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▼2024/10/04:自分への弔辞はまだ思い付かないから、

こんばんは。結局前回の記事を書いた後、色々と考えてまたノートパソコンを開きました。取り敢えず生きてます。
死ぬ気が全く無くなったかはまだ分からないんですけど、生きる気は湧いてきたので浮上しました。私の事を元気づけてくれる人が沢山いるし、必要としてくれる人も居るみたいだし、これから先楽しい事も沢山ありそうだし、貯金も使い切って無いので勿体無いかなって。
米津さんのライブツアー行きたいしなぁとか、消えるとちょっと困る人も出てきそうだとか、考えれば考える程生きる理由が生まれたので理由の為に生きようと思います。拍手でメッセージ下さった方には後ほどお返事します。ありがとうございます。
あの記事を書いた時、結構本気で消えようと具体的な方法とか考えては暗くなってました。あの記事でお気に入りのワンピースを着て消えようかなとか書きましたが、そもそもお気に入りのコーディネイトは幾つもあるし、まだ秋が深まってないから着られてないお洋服だってあるんですよね。予約して受け取って無いコートとかあるし。メルカリで稼いだお金で買いたいコスメもあったし、やってみたいネイルデザインとか髪型とか食べたいお菓子とか行きたいお店とか、生きたい理由は数えきれないくらいあります。現在進行形で増えても行ってます。

消えようかと思った理由は家族のことです。自分が最も信頼している家族の言葉が、小さな棘みたいにどんどん突き刺さって行っていた事に気付いてしまいまして。まあ体型の事なんですけど。私が処方されているあるお薬が肥る副作用が強い事で有名なんですよね。それもあってか最近体重がどんどんと増えて行っていて。糖尿病になる恐れとかもあるお薬なんで毎年血液検査を欠かさず受けてます。で、家族は最近、会う度会う度『肥ったね』『丸くなったね』と繰り返すんですよ。周囲の人に愚痴ったりもしなかったのが悪かったのかな、ある日突然許容値を超えてしまいました。本気でもう嫌だと思ったのか、それが『消えたい』に直結して、あの記事を書いたわけです。そしてその家族は私が此処まで思い詰めていると知らずに接してくるんですよ。言わないのが悪いんですけど。でも、『やめて』と言っても向こうは『健康を心配しているだけ』って言うのが目に見えてます。

じゃあ、私はどう対抗したらいいのって。こんなにもあなたの言葉で傷ついた私の感情は何処に向ければいいのって。

あの人にこんな感情を抱いたのは初めてに近いです。反抗期の無い子供だったんですよね。喧嘩も、一度もした事ありません。これは遅ればせながら或る種の親離れをしているのか。

幸い周囲には家族以外の信頼出来る人達が沢山いるので、いっぱい話を聴いてもらえました。同年代の方に『私達くらいの年齢になると、体質も心もどんどん変化していくよね。抗えないものってあるじゃん』と言って貰えて、何かすっきりしました。自分だけじゃないんだって思えた。実年齢を言ってしまうと32歳なんですけど、この年齢であの薬を処方され続けている事に、新しく通い始めた病院の先生はかなり驚いてました。標準体型を維持するのも難しくなるお薬らしいです。特に女性に処方するのは避ける事が多いそうで、次の診察の時に薬を調整していくことになりました。いきなりやめるのも難しいらしい。彼是十年近く飲んでますが。
何度かやめたり復活させたりなお薬ですが、知り合いでアパレル関係のお仕事をしている人も処方された事があって、同じような事を言われたそうです。兎に角、お腹がいっぱいになっても食べ続ける副作用があります。メンタル関係のお薬は代謝にも影響を及ぼす事があるから怖い。
でも唯一と言うか、希望もあって。その薬を止められればかなり体重を減らせる可能性があるのです。ひと月くらい止めた時、体重は一気に3キロ程落ちました。だからこう、未来に希望は持てそうです。

では、追記で拍手お返事です。
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▼2024/09/28:何者にもなれなくてマーダースーサイド、殺されるのは誰

明日消えますよと言われたら喜んでしまいそうな事実に気付いた。
消えるのはやめておこうかと思っていた矢先、自分の中にあった傷が口を開いた。仮縫いみたいな細い糸はぷつりと切れて、真っ赤な肉の見える傷口は私を飲み込んだらしい。昨夜は泣き過ぎて、目が腫れている。元々ぼんやりとした消えたい気持ちは持っているが、ずっと見ないふりをしていた嫌な事を自覚せざるを得なかった。私はずっと、一番言ってほしくない言葉を一番言われたくない人に言われ続けていた。傷ついてなどいないと思っていた。でも本当は。

人には言って良い事と言ってはいけない事がある。そしてそれは対象者やその時の状態で少しずつ変わっていくものだ。今の私には一番言われたくないそれを、一番言ってほしくない人が言い続けてきたのだと、漸く分かった。だからあの人には本音で頼れない事が多かったのだと実感した。あの人には見限られたくない。でもいつかその時が来てしまうだろう、それなら居なくなってしまおうと思った。
家に帰りたくなくて、色々な所を覗きながら駅前を歩き回った。あの高いビルから飛び降りたら、この交差点に飛び込んだら、筆入れの中のカッターナイフで頸動脈を断てば、今直ぐ農薬を購入しに行って、原液でコップ一杯くらい飲み干せば。
消えたくない理由が沢山あったはずだ。楽しみな未来が幾つもあったはずだ。大好きなアーティストのライブ、行ってみたいお店とか、書きたい物語。返していないコメントもある。けど。

私が消えないでいようと思ったのは、例え消える事に成功してもそれを喜べる自分は居ないからだ。望み通り消える事が出来たとして、『消えられた。嬉しい、良かった』と思う事は出来ない。消えたんだから。何も感じないし出来ない。それが消えると言う事だ。今の私はそれを望みつつある。もう十五年も前、私は消えかけた。あの時は消えなくて良かったと思えた。

今はどうだろう。あの時すべてが終わっていたら、こんな事実に気付かなくても良かったのだろうか。絶望しなくても良かったのだろうか。
生きている限り、人は喜べるし楽しめるし希望も持てる。同時に幾らでも悲しめるし怒れるし、絶望する。一点の曇りもない幸福などどこにもない。こんなにも苦しいのなら、この世界を手放しても良いのかもしれないと感じる。全部を手放す代わりに救ってくれよと、誰かに助けを求めたい。
もしも明日目が覚めなかったらどうなるのだろう。悲しむ人はそんなに多くないと思う。交友関係が狭く深いのは重々承知だ。悲しんでくれる人が多かったとて、辛い現実は変わらないけれど。あの人は悲しむだろうか。私が何も言い残さず記すことなく目を醒まさなかったら。何を理由にこの世界を手放したか知らずに悲しむだけかもしれない。
夢中になれる何かが目の前に無いと、この手は簡単に世界を手放してしまう。だから見ないふりをして走り抜けてきたのだ。疲れて立ち止まった瞬間、私は闇に呑まれるから。
もしも消えたくなったら、この服を着て消えようと思っているコーディネイトがある。お気に入りの黒いワンピースに袖を通して、髪にはリボンバレッタを留めて、好きな薫りの香水を纏って消えてしまおうか。最後の食事は大好きなショコラトリーのケーキと珈琲、ふらっとふわっと居なくなるの。誰にも見つからない所で消えて居なくなる。せめて自分の為に花束でも買おうかな。
綺麗な消え方なんて無いんだろうけど、出来ればお人形みたいに可愛くお化粧をしよう。ヒールを鳴らしてふわっとさ。

もしもこの記事の後、更新がいつまでも無かったら、私は今の私の願いを叶えたと思ってください。


▼2024/09/15:幸運だと思うならそうなんじゃない? 不幸と思うよりは健全でしょ

ダイエットに更なる気合いを入れてから、夜に甘い物を食べたいと思わなくなった。以前はお風呂上がりのアイスクリームは至高の存在だったし、毎日毎日おやつは欠かさなかった。朝食は菓子パンをよく食べていたが、そもそも一個では済まないので一度に三個とか四個も食べていたから、正直よく糖尿病などにならなかったな、と思う。
今は自分史上最高の体重を記録してしまっているので、本当に来年の二月までに10kgくらい落とさないと洒落にならない。洒落怖はネット上で語られる怪談話で充分だ。
私はぱっと見でボディサイズが判り辛いと言うか、かなり着痩せしてしまうところがある。ボトムのサイズはLかMだが、以前はSやXSが余裕で入っていたことを思うと、非常にこれまで(特に休職した頃からの自分)を後悔している。一日に七時間の立ち仕事がなくなるだけでこんなにも消費カロリーが落ちるとは計算外だった。
しかしまあ、今の内に頑張ればギリギリ行ける気もしなくもない。本当に今の内だろう、私の実年齢を鑑みれば。今日もこれからエクササイズと筋肉トレーニングを行う。最近だと30分から45分ほど運動しているが、もう少し増やすべきだろうかと、今朝は朝ご飯の痕でも軽めの運動を行なった。いよいよもって秋、運動の秋にしたい。
人間は気温が下がってきた時期の方が代謝が上がる。自分の体温を一定以上に保とうとすると、気温が低い方が脂肪が燃えやすいと言う理屈には納得できる。要は暖房負荷を自分にかければいいのだ、以前資格試験の為に学んだ言葉である。
見た目に気合いを入れ過ぎているきらいのある私だが、ならば肉体も鍛え上げたいし内面も鍛えたいと常々思う。好きな漫画の一つに『メンタル強め美女白川さん』と言う作品があるのだが、この漫画の登場人物の羽柴さんと言う女性が私のロールモデルの一人となっている。身体も精神も鍛え上げる事が快感と仰るこの女性は、学生時代に体型や容姿の事で陰口をたたかれ家族にも理解してもらえない経験をしているのだが、彼女はそれに負けることなく自身を鍛え磨き上げて沢山の人を見返した。努力家であり野心家でもあるところが堪らなく憧れだし、ストイックで格好いい生き方を真似したいと考えてもいる。
私も、努力家だとよく言われる。本当にそうだろうかと毎回感じるのだが、努力している自分が好きなのは間違いない。何も頑張っていない自分には価値が感じられない。けれども、最近は自分を休ませることを少しずつ覚えてきた。何の意味もつかないけど、人生には必要なものが沢山あるなと思う事が増えた。
ゆっくり歩くのも、走るのも、立ち止まるのも、どれもある程度のバランスさえ取れていたら健全な人生の一助となる。これまでずっと全速力で走り続けてきたら、自分の足元に目がいかなくなってしまったのだろうか。だから小石に蹴躓いて転んでしまうのだ。時々は自分の進む道に落ちている様々な物をよくよく観察してみようかと今は考えている。
轍、と言う言葉がある。馬車とか車の進んだ跡をさす語だが、『キャリア』と言う言葉の語源ともなっているらしい。何となく未来を意味しているだろうと思ったこの言葉は、これまで自分が進んで来た足跡の事を表している。好きな言葉に『茨道しかない? あるじゃん道、歩けよ』と言うものがある。茨道だったとしてもニッパーとか高枝切りばさみを使えば切り開く事は可能だ。ただ、態々自分から茨道ばかり行くのもどうかなと思うようになって、他に道が無いのか探す事も覚えようと思った。それでも茨道しかないならしっかり長袖長ズボンに安全靴と帽子と軍手を装備して切り開けばいい話だ。他の人物に頼ってもいい。歩けなくても立ち止まって休んでも、道の上に居られるなら重畳だ。人としての道さえ踏み外さなかったら、そう言う人生の使い方も悪くない。
この命には期限がついていて、いつかは終わる。けれども明日はどうなるか分からない。それなら全力で愉しみつつゆっくり進んで行こう。
こう思えるようになった、年齢を重ねたからかもしれないな。歳を取るのも悪くない。まあ、見た目は年齢不詳で在りたいけど。

▼2024/09/13:型に嵌まらないタイプの凡人

九月も半ば。皆様いかがお過ごしでしょうか。
札幌は随分と秋めいてきた。前回の記事でも書いたが、大通公園ではオータムフェストの真っ最中である。美味しい物が山の様にある会場へはいく心算が無い。私はこれから五か月と少し、ダイエットに励むのだ。どうしてかと言うと、

米津玄師さんのライブのチケットに当選したからである。

今回のライブツアーは全国の『ドーム』で行われる。私が当選したのは札幌ドームの回だ。昨日当落発表があり、見事当選した私は早速入金を済ませた。これで大手を振って推し活の準備ができる。
いつもの事ながら、米津さんのライブチケットはかなりの倍率らしい。私は最新アルバムをフラゲして封入されていたシリアルコードで応募している。札幌ドームは今までの会場よりも何倍もキャパシティが大きく、それ故なのか当選した。非常に嬉しい。今回のライブツアーは前回までと違い、一次先行と二次先行が用意されている。一次先行で落選しても、同じシリアルコードで二次先行へ応募できるのだ。或る種救済措置だろうか。
札幌ドーム公演は来年の2月。それまでに自分を最高の状態にしたい。お肌や髪の毛に関しては大分コンディションが良いのだが、問題は体型だ。流石にこれはまずい、と言い続けて早何年になるか。恐ろしいので考えたくないが、現実は程々に見なければなるまい。
今度のダイエットでは家族の協力が得られているので、まずまず順調な滑り出しだ。同居の祖母はおやつや菓子パンを買って来なくなったし、私の運動の邪魔もしないし、家事も運動になるので掃除を任せてくれたりする。今度こそ痩せるし、痩せてもっと自信をもって好きなお洋服を着こなしたい。
米津さんのライブ以外にも痩せるモチベーションがある。つい最近お気に入りのお洋服屋さんがリニューアルオープンしたのだが、そのお店では依然扱っていなかったロリータのラインが入荷するようになった。飛び切り可愛くて、ロリータ服にしてはお手頃価格で、何と家で洗えるものもあると言う素敵なラインである。私は何着か持っているそのラインのお洋服を大切に着ているが、これまではお取り寄せするしかなかったのが直接店頭で見て買えるのだ。何と素晴らしい。
そのお店のロリータ服は、正直ふくよかな人にも優しいサイズ感だ。でもやっぱりもうちょっとくらいはスリムな方が可愛く着こなせるし、お洋服も喜びそうな気がする。誰かを可愛くしたいとの意思がお洋服達にあるのなら、私はそれに応えたい。

話は変わって。
最近ちょいちょい驚くようなことが起こっている。驚くようなとは言うが、本当にちょっとした事だ。商業施設でトイレの個室に入ったら高額紙幣が落ちているのを発見するとか、電車の女性専用車両に乗ったら目の前に男性が乗っているとか、道端で出逢ったわんこが可愛すぎて思わず『可愛い〜』と呟いたらわんこが寄って来て飼い主さんに「そうなんですありがとうございます〜」と即座に気付かれるとかだ。
トイレの個室に落ちていたのは六千円だ。五千円札と千円札が重なって畳まれて落ちていた。一瞬、隠しカメラでもあるのかと個室内を見回した。よくよく考えると女子トイレの個室にカメラなど仕掛けるわけも無いのだが。驚き過ぎた。急いで用を足して個室から出て手を洗い、女子トイレ内に響き渡る声で落とし主を探したが、落とし主は現れず。案内所へ持って行き忘れ物センターに届けてきた。その際係の方に
『もしもこのお金の持ち主が現れなかったら、一定期間ののちに貴方の物になるんですが、その権利はどうしますか?』
と問われたが正直面倒に感じて(警察へ行かなくてはならない為)「放棄します」と即答して帰って来た。普通にびっくりしたし六千円も紛失するとか落とし主の方が可哀想すぎる。二人暮らしの一週間の食費くらいなら賄えるでしょうと思った。
よく、日本はお金とかお財布を落としても高確率で持ち主の元へ戻ってくる稀有な国とか言われるが、こういう事かと思った。ネコババする人も居るんだろうけど、私は出来なかった。もししていたらずっと見張られている気分になって楽しんで消費が出来ないだろう。大人しく届け出て良かったと思う。
そして、私は電車に乗る時は女性専用車両に乗りたい派の女子なのだが、この前の朝女性専用車両に乗り込んだら目の前に高齢の男性が座っていた。思わず二度見した。真っ先に考えたのはこの男性が身体に不自由を抱えているのかと言う可能性だ。なのでヘルプマークを身につけていないか探したがそれも無く、しかし優先席が開いているのでもし必要ならば其方へ誘導しようかとスマホに『何処かお身体が不自由でしょうか? 此処は女性専用車両なのですが…』と入力して男性に見せてみる。男性は老眼鏡を外して文字を読み、次いで私に謝罪して周囲に何度も頭を下げ隣の車両へ向かった。特に怪我などなくてよかったと思った。
そして直ぐに隣に立っていた若い女性に『ありがとうございます』とお礼を言われて一瞬不思議に思うが、彼女は空いた席に腰掛けマスクを外す。顔の下半分が血まみれだった。どうやら鼻血が出て止まらなかったらしいと気付いて、直ぐに鞄に入っていた総てのポケットティッシュを取り出し手渡し「全部使っちゃっていいです」と言えばまたお礼を言われる。気分は悪くないかとか何処かにぶつけたのか乗務員を呼ぶべき事態かとグルグル考えていると、彼女は小さなビニール袋を取り出す。ごみ入れにするようなので、私は袋を広げて手伝った。やがて処置が終わるが彼女の可愛いワンピースに血液が零れてしまっていたのでスマホで落とし方を検索し、直ぐに洗えるなら水だけでも落ちる事、落ちない場合は食器用洗剤や大根おろしの汁でも落ちる可能性があると伝えた。この時彼女の隣の女性も同じように検索していた。
私と同じ駅で下車するとの事だったので、一緒に降りた。別れ際「ありがとうございました!」と言われて、つい照れてしまってあまりスマートな対応は出来なかったが、気分は晴れやかだった。

こんな感じの出来事の後で道端のわんこに「可愛い〜」と呟いたら飼い主さんの耳にも届いてしまい「そうなんです可愛いんです〜」と愛犬へのラブを叫ばれ、わんこは尻尾を振り振りして「そうなの僕可愛いの〜」と撫でさせてくれた。とんでもなく可愛かった。あんなに愛想の良いわんこは久しぶりだ。飼い主さん曰く「優しいお姉さん大好きだから」との事で、まだ私はお姉さん≠ニ呼ばれる歳なのだなと妙に嬉しかった。まあ、初対面の女性に対する呼称はお姉さんが安牌だろうとは思うが。
その他にもちょいちょい善行を積んでいたらライブのチケットに当選したので『計画通り』の顔になった(このネタ通じる人今どれくらいいるの?)。私はこの為に善行を積んだんですよ! そりゃあ、良い人でもありたいけど!

そしてこの前、前の病院からの紹介状を持って新しく通おうと思った病院へ行ってきた。家から徒歩で行ける上になかなか良い病院だった。診察の前準備と言うか、きちんと診察してくれようとしていると分かる対応をしてくれたのだ。問診票は表裏二枚ずつあり、それに記入したら心理テストを二種類行ない、結果をもとに診察。とても丁寧な先生だった。専門用語は分かり易く噛み砕いて伝えてくれたし、話し方は穏やかだけど言うべきことは言ってくれる。薬や病名への疑念も汲み取ってくれて、『発達障害』『定型発達』『非定型発達』の括りや定義についても教えてくれた。私が検査を受けた場合、属するだろうと言われたのは『発達障害』ではなく『非定型発達』の部分だろうと言われ、初めて言葉の定義を知った。所謂定型発達には属さないだろうと思っていたが、お恥ずかしながら非定型発達はイコールで発達障害と言うもんだろうと思っていたら違ったのだ。発達障害は非定型発達の中のほんの一握りの人が属するらしい。私は以前自分をASD(自閉スペクトラム障害)ではないかと疑ったが、診察時の様子や紹介状を鑑みるにASDには該当しないし、ADHDでもなさそうらしい。意外だった。
でも少なからず特性があって、心理テストの結果では「この数値が出る人は『生き辛いタイプ』ですね」とのこと。私の場合は過去のトラウマや実父との関係性や父方からの遺伝が関係している可能性が高い。父方はまあ、警報に触れた人も居れば民法に触れた人も居るので……
そして先生は私を『言いたい事をズバズバ言えちゃう人』『自由奔放な子供と厳しい親が同居してる』と評した。言いたい事をズバズバ言えちゃうのは、周囲がその言葉を聞いてどう思うかを考慮しづらいと言う事で、私に友人が少ない理由の一つはこれだと思う。そして厳しい親は自分に対しても他人に対しても不寛容だ。誰かがミスをする事をあまり許せないし、自分も同じく。誰でも間違いはあると頭ではわかっていても自分にも他人にも完璧を要求する。0か100か。白と黒の思考である。どんなに研鑽を積んで様々なケースに対応してきた人であってもミスはある、でもそれを受容できない自分は結構子供だよなぁと思わざるを得なかった。
他にも処方内容を変更すべきかもしれない事や、カウンセリングを受けるなら心理士さんにつなぐとも言ってくれたので、この病院に通おうと思った。勿論、期待はし過ぎずに。
診察を終えて待合に戻った時、病院に抱いた第一印象の『綺麗な病院』と思った理由が少しわかった。埃が落ちていないとかだけじゃなく、掲示物がどれも新しく、整った状態なのだ。カレンダーも様々な資料もきちんと手が行き届いている。何かの講演会のパンフレットも見かけたが、どれも開催日を過ぎてはいなかった。ポスターの端が破れているとかも無い。きちんと管理されていると感じて、身形へのこだわりが好印象へ繋がるのと同じだと思った。

多分、私は運が良い方なんだと思う。或る程度都会に住んでいて、選べるくらいにはメンタルの病院やクリニックが身近にあり、障害福祉へ繋がる事も出来て、自分で調べられる程度にはデバイスが扱える。制度や法律も教えて食える人が居て、何より家族の理解がある。友人も多くはないけど深く付き合っている人たちがいる。

自分が幸せじゃないと他人の幸せを祝えないと思うし、他人の幸せを願えなかったら自分の幸せを喜んでもらえない。後半は生きる上のモットーの一つだ。
私が生きる世界は時々とんでもなくクソだけど、とんでもなく素晴らしい時もある。どちらでもない時もある。ただ、本当に終わるまでは終わりじゃないから、最後まで足掻こうと思う。取り敢えず、明日はPINKHOUSEのお洋服を見に行きたい。


▼2024/08/28:自縛する金鎖をペンチでブチッと、

夕方の風に秋の気配を感じるようになった。勿論湿気に蒸され不快な日もあるにはあるが、八月の末が近くなると涼しい夜も増える。お正月のお節料理の広告を見るようにもなり、車のスタッドレスタイヤの話題や大通公園で行われるオータムフェストの求人広告なども増え、いよいよもって秋の予感を覚えるわけである。
かかりつけの病院を変えたいと此処に書いたが、本格的に動くのは九月の初めだ。既に区役所で自立支援医療の受給者証などについて確認は済ませた。現在の病院には一人で通っているし、次にかかりつけにしたい病院は家から数分の距離にある。前回の記事では少々攻撃的な言葉で語ってしまったが、今の主治医も私を大切にしてくれない訳ではないのだ。医療者の立場では言えない事も多いだろうし、看護師は理事長である私の主治医には逆らおうとはしないのだろう。加えて、現代日本の精神科医はあまり積極的に患者を『職場』と言う場へ送り出そうとはしない方が多い傾向にあるようだ。その医師の年代にもよるが、少なくとも私の主治医の年代ならば『生きていてもらう事』を何よりも優先する為に無理に就労させようとはしない。しても作業所レベルであったり、障害者雇用でパートタイマーとかで、年金は絶対に受給させ無理が生じれば休職し傷病手当や生活保護に流そうとするのだ。
その方針が合う人も居るだろう。本当に精神が不安定で就労が難しく、日常生活も儘ならない人だっている。主治医はそういう人を助け続けてきた人だ。一応、尊敬には値する。しかし、私は違うのだ。生活保護を受ける人を馬鹿にする心算も嘲笑する心算も無い。でも、私はそれには該当しないし、フルタイムでの勤務も経験していて、もっともっと働いて色々な人と関わりたくて仕方ない。きちんと働いてその結果、お客様に笑顔になってもらいたい。楽しいんだよ、働くのって。誰かの喜びや楽しみを生み出す事が出来るって本当に嬉しいし、生きている実感に繋がると知っている。
勿論無理はしたくないし出来ないと思う。働く事は人生を豊かにするツールを得るための行動だから、それで人生を食いつぶす心算は無い。でもそれなり重要と言うか、生きる上での根幹を担っていると思うのだ。人間は一人じゃ生きていけないと言うのはそういう面でも言えるのではとよく考える。自分じゃない誰かの為に頑張れるのって凄く人間らしいんじゃないかとずっと考えている。自分一人だけが幸せになれるように生きても、周囲の人達だけでも平和に生きていないと幸せとは思えない。なるべくなら多くの人が笑顔で生きている世界の方が、私は良いと思う。
この辺、私の利己主義な一面が現れているなと思う。私の為に、貴方達も幸せでいてくださいと言うのは結構な利己主義だ。でも、それが行き過ぎての利他主義な面が強いのが私だ。

私の幸せの為に、貴方も幸せでいて。

小説で使えそうなフレーズだな。今度書く時盛り込めそうなら盛り込んでみよう。

話は少し変わって。
最近、自分の病気が本当に統合失調症なのか疑わしくなることが増えた。幻覚妄想は何年も現れておらず、時折気分の乱高下に襲われ過去のトラウマが蘇っては泣いているが、それよりも多く現れる症状があるのだ。
『離人感』である。予てより此処でも語っているが、私は大抵常に自分が自分じゃない気分にさいなまれている。自分でいられるのは小説を書いている時と絵を描いている時と筋トレをしている時だけだ。後は、ご飯を食べている時。それ以外は自分じゃなくて、自分が自分のものではないような感覚をずーっと味わってきた。常に自分じゃない自分、と書くと意味が分かり辛いかもしれないが、その場その場に合わせた自分を演じている感じ、と言えばいいのだろうか。仕事をしていても、友人や家族と話していても、買い物をしていてもお風呂に入っていても自分じゃないのだ。
これは統合失調症の症状にもあるらしいが、この前の通院同行で支援者が『統合失調感情障害』の疑いはないのかと訊いていたのを見て、調べてみる。元々友人の何人かがこの病気と生きているので多少の知識はある。気分障害が統合失調症の症状と重なって現れる病気だ。男女比では女性の方が多くなるらしい。気分障害とは『鬱病』や『双極性障害』の事である。色々な病院の医師や教授陣が書いた記事を読み漁ると、私みたいな自分が自分じゃない感覚に襲われる患者さんもいるらしい。私は鬱よりも躁に寄っていると主治医は常々言っていた。だから私には鬱の薬は出したくないのだと。
もしかして、私は統合失調症なんじゃなくて、統合失調感情障害なんじゃないか? だから躁にもなれば鬱にもなるんじゃないか? こんなにも気分が乱高下するのもそれが理由なんじゃないか。
主治医はその場では支援者の疑問に否定で答えていた。けれども、誤診の多い病なのも知っている。これも病院を変えたいと思った理由の一つだ。長年、それこそ幼稚園の頃から死にたがりだった、気分のアップダウンが激しく、時折自分を傷つけたい衝動に駆られる子供だった。首を吊り高所から飛び降りる子供だった。大人と呼ばれる歳になっても生き辛さからは解放されず、常にどこか冷めた眼で現実を見る日々は続いている。本気で自分と向き合うには環境を変えるのも良いかもしれない。
三十路を過ぎて、ようやっと見えてきた本当の自分とか、目標とか果たしたい夢とか、少しでも多く手に入れたいなら行動すべきだと思う。自分に向けられるポジティブな言葉達を素直に受け止められない自分をいい加減どうにかしたい。貴方は生きる価値があるし、例え無くても生まれちゃった時点で人権はある、この国に生きている以上は。

…あ、文章を読んでる時は自分だ。じゃあ本を読んでる時も自分だな。

以前は理想の自分を演じてるんだろうなと思ってたけど、どうやら違うらしい。演じる事が日常過ぎて、本当の自分が殻とか鎧の中に閉じ込められてるって感覚に近いみたい。本当は自分そのもので生きていたい。だから物を書くんだろうし、読むんだと思う。
過去とか理想とか家族の問題とか遺伝とか、自分一人じゃ変えられない事の方が多いし寧ろそれだらけなんだろうけど、せめて明日も生きたいと思えるように今日を過ごしていたい。取り敢えず、この前観た映画がすごく良かったから後三回は観に行きたいし、米津さんのライブにも参戦したいし、書きたい物も作りたい物も沢山ある。希望には満ちていない未来を彩るそれ等を味わい尽くしてからにしようよ。あと百年も経てばみんな地球上には居ないんだから。


▼2024/08/14:あがいた日々は透き徹った轍

皆様お久しぶりです。本州は地震と台風、大雨などの災害が起きまくっていて非常に心配だが、私が住んでいる北海道にも大地震が起きる可能性が高まっているとされている。そのニュースを見て直ぐにスマートフォンのモバイルバッテリーを満充電にした。蓄電池や手回し発電機なども有効だろう。しかし、それを持っている事実を同居の家族以外に報せると大変な事になるケースがあると聞き、人間は恐ろしいなぁと思うなどした。と言うのも、近所のよしみでそれを貸してほしいとかスマートフォンを充電させてほしいと方々から言われ収拾がつかなくなることがあると言うのだ。非常食にも言える事だが、下手に情けで使わせてあげたら『斜向かいのうちも』『裏手の私も』と長蛇の列が作られてもおかしくないのだそうだ。そうなると本来使用権のある本人がまともに使えなくなったりもするし、自助努力は何処行ったと言う話である。
ただ、これはある程度許容出来る範囲であれば『助け合いの美談』になるのだ。私も胆振東部の地震の際叔父一家にお風呂を貸したしご飯もご馳走したが、叔父一家には普段から大変お世話になっているのでお返しの様なものだ。特に叔父は毎週の様に祖母を買い物へ連れて行ってくれ重い物を運んでくれるし、私が遠出したい時に嫌な顔一つせず連れて行ってくれた。『ギブ&テイク』と言う関係と言えるだろう。
或る記事で読んだが、最近の日本は『テイカー』と呼ばれる人物が増えているらしい。テイカーとは『take(貰う)だけの人』と言う意味だとか。つまりは自分を助けて貰ったからお返しに相手を助けようと言う気にならない人の事だろう。貰いっぱなしと言う奴である。そういう人物が少数派であれば其処まで影響がないであろうが、多数派に近づいてしまうと問題だ。助け合いではなく一方的に自分や身内だけが良ければそれで良い、となると人間関係は崩壊の一途をたどってしまう。だから、他の人にはモバイルバッテリーの存在を教えてはいけないらしい。怖い世の中だ。
まあそもそも人間と言うのは自分本位で最優先すべきは自分の安全や満足なのであろうが、折角思考や理性を与えられているのだから気持ち好いお付き合いの為にも多少の『ギブ』は必要だ。言うほど私がそれをできているかと問われると黙ってしまうが。
せめて此処でだけでも皆様の安全と安心をお祈りさせてほしい。避難は早めに、警報通りに災害が来なかったらラッキー! と思って日常に戻ってほしい。酷い事が起きる予報が外れるのはとても良い事だ。


話は変わるが、私は現在通院する精神科病院を変えようと思っている。今の主治医とは十三年の付き合いになるのだが、去年あたりから『この人は私の事を理解してくれていない』と感じる事が増えた。何と言うか、私の話を聴いてくれても碌に理解していないと分かる返答しかしないし、私がより良い未来を望む言葉を述べるとそれらを全て否定するのだ。
医師として『これ以上悪い状態にはしたくない』と思うのは自然だと思ってずっと我慢してきた。しかし先々月に『太る薬』の事を此処に書いたと思うが、その薬を減薬すると言い出したのは主治医なのに、何故か私がお願いして減らしたような事を言われたのだ。私は一切そのような事を口にしていない。なのに主治医も看護師も私が言い出したとばかりに話をするのだ。おまけに看護師は私のお腹を触って「これヤバいよ。矢野さん折角可愛くしてるのに」と言ったのだ。幾ら同性でも許可なく他人の身体に触れて良いのだろうか?
確かに私は短期間に肥った。でも医療者がする言動にしてはやや不適切ではないかと感じた。他にも就労移行支援の通院同行でも此方の話を理解できない様子を見せたので、もうこの人達に治療してもらうのは辛いと病院を変えてみようと思うのだ。
幸い、現在の病院以外にも通いやすい場所のメンタルクリニックは沢山ある。これは都会ならではの強みだろう。たまたま徒歩で行ける距離にあるメンタルクリニックが就労移行支援事業所でも評判の良い先生がいらっしゃるとの事なので、まずは其処に行ってみようと思う。

精神科病院に行って逆にメンタルがやられ、死にたくなるとか本末転倒だと思う。私は死にたくないから、死にたいと思わなくてもいいように頑張っているのにそれを阻害する主治医は何がしたいのだろう? 私の祖母よりも歳が上の女医さんだが、あの人の年齢で精神科の医師になるのが大変だったであろうことは何となくわかる。努力に努力を重ねたであろうことも想像できる。でも、だからって自分の考えを患者に押し付けるのは違うと思う。
私は別に無謀な事をしようとはしていない。また働いて、自立した生活を送りたいだけだ。細々と働いて、最悪生活保護でもなんでも受ければいいと言われるのは不本意極まりないし、人生はまだ長いだろうにずうっと他者の力が無いと生きていけない状態が良しとは出来ない。貴方は私を理解できていないとはっきり言いたい。そう言っても何とも思わない人だろうともわかる。無駄な争いは避けるが吉だ。其処に注ぐエネルギーは別のポジティブな何かに向けたいと思うタイプの人間なので。
なので、少々遠い場所にある病院に通っている事実を盾に『もっと通いやすい場所の病院に変えたい』と言う事にした。実際キロ単位の徒歩移動と公共交通機関の乗り継ぎを伴う通院経路なので、多分誰も悪く言わなくて済む。

病院の事が落ち着けば、時々爆発する食欲もおさまるだろうか。運動で如何にかしていられるうちにメンタルを改善させないと自分が辛いのだと分かっている。これ以上自分に失望したくない。自分を好きで居られる内に、大切にしたいという気持ちが阻害されない内に逃げなければ。自尊心を削ってくるメンタル医師とか害悪以外の何者でもないだろう。糾弾した所で何も解決しないので私は立つ鳥跡を濁さずとばかりに逃げさせてもらうが。

新しく通おうと思っている病院は、院長先生が特によく話を聴いてくれる病院らしい。私は話したがりだ。自分の考えを言葉にして吐き出す事でそれを整理する癖がある。だからこのブログも細々と続けているのだろう。思考の渦から釣り上げられる言葉達は思わぬ形をしている事がある。それを見て初めて、自分は何を思っていたのか分かったり考えの傾向もはっきりする事がある。それを足掛かりに何度も自分で自分を救ってきた。その行為をどうでも良い事かの様に扱う人からは逃げてしまおう。
十三年間お世話になりました。これから私は貴方の手を離れます。

▼2024/06/23:煌めきは人工物、故に無限大

すっかり暑くなってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
札幌は時折すごく暑く感じるのだが、気温の数字は真夏日に届いてはいない。湿度はそこそこあるように思えるが、恐らく本州以南の皆さんからすると全然熱くないし湿気っても居ないだろう。今年も自宅にクーラーの存在しない夏を過ごすが、恐らくは乗り越えてしまうのだろうと予感している。毎年氷枕や扇風機や塗ると冷えるジェルを使って過ごせば如何にかなってしまうのが北の国の長所である。
さて、退職して就労移行支援事業所へ戻ったが、それでも休職期間中の体調不良の影響でフルタイムでの通所ではないので時間が出来た。現在の私の主な課題が『休憩の仕方を覚える事』『全力疾走ではなくゆっくり歩く方法を覚える事』だ。これまでずっと、自分を休ませる事なく走り続ける人生だったと評価されているのだが、休むとサボるの違いが今一つ分からない。その両者は同義の単語であって、『休む事は悪』だったのだ。私の信条として『時間は有限だから、なるべく時間を無駄に過ごさないよう気を付ける』と言うのがある。何度か人生を投げ出して終わらせようとした影響なのかは分からないが、人生を味わい楽しみつくしてから死にたい気持ちが強い。死にたい気持ち自体はすっかり身を潜めているが、その分動き回らないと気が済まない性分になってしまった。
先月半ばから今月初めまで、久しぶりに不眠に悩まされた。原因は薬の変更である。変更と言うか、一種類減らされたと言うのが正しい。オランザピンと言うその薬は抜群の催眠効果を叶える代わりに非常に太りやすくなると言う私にとっては諸刃の剣と言って過言ではない薬だったのが、休職して一日七時間の立ち仕事や往復一時間の通勤が無くなったのに関わらず、同じように食事を摂っていたせいもありすっかり太ってしまったのだ。主治医は十年以上の付き合いの中で私が『太る=自分の容姿が劣る=メンタルを病みやすくなる』と言う方程式を熟知している故に、睡眠の調子をヒアリングしたのち、一時的にオランザピンを止める決断をした。するとどうだろう、不眠が再発して一日の睡眠時間が平均3時間にはなったが、努力の甲斐あって体重は約4キロ減った。一月半でこれなのだ、そりゃあ副作用として問題視されるはずである。
しかし、私の方も色々と変わったし、変える努力をした食べ過ぎない事は勿論、夜食はもってのほかで毎日運動を欠かさず、コンビニエンスストアへ赴いてもスナックや菓子類は買わずにおにぎりや冷しゃぶサラダを購入してノンオイルのドレッシング(ポン酢と白出汁と柚子胡椒を適当にミックスする。美味しい)で食し、バターや油類はかなり減らした。結果、体重は勿論だが身体のサイズも下がった。体脂肪もである。まさかこんなに簡単にボトムのサイズが下がるとは思わなかった。
ちなみに運動は主にYouTubeとInstagramを参考にしつつ、好きな音楽を聴きながら一日に十五分からに十分ほど行う。その後有酸素運動は大好きな踏み台昇降を二十分から三十分ほど行う。スマートフォンは便利だ、きちんとググれば幾らでも有益な情報が得られるしBGMにも困らない。踏み台昇降を行ないながら好きな歌を口パクで歌うのもお勧めだ。顔周りも引き締められるし、熱唱している気分になれてストレス解消にもなる。
お気に入りの曲を聴いていると脳内で好きなキャラたちが歌ったり踊ったりするのだが、その内聴いていると無条件で脳内でオリジナル自作MVが出来上がるのでブドウ糖の消費が速そうだ。
最近は創作活動も活発だ。自分がこれまでに書いた小説のイメージイラストを描く事にもハマってしまい、久しぶりにターナーアクリルガッシュと言う絵具(中学時代の標準画材)で描く事が増えた。コピックも楽しいが、アクリルガッシュも非常に楽しい。両者を組みあわると互いの長所が短所を補い合うのか画面の完成度も上がった。もし此処を見ている人で両方を持っている方がいらっしゃれば是非とも組み合わせて使ってみて欲しい。お勧めは人物の肌や眼、透明感を大切にしたい箇所はコピック、髪の毛や背景、洋服の色など広い面積を塗ったり細かな表現をしたい箇所はアクリルガッシュを使う事。ハイライトはアクリルガッシュが特にいいと思う。また、絵具にはメディウムと言う立体感を演出できる材料を混ぜたりラメやパールが入ったものも多いので、興味があれば画材屋さんや文房具店に赴くと面白いと思う。
それと、最近ハンドクラフトにもハマってしまった。近所の百円ショップでハンドクラフトをする人が喜びそうな材料が揃うお店があるのだが、まさかこんなに可愛いパーツが(しかもクォリティ半端ない)百円で手に入るのか!?となってうっかり手を出してしまった。完成作品や材料をInstagramに載せているので良かったら見て見て欲しい。ってか、あんなに手作りをする人に特化した材料が多いお店が住宅街のスーパー二階にあるのってすごいと思う。今日も2作品仕上げたので後で載せて置く。
きっと、私は儘ならない現実への抵抗として手の中で何かを作る事を好んでいる。自分の手の中では何もかもが思い通りに行くし、巧く行かなくともそれは総て自分の所為なので納得できるし理不尽は感じない。それが救いの一つでもあって、故に今日も私は創作をするのだ。作品を生み出す苦しみはあまり感じないし、きっとこれからもそうなんだと思う。だって、生みの苦しみよりも誰かが創り出した理不尽な世界を生きる苦しみの方が大きいから。

▼2024/05/23:永久保存される鈴蘭の毒

オリジナル小説のアイディアが降ってきている。
最近、良い作品に触れる機会が増えた。小説でも楽曲でも、映像作品でもだ。この前『ハピネス』と言う映画を見てきた。下妻物語と同じ嶽本野ばら先生の小説を原作にしている作品だ。結論から言う。最高に面白かった。ネタバレにならないように言うと、原作以上の感動を覚えさせてくれる映画だった。序盤からぼろぼろに泣き、ポケットティッシュを使い切るくらい泣ける。久しぶりにメイクが落ちるまで泣いた作品だった。その日はスックの夏コレを付けて気合いたっぷりのロリータファッションで観に行ったのだが、半分正解、半分間違いだった。ヒロインが実在のロリータブランドの衣装を身に付ける映画なので、自分の手持ちで一番可愛らしいジャンパースカートとお気に入りのブラウスにニーハイソックスと厚底靴で向かい、メイクは前述のようにスックの夏コレ『涼苺』がメイン。それが流れ落ちるくらいに号泣した訳である。
それくらい最高の出来なのでぜひ観に行ってみてほしい、と書くが、多分これは私が原作を読み込んでいる所為もあるのだろうなとは思っている。中学校の図書室で出逢ったこの本は、自室の本棚にも存在する。嶽本先生の文章は細かなお洋服の描写と言葉遣いの可愛らしさが好きだ。エッセイも面白い。いろいろやらかした人ではあるが、文章の面白さとその知識量に変わりはないだろう。
良い作品とはこれだけではない。最近、YouTubeでゲームの解説や紹介動画を見る事にハマっているのだが、ミステリやホラーやアクション、サイキックなどが好みである。ゲーム機は全くもっていないので、あくまでも動画を見るだけだ。んで、出逢ってしまった新たな推しが居る。1999年に発売された『ガレリアンズ』と言うサイキックアクションゲームの主人公『リオン・シュタイナー』だ。グロ要素はあまりないが、サイバーパンクな雰囲気、キャラクター達のビジュアルや設定が非常に魅力的なゲームなのだが、声優さん達も非常に豪華な作品である。リオンは石田彰さん、彼にそっくりで双子のような容姿の『カイン』は同じ声だけど口調が違う(より皮肉屋だ)。敵キャラには子安武人さんが声を当てる『バードマン』や鈴村健一さんが声を当てる『レインハート』も居る。リタと言う女の子も可愛いし、ヒロインのリリアも別のベクトルで可愛い。衣装のデザインも素敵で、ストーリーは良い感じに救いが無い。
リオンは14歳と言う年齢故に危うさを感じさせる、可愛らしい金髪碧眼の美少年だ。ミケランジェロ・シティと言う架空都市の『ミケランジェロ記念病院』の隔離病棟で目覚めた彼は自分の名前以外総ての記憶を失っているのだが、それは(明らかによろしくない)お薬を投与されまくって脳を侵された結果である。しかしその薬のお陰で彼は超能力を発動し、拘束から逃れる事も出来た。その後彼は自分に呼びかけるリリアのテレパシーを頼りに自分の過去や背負わされた運命を探っていく、みたいな作品である。私はOVAを見てしまったのでゲームをやらずともストーリーを知っているが、ヤバいくらいに面白い。サイバーパンクとかスチームパンクが好きな人や、攻殻機動隊とか殺し合う美しき双子が好きな人にはたまらないと思う。個人的にはバードマンの死に方が呪術廻戦の伏黒パパと被って仕方ない。声も一緒なので。ちなみにお薬を摂取する時は経口摂取のものもあるが、基本は拳銃のような特殊な注射器での注射だ。かなり多い量の薬品を一気に投与する様子がまた背徳的でたまらない。想像してみてほしい、細身で愛らしくか弱く儚げな金髪碧眼の美少年が、痛みに顔を歪めながら自身に注射を打つさまを(わざと変態気味に書いています)。しかも超能力を使うたびに彼等は酷い頭痛に襲われるし、脳にも異常をきたしたりする。たまらんかわいい。声も石田さんが当てているだけあって痛々しいくらいに可愛いし、作中では変態気味の男に「かわいい」「自分のものにならないか?」とか言われるし、怪しい薬の売人には気に入られて違法薬物を流してもらうし。元々別の名前では医療物の二次創作を書いているので違法薬物や怪しい効果のあるお薬を使う作品は大好物だ。その上義務教育を受ける年齢の彼があんな目やこんな目に遭う、とか、割りと本気でプレイステーションワンを購入したくなった。
ちなみにこのゲーム、キャラデザが田島昭宇先生なのだ。「多重人格探偵サイコ」の大ファンなので其処もツボだった。
衣装もなかなかにファッショナブルでかっこいいし、登場人物たちの関係性もツボである。ハチャメチャに強い美少女と弟分で小柄な少年、それもかなり強く特定のこだわりがあるとか素敵すぎる。今の日本だと規制がかかりそうなくらい際どいテーマの作品だが、それを含めて面白い。ちなみにリオンとカインならカインが攻めだと思う。私は兄弟なら兄貴が攻めなのが好きだ。お互いにブラコンでも良いし寧ろそれが至高。
……すみません。ちょっと本性を出し過ぎました。可愛くて物憂げな美少年を好きじゃない腐女子ってあんまり居ないと思うんですよ…。カイリオ書いてくれる人いないかな。
さて、音楽も豊作で作業BGMに困らない日々です。米津さんは朝ドラの曲も歌うしジョージアのCDでは歌だけでなく踊ってもくれるし、相変わらず凄いし昔を知っているので感慨深い気持ちになる、けど、若干心配。働き過ぎじゃね? ちゃんと休んでる? 寝てる? 食べてる? 必要なら豚汁煮込んでおにぎり握って押しかけたい。あったかいお風呂に浸かってしっかり眠ってほしい。
オタクって、自分の推しには幸せでいてほしい人が殆どだと思うけど、私の場合豚汁とおにぎりを振る舞いたくなるのが最上級の愛情表現になる。何故その二つかは自分でも分からない。なので窪田正孝君とか浅村賢吾君、金田一一君とか不死川玄弥君にも同じことをしたいけど理由は分からない。
閑話休題、音楽の話に戻る。
昨年の紅白歌合戦にも出場したキタニタツヤさんも大好きなので、最新曲の『ずぅっといっしょ!』に見事にやられた。好きになった切っ掛けが『悪魔の踊り方』なので、こういうダークな作品が堪らん好きである。この曲、聴けば分かるが、タイトルとは裏腹な不穏にも程がある曲である。歪んだ愛情と言うか、大好きな人の心に永遠に残る傷になりたい女の子が描かれるが、まあ早い話がヤンデレ気味のメンヘラだ。現実で自分が病んでいるのに、それに飽き足らずフィクションにも病みを求めるのが我ながら懲りないと言うべきか。
曲調は激しめなので運動のBGMにもぴったりだ。これを聴きながら筋トレすると捗る。有酸素運動の時はカロンズベカラズの『エンバーミング』を聴いている。此方はシンフォニックメタルぽい、ちょっとV系チックな良曲だ。カロンズベカラズとは歌い手のSymaGさんとボカロPのナナホシ管弦楽団さんがタッグを組んでいるアーティストである。MVもとにかく格好良いし、妄想が止まらず、今日取り寄せたCDを受け取ってきた。んで、この曲を聴き続けてたら珍しくオリジナルの小説を思い付いてしまったのだ。長編なので時間は掛かると思うが、既に最終話まで妄想は出来ているので後は書くだけである。pixivのオリジナルアカウント(此処と同じ名前で書いてる)に投稿するので、第一話が書きあがったら此処に報告したい。因みに表紙はもう描いた。絵が描けるタイプの文字書きで良かった。タイトルも決めたし、主人公のビジュアルやサブキャラのビジュアル含めた設定も頭にある。今書いてる二次創作を書き終えたら手を付けよう。幸運な事に書くのは早い方だし。腱鞘炎に気を付けつつ励もう。

やはり、良い作品に出逢うと創作意欲が刺激される。インプットが足りていない自覚があったので積極的にいろいろな作品に触れていたが、どうやら補給は完了したようだ。創作のアイディアや意欲はATMと同じだ。振り込まないと降ろせない。なのでどんどん貯金して運用しよう。政府も投資が大事とか言うしね。

▼2024/05/11:蒼褪めた死は手招くも、桜桃の季節は少し先。

今月に入ってから、ダイエットを強化しております。
ついこの前PMSの薬を貰いに婦人科へ行ったのだが、毎回体重測定があり体重計に乗ったら史上最高のキログラム数を記録してしまいまして。遂に大台に乗ってしまいました。洋服を着ていたとはいえかなりヤバい数字だった。その夜転職活動で履歴書を書いていた時、ふと思い至ってリクルートスーツを着てみまして。入りませんでしたね。私は予てよりパンツスーツ派なんですけども、ファスナーが全く上がらないし太腿はパッツパツ。これはヤバいと焦りシャツにも袖を通し、胸元がパッツパツで格闘漫画の筋肉キャラの様に釦をパーン!と吹っ飛ばすことも出来そうなくらいで非常に驚きました。
其処からダイエットを強化している(転職活動の為にスーツも買いに行った)訳ですが、いやあ皆さん、休職中に随分と肥えたらしいですよわたくしは。一日に七時間以上の立ち仕事+通勤時間が丸っとなくなり、動かないのについ今まで通り食ってたら当然肥りますよね。なので日々の摂取カロリーと消費カロリー、生活習慣などを見直して元の体型に戻すべく精進しています。寧ろこの段階で気付けて良かったとも思う。今の内に何とかしないとマジでコロンコロンのわがままボディの爆誕ですよ。今のところ、何とかウエストのくびれは残っておりますので。
んで、有酸素運動として私は踏み台昇降運動を行なっているんだけども。気分が上がらない時は好きな曲のMVをスマホに移してイヤホンで聴きながら口パクで熱唱してる心算になってエンジンをかける。最近のお気に入りは某魔法が使えるのが当たり前な世界で生きる、筋肉で総てを解決する少年のアニメのオープニングと、某催眠術と言う意味の名前を冠するラップバトルコンテンツの曲です。特に初期メンバーが揃ってるやつ。早口に、口を大きくはっきりと動かすとマジで熱唱してる気分になれてあっという間に三十分くらい経ちます。他にも※津さんとか某アカペラカバーグループさんの歌ってみたとかを熱唱してる心算で全力で口パク。声を出さないので近所迷惑にもならないのがおすすめポイント。
それを続けてたら、始めて一週間ほどで顔と顎周りが痩せてきてびっくりしました。最初は痩せるとかの目的ではなく気分を上げる以外に効果は無いと思ってたので。ただ、効果があると分かってからはますますはっきりと口を動かすようになりまして。そもそもわたくし顔周りはなかなか痩せなかったんですけどね。年齢の所為かもなぁとは思うんですが、それで悩みでもある顔周りのお肉が居なくなってくれるなら万々歳です。
それと、SNSで自炊の助けになるヘルシーレシピを投稿してくれるユーザーさんを見つけてその人のレシピだと野菜とタンパク質多め、脂質と塩分は控えめなのに美味しい料理が手軽に作れて非常に捗っています。その方、調味料も最低限しか使わず素材の旨味を最大限活かして美味しく料理するタイプの方なんだけど、珍しい食材も高価な食材もそこまで使わず、手間も省くと言う凄い料理研究家さんなんですよ。長谷川あかりさんと仰います。特に最近投稿されていた絹ごし豆腐とお素麺を使ったメニューが絶品。他にも、おばあちゃんには塩鮭と小松菜を使ったワンプレートご飯をよくリクエストされます。以前投稿されてバズッてたノンオイルカレーも非常に美味だし簡単に作れるのでおすすめ。
元々お料理はする方ですが、せっかくお料理できるならそれでダイエットしようと思い、なるべく油を使わずご飯を作っています。ノンオイルのカレーはカレー粉と和風だしと麺つゆさえあれば味付けできますし、食べ終わった後の食器洗いも楽ちん。あと、油は使うけどフライパンひとつで調理が完結する料理も良いですね。豆腐のお素麺はお鍋と笊と豆腐を混ぜるボウルは必要ですが、洗う手間はそんなに無いのも好きなポイントです。薬味やちょい足しの調味料を使っても良し。
お肌の状態は非常に良いんですけどね…年齢の所為か肌質が変わって来たんですが、それに早くに気付けたのと、ケア方法を少し変えたのが合ってたみたいで。暫く洗顔料を使っていません。化粧落としはダブル洗顔不要なクレンジングバームを使い、朝洗顔はぬるま湯のみ、スキンケアの段階でふき取り化粧水(たまにここに書いてるオイデルミンを)使用して軽く拭き取るとコンディションが整って化粧崩れもかなり減りました。ただ、私以外の人がこのケアをしても肌質に合わないかもしれないんでご留意ください(私は現在乾燥肌よりの普通肌です)。
相変わらず、良いと思ったコスメはデパコスドラコス問わずちゃんぽんしてコスメオタク道を突き進んでいます。最近買った中で特に良いなぁと思ってるのはNARSのデュオアイシャドーのクアラルンプールですね。二色だけでも目元に奥行きが出て良き。そして同じくNARSのシングルアイシャドーのBIARRITZも大変に良い。ラメもパールも入っていないマットなホワイトベージュなんですが、これとCANMAKEのマイトーンクチュール01番を筆で混ぜて目の下のクマに乗せると一瞬で亡き者に出来ます。小学生の頃から青クマとメイクをするようになってからは色素沈着もあって、工夫して隠してるんですが、コンシーラーとフェイスパウダーの後にこれを仕込むとクマを瞬殺できるので非常に良き。ちなみに筆はNARSのコンシーラー用ブラシを使用します。どれだけNARSが好きなんでしょう。何ならチークもリップもハイライトもNARSの商品を愛用しています。でもやっぱり一番好きなのはジバンシィかなぁ。いやでもDiorもいっぱい愛用してるわ。
この前精神的にかなり落ち込んでた時、友人と会ったんですよ。専門学校の頃からの友人なんですが、彼女のお母さまにも非常に良くして頂いてまして、そのお母様からDiorのサンククルールをプレゼントして頂きました。曰く「薊ちゃんはいつも本当に頑張ってるから」との事。初めは「いやいやそんな高価なもの貰えないって」と恐縮したんですが、友人は「お母さん、薊ちゃんに元気になってほしいんだって」と言って遠慮するなと繰り返され、頂いてしまいました。厚意を無碍には出来ませんので、最大限活かすメイクを考え使わせてもらってます。締め色に使うのかと思われる色は眉に使うと全体的に統一感が出て良いと発見しました。
何だかんだ転職活動もバリバリやってるし、小説もポンポン書けてるし、休職初めの頃よりは大分回復したと思われます。これに気付いた時、私は恵まれてるなぁと思いました。世界にはもっともっと苦しい人が沢山いるわけですし。ただ、苦しさとか反対に幸せも、他の誰かと比べるものじゃあないですね。本人が「辛い」「苦しい」と思うならそうなんだろうし、「嬉しい」「幸せ」もその人にしか分からないので、本気で苦しんで悩んでる人に「もっと辛い人が居る」とかほざくのは止めときましょう、と私は思います。

まあ、この考えで居られるのも幸せな事なんでしょうね。それを謳歌して次の仕事を勝ち取ります。

▼2024/04/27:巧く笑えなくても、ちゃんと泣けたらそれで良い。

今日も今日とて文を書く。書くと言うか正確には打つだけど。春本番と言える時期は年々短くなっているような気がするが、近くの公園では桜が満開だ。北の大地も漸く上着が不要な季節がやって来て、身軽に出かけられるのがとても嬉しい。昨日、予約していたロリィタのワンピースを受け取ってきた。サックスブルーでスイーツやぬいぐるみの柄が可愛らしい。休職して一ヶ月が過ぎて、時々死にたくなるものの、死にたくない理由も沢山あるので如何にかやれている。
今死んだら勿体ないと素直に思えるのはありがたい事だ。自分でも気持ちの切り替えは早い方だと感じている。少し落ち込んでも浮上するのに時間は掛からない。今だと五月と八月に観たい映画が公開されるのでそれが楽しみの一つだ。来てみたいお洋服も、やってみたいメイクも、食べてみたいスイーツもあるから生きていけると言うか、生きていく理由を毎日見つけて先の予定を見通せば如何にか死なずにいられる。
ふとした時死にたくなるのはもうどうしようもないんだと思う。これは生きていくうえで身についてしまった癖だ。死ぬと言う選択肢を持っておけば『いざとなったら死ねばいい』と思って生きられる。卑怯なやり方かもしれないし、本当に強い人はこんな手段を持たなくともきちんと生きられるんだろうけど。でも弱者には弱者なりの処世術がある。弱さ故に産まれる考えや気付きだ。物心をついた頃からずっとずっと死にたかった。これを書き始める少し前にも死にたい気持ちが浮上した。これはきっと生きていく上でずっと抱えていく特性なんだと思う。
特性と言えば、この前かかりつけの精神科病院で心理検査を受けた。予てから自分には発達障害の気があると感じていたのをはっきりさせるべく、何回かに分けて検査を行なって貰った。自分の知能指数も知れると言う。以前YouTubeで『境界知能』と言う言葉を知った。知的障害者とされるのはIQ70に満たない人達だそうで、平均は85〜120。その境界とされる70〜84までの人達を指す言葉だと言う。医療ではあくまでも一般の人達と同じ分類にあり、でも生きていく上で困難を感じやすい傾向にあるそうだ。
自分も境界知能なのではと感じた事があったのも、心理検査を受けようと思った理由の一つだ。結論から申し上げる。私のIQは103。平均的な一般人だった。ただ、発達障害の気はやはりある。幾つかのカテゴリに分かれた能力の数値は、大まかなものなら平均的なものの、細かく見ていくと凸凹が大きい。出来る事と出来ない事の差が激しく、生きづらいと言うのは間違った感想じゃなかった。ただ、IQの面でも発達障害の診断面でも明らかな『黒』ではない。『限りなくグレーゾーン』なのがまた証明されてしまった。
これからも私はちょっとだけ生き辛いし、普通とは若干ずれているし、ちょっと変わった人で在り続けるんだろう。それを個性と呼べるかは環境次第で変わると思う。ただ、今回分かった事で意外な事もあった。
私は、自己肯定感がかなり高いらしい。加えて、とても前向き。これには小さい頃から自分の家庭で存在や人格を否定されずに育てられたことが関係しているような気がする。母曰く、私が幼い頃から私を『子供』ではなく『一人の人間』として扱い接してきたらしい。やりたいことがすべて出来たかと言えば違うけれど、色々な事をさせて貰った。親≠ニして見れば、母も、義父も、亡くなった実父も立派な人と言える。子供を愛し、導き、見守る事が出来る人達だ。大人になって初めて分かった事だけれど。実父に対しては正直もうどうでも良いと思う事も増え、今更考えたところで疑問点に答えは出ない。でも、あの人が絵を描く楽しさを教えてくれたから今の私なのだろうとおもうので、一応は感謝しておく。
とまれ、自分の事は可愛いしメイクも料理も巧いしお裁縫もDIYも出来るので大好きだ。文章を書く力も年々上がっているし。お砂糖で出来たお人形になれる日も近いかもしれない。だって、上記のワンピース姿を見た知り合いに『お人形さんみたい』って言って貰えたし。自分で自分の事を好きで居るから、こんなにも辛い現実から逃がしてあげたいのかもしれないなとふと思った。でもね、生きてないとお洋服は着られないんだよ、その方が可哀想じゃない? と泣きじゃくる自分の肩に手を置く。笑えなくても良いんだ。泣けるって事は、生きてく気力はまだ残ってる。戦う力もきっとある。一頻り泣いて、気が済んだら顔を洗おう。メイクを直してフリルを翻し立ち向かうんだ。だって、自分が嫌いだと思う存在に殺されるなんて嫌でしょう?



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