▼2025/06/24:指先は夕焼け、逆様なら南の海
たまには趣味に就いて語ろうか。家族には内緒で、またドールを製作している。これで4体目だ。名前はミュウちゃん。やはり米津玄師さん関連の名前である。1体目がアザレア、2体目はリュンヌ、3体目はシトロン。総て米津さんの楽曲関連で名付けたが、今回は米津さんの曲が使われたドラマから採用している。ミュウちゃんの髪の毛は既に注文して発送待ちで、アイはもう手元に届いている。彼女を製作するにあたり、珍しく先にテーマが決まった。他の子はイメージより先にビジュアルが決まるのでこれは珍しい事である。ミュウちゃんのテーマは『コットンキャンディ』、つまりは綿飴だ。ピンク色のふわふわしたウィッグを購入すると決めたのもこれが理由である。ドールアイはシトロン君と同じ作家さんから購入した。きらっきらのお眼目になるようこれからドールヘッドにメイクを施し、アイとウィッグをセットする。素体に関しては変わらずセリアドールだ。今回は15センチのボディを使用している。
お洋服はまず、白のサテン生地とカラフルなオーガンジーフリルやスパンコールをたっぷりと使ったものを用意している最中だ。夏らしく軽やかなイメージで、ふわっと甘いイメージに揃える。お靴はどうしようかと言うところが悩みどころだが。聴くところによるとオビツボディと言うお人形たちのお靴が丁度良いサイズらしいので調べてみる事にしている。
ドール趣味があるというと結構な確率で『スーパードルフィー』を連想されるらしい。いつかはお迎えしたい憧れの子達である。叶うならフルチョイスシステムを使い、理想の子を作ってみたい。勿論お洋服は自作して、その頃にはミシンももう購入しておきたい所である。
相変わらず手芸も楽しい。住んでいるところが都会な方な割に手芸屋さんが少ないのが少し惜しいポイントではあるが、それでも大きなお店に行けばついつい隅々まで見てしまう。家の最寄りのセリアも勿論楽しい。何だってあんなに私のツボをついて来る品ぞろえなのだろう。いつかバイヤーさんとお話をしてみたい。絶対に趣味が合うか、余程腕が良いんだろうなと感じている。昨日も1000円以上も使ってしまったし。あーちゃん以外のうちの子達は生らが無いとこの世に存在していないし、クラフト関係に強い100円ショップと言えばセリア、と言うのが私の中での認識だ。
以前Instagramに載せたけど、布小物を作ることが好きで、いつかそれを副業にしたいとも考えている。ポーチとかバッグ、一緒にドール服も。可愛いうちの子のお洋服を作ると同時に何枚も作ってみたいアイディアが思い浮かぶし、余った布は有効活用したいので。今の職場では自営の副業はまあやってもいいみたいだし(利益が沢山出たら報告は義務だけど)、就職した日にしっかり確認した。確定申告が必要になったら頑張ろう。今の時代調べるツールは幾らでもある。
そんで、最近のメイク事情についても語っていく。
プチプラかつデコラティブの代表格と言えそうなマジョリカマジョルカのフェイスパウダーがとても良いと知ってしまった。商品名は『マジョリカマジョルカ プレストポアカバー』で、ポア≠ニついている事でお察しかと思うが、毛穴が兎に角隠れる。そして崩れにくい。私は連日の暑さに大汗をかきながら仕事をしているが、そんなにひどく崩れないのだ。そしてお値段は2000円未満。これは良い買い物をした。ちなみにこのパウダーは資生堂の毛足の長いパフで多めに取って叩き込み、同じく資生堂の『エリクシールシュペリエル つや玉ミスト』を吹きかけ自然乾燥させると本当に崩れなくなるのでこの組み合わせはお勧めだ。眉のあたりにもきちんとファンデーションを乗せて軽く粉を乗せてから眉を書いて、チークとシェーディング、ハイライトまで終わらせてからミストを吹くと顔全体の色が長持ちする。
ぶっちゃけ目元のメイクってマスカラ以外はある程度離れると見えないので、あまり力を入れ過ぎなくなった。仕事の時とプライベートではメイクの感じも変えている。仕事では一見サラッとしていて好印象なシンプルさなのに、実はよくよく作り込まれているメイクを目指している。ナチュラルメイクの方が時間がかかる事も多いというのは定説かもしれないが、結局のところは肌のノイズが少ない方がいいのだ。故に色ムラが無く血色が良くてハリとツヤのある肌が目指すべきところだと感じている。
しかし、その取り組みのお陰で最近は肌を褒められているのかと思いきや、単にストレスが少ないから肌の調子が良いというのもあったらしい。仕事では日々可愛いわんこやにゃんこを観る事が出来るし、お客様が連れてきたわんこやにゃんこには接客すべきなので触れ合う事も出来たりする。私は予てより人間より犬猫のを前にした方が圧倒的にテンションが高い。なので自然と『お宅のペットちゃんは本当に可愛くていい子ですね!』と言う思いが前面に出るし、お店に連れて来られるようなわんこやにゃんこは大抵がきちんと躾されている。大体の子は『貴方、犬好きですね? 僕は犬です! 撫でてください!』と尻尾はフリフリだ。実の所私は犬には基本的に好かれるタイプなのもあり、全力でリクエストにお応えしなでなでしておやつのサンプルをあげたりして、わんこが満足した所でお客様の要望を聞く感じだ。お客様もご自身の可愛いわんこを褒められれば喜んでくれるし、悩み相談などもしやすいという。お互いにWINWINだ。
そんな生活をしていると当然ながらストレスは減るらしく、よく働きよく食べよく動きよく眠ると肌は当然の様に調子が上がって、スキンケアはどんどんシンプルになる。ので、何を使うかも大事だけど、どう生活するかも大切だと噛み締めながら明日もわんにゃんを愛でるのだろう。
▼2025/06/19:失くしそうな其れが大切だから、掴んで離さないようにしたんだよ。
新しい仕事に就いて一ヶ月経つ。初めはエンジンのギアを上げ過ぎて転びそうになったけど、母と話した事を機に落ち着く事が出来て今はそれなりに力を抜く事が出来るようになった。別に、お客様は什器の隅から隅まで埃のチェックはしないし掃除は出来る時にやればいい。検品と品出しの方が余程大切だ。最低限商品と目の付く範囲さえ清潔さが保てていれば目くじらを立てる人はそう居ないだろう。何となく腑に落ちた瞬間と言うか納得出来た瞬間みたいなものがあって、自分一人で店を運営しているわけでも無し、皆が出来る時にやればいいのだと(どの仕事でもそうだけど)思えた。元々完璧主義のきらいがあって、何事にも全力を尽くすべきとの考えが強かった。今でも完璧で居たい時はある。でも全てが完璧とか有り得ないし出来たとしても難しいし負荷がかかり過ぎる。前にも書いたかもしれないけど『70で合格できるテストで100点を目指す必要はない』んだよね。最低限70点取れればいい。合格するという事を目的にするのなら。そして残した余力はいずれ100点を取る必要が出た時の為に取っておけばいい。キャパシティとかリソースとか、みちみちに詰まっていたら本当に頑張りたい時に頑張れなくなる気がするんだよね。
そんで、変わらず立ち仕事を選んで良かったと思う事が幾つかありました。まずは仕事中に寝ない事。本当なら一番適性の高い仕事は事務仕事とかのオフィスワークなんだけど、静かな環境での座り仕事は確実に眠気に襲われると実感したんですよ。この前仕事で動画視聴してる時半分意識が飛んだ瞬間があったので。就労移行支援でも朝に糖質を取り過ぎると午前中使い物にならなかったし。
そして、痩せました。一ヶ月経たなかった頃にボトムのサイズが一つ下の物が入るようになったんですよ。上は相変わらずと言うかカップ数は変わらないんだけど。ただ、育乳用ブラを使っているのでもう少しでカップ数も変わります。今はFかな。今度はGだね。ウエスト数は恥ずかしいし書かないけど。でも毎日立って歩いて脚立に昇ったり掃除したり検品だと重い物を運ぶ必要も出てくるから、滅茶苦茶体力を使う。恐ろしいくらい汗をかくけど、かけるほうがお肌は綺麗になるらしい。新陳代謝が活発化して、最近ますますお肌の調子が良いです。朝の洗顔を見直したのもあるんだけど。
正直筋トレはサボりまくりです。休みの日とかその前日にやる感じ。でも運動量は格段に上がりました。お陰で夜も良く眠れるし、身体を程良く動かすのは本当に大切だと実感した。お風呂は毎日入るけど、身体を洗う時には良く泡立てたボディソープで身体を撫でるように掌で洗うようにしてます。大分乾燥肌が軽減された感じ。
多分、何事もやり過ぎもやらなさ過ぎもよろしくないんですよね。程々に、腹八分目が一番調子が良くなるんだなって。長期的に見るとね。この意識を持つと大分楽になれた。普段は手を抜いたり力を抜く事で本気を発揮しないといけない窮地に頑張れるんだなって、今更かもしれないけど。
一人暮らし計画も進めています。正直この前見学したグループホームだと私には合わないと感じた。今度また別の所を見学するけど、そもそもの話私は、グループホームじゃなく本当の一人暮らしでも十分やっていける気がする。仕事に慣れて金銭面が解決(労働時間を延ばすとか昇給とか)出来れば、生活能力の部分は一般人並みにあるみたいなんですよ。家事は完璧でなくとも及第点ではあるし(炊事と掃除は特に好き)、苦手な家事も出来ないわけじゃない。やり方とかコツは家族に訊いて練習してもいいし、検索したっていい筈だ。
何でこの話を書いたかと言うと、グループホーム(マンションタイプ)に入る時にも初期費用が結構掛かるし、その後引っ越して一人暮らしともなれば再び初期費用が掛かるから。二度手間と言うか、損かもしれないなって思って。貯金はしているのでこのままのペースで行けば希望の時期に引っ越しは出来る。その上生活能力も収入もあるなら初めから一人暮らしでも良いんじゃないかな。
私、医療保険も食費もスマホ代もインターネット代も自分で出してるんです。当たり前のことだけど、出来ない場合もある。グループホームを利用する必要がある人って、もうちょい緊急性とか高いんじゃないかな。家族が手を離さなければならないけど、まだ本人の能力とか収入とかに不安があるとか通院や服薬が不安定とか。その辺りは私は昔から徹底しているので予定が崩れた事はありません。精神科に通うようになってから母と一緒にお薬の管理をきっちり練習してできる様になれたので。感謝。
その後社会に出てからはたまたま医療職に就いた事もあって服薬の大切さは身に沁みましたし。薬はなるべく減らしたいけど、全く無くすのも無理だよなって思う。やっぱり日付が変わっても眠れない夜はあるし、今こうして安定している状態を崩したくないから。出来れば肥る薬だけは無くしてしまいたいけど、それが睡眠に寄与している事実は否めません。前の3分の1の量なので頑張って減らしたんだけどね。
今の病院に通うようになってもうすぐ一年経ちます。で、今は毎回やって貰ってるカウンセリングは次回で終わりになりそうです。私がかなり安定しているのと、仕事も順調だから。初めの時にも言われてたけど、永続的なケアではないんですよ。必要な時に必要な人が受けるシステムなので。今はカウンセラーさんに話した内容を元に先生が薬を処方してるけど、仮にカウンセリングをやめると、診察時間自体が長くなります。そこで様子を確認して薬の調整をする感じ。もしかしたら主治医も変わるかもしれない。今の先生は初診の先生ではなくて、初診の先生に戻すかもしれないんですよね。ちなみにどっちの先生とも相性自体はいいです。今の先生は態度が一貫して一定のトーンでフラットな感じだけど(それも安心する要素)、初診の先生は少し熱血的です。初診の時には前の主治医の処方(相当見合ってなかったらしい)に『こんな薬を何年も若い女の子に出してたのか!?』ってキレてましたから。
初診の時は診察に二時間もかけてくれて、非常に信用できる病院だと感じて通院し始めたところもあるんですよ。家から数分の距離だし。
今友人に家族とか親戚との関係に悩んでる人が多いんだけど、私も悩んでたけど、一旦は落ち着きました。その要因はやっぱり母とか友人のお陰だったりするので、人との繋がりに関しては本当に恵まれたなって思います。後、傷つけてくる人からは距離を取る。大切にしてくれない人を大切にしない。それを自分に許すと本当に楽になりました。
自分も完璧じゃないけど、相手だって完璧じゃないですからね。親しき中にも礼儀あり。
そんな感じで巧い事物事が動いてきました。頑張ってた甲斐があった。仕事も毎日程良く楽しいです。一日に一回は結構面白い事とか楽しい事が発生します。実は今の勤め先はペット用品の販売店なんですが、以前取った資格の知識が活きる場面がたまにある。犬猫の身体と人間の身体は勿論構造が違うけど、こうすれば良いとの提案の材料には使えるわけです。登録販売者試験の情報は結構忘れてると思うし、最新の医薬品事情とかは分からないけど、結構使える場面があります。化粧品検定の知識も結構活きる。界面活性剤の種類とか添加物とか保存料とか、結構役立ちます。ペットと暮らす人って、自分の最愛の存在の為にお買い物しているからなるべく良質なものをお求めなんですよ。そうなると化学に合成した薬品は無添加なのかと気になるみたいで、出来ればケミカルな物は避けたい人が多いらしい。勿論この世の全ては化学物質で出来ていますが、合成するにしても優しめの組成にした方が安心なのが良く分かります。
この前接客したお客様に掛けられた言葉がとても嬉しかったんですが、愛用されている商品の素材がとてもシンプルな処方で確かにワンちゃんには優しい感じですね、と言ったら安心されていて。『これからも此処で買います』って言って貰えたんです。資格の知識は最新じゃないかもしれないと言った上での発言だったのに。
接客が楽しいと感じる場面も変わらず多いです。元気よく笑顔で挨拶して、商品で両手が塞がっているなら買い物籠を渡す。それだけでも喜ばれるんですよ。そしてその様子を見ていたらしい別の方からお声がけがあって、まだ少ないながらも商品知識を駆使して提案すると結構納得される。昔一緒に暮らしたわんこの話をしても喜ばれます。やっぱり経験があった方が働きやすい職場です。
これから少しずつ知識が増えたら、もっとスムーズな接客が出来るかなと思う。こんな提案が出来そうとか、こういう時にはこうしたら良いんだって引き出しの中身を増やして整理していく。
過去のトラウマの所為もあって他者からの(良心的であっても)指摘が自分を否定しているように思えて怖かったんですが、今はあまり怖くないです。指摘する口調が優しいのもあるけど、これは伸びしろだと素直に思えるようになれました。つい最近の事だけど。至らない所をわざわざ指摘してくれるって、私の事を良くしたいからじゃないですか。嫌がらせじゃないって態度でも分かるし。
精神疾患を持ってると『認知の歪み』って言葉をよく聞くんだけど、今はそれが治ってきている気がする。目の前で起きる事をそのまま受け取るようにしてる。だって、擦れ違いざまに陰口を叩く人なんてあんまり居ないし。居たら居たでその陰口は的外れな可能性の方が高いし。折角好意をもって良くしてくれようとする人を素直に受け止められないのは失礼かなって今は思う。
常に全力を出していた頃はそう考えられる余裕が無かった。必死だったから。全力を出して褒められないと否定された気分になっちゃうからね。否定したいんじゃないし認めてくれてもいたのに、歪んだ形で受け取ってしまった。今となっては申し訳ないけど、過去は変えられないので明日を変えます。
仕事を家に持ち帰らないようにしてるのも功を奏したようです。元々接客の素地は出来てたから安心して働けたし、予算を達成するとかはまだ考える必要ないっぽいし。お店が存続さえしてくれれば安定して働き続けられるね。
今精神が不安定になっている友人が居るんだけど、自律の為に依存先を増やすのって難しいなと思う。私の場合は作品を発表する場が幸運にもあるからか、良い作品を書ければそれだけでも五日くらいは上機嫌で居られます。家族に思いを吐き出すのも良いし、病院以外の居場所があってもいいかも。デイケアとかピア(当事者)トークが出来る場所とか(無理強いはしません)。自分にとっての安全基地を増やすのが一番いいんだけど、それが出来たら苦労はしてないよね。AIに頼るのは悪くないけど、生身の人間と話したい時も多いみたいだし。外に出られそうならお庭の薔薇の写真を撮って、眺めながら紅茶を飲むとかしたらいいんじゃないかな。ハーブティーもおすすめだよ。個人的に蜂蜜カモミールティーが好きです。
取り敢えず私は此処で書きたい事を好きなように書いて待ってる(と言うか意識に入れてる)から、吐き出したい時はいつでも来てね。読んだ感想も有難いです。取り敢えずさ、貴方の現状は貴方だけが招いた事じゃないからあんまし背負い過ぎずにね。貴方の人生は貴方にしか味わえないし、貴方が書いた文が好きで私は画面の向こうから貴方の所に通ってるから。
貴方も貴方を大切にしてくれない人を大切にしなくてもいいんだよ。人って鏡だから、同じ行動をとって良い。私は貴方に優しくされたから優しくしたいしね。
一回どん底まで落ちて這い上がった結果が此処に居て今はそれなりに幸せだから、安心して良いと思うの。この先暫くは暑いから、無理し過ぎずに過ごしてね。明るい朝が訪れますように。
▼2025/06/12:端から決まってなんかいないよ、だって来てないから未来でしょ。
今年も誕生日は労働をしていた。販売業での日曜日は繁忙日である。遂にアラウンドサーティ最後の年となった。年齢はただの数字と思う性質ではあるのだが、確実に肉体は年を取っている。何故って、食事量が明らかに昔よりも減っているからだ。内容も同じくで、以前此処に書いた通りお肉をたくさん食べる事が出来なくなってきた。特に脂肪の多いお肉。バラとかカルビとかハラミとかホルモンとか、どれも大好物なのに一人前でもう十分と感じるようになってしまって、見た目の年齢不詳度は年々上昇傾向なのに内臓は普通に年齢を重ねているらしい。老化と言うべきかもしれないが。まあ誕生日祝いはきちんとして貰えたので満足。Instagramに投稿したが、ホテルのアフタヌーンティーを頂いてまいりました。美味しいし可愛いしで非常に楽しかった。ロリータファッションを纏ってアフタヌーンティーは堪らない非日常ですね。セイボリーが本当に出来立ての状態で提供されるので嬉しい。今度はまた別の時期に行ってみたい。
さて、最近スレッズと言うSNSで色々見掛けるんだけども、皆さんヘルプマークってどれくらい見掛けます? 私って精神疾患持ってて手帳もあるからヘルプマークの配布対象者なんですよ。ただ、普段全くと言っていいほど助けを必要としないんで持ってないんですよね。あれって持つ持たないは自分で決めていいと思うんだけど、持っていた方がいい場合もあるのも知ってます。災害時とか緊急事態時とか。ただ、着けておくのは何かこう…抵抗がありまして。優先席も必要じゃなければ発作も起こらない、出血した場合に血液凝固に問題が起きる薬剤も使用していない、妊娠の可能性も無い、感覚器に異常は持ってますが日常では困らない(匂いが分からないだけなので)と理由は幾つかありますが、持つだけ持って鞄の中に入れておいた方がいいかもしれないとたまに考えます。
ただ、あのマークを私的な理由で行使するのはまだ良いとしても、触法した事への免罪符とばかりにちらつかせるのはどうなんだと思う事が増えました。触法ってあれです。法律に違反するとか抵触するって意味です。例えば公共の場のルールを破り他者に迷惑をかけたり、カスタマーハラスメントとかを働いたと指摘された時にヘルプマークをちらつかせて『自分は障害者で、弱者だ』とアピールしている輩が少なからず存在するっていうのが事実としてあるみたいなんですね。そうなると本当に助けを必要としている人達が畏縮する原因にもなり得るって言う指摘や、持ちたいのに(若しくは持たせたいのに)持てないって訴えがあるとか。
まあ『障害者』が『弱者』とニアリーイコールなのは分かります。私もそう言う一面在りますし。ただ、それを振り翳して他の人を害する時点でその人は守られるべき人ではないと思います。最近『触法障害者』って言葉を知ったんですが、犯罪に手を染めた時点でその人はきちんと法律に則って罰せられるべきだと感じてまして。私の病名は今更ですが『統合失調症』がメインで『気分障害の疑い』と『非定型発達の疑い』がありますが、どれもこれを理由に減刑されたら私本人がキレます。刑事罰くらい自分に必要なら受けさせてほしい。自分のしたことに責任が取れないほど病んでいる心算はありません。
実の所、私は自分の事を『社会的弱者だけど、同時に強者』だと思ってます。だって、本当に何も出来ないわけじゃない。生活能力は普通の人と同等だし知能指数も平均の数値です。障害者雇用だけど一般企業で働いてるし医療保険料や共済も自分で払ってます。スマホ代もインターネット代もです。
一見すると普通の人と変わりない生活を送りつつ、必要な場面では支援してもらえるよう行政や施設に訴えたり赴く力もあります。今日も自分一人で調べた手続きを区役所でしてきました。必要なものくらい自分で調べられるし、今まで二度手間になったことも無いです。コロナウィルスに感染した時も自分で救急車を呼んだし、治ったら証明書とを取り寄せて保険金の請求手続きも出来ました。これだけ出来たら弱者って名乗るのが申し訳ない。勿論同じくらいの能力を持っている人達全てにこの姿勢は強要しません。やったら出来たからやってるだけ。
運転免許証が取れないので初めての場所へ遠出する時は大変ですが、それでも公共交通機関が通ってれば自分一人で行ってます。グーグルマップとか乗り換えアプリが無いと絶対迷子になるけど。
こんな感じなので自分を『弱者なんだから』と言えないんですよね。貰うものは貰う、けど、貰うばっかりにならないようにしてます。職場では合理的に配慮して貰えている分、此方も理解してもらえるよう努力するし、伝えるし、お礼も言う。出来る事であれば指示通りやってみる。難しいなら練習出来る場なんだから。『障害者だから許してくれ』と言うくらいなら、初めから人を傷つけたり害したりするような真似をしなければいいんです。誰だって間違う事があるけど、間違えたらまずは『ごめんなさい』でしょうと思います。その後補償について話し合ったり、罰を受けたりすればいい。一部(本当に一部かはわかりませんが)の『自称弱者』の行いで本当に助けが必要な人の元にそれが届かないとか、助けての一言が言えないとか、訴えられない。
難しい問題かもしれないけど、一人の人間として生きていてそれを認めて欲しいなら、或る程度はルールを守るべきなんですよね。モラルもマナーもだけど。普段は様々な恩恵を受けているなら『それ』を免罪符にしてはいけないと思っています。
で、『本当に助けが必要な人を適切に助けるために』と思って考えたんですけど、現行の制度にこんなのを加えてみてはどうかなと思った事を箇条書きしていきます。
1.ヘルプマークを支給する時には『これは貴方の困りごとをみんなに気付いてもらうためのマークですよ』と言う事を周知徹底する。
2.ヘルプマークを着ける着けないは貰った人の自由だけど、それは『無条件で罪を逃れるための免罪符』ではない事も周知徹底する。
3.現行のヘルプマークに加えて『黄色』『緑色』のラインを下部に引いて色分けする(赤のままのも用意する)。
4.同一人物に複数枚配らない。
5.身に着けている本人が問題行動をした場合でも、それを理由にお咎めなしにはしない。
6.街で見かけた『ヘルプマークを着けていて、本当に助けが必要な人は出来る限り助ける』事を、周囲の人達は(助ける側が障害者であっても)心掛ける。
1と2、4に関しては配布する側に説明力とか時間が必要になりますね。要は『これは貴方の困り事や障害を持っている事実を知ってもらい非常時などに必要な助けを求めるためのもので、決して人を傷つけた時の保険じゃない』って伝えるべきって事なんですが。自分は障害者だからとか、加害者になってしまったら口にしてはいけない事だと思うんです。特に被害者に対してはね。
5と6に関しては私含め周囲の人達が持っていた方が良いと思われる意識です。総てが正しいとは思ってないので異論は認めます。場合によるところも大きいですし。ただ、本当に困っている人が蔑ろにされるのは一番いけない事だと感じます。
3は持論を提案の形で示しています。現行のヘルプマークは赤と白の色で構成されていますが、其処に新しく『黄色』『緑色』のラインを下部に引いて『どれくらい助けを必要としているか』の目安とするのです。
昔大きな震災とか災害時に使われ始めて、現在の緊急時医療現場では当たり前になってきている『トリアージ』と言うものがあるんですけど、これは傷病者に『黒』『赤』『黄色』『緑色』のラインを画いたタグを着けてその色で治療の優先順位をつけるものです。どんなに高い志と技術のある医療者であっても、緊急時で多くの傷病者が発生した場合、より多くの人を助けるために治療の優先順位を決める必要が出てきます。命に貴賎はありませんが、例えば一人の重傷者へリソースを割き過ぎた場合、救えたかもしれない人が救われない時があると言う事で導入されたそうです。
この『色』は『赤』が最も優先順位の高い患者さんが付けられる色です。自発呼吸があっても意識不明とか、自己脈が弱いとか外傷が大きくて直ぐに手術などの治療が必要、でも助かる見込みはあるという色。意識はあっても簡単な指示(右手を上げてください、とか)は通らない感じです。
『黄色』はその次に優先順位が高いです。意識と自己脈自発呼吸はあっても自己歩行が出来ないとか、外傷が大きくその場で待機させ続けてしまうと命に危険があるとか。
『緑色』はそもそも軽症で自力での歩行も可能、意識も明瞭だし言語能力も怪しくないので自力で病院とかへ行ける人。なので一番治療の優先順位が低くなります。
『黒』はその状況では救命が不可能と判断されたケースで、心肺停止状態でこれ以上の救命措置を行なっていると他の患者の救命にリソースが割けなくなるからこの色になります。
これを踏襲して赤と白のみのヘルプマークの人は最も手助けを必要とする人に着けてもらって(例えば発作が頻繁に起こるとか、その場合に医療への通報がいるとか、感覚器がほとんど使えないとかで助けが必要とか、本人の症状に鑑みて)優先席はそれこそ優先的に使って貰う、困っていそうじゃなくても目を配る、声掛けを積極的にするとか、災害時には周囲が積極的に助けるとか。
黄色は『日常生活で困る場面は多いけど、常に助けを必要とはしない人』に着けてもらうと良いと思います。例えば自分で自分を助ける術は持っているけど、他人の手を借りる場面も多い障害をお持ちの方。移動手段が限られていて(肢体不自由で車椅子とか、義足、義手の人とかですかね)優先的にエレベーターや昇降装置を用意すべき人や特別な施設を使わないといけない人、ストーマを使っているとか定期的に医薬品を注射しなくちゃいけない人とか、完全に感覚器が使えないわけじゃないけど不自由さは否めない人とか、内臓疾患があって特別配慮が必要な人(胃ろうとかペースメーカーとかかな)。この場合も優先席は使って貰うべきです。
緑色は『日常生活では特に困っていないけど、疾患や障害がある事を緊急事態に分かるようにしておきたい人』に着けてもらったら緊急時に優先的にお薬手帳などを確認してもらえたり、必要な配慮をしやすいと思う。例えば『投薬治療が欠かせないけど、投薬さえ受けていれば普通の生活が送れている人(多分私はこれ)』や、『優先席を譲ってもらう必要はないけど時々困難な場面がある人(軽度の知的障害とか識字障害、失語症やトゥレット症候群、補聴器を使用する人とかですかね)』に着けてもらう。
現行のヘルプマークと同じように裏面に症状と対処が書けるとか、ポケットがついていて連絡先メモなどを入れられるようにしておくといいと思う。
これはあくまでも個人的な考えなんですが、全員が全員常に助けが必要じゃないし、触法したのに全てを許されてしまう事態は避けたいと思うんです。必要とする全ての人を漏らさず助けるのって難しいから、一絡げにするんじゃなくてある程度カテゴリを分けておいた方がやりやすいんじゃないかなってこの前考えました。まあ、この分類にするにしても医療者とか障害者支援に慣れている人の判断が必要になっちゃうことは間違いないんですが……ただ、ちょっと思うところが最近多くてですね……
これに加えてピンクのラインを引いてあれば妊娠している方とかにしても良いかもしれない。マタニティマークもあるんですけど、例えば障害や持病を持っていて特別助けが必要とか、悪阻が酷くて通院を繰り返しているとか。
こう言う物って完璧な正解ってきっと無くて、皆で考える事を繰り返すのが大事なんだと思います。で、助けられる余裕のある人が優先的に動くとか。見た目に障害が分からない人にとっては必要な制度だからこそ、時間の経過とともに議論を重ねた方がいいと思うんです。
一意見として書かせていただきましたが、皆さんはどう思われますかね? こういう意見って、何処に出せば行政に届くのかな? 調べてみます。
▼2025/06/05:冷ややかな初夏、繕うのには良い気候
趣味の話をしようと思う。下の記事はあくまでも明日の通院の為の記録なので。以前よりもお洒落を求められない職場に変わったこともあり、あまり朝の身支度に時間をかけなくなった。それでもメイクはルーティンなので毎日行うのだが、メイクアップの部分よりもスキンケアの部分への興味が強くなりつつある。幾らファンデーションを塗り重ねたところで元の素肌が美しくないと仕上がりも今一つだ。年齢を重ねて肌悩みは若干増えたのだが、特に気になるのが目元の皺とクマ、下がった口角である。色ムラやシミだって気になるが、乾燥も同じくらいに気になるこの頃だ。
一年程前、朝の洗顔には洗顔料を使わない方が肌の調子が良いと気が付いた。元々インナードライな肌なのだが、朝にしっかり顔を洗い過ぎると化粧後には顔がパリパリとする。油分を取り過ぎているのだろうかと夜の段階も見直し中だ。肌理は細かくて皮膚自体が薄い方らしいのだが、それだけ水分を保つことが上手くない。化粧水は相変わらず菊正宗酒造の日本酒の化粧水だが、乳液はアミノミノンを使っている。朝はエリクシールの日焼け止め乳液(結構いいお値段)だが、陽射しが強くなった頃から何となく乾燥していると感じることが増えた。故にラリンのナイトマスクを導入してみた。今の所、これを塗って寝ると肌の調子が良いので一先ず続けようと思う。身体の保湿はサボり気味だったことを此処に白状する。ボディクリームをほとんど塗っていないという『保湿の鬼』(友人談)には考えられなかった状況だ。ちなみに仕事を始める前からなので仕事のせいではない。今夜からはきちんと塗ろう。折角肌が綺麗だと褒められるタイプなのだから。
パックもラリンの物を愛用しているし、クレンジングは日によって数タイプで使い分けるようにしている。目元はマツキヨでしか買えないビタミンC入りの拭き取りクレンジング(大容量で安価)とヒロインメイクのマスカラリムーバーとクレドポーボーテの高級コットンで落とし、残りはラリンのスクラブ入りクレンジング(ダブル洗顔不要)かアンドハニーのオイルかバームか、名前を忘れたがダブル洗顔不要な洗顔フォームで落としている。
クレドポーボーテのコットンと訊くとコスメに詳しい人なら『良さそうだけどなかなか手が出ない』と思われがちだが、私は一度これを使ったら戻れなくなった。ぎりぎり千円未満だし目元の悩みが多い人間には必要な投資だ。肌だけでなく髪や爪にも気を使っている。ハンドクリームは安価だがサロン専売品、ネイルオイルも同じくで髪の毛にはヘアミルク(エルジューダエマルジョン+)とオイル(アンドハニー)のダブル使いだ。本当ならミストも使いたい。
最近、髪の毛を染めるのはやめようかなと思い始めている。これまで散々に髪の毛を苛めてきた私だが、大分気がすんだと言うか『黒髪で良いかな』と考えたのだ。染めると定期的に美容室へ行かないといけないし(一時完全なるプリンだった)、頭皮も心配だ。金銭的な負担も大きくなる。折角こんなに可愛い天然パーマなのだから、艶を育てよう。
唇や睫毛は少し前まで調子が落ちていたが、戻って来た。やはり毎日のケアと食生活の見直しと睡眠時間の確保が一番の薬だし美容液である。となると下の記事に書いた服薬管理が非常に大切だ。吹き出物とか出ないのもきっとそのおかげだし。
体調管理の一環として、食事の内容も見直した。朝は多めに食べて蛋白質を中心に、昼は糖質を、夜は野菜を多めにするのが私には合っているらしい。朝ご飯で糖質を取り過ぎると一日調子が落ちるので、朝ご飯にパンを食べるのをやめた。基本もち麦ごはんと納豆か卵、無脂肪のヨーグルトもよく食べるしその他の蛋白質も取るようにしている。果物も食べるならこのタイミングだ。昼は手作り弁当なのでご飯を多めに食べて(同じくもち麦ご飯)作り置きおかずは2.3品。ミニトマトとかも食べる。夜は主食を少なく食べて野菜のおかずと魚を良く食べている。休日なら麺類は昼に食べるようにしている。そして夜はあまり食べ過ぎないようにしている、のではなく食べられなくなった。うっかり夜に焼き肉とか食べに行くと確実に翌日は胃が靠れる。回転寿司だとこうはならないので、恐らく身体があまり肉の脂肪を受け付けなくなってきたのだ。年齢を感じる。
何だかんだ日々の食事で私の身体は出来ているので、これまで以上に内容について考える機会が増えた。必要な栄養だけ過不足なくとれる食事を提供してくれるサービスとかあれば利用したいが、費用がヤバそうなので現実的ではない。
そして運動は……正直なかなかできていない。立ち仕事ゆえに仕事で精一杯な事も増えた。その分休日には筋トレ生活だが。それでも血液検査の結果では筋トレをしているとあがる数値が明らかに標準を上回るので、運動不足ではないと思いたい。朝には必ずストレッチと足踏みもしているし。ちなみに前屈をすると腰痛予防になる。
お風呂は毎日湯船に浸かっている。しずかちゃん並みにお風呂大好き人間なのでじっくり浸かって汗を流すのはやめられない。
前に此処にも書いた通り、デブではないがぽっちゃり気味ではあるので今年中には前の体型に戻れればなぁ…と思いつつトレーニングに励んでいる。仕事で動いてたら痩せないかな…と淡い期待を持ちつつキビキビ動く毎日だ。汗かきなのが恥ずかしい事も多いが、単純に代謝が良いのだと思う事にしている。でないと肌が綺麗にはなりにくいだろうし。
毎日の積み重ねで素肌とか体型とかは整うものだし、面倒な努力をちまちまとやる事でいつの間にか報酬の様に状態が良くなることが何度もあった。これだから努力も美容もやめられない。
明日は筋トレをがっつりやりたいし、お弁当用のおかずも仕込みたい。魚料理のレパートリーも増やしたいし、夏野菜の煮込みを作る時期も楽しみだ。
何にせよ、やる気があるのは良い事ですよねと思いつつ今日もクレンジングは丁寧にするんだろう。自分を大切にしていると気分が良いんだよね。
▼2025/06/05:薄荷色の風が吹く、あまいよりもからい
今日の記事は通院の為の記録としても書いている。再就職して二週間ほど経った。初めは思い切り自分の中のギアを上げ過ぎて、かなり躁の症状が出ていたと思う。正直な所、就職できたことに浮かれていたのだ。安心もしていたし、これでやっと求めていた生活ができると思えてしまって。勿論覚える事は沢山あるだろうし大変だろうと思うし実際体力的にはきつい事も多い。でも前の仕事よりも魅力的に(恐らくは必要以上に)感じてしまってつい頑張り過ぎてしまっていた。接客販売業に戻る事が出来て、以前よりもお客様からの無茶ぶりも殆ど無いように思えるし、仕事上必要とされるスキルはある程度持ち合わせた状態での就職だ。ぶっちゃけ気が楽である。
一年のブランクで体力的には相当きつい事もある、が、心の方はどうだろうか。お客様や同僚、上長の期待に応えようと必死になっている節は確実にあった。それこそ前回の記事を書いた時は明らかにあったと思う。私は発達障害グレーゾーンの人間だが、非定型発達に当たる人の中には『初めの頃に頑張り過ぎて後々潰れる』傾向が強い人もいるらしい。頑張ろうと思ったら出来てしまうけれど、人一倍頑張らないとその結果は得られず後から首が絞まるらしい。結構当て嵌まってしまうかもしれない。母に近況を報告がてら電話したらあの人も心配していたらしく、長い事通話した。
実家に居た頃や元々強すぎないがそれなりに興味を持つ分野の仕事に就いたので予備知識もあったので、お客様からの要求に過剰に答えてしまうきらいがあったらしい。お客様と言うのは、自分が求める商品を的確に提示されている金額通りに買い求められればそれで満足できるのだ。本来ならばそれに応えるだけでいい。ただ、お客様の事情を相談されたりどんな商品が良いのかを訊かれたとして、それに応える際に過剰になってしまっていたと言う事。生き物の命に関わる商品を扱っているので、ついつい持っている知識を総動員して答えたくなってしまうのが私である。
母は『頑張りたい気持ちは分かるし、嬉しいのも分かる。でもセーブしないと後で大変だよ』と言ってくれた。仮に『出来る新人』みたいな扱いを受けたとして、初めは良くても後から『あの子がやってくれるから自分達は別にやらなくてもいいか』みたいになったりとか、新人なのに可愛くないなとか思われる可能性もある。自分で分かる事でも頼る事を覚えた方がいいのだ。協力して店を運営しているメンバーとして適切に、程良く働きたい。
向上心があると言えば聞こえはいいが、我が強いという事でもある。この通話の翌日から私の中のエンジンのギアは自然に下がった。意識的にそうしていたわけではない。ただ、何か腑に落ちた感覚があった。入ってひと月も経っていない、周囲に頼る事もまだまだ多い、ただ挨拶は笑顔で元気な店員みたいに落ち着いた。
今の店に障害者が勤めるのは初めての事だ。故に上長も戸惑う事が多かったと思う。(我ながら)やる気に満ちた新人がやって来て、接客業の経験は数年あり挨拶の声は大きいしはっきりとしている。店の商品を覚えるスピードもそれなりで、でもこの子は配慮が必要な筈のメンタル疾患患者、と考えると戸惑わない訳が無い。正直申し訳なかった。人と関わるのが大好きなメンタル疾患患者って人との距離感の詰め方が明らかにおかしいし。店の同僚とと言うよりお客様とだけど。
親身な接客は大切だが、行き過ぎるとお客様も驚いてしまう。求められているサービスを過不足なく提供できればそれで良いのだ。前述のとおり腑に落ちたので今はぼちぼちやっている。納品をさばかないといけない時以外は60〜80%くらいの力加減だ。声が大きいのは変わらないけど。今日とか暇すぎて延々と店中の什器の埃を取っていた。空調設備の所為で恐ろしいくらいの埃が発生するのだが、什器の埃まではなかなか手が届かないとの事なので大人しく清掃員と化している。まだレジは入れないし。
就労移行の定着支援面談はまだな状態だが、早めに落ち着けて良かったと思っている。思う所はあれど家族に相談して良かったとも思う。周囲の支援に恵まれているのは変わりないようだ。
さて、下の記事でも書いたグループホームの見学の件だが、今回見たところは正直微妙だった。ワンルームとは言えこんなに狭いキッチンでエアコンも置けない上にクローゼットも洗面所も無い部屋にこの家賃は払えないと思う。支援者さんも悪い人ではないが、あまり得意なタイプでもない。合う合わないは何事にも存在するが、支援する側が喋り過ぎて此方の話を聴いてくれないのは割りと本気で良くないと思う。
そんで、施設自体の設備も微妙。自炊民には辛すぎるキッチン事情だったし(あの狭さでどう料理するのだろう?)、洗濯機を置く場所はないし(地階にコインランドリーがあるが)、クローゼットもないし(ワンルームであの広さだと何をどう置くのだろう?)、近くにスーパーマーケットも郵便局もないし(コンビニはあった)、建物が古すぎてエアコンは付けられないし、誰でも入って来られるくらいのセキュリティレベルだし(おまけに路地裏に入り口がある)。
こうやって書き出してみると割りと酷い。しかし今回である程度私が重視する項目も見えてきた。まずキッチンの広さとクローゼットの有無だ。続いて2階以上の物件であること、床がフローリング若しくはクッションフロア。お風呂はぶっちゃけユニットバスでも良い。せめて鏡があればそれでいい。後、メインの生活空間でない場所に洗濯機を置きたい。最寄駅からは十五分圏内が良いなと思う。
見えてきた内容は総てノートに書き出してある。なんて言うか『贅沢言うな』って話なのかもしれないけど、それでも一年以上は住む住居なので拘りだってそれなりにある。今度別の施設も観に行く事になったし、元々市内には幾つもマンションタイプのグループホームがある。地方だけど政令指定都市で良かった。
ちなみに私の場合、生活能力の時点では問題ないと言い渡された。休まず仕事に行ける時点でそうなのだが、まず大切なのが『生活リズムが安定している事』『決められた通り服薬出来る事』『予定通り通院出来る事』らしい。それって当たり前なんじゃないの?と思ったが、出来ていない人もそれなりに多いのだと言われて目が点になった。そう言う人達はどうやって生活しているのだろうかと煽りぬきに感じた。心配である。
この前SNSにも書いたのだが、私は元々服薬管理は確実に出来ていて(素地は母と作った)予定通り病院に行くのは当たり前だし(調子が悪いと寧ろ頻繁に通う)、服薬管理できると言う事は生活リズムだって整う。でないと仕事へ行けないしそもそも内定が下りなかったと思う。通っていた就労移行支援事業所でもほとんど皆勤だったし。
精神に何かしら持っていたとしても、社会で働く以上はある程度の生活能力は求められるだろうと思う。配慮して貰わないといけないなら輪をかけてそうなるだろう。
なので実の所貯金さえできればいきなり本番の一人暮らしを始めても問題は無いと言われた。ただそれだと不安が拭えないので現時点ではまず『プレ一人暮らし』としてグループホームを利用したい。期間は順調であれば二年、長くても三年と決めた。今のペースで貯金し続けられれば来年の秋ごろにはプレ一人暮らしを始めたい。
生活能力以外にも不安はある。まず金銭管理が苦手な方であると言う事、そして一人が好きなのに寂しがりであるという事だ。物欲が強くてついついいろいろ買ってしまうし、今の世の中では自宅でも簡単にショッピングできてしまう。加えて不安の症状が出たりすれば#7119を連打しかねないし、家族以外の相談できる相手も欲しいところ。これまでの人生波乱万丈過ぎたので安牌で行きたいのも本音だ。おまけに(恐らくだが)初めての一人暮らしを完璧にしようとし過ぎて自滅する未来しか見えない。此処でも出てくる私の悪い癖だ。
世の中の皆さんは、どれくらい食事を手作りして、どれくらい外食やコンビニやスーパーマーケットで済ませるのだろう。個々人の事情に依るだろうが、私は極力自炊をしたいし冷凍食品は使いたくないし外食は好きだが利用することに罪悪感がある。部屋だって綺麗に保ちたいし、洋服とかの収納だって綺麗にしておきたい。インテリアだって大好きだ。成果や観葉植物だって飾りたい。詰まるところが真面目に理想通りの生活をしようとエンジンのギアを上げてしまうのである。
所謂『丁寧な暮らし』をしたいとまでは思っていないが、部屋は綺麗に可愛くしたいし、食器とか家具とか家電にだってこだわりたい。出来ればウォークインクローゼットだってほしい。まあ、最後は本当の一人暮らし本番で充分なんだけども。理想が高いと書けば聞こえはいいが、要するに見栄っ張りなのだ。誰に張る見栄なのだろう。
幸運な事に自分の考え方の癖は見えているので、後は巧い事衝動とかを制御していく術を学べばいい。完璧じゃない事を自分に許して、色々な人に頼れる時は頼って、自分で頑張るべきところは程々に頑張ればいい。だって、仕事に関して言うなら『求められた事を求められただけやればいい』のだ。時給はそう簡単には変わらない。70点で合格できる試験で満点を望む必要はないのだ。やっと気づけた、私なりの拗らせ解消ポイントである。
完璧な方がかっこいいと思ってたんだけど、それだと人間味が無いかもしれないし、かっこよく生きようとすると途端にかっこよくなくなると最近よく思う。少し足りなかったり多過ぎるくらいの歪なくらいの方が案外うまくいく気がする。本当に間違えてはいけない場所で間違えなければいいんだと思う。
この歳になってようやっと生きやすくなってきた。人間、迷惑をかけあって生きるしかないのだし。配慮を求めるばかりでなく、此方も配慮する事を忘れなければ大体は大丈夫だ、きっと。例え誰でも出来そうな仕事でも誰かがやらないと世界は回らない。昔見たCMでも似たようなことを言っていた。
上を見ても下を見てもキリが無い世界だけど、私はそれなりにこの世界が好きだ。案外悪くないなって思えているこの現状をなるべく維持したい所存である。
▼2025/05/27:感性による淘汰、放置するは気遣いか
再就職して少し経った。まだまだ慣れないが、それなりに楽しいし遣り甲斐は求めないと決めたのにそちらもそれなりにある。お客様の求める商品を見つけ出した時、お礼を言われると何故あんなにも嬉しいのだろう。心が躍るし、この為に働いているとすら思える。障害者雇用を促進せよとの意見では『合理的配慮』と言う文言が頻出するが、つまるところ障害者が社会で働くにあたり、本人も自己対処はするものの、どうしてもできない部分や他者の協力や配慮が必要な事柄に対して企業が行なうべきとされるあれである。その合意が実の所未だ行えていなくて、私の初出勤が就労継続支援事業所の休日に当たったからなのだけど、初めに実習を行なっていることもあって現時点ではまあまあ上手くやれている。
『合理的配慮』と書くと難しくて堅苦しい事のように思えるけれど、例えば『聴覚過敏な人にノイズキャンセリングイヤホンの使用を許可する』とか『不安になりやすい人の為に常に相談して良い人を配置する』とか、お互いが気持ちよく働くための策を講じるべきと言う事である。
私の場合は頭痛持ちなので鎮痛剤を飲む小休止や、接客でパニックになった時に単純作業へ従事させてもらう事、嗅覚が無いのでにおいを判別する業務からは外してもらう事等がある。私が通っていた施設では独自のフォーマットがあって、自分で埋める事が可能であれば自分で作成できる。これでも文章を書いて長いので自分で作成したが、かなりきちんとした文章だったからかそのまま採用された。今のところは特に問題も起きていないので特に効力は発生していないが。ただ、約一年ぶりの仕事は結構肉体的にはきつくて、太腿が現在進行形で筋肉痛である。日課の運動が出来ていない。その代わり立ち仕事を一日当たり5〜6時間は行なうので純粋な運動量は増えた。その上緊張でもしているのかあまりお腹が空かない。今日は休日でパスタを作ったのだが、一束でも充分(いつもは一束半使う)満腹だし、数時間たった今も空腹ではない。職場でもお昼休憩に食欲が無いのもざらなので、このままの状態が続くようなら少し考えようかと思っている。
初出勤の前に専門学校の頃からの友人と久しぶりに会った。彼女は唯一地元に住み続けている、一番頻繁に交流する子で、私がこの前親戚の言動を腹に据えかねている話や他のリアルの友人との付き合いで発生したちょっとしたトラブルについて話すと『薊ちゃんの事を大切にしてくれない人とは距離を取った方がいいんじゃない?』と仰った。
彼女も家族との関係や職場での人間関係で違和感を持つことが多かったらしい。お父様が少々、否、かなりのモラハラ気質な方なので苦労が多いという。私の家とは違い男の人の声の方が大きいそうだ。家は完全に女の方が強いのでそれぞれだなと思う。それでも家族だったり繋がりがあるからこそ様々な軋轢が生まれるのだねと話しながらチーズ料理を食べて、結構楽しい夜だった。
彼女と私は共通点と同じくらい違うところがあって、話しているととても楽しい。学生時代からの友人は貴重だし、そもそも社会に出てしまうと友人を作るのもなかなか難しい。故に今いる友人を大切にすべく交流しているが、彼女曰く私は少々優し過ぎるのだそうだ。そして相手を許容し過ぎるきらいもあるし、懐がある意味深すぎる。だから色んな人を許してきたのだろうか。それが自分を傷つけてきたのではないかと言われた。
『傷付けられたら拒否して離れて良いんだよ』
私を大切にしてくれない人と交流するのも確かに、何かがおかしいかもしれない。そして、何で私が拒否してこなかったのかと考えてみた結果、或る仮説が生まれた。私はいじめられっ子だった頃に助けてくれた教諭に『このクラスで誰かが嫌いだからと言う理由で差別しないのは、矢野だけだ』と言って貰った事を鑑みて、私は他人を好き嫌いで判断しない方なのかもしれない。そもそも嫌いと思ったことも殆ど無い。本当に。だから傷つけられることに鈍感なのかもしれない。今までも嫌な事や心に引っ掛かる事があってもそれに気付けなかったのかもしれない。ただ、これは無痛症みたいなもので傷自体はちゃんとある為、いつか心の限界が来てしまうという訳だ。
トラブルになった友人と、この前会った彼女と私は仲良しグループだった。トラブルになった友人は、所謂自分の機嫌を自分で取れないタイプである。基本人に当たる。そして約束の時間をあまり守れない。彼女の都合で遊ぶ約束が無しになった事も何度かある。遊ぶ場合に家を出る前に連絡が入ったら100%遅刻の知らせだ。いつもの事で慣れてしまったが、この事をこの前会った友人は承服しかねていたらしい。ちなみに私はトラブルになった友人から甘えられる事が多い方らしく、直ぐに謝罪するのも良くないと言われてしまった。
『確かに薊ちゃんも良くない事したかもしれないけど、あんなキレる様な事じゃないじゃん』
『薊ちゃんが飛行機の距離で遊びに行ったのに、ドタキャンもしたじゃん』
『基本的に遅刻するし、初めての場所に予約入れるのもいつも私か薊ちゃんじゃん』
『理不尽な所で臍曲げてキレて、それで周りを振り回すじゃん』
こうして書き出してみるとトラブルになった友人と何故今までトラブルにならなかったのか不思議になって来た。基本的に遅刻するのって社会人として大丈夫なんだろうか、そして自分の感情で周囲を振り回してご機嫌取りをして貰うのってアウトなのでは。
私は基本遅刻しないし自分の感情を素直に顕すのは基本正の感情だけである。自分の機嫌は自分で取るように努めている。この前会った友人はもっと自分の扱いが上手だ。もしや私達は甘えられていたのだろうか。
ちなみにトラブルになった友人は私と同じくメンタル疾患を持っており、発達障害もある人だ。家庭環境もあまりよくないとの事でよく他の友人によしよしされている。けど、じゃあ私は? と思うと大体は自分や支援者、医療従事者の手を借りてそれなりにやっている。このブログもそのために書いている節がある。自分の感情をそのまま誰かにぶつけるのではなく一度文章化して俯瞰する為に。
施設に通っていた頃『自分の客観視が上手』と褒められたことがある。それは恐らく、何事も文章化する癖のお陰だ。思いも感情も一度文字と言う形を与えて俯瞰する。これは私なりのライフハックなのだが、どうしても口に出したくてもまずは脳内のひろゆきに喋らせ頭の上にテロップが出るイメージをする。そうすると自然とこれを実際に口にしても良いのか判断が付くのだ。それで回避できたトラブルの枚挙には暇がない。
話がそれた。つまり、友人だからと言って総てを受け容れ許さなくてもいいんじゃないかと思えてきたと言う事。このブログで出来た友人達は皆思いやりを持った発言を心掛けてくれているので、やはり文字化するのは大切だと思う。でも、どうしてあの子はあんなに周囲に当たるのだろう。最近彼女のSNSを覗くと結構な確率で鬱になっている。彼女は以前『統合失調感情障害なんだ』と打ち明けてくれた。私は統合失調症の方なので名前は似ていても結構症状が違う。最近だと私も同じ疾患かもしれない疑惑があるけれど。でも仮に同じだとしても、多分気分障害の部分が大分違うと思う。友人は恐らく鬱病が併発していて、私は双極性障害の方だ。何せ普段から躁によっていると誰もが認めるタイプなので。まあ多分、学生時代に色々経験し過ぎて達観している節はあると思う。歳にしては老獪な所があるようだし、でも別な面では純粋過ぎるアンバランスな人間なのだ、私は。
この前会った彼女は自分を傷つけても平気でいる人物は熟考の末切り捨てるか距離を置く事に決めたらしい。それを私に勧めてくるわけではないが、何となく、私もそうした方が楽な気がする。それが真に自分を大切にするってことかもしれないと思って。
私なんかが自分の生きやすさの為に他の人を切り捨てるって、烏滸がましいというかやってはいけない事の様な気がしていたんだけれど、でもなあなあの関係で違和感を持ったり傷つくくらいなら離れた方がいい。それが大人になる行動の一つなんだろうか。
また話は変わるんだけど、この前此処に書いたグループホームの件について。
今度私が希望するようなタイプのグループホームに見学へ行くことに決まった。相談室の人と一緒に物件を観に行ってくる。個人的な事情として通勤時間に制約があるので、その範囲内で動く事になった。以前此処に書いた頃とは家族の事情が変わって、何と言うか、祖母も母も優しくなった気がする。体型に色々口を出さなくなった。祖母が母に何か言ったのかもしれない。何も聞かない事にしたけれど。数度の本気の自殺未遂をした私が自分の口から『あれは嫌だった』と言った事も関係していそうだが、突くのはやめておく。普段一緒に暮らしている私が明らかにおかしい事に、祖母はきっと気付いていたんだろう。泣きながら音楽を聴いていた時、ドアの向こうに泣き声が聞こえていないとも限らない。まあ好転したのでそこはOK。
そんで、希望する路線の駅地下のグループホームを観に行く事になって、取り敢えずはほっとしている。現時点で職場に不満はないし、今までよりもずっと待遇が良い。賃金とか社割とかね。社割は日本全国で使えて賞与まであるのって凄い。働く時の見た目の制約も思ったほどではないし。ネイルも出来る(重要)し髪も染めていい。多様性の時代だからそう言う社風なんだって聞いて、それこそ『何か合理的だな』って思った。
働くってさ、大変だし泣きそうにある時もあるんだけど、同じくらい楽しいんだよね、私にとっては。おまけにお金を貰いながら勉強できるんだし。こういう風に考えられる事含め恵まれているなって思う。素直にそう思う私だから支援を受けられるんだよって言われた事もあった。
頑張っても報われない事はあるけど、頑張っていた方が報われる確率は高いと思う。何となくね。正しく頑張って、努力は程々に丁度良くしていたら、見ている人は見てくれてるんじゃないかって思った。いつかの為に今日もそれなりに努力していたら、いつの間にか叶う夢って多いのかもね。
▼2025/05/20:選られる知識、切り捨ててはいけない
今日で就労移行支援事業所を退所してきた。退所と言うか、卒業と言うべきか。来週から三度の就労が始まる。準備は万端とまではいかなくとも必要な物は揃った。後は細々した文房具とか職場で必要になりそうな物品を購入すれば終了である。仕事の為に有ると便利な知識の勉強もぼちぼちやっている。商品に関する知識とか使い方とか選び方とか人気な物とかワードとか。今度の仕事も販売なのは前にも書いたけど、扱うものは以前と全く違う。ほとんど被りもしない。詳細を省くのは身バレ防止だ。ただどういう訳か、入社の日付は前職を辞めた日と全く同じである。偶然なのかな。不思議だけど今の会社にはその日を指定されたんですよ。多分締め日の関係。
実の所以前と同じ心持では全くない。内定を頂いてからふわふわした心地で暮らしているもので。緊張感とかもう少し持った方が良いのかなと思ってしまうくらいふわっとしている。決意表明とか、前の私ならしたんだろうな。或る程度は。まあ、緊張していないのは悪い事じゃないんだろうけど。初めから全力を出さないと決めるとこんなに楽になるなんてね。
手段と目的が混ざってしまう時って、結構な頻度であると思うんだけど、例えば生きる為に仕事をするのに、いつの間にか仕事が生きる目的みたいになってしまうというアレ。理由なら良いと思うんですよ。『この仕事なら頑張れる』と思うから応募する人の方が多いと思うから。いや、『これなら出来そう』の方が多いのか。これをやりたいって明確に思えない人の方が多いんだと、少し前から分かって実感してきた。私はやりたい事が明確にあり過ぎて、選択に迷う事はあっても『やりたい事探し』をする事はほとんど無かったから。どちらかと言うと『やれる事探し』をしてきたよね。やりたい事の為に。つまりは趣味とか夢なんだけど。
障害者職業センターって言う施設が各都道府県には一個ずつ以上ある筈なんだけど、其処では所謂適性検査みたいなものを受けられる。結構古いタイプの検査みたいだけど、色々な試験を複数行なって、その人は何に適性が強いかを調べるんですよ。平均値と比較したり、飛びぬけている部分があればそれと本人の志向を複合して向いている職業を探る感じ。んで、私の場合、『言語の理解』とか『情報処理』『空間認知の能力』が平均から飛びぬけていました。言語理解と情報処理は特に高レベルだった。まあ、何となく予想できる結果です。ちなみに一番低いのは『道具を巧みに使って作業を行う』『手先を使って細かい作業を行う』でした。平均の半分も行ってなかったので私よりも支援者の人のが驚いてた。ご存じの通りお裁縫とかミニチュア作るのとか好きなんで、手先が器用な方だろうと自認していたんです。苦手意識の強い計算よりもかなり低くて、計算とか数字を扱う能力が80くらいなら、手先の器用さはその半分くらいかな。40〜50くらい? だったと思う。まあこの結果は当てには出来るけど経験とか慣れを含まないので正確ではないのかも。ちなみに言語理解の点数は平均を100とすると150を超えました。
そんでね、私一番向いているのは販売職じゃないんですよ。書類作成(納品書とか請求書)とか書類の間違い探し(校正みたいなのかな)、タイピングとかが良く出来てたので事務員が一番向いている仕事らしい。一般事務って奴ですね。薬局時代に『貴女は事務仕事の適性はあるけど、接客の適性は無いよ』と仰った上長の言葉は決して間違いではなかったと言う事になってしまった。記憶力とか言語を操るとか間違いを発見して訂正とかが得意な自覚はあるんだけど、此処までとは思わなかったよ。
でも結果として『大体なんでも平均程度には出来てしまう』のは明らかだったらしい。手先じゃない方は器用らしくて、作業が難しくても慣れるまでの時間が短いからと言われました。人間関係も今ではそこそこ上手くやれるようになりましたからね。こうなるまでが大変だったんだけども。
そうなると大切なのは環境面だよね、そして対人のスキル面だよねと訓練を続けて晴れて卒業と言う訳ですが、ここ数ヶ月で確実に、心の中の色々なものが姿形や色を目まぐるしく変えていきました。何か、ぼんやりとしていた景色にピントが合った感じ。やりたい事と出来る事が重なったんですね。目的もはっきりした。一番向いている訳ではない接客販売職をする決意が固まりました。出来る範囲でやりたい事をやるのって或る意味当然の選択なんでしょうけど、目的は仕事を楽しむ事じゃなくて、楽しみの為に仕事をする事。楽しみって言うのはまあ趣味とか夢なんですが。生活と喜びの糧を自分の力で稼いで、遣り甲斐はあまり求めない事にしました。モチベーションは保っておきますけどね。
前の仕事が憧ればかりで始めてしまったから、憧れ以上の苦しさを味わう事に繋がった気がします。好きな事を仕事にしちゃうとそれが嫌いになっちゃう的なアレ。本気で嫌いになる前に離れて良かったと思ってます。だからこそ趣味は趣味として楽しもうと思ってます。それでお金がもらえたら勿論嬉しいんだけど。でも本業にはしたくないな。家に籠っているのが難しい性分だし、人と関わる事が大好きだから、接客業に適性がありまくるタイプじゃないのに『お店』と言う場に戻る事にしたんです。
この前新しい職場から制服のサイズとシフトについて確認する連絡がありました。来週の今頃にはその制服を着て店頭に立ってるのか。実感が湧くのが遅い。まだ湧いてない。ただ、支援者さんには『そのくらいで良いよ』と言われています。スタートダッシュだけ力を入れ過ぎると間違いなく転んじゃうから。緊張感が無いのも『良い意味』でと言う奴らしい。
完璧じゃなくていい。完璧にし続けるのは逆効果。世界は誰かの働いた結果で作られるけど、それが全力なら息が詰まりますからね。程々で良い。弦楽器の弦は張り過ぎても緩み過ぎても良い音が出ないんです。何か仏教にこんな教えあったよね。確か琴の名手だった人への教えだ。
我武者羅に頑張り過ぎて潰れてしまった経験があると、全力を出すのが怖くなります。ただ、時には出す必要もあるんだろうな。その為に余力を残しておきましょうとふわふわしてるのかも。
さて、話は変わって。
友人が心情を綴った文章を読みました。彼女の思いはきっと『辛い』だけじゃないな。『もどかしさ』とか『どうして分かってくれないんだという理不尽に戸惑う気持ち』とか、この先どうなるのかと言う不安も、色んなものが混じってると思う。個々人によって状態や持っている能力とか時間も違うから、家族であっても全く同じ状況とはいかないんですよね。せめて近しい人には理解してほしいけど、説明する気力も無かったり時間も無かったりする。人間は生きている以上誰かと迷惑をかけ合って生きていくんだろうけど(つまりは支え合うって事ね)、特定の誰かだけが重かったり軽かったりが続いてしまうと心はささくれ立ってしまう。一度は同じ方向を見ていた筈なのに。おなじ目的の為に動いていた筈なのに、と思ったけど、本当は違うのかもって思っちゃう事があるし、全く同じものってないんですよ。きっと。世界って終わるまでは続いちゃうから、一個を解決しても次が現れるんだよね。一難去ってまた一難、とか本当に嫌になっちゃうけど多分人生ってそんな感じなんだと思う。波とかバイオリズムがそれぞれ違うから感じ方は違うんだろうけど。
私自身介護された事がある人間なんですけど、あの頃お世話してくれた人たちには感謝しかないよって言っておく。してくれた人たちは『仕事』だったから献身的だったのもあると思う。公的なサービスはなるべく受けた方が良いけど、諸々の事情で難しい事もある。介護する側の人間に圧し掛かる責任とか負担って小さくないですよね。だいたいは結構大きい。抱え切れる時はまだ良いんだけど、介護する側のキャパシティって本人でも上手く把握出来ない事があるんですよ。気付いた時にはもう限界とか自分の方が倒れちゃうとか。
こうやって言葉にしているだけの私が言うのも烏滸がましいんだけど、貴女は、貴女達は十分頑張り続けているよ。でも休むと大切な人が困っちゃうんだよね。せめて頑張れる内は頑張りたいんだよね。だから協力者が必要だし、欲しくなって当たり前。
綺麗事言ってる自覚はあります。エールとか応援ってその側面を持ちがちだよね。それを分かった上で私は彼女を応援します。思いを綴ってくれてありがとう。知らせてくれてありがとう。助けてもらったし、そうでなかったとしても助けたいよ。助けたいって思いでキーボードを叩いています。
救われるべき人ほど救いたい形をしていないって少し前に見たんだけど、彼女に関しては当て嵌まらないなぁ。救いたい、救われてほしいと素直に思うし、支援に繋がれればなぁって思う。繋がったからって必ず好転するとは限らないのは知ってる。でも動きは発生するよね。期待し過ぎると傷つく時も多いから難しい、でもそれをしなくなったら別のベクトルで辛くなると思うの。じゃあどうすれば良いとか、良い案も浮かばないんだけどね。
ただ、救いたいと思う貴女では居続けてくれると思うから、どうにか踏みとどまっていてほしい。何年かして2025年の今を振り返った時、進んで来た足跡は絶対残ってる。数なんて気にしなくて良いよ。後退してたっていい。それは貴女が確かに生きてきた証以外の何者でもない。誰だって自分なりに生きて頑張り続けてるものだから、優劣なんて無い。人生って儘ならないけど、泣いちゃうくらい嫌な状況もあれば同じ量の涙を流す嬉しい時もあると思うの。自分に言い聞かせてる言葉なんだけどね。そうでもないとやってられないし。
今夜はゆっくり眠れることを祈るよ。それか、好きな事を一瞬でも良いから心の底から楽しみたい気持ちが報われるとか。読書でもお絵描きでも編み物でもなんでもいい。ゲームもするんだったよね。手帳も書くって言ってたよね。食べすぎる時は温かい飲み物が良いと思うよ。そっちはもう暑いかもしれないけど、お湯に蜂蜜を溶いてゆっくり飲むのも良いかもしれない。クーラーをつけてるなら喉の乾燥防止にもなるし。なるべくなら身体には優しくしてあげてね。
溜め込み過ぎそうになったらまた書いてくれれば、私は読んで何かしら書くと思う。所要時間は読めないから返信が遅くなるかもしれないのだけ許してね。
この世界にたった独りだと思っちゃった私に「本当は独りじゃなかった」と思わせてくれた貴女に明るい朝が来ることを祈ります。
▼2025/05/19:毒になる誰かが居るから、薬になる言葉があるんだね
ありがとう、と伝えたい人が居る。返信不要(と仰った)のメッセージだけど、まずはお礼を言いたい。ありがとうございます。貴方の言葉は私の薬になりました。届いて欲しいと必死で綴った思いを受け取ってくれる人が居る。これが私を文を書く理由です。自分の中にしか存在しなかった思いに文字と言う形を与えて、他の誰かにも認識してもらえる術を持てている事、とても嬉しく思います。
結局母はあまり態度を改めようとはしないし、祖母も似たようなものなんだけど、逃げ道に近い選択肢が視野に入って少し余裕が生まれました。グループホーム以外の部分にも。まず、私は私として生きる事を許されてはいるわけです。そして家族以外の理解者にも恵まれています。施設の人とか病院関係者とか、友人とか。それで苦しみがすべて帳消しかと言うと勿論違うけど、マシではある。居ないよりはずっと生きていきやすい。ネットでしか繋がりの無い友人が、結構な人数で応援してくれています。
小説を書き始めて遂に二十年経つんだけども、よく此処まで書き続けたなと思う。何万文字書いたんだろう。大体は薔薇だけど、中には百合もあるし一般的なのもある。兎に角自分が安心して楽しめる世界を創りたいから綴った文字達を、受け容れ楽しみ耽溺してくれる仲間たちが居てくれて本当に良かった。
前にも書いたかもしれないけど、私は現実に起きた事をベースにしたりヒントにして物語を考える事が多いです。突飛な例だとファストフード店のトイレの注意書きから想起したりとか。で、私は私を救う手段として物語を綴る事も多いです。架空の世界でだけでも素直に、『生きているって素晴らしい!』って言いたいじゃないですか。だから少し前からオリジナルの小説も脳内で組み立て始めました。今の所足場と土台は出来たかな。これから支柱とか立てて行かないと。
此処にもチラッと書いた、精神科医の先生たちが出てくる話です。社会に問題を提起するみたいなフリをして自分が救いたかった人達を間接的にでも救いたいから、その手段として文字に変換していきます。居なくなった人、居なくなりかけた人、居なくなりたくはないけど、辛い人。望んでも無い人を『救う』なんて烏滸がましいんだけど、敢えてこの言葉を選びます。私自身を一番に救いたいからだね。利己主義も良い所だけど、それが行き過ぎて利他主義に見えるタイプらしいですよ。
傷付けられた傷を見ないフリしてそのままにし続けてしまったけど、その間に悪化はしてなかったみたい。放置された状態のまま私を待ってくれていた。これからせめて治療になる事をしていこうと思う。大切な人達がくれるお薬みたいな言葉を、そっと被せて馴染ませていくの。毒になるものはなるべく受け取らず排除して、濾過して、有効成分だけを適量摂取しよう。添加物として私なりの所見を加えて、剤形も一番効きやすくて使いやすいのにする。一時は医薬品のプロになろうとしたんだから、きっとできる筈。薬局勤め経験と資格試験の経験を生かそう。
最近、いや、少し前からかな、『毒親』って見聞きする機会が増えた。この世界には色々な苦しみとか嫌な事があるけど、その中でも解決策が多過ぎて自分に適切なものを探すのが大変な事柄だよね。距離を置くべきか、言い返すべきか、物理的な方法で此方の害意を示すか。法律とか倫理に反していない限りはどんな行為も許されていいと思ってるんだけど、私はなるべく自分の得意な分野で戦おうと決めた。それが小説と言う事です。
頭の中では三組の家族の物語が出来上がりかけている。どの話にも失われそうな大切なものがあって、主人公はそれを守るべく動くけど、正しい事が別の側面からみるとそうじゃない場合もあるよってサンプリングみたいにしていきたい。それに私の傷を治療する薬みたいなものを混ぜ込んで綴りたいの。有効成分を適切な形、適切な量配合して、読み易さを添加剤にする。
救われてほしい人も救いたい人も書きたい。彼等彼女等に自己投影しまくりだけど、でないと私が書く意味も見失ってしまうから、取り敢えずは自分ファーストに書く心算。良い物が評価されるとは限らないけど、評価されたならその評価者にとっては良い物だったってことでしょ。自分なりに精一杯書いて、脳内で活躍するオリジナルのキャラクター達を余すことなく描写する。余分な所はカットしちゃうけど、カットされても私の脳内であの人達は生きている。
基本脳内のキャラクター達は各々勝手に動き始める、所謂『頭の中でキャラが勝手に動いちゃって〜』みたいな書き方をする性質で、多分私に解離の症状が強い所為もあってか、人格が乗り移ったみたいにキーボードを打つ事が多い。だからか基本的には一人称で書いていて、たまに三人称になる感じ。今回は救われるべき本人の目線も、その人たちの毒になる人の目線も含めて書きたい。精神科病院が舞台だから或る程度専門知識も要るかな。毎月通ってるけど。救われるべき人に、フィクションの中でだけでも救われてもらって、序でに私の事も救ってもらう。セルフサービスで薬を製造して処方して調剤するの。創作って作者が好きなように書いていい筈だし。物語に出来るスキルを与えられたことを幸運に思う。後はどんどんと設定を練って、書きたい場面、入れたい描写、知識を組み込んで書き上げる。時間は掛かっても良いし、あっという間に書き上げたって良い。救う側の人間像も結構クリアになって来た。現実にこんな病院存在するのかって疑問に思われても良いかな。だってこれはフィクションだから。個人的に思っている『こんな治療者なら診て欲しい』って人達を主軸に色々な人達の目線で世界を切り取るの。登場する人達、医療従事者の皆さんには名前を考えてあって、皆医薬品の名前を一部に入れている。まんまな人も居るけどまあ其処はご愛敬ってことで。
ああ、何かワクワクしてきた。面白い作品を書いて序でに自分を癒せるって最高じゃない。前のブログサイトの時、『賄い薬』って言葉を使ったと思い出した。先述の通りだね。私は私の為の薬を自己製造するんだ。最後まで自分の傍に居られるのは自分だけ。人生の責任なんて誰も取ってくれない。
執筆にあたってイメージソングは決めておこう。音楽が無いと途端に書けなくなるから。まだ円盤になって無いのが惜しい曲を一番に据えて、他にも心のお薬になる曲を聴きながら、何万文字かかっても良いから書き上げよう。この世界は生きるに値すると思える瞬間を創れたら、取り敢えずはそれで良い。もしそれ以上に至れるなら『この人の新作を読めないのは残念かもしれない』と思われてみたい。誰かに必要とされて、誰かの生き甲斐になってみたい。対症療法以外の何者でもないけど、解熱鎮痛剤くらいのポジションでさ。抗生物質とか抗ウイルス薬はちょっと荷が重いし厳しそうだから。
よく、痛み止めを服用している友達がいる。その人の言葉で私の心の痛みが少し和らいだから、今度は私が彼女の痛みに効く可能性のある文字を綴りたい。救われるべきなのに報われない人の痛みをほんの数時間でも止めたい。
あ、でも『薬みたい』とは言って貰えたね。じゃあ、もっと効く成分と添加剤と剤型にしよう。言葉は簡単に用意できてしまうし、だから信用しづらいし、それでも何よりも有効な時があるから。貴方の為には生きられない。でも生きる理由にはなりたいって我が儘かな?
この画面の向こう、彼女以外の誰かも救いたいって、どん底から這い上がれた今は思ってるよ。そして多分この先も変わらない。どうせなら楽しく生きたいじゃない。この先たった一世紀も生きられない可能性の方が高いんだし。後悔の無い人生なんて存在しないけど、それなら好きなように生きてやりましょう。時々息抜きして、生き抜くの。どっかのコマーシャルの受け売りです。巧い事言うなって思った。
思い通りにならない世界を、だからこそ面白いって思えるうちに、自分を楽にしてあげたいね。
▼2025/05/13:何かが決定的に足りなくて、何かが決定的に過剰なんだよ。
最近、一日に凄い量の文章を書いている。下の記事を書いてふと思い出したんだけど、私の実父は結構可怪しな人だった。前に此処に書いた通りあの人はまあまあ違法な事をして刑事事件になってる。それが私のトラウマの一つになったのはまあ置いておいて、考えを巡らせるうちふと思った。あの人も統合失調症を発症してたか、発達障害だったんじゃないかって。
あの人は生前虚言癖とか突飛な妄想とか社会通念上それはどうなのって行動を平気で取るとかで私達を振り回して挙句一番迷惑な形であの世に逝きやがったんだけど、今思い返すと言動が完全に定型発達の人じゃなかった。
例を挙げると
・私が泣くと喜ぶ
・お金に奇妙な執着を見せる(稼ぐのは上手かったけど使うのと貯めるのは下手だった)
・大小問わず嘘を吐く
・家族へ負の感情をダイレクトにぶつける
・私に性的な嫌がらせ行為をする
・学業の邪魔をする
・自分がいかに優れた学生だったか嫌味な形で自慢する
・家族の体調不良を前にまずはお金の心配をする
・あの人は自分に好意を抱いている(母以外の女性)と妄想する。
とかかな。羅列すると結構酷いなと思う。そんで、ネットとかだとよく話題に上がるサイコパスとか自己愛性パーソナリティー障害とかASDとかの特徴に当て嵌まるタイプの人だった。加えて、娘の私を愛していると言いながら自分の命を人質にするみたいにお金の無心をしてきてね。たった一人の父親なのにどうして慕われないんだ、とか思ってたんだと思う。昔はあの人を本気で尊敬していたし、感謝もしていた。あの人に与えられなかったら多分絵を描く趣味や文を書く趣味は無いんだし。
ただ、さ。子供が泣くと喜ぶ親ってどうなんだろう。そもそも大人として不味いよなって最近になって思い至った行動、上に書いた以外にもたくさんある。母は強くならないと私を守れないから強くなったタイプの人だったからあんなに気が強い女性になったってことは重々理解してて、だから口調がきつくなっちゃったんだろうな。ASD傾向のある人の配偶者はカサンドラ症候群って言う疾患を背負う事もあるけど、母はちょっと違いそう。正しくない行動をとりがちな夫に振り回され過ぎないように耐えた結果が多分あれだ。
統合失調症にしろ発達障害にしろ、遺伝的要因だけではならないとされるのが主流の考えで、今の私も賛同してる。でも親族に因子を持つ人が居る方が疾患を生じる場合が多いのも事実。実家に居た事に見た診断書で、父方親戚に精神疾患や遺伝子疾患を持つ人が複数いた事は知ってる。それも結構近い血縁の人だ。
生まれに不満を持ったところで何も解決しないのも知ってる。ただ、そうだったんじゃないかって確信もある。今と時代が違うとは言っても、時代の所為だけにするのも考えが足りないと思う。あの人を恨んだからこそ、私は母と頑張れたし、義父とも絆が生まれたのも事実、けれども今私は母との関係に悩んでいる。
母はきっと実父の被害者の一人だ。でも被害者が加害行為をしないのかって言ったらきっと違う。加害に自覚が有るか無いかも一旦置いておいて。これが加害かどうかを決めるのは誰なんだろうって疑問も一緒に。
話がそれた。実父がもしも非定型発達の人だったなら、あの人の可怪しな行動の意味が何となく掴めてくるんだ。それこそ時代性もあって、父方の親族はあの人が仮に精神的な疾患を持っていたとて明らかにする気も無かったと思う。そもそもがぐちゃぐちゃで歪な家だったし。でも確実に何かが異常だった。育てられた環境の要因もあってあの人の持つ種が発芽してしまって、周囲との軋轢や実父や祖父の親子間の確執が生まれていたとしたら。戦後十年ちょいとかの生まれだから社会の理解なんて期待できない上、表面上は優秀な人材と呼ばれたり実際に売り上げを上げ続けていたから、半端に社会に溶け込めてしまえる怪物みたいな人だったんじゃないか。私は彼の遺伝子を確実に受け継いでいるわけで、嫌になるくらい同じ行動をとりそうになることもある。
精神疾患の原因となる要素は複数ある。それこそ幾つもある。それらが複合的に重なって発症するとして、私には遺伝的因子と環境的要素が複数あって、其処に強いストレスが加わって発症したとしたら。もしかして此処まで生きているのは奇跡的な事だったのかな。
だからってそれを良い事と手放しに言えないんだ。言えないって思うのも生きてないと出来ないのは分かってる。同時に怖いなって思う。やっぱり子供なんて産めない。この遺伝子を受け継がせるなんて子供に申し訳ない。昔から子供が苦手で良かったと初めて思った。
実父と父方の祖父は互いにいがみ合っていた頃しか知らない。逆に母方は昔から皆仲が良い。まあ、叔父はちょっと優し過ぎるきらいもあるけど。こうして振り返って見るとなるべくしてこうなってる気がする。あくまでも仮説。でも割りと信憑性はありそう。
生まれを呪ったところで何にもならない。過去に囚われるだけ。でも、怨む事も許されないなら、この苦しさの行く先は何処なのか。平和な世の中だからこそ、人は自分の心を覗き過ぎて、他者と比べ過ぎて歪むのかもしれない。何か共通の敵が居れば団結できるって思っちゃう。それって戦争に繋がりかねないなって怖くなった。
話が大きくなりすぎたね。ふと考えた事を綴っただけなんだけれど。
もしもこの苦しみの一部が遺伝の所為でも、それが無かったら私は私じゃない。命を恨むのは流石に心が痛いな。
▼2025/05/13:片手前の死刑宣告、捉えるは此方の勝手?
今日も今日とて家族は私の容姿を揶揄する。そんなに体型の事を言うのが楽しいか。私が本気で貴方達を憎みたくないと考えている事を受け止めてくれないらしい。完璧な人は居ない。私も完璧じゃない。でもじゃあ、本気で死にたいと考え実行するのをやめた私の気持ちのやり場は何処だ。確かに未熟だ。いい年をして一人で生きていくことも出来ない、自立など全くしていない。けれども、私が自立の話をすると『まだ早い』『先の話』と言う。お前には出来ないと言いたいのか。これって矛盾していないか。心配しているのなら本気でぶつかった此方に本気で向き合ってくれ。期待するだけ無駄なんだろうか。これまで家族へ抱いていた信頼が他の何かだったような気がして、もしかして私は愛されてはいても本気で極端な選択肢を取らないと軽んじられてしまうのだろうか。
年頃の女性に体型を指摘する時は、慎重に言葉を選ぶべきだ。特に本人を目の前にしているなら。私は先程祖母にまた体型を指摘されたので本気でやめてと言った。祖母はいつものように笑っていた。ああ、この人も私が本気で死ぬとは考えていない。死ぬ死ぬ詐欺だってしたことないのに。いつだって、実行した後で慌てふためくじゃないか、貴方達は。リストカットも自傷行為も殆どしたことが無い、けれども自殺未遂の経験があるって、本気で実行した事の方が多いってことだよ。首を吊った中学二年の真夜中、あれは夏の日の事だった。ビニール紐をカーテンレールに括りつけて首を引っ掛け椅子を蹴った。あの時成功していれば私は此処に居ない。高校三年の誕生月、自宅の二階からいつの間にか地面に墜ちていた。あの時は何であんな事したのか分からなかった。その後八月のある日、校舎の三階から飛び降りて緊急搬送された。気付けば病院のベッドの上だった。半年以上入院した。あれからもう、十五年も経った。その期間全く自傷をしなかった。だから忘れられたんだろうか、あの頃の苦しむ私を。
人の死に意味なんて無い。産まれた事にも意味は無い。人の生き死にに意味を持たせるべきじゃない。もしあるなら、意味のない生や意味のある死と言うものが産まれてしまう。
どうすれば良い。貴方達を皆殺しにしろとでもいうのか。自分を傷つけても理解してくれないなら、此方が敵意を向けなければならないのか。これすらも子供染みた思いだと言うなら、貴方達は本当に大人として私に言葉を掛けてきたのか。本当に大人だったのか。何故私が傷ついた事を主張する度『心配だから』だの『でも事実じゃん』だの言うのか。傷ついた事も貴方達を憎みたくない事も事実だ。
発言のタイミングが問題だったか。もっと深刻な表情をすべき? それとも時間帯の問題? 結局は自立できない癖にと言う一種の呆れか? 子供が傷ついたと主張して信じてくれないなら、それはつまり子供自身も信じてくれていないと言う事だ。もし『そんなに怖い事言わないの』と言うなら、それらは簡単に私を殺す言葉だって理解しているのかって訊いてみたい。独り立ちできない子供に文句を言う権利が無いと言うのも立派な主張だけど、じゃあ子供にも人格があって喜怒哀楽もあれば希望も絶望も覚えるって知っている?
まあこれは私だけの視点で見た私の主張でしかないわけだけど。
常に公平な目線で世の中を見ようと努めてきた。でもあんまりにも心が削られ過ぎてしまっている。いい加減に離れないと、私が貴方達へ刃を向けてしまう。捕まりたくはないし、殺したくもない。誰の事も傷付けたいと思えない。でもじゃあ、私の傷はどうなる。幼い頃の傷をやっと受け取れたのに、今度はいつの傷なんだ。
裏切られたなどと思いたくない。私は裏切られてなんかいない。最初から全面的な味方じゃなかっただけだ。死ぬ勇気もない。死んだって何にもならないし、望まれてもいない。
死んでほしくないなら此方が『嫌だ』と言葉にした時点でやめてほしい。なあなあにしないでほしい。
訊いてみたかったんだけど、貴方達は私に生きていて欲しいと本気で思ってる? 親の愛情は無償じゃないけど無限じゃないとかいうけど、それはこっちも同じだよ。泣かないと分かんないの?
何度も同じことを言わないと理解してくれないよね。覚えてもくれないよね。声だけ聞いて言葉を聞いてくれないよね。
愛してるって言うなら、生きててほしいって言うなら、せめて一番嫌な事くらいはやめてよ。過去は消えないんだよ。間違ったことが無かったなんて言わない。でも貴方達がずっと正しかったかなんて、絶対に言えないじゃん。私は保護されるべきですらない人間ですか。
恨み言ばかり書き連ねるのも良くないね。でも、普段蓋していた気持ちはこんな感じだよ。見ないふりを出来るくらいには大人で、知らないふりを出来ないくらいには子供なんだ。
もしも私に明日が来なかったとして、本気で後悔するくらいなら最初からやめてもらえる? 結果しか残らないんだよ。一回なくしたらもう戻らないんだ。貴方達だってよく言うじゃない。大切なものを大切に出来ているなら、こうは思わないよね?
痛いのも苦しいのも嫌だけど、一瞬で終わる方法一応は知ってる。貴方達がものすごく迷惑するそれだけど。私自身、絶対にしたくない選択だけど。でも全部それでおしまい。何にも感じなくなる。何も出来なくなる。貴方達を呪って私が消えることを後悔してくれるはずだと今はまだ信じられてる。
折角未来が見えてきたのに、貴方達の生涯を呪えとでもいうのか。手に職を付けて離れるのが一番賢いんだろうな。お金はなるべく使わずに貯めて置いて、なるべく早く家を出る。
でも私所謂アグレッシブな人間だから、いつだって復讐を考えるよ。その思いを如何にか文字にして作品として昇華させてきたよ。自棄食いとかには走ってこなかったのにこの体型って不思議だね。
家族だから近すぎたのかな。近すぎて見えないのかな。見えないからこんなに辛いのかな。私だって貴方達を傷つけてきたよね。だからお相子って言うんだよね。お互い様ってそう言う事でしょう? じゃあ訊くけど、私を産もうと思った理由はなに? あの日私を見捨てなかった理由も聞きたいな。理由なんかないなら、私が貴方達を憎む理由も要らないよね。ただ憎いから憎むでいいんだよね。
産みたいから産んだ、会いたいから産んだ、子供を愛してみたかった。全部私の希望じゃないね?
これは持論で私が子供を産みたくない理由なんだけど『人間が子供を作るのは、場合によっては両親のエゴ』だと思ってるの。子供が産まれたいって思えないのに産むわけじゃん。子供は『産んでください』なんて言えないじゃん。望まれない妊娠でそれをやめられない結果で悲しい事が度々起こるけど、それとはまた別の話。例えば愛し合う二人が居たとして、二人が愛し合った証拠に未来に何か残そうと考えて、子供を作ったとする。その子供は二人が結ばれて初めてこの世に生まれてやがて思考を得るんだよね。此処で幸せとか楽しい事だけを得られるならばまだ良いけどそうはいかないじゃない。でも両親はその子に会いたかったから作って産むわけでしょ。その時点で両親は子供を守り育てる責任を負うよね。その子が成人して一人で生きて行けるようになるまでは。だって、産もうと思ったのは両親で、生まれて欲しいと思ったのも彼と彼女だから。あくまでも持論なんだけど。
勿論暴力の結果とかその他の思惑とか騙された結果の場合もあるよ。それはそれで刑事とか民事で争って詳らかにした方が良い時も多いよね。
問題なのは、愛情の結果なのに愛情を感じられない子供はどうなるのかって話なんだ。愛情ってさ、形が定まってないから親にとっては愛情表現でも、子供にとっては辛い以外の何者でもない時があるの。多分だけど、子供が持つ愛情の嵌まる型と、親が与える愛情の形が合わないの。不幸な偶然だよね。求める形じゃなかったら、子供は正しく愛情を受け取れない。そしてそれは状況によって形が変わっちゃう。親の方も変わるしね。
無条件に受け取っていたそれが実は望む愛情じゃなかったかもしれないって気づくと、子供は大人になるんだと思う。だから自分の子供には子供の望む愛情を掛けようとか思っちゃうの。誰も自分以外が求める愛情の形は分からないのに。それでまた繰り返すんだよね。いつしか自分も子供に憎まれる親になるの。
私はそれが嫌だから子供は作らない。こんなにも強い感情を向けられて、真正面から受け止めるなんて無理だから。
書いてたら少し考えが整理されてきたな。文章化って大事。実はね、今月の下旬には私はもう働いてるの。就職が決まったから、其処からまた少しずつ頑張る。そしていつか貴方達の手から離れて、逃れて、何も知らないふりして生きていくのかもしれない。また過去の自分に傷を背負わせて今を生きるのかもしれない。本当は、自分の傷くらい自分で背負いたいんだけどね。
生きたいから取り敢えずは生きるけど、もう昔のままでは居られないな。
少し前、就労移行支援事業所で『グループホーム』の話を聴いた。所謂障害者が集団生活を送るところね。初めは嫌だと思った。皆が同じ部屋でご飯を食べたりお風呂やトイレも一緒とか、それも知らない人ととか拒否感が強くて。でも今は精神障害者をメインターゲットにマンションを一棟丸々買い上げてそれぞれの個室(風呂・トイレ・洗面所・キッチン・クローゼット・冷暖房設備アリ)に各々住んで世話人さんが別の部屋に常駐してるタイプもあるって聞いて、調べたら実際に幾つも存在するから、来年以降にはそういう道を考えようと思ってる。空きが少ないのが問題ではあるんだけど、一人暮らしの練習として利用させてもらおうかなって。家賃補助の対象でもあるし。其処で数年頑張って貯金して今度こそ一人暮らしを始められたら、暫く家族とも会わないで済むかな。そうすれば家族も私を自立したと認めるだろうし。もう簡単には頼らない方が良いんでしょう。
これが貴方達の望んだ結果だって知ったらどんな風に思うんだろう。喜んでも悲しんでもどっちでも良いかな。出来るならいつか同じくらいの傷を与えたいとか思っちゃうけど、それこそ単なる憎しみでしかないから、私は手放すよ。今生きている以上、恩だってあるからね。
本気で怒って変わってほしいと思っている今はまだ、諦めてないんだと思う。もし諦めてたら期待すらしないわけだから。子供だって思ってて良いよ。ただ、いつまでも子供じゃないよ。いつかこの傷と痛みと貴方達とは違う生き物だって事を理解してくれる事を祈ってる。