな話だし、私は肉体に傷をつけない分心を傷つける自傷行為を繰り返している。
苦しい。
本当ならもっとうまくやれたはずだ。と思うけど、うまくやろうと頑張った結果がこれなら受け容れるしかない。過去は消えないし、現実は毎秒過去になっていく。変えられるのは未来だけ、と思ったけれど、そもそも未来ってまだ確定していないんだよね。変えるも何もない。
今こうしてキーボードを叩きながら、考えを文字にしながら洟を啜っている。何故だろう、とてもとても恵まれている人生なのに、苦しくて仕方ない瞬間が溢れている。今年は比較的マシだと思いたいけど、やっぱりこの時期は辛くなりやすい。これ以上何を望むんだろう。何がそんなに不満なんだろう。
昼休憩とか退勤後の地下鉄に乗っている間、SNSを眺めては心がささくれる事が増えた。動画でも文章でも世の中には理不尽が溢れていて、傷つく人が沢山居る事に心が苦しくなる。貴方だって守られているべきなのにと怒りも湧く。でもそれは過去の自分を救ってくれない誰かへの不満と同じなのだ。外科的な手術とか医療を除いたら。自分を救うのは最終的に自分なのにね。
小さい頃からこの憂鬱さと生きてきたけれど、やっぱり気分障害もあるのかな。自分を終わらせようと思ったのは幼稚園の頃で、いじめが主な原因だった。昔から、周囲に膜のような隔たりがある。私は何故か普通の人とかなり違う。『個性』と呼ぶべきか今でも悩む。子供ってさ、自分と違う人をそのまま受け容れられるかって言ったら違うでしょ。何でもみんな同じが好きな子ばかり。誰かと違う事を個性として受け容れられるようになるまでは結構時間がかかるんじゃないかな。
今では『私は私で貴方は貴方、みんな違ってみんないい』が一応のモットーなんだけど、やっぱりみんなと同じが良いと思う事が多いし、みんなと違う私を認められない事も多い、のに、普通じゃない自分で在りたい気持ちもある。私は周囲よりも劣っている所が多過ぎるから、せめて違う所では秀でていたい。
もう少し普通に生きられたらと思うと同時に、もっと特別で優れた自分を追い求める矛盾。
これが考えの飛躍や、過度な期待を生んでいるのは薄々気づいてた。妄想癖があるのもそうだね。つい脳内でシミュレートしちゃうね。輝かしい未来をさ。そしてその未来の自分は相当『可愛い』んだよ。なんでもここに帰結しちゃう。
可愛くない自分を受け容れるべきか、それとも『こんな私も可愛い』と思うべきか。
後者の方が健全だと思う。でもさ、健全な思考が出来る時の方が少ないんだよ、落ち込んでる時とか失敗した直後ってさ。そうして苦しむの。解ってはいるんだ。でも心は納得してくれない。もしかしたら今は、誰かの助けを求めるべきかもしれない。
そろそろ眠剤が効いてきた。文章がおかしくなる前に、おやすみなさい。
▼2025/08/12:闇色とは言うけれど、夜明け前が一番暗い
子供のころと比べると味覚が変わったなと思う事が増えた。既に成人していた十年前とだって大分違う。春くらいからチョコレート菓子を自分に買っていない事に気が付いた。ケーキを食べはした、がそれは母に連れて行ってもらったアフタヌーンティーのメニューの一部だったから自分でお金を出してはいないし、強いて言うならこの前数年ぶりのサーティーワンアイスクリームでチョコレート味のアイスを食べたと言うだけ。自宅へ持ち帰ってはいない。私は嘗て大のチョコレート好きで、毎年バレンタインデーの時期を心待ちにしていた。百貨店の催事やコンビニエンスストアの限定商品、スターバックスのバレンタインビバレッジも大好きだった。しかし、今はあまりチョコレートに興味が無い。嫌いになったわけではもちろんないのだが、今はあまり甘い物を食べたいと思わなくなった。特に甘い飲み物も嫌いと言うほどではないにしろ、舌に纏わりつくような気がしてあまり量を飲めない。元々飲み物は甘くない物の方が好きなのだが、コーヒーも入っているチョコレートシロップたっぷりのカフェモカとか、生クリームもりもりのラテも飲まなくなったのは意外な事と思うし、そう言われる。
コーヒーが好きになった切っ掛けは高校生の頃に駅のスターバックスコーヒーで勉強することにハマった事なのだが、当時私は自宅で勉強が出来ないタイプの学生だった。社会人になった今でこそ自宅でデュオリンゴをやり倒す毎日だけれど、高校生の時には『カフェで勉強するのがステータス』みたいな風潮があったので(うちの高校だけだろうか?)わざわざ出掛けて(しかもそれなりにお洒落する)高校の教科書を丸テーブルに拡げて甘いコーヒービバレッジとスコーンやマシュマロ入りの大きなクッキーを頼んで勉強するのが大好きだった。まあそれなりに成績も上がったので親も何も言わなかったのだと思う。次第にお金が続かなくなり自宅でコーヒーを飲みつつの勉強スタイルに変わっていったが、どちらにしろ私の勉強には珈琲やカフェインがつきものであり、しばしばチョコレート菓子が付いてくるのだ。
繰り返すが、チョコレートが嫌いになったのではない。ただ、自分で自分を食わせないといけない今の私には、市販のチョコレートの値段が財布に厳しいのだ。毎日の昼食は朝自分で拵えるし、外食も月に一、二回程度に抑えている。休日に外食する際も値段を気にしてはなるべく安く済ませようとポイントを貯めるようになった。純粋に『勿体無い』と感じる事が増えた。
自分にご褒美をあげる事も大好きなのだが、そのご褒美が財布を痛めつけるのはいただけない。
そもそもご褒美は日常的な物ではないので、日常の自分は日常の中でケアしている。お風呂に入って好きな音楽を聴くのもそうだし、好きな動画を見るとか、ご褒美候補として欲しい物を探す事に時間を割くとか。筋トレに関しても同じようなくくりに入るのかもしれない。個人的に身体を動かさなさ過ぎても疲れがたまるので、動ける時にはなるべく動いて汗をかき、お風呂に入ってしっかり眠る。今服用している睡眠薬が『自然な眠気を強くする』タイプのものなので、それをしっかり効かせる為にも身体を動かすようにしている。昨日もフルコースで筋トレと有酸素運動をしたらいい感じに眠気が来たのでスッと眠る事が出来た。仕事が忙しい時期なのもあってその日の疲れはその日に取っておきたい。
話が大分それた。そう、味覚が変わったと書いたが、昔は好きなじゃなかったものの筆頭が実の所今欠かせないブラックのコーヒーで、甘党だった自覚もあるがそれにしたって味覚が子供に寄っていた。酸っぱい物も苦手で、未だに百パーセントのオレンジジュースが飲めない。何なら生の苺も苦手である。グレープフルーツに関しては天敵レベルで苦手。でも苦い物は寧ろ大好きになった。ブラックコーヒーだけでなく、高カカオのチョコレートも大好きだし純ココアを使った簡単なスイーツもたまに作る。紅茶もストレートが一番好き。甘いものに合わせるなら尚、甘くない苦みや渋みのあるものの方が好きになった。
専門学校に入ったくらいから、夜に作業する度カフェインを摂取するようになる。今はしていない事だけれど、真夜中まで珈琲をがぶ飲みしながら原稿に向かっていた所為で疲労のあまり付けペンをインクの代わりにコーヒーに浸してしまった事もあった(やった直後に気付いて頭を抱えた)。
当時の主治医は『貴女と同じ病気の患者は大体、コーヒーか煙草に依存する。まだコーヒーの方が健康的だから私は止めない。ただ、一日に四杯までにしなさい』と言っていたのを覚えている。つまりこれはもう半ば依存状態だったんだろう。それでも今現在は一日に四杯までのルールは守っているし、何なら一杯も飲まない日もぽつぽつある。夕方4時以降は飲まないようにしていて、どうしても飲みたいならノンカフェインのコーヒーを飲む。
カフェイン依存の人は頭痛がしやすいとか、肩が凝るとか動悸がすると云う『依存・離脱症状』についてたまに見聞きする。私の場合当て嵌まる事が今の所は無いので、耐性の問題もあるのかなと思った。年に一度精神科で行なう血液検査では腎臓と肝臓がすこぶる元気らしく、あらゆる化学物質の代謝が人よりも早いらしい。お陰で感冒薬や鎮痛剤系もさっさと代謝されてしまって困ると言えば困る。お酒に強かった過去も多分、これが原因だ。
SNSで知り合った外国人の友人曰く、日本人東アジアの人々にはアルコールに弱い代わりにカフェインへの耐性が高い人が多いらしい。彼女はムスリマなのでコーヒーを嗜むけれど、そうでない地域の友人は私の様な飲み方はしないと言っていた。同じ人間なのに不思議だ。
ちなみに私の場合は珈琲で頭痛が良くなることが結構ある。ので、軽い頭痛の気配を感じたらコーヒーを淹れる事が多い。しかしこれはそんなによくある事でも無いらしいと最近知ったので以前友人に勧めてしまったのが少し申し訳ない。やっぱり肩回りを温めるのが良いのだろうか。耳の周囲を解すようにマッサージするのが習慣というか癖なのだが、それをすると首回りがぽかぽかして頭痛の波が引く事が多い。
身体は暖め過ぎても冷やし過ぎても良く無いらしい。極端な方向に走りやすい生き物だからこそ、何事も程々が良いのだ、多分。
▼2025/08/11:硝子の向こうは炎天下、部屋の中では解けない氷
お盆ですね。今年は現在の所体調を崩してないので少しほっとしてる。やっぱり家にスポットクーラーが来たことが大きいんだと思う。今もリビングダイニングで元気に稼働中です。お盆って世間はお休みだけど販売業にそんな事は関係ないし寧ろ繁忙期だから(承知のうえで就職しましたが)、お盆中のお休みは今日と木曜日だけです。でもこういう感じ、嫌いじゃない。お正月とかも多分出勤なんだけど、嫌じゃないしそんな自分が格好良く思える。社会を支えていると言うか『世界は誰かの仕事で出来ている』の内に入れている感じがして好き。
此処に書いた『舌回し運動』の件ですが、友人がやってくれているらしい。彼女のブログにその運動についてお医者さんが書いた記事のリンクが貼ってありましたが、あれで合っていると此処で書いておく。回数だけが私とは違うけど。詳しく書けばよかったんだけど、私の場合時計回りと反時計回りに30回ずつを一日に3回やってます。朝の通勤時、お昼休み、お風呂に入ってる時、の3回。後は朝の通勤時の舌回しが終わったら3分間上顎の裏を舌で押す。どれも初めは二重顎を直すために始めました。姿勢とか目の開き具合は気にしてなかったけど。
友人が舌の位置が変わった事に驚いていて、そう言えば舌って正しい位置にあると歯を常に噛み締める事はないらしいらしいなぁと思い出しました。私の場合歯列に関しては小学生の頃から矯正を初めて高校の頃に完成していて、歯並び自体は結構綺麗な方です。親知らずを抜くのが一番大変でした。何せ全身麻酔で1週間くらい入院したので……今思うと授業とか出席日数とかよく平気だったなと思いますが。家の親はあまり私の学業に口を出す方じゃないのですが、それにしたって1週間も休ませると学校に連絡した時に何か言われなかったんかな?
それと、私元々口呼吸だったんですが歯列矯正している間に治ったと言うか、いつの間にか鼻呼吸になってました。今は鼻呼吸じゃないと眠れないので、風邪とかで鼻が詰まると大変。
歯ってね、普段意識しないと大切に出来ないんですよね、なかなか。呼吸に関しても鼻呼吸が良いと分かっていても、生命維持の為に無意識的に行う事だから意識的に変えるのって難しいと思います。寝ている時にテープを貼るのとか、貼ってる部分は荒れないんだろうか。
話は変わって。
職場で嬉しい出逢いや再会が幾つもありました。まあ大体がお犬関連なんですが、やっぱり飼い主さんを信頼しているお犬は皆しあわせそうだなぁと思うことしきりです。パパに抱っこされてご来店のブルドッグの男の子はパパとママが大好きみたいで、終始にこにこしていましたね。フレンチブルドッグのお姉ちゃんと一緒に大人しくいい子にしていました。パパに抱っこされていると『僕しあわせです』ってお顔でまあ可愛い。ご挨拶すると『うふふ〜。僕です〜』みたいなご機嫌さん。フレブルのお姉ちゃんはママが一旦その場を離れてもきちんといい子にしていて、お眼目も真ん丸毛並みも綺麗。二人共保護犬との事ですが、優しいママとパパのお陰で人間が好きな模様。撫でるとフラれる尻尾も可愛い子達。
日本で飼われているお犬で一番多いのはトイプードルらしく、店に来る子達もトイプーちゃんが多い印象です。小さなもしゃもしゃのお犬達は大体が人間大好きでフレンドリーな子ばかりで、皆『匂いでご挨拶』の時点でぺろぺろ舐めてきます。私にとってはご褒美です。皆愛されてるから人間=自分を可愛がってくれる生き物なんだろうなぁ。
この前も来てくれた別のフレブル君とも再会しました。前と同じくママの抱っこで登場。ご挨拶したらにこーっとしてくれて可愛い。お犬って本当に笑うんですよ。信じてくれない人も居るみたいだけど。フレブル君は長い時間をママと一緒に過ごしているみたいで、全幅の信頼を寄せているのが解ります。スリングの中で大人しくいい子にしていて、ママは彼のおやつを選んでご購入。嬉しそうに見つめるまん丸いお目目が可愛すぎる。
豆柴ちゃんにも出会いました。この子もママの抱っこでご登場。まん丸いけど小さなお顔でお目目はくりくりのどんぐりみたいな感じ、赤毛だけどちょっとだけ毛先に黒が入ってる。私も以前柴犬を飼っていたので接し方と言うかいきなりガンガン行かない方が良いかなと少しづつ近づけば大人しく撫でさせてくれる。でも実に和犬でした。『匂いでご挨拶』の時からクールなんですよ。洋犬みたいにきゃいきゃいしない。スン、とお澄ましで、でも吼えないで良い子。ママさんとも柴距離の子だそうな。まあそれがまた可愛いのですが。
以前家に居た柴も一応は豆柴になる筈だったのが、いっぱい食べ、いっぱい遊び、いっぱい寝た結果13キロのムキムキマッチョ君に育ってしまったと話すと、大体のお客様の笑いを取れます。家のわんこはそれでいて自分が未だ小さな仔犬だと思っていたのか、狂犬病予防接種のたびに抱っこする私や母によじ登るので首が大変でしたが。まあそれでもかわいい奴でした。
お犬もお猫もみんな違ってみんな可愛いんです。そんな彼等彼女等が健やかに幸せに居てくれれば私はそれで良いです。