▼2025/07/17:思う通りに出来てしまう身体、だってそれは作りものだし
以前よりもドール趣味への熱が上がってきている。少し前に此処でも書いたが、可愛らしいドールを愛でたり一緒にお出かけしたりと言う事への憧れが元々強いのだ。自分にとって可愛い妹や弟をより可愛らしくできるようにお洋服や小物を誂え、出来れば洋服のテイストをリンクさせてお出かけして、写真を取ったり眺めたりしたい。
『スーパードルフィー』と言うキャストドールを知ったのは中学生の頃だ。この手の趣味の草分け的な存在である彼等彼女等以外にも、今は様々なメーカーが可愛らしいドール達を生み出している。そして、一からとは言わずとも自分で素体をカスタムしてこの世に一体のドールを生み出す事も可能な時代だ。私の部屋にも三体のドール達が居て、私は毎日のように皆に話しかけて楽しんでいる。着せ替えに関してはまだまだ衣装が多くないから、今後ゆっくり縫ったり買ったりしたい。
で、前に書いたオビツドールについて。あれは素体のボディとヘッドだけでも3万円近くするがまあそれは当たり前と言うか、セリアドールがボディとヘッド合わせて220円、という方が本来おかしいのだ。ギミックとか素材とかどうなってるんだろう。オビツドールは何種類もヘッドやボディの種類があって、セリアドールは数種類とか制約は多いのは初めから承知の上だし、初めてドールをカスタムしたい人からしたら、仮に失敗しても大して痛手でない事の方が多いという点では(あくまでもお財布は、だけれど)とっつきやすい趣味への入門ドールと言った感じだろうか。私はいつの間にか其処を通り過ぎてしまったようで、もっとこだわって作ってみたくなってしまった。表情や髪の毛の色、目の色もお洋服の作りも、もっともっと追求したい。出来れば自分の手でドールメイクをしたいし、ドールに関するイベントにも行ってみたい。
初めから素敵に誂えられたドールも好きだし眺めるのは楽しいんだけど、一度自分の手でメイクを施した子が可愛過ぎて、出来る範囲で自分の手で産み出したい、と感じていたんだけれども。最近ネオブライスも気になってしまっている。ブライスと言えば合衆国生まれでグレープフルーツみたいな頭に、真ん丸で大きなお眼目のあのお人形たちだ。以前プチブライスなら家に居た事があるが、随分と前に処分してしまった。現在ではネオブライスのみが製造されているらしく、メイクや髪の毛、目の色はそれぞれに用意された限定の子も多い模様。お洋服だって可愛い。サイズはリカちゃん人形と同じなので、今家に居る子達と同じ洋服も着せられる。どの子もこだわって作られているだけあってお値段は相当だけれど。
ドール趣味と言うのは元々お金がかかるものだ。其処に新風を吹き込んだのがセリアドールなんだろうかとちょっとだけ思っている。だって(クォリティはまちまちにしろ)ドールアイもウィッグの材料も付け睫毛もメイク用のパステルや絵の具まで百円ショップで手に入るのだ。入門編には丁度良いし、もっとこだわりたくなったら少しずつ手を広げて行けるのが面白い。元々初心者には高額な商品が多いように感じられた界隈だと思うんだけど、それを百円ショップでも軽く体験できる、と思うと始めやすいと思う。現に私は始めてしまったし。
まあ、初めてのドールはクラフティングドールのあーちゃんだから、入門編とは言ってもアイホールをくり抜くなどのカスタムが初めて、と言う感じか。
これ以上お金のかかる趣味を増やしてどうする心算なんだろうか私は、と思う事も多い。でも、楽しいんだから良いじゃないかとも思う。生きている実感が得られる時間で、かつ自分が自分だと思える時間が増えるんだから良いんじゃないのって思う。それを励みに就労もしてるわけだし。
今回の職場では、社会人生活で初めてのボーナスの支給もある。勤め始めの時に『半年勤続したら業績次第で支給される』とはっきり聞いた。調べたところ冬のボーナスは12月らしい。12月になったら、オビツドールにも手を出しちゃおうかなぁとうずうずしている。
結局、趣味を全力で楽しんでいる間はちゃんと私が私なんだよ。離人症に侵されない時間を増やしたいって考えるのも悪く無いんじゃないかな。勿論やるべき事はきちんとやった上でさ。『夢中』で居る間は違和感が剝がれるんだ。何の疑いもなく自分で居られる。結構貴重なそれなんじゃないかなって思うんだけど、皆はどう思いますか?
▼2025/07/16:彩るは陽の光、透かし彫りの言葉
小さい頃の記憶って、意外なくらい鮮明に思い出せることがある。特に一部分だけが奇妙なくらい色鮮やかで、良い記憶も嫌な記憶も、どうでもいい記憶も同じくらいの割合で思い出す。学生時代はあまり思い返したくない事の方が多いし、何なら人生の大半がそんな感じではあるんだけど、忘れてしまったけど本当なら覚えていたかったこともあるのかなって最近考えた。懐かしい、って感覚になる事は普段あまり多くない。思い出してしまって嫌な気持ちになる事は結構ある。
小学生の頃、親に貰った大切なアクセサリーを失くしてしまって、怒られるかもしれないと冷や冷やした事。
地域一番のいじめっ子に私ではどうしようもない事柄で詰め寄られた事。
勘違いからとんでもない天然ボケ発言をかました事。
小五の時に父親に連れられて温泉の男湯に入った事。
中学の頃、お小遣いを増やして欲しいと言えずに黙って母の財布からお金を盗んだ事。
初めての自殺未遂を誤魔化す為に必死で言い訳した事。
好きな人に繰り返しメールを送って鬱陶しがられて邪険に扱われた事。
本来捨ててはいけない検定の合格証を捨ててしまった事。
書き連ねていくと心が苦しいのでこの辺にしておくけど、人間の脳味噌と言うのは楽しい事や良い記憶よりも嫌な記憶や悔しかった事の方が良く覚えているというのは本当だと思う。
初めて死にたいと感じた頃からずっと、自分が自分じゃないと言う感覚に付きまとわれている。大人になって『離人症』との名称を知ったこれは、過去の所為で生じたんだろうか。いつだって私は私じゃない。目の前の鏡に映るのは私の筈なのに、私は私の外に居る。ふとした瞬間にそうだと気付いて、気味の悪い違和感が全身を包み込んでいた。元々空想をするのは好きだ。こんな世界じゃない、もっと面白くて綺麗な世界で、私は自分の理想的な容姿で生きている、そんな空想が好きになった。書籍や物語に没入するきっかけもこれなんだと思う。こんなにも面白い物語が生まれる世界ってどんな感じなんだろう、私もその世界へ行って遊んでみたいし、暮らしてもみたい。それを繰り返し考え想像する事で、いつの間にか物語を綴るのが好きになった。現実には居ないであろう、でもいたら素敵じゃないかと思える人物や存在していたら救われる人も居るんじゃないかって技術やアイテムを考えて世界を創造する。
自分じゃない誰かが作るからその先が読めなくて面白いのに、自分で作ると全部自分の思うように作れるから、そっちも面白い。勿論思うように書けるようになれたのは最近の話で、時折昔の作品を読み返すと、粗削りだし言葉の誤用とか可笑しな表現もあったりする。でも私はこれまで自分で産み出してきた物語が大好きだ。拙さだって愛おしいし、書いていた当時の自分だと気付けなかった別の面白さもあったりする。
でも、こんな風に妄想とか想像の世界に耽溺していると、当然ながら現実とは離れていくんだよね。今私が生きているのはノンフィクションの世界で、夢みたいなことは何も起こらない。
前に『夜想』って雑誌で読んだんだけど『文学少女』みたいな存在は空想を現実よりも優先すべき世界だと思ってるんだって。現実よりもフィクションの方が素晴らしいからそうなるんだって。そして、文学少女になるのは難しいから彼女等を心に飼っているって言い方がしっくりくる人も多いらしい。
さっき、離人症とか解離性健忘の解説銅貨を見てて思ったけど、お風呂で好きな歌を熱唱している時ですら私は私じゃないし、幼稚園の頃だって自分じゃない瞬間が沢山あった。そして今はどんどんと増えてる。このままだと私はもう現実に生きていないのかもしれないと思うと、怖い。
でも自分で生きている瞬間も確かに在って、その瞬間を鮮明に覚えてるのかもしれないなと感じた。恥と言う感情を持っている瞬間は、きっと現実を生きてる。美しい物を見た時とか、何でかずーっと覚えている事がある。メンタル疾患を持っていると、記憶力って下がりがちなんだよね。それなのに覚えていられる事は幸運なんだろうか。
この現象について、今の病院の主治医はある程度知ってる筈だけど、今度詳しく話してみようかな。もしかしたら手立てとかあるかもしれないんだし。
自分で自分を消しちゃいたい衝動がたまにくる。皮肉なことにね、その瞬間の私は私なの。可笑しいよね。死にたいくらいには何かに絶望しないと私は生きてるって実感が湧かないんだ。
ごめんね。いま眠剤が効いてきたから文章がおかしいかも。取り敢えず寝ます。おやすみ。
▼2025/07/10:在る事に依存する証明書、形が無いならどの目で見る?
ドール製作への熱が加速している。此処に未だ載せる事が出来ていないが、百円ショップセリアで購入できる通称『セリアドール』のカスタムが捗ったのは少し前の事。今は便利で、SNSを覗けば沢山のハウトゥー動画が無料で観られるし、参考資料は幾らでも見つけられるし、それこそ大きめの百円ショップへ赴けば必要な道具は一通り揃えられるから良い時代だと思う。絵具や一部のパステルとかの画材に関してはうちの近所の百円ショップにはなかったけど、何せ絵描きをしている身なので家の画材で大体は事足りたし、足りない分は購入しても使い切れる。札幌の中心地にはドール趣味の人向けのお店もあって、ドールメイク向けのカラーが揃ったセットとかもあった。それも画材購入に慣れている私からすると、結構安価に思える。我が家には現在クラフティングドールの子が一体、セリアドールの子が二体居て、次の子もまたセリアドールで仕立てる心算だったのだが(洋服も作ってしまったのだが)、ウィッグやドールアイをセットした際に何か違和感めいたもの(巧く言えないが、この子にはこれじゃしっくりこないみたいな感じ)を覚えて、インターネット検索の結果この子には違う身体を用意すべきだと思い購入スケジュールを練り直した。
次の子はオビツ製作所と言うメーカーのドールヘッドとボディを使用したいと考えたのだが、お値段が今までよりも結構高価なのだ。此処にヘッドに合わせたウィッグやお洋服、お靴や小物となると渋沢栄一さん五人は消える。しかし、本気で取り組みたい趣味だし可愛い我が子を生み出すためなので貯金するしかない。幸い定職には就けたし、冬にはボーナスも出る。初めから自分でメイクすると決めているので、素体があればスタートできる。ウィッグは信頼しているメーカーがあるし、ドールアイは流用可能だ。お洋服に関しては元々がドールのお洋服を作りたいという欲求由来の趣味なので喜んで製作する。自分では購入できないくらいデコレーションもりもりのお洋服を作ってあげたいし、これまでも作って来た。
勿論既存のうちの子達にも季節に合ったお洋服を用意したい。貯金の為に節約しようと思うと自宅で過ごす時間を増やした方がいいし、それならお裁縫をしましょうとなる。ドール服製作に向いている布屋さんとか、御存知の方いらっしゃるだろうか。以前ハンドメイドイベントでは良いお店は生地の模様の大きさをきちんと明記してくれていると聞いた。細かめのゴージャスな模様も良いし、スタイリッシュだったりノーブルだったりすると表現の幅が広がるだろう。
相変わらずミシンが無いのでオール手縫いだが、その分製作時間を長く楽しめると思う事にした。何事も捉え方をポジティブにしておいた方が巧く行く(個人的見解)。
元々絵を描く事に親しみ続けてきた人生なので、ドールメイクもそこまで難しく感じない。自分の顔のメイクとはもちろん勝手が違うが、何となく『こうすれば可愛い』みたいな軸はある。ただ、目元に付け睫毛を貼るのだけは苦手だ。自分の顔の時も上手ではなかった。
今回の子は既にドールアイが決まっている。ハンドメイドでドールアイを作っている作家さんを知ったので、その方から何度か購入しているのだ。とても綺麗なアイを作ってらっしゃる方で、この世に一対しか存在しない特別なドールアイが手に入ると思うと『こんなに安価でよろしいんですか?』となるクォリティーだ。キラキラで透明感がたまらなく好みの方である。
セリアドールだと合うお靴が少ないので、此処でも作家さんのハンドメイド品を購入することが多い。メル○リって凄いなと素直に感じる。基本的にメ○カリで買い物する時は自分の売り上げ金から買うので、そろそろ不要品は掲載しよう。明日は休みだからいい加減手を付けたい。
実の所、今日の午前中からお昼休みにかけてはメンタルの調子が良くなかった。理由は分かっているし既に自分の中での落としどころはついたので回復済みだが、何故私はこんなにも考え込む性質で、かつ認知が歪みやすいのだろう? 認知が歪むと現実も歪んで捉えられてしまう。別に皆が私を嫌う訳じゃないし、ぶっちゃけるならそこまで気にされていないのに。自分以外の人の心や脳内なんて見えるはずがない。読もうとしても苦手な傾向にあるのに、何故裏返しにしてまで読もうとしてしまうのか。
ASDの傾向があるので人の気持ちを想像する事は元々苦手だが、『苦手』なのであって『全くできない』わけじゃないから厄介なのだろう。お客様の気持ちを想像する事は寧ろ得意だ。其処で多少失敗してもダメージは少ない(私個人の話)。でも、同僚や先輩となると話は別になってしまって、つい先読みしようとして空回りする。自分がこれをされて嫌だからとか、これをされると嬉しいからと取った行動が、結構な確率で裏目に出るのだ。生きていて辛いと感じる瞬間である。それを楽しめる余裕がある時は良いけれど、今回は珍しく無かったのだ。
しかし、他人の事が気になる時は大体が暇な時なので仕事に打ち込んでいたら気にならなくなってそのまま退勤時刻を迎える事が出来た。『絶望に効くのは多忙』みたいな事を目にした記憶もある。自分の人生を精一杯生きていれば、他人が気になり辛いのか。協調性も大事なんだけど、他人を気にし過ぎると疲れてしまう。程々に図々しく生きていく方が私には合っている。
こんな風な軽微なメンタル不調には仕事の作業や身体を動かすか声を出すタイプの趣味に没頭するのが一番効く。ので、今日も夏のセールに向けて作業をした。お風呂で汗をかきつつ好きな歌を歌ってしっかり眠れば元の調子に戻れるだろう。明日は悩み事が一つ解決する予定だし。
音楽を聴くとか歌を歌う事が心にも効くからウォークマンの充電は欠かせない。最近だと米津さん以外の曲も聴く機会が増えた。NEEと言うバンドの『アウトバーン』と言う曲と、キタニタツヤさんの『ずうっといっしょ!』を毎日何回も聴いている。好きな歌を聴いていると脳内でキャラクター達が動き出すのは以前此処にも書いたが、イラストを描く際も小説を書く際も、何なら趣味の時間には基本音楽が必要だ。聴覚が過敏な方なので、集中を削ぐ音はなるべく聴きたくない。
ただ、それが必要ない趣味も一つだけある。デュオリンゴでの語学勉強だ。去年の年末から始めて早8ヶ月。毎日続けて勉強していたらいつの間にかダイヤモンドリーグに居た。フォロワーも何でか増えて、同じ英語を勉強している人だと母国語の関係上名前すら読めない事も多い。
音楽に話を戻すと、『ずうっといっしょ!』に関しては創作意欲を掻き立ててくれるので聴いて歌っては妄想を繰り返している。歌ってみた動画も豊富なので捗るし、お陰で好きなVチューバーにも出会えた。四季凪アキラ君と超学生君のデュエットが本当に良いので聴いてみて頂きたい。ワンコーラスだが、シアーミュージックのRyougaさんとかはまたくさんも良い(両者ともにいつかフルで聴きたい)。この曲はイラストもとても良きな構図だし、ついついオマージュとして推しをイラストにしてしまう。
『アウトバーン』はYoutubeのショート動画で使われていたのを検索して出逢ったが、隠れた名曲と言うやつなんだろうか、知っている人があまり周囲に居ない。この曲を聴いていると動き始めるのは自分の創り出したオリジナルキャラクター達だ。オタクあるあるというやつなのか、良い曲を聴くと脳内ではAMVが出来上がってしまう。今度オリキャラ達もイラストに描き起こそうと思っている。画材はコピックかアクリルガッシュかで迷うところだけど。
趣味に就いて無理しない程度に考えると、そのためには生きて働いて稼いで生活しなければと思い直せることが多い。だってどの趣味にも(多少の幅はあれど)お金がかかる。稼いで、自由に趣味を楽しみたい。それで幸せを得られる性質なのは多分しあわせな方なので、対価として労働するのだ、恐らく。
そんな余裕もないって時は只管寝てるけど、起きて活動している方が心の疲れは取れるから不思議だなぁ。人と関わる仕事をしたいって言う理由の一つはこれなんだろうね。
▼2025/07/02:霧消すれば良い、蝉は鳴かずも空は泣く
北国としてはかなりきついレベルの暑さが続いている。本州と比べればなんて事のない気温かもしれないが、道民にとっては猛暑と言えるレベルの熱波と局所的な豪雨により湿度がおかしなことになっている夕方だ。酷暑と言うレベルには多分達していないと私自身は感じているが、同居の祖母にしてみれば酷暑と言っていい。それでも我が家にはいまだクーラーと言うものが存在しないし、何なら窓は閉めて寝ている。保冷剤と扇風機が毎晩のお供だ。今のところは命に危険が生じるレベルではないのか、それとも祖母が強すぎるのか彼女の体調に悪影響は無いらしい。私自身も昼間は職場に居るし、家に居ても首に保冷剤を巻いて扇風機に当たっていれば何とかなってしまうので本州暮らしは伊達ではなかったなと時々思う。序でに言うと私の部屋にクーラーを設置する場所はない。もし一人暮らしをするのであればクーラー設置済みの部屋か、設置が可能な部屋のどちらかにはしたいけれど。
元々汗をかきまくる体質なので、熱が身体に籠らないのかもしれないと思う。職場では一番の汗かきなのでミニタオルは必須アイテムの一つだし、筋肉量が人より多いからか体温自体も高いらしい。以前コロナ禍で病院を受診する際には体温が常に微熱レベルな所為で門前払いを食らった事が度々あった。処方箋だけ貰って薬局行きである。頭痛外来を受診した時は平熱が微熱故に本来受けたかった検査の前にPCR検査と抗体検査を受ける羽目になった。頭が割れそうなレベルの頭痛を訴える患者にそれは無いだろうと思うが、あの頃はそんなもんだったなぁと今なら思える余裕がある。
さて、此処から自慢させていただきたい事を書いていこう。
今日は職場での定着面談だった。私は現在障害者雇用枠のパートタイマーとして働いているが、就労移行支援事業所(兼就労定着支援事業所)の提供する定着支援を利用している。うちの会社はこの様な支援機関との繋がりがある人物を対象に求人を出していたのだが、私が応募した際はかなりの倍率だったらしい。企業の規模や福利厚生、給与や勤務時間がフレキシブルさ、雇用予定人数諸々の理由で狭き門だったそうだ。とは言え受かってしまえばこっちのものである。今の所無遅刻無欠勤で勤続できており、勤務態度も結構高く評価されていた。今日は本社の方ともお話したが、出退勤の打刻漏れもないし休憩時間や場所もきっちり守り、与えられた仕事は求められたレベルできっちり行う。元々根が真面目ゆえに真面目にしている方が楽なので、何だかんだしっかりと働いていると思う。気付けば埃を見つけてモップを動かし、隠れていた汚れがあると嬉々として掃除する。時間があれば売り場ごとにブロックを決めて商品一つ一つの埃を取るのだが、これには理由がある。まず前提として、私は客として買い物をする店の商品に埃が付いていると嫌だ。自分や自分の大切な存在の為に買い物をしているならなるべく良い状態の物を買いたい。となると、自店に並ぶ商品に埃が付いているとお客様に申し訳ない気持ちになる。お客様も嫌だと感じるかもしれないからだ。そして、両手に商品を複数持っているなら買い物籠を利用したい。商品を吟味するのにあると便利だからだ。そうなると自分が店員な時にはお客様には挨拶をして直ぐ手元を確認して、二つ以上持っていて他にも見たそうな雰囲気を感じた場合は籠をお渡しする。断られても気にしない。必要であればお声がけがあるか、ご自身で取るだろう。
これは前職からの習慣みたいなもので、売り場に居る時は無意識に周囲の気配を探っては籠をお渡しするべき方が居ないか、何か探している様子の方は居ないか、困っていそうな方は居ないか確認している。無意識なので『観ている感覚』自体は無い。作業に没頭していても数十秒に一度顔を上げる習慣がある為、大抵は気付いて籠を取りに行ったりお声がけをする。加えて私の声はよく通るのでお客様は声をかけやすいらしい。挨拶が売り場に響き渡っていると言われた。今の所それは高評価に繋がっている。販売業は元気よく笑顔で『いらっしゃいませ』が必要な職種だし、日本人は其処にホスピタリティを感じるようだ。視力の低さと妙な反射で出勤してきた先輩方に間違って『いらっしゃいませ』を時々言ってしまうのは恥ずかしいが、寧ろそのくらいで居て欲しいとも言われた。言うべき人に言えないよりはいいのだろう。
で、前職時代と同じく出来ない事が多い分出来る事を頑張ろうとした結果、大変に褒められた。「感動した」とまで言って貰えて非常に嬉しい。お客様の立場に立ってお客様の目線で物を見て考える、と言う事が出来ているとの評価である。やろうとしても難しい人も多いらしい。自分がもしお客様の立場なら、と考えるのは癖だろう。そして前職時代の上司のお陰だ。『もし自分がそちら側ならどう思う?』と投げかけ続けてくれたことに感謝である。自分がされて嫌な事はせず、して貰ったら嬉しい事をする。そして『目の前のこの人は何を求めているのだろう?』と考えるヒントにして動く。後は只管チャレンジとトライ&エラーを繰り返して学んでいけば自然とスキルは上がっていく。対人の仕事なのでどうしたって考えが及ばない場面があるけど、だからこそ面白いと思う余裕が出てきた。何か意識の高い発言だが本心で書いているし、これで高評価をゲットして売り上げが伸びれば私の給与も保証されるのでWINWINと言う奴だ。お籠渡しも『商品を持ち運びやすくすればもっと買ってくれるかもしれない』し、『重そうな商品を持っている方なら商品自体をレジで預かって置けばさらに買ってくれるかもしれない』し、商品が綺麗な状態なら見ていて気持ち好くて『魅力的に思うかもしれない』。そうすればお客様は快適にお買い物が出来て、私は気分良く仕事が出来て、お店は売り上げを伸ばせる。三方良しと言うのはこの事だと感じているので行なうサービスだ。
結構打算的な人間な自覚はある。結局お金が欲しいから働いているので。その序に社会貢献になったり誰かを喜ばせられたらいいってだけの話だ。でも仕事ってそう言う物じゃないかなと思う。
まあ、そんな感じで働いていたら早くも昇給の話が出たので内心でガッツポーズだ。商品知識もなかなかのスピードで身に着いてきている。暗記科目が得意で良かった。初めの頃と比べると何処に何があるとかどんな場合にどういう商品が良いとかも分かって来て、接客が楽しい。以前取得した資格の知識や学生時代の勉強の成果も活きるし、のめり込み過ぎない程度に興味のある分野なので程良く勉強を続けている。
最近自覚したけど、私は常に何かを勉強していたい欲求みたいなものがあるようだ。仕事以外では毎日英語の勉強をしているが、少し前からネイティブの英語を聞き取って意味を理解できるようになってきた。簡単な文章なら字幕なしでも聞き取れるし、字幕があるなら英語でも大丈夫。私のスマートフォンはアンドロイドだからかGoogleで英単語を調べると単語クイズみたいなのが表示される事があって、正答率が上がって来た。ちなみに全問正解すると問題のレベルは上がるらしく、『貴方には簡単すぎたみたいだからもう少し難しいのを出します』とか表示された。デュオリンゴって凄いなと素直に思う。現在レベル的には簡単な会話なら困らないくらいだ。とは言え私の場合文法と発音が弱いので、実際に外国の人と話すと緊張してカタカナ発音の単語で会話する感じだが。逆に単語の意味を問われるとか暗記には強いのでリーディングはかなり成績が良く、和文を英訳するのも強い。もっと覚えたいのでそろそろ新しい電子辞書が欲しい。
以前にも書いたがゲームをする習慣が全く無かったのもあって、すっかりデュオリンゴに嵌まってしまった。感覚が完全にゲームや遊びなのだ。知らない事を知れるのも、知る為のスキルやツールを得られるのも非常に楽しい。
その他の趣味もそこそこに楽しんでいる。先月は小説を一本書き、ドールを一体仕立てた。今月は縫い物とイラスト描きを強化したい。趣味は趣味と割り切っているのでそれなりに楽しめれば良しと考えている。何事も完璧じゃなくていいと思えるようになって大分楽になった。多分私くらいの熱量で取り組んでいる人をプロになれる人とは呼べないと思うけど、アマチュアと言うのは『愛好家』なので、『好き』でいて時折取り組むくらいでも趣味ならば良いのだ。
身近に趣味の事で悩んでいる友人がいるのだけど、彼女は自分の趣味仲間の発言に思う所があったらしい。自分が利用しているものを(そして利用している彼女自身を)貶されたように思えてしまったそうで、自分の思い違いだとも感じたそうだが、個人的に『貴女がそう感じたのなら、そう取るのは自由なんじゃないか』と考える。感じ方と言うのは人それぞれだから結構な確率で摩擦が生じるし、相手が本当に何を思って発言したかなんて、本人にも分からないかもしれない。だから、無意識にマウントを取られたと思っても仕方ないと思う。これは前提だけど、その場で相手に返し言葉で傷つけるような事を言っていないのであれば感じ方は自由だし、受け取り方も同じ事だ。勿論相手にそんな気は無かったかもしれないし、自分の発言を精査出来ない状況だったかもしれない。
彼女はその相手に対して傷つける言葉を投げかけないよう努力しているので、その時点で正しいんじゃないかなと言うのが私の見解だ。その場を見聞きしていないのに烏滸がましい事を言うとは思うけれども。受け取り方とか物事の認知って本当に人それぞれだから、私も時々リアルの友人の地雷を踏んでいるし、踏まれる事もある。
だから、相手を意図して傷つけずに、意図しない所でも傷付けないよう心掛けているならそれで合格じゃないかしらと思うのだ。何か腹に据えかねる事を言われて、後で自分が傷ついた事を知ると怒りが湧くのは当然だし、考えている内に自分の感覚がおかしいのかとか疑い始めるのも分かる。でも『感じ方は人それぞれ』なんだからそれ≠害意を持ってぶつけない限り貴女は間違ってないんだよ。
そして、自分の利用するものが他人と違うのも、魅力を感じる点が違うのもおかしくない。例えば私なら『百均のセリアよりもダイソーの方が良くないか』って言われたとして、『やっぱりセリアが好きだな』って思う自分を否定しないから。だって相手には『私の思うセリアの魅力』が魅力的じゃない可能性だってあるけど、魅力に気付いてない可能性だってある。何事も特徴や優れている点は少しずつ違うものだし。大手のお店、商品じゃない物を『私にはこれが便利で適している』とか『この商品の此処が好きだから、多少高くてもこっちが良い』とか『何となくこっちの方が好ましい』って理由で愛用している人って沢山居るんじゃないかな。
『私はこの店のこの商品が気に入っている』とはっきり言えなくても問題じゃないと思う。好きな事の理由ってあまりはっきりしない事の方が多いと思うし、『他の人にとって便利な良いもの』がイコールで『貴方にとって良い物』とは限らないから。それまで知らなかった事とかお店を知る事でワクワクできるのは事実だけど、それってマウントを取る材料にしなくてもいいんだと思う。マウントとは限らないけど。もしかしたら『○○ちゃんこれ知らないの〜?☆』な小学生女子みたいなノリかもしれない。でも仮にそうなら、それは相手の方が幼稚なんじゃないかな。自分と他人は絶対にぴったりとは重ならないから、自分の知識や感覚は常識って思い過ぎるのは危険と言うか、つまらない気がする。仮に相手がまだ知らない事を自分が知っていて、相手が知りたがっているなら適切な形で伝えればそれで済む話だし。
何となくだけど『自分は主流で最先端なものを楽しんでいる』って言うのも悪くはないけど、『ごく一握りの人しか気づいていない魅力に気付ける自分』も良いんじゃないかな。私はどちらかと言うとそっちの人間でさ。皆が知らない物を知りたい欲が強いんだろうね、ついついトリビアみたいなものを見つけては小説や此処での生地に練り込んでるよ。勿論メジャーも知って置いて楽しみたいし、マイナーな事はマイナーたる所以がある。でもそれに優劣はないと思ってる。ただ、それぞれに違うだけ。そして新たに知ったものが良さそうだから乗り換えるのもその人の自由。誰かに勧められたからだとしても、利用するのを決めたのは貴女自身だから自分の意思で決めた事に間違いはない。ただ判断材料にしただけ。負けた気分になるのは何か分かるし『何故今まで利用していなかったんだろう』みたいに思うのも分かる。でも、それを気に病む必要は無いんじゃないかな。知れた事を喜んでおけばいいと思う。『負けるが勝ち』みたいな言葉もあるし。
趣味って『本気で取り組む』のも『ただ楽しむ』のも許される事柄だからこそ悩んじゃうよね。簡単に誰かと比較できちゃう世の中だし。『比べ過ぎない事』もスキルみたいになってるかもしれない。それだけその趣味が大切だからなんだろうけど。長年楽しんで親しんできた事は変えるのが怖いときあるよね。新しい事をするのにもお金や時間がかかる。ただ、仮に『今は楽しめない』とか『こんな風に感じるならやりたくないな』って思うなら、一旦離れて別の趣味って言うのも自由だよ。好きだから『楽しむ為に敢えてやらない時』を作る事、私にも結構あるし。離れてみて見えてきたり分かってきたりするものもある。
まずは楽しめる何かでエネルギーチャージ出来たら良いよね。身体も心もある程度元気な時の方が考えは前向きになれるし。今はすごく暑いから、ミネラルと水分、程々の糖質を補給して眠れる時に眠ったらいいよ。おやつならお勧めは塩昆布と麦茶かな。お茶だけなら梅昆布茶も良いね。ホットドリンクは厳しいかな。
楽しみたい時に楽しみましょう。『程々に』ってね、私達みたいなのには難しい事だけど出来るようになってきたらすごく楽だから。
▼2025/06/24:朝が来るのが怖いから、ずっと東へ背を向ける
つい最近、統合失調症の患者が殺傷事件を起こして起訴されたニュースを聞いた。毎回思うんだけど、何故に統合失調症だけは病名がきちんと報道されるんだろう。私は結構迷惑だし不服だし、それなら全ての疾患(精神疾患だけでなく)を明記して報道してくれないと不公平じゃない? と考える。多分だけど『福祉にきちんと繋がり、それを拒否しなければ犯罪を起こさない人だった』と強調したいのかね。『福祉』とひとことで言っても種類も質も色々なんだけれど。
一番可哀想なのは被害者であるべきだ、今回の事件に於いては。普通に生活していて接点すらない人物に衝動のままに死傷される、そんなの理不尽以外の何者でもないし、それを自分にとっては全く関係のない事柄(今回は精神疾患)で相手は無罪を主張してるとか、そりゃあ障害者が差別もされるよなって思ってしまう。
結構ありがちと言うか、持たれがちな誤解なんだけど、障害者は全員が善悪の区別のつかない危険人物でも無ければ純粋培養された天使でもありません。たまに規格外に分類されてしまう人がいるというのは普通の健常者の人達と同じ。だから障害者も同じ法律で裁かれるべきだと昔から思っています。刑務官の負担が増えてしまうのだけは申し訳ないけど。今は懲役刑じゃなくて拘禁刑になったんだっけ、その内容を障害者に合わせるのはアリだと思う。でもそもそも罰の対象としないのはおかしいというのが私の主張。だってそれって人間扱いしていないというのとニアリーイコールだから。優遇と配慮と区別と差別、全部違います。微妙かもしれないけど。
でも、そのニュースを見ていてふと思ったんですよ。
私って本当に今、統合失調症なのかなって。
いや、多分間違いなく統合失調症の症状が如実に出ていた頃はあるんですよ。でも今は健常の人とあまり変わらないのかなって色々な場面で思う事が増えて。薬がかなり適合しているのはあります。確実に。服薬管理が徹底できているのも睡眠時間を確保も自分の努力だけじゃないけど、或る程度は身に着きました。家事能力も役所関係の手続きを調べるのもスマホかパソコンがあれば簡単な世の中だし、一人で飛行機とホテルを手配して旅行もしたし、それらの為に一般企業の障害者雇用でお金を稼いで医療保険諸々も払えてる。今は公共料金の支払いが家族任せなくらいかな。でもそれだってやり方は自分で調べられるじゃないですか。目の前の魔法の板があれば。
でもこの状態まで持って来るまでには十五年くらいかかってるから、やっぱり病気なんだろうな。相変わらず離人感は強いし。接客してる時とか職場の人と話す私は基本私じゃないので。常に自分に違和感がある。自分で居られる瞬間の為に趣味をしているところはあるかもしれない。文章を書く自分や絵を描く自分、縫い物や手芸や料理をする自分は演じていない自分だから。筋トレとか有酸素運動の時は何も考えられないのでまた別のお話です。
こう言う症状がある統合失調症の人ってどれくらいいるんだろう。一般的な症状なんだろうか。どっちかって言うと『統合失調感情障害』とか『解離性障害』に近い気もするんだけど。ただ、幸運だったのはリストカットとかアームカットとかの自傷行為にはあまり至らなかった事。痛い事が嫌い過ぎて無理だった。その代わり買い物し過ぎるとか無茶な食べ方をする方の自傷行為はあったかな。今は随分治まって良かったけど。たまにね、夜食を食べちゃうことはあるんだけどね。
話がそれたけど、精神科の病気を持ってるからって減刑はしないでほしいし無罪を主張なんて勘違いも甚だしいと思う。何で人を傷つけた責任を取ろうとしないのって思う。障害者を差別してほしくないなら健常者と同じ罰を受けるべきだと思う。それが無理なら障害者全てが社会から隔離対象と見做されるよ。
昔、障害を持っている人に殴られた事がある。顔を何発かね。高校生の時。今思えばあれ重大インシデントなんだよね、病院の中での出来事だから。車椅子の男の人に手招きされて、困ってる事でもあるかと思ったらいきなり殴られるから怖かった。その人はもう一生を病院で過ごすんだって言われたけど、でもそれだと看護師さんとか他の患者さんを暴行する可能性はある。でも支援はしなくちゃいけない。罰も受けない。理解できていないから。それって大分、不公平な気がする。じゃあどうすれば良いのかは分からないし、その人にも人権はあるんだって理解はある。でも、被害者になっちゃった私にも人権はあるんだよ。
あの時は多分病院関係者と私の両親とで話し合いがされたとは思う。結局あの後その加害者の人に会う事は無かったけど、今はどうしてるんだろうか。
今回の被告人がどんな風に自分の病気と向き合っていたかは分からない。必死で戦っていた最中かもしれないし、服薬や通院が途切れがちだったかもしれない。家族は頑張って支えていたかもしれないし、放りっぱなしだったかもしれない。それらすべての中間地点に居たかもしれない。テレビの報道だけで判断するのは早計だ。だって被告人とは会ったことも話したことも無いし、私は医者でも臨床心理士でも看護師でもない。彼の病状を長く見てきた人と話す機会も無ければ近所の人に様子を聞く事も出来ない。
だから、報道の在り方を考える方が取り掛かりやすいんじゃないかと思う。報道って起こった事を総て正確に伝えていればそれで良いのかって言ったらそうじゃなくて、真実とか事実によっては『敢えて』暈かして伝える事も必要なんじゃないかって感じる。例えば有名人が亡くなった『死因』とか、『状況』。「極端な選択をしてしまった」くらいに留めておかないと引っ張られちゃう人っているじゃん。知りたいのはその人が『いつ』亡くなったって言う事実くらいで、『何故』『どうやって』『何を使って』『何処で』『どういう状況で』『こんな言葉を残して』とか要らないんだよ。それらは本当に親しい人達だけが知るべき情報だと思う。でも知りたがる人も多いし、知らせたいんだろうね、沢山の人達が。
そして『知る権利がある筈だ』って自分達の『報道する権利』を振り翳すの。それで傷つく人がいる事実を無視してね。別に被害者の家族とか加害者の家族とか家とか学校とか特定する必要ないでしょ。子供が殺された事件は重大なものだって言って、被害者の友人とかにも突撃取材する。友人も子供だったり傷ついていたりするのに。小学生がひき逃げされた事件で、幸運にも軽傷で済んだ子供に直接インタビューするのってどうなんだろ。事件の光景がフラッシュバックしたらどうすんのさ。大丈夫って本人が言ってたとしてもまだ子供なんだから、守るべきでしょうに。
多くの人が知る権利を主張したからこうなったのか、彼等が報道する権利を行使したかったからこうなったのか、『鶏が先か卵が先か』みたいな話になって堂々巡りで終わるんだけど、考えるのは止めない方がいいんだろうな。人間は考える葦であるって言うでしょ。思考ってものを与えられてしまった以上は考えるべきだと思うんだよね。
こんな考え方だからか、テレビはあまり真剣に見なくなりました。考え過ぎると疲れるからね。批判するのって気持ちいいんだけど、される側になり得る行為だからあんまりしたくない。天気予報とか重要な事件とか法案とかだけ確認したら消してます。選挙についてはネットを見た方が早いし。
今回の参院選も多分仕事だから期日前投票に行ってきます。毎回出口調査に捕まるのだけは仕方ないか。ロリータで投票所に行ったりするし、期日前投票に真昼間に行く若い女ってだけで注目されるらしいですからね。毎回こんな感じ。
報道をする人達とか国を動かしている人達に意見を届けたい時って、どうやったら一番効果的なんだろう。三島由紀夫みたいなのが最悪なのは分かるけど、私個人の意見を聞いて欲しい時の窓口ってあったりするのかな。総理官邸に郵便で送るのは絶対に遠回りですよね。
▼2025/06/24:指先は夕焼け、逆様なら南の海
たまには趣味に就いて語ろうか。家族には内緒で、またドールを製作している。これで4体目だ。名前はミュウちゃん。やはり米津玄師さん関連の名前である。1体目がアザレア、2体目はリュンヌ、3体目はシトロン。総て米津さんの楽曲関連で名付けたが、今回は米津さんの曲が使われたドラマから採用している。ミュウちゃんの髪の毛は既に注文して発送待ちで、アイはもう手元に届いている。彼女を製作するにあたり、珍しく先にテーマが決まった。他の子はイメージより先にビジュアルが決まるのでこれは珍しい事である。ミュウちゃんのテーマは『コットンキャンディ』、つまりは綿飴だ。ピンク色のふわふわしたウィッグを購入すると決めたのもこれが理由である。ドールアイはシトロン君と同じ作家さんから購入した。きらっきらのお眼目になるようこれからドールヘッドにメイクを施し、アイとウィッグをセットする。素体に関しては変わらずセリアドールだ。今回は15センチのボディを使用している。
お洋服はまず、白のサテン生地とカラフルなオーガンジーフリルやスパンコールをたっぷりと使ったものを用意している最中だ。夏らしく軽やかなイメージで、ふわっと甘いイメージに揃える。お靴はどうしようかと言うところが悩みどころだが。聴くところによるとオビツボディと言うお人形たちのお靴が丁度良いサイズらしいので調べてみる事にしている。
ドール趣味があるというと結構な確率で『スーパードルフィー』を連想されるらしい。いつかはお迎えしたい憧れの子達である。叶うならフルチョイスシステムを使い、理想の子を作ってみたい。勿論お洋服は自作して、その頃にはミシンももう購入しておきたい所である。
相変わらず手芸も楽しい。住んでいるところが都会な方な割に手芸屋さんが少ないのが少し惜しいポイントではあるが、それでも大きなお店に行けばついつい隅々まで見てしまう。家の最寄りのセリアも勿論楽しい。何だってあんなに私のツボをついて来る品ぞろえなのだろう。いつかバイヤーさんとお話をしてみたい。絶対に趣味が合うか、余程腕が良いんだろうなと感じている。昨日も1000円以上も使ってしまったし。あーちゃん以外のうちの子達は生らが無いとこの世に存在していないし、クラフト関係に強い100円ショップと言えばセリア、と言うのが私の中での認識だ。
以前Instagramに載せたけど、布小物を作ることが好きで、いつかそれを副業にしたいとも考えている。ポーチとかバッグ、一緒にドール服も。可愛いうちの子のお洋服を作ると同時に何枚も作ってみたいアイディアが思い浮かぶし、余った布は有効活用したいので。今の職場では自営の副業はまあやってもいいみたいだし(利益が沢山出たら報告は義務だけど)、就職した日にしっかり確認した。確定申告が必要になったら頑張ろう。今の時代調べるツールは幾らでもある。
そんで、最近のメイク事情についても語っていく。
プチプラかつデコラティブの代表格と言えそうなマジョリカマジョルカのフェイスパウダーがとても良いと知ってしまった。商品名は『マジョリカマジョルカ プレストポアカバー』で、ポア≠ニついている事でお察しかと思うが、毛穴が兎に角隠れる。そして崩れにくい。私は連日の暑さに大汗をかきながら仕事をしているが、そんなにひどく崩れないのだ。そしてお値段は2000円未満。これは良い買い物をした。ちなみにこのパウダーは資生堂の毛足の長いパフで多めに取って叩き込み、同じく資生堂の『エリクシールシュペリエル つや玉ミスト』を吹きかけ自然乾燥させると本当に崩れなくなるのでこの組み合わせはお勧めだ。眉のあたりにもきちんとファンデーションを乗せて軽く粉を乗せてから眉を書いて、チークとシェーディング、ハイライトまで終わらせてからミストを吹くと顔全体の色が長持ちする。
ぶっちゃけ目元のメイクってマスカラ以外はある程度離れると見えないので、あまり力を入れ過ぎなくなった。仕事の時とプライベートではメイクの感じも変えている。仕事では一見サラッとしていて好印象なシンプルさなのに、実はよくよく作り込まれているメイクを目指している。ナチュラルメイクの方が時間がかかる事も多いというのは定説かもしれないが、結局のところは肌のノイズが少ない方がいいのだ。故に色ムラが無く血色が良くてハリとツヤのある肌が目指すべきところだと感じている。
しかし、その取り組みのお陰で最近は肌を褒められているのかと思いきや、単にストレスが少ないから肌の調子が良いというのもあったらしい。仕事では日々可愛いわんこやにゃんこを観る事が出来るし、お客様が連れてきたわんこやにゃんこには接客すべきなので触れ合う事も出来たりする。私は予てより人間より犬猫のを前にした方が圧倒的にテンションが高い。なので自然と『お宅のペットちゃんは本当に可愛くていい子ですね!』と言う思いが前面に出るし、お店に連れて来られるようなわんこやにゃんこは大抵がきちんと躾されている。大体の子は『貴方、犬好きですね? 僕は犬です! 撫でてください!』と尻尾はフリフリだ。実の所私は犬には基本的に好かれるタイプなのもあり、全力でリクエストにお応えしなでなでしておやつのサンプルをあげたりして、わんこが満足した所でお客様の要望を聞く感じだ。お客様もご自身の可愛いわんこを褒められれば喜んでくれるし、悩み相談などもしやすいという。お互いにWINWINだ。
そんな生活をしていると当然ながらストレスは減るらしく、よく働きよく食べよく動きよく眠ると肌は当然の様に調子が上がって、スキンケアはどんどんシンプルになる。ので、何を使うかも大事だけど、どう生活するかも大切だと噛み締めながら明日もわんにゃんを愛でるのだろう。
▼2025/06/19:失くしそうな其れが大切だから、掴んで離さないようにしたんだよ。
新しい仕事に就いて一ヶ月経つ。初めはエンジンのギアを上げ過ぎて転びそうになったけど、母と話した事を機に落ち着く事が出来て今はそれなりに力を抜く事が出来るようになった。別に、お客様は什器の隅から隅まで埃のチェックはしないし掃除は出来る時にやればいい。検品と品出しの方が余程大切だ。最低限商品と目の付く範囲さえ清潔さが保てていれば目くじらを立てる人はそう居ないだろう。何となく腑に落ちた瞬間と言うか納得出来た瞬間みたいなものがあって、自分一人で店を運営しているわけでも無し、皆が出来る時にやればいいのだと(どの仕事でもそうだけど)思えた。元々完璧主義のきらいがあって、何事にも全力を尽くすべきとの考えが強かった。今でも完璧で居たい時はある。でも全てが完璧とか有り得ないし出来たとしても難しいし負荷がかかり過ぎる。前にも書いたかもしれないけど『70で合格できるテストで100点を目指す必要はない』んだよね。最低限70点取れればいい。合格するという事を目的にするのなら。そして残した余力はいずれ100点を取る必要が出た時の為に取っておけばいい。キャパシティとかリソースとか、みちみちに詰まっていたら本当に頑張りたい時に頑張れなくなる気がするんだよね。
そんで、変わらず立ち仕事を選んで良かったと思う事が幾つかありました。まずは仕事中に寝ない事。本当なら一番適性の高い仕事は事務仕事とかのオフィスワークなんだけど、静かな環境での座り仕事は確実に眠気に襲われると実感したんですよ。この前仕事で動画視聴してる時半分意識が飛んだ瞬間があったので。就労移行支援でも朝に糖質を取り過ぎると午前中使い物にならなかったし。
そして、痩せました。一ヶ月経たなかった頃にボトムのサイズが一つ下の物が入るようになったんですよ。上は相変わらずと言うかカップ数は変わらないんだけど。ただ、育乳用ブラを使っているのでもう少しでカップ数も変わります。今はFかな。今度はGだね。ウエスト数は恥ずかしいし書かないけど。でも毎日立って歩いて脚立に昇ったり掃除したり検品だと重い物を運ぶ必要も出てくるから、滅茶苦茶体力を使う。恐ろしいくらい汗をかくけど、かけるほうがお肌は綺麗になるらしい。新陳代謝が活発化して、最近ますますお肌の調子が良いです。朝の洗顔を見直したのもあるんだけど。
正直筋トレはサボりまくりです。休みの日とかその前日にやる感じ。でも運動量は格段に上がりました。お陰で夜も良く眠れるし、身体を程良く動かすのは本当に大切だと実感した。お風呂は毎日入るけど、身体を洗う時には良く泡立てたボディソープで身体を撫でるように掌で洗うようにしてます。大分乾燥肌が軽減された感じ。
多分、何事もやり過ぎもやらなさ過ぎもよろしくないんですよね。程々に、腹八分目が一番調子が良くなるんだなって。長期的に見るとね。この意識を持つと大分楽になれた。普段は手を抜いたり力を抜く事で本気を発揮しないといけない窮地に頑張れるんだなって、今更かもしれないけど。
一人暮らし計画も進めています。正直この前見学したグループホームだと私には合わないと感じた。今度また別の所を見学するけど、そもそもの話私は、グループホームじゃなく本当の一人暮らしでも十分やっていける気がする。仕事に慣れて金銭面が解決(労働時間を延ばすとか昇給とか)出来れば、生活能力の部分は一般人並みにあるみたいなんですよ。家事は完璧でなくとも及第点ではあるし(炊事と掃除は特に好き)、苦手な家事も出来ないわけじゃない。やり方とかコツは家族に訊いて練習してもいいし、検索したっていい筈だ。
何でこの話を書いたかと言うと、グループホーム(マンションタイプ)に入る時にも初期費用が結構掛かるし、その後引っ越して一人暮らしともなれば再び初期費用が掛かるから。二度手間と言うか、損かもしれないなって思って。貯金はしているのでこのままのペースで行けば希望の時期に引っ越しは出来る。その上生活能力も収入もあるなら初めから一人暮らしでも良いんじゃないかな。
私、医療保険も食費もスマホ代もインターネット代も自分で出してるんです。当たり前のことだけど、出来ない場合もある。グループホームを利用する必要がある人って、もうちょい緊急性とか高いんじゃないかな。家族が手を離さなければならないけど、まだ本人の能力とか収入とかに不安があるとか通院や服薬が不安定とか。その辺りは私は昔から徹底しているので予定が崩れた事はありません。精神科に通うようになってから母と一緒にお薬の管理をきっちり練習してできる様になれたので。感謝。
その後社会に出てからはたまたま医療職に就いた事もあって服薬の大切さは身に沁みましたし。薬はなるべく減らしたいけど、全く無くすのも無理だよなって思う。やっぱり日付が変わっても眠れない夜はあるし、今こうして安定している状態を崩したくないから。出来れば肥る薬だけは無くしてしまいたいけど、それが睡眠に寄与している事実は否めません。前の3分の1の量なので頑張って減らしたんだけどね。
今の病院に通うようになってもうすぐ一年経ちます。で、今は毎回やって貰ってるカウンセリングは次回で終わりになりそうです。私がかなり安定しているのと、仕事も順調だから。初めの時にも言われてたけど、永続的なケアではないんですよ。必要な時に必要な人が受けるシステムなので。今はカウンセラーさんに話した内容を元に先生が薬を処方してるけど、仮にカウンセリングをやめると、診察時間自体が長くなります。そこで様子を確認して薬の調整をする感じ。もしかしたら主治医も変わるかもしれない。今の先生は初診の先生ではなくて、初診の先生に戻すかもしれないんですよね。ちなみにどっちの先生とも相性自体はいいです。今の先生は態度が一貫して一定のトーンでフラットな感じだけど(それも安心する要素)、初診の先生は少し熱血的です。初診の時には前の主治医の処方(相当見合ってなかったらしい)に『こんな薬を何年も若い女の子に出してたのか!?』ってキレてましたから。
初診の時は診察に二時間もかけてくれて、非常に信用できる病院だと感じて通院し始めたところもあるんですよ。家から数分の距離だし。
今友人に家族とか親戚との関係に悩んでる人が多いんだけど、私も悩んでたけど、一旦は落ち着きました。その要因はやっぱり母とか友人のお陰だったりするので、人との繋がりに関しては本当に恵まれたなって思います。後、傷つけてくる人からは距離を取る。大切にしてくれない人を大切にしない。それを自分に許すと本当に楽になりました。
自分も完璧じゃないけど、相手だって完璧じゃないですからね。親しき中にも礼儀あり。
そんな感じで巧い事物事が動いてきました。頑張ってた甲斐があった。仕事も毎日程良く楽しいです。一日に一回は結構面白い事とか楽しい事が発生します。実は今の勤め先はペット用品の販売店なんですが、以前取った資格の知識が活きる場面がたまにある。犬猫の身体と人間の身体は勿論構造が違うけど、こうすれば良いとの提案の材料には使えるわけです。登録販売者試験の情報は結構忘れてると思うし、最新の医薬品事情とかは分からないけど、結構使える場面があります。化粧品検定の知識も結構活きる。界面活性剤の種類とか添加物とか保存料とか、結構役立ちます。ペットと暮らす人って、自分の最愛の存在の為にお買い物しているからなるべく良質なものをお求めなんですよ。そうなると化学に合成した薬品は無添加なのかと気になるみたいで、出来ればケミカルな物は避けたい人が多いらしい。勿論この世の全ては化学物質で出来ていますが、合成するにしても優しめの組成にした方が安心なのが良く分かります。
この前接客したお客様に掛けられた言葉がとても嬉しかったんですが、愛用されている商品の素材がとてもシンプルな処方で確かにワンちゃんには優しい感じですね、と言ったら安心されていて。『これからも此処で買います』って言って貰えたんです。資格の知識は最新じゃないかもしれないと言った上での発言だったのに。
接客が楽しいと感じる場面も変わらず多いです。元気よく笑顔で挨拶して、商品で両手が塞がっているなら買い物籠を渡す。それだけでも喜ばれるんですよ。そしてその様子を見ていたらしい別の方からお声がけがあって、まだ少ないながらも商品知識を駆使して提案すると結構納得される。昔一緒に暮らしたわんこの話をしても喜ばれます。やっぱり経験があった方が働きやすい職場です。
これから少しずつ知識が増えたら、もっとスムーズな接客が出来るかなと思う。こんな提案が出来そうとか、こういう時にはこうしたら良いんだって引き出しの中身を増やして整理していく。
過去のトラウマの所為もあって他者からの(良心的であっても)指摘が自分を否定しているように思えて怖かったんですが、今はあまり怖くないです。指摘する口調が優しいのもあるけど、これは伸びしろだと素直に思えるようになれました。つい最近の事だけど。至らない所をわざわざ指摘してくれるって、私の事を良くしたいからじゃないですか。嫌がらせじゃないって態度でも分かるし。
精神疾患を持ってると『認知の歪み』って言葉をよく聞くんだけど、今はそれが治ってきている気がする。目の前で起きる事をそのまま受け取るようにしてる。だって、擦れ違いざまに陰口を叩く人なんてあんまり居ないし。居たら居たでその陰口は的外れな可能性の方が高いし。折角好意をもって良くしてくれようとする人を素直に受け止められないのは失礼かなって今は思う。
常に全力を出していた頃はそう考えられる余裕が無かった。必死だったから。全力を出して褒められないと否定された気分になっちゃうからね。否定したいんじゃないし認めてくれてもいたのに、歪んだ形で受け取ってしまった。今となっては申し訳ないけど、過去は変えられないので明日を変えます。
仕事を家に持ち帰らないようにしてるのも功を奏したようです。元々接客の素地は出来てたから安心して働けたし、予算を達成するとかはまだ考える必要ないっぽいし。お店が存続さえしてくれれば安定して働き続けられるね。
今精神が不安定になっている友人が居るんだけど、自律の為に依存先を増やすのって難しいなと思う。私の場合は作品を発表する場が幸運にもあるからか、良い作品を書ければそれだけでも五日くらいは上機嫌で居られます。家族に思いを吐き出すのも良いし、病院以外の居場所があってもいいかも。デイケアとかピア(当事者)トークが出来る場所とか(無理強いはしません)。自分にとっての安全基地を増やすのが一番いいんだけど、それが出来たら苦労はしてないよね。AIに頼るのは悪くないけど、生身の人間と話したい時も多いみたいだし。外に出られそうならお庭の薔薇の写真を撮って、眺めながら紅茶を飲むとかしたらいいんじゃないかな。ハーブティーもおすすめだよ。個人的に蜂蜜カモミールティーが好きです。
取り敢えず私は此処で書きたい事を好きなように書いて待ってる(と言うか意識に入れてる)から、吐き出したい時はいつでも来てね。読んだ感想も有難いです。取り敢えずさ、貴方の現状は貴方だけが招いた事じゃないからあんまし背負い過ぎずにね。貴方の人生は貴方にしか味わえないし、貴方が書いた文が好きで私は画面の向こうから貴方の所に通ってるから。
貴方も貴方を大切にしてくれない人を大切にしなくてもいいんだよ。人って鏡だから、同じ行動をとって良い。私は貴方に優しくされたから優しくしたいしね。
一回どん底まで落ちて這い上がった結果が此処に居て今はそれなりに幸せだから、安心して良いと思うの。この先暫くは暑いから、無理し過ぎずに過ごしてね。明るい朝が訪れますように。
▼2025/06/12:端から決まってなんかいないよ、だって来てないから未来でしょ。
今年も誕生日は労働をしていた。販売業での日曜日は繁忙日である。遂にアラウンドサーティ最後の年となった。年齢はただの数字と思う性質ではあるのだが、確実に肉体は年を取っている。何故って、食事量が明らかに昔よりも減っているからだ。内容も同じくで、以前此処に書いた通りお肉をたくさん食べる事が出来なくなってきた。特に脂肪の多いお肉。バラとかカルビとかハラミとかホルモンとか、どれも大好物なのに一人前でもう十分と感じるようになってしまって、見た目の年齢不詳度は年々上昇傾向なのに内臓は普通に年齢を重ねているらしい。老化と言うべきかもしれないが。まあ誕生日祝いはきちんとして貰えたので満足。Instagramに投稿したが、ホテルのアフタヌーンティーを頂いてまいりました。美味しいし可愛いしで非常に楽しかった。ロリータファッションを纏ってアフタヌーンティーは堪らない非日常ですね。セイボリーが本当に出来立ての状態で提供されるので嬉しい。今度はまた別の時期に行ってみたい。
さて、最近スレッズと言うSNSで色々見掛けるんだけども、皆さんヘルプマークってどれくらい見掛けます? 私って精神疾患持ってて手帳もあるからヘルプマークの配布対象者なんですよ。ただ、普段全くと言っていいほど助けを必要としないんで持ってないんですよね。あれって持つ持たないは自分で決めていいと思うんだけど、持っていた方がいい場合もあるのも知ってます。災害時とか緊急事態時とか。ただ、着けておくのは何かこう…抵抗がありまして。優先席も必要じゃなければ発作も起こらない、出血した場合に血液凝固に問題が起きる薬剤も使用していない、妊娠の可能性も無い、感覚器に異常は持ってますが日常では困らない(匂いが分からないだけなので)と理由は幾つかありますが、持つだけ持って鞄の中に入れておいた方がいいかもしれないとたまに考えます。
ただ、あのマークを私的な理由で行使するのはまだ良いとしても、触法した事への免罪符とばかりにちらつかせるのはどうなんだと思う事が増えました。触法ってあれです。法律に違反するとか抵触するって意味です。例えば公共の場のルールを破り他者に迷惑をかけたり、カスタマーハラスメントとかを働いたと指摘された時にヘルプマークをちらつかせて『自分は障害者で、弱者だ』とアピールしている輩が少なからず存在するっていうのが事実としてあるみたいなんですね。そうなると本当に助けを必要としている人達が畏縮する原因にもなり得るって言う指摘や、持ちたいのに(若しくは持たせたいのに)持てないって訴えがあるとか。
まあ『障害者』が『弱者』とニアリーイコールなのは分かります。私もそう言う一面在りますし。ただ、それを振り翳して他の人を害する時点でその人は守られるべき人ではないと思います。最近『触法障害者』って言葉を知ったんですが、犯罪に手を染めた時点でその人はきちんと法律に則って罰せられるべきだと感じてまして。私の病名は今更ですが『統合失調症』がメインで『気分障害の疑い』と『非定型発達の疑い』がありますが、どれもこれを理由に減刑されたら私本人がキレます。刑事罰くらい自分に必要なら受けさせてほしい。自分のしたことに責任が取れないほど病んでいる心算はありません。
実の所、私は自分の事を『社会的弱者だけど、同時に強者』だと思ってます。だって、本当に何も出来ないわけじゃない。生活能力は普通の人と同等だし知能指数も平均の数値です。障害者雇用だけど一般企業で働いてるし医療保険料や共済も自分で払ってます。スマホ代もインターネット代もです。
一見すると普通の人と変わりない生活を送りつつ、必要な場面では支援してもらえるよう行政や施設に訴えたり赴く力もあります。今日も自分一人で調べた手続きを区役所でしてきました。必要なものくらい自分で調べられるし、今まで二度手間になったことも無いです。コロナウィルスに感染した時も自分で救急車を呼んだし、治ったら証明書とを取り寄せて保険金の請求手続きも出来ました。これだけ出来たら弱者って名乗るのが申し訳ない。勿論同じくらいの能力を持っている人達全てにこの姿勢は強要しません。やったら出来たからやってるだけ。
運転免許証が取れないので初めての場所へ遠出する時は大変ですが、それでも公共交通機関が通ってれば自分一人で行ってます。グーグルマップとか乗り換えアプリが無いと絶対迷子になるけど。
こんな感じなので自分を『弱者なんだから』と言えないんですよね。貰うものは貰う、けど、貰うばっかりにならないようにしてます。職場では合理的に配慮して貰えている分、此方も理解してもらえるよう努力するし、伝えるし、お礼も言う。出来る事であれば指示通りやってみる。難しいなら練習出来る場なんだから。『障害者だから許してくれ』と言うくらいなら、初めから人を傷つけたり害したりするような真似をしなければいいんです。誰だって間違う事があるけど、間違えたらまずは『ごめんなさい』でしょうと思います。その後補償について話し合ったり、罰を受けたりすればいい。一部(本当に一部かはわかりませんが)の『自称弱者』の行いで本当に助けが必要な人の元にそれが届かないとか、助けての一言が言えないとか、訴えられない。
難しい問題かもしれないけど、一人の人間として生きていてそれを認めて欲しいなら、或る程度はルールを守るべきなんですよね。モラルもマナーもだけど。普段は様々な恩恵を受けているなら『それ』を免罪符にしてはいけないと思っています。
で、『本当に助けが必要な人を適切に助けるために』と思って考えたんですけど、現行の制度にこんなのを加えてみてはどうかなと思った事を箇条書きしていきます。
1.ヘルプマークを支給する時には『これは貴方の困りごとをみんなに気付いてもらうためのマークですよ』と言う事を周知徹底する。
2.ヘルプマークを着ける着けないは貰った人の自由だけど、それは『無条件で罪を逃れるための免罪符』ではない事も周知徹底する。
3.現行のヘルプマークに加えて『黄色』『緑色』のラインを下部に引いて色分けする(赤のままのも用意する)。
4.同一人物に複数枚配らない。
5.身に着けている本人が問題行動をした場合でも、それを理由にお咎めなしにはしない。
6.街で見かけた『ヘルプマークを着けていて、本当に助けが必要な人は出来る限り助ける』事を、周囲の人達は(助ける側が障害者であっても)心掛ける。
1と2、4に関しては配布する側に説明力とか時間が必要になりますね。要は『これは貴方の困り事や障害を持っている事実を知ってもらい非常時などに必要な助けを求めるためのもので、決して人を傷つけた時の保険じゃない』って伝えるべきって事なんですが。自分は障害者だからとか、加害者になってしまったら口にしてはいけない事だと思うんです。特に被害者に対してはね。
5と6に関しては私含め周囲の人達が持っていた方が良いと思われる意識です。総てが正しいとは思ってないので異論は認めます。場合によるところも大きいですし。ただ、本当に困っている人が蔑ろにされるのは一番いけない事だと感じます。
3は持論を提案の形で示しています。現行のヘルプマークは赤と白の色で構成されていますが、其処に新しく『黄色』『緑色』のラインを下部に引いて『どれくらい助けを必要としているか』の目安とするのです。
昔大きな震災とか災害時に使われ始めて、現在の緊急時医療現場では当たり前になってきている『トリアージ』と言うものがあるんですけど、これは傷病者に『黒』『赤』『黄色』『緑色』のラインを画いたタグを着けてその色で治療の優先順位をつけるものです。どんなに高い志と技術のある医療者であっても、緊急時で多くの傷病者が発生した場合、より多くの人を助けるために治療の優先順位を決める必要が出てきます。命に貴賎はありませんが、例えば一人の重傷者へリソースを割き過ぎた場合、救えたかもしれない人が救われない時があると言う事で導入されたそうです。
この『色』は『赤』が最も優先順位の高い患者さんが付けられる色です。自発呼吸があっても意識不明とか、自己脈が弱いとか外傷が大きくて直ぐに手術などの治療が必要、でも助かる見込みはあるという色。意識はあっても簡単な指示(右手を上げてください、とか)は通らない感じです。
『黄色』はその次に優先順位が高いです。意識と自己脈自発呼吸はあっても自己歩行が出来ないとか、外傷が大きくその場で待機させ続けてしまうと命に危険があるとか。
『緑色』はそもそも軽症で自力での歩行も可能、意識も明瞭だし言語能力も怪しくないので自力で病院とかへ行ける人。なので一番治療の優先順位が低くなります。
『黒』はその状況では救命が不可能と判断されたケースで、心肺停止状態でこれ以上の救命措置を行なっていると他の患者の救命にリソースが割けなくなるからこの色になります。
これを踏襲して赤と白のみのヘルプマークの人は最も手助けを必要とする人に着けてもらって(例えば発作が頻繁に起こるとか、その場合に医療への通報がいるとか、感覚器がほとんど使えないとかで助けが必要とか、本人の症状に鑑みて)優先席はそれこそ優先的に使って貰う、困っていそうじゃなくても目を配る、声掛けを積極的にするとか、災害時には周囲が積極的に助けるとか。
黄色は『日常生活で困る場面は多いけど、常に助けを必要とはしない人』に着けてもらうと良いと思います。例えば自分で自分を助ける術は持っているけど、他人の手を借りる場面も多い障害をお持ちの方。移動手段が限られていて(肢体不自由で車椅子とか、義足、義手の人とかですかね)優先的にエレベーターや昇降装置を用意すべき人や特別な施設を使わないといけない人、ストーマを使っているとか定期的に医薬品を注射しなくちゃいけない人とか、完全に感覚器が使えないわけじゃないけど不自由さは否めない人とか、内臓疾患があって特別配慮が必要な人(胃ろうとかペースメーカーとかかな)。この場合も優先席は使って貰うべきです。
緑色は『日常生活では特に困っていないけど、疾患や障害がある事を緊急事態に分かるようにしておきたい人』に着けてもらったら緊急時に優先的にお薬手帳などを確認してもらえたり、必要な配慮をしやすいと思う。例えば『投薬治療が欠かせないけど、投薬さえ受けていれば普通の生活が送れている人(多分私はこれ)』や、『優先席を譲ってもらう必要はないけど時々困難な場面がある人(軽度の知的障害とか識字障害、失語症やトゥレット症候群、補聴器を使用する人とかですかね)』に着けてもらう。
現行のヘルプマークと同じように裏面に症状と対処が書けるとか、ポケットがついていて連絡先メモなどを入れられるようにしておくといいと思う。
これはあくまでも個人的な考えなんですが、全員が全員常に助けが必要じゃないし、触法したのに全てを許されてしまう事態は避けたいと思うんです。必要とする全ての人を漏らさず助けるのって難しいから、一絡げにするんじゃなくてある程度カテゴリを分けておいた方がやりやすいんじゃないかなってこの前考えました。まあ、この分類にするにしても医療者とか障害者支援に慣れている人の判断が必要になっちゃうことは間違いないんですが……ただ、ちょっと思うところが最近多くてですね……
これに加えてピンクのラインを引いてあれば妊娠している方とかにしても良いかもしれない。マタニティマークもあるんですけど、例えば障害や持病を持っていて特別助けが必要とか、悪阻が酷くて通院を繰り返しているとか。
こう言う物って完璧な正解ってきっと無くて、皆で考える事を繰り返すのが大事なんだと思います。で、助けられる余裕のある人が優先的に動くとか。見た目に障害が分からない人にとっては必要な制度だからこそ、時間の経過とともに議論を重ねた方がいいと思うんです。
一意見として書かせていただきましたが、皆さんはどう思われますかね? こういう意見って、何処に出せば行政に届くのかな? 調べてみます。
▼2025/06/05:冷ややかな初夏、繕うのには良い気候
趣味の話をしようと思う。下の記事はあくまでも明日の通院の為の記録なので。以前よりもお洒落を求められない職場に変わったこともあり、あまり朝の身支度に時間をかけなくなった。それでもメイクはルーティンなので毎日行うのだが、メイクアップの部分よりもスキンケアの部分への興味が強くなりつつある。幾らファンデーションを塗り重ねたところで元の素肌が美しくないと仕上がりも今一つだ。年齢を重ねて肌悩みは若干増えたのだが、特に気になるのが目元の皺とクマ、下がった口角である。色ムラやシミだって気になるが、乾燥も同じくらいに気になるこの頃だ。
一年程前、朝の洗顔には洗顔料を使わない方が肌の調子が良いと気が付いた。元々インナードライな肌なのだが、朝にしっかり顔を洗い過ぎると化粧後には顔がパリパリとする。油分を取り過ぎているのだろうかと夜の段階も見直し中だ。肌理は細かくて皮膚自体が薄い方らしいのだが、それだけ水分を保つことが上手くない。化粧水は相変わらず菊正宗酒造の日本酒の化粧水だが、乳液はアミノミノンを使っている。朝はエリクシールの日焼け止め乳液(結構いいお値段)だが、陽射しが強くなった頃から何となく乾燥していると感じることが増えた。故にラリンのナイトマスクを導入してみた。今の所、これを塗って寝ると肌の調子が良いので一先ず続けようと思う。身体の保湿はサボり気味だったことを此処に白状する。ボディクリームをほとんど塗っていないという『保湿の鬼』(友人談)には考えられなかった状況だ。ちなみに仕事を始める前からなので仕事のせいではない。今夜からはきちんと塗ろう。折角肌が綺麗だと褒められるタイプなのだから。
パックもラリンの物を愛用しているし、クレンジングは日によって数タイプで使い分けるようにしている。目元はマツキヨでしか買えないビタミンC入りの拭き取りクレンジング(大容量で安価)とヒロインメイクのマスカラリムーバーとクレドポーボーテの高級コットンで落とし、残りはラリンのスクラブ入りクレンジング(ダブル洗顔不要)かアンドハニーのオイルかバームか、名前を忘れたがダブル洗顔不要な洗顔フォームで落としている。
クレドポーボーテのコットンと訊くとコスメに詳しい人なら『良さそうだけどなかなか手が出ない』と思われがちだが、私は一度これを使ったら戻れなくなった。ぎりぎり千円未満だし目元の悩みが多い人間には必要な投資だ。肌だけでなく髪や爪にも気を使っている。ハンドクリームは安価だがサロン専売品、ネイルオイルも同じくで髪の毛にはヘアミルク(エルジューダエマルジョン+)とオイル(アンドハニー)のダブル使いだ。本当ならミストも使いたい。
最近、髪の毛を染めるのはやめようかなと思い始めている。これまで散々に髪の毛を苛めてきた私だが、大分気がすんだと言うか『黒髪で良いかな』と考えたのだ。染めると定期的に美容室へ行かないといけないし(一時完全なるプリンだった)、頭皮も心配だ。金銭的な負担も大きくなる。折角こんなに可愛い天然パーマなのだから、艶を育てよう。
唇や睫毛は少し前まで調子が落ちていたが、戻って来た。やはり毎日のケアと食生活の見直しと睡眠時間の確保が一番の薬だし美容液である。となると下の記事に書いた服薬管理が非常に大切だ。吹き出物とか出ないのもきっとそのおかげだし。
体調管理の一環として、食事の内容も見直した。朝は多めに食べて蛋白質を中心に、昼は糖質を、夜は野菜を多めにするのが私には合っているらしい。朝ご飯で糖質を取り過ぎると一日調子が落ちるので、朝ご飯にパンを食べるのをやめた。基本もち麦ごはんと納豆か卵、無脂肪のヨーグルトもよく食べるしその他の蛋白質も取るようにしている。果物も食べるならこのタイミングだ。昼は手作り弁当なのでご飯を多めに食べて(同じくもち麦ご飯)作り置きおかずは2.3品。ミニトマトとかも食べる。夜は主食を少なく食べて野菜のおかずと魚を良く食べている。休日なら麺類は昼に食べるようにしている。そして夜はあまり食べ過ぎないようにしている、のではなく食べられなくなった。うっかり夜に焼き肉とか食べに行くと確実に翌日は胃が靠れる。回転寿司だとこうはならないので、恐らく身体があまり肉の脂肪を受け付けなくなってきたのだ。年齢を感じる。
何だかんだ日々の食事で私の身体は出来ているので、これまで以上に内容について考える機会が増えた。必要な栄養だけ過不足なくとれる食事を提供してくれるサービスとかあれば利用したいが、費用がヤバそうなので現実的ではない。
そして運動は……正直なかなかできていない。立ち仕事ゆえに仕事で精一杯な事も増えた。その分休日には筋トレ生活だが。それでも血液検査の結果では筋トレをしているとあがる数値が明らかに標準を上回るので、運動不足ではないと思いたい。朝には必ずストレッチと足踏みもしているし。ちなみに前屈をすると腰痛予防になる。
お風呂は毎日湯船に浸かっている。しずかちゃん並みにお風呂大好き人間なのでじっくり浸かって汗を流すのはやめられない。
前に此処にも書いた通り、デブではないがぽっちゃり気味ではあるので今年中には前の体型に戻れればなぁ…と思いつつトレーニングに励んでいる。仕事で動いてたら痩せないかな…と淡い期待を持ちつつキビキビ動く毎日だ。汗かきなのが恥ずかしい事も多いが、単純に代謝が良いのだと思う事にしている。でないと肌が綺麗にはなりにくいだろうし。
毎日の積み重ねで素肌とか体型とかは整うものだし、面倒な努力をちまちまとやる事でいつの間にか報酬の様に状態が良くなることが何度もあった。これだから努力も美容もやめられない。
明日は筋トレをがっつりやりたいし、お弁当用のおかずも仕込みたい。魚料理のレパートリーも増やしたいし、夏野菜の煮込みを作る時期も楽しみだ。
何にせよ、やる気があるのは良い事ですよねと思いつつ今日もクレンジングは丁寧にするんだろう。自分を大切にしていると気分が良いんだよね。
▼2025/06/05:薄荷色の風が吹く、あまいよりもからい
今日の記事は通院の為の記録としても書いている。再就職して二週間ほど経った。初めは思い切り自分の中のギアを上げ過ぎて、かなり躁の症状が出ていたと思う。正直な所、就職できたことに浮かれていたのだ。安心もしていたし、これでやっと求めていた生活ができると思えてしまって。勿論覚える事は沢山あるだろうし大変だろうと思うし実際体力的にはきつい事も多い。でも前の仕事よりも魅力的に(恐らくは必要以上に)感じてしまってつい頑張り過ぎてしまっていた。接客販売業に戻る事が出来て、以前よりもお客様からの無茶ぶりも殆ど無いように思えるし、仕事上必要とされるスキルはある程度持ち合わせた状態での就職だ。ぶっちゃけ気が楽である。
一年のブランクで体力的には相当きつい事もある、が、心の方はどうだろうか。お客様や同僚、上長の期待に応えようと必死になっている節は確実にあった。それこそ前回の記事を書いた時は明らかにあったと思う。私は発達障害グレーゾーンの人間だが、非定型発達に当たる人の中には『初めの頃に頑張り過ぎて後々潰れる』傾向が強い人もいるらしい。頑張ろうと思ったら出来てしまうけれど、人一倍頑張らないとその結果は得られず後から首が絞まるらしい。結構当て嵌まってしまうかもしれない。母に近況を報告がてら電話したらあの人も心配していたらしく、長い事通話した。
実家に居た頃や元々強すぎないがそれなりに興味を持つ分野の仕事に就いたので予備知識もあったので、お客様からの要求に過剰に答えてしまうきらいがあったらしい。お客様と言うのは、自分が求める商品を的確に提示されている金額通りに買い求められればそれで満足できるのだ。本来ならばそれに応えるだけでいい。ただ、お客様の事情を相談されたりどんな商品が良いのかを訊かれたとして、それに応える際に過剰になってしまっていたと言う事。生き物の命に関わる商品を扱っているので、ついつい持っている知識を総動員して答えたくなってしまうのが私である。
母は『頑張りたい気持ちは分かるし、嬉しいのも分かる。でもセーブしないと後で大変だよ』と言ってくれた。仮に『出来る新人』みたいな扱いを受けたとして、初めは良くても後から『あの子がやってくれるから自分達は別にやらなくてもいいか』みたいになったりとか、新人なのに可愛くないなとか思われる可能性もある。自分で分かる事でも頼る事を覚えた方がいいのだ。協力して店を運営しているメンバーとして適切に、程良く働きたい。
向上心があると言えば聞こえはいいが、我が強いという事でもある。この通話の翌日から私の中のエンジンのギアは自然に下がった。意識的にそうしていたわけではない。ただ、何か腑に落ちた感覚があった。入ってひと月も経っていない、周囲に頼る事もまだまだ多い、ただ挨拶は笑顔で元気な店員みたいに落ち着いた。
今の店に障害者が勤めるのは初めての事だ。故に上長も戸惑う事が多かったと思う。(我ながら)やる気に満ちた新人がやって来て、接客業の経験は数年あり挨拶の声は大きいしはっきりとしている。店の商品を覚えるスピードもそれなりで、でもこの子は配慮が必要な筈のメンタル疾患患者、と考えると戸惑わない訳が無い。正直申し訳なかった。人と関わるのが大好きなメンタル疾患患者って人との距離感の詰め方が明らかにおかしいし。店の同僚とと言うよりお客様とだけど。
親身な接客は大切だが、行き過ぎるとお客様も驚いてしまう。求められているサービスを過不足なく提供できればそれで良いのだ。前述のとおり腑に落ちたので今はぼちぼちやっている。納品をさばかないといけない時以外は60〜80%くらいの力加減だ。声が大きいのは変わらないけど。今日とか暇すぎて延々と店中の什器の埃を取っていた。空調設備の所為で恐ろしいくらいの埃が発生するのだが、什器の埃まではなかなか手が届かないとの事なので大人しく清掃員と化している。まだレジは入れないし。
就労移行の定着支援面談はまだな状態だが、早めに落ち着けて良かったと思っている。思う所はあれど家族に相談して良かったとも思う。周囲の支援に恵まれているのは変わりないようだ。
さて、下の記事でも書いたグループホームの見学の件だが、今回見たところは正直微妙だった。ワンルームとは言えこんなに狭いキッチンでエアコンも置けない上にクローゼットも洗面所も無い部屋にこの家賃は払えないと思う。支援者さんも悪い人ではないが、あまり得意なタイプでもない。合う合わないは何事にも存在するが、支援する側が喋り過ぎて此方の話を聴いてくれないのは割りと本気で良くないと思う。
そんで、施設自体の設備も微妙。自炊民には辛すぎるキッチン事情だったし(あの狭さでどう料理するのだろう?)、洗濯機を置く場所はないし(地階にコインランドリーがあるが)、クローゼットもないし(ワンルームであの広さだと何をどう置くのだろう?)、近くにスーパーマーケットも郵便局もないし(コンビニはあった)、建物が古すぎてエアコンは付けられないし、誰でも入って来られるくらいのセキュリティレベルだし(おまけに路地裏に入り口がある)。
こうやって書き出してみると割りと酷い。しかし今回である程度私が重視する項目も見えてきた。まずキッチンの広さとクローゼットの有無だ。続いて2階以上の物件であること、床がフローリング若しくはクッションフロア。お風呂はぶっちゃけユニットバスでも良い。せめて鏡があればそれでいい。後、メインの生活空間でない場所に洗濯機を置きたい。最寄駅からは十五分圏内が良いなと思う。
見えてきた内容は総てノートに書き出してある。なんて言うか『贅沢言うな』って話なのかもしれないけど、それでも一年以上は住む住居なので拘りだってそれなりにある。今度別の施設も観に行く事になったし、元々市内には幾つもマンションタイプのグループホームがある。地方だけど政令指定都市で良かった。
ちなみに私の場合、生活能力の時点では問題ないと言い渡された。休まず仕事に行ける時点でそうなのだが、まず大切なのが『生活リズムが安定している事』『決められた通り服薬出来る事』『予定通り通院出来る事』らしい。それって当たり前なんじゃないの?と思ったが、出来ていない人もそれなりに多いのだと言われて目が点になった。そう言う人達はどうやって生活しているのだろうかと煽りぬきに感じた。心配である。
この前SNSにも書いたのだが、私は元々服薬管理は確実に出来ていて(素地は母と作った)予定通り病院に行くのは当たり前だし(調子が悪いと寧ろ頻繁に通う)、服薬管理できると言う事は生活リズムだって整う。でないと仕事へ行けないしそもそも内定が下りなかったと思う。通っていた就労移行支援事業所でもほとんど皆勤だったし。
精神に何かしら持っていたとしても、社会で働く以上はある程度の生活能力は求められるだろうと思う。配慮して貰わないといけないなら輪をかけてそうなるだろう。
なので実の所貯金さえできればいきなり本番の一人暮らしを始めても問題は無いと言われた。ただそれだと不安が拭えないので現時点ではまず『プレ一人暮らし』としてグループホームを利用したい。期間は順調であれば二年、長くても三年と決めた。今のペースで貯金し続けられれば来年の秋ごろにはプレ一人暮らしを始めたい。
生活能力以外にも不安はある。まず金銭管理が苦手な方であると言う事、そして一人が好きなのに寂しがりであるという事だ。物欲が強くてついついいろいろ買ってしまうし、今の世の中では自宅でも簡単にショッピングできてしまう。加えて不安の症状が出たりすれば#7119を連打しかねないし、家族以外の相談できる相手も欲しいところ。これまでの人生波乱万丈過ぎたので安牌で行きたいのも本音だ。おまけに(恐らくだが)初めての一人暮らしを完璧にしようとし過ぎて自滅する未来しか見えない。此処でも出てくる私の悪い癖だ。
世の中の皆さんは、どれくらい食事を手作りして、どれくらい外食やコンビニやスーパーマーケットで済ませるのだろう。個々人の事情に依るだろうが、私は極力自炊をしたいし冷凍食品は使いたくないし外食は好きだが利用することに罪悪感がある。部屋だって綺麗に保ちたいし、洋服とかの収納だって綺麗にしておきたい。インテリアだって大好きだ。成果や観葉植物だって飾りたい。詰まるところが真面目に理想通りの生活をしようとエンジンのギアを上げてしまうのである。
所謂『丁寧な暮らし』をしたいとまでは思っていないが、部屋は綺麗に可愛くしたいし、食器とか家具とか家電にだってこだわりたい。出来ればウォークインクローゼットだってほしい。まあ、最後は本当の一人暮らし本番で充分なんだけども。理想が高いと書けば聞こえはいいが、要するに見栄っ張りなのだ。誰に張る見栄なのだろう。
幸運な事に自分の考え方の癖は見えているので、後は巧い事衝動とかを制御していく術を学べばいい。完璧じゃない事を自分に許して、色々な人に頼れる時は頼って、自分で頑張るべきところは程々に頑張ればいい。だって、仕事に関して言うなら『求められた事を求められただけやればいい』のだ。時給はそう簡単には変わらない。70点で合格できる試験で満点を望む必要はないのだ。やっと気づけた、私なりの拗らせ解消ポイントである。
完璧な方がかっこいいと思ってたんだけど、それだと人間味が無いかもしれないし、かっこよく生きようとすると途端にかっこよくなくなると最近よく思う。少し足りなかったり多過ぎるくらいの歪なくらいの方が案外うまくいく気がする。本当に間違えてはいけない場所で間違えなければいいんだと思う。
この歳になってようやっと生きやすくなってきた。人間、迷惑をかけあって生きるしかないのだし。配慮を求めるばかりでなく、此方も配慮する事を忘れなければ大体は大丈夫だ、きっと。例え誰でも出来そうな仕事でも誰かがやらないと世界は回らない。昔見たCMでも似たようなことを言っていた。
上を見ても下を見てもキリが無い世界だけど、私はそれなりにこの世界が好きだ。案外悪くないなって思えているこの現状をなるべく維持したい所存である。