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▼2025/09/23:醒める度に続く夢、何故あんなにも鮮やかに

飲んでる眠剤の副作用の話。
前にも書いた事なんだけどさ。デエビゴって薬が『悪夢を見る』『夢がはっきりする』『夢をたくさん見ていてそれを覚えている』って言う副作用が現れやすいとされてる。私も良く夢を見るしそれを覚えてる。でも最近少し方向性が変わった夢を見る機会が何回かあった。
前提として私は腐女子でBLが好きで二次創作が大好きで、どんなものでも作品を楽しんでいるとつい妄想(症状じゃない方の)を始めるタイプ。二次創作活動をしていない作品でも話の展開とかキャラクターに着いて考察と妄想が自動的に始まるし、作品とか次元の垣根はぶっ壊してクロスオーバーさせて最終的に自分以外が楽しめない内容の妄想で悦に入ってる痛い感じの人間。
で、好きなキャラクターとか作品の情報が夢にも表れるんです。そうなると好きなキャラクターと会話ができたり、一緒に事件を解決したり幼児化したキャラクターの世話をしたり出来るんですよ。勿論自分は関わらず見ているだけのこともあるし、こう書くと語弊が生まれそうだけど、夢を見ながら二次の夢作品に浸っているみたいな感じ。
此処から本題。自分でハマってる漫画作品の一番好きなカップリングの受けがショタ化して、攻めと一緒にお世話する夢を見ました。しかも『こうなったら本当に嬉しい』と思う展開への選択肢を自分で選べた上に、一度目が醒めた後で続きを見たいと思って二度寝したら本当に見られました。最近そう言う事が続いてる。
他にも自分がお迎えしたいお犬がまた夢に出てきてくれて「ママ!」って私を呼んで腕に飛び込んでくるの。尻尾をブンブン振って嬉しそうに駆け寄ってくる。彼女を抱っこして何でか猫カフェに行くんだけど、お猫には甘噛みされてお犬は「ママはわたしの!」って怒る、みたいな。
他にもハマってるYouTubeチャンネルのキャラクター達の日常に関われるとか、一番こうなってほしいって展開が夢の中でご用意される。この傾向は昔からあったんだけど、デエビゴを飲み始めてからかなり強まった。目覚めた時に『あれは夢だったのか』って不思議に感じるくらい。随分とリアリティのある設定で、でも夢じゃないと有り得ない展開ばかりではあるんだけど。この前見た夢が良すぎる設定で、自分の脳のどこかが考え出したんなら素直に拍手喝采したいくらいの神的展開だった。その作品内でそう言う事が起きたらいいのにって何度も考えた展開と設定で受けは本当に可愛いし攻めは格好良いしで、朝から充実してて仕事に行きたくなくなるくらい。
かと言ってずっと寝て居たいわけではなくしばらくしたら『良い夢見た』って活動し始める。しっかり睡眠をとれた実感もあるから疲れも残ってないし、昼間に眠気もない。悪夢を見る事も勿論あるけど、こんな明晰夢めいた面白い夢を見る機会が最近多い。Youtubeチャンネルのキャラクター達が出てきた時は漫画絵の筈が何でか実写化されてて驚いたけど。
元々何でも面白がる性質なのもあるんだろうか。トラブルが起きるとパニックになる事より『面白い事になった』と感じる事の方がどちらかと言えば多い。そう言うタイプの人間とは相性がいい薬だったりして。
長い映画みたいな夢を連続して見る事もあるし、同じ光景を繰り返し見る事もある。願望の表れだったりするかもしれない。たまに居るじゃん、夢に夢見過ぎてるタイプの人。私多分それだよ。
この妄想とか夢を見る事が症状なのかは分からないし、今の所何にも支障が出てないから症状と呼ぶべきでもないかもしれない。でも面白いよ。好きなキャラの望む展開を自分専用のディスプレイとかデバイスをご用意されて見られる感じだし。おまけに自分で作り出したって感覚も無くなるからね。完全に自分の癖を理解した誰かが生み出した作品を独り占めできる。そう思うと、創作活動やって妄想力を鍛えるのも悪くはないかなって感じがする。

ちなみに今執筆準備してるのは夢とは関係ないけど、他の二次創作作品で滾った物があって触発された形になるのかな。不思議だよね。触発されてるのに展開は全く別なんだから。何にせよ界隈では『魔改造の女』と呼ばれてる。自分が面白いと感じた作品の要素を更に自分仕様にして書いてしまう。まあそもそも二次創作なんだから大なり小なりそう言う物だと思うけど。何処までが私が考えた内容なのかな。勝手に指が書いたんじゃないのって時もあるから。自分で書いたにしては出来過ぎた文章が生まれる時、両手の十指はそれぞれに思考を持っているかもしれないなんてそれこそ行き過ぎた妄想だ。

▼2025/09/22:爪を紅で染める季節、果実と一緒に霜がふる

私がそうかもしれないというのは置いておいて、社会不適合者を略して『社不』って呼ぶようになったのっていつぐらいからなんだろう。この前気が向いて検索して診断を受けてみたけど、そもそも論、適合してる人の割合ってどのくらい? 適合してるって言うゾーンはどの辺りから? とか色々考えてしまう結果だった。
他にも適職診断で『芸術家』とか『クリエイター』としか結果が出ない人も多いらしいけど、本気で芸術系やってた人間からするとクリエイト系の仕事に就こうと思うとかなりのコミュニケーション能力を求められる事は覚えておいた方が良いと思う。打ち合わせとか提案とか意見のすり合わせとか、何かしらの対人能力が必要。ツールは何であれ相手とのやり取りが難しいなら芸術系は厳しいんじゃないかな。
ちなみに私の適職は前にも言った『一般事務』の他に『販売職』『教師』『保育士』『自然科学の研究職』があったりします。誰かに何かを教える為に勉強することが苦にならないのと、ものを説明して飲み込んでもらうのが得意だかららしいです。でも一対多数は難しいし想像がつかない。どっちかって言ったら少数を相手にそれぞれに特化した勉強法とかを考えて教える方が面白そう。

こないだADHDの確定診断が出ている人が言ってたんだけど、所謂社不の人は『メモを取ろうと集中すると何を言われてるか分からなくなる』らしい。だから仕事での電話対応なんて絶対無理だしやりたくないそう。私も電話が苦手だと感じ続ける人生だったんだけど、今日それがひっくり返った。
今の仕事だとたまーに電話を取らないといけないタイミングが発生するんだけど、今日は同じブースの別テナントさんの電話に急遽対応しないといけなくなって、腹を括って出たんだよね。商品の在庫確認諸々だったんだけど、何でかかなり巧い事対応できてしまった。メモを取りながら話を聞いて相手の言ってる事を復唱して、必要な情報を全部聞き出して、在庫と希望している数量を照らし合わせながら商品の使用期限も確認しながら確保してた。一度他店に確認しないといけなくて、そっちは先輩にやって貰って、同時に別のお客様の対応もきちんと出来た(調べものの為に一旦保留にしてたから)。で、結局ほぼミスもなく対応出来ちゃったわけですよ。そんで一気に苦手意識みたいなのが剥がれ落ちました。
何で電話対応が苦手だったのかって言うと、初めての職場で電話の相手に何度か怒鳴られる事があったからなんだよね。電話に出る事は或る種怖い事だと思ってトラウマになったからなんだけど、仕事は仕事としてやらなくちゃいけなくなったら出来た。って事は『苦手だけど嫌いではなかった』んだと思う。
たまに聞く話なんだけど、どこかのお店や病院(歯医者とか)の予約やその取り消しや変更が苦手って意見にはあまり同意できなかった。やらないと自分が困るだけだから平気と言うか。何だろう、思い込みの一つもあったのかもしれない。
人と関わる事を好きになれたのはいつからだろうか。いじめで一回心が壊れかけて、その後もう一回壊れそうなタイミングがあったのに、どうしてか周囲には必ず味方になってくれる人が現れる。傷つけてくる存在と同じかそれ以上に助けてくれる存在が居てくれたから生きて来られた。それなりに人生が楽しいのは確実にそのおかげで、気付けた後は自分が助ける側に回ってた。でもこれって運とか巡り合わせの類なんだろうな。
最近自覚したと言うか言語化できたんだけど、私は『強めの弱者』なんだと感じてる。弱者って言うのはつまり『社会的な弱者』って事なんだけど、障害者手帳を持って専用の雇用枠で働いてて、月に一度以上の通院が必須となると『強者』とは言い難いと思う。でも必要な支援に繋がる情報を得るツールが使えたり、自分から苦しみを発信できるし病院とか行政にも一人で頼れる。就労移行支援とか最たる例だし、あの場所を紹介してくれたのは専門学校の先生の繋がりで出逢った相談室の人だった。そう言う支援者さん達にアクセスする手段がある時点で『絶対的弱者』ではないと思う。
少し前から『最優先に支援が必要な弱者は、救いたいと思う姿をしていない』みたいな意見を見聞きする。それとも少し関係してるけど、私に助けの手や支援の手が比較的スムーズに伸びてくれるのは『最優先に助けるべき弱者じゃないから』なんじゃと感じる事が増えた。救いたいと思う姿をしていないって、醜いとかじゃなく『支援を受け容れる態度をとらない、自分を侮るなと怒る事もある』とかが該当すると考えてる。負けたって感じるのかな。素直にその手を取れない人がいるのは確かだけど、素直にならないと助かる人も助からないよ。
こうやって書くと『弱者』とされる人達を中傷してるみたいな言い方になるのが嫌だ。遜ったり自分を下げまくる必要はない。でも、助けてくれる人に感謝したり、素直に支援の手を頼るのは負けじゃないし、寧ろ勝ちだと思う。産まれたから一生一人で生きるなんて、強者であっても誰にもできないんだから。

で、冒頭の話に戻るんだけど『社会不適合者』って言うのは本当はすごくグラデーションになってるんじゃないかな。私にもそう言う要素は確実にあるけど、白と黒なら確実に白寄りのグレーゾーンに居る。だから『頑張ればできる事』と『出来るけど疲れる事』の間に色んな項目を抱えてて、一つ一つ潰して行ってる。『まったく苦にならない事になる事』は多分ないけど、少なくとも出来る事は増やせてきたんだ。
その一つが電話対応なんだと思ってる。やっぱり、経験とそれに裏打ちされた自信が無いと出来るようにはなれないんだ。だから私には発達障害の診断が下りないし、必要ないんだよね。そしてこれからその自信を育てていけばいいんだ。
ちなみに社不のテストの結果は『社会不適合者の要素:0%』でした。何にでも適応できるってさ。良かったね私。

▼2025/09/18:異色の琥珀、稀なる紺碧

幼い頃からずっと両手を酷使している。物を作る、書く、描く、塗る、調理する、読む為に捲る、写す為に押さえる、縫う為に抓むなどなど、指先から手首にかけて過重労働を強いている人生だ。ちなみに両手とも骨折した事があり、未だ可動域に制限があるなど結構ボロボロである。手術の痕跡がまあまあ目立つしメンタル疾患と相性の良くない箇所にある為、初対面の人は存在を認識しても訳を訊き辛いらしい(以前就労移行支援事業所の同期に元柔道整復師の人が居て、『解放骨折の跡ですか?』と訊かれたくらいで、ぶっちゃけ自傷行為の痕跡と思われる事がある)。しかし当の私はまったく気にしていないらしいと言うか、たまに存在を忘れる。具体的に言うと左手首と左肘関節の内側にそれぞれ十数針縫った跡があるのだが、内側にあると意外と気にならないから不思議だ。私自身よりも両親の方が気にしているらしい。『女の子なのに』と言われたのはその時が初めてだった。
右手の方はと言うと、傷跡は残らなかったが小学生の頃に車のドアに右人差し指を挟んだ結果パキッと折れた。今でも若干動かしにくい方向がある。利き手は右なのだが、特に問題なく使えているので幼い子供の回復力はすごいなぁと今更感心してしまう。
で、書き続けているとペンやら鉛筆やらを握り続けるわけだけど、案の定腱鞘炎を患う事になった。高校生の頃と就職してからも何度か整形外科に赴いている。多くのケースでは痛み止めの湿布薬なので症状を緩和して手を休ませつつ(つまりは作業量をセーブして)経過観察していることになるのだが、それだと駄目な場合、私は注射をお願いすることがある。腱鞘炎とは利き手の親指側の関節内部の腱が納める鞘のような部分が腫れて炎症を起こしているから腱鞘炎と書くのだが、それを緩和する(それも結構劇的に効果がある)のがその注射だ。ただしこれ、少なからず痛みを伴うし、それは治療する医師の腕にかなり左右されるらしい、と高校生の頃に思い知った。
その時は学校の紹介で(漫画研究部だったのもあり校医を紹介して貰った)と或る診療所へ赴いたが、診察してくれるのは80歳すぎのご老人。注射器を持つ手がプルプルしていた。ちゃんと針が目的の場所に刺さるのか、そっちの方が怖かった。この時、結構ぶっとい針が親指の付け根の関節に捩じ込むように刺される。結果としてきちんと刺さったし、薬は注入されて、一週間ほどかかって痛みはほぼなくなった。しかし注射の後は手首と親指の根元が腫れてとんでもなく痛いし、丸一日水にも濡らせないしでトラウマになるくらいの出来事だったので、暫くは加減して両手を使っていた。
時は流れ社会人になってから、事務職で手を酷使してしまった結果腱鞘炎が復活。再び湿布で急場をしのぐも結局は注射での治療を選んだ────しかし、その時受診した病院の先生に『神的に腱鞘炎治療の注射を打つのが上手な先生』がおられたのだ。診察の後、注射での治療を怖がる私に彼は何と言ったと思うだろうか。

「大丈夫。僕、上手だから」

これを執筆している現在なら既視感を覚える台詞と共に、先生は注射器を構え、真っすぐに関節に突き刺し、薬を注入した。針が突き刺さった瞬間だけ痛みを感じたが、その他は全く痛くなかった。
薬液が注入されて患部に染み渡る感触のみを覚え、刹那に炎症由来の痛みそのものが無くなる。とんでもなく上手な先生だったのだ。「本当に痛くないです。薬液って冷たいんですね」と私が言うと、「でしょ。もうちょっとかかるけど、頑張ってね」と笑顔を見せる。この時私は先生が神様に思えた。
結構な量の薬液が注入され、針が抜かれて傷の処置を施され、その後の注意点などを聞いたのち診察は終了する。そしてお会計の時、受付のお姉さんは「良かったですね〜。あの先生うちの病院で一番注射が上手なんですよ」とこそっと教えてくれた。
さて、皆さんは先生の台詞にどんなキャラクターヴォイスを当てただろうか。私はこの時の事を現職の店長に伝えた際「五○悟w」と言われた。つまるところ『CV:中村悠一』である。ちなみに狙って言ったわけではない。あの時先生は本当に上記の台詞を述べたし、多分だけどあの頃呪術○戦は連載前だ。
まあそんな神医者が存在する整形外科に出逢えたのは幸運である。その後は先生の指示や言いつけを守り生活しているおかげで腱鞘炎の影くらいは見えても直ぐに対処して湿布も要らない状態を保てている。
具体的に言うと『手を酷使しない』に尽きるのだが、長時間の作業が予想されるときには小休憩を挟み手のマッサージやストレッチを取り入れている。お陰で此処五年ほどは整形外科に通院していない。
以前『舌回し運動』の事を書いたが、両手をいたわる為に行なっている事も書こうと思う。基本的に私はキーボードを打ったりイラストを描く際には最低でも30分に一度は手首や指の付け根、腕のツボっぽい所をマッサージしてストレッチするようにしている。
腕を伸ばし、もう片方の手で伸ばした手を抑えて腱や筋を伸ばすのと、手首から肘にかけてきもちいいと感じるくらいの強さで押さえるようにマッサージする。序でに肩凝り防止で首の筋肉も伸ばしたり首の裏側を伸ばすようにしている。これが習慣になって頭痛や肩凝りが劇的に減った。両肩を竦めてグルグル動かすのも良いと思う。人生で一度しか与えられない身体をケアしておくと、大きな不調には陥りにくい。
思えば筋トレを始めてから腰痛に悩まされる事が激減した。頭痛に関しても両方の耳をマッサージしたり、回す事で其処まで大きな不調に陥る事も減った。身体はある程度動かしておく方がいいんだなと感じる。筋肉量も或る程度維持しておきたいし、何より、鍛えていると目の前に現れた理不尽(主にアレなお客)にも内心で『殴り合ったら私が勝つんだからな? お前が客じゃなかったら既に鳩尾に一発入ってるぞ?』と思うと不思議とそこまで心に波は立たない。
そう、筋肉は全てを解決する──と言うのはさておき、最近あまり心が荒れない事に気が付いた。凪いでいるわけでもないが、気付いたのだ。『目の前の理不尽に心を乱されている時間の方が勿体無い』事に。人生や心のリソースを嫌なものの為に割きたくない。ので、もし乱暴な物言いのお客やいきなり失礼なレベルのタメ口を聞くお客には心のシャッターがガラガラッと下がって最低限のサービスしか提供しないようにしている。下手に出ろとは言わないが、人として最低限の礼節を弁えるべきなのは、何もサービス事業者ばかりではないのだ。販売員も人なので、より良いサービスを提供するなら好ましいお客様を優先したいのが正直なところ。
ので、自分が客側に回ると良いお客でいたいと強く思う。その時礼節を弁えていない店員に当たると悲しい所だが、まあこれも勉強の機会であり、『自分ならこうするかな』と言う脳内シミュレーションをしておく。で、それを仕事に活かす。
この前、うちのお店で仔犬をお迎えしたお客様のご相談に乗って話が弾んだ結果、ご飯やおやつも当店で買ってくれるようになった方が増えた。一応記憶力が良いのでワンちゃんの話も覚えているし、商品をお勧めしたりご飯の食べさせ方を色々とお伝えしたらまたたくさん買ってくれたしクリスマスケーキ(わんこ用)も予約してくださった。
相変わらずと言うか、お年寄りや年上の女性への受けが良いタイプのスタッフである。母曰く『孫オーラ』を纏っているらしい。そして甘える方の孫じゃなく頼れる方の孫オーラらしく、声も大きく聞き取りやすいし元気が良いのでお年寄りには適している接客なんだろう。
そんなこんなで毎日遣り甲斐を感じつつお仕事している。働く時間が伸ばせた関係で賃金も上がるので、このままいい感じに働いていきたい。こう思える心の余裕は、恐らく趣味の筋トレを含む運動のお陰もあるのだ。良くも悪くも寝たら大体の事を忘れられる性質なので、適度な疲労の為にもと積極的に身体を動かしている。
今年が終わるまでにあと5キロくらいは体重を落としておきたい、と言うのが当面の目標だ。案外達成できそうな気もする。毎日それなりに動く仕事内容且つ、身体を動かすのがストレスコントロールだから。


▼2025/09/12:毒も過ぎなかったら薬だよね

『毒にも薬にもならぬ』って言われたらもうしゃあないけど。
薬を毎日飲むようになって早十六年。メンタルの薬ってこんなに長期連用しても良いように作られてるのって凄いなぁと素直に感心する。まあ服用し忘れて大変な目に遭う人の方が多いから、そう言う仕様じゃないと困るんだけどね。
長年メンタルの薬をほとんど忘れずに飲む事が出来てるのは、飲み始めの頃からお母さんと努力した+就労移行支援事業所で『薬の服用をついサボってしまう、忘れてしまう』で大変な人を多く見てきた×初めての職場が調剤薬局の数式が当て嵌まると思う。
メンタルの薬を飲んでると副作用が大変だって話をあちらこちらで本当に良く見聞きするんだけど、確かに私も合う薬を探すのに数年かかったからあまり軽く見てはいけない問題だなと思う。おまけに精神疾患ってなかなか診断が定まらない人も多いから、一度出された薬が症状に合ってない場合も少なくない。多分、私の薬が此処まで合うようになったのは専門学校を出て就職活動ができるようになった頃くらいだよ。それでもたまに薬があってないかもしれないって思う事あるし。
ちなみに、薬が合ってるからって劇的に元気で活動的≠ノなれるわけじゃない。私は外交的な方だし知らない人に話しかけるとか初対面の人と会う事にワクワクするタイプだけど、それはあくまでも性格だから。元々の性格の部分は薬で矯正できない部分の方が大きいと思う。多分。
で、活動的過ぎても逆に多少なりとも周囲との軋轢が生まれたりするんですよ。元気すぎる子供とか普通にうるさいしね。人によって性格が合う合わないは当然あります。ただ、それが病気や障害の所為でデバフがかかってた場合に幾らか改善されたりって事があるだけ。
昨日たまたまニュースで見たんだけど、愛知県(だったと思う)に成人限定の発達障害外来が存在していて、かなり込み合っているらしい。予約を取るのも大変で、それでも診て欲しい人達は絶えないんだって。大人の為の発達障害外来だから、これまで見逃されてきた人たちが殺到するんだろうね。
前にも書いたけど、私は発達障害の観点から見るとかなり微妙な立ち位置にいる。限りなくグレーゾーンの、困り事があっても自分や周囲の人の協力で如何にかできちゃうから診断がつかないってレベルの人間です。確かに片付けは苦手だし昔は忘れものと遅刻のオンパレードなある種の困った問題児だった。授業中に空想の世界に飛んで落書きしたり手遊びはしょっちゅうだったし、クラスで一人だけ毎日のように忘れ物はするし、夜眠れなくて朝起きられないから遅刻魔、かつ授業中は居眠り魔。所謂器械運動が苦手でマット運動とか跳び箱は出来たためしが殆ど無い。球技とかも悲惨だよ。まずラケットにボールが当たらないし、ルールも覚えられないからね。一番苦手なのは水泳で、顔を水に浸けるのも嫌だった。
書き連ねてみると大分指導しづらい子供だな。でも、出来る事は周囲よりもとびぬけて出来た。絵画の賞は毎年十個以上受賞するし、上位の賞を獲って新聞に載ったり副賞の画材や図書カードで荒稼ぎしてた(年間3〜4万円くらいは稼いでた)。記憶力も良かったもんだから、暗記科目ではテストで満点を取ったり、調べもので力を発揮することも多い。記憶力が良いのに忘れ物が多いのは謎だけど。
で、こんな風に書いていくと結構発達障害っぽい要素が多いんだよね。恐らくだけど、今現在困り事が殆ど無いから診断がつかないだけで、そしてお母さんや周囲の人に恵まれて『療育』みたいなものが受けられたから或る程度矯正出来ちゃっただけなんだよね。
昔から自分で納得できない事をするのが苦手だった。これって意味あるのかって考え(過ぎ)ちゃう癖もあるから。でも今は『意味が無くても必要があるとされる事はある』とか『自分にはなくても他人にはある場合もあるじゃん』
って考えられるようになれたから出来るようになった。
何て言うか、自分の考えと目の前で起きてる事を一旦切り離す感じ。で、後になって意味がある事に気付く事もたまにある。勉強とか長期休みの宿題とかね。ああ、これ社会に出た時に必要なスキルの一つだったわと気付いた事も何度かあった。
そんで話を戻すけど、薬もある意味『これ飲んでる意味あるのかな』の連続だと思う。初めは特に。でも時間の経過とともに症状が改善したり、一定期間服用したからこそわかる『合う合わない』や『丁度良い服用時点や服用方法』がある。どんな病気でも飲む前から合う合わないがはっきりとわかるケースはそんなに多く無いんじゃないかな。腎臓の病気で飲水制限がある人に粉薬はマズいとか、爪水虫の治療中の人に合わない眠剤が結構多いとかは別として。
だから、考えないで飲むのはあまり宜しくないけど、考え過ぎて服薬を勝手に辞めてしまう事のリスクの方が多分大きい。
……まあ、その辺を相談しても話を聞いてくれないとか改善しようという意思が見られない医療従事者に当たるのは悲惨だけど……精神科って他の科とは別のベクトルで相性が大事だから。
これは私が比較的都会に住んでるから言えちゃう事なんだけど、もしそんな医療者に当たったら変えちゃった方が自分の為だと思う。私もそれで転院してるし。後は正確な薬の知識をつけて、ある程度主治医とバトル出来るようにするとか。今ってさ、ネットで医薬品添付文書とか検索できちゃうし疫学も調べられるんだよね。本屋さんとか図書館で調べてもいいと思う。つまりは医療従事者が言ってる事の正確性を患者側がある程度ジャッジできちゃうから、医療者は油断禁物なんだけど。

私が今飲んでる薬で困ってるのは食欲が増して肥りやすい事と、眠剤の影響で寝る直前の記憶が無くなる事、そして『妙に夢がはっきりする』事。
いま主軸で飲んでる眠剤がデエビゴって言うんだけど、比較的新しい薬で広く知られる副作用が『悪夢を見る』なんだよね。はっきりと言われてるのがちょっと笑えるけど、この薬は浅い眠りを減らして、深い眠りとレム睡眠と言う夢を見る時の眠りの時間を増やすタイプの効き方をする。だから夢をはっきり見る人が多いし、夢を覚えてるくらいはっきり見るって事は悪夢の可能性も増える。私は現実に起きて欲しくないと考えている事に限って悪夢を見る。そんで起きた時にリアルに『…ハッ!…夢か…』をする事になる。結構怖いし嫌なんだけど、起きて暫くすると忘れちゃうからあまり気にしてない。逆に言うと『気にならない程度の副作用だから飲み続けられる』と。よく見る悪夢はメイクが巧く出来ないとか、仕事でミスするとか、何か大切な約束に間に合わないとか、スズメバチに刺されるとかかな。こうして文字にすると結構アレな悪夢だけど。
悪夢じゃなくても夢の内容がはっきりし過ぎてて、起きた時現実だったんじゃないかって思う事が多い。あまりにも現実染みたリアリティのある夢だから、記憶のどこかに存在するんじゃないかって結構思う。でも、絶対に何処かが違うから区別が付く感じ。
記憶違いって多くの人が経験してると思うんだけど、それくらい想像力が豊かって事なのかな。夢の中のクオリティって想像力が少なからず寄与してそう。つまり、妄想するのが好きなオタクは大体が想像力が豊かだってことなんだろうけど。
統合失調症ってさ、妄想──所謂『被害妄想』が症状のひとつじゃない。私も一時悩まされたけど、今は『これは妄想だ』って判断つくし『考えが飛躍してるな』って自覚も出来る。で、『妄想した理由』とか『考えが飛躍した理由』を考えると大抵『自分に余裕が無い』か『肉体や脳味噌が疲れてる』んだわ。となると適切に自分を甘やかしたり疲れをとる方向にシフトする。主にお風呂に入って好きな本を読むとか音楽を聴くとか、歌って発散するとかだけど。其処で少し回復出来たら取って置きの時短アイテムで身体を綺麗にして、余裕が生まれたらフェイスパックをして、いつも通り髪を乾かして寝る。以上。
ちなみにこれも出来ない時は只管おばあちゃんに頼って家事を丸投げし、自分はごろごろしながらスマホで好きなもの(特にお犬とお猫)を見ます。ぶっちゃけ薬は後付けと言うか。

発達障害の話に戻るとさ、特性を持ってる人って脳が完成するスピードが一般的な人とは違うらしいんだよね。そして脳内の回路も違ったりするから普通とされる人とはどうしたって能力のパラメータが違う。今の時代は『普通の人』に求められる能力値も高すぎるし、うまくいかない人が多いのは何となくわかる。でもだからって昔に戻りたいかって言われたら絶対に嫌だって私は思う。今の方が楽しいし自由だもん。

それくらい恵まれてる立ち位置に居るって自覚しつつ、謙虚に生きていきましょうか。


▼2025/09/11:喪いながら生きる私は、犠牲を活かして生きている。

デュオリンゴで勉強始めて、277日経ったらしい。今日もデイリークエストは回収済みで、何だかんだ毎日続いて今がある。始める前は『これ本当に続くのかな』と思いもしたけど、意外と続いてる。下の記事でも書いてるけど記憶力が結構いいのもあって単語の綴りとかも忘れてなかったり、他の媒体で出逢った事ある単語に関連付いていれば初めて出題されても大体は答えられるようになった。それでも今は英語辞典の入った電子辞書が欲しい。スマホで総てをカバーしきれない時もあるから。
勉強序でに英語の曲を聞く事も増えて、最近だと外国ゲームのファンメイド曲にハマってる。どうしてか飛行機事故の再現動画に使われがちな『FNAF』の『Never Be Alone』とか、YouTubeでよく見た『That’s not my Neighbor』の『Open The Door』とか。
SNSで一時『バイオハザード』のダブルパロディシリーズを書くのにハマってた事があるんだけど、作中にそれっぽい英文を組み込むのも楽しかった。完全に習ったばかりの言葉を使いたいだけの中二病だったけど、あれはあれで楽しい。他にも二次創作で外国映画のダブルパロディを書いた時もそれっぽい英文とか固有名詞を考えて載せてた。元々苦手意識が少ないんだろうね、とたまに言われる。多分幼稚園と小学校で比較的がっつり英語を習ったからだと思う。まあ発音は大抵カタカナなんだけど。
最近、デュオリンゴで英作文問題も出るけど、時間はかかってもそれなりに正しい文法で書けるようにもなって来た。このやる気が高校生までに出てたらもう少し成績も良かったのかな。今からでも遅くはないか。やる気になれるだけ幸運だと思うし。
ローマ字入力は小学生の頃に叩き込まれたおかげで脳内で直ぐに変換できるのに、英語をパソコンで打とうと思うと途端に速度が落ちるのは仕方ないのかな。ブラインドタッチ殆ど完璧になったけど、英語だと見ながらじゃないと打てない。
そう言えばこの前パソコン買い換えの話をしたと思うんだけど、どうやらまだまだこのパソコンが頑張れそうなのでちょっとほっとしてる。後は年末の賞与がどれくらい貰えるかにもよっては、来年以降に買い替える可能性もあるけど。生きてるだけでもお金がかかる。でもそれが人間と言う社会的な生物のお約束なんだろね。
ちなみにブラインドタッチに関しては自分のパソコン以外ではあまりうまくいきません。多分脳じゃなくて身体が覚えてるんだろうな。テンキーの位置とか記号の配置が微妙に違うんだと思う。勿論見ながらの方が早く正確に打てるんだとも思ってるけど。
前に画面を見ながら打てなかった頃は手元を見て打って画面を確認するってタイムラグが発生してたんだけど、それでも今のブラインドタッチより早かったと思う。今でも調子が悪い時は手元見ながら打つし。今月でとうとうオタクになって書き始めてから20年目。小説を書き続けてきたのも或る種、継続力がある証拠になってるのかな。運動とか顔の体操とか、他にもいろいろあるけど、続いてる一番の理由は『楽しいから』なんだよね。うまく出来なかったことが努力でできるようになる過程が楽しい。
物づくりと同じかもしれない。形に出来てくると楽しいんだよ。調理も縫い物もイラストも、形になってきてからが一番楽しい。脳内で考えてる時も楽しいんだけど、目の前に五感を刺激する物体があると楽しさが段違いになる。
多分、それもあって実店舗でお買い物するのが好きなんだと思う。見て触れて、実際のそれが生まれた経緯を推測するのが好きなんだ。ネットショッピングも楽しいんだけどね。
初めて会う人とか、初めて見る物とか、初めて聴く音とか、ワクワクするものがある限りはお金よりも大切な時間を引き渡しますよ、私はね。

▼2025/09/11:報われたかい、少女の私。

今日も働いてきた。割りと楽しい一日だったように感じる。
私は比較的声量が大きくて挨拶する声が店内に響き渡るタイプなんだけど、普段から声のボリューム調節があまり得意じゃない。何故なら同居のおばあちゃんの耳が遠いから日常の会話の声が大きいって言うのが一つ。もう一つ、声が通りやすすぎるってのもある。小さな声でも通っちゃうタイプの声らしい。ちなみに小学生の頃には合唱部に勧誘された(強豪校だったらしい)。で、普段は自分の中でボリュームのレベルを二つくらい落としてお客様と話すんだけど、それでも挨拶ははっきりと大きいしその他の場面でも多分周囲の人達よりは大きい。んだけど、そのおかげでご高齢のお客様に好かれやすい。常に笑顔で挨拶するからなのか直ぐに話しかけられる。
今日は商品のサイズとかについて問い合わせをしたいおばあちゃまと、探しているものがあるけど見つからなくて、スタッフに声をかけられなかったらしいおばあちゃまから名前を覚えられた。大分前に名札の『研修生』の文字が外れて、苗字が載ってる。まあ此処では書かないけど、あまり多くはないけど覚えやすい苗字。で、「いつも何曜日にお店に居るの?」「また来るから色々教えてちょうだい」と言って頂けてとても嬉しい。お二人共たまたま同じ犬種のお犬と暮らしていて(身バレ防止で詳細は省く)、それぞれに愛されるお犬は幸せだろうなと言う愛されぶり。良いなあと素直に感じる。
プライベートではつい自分の事ばかり話してしまうから、接客の時はぐっと堪えて脳内のひろゆきに喋らせるか頭上にテロップを出すイメージでいるんだけど(序でに話す事を整理する)、それが功を奏するのかお客様が固定で着いてきた。全員おばあちゃまで、お犬を愛している。そんで長く一緒に暮らしているパターンが殆どだからシニアのお犬。となると内臓疾患とか運動量の問題とか関節の痛みなんかが付いてきちゃうことが多いんだけど、それに対応できるフードとかサプリメントや健康食品は豊富にある。とは言え疾患の種類によっては『医師への確認及び相談必須』だったり『そもそも対応できる商品が無いから素直に話す』必要も出てくるんだけど。でも、『売る気』を前面に出さない方が逆に売れる時が多い。本気でお犬やお猫の事を考えてお客様に寄り添う姿勢が一番効いてくれる。だから『うちの商品が適さない場合がある事を前提に』説明したり推奨できる他店の製品をこっそりお伝えすることもある。ぶっちゃけさ、売り上げに繋がるなら何でもいいとは思えないんだよね。お客様やお客様のご家族が幸せになれる方がいいに決まってる。その上で何かの時に『あのお店良かったからまた行ってみよう』『友人知人に勧めてみよう』って思い出してもらえればいいんだよ。

そんな感じで接客してたら何か固定客がついてきたんですね。嬉しい事だ。
ちなみに独り言もでかいタイプなので逆に話しかけやすいらしい。フレンドリーに思われるんだろうか。まあすべての人に親切にしてるかって言ったらそうじゃないんだけど。タメ口で失礼な事言われたら笑顔で心のシャッターを下ろして最低限の事しか言わないようにしてます。でないとフェアじゃないからね。此方の心を疲弊させてまで接客は致しません。ただ、親しみやすいタメ口のご老人とかは許せちゃうかな。愛敬って大切だなって良く感じます。
お犬やお猫が罹りやすい病気とか、年齢別の傾向とかも頭に入って来て、お客様に説明するのも慣れてきました。でも無理はしてない。分からない事が有ったら調べて頭に入れて置いて、時が来たら披露する感じ。どういう訳か記憶力が良すぎる時があるので、『何でそんなに詳しいの? プロって皆そうなの?』って訊かれますが、お犬やお猫が好きだから覚えられるんだよね。好きこそものの上手なれっていうか、好きな事に関する情報を蓄えるって面白いし遣り甲斐も感じる。で、褒められれば陰でガッツポーズですよ。

やっぱりね、この瞬間が一番嬉しいし遣り甲斐。お客様にお礼を言われるのってなんであんなに楽しいし嬉しいんだろう。お陰様で程良く頑張って働けてる。今月から働く時間数も徐々に増やしてて、若しかしたら時給も上がるかもしれなくて嬉しい。
障害者雇用だから配慮されてるのもあるけど、程良く忙しくて程良く暇なお店で、好きなものに程々にかかわれる仕事が丁度良かったんだな。前より自分の事を俯瞰視できるようにもなって来たし。
話が前後するけど、探してるものが見つからなくて困ってたお客様にご案内したら『実は他にもほしいものがあって』って言ってくれて、お犬の可愛さについて自慢されながらご飯やおやつもご案内して、結構な売り上げに繋がって店長にも褒められた。売り上げが上がる事は勿論、リピーター様が増える事はお店にもプラスになるからと。元々持ってた知識で適切な商品をご紹介したのが良かったらしい。ありがとうユーキャン。七年前の資格知識でも充分役に立ったよ。
こんな感じで毎日働いて、最近だと眠りも丁度良い感じになってる。北海道は大分秋めいてきて、仕事帰りに汗をかかなくなってきて、家で運動も出来るから良い感じに疲れてるのかスッと眠れる。人間はある程度動いてる方が身体が休まるのかもしれない。

今日は帰りに前からお友達のお犬にも会えた。可愛い垂れ耳のお犬ちゃんなんだけど、いつもママにご挨拶すると尻尾を振り振りして寄って来てくれる。ふにゃって笑うのも可愛い。ママさんも穏やかで優しくて、いつも二人でゆっくり公園とかを散策してる。「あんよがあちちの季節じゃなくなって良かったですね」って言う時の私は完全にお犬にメロメロだけど。この仕事に就いてから、ついついお犬やお猫に赤ちゃん言葉を使っちゃう。おやつとかの説明で『お腹がごろごろぴーにならない程度にあげてみてください』とか。でも飼い主さん達は皆『そうだよね〜お腹ごろごろぴー怖いもんね〜』って合わせてくれるし、何なら『うちの子お目々の周りがカイカイなんですけど、良いご飯ありますか?』とか訊いてきてくれる。
お犬やお猫をきちんと愛して大事にする人は、結構な確率で赤ちゃん言葉を使うらしい。私は人格とか声のトーンまで変わるけど。ちなみに室内外のお犬と触れ合う時に肉球がぷにぷにだと、愛されてるなって思ってしまう。お鼻が湿ってると『元気で健康ですね〜』とか言っちゃう。飼い主さん達は大体知ってる知識だから誇らしげにしてくれて面白い。

で、いつかお犬(出来ればチワワ)と暮らすために今の目標である一人暮らしをする準備段階でアレルギーの検査にも行こうと考えてる。血液検査は怖いけど、万が一お犬のアレルギーがあったら一緒に暮らせなくなる日が来るかもしれない。まあ突如発症のパターンもあるけど用心するに越した事は無い。たまたま住みたいエリアに幾つかペット飼育可のアパートやマンションがあるから、何処かに住めたら良いなと思ってる。ペット飼育可以外にも『インターネット使用料無料』『オートロックでTV付きインターフォン有り』『エアコン設置済み』『ウォークインクローゼット』とか嬉しいお部屋が幾つか空いてるみたい。
帰ったらお犬がお迎えしてくれるとか、天国でしかない。ので、『今日も未来のうちの子の為に稼ぐぞ』と仕事に行ってる。モチベーションの維持ってさ、結構大変だけど重要じゃないですか。
こないだ夢に出てきたチワワの『リンちゃん』、いつ出会うのかな。本当にあの姿のままだったら、直ぐに分かるんだけど。

▼2025/09/08:心的外傷、掛け替えをなくしたい

どうして、誰も他の誰かの感情を完全に理解できないようになってるんだろうと、時折考える。
大好きで尊敬している人曰く『人と人とは完全に理解し合えない。だからこそ理解しようと努力し合う必要がある』らしい。この意見には概ね同意なんだけど、此方が理解しようと努力するのに、向こうはしてくれないで要求ばかりしてくるなら割に合わないし、理解しようとしても齟齬が生じるのは何と言うか、人間と言う生き物のバグの一つだと思う。思考や理性を与えられてしまったから副産物みたいについてきたのかな。
人と言う生き物が思考や精神や感情、理性や自制心を持っているのは、もっと言うなら『意識と言うもの』があるのは、生物として効率よく繁栄する為に生まれた特徴の一つらしい。お腹が起きてすいたら食べる。疲れたら眠る、身体の汚れが不快で、健康な方が効率よく生きられるからお風呂に入る。栄養のあるご飯を食べたいと望む、栄養のあるものを美味しいと感じる、例えば生存に繋がる糖分や塩分を適度に含むもの。怪我をしたら治療しないと最悪死ぬから手当てするとか、そもそも怪我を負う可能性のある環境には近づかないとか、病気にならないように身体を保温する為、服を開発して着るとか。意識と言うものが無いとこの身体を巧く使えない、と何処かの段階で気付いて、意識を巧く活用する為に思考や感情が生まれたんだとしたら、人間は不幸になる可能性よりも生存本能を優先して取った生き物なんだなぁと感じるんだよね。実に動物的。
私は今この精神や心に不調や難を抱えて生きているけど、人間が種として成立した頃はこんな悩みはあったんだろうか。物質的に豊かになってしまえばこっちのものの筈だったのに、生きる事自体に悩む日が来るなんて設計図の時点で間違えてた気がする。でも仮に人間じゃないけど人間とよく似た別の種が繁栄した未来があったとしても、同じ様に悩む日がきっと来るんだろうな。
もしも初めから思考なんてものが無かったら。まったくの絵空事なのに、そんな考えが過る事がある。

『貴方が死にたいと願った今日は、生きたくても生きられなかった人が迎えられなかった未来』

みたいなことを見聞きする事は結構ある。リセールできたらいいのにね。それか少しだけ譲るとか。誰も誰かの命や痛みを肩代わりできない、つまりは感じることは不可能。なのに理解しようとしては行き違うんだ。
どうして私は貴方を理解したいんだろう。貴方が理解を示してくれたから、だけじゃない気がする一方で、それが一番の理由だって事も分かってる。

致命傷を負ってもう大分経つけど、あの傷を与えた多くの人達は『そんな心算じゃなかった』んだと思う。ただ『他とは少しばかり変わり者の私』が面白かったんだろうと思う。根拠はね、入院して意識が回復してから手渡された携帯電話に百通近くのメールが入ってたこと。『傷ついてるって気付けなくてごめん』とか『生きててくれて良かった』とか『抱えていた物が大き過ぎたんだね』とか、傷を与えた側がそれを言うのかなって言葉が多かった。当時は『自分が生きてて良かったと思ってくれた人がこんなに居てくれたんだ』とか思ったんだけど、本当に心配してくれていたのなら、あの言葉達を心に仕舞っておいて欲しかった。
前に外国の動画でお母さんが子供達に『いじめをしてはいけない理由』を実演みたいにして教えてたんだけど、一枚の紙を用意して子供達に『この紙に悪口を言ってみて』と指示して、悪口をかけられるたびに紙をくしゃくしゃと丸めていくの。『ごめんねって言ってみて』って言われた子供達は素直に謝るんだけど、お母さんが広げた紙は折り皺が元には戻らない。子供達に『紙は元に戻った?』って訊いて子供達は首を横に振る。お母さんは『これが人を苛めてはいけない理由よ』って教える、みたいな動画。
こんな風に分かり易く教えてくれる大人達ってきっとそんなに多くないし、多分私も思いつけないと思う。このお母さんはきっととても思慮深くて愛情のある優しい女性なんだと思うけど、皆が皆他人の傷や痛みに敏感かって言ったらそんな事は無い。他人の傷や痛みに敏感って事は、自分のそれだって自覚しやすいと思う。それを言葉にすると『優しくて他人の心を思いやれる人』なんだろうね。そう言う人ってさ、簡単に傷つけられてこのたとえ話の紙みたいにくしゃくしゃにされる事が殆どだと思う。
優しいのと弱いのは違うよ。けど、似てはいるんだよね。弱さを知らないと優しくなる事って難しいし、傷つけられた事があるから他人の痛みを想像しやすい。傷つけられて一回壊れちゃった人が必ずしも優しいとは限らないけど。
いじめとか悪口とか、柔らかい言葉過ぎると思う。普通に暴行傷害、誹謗中傷で良いよね。まあ日本語ってそんなものだと思ってるけど。

前に此処に書いたオリジナル小説の話、覚えてる人も居るかな。精神科病院を舞台に、色んな人の病みを描写して彼等彼女等を救う事で自分も救おうと思って考えた話。短編から中編で何話か書き連ねて、それぞれの話は少しづつリンクさせる。いつ書けるかは分からないんだけど、いつかは絶対に書きたい。

心が弱いって言われて続けてても、変わり者だと評され続けたからこそ、書けるものってあると思うんだよ。

前に、不幸になる事で復讐を果たそうとする人が結構いるって話を聞いた事がある。自分がこんなにも不幸なのは蔑ろにしてきたお前たちの所為だって示すんだって。昔の私みたいだなって思った。今の復讐の手段は『私が幸せになる事』だと思ってて、結構出来てるなって思うんだけど、ふとした瞬間に当時を思い出しては不幸へ続きそうな道を選びそうになる。

「お前達の罪の証はどうしようもなく不幸になったこの私だ」って宣言してやりたい気持ちがいつまで経っても消えない。多分消えないんだと思う。
でもそれ以上に私を大切にしてくれる人を悲しませたくない気持ちがあるし、何だかんだ生きて幸せな毎日だからその選択肢を取らないだけ。
私を傷つけてきた奴等、大なり小なり思う事はあっただろうね。だから贖罪と言わんばかりの言葉を送って来たんでしょう。或る種、復讐は果たせたのかもしれない。自分の言動で自ら消える事を選んだ子供が一人いた事を思い出す瞬間があったなら、そしてそれで心が少しでも暗くなるのなら、私が飛んだのは無駄じゃなかった。でも、意味もないって知ってる。もっといい方法があったとも思う。もう分からなくなったけど。それに、心が痛まないタイプの人間には効かないだろうしね。

昔から幾つか座右の銘と言うか自戒の言葉みたいなものがあるんだけど『他人の不幸を笑う人間は、自分の幸せを喜んでもらえない』し、『過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる』し、『誰かを傷つけた人間は、誰かに傷付けられる義務を負う』と思ってる。だからきっとこれからの私にできるのは『なるべく他者も自分も大切に扱って、傷つけたらすぐに謝罪して、行動を見直して未来を良くする努力をする』事なんだと思う。その努力の一つが小説を書く事なんだけど。
誰かの言葉に傷付けられる事もあれば、勇気を貰ったり癒される事だってあると思う。だからなるべくなら良い言葉を使おうと思う。『綺麗』だとか『美しい』よりも、『良いな』と思う言葉遣い。
いつか言葉を綴った結果が出せる時が来ますようにって、祈りながらこれを書いてる。

▼2025/09/06:いつだって一人、けれども独りにはならない。

最近、頑張りすぎないで仕事を覚える為に『一日に一学び』を実践している。一日に一つの事柄を頭に入れられたら及第点と言う自分との約束事なのだけど、暇な日は一学びでは時間が余り過ぎる事がある。今日がそうだったんだけど、納品を片付けたらもうやる事が無くて、只管商品の埃を取ったり売り場を整えた後eラーニングで商品の勉強をした。お犬やお猫のご飯とシャンプーについてだったんだけど、たまたま勉強を終えて売り場に出たらお犬のシャンプーをお探しのお客様に色々訊かれて、頭に入れたばかりの知識を披露した。お犬の肌は人間よりも繊細な造りをしているらしく、表皮や角質層、真皮と皮下組織で出来ているのは人間と似ているけれど、かなり薄くて簡単に傷ついてしまうらしい。だから液体タイプのシャンプーはきちんと泡立ててからそっと身体に乗せて、優しく撫でる様にもふもふと洗うと良いらしい。
元々もふもふな生き物だからもふもふと洗う。何か語感が可愛らしいなと感じる。で、無意識だったんだけど、前にも書いた通りお犬をお迎えしたいと本気で考えているので『うちに来たばかりならこの商品だな』と仔犬用のシャンプーを入念に確認したり。泡で出てくるポンプタイプのシャンプーの存在や詳細を知って、動画で洗い方と乾かし方まで知れたので今後に生かしたいなぁと思いつつ、『ああ私、もう完全にリンちゃんをお迎えする気でいる』と再確認した。仕事に行く時も『今日も未来のリンちゃんの為に頑張ろう』と思うしそれなら早起きも苦じゃないし、『最近の気候ならこのくらいの時間にお散歩行くのが良さそう』とか『キャリーバッグとかはどんなのが良いんだろう、スリングも欲しいな』とか『ショルダーリードって便利そうだな。散歩になれない内はダブルリードにしよう』とか色々考えてしまう。
まあその前にアレルギー検査を受けないといけないのも知ってる。万が一にでもお犬アレルギーだったらお迎えは出来ないと感じるし。血液検査嫌いだけど、リンちゃんの為なら頑張れるよ私は。
血液検査と言えば、この前健康診断でした。体重は3ヶ月で2.5キロ減ったからまあまあ頑張ったと思う。結構手厚く検査をしてくれて検査項目(血圧や視力聴力とか)も沢山あった。相変わらず注射が苦手だから横向いて目をぎゅっとつぶるのはご愛嬌って事で。でもまだまだこれからも頑張らないといけない。悲しいようなそうでもないような事なんだけど、私かなり着痩せするから今の体重よりも5キロ以上少なく見える事もあるらしい。お陰様で家族しか私の惨状を知らないんですよね。脱いだらすごいのヤバいバージョン。
ただ、救いなのは骨格がストレート寄りで下半身は比較的に細いし、胸があるから肥って見えても『ああ、胸の所為なのね』と思われる事も多い事。所謂鳩胸に近い感じ。バストがもう少しで100に届きそうだと言われて驚きましたよ。ちなみにヒップはあまりないので若干貧相なお尻です。お肉が付くのは基本上半身で、巧い事隠れちゃうんだろうな。誤魔化してるとも言いますが。筋トレも有酸素運動も無理せず緩くやった方が効率は置いておくにしても長い目で見ると効いてると思う。結局さ、日常に運動を組み込んでルーティンにするのが一番の早道なんだよね。
こんな調子だから店でも動きまくりで納品の時はいきいきしてます。

話が変わるけど、友人に『昔ケラ!と言う雑誌を読んでいた』とメッセージを貰って、懐かしいなと感じた。昔『KERA!』ってゴスロリやロリータ、パンクとかのファッションカルチャー誌が存在していて、私も学生のころ愛読してたんですよね。初めて読んだのはその雑誌の増刊号みたいな『ケラマニアックス』だったんだけど、何でか田舎のスーパーマーケットの本屋で偶然見つけて手に取ったんですよ。小学生の頃かな。本格的にファッションにハマったのは中学の頃で、ゴスもロリータもパンクもロックも大好きだった。今でも大好きだし、これからもそうだと思う。『ゴシックロリータバイブル』ってもう少し高価格帯のお洋服が掲載された雑誌も大好きだった。中村明日美子先生を知った切っ掛けでもある。
下の記事でヴィレッジヴァンガードの話を出したけど、中学の頃にヴィレヴァンで三原ミツカズ先生と嶽本野ばら先生を知って、何冊か本も購入して、特別な場所の一つだったなと思い返した。ガチの田舎と言うよりは地方都市の郊外的な場所に住んでたけど、それでもやっぱり都会には勝てなくてね。それでも情報を集めるツール自体は使えたから調べものが趣味みたいになった。
小さい頃、お母さんに『何で? どうして?』と疑問ばかり投げかけていた時に『まずは自分で調べて見なさい』と大辞泉を渡された事があるんだけど、辞書を読むのって楽しかったからネットが使える様になったら、辞書に載っていない知りたい事を調べるのも好きになった。自分が知りたいと感じた事を自分の手で調べるのって面白い。小説を書くようになって、『情報のソース』と言う言葉も知って、ウィキペディアは必ずしも正しいとは限らないと知ってからも、何かを調べる事はワクワクする事の一つだ。『自分の知りたい事』だからなんだけど。でもこの感じ方のお陰で今仕事に就いて勉強するのも楽しいんだと思う。
本屋さんが大好きなのは、情報がぎっちりと詰まった風景が見られるってことも一因かもしれない。だからやっぱりある程度は都会で暮らしたい。大きな本屋さんが沢山ある都心とかって、札幌の何倍もの情報に溢れてると思うし。一度だけ、東京でとんでもなく広い本屋さんに赴いた事もある。あんなにも沢山の本がこの世にが出版されていて、これからも増えていくのかと思うと同じくワクワクする。
ヴィレヴァン(特に初期)はそんな場所の一つだったんだろう。地方に住んでいる『少し』変わった子供の興味や知的好奇心を満たしてくれるタイプの本屋さん。今は電子書籍もあるし、何でもネットで調べられるから役目が終わってしまったんだろうか。ちょっと寂しいけどしかたない。前に或る作家さんが『紙の本は絶対になくならない。閲覧用のデバイスが無くても紙の本なら直ぐに読めるし、売れる』って言ってたから結局紙の本はきっと無くならないし。
懐古趣味みたいに感じるけど、そう言えばロリータ界隈にも『懐古系』って言うジャンルがあるんだよね。2000年代初期くらいのテイストを汲んだちょっと懐かしい感じのするロリータ服もとても可愛いし欲しい。とんでもないお値段したりするけど。いつか着てみたいブランドもあるけど、それにはまずもうちょっとくらいは痩せないとな。
今年中にあと4〜5キロくらい落としたいって言うのは無茶かなぁと思うけど、前に半年で7キロ以上減らしてるんだから頑張ろう。
ちなみに健康診断の日取りは結構早くに知らされてたから、それに向かっておやつを三ヶ月くらい自分では買わないようにしてた。で、無事に減ったから健康診断の日だけは甘くてバターたっぷりのクッキーを平らげました。500キロカロリーくらいあったけど気にしてないし後悔も無い。塩バターのクッキー、あんなに美味しいクッキーは初めてだった。感動したくらいだったんだけど、もしかして日常でもお菓子を或る程度の期間我慢して、解禁したらとんでもなく幸せなおやつタイムが訪れるんじゃないか。程良い空腹は何よりも良い調味料なんだなぁと感じた。
と、言う事なので明日からもまたおやつは我慢します。また三ヶ月くらい我慢して、そしたらもっと体重も減るんじゃないかなって思うし。ただ単に体重だけ減らすんじゃ駄目だけど。

少し先のご褒美の為に今我慢するのって場合によっては良くないのかもしれないけど、この場合は良いと思う。自分の為に我慢して、楽しむ為に日常にメリハリをつけるんだから。
多分なんだけど、こういうのって多くの人が実践してる事な気がする。ベクトルは色々なんだけどさ、きっと楽しい事の為に我慢して頑張るんだよね。少なくとも私はそうだと思う。貯金とか仕事も同じ。で、序でに頑張る事も楽しめたら勝ちかもしれない。

何か滅茶苦茶前向きな事言ってるね。不思議だな。前向きじゃないと生きて来られなかったから当然っちゃ当然なんだけど。
将来は期待し過ぎも悲観し過ぎもよろしくない。中道ってこういう時にも適した言葉かもしれない。まあ私は無宗教なんだけどね。

▼2025/09/06:教養と遊びは両立することがある、知識で武装し無双せよ

相変わらず妙な記憶力の良さを発揮している日々だ。お陰様で来店されるお客様の事を結構記憶していて、この前接客したご婦人方に『いつもお二人でいらしてますよね?』と訊いて驚かれた。私としてはその方々と幾らかお話しているので、それなりに記憶してそれをそのままアウトプットした形なのだが。覚えられている事を気味悪く思う方もいらっしゃるのは知っていたので情報は小出しにしたんだけど、『確かシニアのワンちゃんと暮らしていらっしゃいますよね?』と訊けば『そうそう! よく覚えてるわね〜』と好意的にとらえて貰えて良かったと思う。
元々視覚からの情報に強いのと、聴覚もそれなりだし過敏気味なので、両方の情報を統合して覚える事が多い。と書くと『統合失調症とは?』となるがまあ、服薬をきっちりしている結果と思っておく。

こうなった要因は、読書して情報をインプットする→書いてアウトプットする、の繰り返しを趣味で行なっていたが故だと思う。幼稚園の頃から読書が大好きで、小さな頃から身近に沢山の本や画集がある人生なのだけど、購入して貰う事は勿論、大きな図書館にはよく連れて行ってもらってた。三歳とかかな、縄文時代の人々の生活を模したミニチュアのの展示があって、あれを見た時から私は小さく作られた作り物の世界が好きだ。で、今でも覚えている小さな頃の記憶が結構沢山あって、それに付随して嫌な事を思い出す機会の方が多いんだけど、時々『これは忘れないようにしよう』と決めるくらい良い経験もある。
学生時代も図書館には入り浸っていて、毎日読書してた。いじめられっ子だったのもあって、静かに本を読んでいれば何も言われない空間は心地好く思える。おまけに速読なもんだから、朝借りた本を休み時間のたびに読んで放課後には返しに行くこともしばしばだった。
最速はアレかな、京極夏彦先生の『百鬼夜行シリーズ』を一日で4冊読んだ時。高校の頃で、たまたまクラスマッチで早々に負けてしまって時間が空いたから呼んでみようと借りたら面白すぎて驚いた。姑獲鳥の夏から鉄鼠の檻まで一気に読んでしまって、司書の先生には『本当に読んだの?』と訊かれる。まあそりゃあそうだと思う。分厚すぎる事で有名で、通称『レンガ本』だもの。
中学の図書館は、人生で過ごしたどの図書館も勝てないマニアックな蔵書が大好きだった。エジプトの死者の書の翻訳版もあればアジアンスイーツのレシピ本もあって、『17歳のカルテ』の原作とかクラフトエビング商會の本、セリアリーズの『魔女の血を引く娘』とかキノの旅シリーズが全巻揃っていたり、マイナーな外国児童書も沢山あって、今でもたまに行きたくなる。で、私読んだ本は大体内容を覚えてしまうので次は楽しめないかと思いきや、次に読む時は読みたい所だけ読むとか考察したいからじっくり読むとか、緩急らしきものが付けられるようになった。
今は映像作品でも同じような事をしている。ドラマも好きだけど、映画はもっと好き。同じ映画を繰り返し観に行く事もしばしばで、原作小説に手を出したりその逆も良くやる。原作通り製作するのは大変だし、それだけでは魅力に欠ける事があるのは重々承知のうえで、原作を映像にしたからこその良さを見つけると号泣してしまって映画館を出る時にはメイクが流れ落ちている事もたまにある。
で、考察をするとなるとある程度記憶力が必要になると思うんだけど、記憶力が良いから考察好きなのか、考察するのが好きで記憶力が上がったのかは、完全に『鶏が先か卵が先か』の話になってしまう。両方とも言えそうだし。
仕事にしろ趣味にしろ、私の記憶の仕方は『色』に結びついていることが多い。脳内の情報や記憶を仕舞ておく引き出しには『記憶に基づいた色のインデックス』がついていて、それをヒントに情報を出したり整理してるんだと思う。店にある膨大な数の商品も『色』と『パッケージの文字』で覚えていて、微妙な違いを見つけられるのはJANコード以外に色で識別する癖のお陰な気がする。
となると、視覚(特に色覚)に強くしてくれた両親(実父含め)には感謝しないとなと思う。私の絵画への興味を絵画教室へ結び付けてくれたから今があるのだし。5歳から19歳まで絵画教室に通っていた事を今の職場の人に言ったら結構驚かれたし、初対面の人はそれなりに興味を持ってくれるから、其処から接客に繋げる事も多かった。

で、友人のブログをきっかけに思い出した事があるんだけど。
『遊べる本屋』ことヴィレッジヴァンガードが大量に閉店するらしい。初めてあの店に行ったのは小学生高学年の頃で、実父が何でか連れて行ってくれた事で存在を知る事になった。小学生の私には少々刺激が強い店内だったことを覚えてる。床から天井まで色に溢れたガチャガチャした洞窟みたいなお店だった。独特の筆跡で書かれたPOPとか、普段目にしないタイプの漫画とか書籍が沢山あって、あのお店で出逢った書籍が今も何冊か本棚にある。嶽本野ばら先生とか、三原ミツカズ先生とか。ゴシックロリータにハマったのはその直後の事で、田舎の中学生だった私には魅力的だし『外の世界』の情報を得られる貴重な場でもあった。
専門学校に入る為に北海道に戻って来てからも、札幌のヴィレヴァンに通っては色んな本を読んだ。その時たまたまイヤホンで音楽を聴いていなくて店内BGMで耳にしたのが、今も聴いているキタニタツヤさんの楽曲で、すっかり気に入った私はまだインディーズ時代のCDを購入した。その後何曲もハマる曲を生み出してくれたキタニさんの存在を知れたのはヴィレヴァンがあったからで、ヴィレヴァンを教えてくれた実父に少しくらいは感謝しないとなって思う。初めて行った時に購入したのは外国産のポテトチップスだったのがちょっとおかしくて笑っちゃうけど。
去年の末くらいに発表されて、直ぐにダウンロードして聴き始めた『ずうっといっしょ!』が無かったら思いつかなかった二次創作小説が何本もあるんだよね。

何か、あの人との過去全部を恨む必要はないんだなって最近考えるようになった。過去が無かったら多分今の私じゃないし。愛されてたのは確かだし。愛があればなんだってしていいわけじゃないけど、無いよりはマシというか。
素直に恵まれていると思えるくらいには愛してくれてたんだよね。やりたい事は何でもやらせてくれる人でもあった。
許すと許さないが混じり合って『今』があるんだなって思うよ。

そう言えば今日、職場での面談だったんだよね。うちの会社は障害者雇用だと支援機関を通さないといけなくて、月一で面談がある(就労移行支援じゃなくて就労定着支援)。で、今の私はかなり安定して働けているらしい。何と言うか、色んな事を俯瞰して見られてるらしい。離人症とは別で、『自分は今何を感じて、思って、考えた結果行動したのか』を考える事が出来るようになってきた。行動って『考えて』『判断する』のプロセスの結果でしょ。そうすると其処に至るまでに何かしらの理由がある事が殆どだと思う。無意識にしている行為の心算でも、意識の下で考えて判断しないとそれに移せないと思うんだよね。私も、商品を整える作業をしてる時は『無意識』に『新しい物は後、古いものは前』に並べてる。賞味期限切れとか怖いし、あってはいけないって知ってるから。でもそれって『賞味期限切れの商品を誤って販売した場合のリスク』を考えた結果じゃん。となると考えてる筈なんだよね。行動の前に考えや理由が無い事って、多分私にはあんまり無いんだよ。少なくとも仕事上はね。
これをいろんな場面に適用できるようになってきたのかな。疲れている事を自覚したら休むなり、ストレッチするなり、カフェインを摂取するなりする。少し回復したら『何で疲れたのか』を考えて分析する。理由が判ったら『じゃあどうするか』を考える。で、行動に移す。その繰り返しで巧い事力を抜けるようにもなって来たし、逆に入れるべき場面ではギアを上げる事が出来るようになった。
勿論今の店が忙し過ぎないからってことはあると思うから、やっぱり環境を整えるのも大切だけども。でも、自分なりの身体と心の疲れや不調を早めにキャッチして対処出来てるのは自分で自分を褒めるべきだと感じてる。今までがむしゃらに働き過ぎて壊れちゃったから、自分のケアをきちんと出来てるのは褒められていい。

そんで、プライベートにも少しずつ応用するようにし始めた。自分の限界を知った上で、常に7割くらいの行動しかしないようにしてる。無理しない、って言うのは頑張らないとは全然違う。サボるのは相変わらず苦手だけど、力を抜くとか予定を次の休みに持ち越すって事を自分に許せるようになった。
頑張ってない自分を許すのが難しいから、自分をケアする自分を許す方が私には合ってる。あと、何だかんだ毎日頑張ってるのも確かなんだよね。朝起きてご飯食べてお弁当作って身支度して、ちょっと英語の勉強もして。結構色んな考えと判断と行動があると思う。現代人は鬱っぽくなりがちなのは、考え過ぎて判断が続き過ぎて疲れ経ってるんじゃないかな。そう思うと風呂キャンセルって意外と身近な事なんだろうな。お風呂って考えて判断して行動するの連続じゃん。おまけになるべくなら効率よく行きたいし。
健康さえ損なわなければ、時々くらいサボるかサポートアイテムもガンガン使えば良い(ドライシャンプーとかね)んじゃないかぁ。周囲への配慮さえ忘れなければいいと思うんだけどねって夜。


▼2025/09/01:アイソトープのトーキングヘッド

さて、副業について少し書こうかな。
販売する作品と配送用品はもう揃ってて、明日にでもメルカリに載せてみようと思ってる。我ながら良い仕上がりでとても嬉しい。何回かは試作と失敗を繰り返したけど、自分なりの作り方も見えてきた。今考えてるのは作品(商品)の取扱説明書みたいなのをパソコンで作るか手書きでコピーにするかだけど、どっちの方がいいんだろうね。家にプリンターが無いからパソコンで作るならPDFにしてコンビニ印刷とかになるんだけど、どちらにせよつけた方が親切なのは確か。製作時間を考えると手書きの方が楽ではある。私の場合は。文字も汚い方じゃないし。そう言えば此処には手書きの文字を載せた事が無いけど、義父曰く『丸っこくはないけど、読みやすくて女の子の書く文字』らしい。母は書道を習ってた関係でとても文字が綺麗なんだけど、母とは全く似ていない。可愛いかと訊かれると首をひねるし、かと言って読めないほど汚くはない。でも大人の文字っぽくないんだよね。喩えるのが難しいけど。

商品に関してはまず、ドールヘッドにメイクを施して手作りしたドールアイをセットして販売する。既に数個完成してて、他の出品者と差別する手はないかなと考え中な現在。元々不要品を販売する時は高評価しか受けた事が無いんだけど、それ以上に丁寧な作業をしないとなと思う。
ちなみにこれらの副業に関しては職場の許可を取得済み。詳しくは書かないけど、応援して貰ってる。
ドールのお洋服もいずれは販売したいし、作れるならお靴とかお鞄の小物も作ってみたい。ミシン早く欲しいな。札幌には色々なハンドメイドイベントがあって、前に行った時はロリータファッションで手作りのヘアアクセサリーをつけていた所為か出品者と間違われる事もあった。いずれはこう言うイベントにも出店してみたい。ドールのイベントもあるんだよね。
中学生の頃からゴシックやロリータに興味が強いけど、昔に比べると優しくなったと思う。世間の目も認識も。まあ物価上昇でお洋服が年々値上がりなのは悲しいけど。でも昔と比べて小物類は手に入りやすい世の中になった。お洋服だってしまむらで買える物もあるから、ロリータがこのまま文化として生き残っていってほしいと思う。
去年くらいにしまむらのオンラインショップでロリータっぽいお洋服が手に入ると知って驚いた。一時はロリータから離れた出戻り組には嬉しいし(何せ昔は3万円で買えたものが5万でも買えない時があるから)、ロリータの入門編としても良い試みと感じる。結局、新規のファンが居ないと何事も発展しないし『業』としても成り立たないしね。
SNSとか一部の声で『全身しまむらロリータとかちょっとね…』って意見もあるみたいだけど、それこそ気持ちは分かる。ブランドのロリータ服は飛び切り可愛いし特別感が強い。変身する気分も味わえる率が高い。けど、ロリータを着てみたい人が着られない一番の理由だった金銭面を考えると『しまむらにしては高い、けどロリータファッションの一部とするならかなりお手頃』なお洋服があればベテランの人だって有難いんじゃないかな。初めての人には『ロリータ気分』を味わってもらって、其処だけで留まらない興味や憧れがあるなら頑張れるじゃない。その結果ブランドのお洋服を購入に繋がればブランドの継続の一助にもなるしさ。
まあ多分、品質とかプロデュースしたモデルさんやインフルエンサーさんがちょっと…な人も少なからずいると思うけど。でも私はしまむら、良いと思ってる。
実際、この前くる実さんと言う方のコラボ商品を注文した。受注生産で、冬物だから届くのは大分先になるけど。でもとても可愛いゴブラン織りのシリーズだから楽しみに待ってる。3点も買って2万円にも届かないのはすごい破格だし。

いつも話がそれちゃうね。副業の方だけど、明日はお休みで資材を購入する日でもある。布とかレースとか糸とかリボンとか、或る程度は目星をつけてるけど、今日行けなかったお店も明日は見られるから楽しみ。ドールアイ政策の為にレジンの道具も買っちゃって、早速レジン液を買い足す予定もある。
今度市内に大きな手芸屋さんが出来るらしい。かなり楽しみにしてる。布もリボンもレースもお買い得なお店みたいだから、確定申告の勉強もしながら待とうと思ってる。
もし来年の副業での売り上げが20万円を超えたら確定申告も必要だし、職場に報告する必要もある。出来れば青色申告が良いから個人事業主の届け出もした方がいいんだろうな。世の中のハンドメイド作家さんは何処で勉強するのかと考えると、ほぼ確実にネットと書籍だろうな。知り合いに作家さんも居ないから訊けないし。Google先生にお願いしないと。
値段設定とか、原価を考えて送料や手間賃も考慮すると結構高額になるかもしれない。でも、それだけの価値があると思って貰える作品に仕上げてこそ作家を名乗る資格が得られる。とは言え本業に影響しない範囲、かつあまり稼ぎ過ぎない方がいい事情もある。金銭面以外は程々に緩くやっていきたい。一回夢中になると何時間でもやれちゃう性質なのは自覚が有るから、自分でセーブしよう。

多分だけど、この前の鬱状態からは早々に抜け出したみたいだね。今は軽躁でもなく、割りとフラットで丁度良い感じ。前向きだけど前向きすぎるわけでもない。実の所女の子週間で体調自体はあまりよくないし。それでも自分のやるべき職場での仕事と家事はしたので誰か褒めてくれないかな。
まあ現実世界で自分を褒める一番手は自分だから、明日はとことん自分を甘やかすよ。ネイルに行ってお買い物してお菓子を買って美味しいお昼ご飯も食べる。ロリータなお洋服とメイク、日傘も忘れずに持って鞄は手作りしたお気に入りのを持っていくし、ドールも連れて行く。
結局外に出るのも、家で過ごすのと同じくらい好きなんだよね。人と関わりたいんだよね。何だかんだ好きだから。それがあるから接客も好きだし、初対面の人と会う事も好きだし楽しい。小さな頃の恥ずかしがりやで引っ込み思案だった私は驚くだろう。

貴女がこうなれたのは、守ってくれた人が沢山居たからなんだよ。だからもう大丈夫と思える幸運こそが一番恵まれている要素かもしれない。

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