▼2025/05/11:禁句は個々の傷、堪えるは誰の為?
誰しも触れられたくない領域と言うものを持つと思う。それはその人に言ってはいけないという言葉とか、話題にされたくない事柄とか。まあ私の場合『容姿を揶揄する』、もっと言うなら『体型の話』であり『肥ったね?』の一言だ。心配する調子ならば良い、と言うかまだ許容出来る。しかしだ、叔母よ、貴方は私の何倍もの期間肥っていて且つ体重は私より10kgは多いよな?今日は母の日だったので親戚が家に集結した時の話題である。私は母方の親戚と親しくしており、叔父には特にお世話になっている。叔母は叔父の妻であり、血縁関係はない。そして悪い人ではないのだが身体的な問題で長年肥っており、それは治療可能な原因によるものだ。ひとたび手術やリハビリを受ければまるっと治せる筈である、今の段階では。彼女はその治療が高額な事や家の事が出来なくなる期間が発生することを理由に、長年拒んでいる。年々状況は悪くなっているが、まだ治療自体は可能だし、治療費が問題ならば高額療養費制度を活用すれば良いのだ。そりゃあそれだけでカバーできない部分もあろうが、なら任意医療保険を発動すればよいのではないか。世帯収入は存じてないが、然程高いとは思えない。であれば高額療養費制度を使えば十分にカバーできる。娘二人共働いてるし家の事は叔父も出来るし買い物だって同じだ。その問題を解決せずに努力で痩せようとして、かつそれを理由に母親との関係を見直し中の私によく言うな?
とは思っても言わないのが私なりの『大人の対応』である。まあ、『痩せたね?』なら大歓迎だが。要するに弱点を突かれると人は相手の弱点を突こうとしてバトルに発展するわけだ。言ってはいけない事や、言わない方が良い事、言うべき事や言っておいた方が良い事、言葉と言うのは様々な効果や各々違った攻撃力を持つ。
親戚付き合いにはあるあるなお話だが、若年層には『帰省しない理由』に親や祖父母、親戚にネガティブな事を言われるのが嫌だから、と言うのを挙げる人も多いらしい。結婚しろとか子供を作れとか、痩せろとか肉をつけろとか。或る程度大きくなって分かったけれど、そう言う事を言う時ほど言葉は選ぶべきである。もしも本人に対して本気で心配しているなら尚更だ。言われたくない禁句を唱えた瞬間相手の心のシャッターが下りてしまえば話し合いも出来ない。
さて、7日に大切な仲間であり友人である人物から拍手とメッセージを頂いたので返信しよう。実はどのように答えを返そうか、何日も経過してしまった。申し訳ない。
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▼2025/05/07:それは愛情だろう、でも望んだ形だろうか?
少し前、支部で某ジャンルの二次創作小説に出逢った。とても読みごたえがあり、話の内容もモチーフも登場人物(オリジナルキャラクターがキーパーソンになっていた)もとても良くて引き込まれる作品だと感じている。私は作品を読む際、時々キャラクターに感情移入し過ぎてエネルギーを消耗する事がある。しかしそれも込みで楽しんでいるし、消耗するくらいの作品を読み終えた時のカタルシスみたいなものが大好きだ。文字数が多めの作品を好む傾向があり、五万文字十万文字となれば内心小躍りする。故に、私自身が書く際も長めの(出来れば二万文字くらい)作品を書く事が多い。で、今回何でこの事を書いたのかと言うと、少し前此処に書いたインナーチャイルドの話をしたかった。私は過去に幾つかのトラウマを抱えている、と書くと割りと良くある話だと思う。誰しも皆傷ついた経験があるだろう。多かれ少なかれ、その傷の深さとか痛みはそれぞれであるとしても。ただ、その傷が致命傷に近くて医療が必要なくらい病んでしまうと他者の介入とかトラウマの原因を探る事が重要になってくる。
私は嘗て実父の所為でいじめに遭い(敢えてここでは言い切る)、心に傷を抱え、母親と担任教諭に救って貰った。でも、もしかしたらそれだけがトラウマじゃないのかもしれない。
人は誰しも完璧じゃない。歪な部分が確実にあるし、逆に言えばそれがその人らしさであり個性だ。完璧過ぎる人は不気味に感じられる事もあるように思う。でもその『完璧な人』との幻想を当て嵌めやすいのが親と言う存在だと最近感じている。
私は両親に、とても愛情を注いで育てられた。それは母と実父と義父だ。周囲には他にも大人が多くて祖父母や叔父叔母にもとても良くしてもらった記憶がある。でも、大人になった今『良くしてもらった』のと同時に『あれは問題だったんじゃないか』と感じる事象も増えた。私が扱いにくい子供だったと言うのはある。一人っ子で、長男の娘であり、長女の娘でもある故の期待めいた何かもあったのだろうか。周囲の大人達は私を或る面では大人として扱い、或る面では子供として扱った。期待して落胆した事もあっただろうか。父方の祖父はとても気難しい人で、思いの外巧くやっている私を疎んだ親戚が居た事も知っている。彼は認知症を患い最期を老人ホームで迎えたそうだが、私の事を最期まで覚えていたらしい。しかし彼と長男である実父の仲は良くなかった。祖母が所謂『長男教』の人だったかららしい。祖母は実父を可愛がるあまり夫である祖父と次男である叔父をやや放置気味だったそうだ。それ故に祖父は叔父を主に可愛がったらしい。まあ役割分担な気がする。しかし長男だった実父の娘である私を、祖父は猫可愛がりしていた。叔父にも娘が三人いるし、私が一番最後に生まれたのに何故か私だけ特別扱いだった。お年玉の額も一桁違ったらしい。実の所、叔父には二人の奥さんがいる。不倫をして、一人目の奥さんを追い出して今の奥さんと結婚した。時代故なのか、子供の親権は叔父にある。略奪婚と言う奴だ。これを理由に実父と伯父の中は最悪で、祖父と叔父の仲も拗れたらしい。
対して実父は母一筋の人だった。此処だけは評価してもいい。そんな長男が歳を取ってからの一人娘が私だった故に、手放しに可愛がっていたらしいのだ。実父は祖父の元によく私を連れて遊びに行っていた。私は父方の祖父が怖い人だとの認識もあったが、実は優しい所もあるのだと知っていた。何せ、祖母が独断で買い始めた猫達の面倒は祖父が見ていたし。小学生の時、父方の祖父の家に一人で遊びに行った事もある。飛行機に乗って初めての一人旅。あの頃は緩い時代だったのか、『お子様一人旅』みたいなものもあった。祖父は私の訪問を喜んで珍しく車を出しお祭りや食事に連れ出してくれた。そんな祖父を一人にしておくのも罪悪感があって、頻繁に電話を掛けたり訪問したりしていた。両親が離婚するまでそんな感じで、一方の叔父は滅多に孫たちを祖父に会わせず、祖母のお葬式にも一人で出席した。祖父はその後認知症を患い施設に入る事になり、私は度々飛行機の距離を会いに言っていたのだ。これは私にとってと言うより、実父の親孝行の手段だったのだろう。事実、施設の人は良い息子さんとお嫁さんですねと言っていたし、私が訪ねると「お祖父ちゃん、薊ちゃんのことばかり話すのよ」と言った事もある。
母方はどうかと言うと、母方の祖父は私が赤ん坊の頃に亡くなった。仕事中の事故で、祖母はその時まだ四十代だった。きっとすごく悲しかっただろうし、辛かったろうと思う。でもそんなのおくびにも出さず孫たちを可愛がる優しくて愛情深い祖母だ。お茶目でチャーミングでお洒落が好きで、義父よりも若い彼氏が出来た事もあるくらい魅力的な人。母は、そんな祖母と似ている面もあれば似ていない面もある。祖母はお酒とたばこが好きで若い頃から男友達が多い。勿論女友達も多いし兎に角知り合いと友人が多い。母は男友達と遊ぶとか、お酒とかたばこは嫌いな人だ。誰かとお付き合いする時には直ぐ一筋になる一途な人で、故に実父と結ばれたのかもしれないと思う。
離婚して直ぐも初めは「今までの人生で一度も男友達と遊んだことないから、暫くは色んな人と遊んでみたい」と言っていたが、一ヶ月もすると義父の存在を私に紹介し「結婚を考えている」と話した。割りと驚いたが本人は真剣だ。所謂『遊びで付き合う』とかが出来ない真面目な人なんだと思う。真面目で正義感が強く、気も強い。強くないと生きて来られない人だったと思う。ただ、その強さは時に独善的だ。自分の事を絶対に正しいと思っている。そりゃあ正しい事も多かった。でも、強くて正しい事が適切で間違っていないかと言うと、そうではないと感じることが増えた。
私は小さい頃から母に心配をかけ通しだったと思っている。でも、それって或る種当たり前と言うか、子供を作った以上は子供を守るのも心配するも必要な事だ。特に健康面とかメンタル面、子供の発達に関わる部分。私はいじめられっ子だったこともあり、いつも守ってくれる母が大好きだった。母がしてくれた事は普通よりも手厚くて、先進的で、愛情深かった。手作りの料理や洋服、習い事教室に通わせてくれ勉強を過剰に強いることも無い。やりたい事は大体やらせてもらったし、色々な所へ連れて行ってくれたし、褒めてもくれた。高校生の頃とか大変だったと思うのに、突然テーマパークに連れて行ってくれたり。自殺未遂をして入院しても見捨てなかったし、普通高校を卒業できなくてもなんて事無いと言ってくれた。専門学校入学前に自分が体調を崩しても私を優先しようとしてくれた。義父との関係も良好なのは、彼女が愛した人だからと言う保証があったからかもしれない。
これだけ愛されてきたのは確かなのに、私は今母との関係に悩んでいる。母は元々私が着飾ったりメイクに凝るのを温かく見守ってくれる人だ。ロリータだろうがゴスパンクだろうが港区女子みたいだろうが、他人に迷惑をかけていないなら何でもいいと思うタイプである。しかし、この歳になって私の容姿を時々貶すようになった。『今此処でそれを言うんだ?』と思う発言が増えた。皆様覚えているだろうか、去年の十月くらいに私が本気で消えたいと此処に書いた事。あれの原因は母だ。体型の事をチクチク言い続け、体調を心配するのと一緒に毒を吐くように『肥ったね』『その歳でそんな格好するの?』と。それも年月を経て私の歳に相応しい格好をしてほしいのだろうと流してきたし、実際問題体重は重かった。投薬の影響で太りやすく糖質の代謝に異常をきたし易かったのを心配しているのは知っていた。でも、本当に理解していたのだろうか、と今は疑問に思う。
人は誰でも独立した思考を持っていて、他者の事を理解し切る事は出来ない。自分の事を全部把握できるのは自分だけだ。それすらも難しいのに他人の事なんてわかり切るなんて出来ない。でも出来ると思ってしまうからこんなすれ違いが起こるんだろう。けれども、それが他人の心に致命傷を与えてしまうならそれは加害と言うものであり、愛情の衣を纏った毒だ。
去年のあの時、母は私の家を訪ねてきた際『元気ないね、どうしたの?』と訊いてきたことがある。私はこの時一番絶望したし、『母親と言えども娘を完全に理解できないのだ』と実感した。母親も完璧じゃないのだと自分の中の誤解があまり良くない形で解けてしまった。
誤解。或る種『自己暗示』とか『魔法』だったかもしれない。
私が物語を作るようになった理由は、安心して楽しめる世界が欲しかったからだ。読んでいて面白い物に出逢って、どうせなら自分の考えた世界を描いてみようと思ったから。そして、もっと言うならこれでもかと理想を投影したかった。完璧な世界を作りたかった。でも完璧なんて無いんだって、あの時やっと分かった。誰だって綻びとか歪な部分があって、全く何も欠けて居ない人なんて居ない。
昔から、不幸な人が救われる話が好きだ。そして成長してからはその人を不幸にした人がその人を失いかけるか失って改心し、それでももう遅い、と言う作品も好きになった。これってもしかして、私がすぐ死のうと思ってしまう理由の一つなんじゃないか。
私が死にたいと思い、行動する事で、世界を変えたかった。私を少なからず知っている加害者達に本気で後悔し悩んで苦しんでほしくて、刃を自分に向け続けてきた。自分の命を人質に世界を変えようとしていた。勘違いにも程があるけど、それで確実に悲しむ存在が居るなら、この死に意味はある。私は私を認めてくれない人に無理やりにでも傷を残したかったのかもしれない。貴方の所為で私は苦しみ自ら命を絶ったのだと訴え、彼等彼女等の心に治らない致命傷を与えたかった。本気で後悔されれば初めて私は救われると思ったから。
でも、自分を救えるのって、多分自分だけなんだと今は思う。内側の子供の傷を受け取れるのは私だけ。手伝いをしてくれる人は沢山いるけど、最後まで一緒なのは私だけだ。この事に気付いて、傷つきもしたけれど、それが大人になると言う事だと実感した。
母に本音を言えないなんてよくある話だ。恵まれている方だと知っても居る。けれども本来、辛さとか苦しみって較べるものじゃないんだよ。だって単位も決まっていない。だから、私は私が苦しんでいる事を認めることにした。母の事を絶対的な味方であり常に自分を正確に理解してくれる人だと思わないようにし始めた。私だってきっと母を傷つけている。
完璧じゃない世界で、完璧じゃない人と、それでも理解し合おうと努め上手く距離を保って生きていく。それがこれからの課題だと思ってこの記事を書いた。勿論これは私なりの結論だから理解出来なくてもしたくなくても問題はない。
望まなくとも時は進むし移ろうし、考えも感情も形や色を変えてゆく。良くも悪くも変化する。それに対応できない時きっと傷つくんだろうけど、生きていて良かったと今は思う。
もしもまた傷ついた時の為に、全てが完璧じゃない事を思い出す縁になればと思い、これを書き記した。
▼2025/05/05:矛と盾で創られた考え、思いなんて移ろうもの
タイトル通りの記事を書いていく。先日、地元で開催されたハンドメイド作品の即売会イベントへ行ってきた。で、何を買うかって可愛いうちの子達のお洋服である。下の記事では手作りにこだわっていたきらいもあるのに、イベントの情報を手に入れドールのブースもあると知ったら足が向かっていた。ちなみにイベント名は『サッポロモノヴィレッジ』と言って、年に何度か開催されている。
ハンドメイドの物オンリーの即売会イベントと言えば、首都圏ならば『デザインフェスタ』だろうか。一度だけ赴いた事がある。他にも行ってみたいイベントとして通称『ゴスロリマーケット』『アラモードマーケット』がある。両方ともにゴス・ロリのファッションアイテムを販売するイベントだ。一年程前に出戻りロリータとしてこの世界に戻ってきたが、昔よりも自由に色々なものを楽しめるようになった。旅行もすべて自分で手配できるようになったし、お気に入りのホテルもある。自分で自分にかけていた制限の外し方が分かったのもあって、最近結構楽しい。勿論、外したものの掛け方も分かった。
そんな訳でうちのあーちゃんとりーちゃんのお洋服をたくさん手に入れた訳だが、イベント後すぐにお着替えさせ撮影しようと思ったら見事に体調を崩した。ちょっとはしゃぎ過ぎたのと、不安定な天候と女子特有の問題が重なった故である。頭痛が三日ほど治らなかった。こうなると何もできないし薬も大抵は効かないしで辛い。先程ようやく回復出来た。私は普段カロナールと言うポピュラーな解熱鎮痛剤を処方されており、これは末梢には効かず中枢に作用するタイプの薬で、安全性は比較的高めだが作用はそうでもない場合も多い。一般の方は鎮痛剤としてよりもインフルエンザ流行期の解熱剤として用いる場合が多いかもしれない。某新型ウィルスのワクチン接種の機会が多かった頃は店頭で品薄な事も多かった。
で、この薬。容量としては低めに飲んでいる現在、通常ならば一回飲めば普通に効いてくれる。少し頭痛が来たと思ったら即行で飲む。鎮痛剤と言うのは痛みが始まりの弱い時点で飲んでおかないと、巧い事薬効を発揮できないので。
資格勉強と本で読んで得た知識だが、痛みと言うのは傷や炎症が生じた部分から神経を伝って脳に『痛い』『痛いから休もう、治療しよう』と思わせて我々は様々な行動をとる。この時プロスタグランジンと言う物質が大いに関係してくるのだが、この物質は『痛みを増幅させて伝える役割』や『胃の粘膜を守る』など沢山の役割を持っている。その中の『痛みを増幅させて伝える役割』を断つ目的で鎮痛剤を服用するのだが、薬がそれぞれのプロスタグランジンの役割毎に抹消するのではなく大体全部の動きを阻止する(もっと詳しく言うと、アラキドン酸と言う物質が酵素によってプロスタグランジンになるのだが、その段階で遮断する)ので、うっかり空腹時に鎮痛剤を飲むと胃痛が発生することがある。非ステロイド抗炎症薬(NSAIDs)の場合は大抵処方の際『空腹時は避けてください』と言われるので、私は結構きっちり胃に何か入れてから服用することにしている。
とは言えカロナールは非ステロイド抗炎症薬ではないので、比較的にお腹に優しい。処方の際も服用する時間を4〜5時間空けて多めの水で飲めばそれで大丈夫だと伝えられる場面をよく見てきた。しかし何か怖いので、やっぱり空腹時は避けている。
そんなカロナールさんを飲んでも今回の頭痛は治らず、一日の許容量を目一杯服用しても動けなかったので、素直に就労移行支援事業所をお休みした。現在は復活したが、久しぶりにキツイ日々だった。
ちなみに以前ネットで読んだのだが、一部の頭痛にはカフェインが効く事がある。事実私は鎮痛剤と一緒にカフェインで何とかすることも多い。だが、頭痛の原因によっては逆効果らしい。また、カフェインの中毒症状でも頭痛は起こる事があり、人間の身体と言うのは不自由な事ばかりだなと思うことしきりである。
まあ、そうでなくてもカフェインは摂る。主に作業に集中する為だ。私は集中力はあっても集中し切るまでが少し時間が掛かるタイプだ。故にエンジンキーを差し込み捻るが如くコーヒーを飲む。自己暗示の一種としてコーヒーの苦味を利用するのだ。『この味を感じたら集中する時間』と脳へ合図を送っている。
こういう自己暗示って結構大事みたいで、『今日の私は可愛い』とか『肌が綺麗に仕上がったから良い事がありそう』と思うと本当にそう言う事が起こる。本当に。
前述のイベントに参加した際、私はやり過ぎなくらい可愛らしいコーディネイトと髪型とメイクで出掛けた。そうしたら沢山の人から何度も『可愛い』と褒めて貰えたし『何処の出品者さんですか?』とか『お洋服若しかして手作りですか?』とか訊いてもらえて、自己肯定感が爆上がりである。一般参加者だしお洋服は既製品、しかし持ってるバッグと髪飾りは手作りなのでそれを素直に伝え、この前作ったポーチを自慢したら『こっちの世界(ハンドメイド作家)でやっていけるよ』とも言って貰えて終始笑顔だった。
実の所、最近自分のお裁縫の腕が上がっている実感があって、今度の仕事が巧く行き、或る程度慣れて来たらハンドメイドの作品を販売してみたいと思っている。イベントとか、ミンネとかクリーマとか。それで収入が得られるようになれば確定申告とかもしっかりやって、楽しい副業としてお裁縫をやっていきたいのだ。なのでやっぱりミシンは欲しい。貯金しよう。
自分の腕で他人を楽しませる事って、難しいけど本当にやりがいがある。小説にせよイラストにせよ、ハンドメイドにせよ、まずは自分が楽しいと思う事が大切で、その結果をお裾分けくらいで丁度良い気がする。食べていける本業を持った上での副業と言う形であれば、楽しさと収入のバランスを取るのが少しだけ楽にもなる。
個人のスキルが収入に繋がるプラットフォームも豊富な時代は面白い。面白いし、もっともっと出来る事が増やせそうでワクワクする。やっぱり手先は器用じゃないみたいだけど、何だかんだ作れるんだから数値なんて気にしなくてもいいだろう。
私の身体は、作業する際の不器用さは繰り返し作業を行い覚える、慣れる事と空間認知能力の高さで如何にかしているようだ。空間認知能力こそ低い方だと思ったんだけどな。テストの数値上だと平均を超えてたけど。皆様の思ってらっしゃる通り、情報を収集するとかそれを記憶するとか応用するとか、言語を理解するとかの能力は平均より抜群に高いです。お陰様で小説に出す雑学に事欠きません。調べるためのツールもいっぱいある時代だから、雑学がどんどん貯まっていきます。記憶力が良すぎて辛くなる(昔の嫌な事をずっと覚えている、見たくなかったものを忘れられない)時も多いけど、同じくらい助けられてもいるという。ので、英語学習も順調に進んでいます。発音以外は。
暇潰しにゲームをするけど、他にも何かないかなと言う方にはデュオリンゴ(筆者使用の外国語学習アプリ)をお勧めします。課金しないと広告はウザいけど、そこそこに使えます。筆者は無課金勢です。
仕事が始まるまであともう少しだけど、まあまあいい感じに過ごしてるかなと。採用が決まった状態で過ごすのって心に余裕があって嬉しい。金銭的にはまあ別なんですが。七月が楽しみですね、五月六月分が貰えるんだし。
▼2025/04/30:綴る文字列、形を与えられた感情
早朝からおはようございます。昨夜布団に入って数分もしない内に寝落ちた所為かこんなに早起きである。いつもなら夢を鮮明に覚えている方なのに、今日は全然覚えていない。随分と深い眠りだったようだ。気分的にはかなりすっきりである。昨日、就労移行支援事業所から帰って来てから、二次創作小説を書き始めた。昨日の夜時点で9000文字強書いたのだが、今回も私の悪い癖が出たと言うべきか、相当に長い作品になりそうだ。書きたい場面や使いたい文言、描写したいキャラクターの心情などをなるべく零さずに書きたいので、書いても書いても終わらない現象がしょっちゅう起きる。てかそれがデフォルトだ。界隈では一話辺りが長くて読みごたえがあると言ってくれる人も多いが、多分だけど『萌える話をサクッと読みたい』タイプには刺さらない話が多いと思う。前回投稿したのは若干に怖い描写が多めの長めの小噺(矛盾しているが気にしないでほしい)だったが、小噺とは言っても15000文字くらいだ。何が小噺なんだよお前の基準は、と訊かれても反論が出来ない。
そもそもこのブログも毎回毎回長めだし、寧ろ長く書きたい時に此処へ書いているので、読むのが面倒くさい方は本当にごめんなさいとしか言えない。多分自分が長めの文章を好む所為なんだけどね。此処に長い文章を書いている時は比較的落ち着いているし、考えを整理しながら書くとこうなるんだろう。碌に校正とか推敲をしないから誤字脱字まみれなのは申し訳ない。
さて、いつものように趣味について綴っていく。
現在またうちにドールを増やすべく、鋭意作成中である。アザレア、リュンヌの二人の妹に続き、今度は弟を錬成中だ。名前はシトロン。通称シー君だ。今回は金髪に青い目の可愛らしい男の子にしてみた。お洋服とメイクは既に完成していて、後はウィッグのみと言ったところ。ってか、本当は購入してあるのだ。サイズが合わなくて買い直さなければならないだけで。今回もセリアドールと呼ばれる百円ショップセリアのドール素体を用いているのだが、リーちゃんの時とは違うブランドのウィッグにしたらサイズを間違えてしまったのだ。来月に入り次第買い直す予定である。まあ、リーちゃんの時と同じ楽天のショップで買えば問題ない、だろうと思う。
ので、現在の彼は頭だけ未完成なちょっと可哀想な状況である。本当に申し訳ない。
ちなみにメイクは結構上手くいっていて、付け睫毛は人間用の物を転用したがそれが巧い事ぱっちりした可愛い目にしてくれた。リーちゃんの時に勉強した知識と、後は参考画像のお陰だろうか。彼は男の子だが、可愛い格好はぴったり似合うので古き良き西欧の雰囲気にしたいと考えている。でも今の格好は現代風だな? まあストリート系も似合うけど。
私はうちの子達を連れてお出かけすることも多いのだが、ただでさえ目立つロリータファッションでドールを連れているとまあ目立つ。時折話し掛けたり腕に抱っこしていると周囲の視線がグサグサ刺さる。親には『連れ歩くのは良いが、人前で人形に話し掛けないでほしい。普通に怖い』と言われてしまった。格好が格好なので普通にヤバめの人に見えるらしい。ので、今は腕に抱っこはするが声に出しては話し掛けないようにしている。それでもすごい目で見てくる人居るけど。
所謂推し活文化が世間に知られて久しいけれど、ドール活動はそうでもないのだろう。ぬいとかアクスタをテーブルに乗せて写真撮影は許される風潮なのにドールは駄目なのかと思うと複雑だが。少なくとも写真はおまけで、可愛いうちの子とお出かけしてる気分を味わいたいだけなんだけども。お洒落で可愛いスイーツを前にうちの子と写真を撮って、美味しくいただき、ロリィタのお洋服を着た自分をめいっぱい楽しみたいだけなんだけどな。
まあ、多かれ少なかれその趣味を理解できない人が居るのはどんな趣味でも同じか。
勿論と言うか、ドール達のお洋服は全て私の手作りな訳だが、お靴だけは既製品を利用している。いずれは作れるようになりたい。ちなみにクラフティングドールのあーちゃんに関してはリカちゃん人形とサイズが一緒なので転用が出来る。今の所彼女が一番の衣装持ちだ。季節柄、そろそろ夏服を製作しなくては。お帽子とかもあったらよいよね。手縫いでちまちまと縫うのが本当に楽しいし、一針一針縫っていると心が整う。自分用の小物とかも製作していて、最近だとバッグを二つ作ったし、ヘッドドレスも仕立てた。ミシンがあったら自分用のお洋服も作ってると思う。
実はと言うか、うちの母はお裁縫上手で高機能のミシンを所有していた過去がある。幼い頃はよくお裁縫を教わっていた。ので、もしも私が服飾系に進むなら同じように高機能のミシンを買ってあげる心算だったらしい。ゴスロリを着ていた頃はよく服飾学生と間違えられていたし、ハンドメイドも好きだったので若干道は違えどあったら嬉しかったかもしれない。漫画を描きながら洋服も作るとか難しいと思うし過労で倒れる回数が増えてたとは思うけど。
今は趣味としてお裁縫を楽しんでいて、いずれお金を貯めてミシンを買いたいと思っている。地元の一番大きな手芸店では時折高級ミシンを半額で売るセールを行なうので、それを狙って購入する為にも貯金をしっかりしなければ。
小説にしろ絵にしろお裁縫にしろ、脳内にしかない物が現実に現れていく過程を見ているのが好きなんだと思う。自分にしか見えないものを、他の人の目にも触れる形に出来る趣味があって本当に楽しい。
ちなみに、地元の障害者職業センターの検査の結果では、私はあまり手が器用な方じゃないらしい。これで? とは思うが苦手意識の強い計算よりも点数が低かったから数値上はそうなのだろう。我ながらアンバランスな結果となったが、だからヘアアレンジの編み込みが出来ないのかな、と納得できたのも事実だ。一番点数が高いのは言語理解なので間違っても居なさそうだし。
▼2025/04/20:病は季から、日の入りで取り戻す余裕
今日も今日とて就労移行支援へ行ってきた。日曜日も開所しているのは珍しい事なのだろうか? この記述で私が通う事業所名が明らかになりそうだと少しだけ思う。前の病院に通っていた頃、主治医に『ここ最近、つい眠っちゃうんです』と漏らしたら詳しく症状をヒアリングされ、『それ多分鬱症状』と薬を調整された事がある。私が元々躁の傾向が強かった事もあって、主治医は私に鬱を改善するタイプの薬は出したがらなかったのだが、この時は例外だった。
眠り過ぎる、つまりは過眠とか傾眠と呼ばれる症状な訳だけれど、確かに鬱になると気力がなくなり布団から出られない人は珍しくない。しかし現在の病院の主治医にも似たようなことを話した時は
「うーん。これは多分鬱ではないね。だって、矢野さん活力たっぷりあるじゃないですか」
と評された。眠剤が多いのかもしれないし、飲むタイミングの問題かもしれない。ただ、一度眠剤を減らして様子を見ましょうと減薬に至った。この時は今度は早朝覚醒してしまって結局元に戻したのだが、今の主治医は減薬に対してかなり前向きだ。私も一時薬の販売職を目指した事があるので基本的には出来るだけ減薬したい。ただ、規則正しい生活が一番のお薬になるので、眠れないなら程々に眠剤の投与は受けておきたい。
そう、鬱症状になりやすい話だ。私は日が長くなると心の調子や体調を崩しやすい傾向にある。それこそこの時期は人間関係の変化も起きやすいのも要因となってメンタルが崩れやすい。前の主治医は、日照時間が長くなると鬱は減りやすい筈なんだけれど、と不思議がっていた。
今の主治医には訊いた事が無いが、カウンセラーさんには報告してある。今の病院では診察は診察で薬の処方を担い、長めの話はカウンセラーさんが聴いてくれる。その内容は電子カルテに残され主治医も確認して此方の状況を把握しているのだ。ので、私がカウンセラーさんに話した内容は病院全体で共有されている状態だ。前のびょういんは何処までも紙ベースだったからあんなに処方箋が間違っていたのだろうか。
で、鬱症状と今の病院では言われた事が無い。眠り過ぎていたとて、日常生活に影響がないならまあ大丈夫だし、別に一日8時間以上眠るのは寝すぎとは思わないそうだ。私の平均睡眠時間は7〜8時間だから、プラス1時間くらいなら許容範囲内と言う事らしい。ちなみに今でも鬱症状を改善する薬は服用していて、今の良い状態を維持するには必要なものだと言う。就労移行支援事業所にも休む事なく通えているし、自活することも(金銭面を除けば)可能だし、就労も問題ないとの判断によるものだ。まあ、これから覚えるべき事が増えていくと確実に焦りは生じるので『意識して無理しない』のは大切なんだけども。
以前此処に『統合失調感情障害の可能性』とか『気分障害の可能性』があるらしいことは書いたかと思う。統合失調症にプラスアルファされるのは本当に勘弁してほしいのだけれど、私が五歳くらいから消えることを考えてきた事実に鑑みると其処は無視できないのだろう。ただ、鬱か双極性障害なら確実に私は後者だ。こんなにエネルギッシュに仕事へ挑もうとする鬱の人はきっと少ないか、かなり回復していると思うし。
『趣味を楽しめない』とか『自分の好きな物って何だっけ』となることも無い。と言うか、趣味が楽しくて仕方ない。毎日のように何かを作り、読み、書き、学んで、身体を動かすのも楽しい。鑑賞するのも好きだ。創作すること、それが満足のいく出来で本当に楽しいし、時々集中し過ぎてしまう事を除けば普通に元気でパワフルな人間だ。本当に良くここまで回復したものである。
去年から体調管理の一環として毎日自分のストレスレベルを数字で評価することも始めた。まずは自分のストレス要因となる出来事や物事を書き出し、それが起きた時どんな気持ち(感情とか諸々)になったかも書き出す。それらのストレスを1〜5で評価して書きならべ、最後にそれ等への対処法や緩和方法も書き出す。これに則って毎日自分の気分を評価して手帳に書き記すようにした。ちなみに通常モードは3で、1に近づけばストレスが少なく、5に近づけば状態が良くない感じにした。すると、私は『1』の時より『2』の時の方が上手く生きられていると気付いた。1になってしまうと有頂天と言うか、テンションが高すぎてうっかり失言をしたりする確率が上がるのだ。楽しい物や面白い事にのめり込み過ぎる時は大抵が『躁』なのだろう。あくまでも私の場合はだけど。
なので、最近は調子が良い時ほど口を開かないよう気を付けるようになった。悪い時は場所や相手を選んで吐き出すべき時もあるけど、調子が良いならそれを自覚し、ただ他の人への影響を考えて発言のタイミングや内容を熟慮することにした。空気を読むのが苦手で、相手の気持ちを考えることも苦手、つい自分中心に考える癖のある私にはこれが或る種の処世術になった。会話も相手が話し終わるまで口を開かないようにした。すると、自分の話すターンは今じゃないと思えたのか『もっと話したい欲求』が抑えられるようになってきた。これって普通の人には当たり前なんだろうけど。
今の病院を始めて受診した時、診察時間は2時間を超えた。それだけ私の話を理解しようとしてくれることが嬉しかった。そしてこんな事を言われた。
『発達障害やグレーゾーン(非定型発達)に居る人は、脳の完成スピードが定型発達の人とは違う』
その時の先生のお話では、私の脳はまだ完成したばかりなのではないかとのことだった。今年で33歳になる私だが、恐らく完成したのは本当につい最近のことらしい。だからこんなにも急速に色々な変化があったのかもしれない。でもそれは私の所為でも両親や家族の所為でもない。ただ、そう生まれただけ。その話を聴いて少し嬉しくなった。周りに合わせられないと思ってきた事は間違いじゃない。でもおかしいって訳でもない。ただ、そう言う設計図を持って生まれたのだ。何か、腑に落ちる説明だった。
私の心とか精神って、この脳味噌じゃないと生まれないものだったんだろう。人とは違う形でも、それも悪くないと思える。だって、この私だから作れるものがある。人間皆DNA配列は違えど同じホモサピエンスだ。そんな中でこの脳を持つ私だけが描ける世界があるって、すっごく面白いじゃないの。相変わらず二次創作ばかりだけど、書く事は本当に楽しいし、他の物を作るのも楽しい。これがもしも躁によるものでもまあ良いのかな。時々休めば多分動けるだろうし。休もうと思えるようになったのも脳が完成したからなのかも。
成長と成熟の結果、私は生きることが楽になったし、楽しく生きられている。遠回りをしないと得られなかった知識とか経験のお陰もある。他の人と同じ面と違う面、はみ出すところと足りないところ、全て私オリジナルの人生だ。
うん、まあ悪くないね。
人生で33回目の春、初めてと言ってもいいくらい春の訪れを心から喜んでいる気がする。此処からだ。此処まで来るのにも時間が掛かったけど、結局終わりまで歩き続ける事を私は選んだ。途中立ち止まる事はあったけど、また歩き始めて今がある。目の前が真っ暗になっても、明けない夜が来ても、止まない雨が降っても。何でかいつの間にか抜け出してまた光の方へ向かっている。どうやら私はしぶといらしい。楽園とは思えなくても、寧ろ地獄だったとしても、同じく苦しいならそれも楽しんでみようかなと思う。結局、苦しくないと楽しさとかも無くなるからさ。
まあこれは大分回復してからの感覚なので、今が苦しくて助けてほしい人が居るなら、誰かにヘルプを出そう。もしその相手が私なら、出来る限りで寄り添うから。
▼2025/04/13:縫い取れ。己の形を望むなら
今日も今日とて縫い物をしている。少し前Instagramで見かけたデザインがとても可愛らしいポーチを真似っこして作ってみた。販売している場所は遠いし、何より自分の手で作って見たかったから。自分の手先がかなり器用な方だと自覚はあるけど、以前障害者職業センターで診て貰った検査では、道具を扱うのが上手くない方らしい。手先も器用な方では決してないと。じゃあどうしてかなぁと考えた時、『初めてやる事』と『やり慣れた事』の差が激しいのかもしれないと思った。そして一度慣れるとものすごいスピードで出来てしまって、やり方さえ脳内で理解すると手は思う通りに動くから結果器用だと思われるのかもしれない。理解力はかなり高いって数値の上で出てるし、加えて記憶力が(富に好きなことであればあるほど)高い方だから(時々異常なくらい覚えてる)、一度覚えたやり方をいつまでも覚えていて、それを応用することも得意なんだろう。
料理とかも初めはまあ、酷かった。お菓子作りとか好きだけどあんまりやらない。縫い物に関しては成果物を長い間身につけたり使ったりできるのが好きなのかも。アクセサリーもそうだし。
他の人が覚えていない事を覚えることが得意だ。短時間に暗記するのも得意。統合失調症って脳内で記憶を司る海馬の部分が畸形なケースが多いらしいって何処かで読んだけど、一部のASDにも記憶力が強い人っているよね、特に好きな事とか物に関しては。やっぱり私はASDの傾向の方が強いのかな。今の精神科では初めて『非定型発達』って言われたのは前にも書いたけど、ネットに転がってる『大人の発達障害セルフチェック』みたいなのをするとADHDにはあまり当て嵌まらないけどASDは強い疑いの数値が出ることが多い。まあ、自分で自覚して対策できる内は障害とは言えないんだろうな。あくまでも特性って括りに入る。
拘りが強いとか人の輪には入れないとか空気が読めないとか、少し前なら変わった子で済んでいたのが今はどうだって人も居るけど、その人たちが明らかになる事で生きやすくなるなら今の方が良いと思う。どうして自分は駄目なんだろうとか、人と同じように出来ないんだろうって悩み続けるのもなんか違うと思うし。早めに諦めがつく方が(いい表現じゃないけど)時間が有効に使えるじゃん。
「人ってまあスタンダードはあっても全人類に共通の普通って多分無いのに、簡単に「普通は」って言っちゃうの不思議だよね。貴方の普通は他の人の異常なのに」って、前の私なら言っちゃってその場の空気を壊してた。普通は無くても守った方が良いルールとか倣っておいたら取り敢えずどうにかなる慣習は山ほどあるし、普通とされる形を自分の形を合わせた時、足りない部分を補ってはみ出た部分は巧い事隠すってのが必要な場面もきっとある。問題は、常に自分を抑えたり我慢し続けないで、努力しても出来ない事は素直に人に頼って、その人が出来ない何かがあるならそれを手伝えば良い。それが出来なくても力を借りたらきちんとお礼を言って感謝を示すのも大切。そして自分に出来る事は精一杯やっていれば、評価してくれる人は居ると思うんだ。
最近、Youtubeのおすすめ動画で発達障害について沢山の人が批判とか中傷を混ぜて議論してるのを見かけるけど、まあ困る事は多いと思う。本人も周囲も。仕事をいつまでも覚え(られ)ないとか集中力が足りないとか約束や規則(待ち合わせの時間とか就業時間とか服装規定とか)を守れないとか。何か過去の自分を見てる気分になる事もあるな。特に時間を守れないとかね。
本人に改善の意思が見られないとかそもそも無いなら、本当に社会を舐めてるなぁとは思う。でも『じゃあ何故改善しないといけないの?』って問われた時、私はどんな答えを返すだろう。皆も守っているのに、とか、皆に迷惑が掛かるでしょとか、あんまり響かない答えだと思うの。主語が『皆』だから。私自身がそうなんだけど、『皆が困る』って言うのだと本気の改善意欲に繋がらない事が多かった。ただある時『もう怒られたくないし、人に迷惑をかけるとその分信用とかを失って自分も損なんだ』って気づけて如何にかなった。腑に落ちたと言うか。『自分』っていう、一番大切にしたかったものを大切に出来ないのが嫌になったんだよね。だから私は『自分』の為に『皆』との約束を守って時に助けてきた。助けてもらったからね。例え誰も見ていなくてもルールやマナーを守る私が好きだし、きちんと規則を守る自分の方が良いと思う。利己主義が強いし、それが行き過ぎて利他主義に近くなる時もある。だって『皆を優先していればいつか自分も優先されるときがくる』って言うのも分かったし。そろそろ次の『皆の気持ちを考える』段階かな。まだこれは難しくてね。
さて、皆様にご報告があります。私、就職が決まりました。今度も障害者雇用で販売職です。色々悩んだし支援者さんには『矢野さんは何でも或る程度できちゃうから、逆に何を≠竄驍ゥより如何≠竄驍ゥだよ』って言われて、働き方とかどんな状態を目指すか沢山考えた。拘りとか固定観念とか、解きほぐして譲れない物だけ掬い取って、残ったものを大切にする働き方にしようと思って探した結果、見つけた企業の内定を頂きました。
この一年、前職を辞めてから考えまくったんだけど、私は仕事に憧れを持ち過ぎたんだよね。好きで遣り甲斐もあって評価もされていた状況だったけど、憧れが強すぎて自分の実力を見ることが出来なくなってた。そもそも『仕事の為に生きる』んじゃなくて、『生きる為に仕事をする』んだよ。私は其処を逆にしてた。本気で『この仕事をする為に生きてる状態』だったと思う。だから何を置いても仕事なの。心を病んでどうにもならなくなっても店に迷惑をかけたくなくて無理矢理仕事に行ってたし。それは『大好きな仕事』で『強く憧れていたから』なんだよね。でもそれで病んで退職してたら健全ではないでしょ。私は仕事以外にも楽しみとか人との繋がりも持ってるし。多分多い方だし。そう言う楽しみを楽しむ為に生きる方が良いなって思ってはいたんだけどね、見えなくなってたかも。必死で頑張って仕事するのをやめようと思ったのはそれも理由の一つ。
これからは人生の内仕事は3〜4割で、残りはプライベートが良いかな。頑張ろうと思わなくても頑張っちゃう性質だからきっと、これくらいで良いと思う。
自分の事、生きにくい人間だなぁって思って来たけど、生きにくくしてきたのは自分なんだよね。今は大分生きやすくなった。内側の子供の事を少しずつでも吸収していこうと思えるくらいには。まだ考えると泣いちゃうんだけど、彼女の目を見る勇気は出てきた。ちょっとずつで良い。本当の意味で私の事を認めてみよう。弱くても良いし、強くなれなくても良いけど、自分の事すら大切に出来なかったら本当に駄目になっちゃうと思うの。私の場合はね。
時間は有限だけど、人生って意外と長いなぁって思ったの。それだけ長いなら、なるべく楽しく生きた方が良いと思うんだよね。苦痛に満ちた時間ならさっさと終わらそうって思うだろうけど、今のところは生きるのが楽しいからさ。いつか、楽しいって思う事に『生きること』って枕詞を付けずに言えた方が良いんだろうけど。付けても良いのかな? どっちかって言うと簡単に『生きるか死ぬか』を考えないように出来たらいいのかな。一回本気で実行しちゃうと難しいんだけどね、大多数の人は『生きるか死ぬか』を本気で考え続けないんだって。不思議だなぁって思った。おんなじ国と時代で生きてるのに、凄いなって。
病んで手放したものもあれば、得たものもある。じゃあ今何が掌に残ってて、何を大切にするのかをはっきりさせるだけでも、もう少し生きやすくなるのかもしれないね。
▼2025/04/07:街角のショーウィンドウ、まだ着ていない洋服
ずっと、内側に居る子供が負った傷の痛みを間接的に受け取って来た。以前は直接的だっただろう、あの子は私自身だ。いつの間にか肉体だけが歳を取り、と云うよりもあの子供は私がこれ以上傷つかないようにと切り離した一部だったかもしれない。インナーチャイルドと言う言葉を見聞きした事が何度かある。内なる子供は傷を抱えたまま泣いている。あの頃の私は傷付けられてもそれを口に出しては向かう事を知らず、何故ならそれは形だけは十分な愛情をもって育てられていたからで、これが傷だと認識するのも時間が掛かった。過去は過去で切り離して考えるべきものなんだけど、そう割り切るにはあまりにも深く何回も傷ついてしまったものだから、瘡蓋が重なり過ぎて傷の治りは極めて遅い。傷って言うのは抽象的かな。トラウマと表記した方が良いのかも。実際に肉体が損傷した訳ではないんだし。
いじめられっ子だった期間は、まあ、長い方なんだろう。幼稚園の二年間と、小学生になってからの六年間。所謂人格形成に重要な時期のそれなりの時間を他者からの暴言とか暴力に曝され続けたんだろう、多分。多分って言うのは私が勝手にそう思い込んでる可能性も幾分かはあるからって言う保険みたいな感じ。周囲の全員が私の敵側だったかと言えば違うんだし。まあ事勿れ主義で見て見ぬ振りした奴も居るんだろうけど。
子供って良くも悪くも素直だし気まぐれだから(そうあっても許されてしまうから)簡単に誰かをターゲットに定めるし、それをどんどんと巡らせて順番が来たらお前は群れの敗者だとばかりに爪弾きにする。大人から見れば団栗の背比べも良い所なんだって気付けたのはつい最近の話。
前此処にも書いたと思うんだけど、私は発達障害のグレーゾーンみたいな立ち位置に居る。傾向で言えばASDが強いみたいだけど、小さい頃はADHDの傾向もあったと思う。思うに衝動性とか。時間を守れないしその前に朝起きれないし夜に眠れないし、忘れ物はしょっちゅうするし育てにくい子供だったんじゃないかな。其処をお母さんや習い事教室の先生とか学校の教諭陣が如何にか矯正してくれて、いつの間にか時間厳守締め切りも守るし忘れ物は滅多にしない大人になったからびっくり。よく言われる『療育』に近い事をしてくれていたと思う。偶然かもしれないけど、うちのお母さんは元保育士だ。子供の発達に関わる知識は(当時にしては)多い人だったんじゃないか、と最近よく思う。
今現在は『人の気持ちを考えるのが苦手で、つい自分を中心に考えてしまう』って特性と闘ってる。一人っ子だからかな、自分がいつまでも世界の中心に居るんだよね。他の人だって自分の事を一番かわいいと思ってる場合が多い筈なのに(あくまでも可能性として)その可能性を考えないの。慮れない。人の態度とか言語外の気持ちや感情を読み取るのが苦手で、つまり空気が読めないし、冗談も分からないし通じない。純粋な子供みたいだとたまに言われる。いい意味で幼いって言いたいらしい。子供っぽいのと何が違うんだろう。
内側の子供がいつまでも子供なのは、この特性も要因なんだろうか。それとも、他人を慮れるほど傷の痛みが強いままなのかもしれないなって思う。たまに触って剥がしちゃうんだよね、この瘡蓋たち。
通っている就労移行支援のスタッフさんには『まだ生傷なんじゃないか』って言われる。乾いてすらいないって。治療する前に切り離しちゃったからかな。治すのにも痛みが伴うじゃん、消毒液が染みるのとか嫌だもん。
さて、此処まで読んで違和感に気付いた人は居ますか? この話には父親が登場してないんだよ。私の父親。もう居ないんだけどさ、その前にもう会わなくなって何年も経つから本当に居なくなったのか実感が湧いてないの。目の前で焼かれてもないし骨も拾ってない。今頃どうしてるんだか。
そんでさ、最近気づいたと言うか認識したんだけど、私自分で推すキャラクターに見られやすい傾向として『父親に愛されていないと感じている』『父親に憧れつつも追いつけない』『満たされないから破壊衝動とか突飛な行動欲を覚え実行する』って言うのがあって、そう言うキャラクターに出逢うとつい、彼等彼女等を救ってあげないといけない気持ちになる。貴方達は守られなきゃいけないんだよ、だって子供なんだからって。だから推しにして(昔なら嫁かな)救ってあげる妄想をする。で、思ったんだ。
本当は、私自身が救われたかったんだって。守ってほしかったんだって。それがいつまで経っても満たされないから内側の子供の傷は治らないし塞がらなくて、必死で助けを求めてる。それが辛くて消えたくなる。創作上の彼等彼女等を救う事は私自身にしてあげたかったそれなんだ。だから可哀想な子供を好きになるし、状況を改善したくて二次創作を書き始めた。作品中では報われなかったあの子達を、せめて私の中だけでも救いたいし、それで私も救われたい。何かを転嫁し過ぎてるのも分かってるけど、多分この気持ちは当分消えない。
自分の内側に潜り込む事が出来たとして、私は内側の子供を救えないんだろう。少なくとも今現在は。ただ隣に居る事も出来ない。彼女の叫びは辛すぎる。だから耳を塞いで顔をそらして、見えず聞こえもしないふりをする。その繰り返しが今の状況を作ってるのにね。
救われたいと思うのは、まだ生きていたいからなのか。それとも痛みに耐えられないからなのか、可哀想だから? 誰がなんだろう? 私は私しか居ないのに。
所謂発達障害グレーゾーン、もっと言えば非定型発達だけど、他の人とは違う仕組みと設計図と手順書で作られたこの脳味噌が働いた結果が私で、その私自身を正確に認識できるのも理解できる可能性が高いのも私しか居ない。本当の私なんて居ない。そもそも私は私しか居ないから。内側の子供も、切り離されただけで元は私だ。
以前『貴方は解離の症状が強い』と評された。会う時、会う人によっては人格が少しずつ違うらしい。きっと、表の私が強いか内側の子供が強いかで割合が変わっちゃうんだろうな。だから時々驚くくらい簡単に騙されるの。冗談が通じないのは人と関わった経験が少な過ぎてそれを冗談と見抜けないから。解離の症状を指摘した人曰く、本来愛されて育ったんだってさ。ただ、愛情の方向性がちょっとおかしかったし、大人になった今あれは虐待行為の一種だったとはっきりわかる事もある。毒親、って言うのは少し違う。人として少し、何かが足りない人だった。父親に関してはね。愛情をもって育てられたことは間違いないよ。けど、本当は誰よりも自分が愛されていたい人だった、自分がいつでも世界の中心だった。そう言う人が似たような子供に育ててしまったって話。
憎んでいるかと問われると、憎んではいないと思う。ただ虚しくて仕方ない。もっと早くに気付いて、離れておけば良かったかなと思う。あの時代には難しかったけどね。
血の繋がりってそもそも同じ人間って生き物な時点であまり関係ない。だってDNA配列が示すのはホモサピエンスだもん。だから今のお父さんの事は保護者だって認識してるし尊敬もしてる。ただ、この遺伝子を残すのは嫌かな。産まれてくる子供に同じ苦しみを背負わせそうな気がするんだ。
つらつらと書き連ねたけど、取り返しのつかないものってあるけど、やり直しの機会は幾らでも見つけられると思う。向こうに引っ張られないように必死であの腕を振り切って今がある。正しく生きようと、貴方と同じにはならないと、大好きだったそれを切り捨てた。大好きでも害になるものってあるからさ。
大好きだったり大切に敬うべきそれを切り捨てて生きられるなら、躊躇せずに手放して良いよ。貴方の人生は貴方だけのものだから。視点を切り替えて生きるの。罪悪感なんて懐かなくていい。
ただ、もしも貴方の中に泣いている子供が居たら、いつかその傷を受け取る可能性だけ覚えておいて。その子は今肩代わりをしているだけだから。
▼2025/03/23:震えながらコンフォーターに包まる縫いぐるみ
FNAFと言うゲームのファンメイドの『Never Be Alone』と言う曲にハマっている。昨年末から英語の勉強を始めたのだが、思いの外捗っていて、この曲も全編英語なのだが、聴いていると訳せるようになってきた。直訳と翻訳ではまた少し違うけれど。この曲、少し前からYoutubeで飛行機事故の再現動画のBGMに使われるようになったらしく一時ハマってよく見ていたら、曲自体にもハマりアマゾンミュージックで購入してしまった。曲名の解釈は人それぞれだと思うが、元になったFNAFと言うゲームの内容にかなり巧い事リンクしているらしいので、プレイした事のある方は聴いてみてほしい。さて、実習は無事に終了した。何かとても褒められ『指摘すべきところは何もなくて、働きぶりも遜色なく、寧ろ他のスタッフが出来ていない所を担ってくれた』とか評価をいただいている。正直驚きだが、私の感想としても『意外と楽しかったし、自分の中の業務のギアを上げなくても十分評価された』と素直に感じている。
下の記事にも書いたが、私は前職まで自分の中の業務のギアを目一杯上げて、100%どころか120%出さないといけないと思い込んでいた時期があった。しかしそれで体調や精神面の調子を崩しては元も子もないので、普段は精々70%の実力を出せばそれで良い仕事を探していたのだが、丁度この実習先がそんな感じだったのだ。分類としては前職と同じく販売だが、興味はあっても深堀しないであろう分野の販売だ。障害者雇用の枠なのは前にも書いたが、接客も必須ではあるが難しい部類ではない。私がやらなければならないのはあくまでも一時対応のみで、基本自分では答えずに既存のスタッフさんにつなげばそれでOKである。あとは品出しとか前出しとかを行ない、店内を整備し清掃し、お客様に笑顔で元気よく挨拶出来ればそれでよし。ぶっちゃけ楽ちんである。初日はそりゃもう緊張したが、お客様が皆優しい方ばかりだったのもあり、実習期間を終えた頃には充実感でいっぱいだった。
私が持つ幾つかの課題の一つに『声の大きさやトーンの調節が苦手』な事があるのだが、寧ろそれも有利に働いている。業務の説明を受けていた時たまたまお客様が通ったので反射的に笑顔で『いらっしゃいませ』を繰り出したのだが、他の人よりも少々大きな声になってしまったのを逆に『活気があって良い。今の感じでやってほしい』と言われたのだ。その際『挨拶はいつも通り元気良く、他は1、2トーン落とせば大丈夫』と言われたのでその通りにする。そしたら最終日には褒められたのだ。前職時代に『お客様と擦れ違う時、無言なのはご法度』だった為に。一度挨拶した方と擦れ違う時には『ご覧くださいませ』と言うのだが、初めは余計な事言ってるかなと思いつつも言っていたら『本来は他のスタッフも言わないといけない事だが、言えていなかった』と言う。
まだ新しい店舗なこともあり、既存のスタッフさんは接客業自体が初めてな方も多いそうで、もしこの企業とご縁があれば非常に楽に勤められるのではないか? と感じたのが正直なところだ。
まあ、もう一つの懸念点として『仕事が楽しいし覚えるのも好きだから、つい探求し過ぎてしまうこと』も挙がるんだけれども。真面目過ぎて仕事のことを家に持ち帰って悩む事の繰り返しの社会人人生だ。勉強することも好きなので、以前はお風呂にまで資料を持ち込んで商品知識を覚えたりしていた時期もある。今はそう言う行き過ぎた努力は止めて、仕事とプライベートのバランスを取るよう意識している。メリハリは何事にも大切だ。
この前、いつも行っている就労移行支援事業所のスタッフさんから『最近イイ感じに緩くなったね』と言われた。以前とは違って程良くゆるく、ふんわりした話し方になったと。目付きも顔つきも優しくなったらしい。前よりも頑張り過ぎないようにした結果かもしれないし、歳を重ねた結果でもあるかもしれない。きっと自分にも他人にも優しくなれたのだ。世界と言うのは人が働いた結果で出来ている、でも、全員が常に全力で生きているわけじゃないし、その必要も無い。頑張る時は頑張って、休む時は休む。そして、持続可能な感じに仕事のギアを入れて働けばそれで世界は回っていくのだと感じている。ご飯を食べる時と同じで、腹八分目ならぬ働き八分目と言うやつである。目一杯頑張り続ける必要が生じる時も確かにあるけど、その分非常事態以外は休んだ方がきっといい。その方が必要な時に頑張れる。
それと、少し前から自分を適切に♀テやかすようになった。例えば『今日はいっぱい頑張ったから甘い物沢山食べちゃえ☆』じゃなくて『今日は沢山歩いたし、お店のポイントも貯まってるから好きなお茶を一杯だけ飲んじゃお♪』みたいな感じ。前者と後者との違いは『頑張った事実を無駄にしないかどうか』と思っている。いっぱい頑張ってカロリーを消費できたのに、甘い物をたくさん食べればそれはゼロどころかマイナスに働く事もあるし、後で後悔する可能性もある。お金もかかるし。でも後者なら『沢山歩いた』事実があり『ポイントが貯まっている』からお財布にも負担が少ない。この時のお茶は大抵シロップは少量入っているが、脂質はゼロだ。ミルクは入っていないお茶しか選ばないようにしているので。
この時のポイントとして、『後で後悔しない事、物』をご褒美にしている点が挙げられる。金銭的にきついのにお金を遣い過ぎれば後で後悔するし、食べ過ぎれば身体に脂肪が蓄積されてやっぱり後悔する。何事も程々が良いのだ。
この辺りにも私がゆるくなったなぁと感じる要因がある。何事も全力を出さなくても結果は出せる。本気で頑張るべき時に頑張る為にも普段は休む。これからの季節には特に大切な姿勢らしい。
私が頑張り過ぎなくても、地球は変わりなく回り続けるだろうし、ちょっと緩くなったところで世界は爆発しない。なら、自分に優しくしたって誰も怒らない。でも、優しくするなら適切にしよう。許容範囲は何にでもある。
やっとこの感じを身につけることが出来たし、そうすると大分生きやすい。やっと色々落ち着けたかな。病院を変えられたのも大きいんだろうけど。お薬の飲み過ぎも自分を追い詰める一因だったみたいだし。
割りと良い感じで最近を過ごしているので、このままの流れでゆるーっと就職したい所存。
▼2025/03/09:氷上で歌う、剣の舞
このタイトルで書く時点でこのブログの読者差さん達は何の話題かピンとくるかもしれない。米津さんの新曲が良くて、MVが豪華すぎるのだ。私は高校生の頃から彼の音楽を聴いているが、まさか羽生結弦君と共演するとは思わなかった。今回の新曲がフィギュアスケートを題材にした漫画原作のアニメの主題歌な為、それっぽいMVが来るかと思いきやド直球で大型ミサイルが放たれたようだ。元々曲自体の長さがフィギュアスケートのショートプログラムで使える長さと言うのは何処かで見聞きして知ってはいたし、米津さんファンの間では『米津さんがフライングシットスピンを習得するのに時間が掛かってMVの公開が遅れているのでは?』など冗談みたいなことが囁かれていたのだが、ガチのメダリストが来てしまった。羽生君は元々、ハチ時代から米津さんを応援して推していたと言う。彼がもう三十歳と知って今の自分の年齢に眩暈を起こしそうになったのはまあ置いておいて、彼は丁度ニコニコ動画のボカロ界隈が大賑わいだった頃の視聴者らしい。きっとリンネとかマトリョシカとかパンダヒーローとかドーナツホールも聴いたんだろう。米津さん自身は今回の新曲を描き下ろした切っ掛けとして漫画『メダリスト』の大ファン(と言うか半ばオタク)である事を挙げ、アニメ化の折に逆オファーしていると言う。って事は米津さんの関係者の何方かが原作者サイドの何方かに『うちの米津がつるま先生のメダリストに主題歌を提供したいと申しておりまして…』とか言ったんだろうか。『うちの米津が』とか人生で一度も言わないようなフレーズである。
一米津さんファンである私は最近、自分を『米民』と称する。某SNSでフォロワーさんの多い米津さんファンの方が使っているのに倣わせてもらっている。米の民と書くのが非常に良きファンとしての自称名称だと感じてのことだ。今回札幌ドームでのライブに参戦して、米民は民度が高いなぁと思った事が非常に多かった。私はアリーナのかなり良い席が当たったのだが、皆さんマナーをきちんと守っているし、演出の為に敷かれた『光物(ペンライト等)うちわ禁止令』は厳守している。スタッフさんの対応も良かったし、今回も非常に楽しく参加できた。私も一米民として金テープ(ライブ中に降ってくる奴)の集中砲火を浴びたた為、自分のぶんを確保したら残りは周囲の方へお譲りした。入場で困っていたらしき高齢のご婦人たちの疑問にも答えた(入場券がどうやったら出てくるのか分からなかったと言う)。退場の時も米民はスタッフさんの指示に従うし、私と同じように金テープの集中砲火を浴びたらしきお姉さんが大量の金テープを持って「欲しい方いませんか〜」と周囲に呼びかけ譲っていた。
ただ、ひとつだけ意見させて貰えるなら今度のライブツアーは温かい時期に開催してほしい。札幌ドームから最寄り駅に行くまでに同じ方向へ向かう人が多過ぎて1時間半ほどかかり、真冬なので遭難している気分になったのだ。結構ガチ目に震えていた。そしてもう少し早い時間帯に開催してほしい。帰宅が夜11時を回ったので。
さて、話題を変えよう。私は現在と或る企業様と就職のお話が進んでいる。今週企業実習が決まっているのだ。あくまでも『ただの実習』であり雇用が前提のものではない。のだが、この前ハローワークのみどりの窓口の職員さんに実習が決まった事を伝えたら『おめでとうございます!』と言われた。まだ内定をもらったわけでもないのにと疑問に思ったが、同じ週に精神科のいつもの通院があったので主治医にその事を言ったら『…ああ。実習もなかなか決まらない人の方が多いですからね』と彼は微笑んでいた。そして『頑張って』と言われる。今回の求人は障害者枠で、かつ就労移行支援事業所などの関係機関との繋がりがある人限定の求人だ。職種は販売。また販売員である。事務職なども考えたのだが、私の場合身体を動かさない仕事じゃないと確実に就業時間中に寝る。一度見学に行った企業様は環境音が非常に静かで動きも無い業務だった為、『これは確実に寝る』と思って応募を止めている。
今回の実習では実際にお店で働く事になる。久しぶりに店員側としてお客様の前に立つのだが、以前より全然緊張しない。何せこっちは二年以上お客様の前に立ち続けておりますので。声を掛けるのも掛けられるのも怖くない。最近の私の強みの一つは『物怖じせず笑顔で声を掛けられる事』だ。緊張もあまりしなくなった。お客様の方も此方に完璧を求める人はそんなに居ないと気付いたからである。お客様は気持ちよく買い物が出来ればそれで良くて、その時の店員の対応が悪くなければ(つまり最低限笑顔で目的の品物を提供できれば)それで良いのだと分かった。
勿論完璧を求める事は出来る。明るい笑顔で朗らかに、きちんとした敬語で対応し、最高の対応が出来ればそりゃあ理想形だ。でも私はそれを追求し過ぎた余り、前職を辞めることになっている。『完璧な接客が出来る最高の販売員』になろうとして無理を重ね過ぎた結果だ。楽しい仕事だったし、辛い事も込みで大好きな仕事だった。自分を指名してご来店くださるお客様が複数いらっしゃるとか、販売員冥利に尽きると言うもの。でもそれらは総て他の色々なものを犠牲にした上に成り立っていて、そのうちの一つに『私の心の安定』が含まれていたのだ。常に完璧で最高で居なければならないと思い行動し続けていた結果が去年の二月に訪れた精神科医からのドクターストップだ。
今はもう、自分に完璧を求めないことにしている。完璧じゃない自分を、何も生産出来ない事もある自分を許せるようになった。完璧じゃなくても、最高じゃなくても私は存在していて良いし、そもそもこの世界に存在している事は私が望んだものじゃない。
誰も、産まれたいと願う事は出来ないから。
勿論、生き続けたいと思うのは私自身なんだけど、何だろう、自分が『此処に居て良い』じゃなくて、産まれちゃった以上生きて行くしかないし、死ぬのは怖い。以前は直ぐ『消えたい』とか『此処に居ちゃいけない』とか思ってたけど、望んで生まれていない上にやりたい事は今のところ尽きる気配も無いので、生きることにした。そして創作する人間あるあるなのが『何も書いたり作ったりしていない自分が許せない』だと思うんだけど、私は現在『何かを生み出す事は義務じゃないな』と思っている。それを仕事にしているのなら兎も角、私は個人的な趣味として創作に親しんでいる。楽しむ為に創作をしているんだから、自分を苦しめる程やらなくてもいい。それでフォロワーさんが『最近更新ないな…他の人の方が投稿頻度高いしな…』と離れて行ったとて、またいつか投稿したら戻ってくる可能性もあるわけで。何よりも優先したいのは『私の心が安定して、健康を損なわない程度に楽しめる状況』なのだ。趣味に命を懸ける事に向いていない人間なのだ、私は。
と言う訳で、最近だと何も生産せずぼけーっとする時間も増えたし、生産するのではなく興味がある分野の情報を摂取するとか、作品にしない心算の妄想に浸るとか、ひたすら自分の『愉しみ』と『楽さ』を優先して行動している。結果、とても楽になったし生きているのが楽しい。
何歳になったからこうなっていなきゃいけないとか、この歳でそれするの? とか、普通はこうでしょ? とか、あまり思わなくなった。だって、私以外の誰かは私じゃない(注、ゲスの極みは関係ありません)。私の人生は私以外に歩めないし、較べたところで比較対象も困るだろう。ただ、『こんな感じで生きていきたいなぁ』と言うふわっとした感覚だけ持って生きている。まあ、時にはしっかり将来を見据えた方が良い場合もあるけど。でもふわふわっとしている部分としっかりした部分、両方あると私は生きやすい。
最近、長年のブログ仲間の方が非常に悩んでいる様子を読んでは画面の向こうに行けたらなぁと思う事が増えた。彼女の状況を良くする術を思い付く事は残念ながら難しいけど、話を聴く事は出来るし、文字じゃなくて声で話せたらいいのにと思うのだ。オフラインの友人達よりも長い付き合いの彼女は現在、凄く苦しんでいる。でも画面に浮かぶ文字に表されていない本音とか、彼女自身が書きたくないであろう事を考えた時、どんな言葉を掛ければ良いのか悩んで、結局何もしない事が多い。貴女の現実を変える事が出来なくて本当にごめんなさい。
…まあ、此処で謝罪するのも私の自己満足なんだけども。辛い時に貴女の言葉に救われた私は、貴女を救えるだろうか。本気で悩み、苦しんで、それでも生きている貴女を誇りに思いますとだけ、此処に書き残しておく。もし余裕があったら、あったかいお茶を淹れてゆっくり味わってみてください。
▼2025/02/23:夢のような世界を、ほんのひと時構築できる人に就いて。
米津玄師さんの初のドームツアーライブに参戦してきた。すっごく良かったし、夢のような世界を約二時間半味わった。彼のライブは当日になるまで何処の席になるか分からない仕様だ。私は今回最前列でこそないが、かなり良い席が用意された。中心の通路に近く良く見える席で、ステージから10メートルも離れていない。初のドーム参戦だったので軽食を摂り(シナモンチュロスをもぐもぐした。本当はプルダックポークのホットサンドも食べたかったが目の前で売り切れた)、いざ開演したら米津さんは白い洋服に身を包み、黒髪は無造作なセンターパート。歌い始めの挨拶も曲も歌もバッグのバンドの皆さんの演奏も、ダンサーの皆さんの踊りもどれもとても良かったのだが、終わった今、あれは夢だったんじゃないかと記憶が曖昧なのは何故だろう。
大好きなアーティストが目の前で歌い、話し、演奏し、時には踊る。そんな光景はなかなか見られるものじゃないからだろうか。米津さんのライブはいつも、夢の世界へほんのひと時だけ連れて行ってくれる。その切符を得るのも大変になってしまったけれど、やっぱりその世界を味わいたいからまたきっと応募するし、繰り返しCDを買って曲を聴く。
今回購入したグッズは『いきものショルダー』だ。丸い黒いあの子のポーチである。ショルダーストラップがついていて、何処にでも連れて行ける仕様だ。これからもう少し暖かくなったら色んな所へ連れて行きたい。その時はうちの子達皆で美味しくて可愛い物を食べに出掛けよう。
ちなみに、初めて札幌ドームから駅までの帰り道を歩いたわけだが、死ぬほど寒くて遭難したかと思った。もし次回以降開催されるのであれば、もう少し暖かい時期でお願いします。帰宅が23時を過ぎたので本当に寒かったです。現場からは以上です。