▼2025/04/13:縫い取れ。己の形を望むなら
今日も今日とて縫い物をしている。少し前Instagramで見かけたデザインがとても可愛らしいポーチを真似っこして作ってみた。販売している場所は遠いし、何より自分の手で作って見たかったから。自分の手先がかなり器用な方だと自覚はあるけど、以前障害者職業センターで診て貰った検査では、道具を扱うのが上手くない方らしい。手先も器用な方では決してないと。じゃあどうしてかなぁと考えた時、『初めてやる事』と『やり慣れた事』の差が激しいのかもしれないと思った。そして一度慣れるとものすごいスピードで出来てしまって、やり方さえ脳内で理解すると手は思う通りに動くから結果器用だと思われるのかもしれない。理解力はかなり高いって数値の上で出てるし、加えて記憶力が(富に好きなことであればあるほど)高い方だから(時々異常なくらい覚えてる)、一度覚えたやり方をいつまでも覚えていて、それを応用することも得意なんだろう。
料理とかも初めはまあ、酷かった。お菓子作りとか好きだけどあんまりやらない。縫い物に関しては成果物を長い間身につけたり使ったりできるのが好きなのかも。アクセサリーもそうだし。
他の人が覚えていない事を覚えることが得意だ。短時間に暗記するのも得意。統合失調症って脳内で記憶を司る海馬の部分が畸形なケースが多いらしいって何処かで読んだけど、一部のASDにも記憶力が強い人っているよね、特に好きな事とか物に関しては。やっぱり私はASDの傾向の方が強いのかな。今の精神科では初めて『非定型発達』って言われたのは前にも書いたけど、ネットに転がってる『大人の発達障害セルフチェック』みたいなのをするとADHDにはあまり当て嵌まらないけどASDは強い疑いの数値が出ることが多い。まあ、自分で自覚して対策できる内は障害とは言えないんだろうな。あくまでも特性って括りに入る。
拘りが強いとか人の輪には入れないとか空気が読めないとか、少し前なら変わった子で済んでいたのが今はどうだって人も居るけど、その人たちが明らかになる事で生きやすくなるなら今の方が良いと思う。どうして自分は駄目なんだろうとか、人と同じように出来ないんだろうって悩み続けるのもなんか違うと思うし。早めに諦めがつく方が(いい表現じゃないけど)時間が有効に使えるじゃん。
「人ってまあスタンダードはあっても全人類に共通の普通って多分無いのに、簡単に「普通は」って言っちゃうの不思議だよね。貴方の普通は他の人の異常なのに」って、前の私なら言っちゃってその場の空気を壊してた。普通は無くても守った方が良いルールとか倣っておいたら取り敢えずどうにかなる慣習は山ほどあるし、普通とされる形を自分の形を合わせた時、足りない部分を補ってはみ出た部分は巧い事隠すってのが必要な場面もきっとある。問題は、常に自分を抑えたり我慢し続けないで、努力しても出来ない事は素直に人に頼って、その人が出来ない何かがあるならそれを手伝えば良い。それが出来なくても力を借りたらきちんとお礼を言って感謝を示すのも大切。そして自分に出来る事は精一杯やっていれば、評価してくれる人は居ると思うんだ。
最近、Youtubeのおすすめ動画で発達障害について沢山の人が批判とか中傷を混ぜて議論してるのを見かけるけど、まあ困る事は多いと思う。本人も周囲も。仕事をいつまでも覚え(られ)ないとか集中力が足りないとか約束や規則(待ち合わせの時間とか就業時間とか服装規定とか)を守れないとか。何か過去の自分を見てる気分になる事もあるな。特に時間を守れないとかね。
本人に改善の意思が見られないとかそもそも無いなら、本当に社会を舐めてるなぁとは思う。でも『じゃあ何故改善しないといけないの?』って問われた時、私はどんな答えを返すだろう。皆も守っているのに、とか、皆に迷惑が掛かるでしょとか、あんまり響かない答えだと思うの。主語が『皆』だから。私自身がそうなんだけど、『皆が困る』って言うのだと本気の改善意欲に繋がらない事が多かった。ただある時『もう怒られたくないし、人に迷惑をかけるとその分信用とかを失って自分も損なんだ』って気づけて如何にかなった。腑に落ちたと言うか。『自分』っていう、一番大切にしたかったものを大切に出来ないのが嫌になったんだよね。だから私は『自分』の為に『皆』との約束を守って時に助けてきた。助けてもらったからね。例え誰も見ていなくてもルールやマナーを守る私が好きだし、きちんと規則を守る自分の方が良いと思う。利己主義が強いし、それが行き過ぎて利他主義に近くなる時もある。だって『皆を優先していればいつか自分も優先されるときがくる』って言うのも分かったし。そろそろ次の『皆の気持ちを考える』段階かな。まだこれは難しくてね。
さて、皆様にご報告があります。私、就職が決まりました。今度も障害者雇用で販売職です。色々悩んだし支援者さんには『矢野さんは何でも或る程度できちゃうから、逆に何を≠竄驍ゥより如何≠竄驍ゥだよ』って言われて、働き方とかどんな状態を目指すか沢山考えた。拘りとか固定観念とか、解きほぐして譲れない物だけ掬い取って、残ったものを大切にする働き方にしようと思って探した結果、見つけた企業の内定を頂きました。
この一年、前職を辞めてから考えまくったんだけど、私は仕事に憧れを持ち過ぎたんだよね。好きで遣り甲斐もあって評価もされていた状況だったけど、憧れが強すぎて自分の実力を見ることが出来なくなってた。そもそも『仕事の為に生きる』んじゃなくて、『生きる為に仕事をする』んだよ。私は其処を逆にしてた。本気で『この仕事をする為に生きてる状態』だったと思う。だから何を置いても仕事なの。心を病んでどうにもならなくなっても店に迷惑をかけたくなくて無理矢理仕事に行ってたし。それは『大好きな仕事』で『強く憧れていたから』なんだよね。でもそれで病んで退職してたら健全ではないでしょ。私は仕事以外にも楽しみとか人との繋がりも持ってるし。多分多い方だし。そう言う楽しみを楽しむ為に生きる方が良いなって思ってはいたんだけどね、見えなくなってたかも。必死で頑張って仕事するのをやめようと思ったのはそれも理由の一つ。
これからは人生の内仕事は3〜4割で、残りはプライベートが良いかな。頑張ろうと思わなくても頑張っちゃう性質だからきっと、これくらいで良いと思う。
自分の事、生きにくい人間だなぁって思って来たけど、生きにくくしてきたのは自分なんだよね。今は大分生きやすくなった。内側の子供の事を少しずつでも吸収していこうと思えるくらいには。まだ考えると泣いちゃうんだけど、彼女の目を見る勇気は出てきた。ちょっとずつで良い。本当の意味で私の事を認めてみよう。弱くても良いし、強くなれなくても良いけど、自分の事すら大切に出来なかったら本当に駄目になっちゃうと思うの。私の場合はね。
時間は有限だけど、人生って意外と長いなぁって思ったの。それだけ長いなら、なるべく楽しく生きた方が良いと思うんだよね。苦痛に満ちた時間ならさっさと終わらそうって思うだろうけど、今のところは生きるのが楽しいからさ。いつか、楽しいって思う事に『生きること』って枕詞を付けずに言えた方が良いんだろうけど。付けても良いのかな? どっちかって言うと簡単に『生きるか死ぬか』を考えないように出来たらいいのかな。一回本気で実行しちゃうと難しいんだけどね、大多数の人は『生きるか死ぬか』を本気で考え続けないんだって。不思議だなぁって思った。おんなじ国と時代で生きてるのに、凄いなって。
病んで手放したものもあれば、得たものもある。じゃあ今何が掌に残ってて、何を大切にするのかをはっきりさせるだけでも、もう少し生きやすくなるのかもしれないね。
▼2025/04/07:街角のショーウィンドウ、まだ着ていない洋服
ずっと、内側に居る子供が負った傷の痛みを間接的に受け取って来た。以前は直接的だっただろう、あの子は私自身だ。いつの間にか肉体だけが歳を取り、と云うよりもあの子供は私がこれ以上傷つかないようにと切り離した一部だったかもしれない。インナーチャイルドと言う言葉を見聞きした事が何度かある。内なる子供は傷を抱えたまま泣いている。あの頃の私は傷付けられてもそれを口に出しては向かう事を知らず、何故ならそれは形だけは十分な愛情をもって育てられていたからで、これが傷だと認識するのも時間が掛かった。過去は過去で切り離して考えるべきものなんだけど、そう割り切るにはあまりにも深く何回も傷ついてしまったものだから、瘡蓋が重なり過ぎて傷の治りは極めて遅い。傷って言うのは抽象的かな。トラウマと表記した方が良いのかも。実際に肉体が損傷した訳ではないんだし。
いじめられっ子だった期間は、まあ、長い方なんだろう。幼稚園の二年間と、小学生になってからの六年間。所謂人格形成に重要な時期のそれなりの時間を他者からの暴言とか暴力に曝され続けたんだろう、多分。多分って言うのは私が勝手にそう思い込んでる可能性も幾分かはあるからって言う保険みたいな感じ。周囲の全員が私の敵側だったかと言えば違うんだし。まあ事勿れ主義で見て見ぬ振りした奴も居るんだろうけど。
子供って良くも悪くも素直だし気まぐれだから(そうあっても許されてしまうから)簡単に誰かをターゲットに定めるし、それをどんどんと巡らせて順番が来たらお前は群れの敗者だとばかりに爪弾きにする。大人から見れば団栗の背比べも良い所なんだって気付けたのはつい最近の話。
前此処にも書いたと思うんだけど、私は発達障害のグレーゾーンみたいな立ち位置に居る。傾向で言えばASDが強いみたいだけど、小さい頃はADHDの傾向もあったと思う。思うに衝動性とか。時間を守れないしその前に朝起きれないし夜に眠れないし、忘れ物はしょっちゅうするし育てにくい子供だったんじゃないかな。其処をお母さんや習い事教室の先生とか学校の教諭陣が如何にか矯正してくれて、いつの間にか時間厳守締め切りも守るし忘れ物は滅多にしない大人になったからびっくり。よく言われる『療育』に近い事をしてくれていたと思う。偶然かもしれないけど、うちのお母さんは元保育士だ。子供の発達に関わる知識は(当時にしては)多い人だったんじゃないか、と最近よく思う。
今現在は『人の気持ちを考えるのが苦手で、つい自分を中心に考えてしまう』って特性と闘ってる。一人っ子だからかな、自分がいつまでも世界の中心に居るんだよね。他の人だって自分の事を一番かわいいと思ってる場合が多い筈なのに(あくまでも可能性として)その可能性を考えないの。慮れない。人の態度とか言語外の気持ちや感情を読み取るのが苦手で、つまり空気が読めないし、冗談も分からないし通じない。純粋な子供みたいだとたまに言われる。いい意味で幼いって言いたいらしい。子供っぽいのと何が違うんだろう。
内側の子供がいつまでも子供なのは、この特性も要因なんだろうか。それとも、他人を慮れるほど傷の痛みが強いままなのかもしれないなって思う。たまに触って剥がしちゃうんだよね、この瘡蓋たち。
通っている就労移行支援のスタッフさんには『まだ生傷なんじゃないか』って言われる。乾いてすらいないって。治療する前に切り離しちゃったからかな。治すのにも痛みが伴うじゃん、消毒液が染みるのとか嫌だもん。
さて、此処まで読んで違和感に気付いた人は居ますか? この話には父親が登場してないんだよ。私の父親。もう居ないんだけどさ、その前にもう会わなくなって何年も経つから本当に居なくなったのか実感が湧いてないの。目の前で焼かれてもないし骨も拾ってない。今頃どうしてるんだか。
そんでさ、最近気づいたと言うか認識したんだけど、私自分で推すキャラクターに見られやすい傾向として『父親に愛されていないと感じている』『父親に憧れつつも追いつけない』『満たされないから破壊衝動とか突飛な行動欲を覚え実行する』って言うのがあって、そう言うキャラクターに出逢うとつい、彼等彼女等を救ってあげないといけない気持ちになる。貴方達は守られなきゃいけないんだよ、だって子供なんだからって。だから推しにして(昔なら嫁かな)救ってあげる妄想をする。で、思ったんだ。
本当は、私自身が救われたかったんだって。守ってほしかったんだって。それがいつまで経っても満たされないから内側の子供の傷は治らないし塞がらなくて、必死で助けを求めてる。それが辛くて消えたくなる。創作上の彼等彼女等を救う事は私自身にしてあげたかったそれなんだ。だから可哀想な子供を好きになるし、状況を改善したくて二次創作を書き始めた。作品中では報われなかったあの子達を、せめて私の中だけでも救いたいし、それで私も救われたい。何かを転嫁し過ぎてるのも分かってるけど、多分この気持ちは当分消えない。
自分の内側に潜り込む事が出来たとして、私は内側の子供を救えないんだろう。少なくとも今現在は。ただ隣に居る事も出来ない。彼女の叫びは辛すぎる。だから耳を塞いで顔をそらして、見えず聞こえもしないふりをする。その繰り返しが今の状況を作ってるのにね。
救われたいと思うのは、まだ生きていたいからなのか。それとも痛みに耐えられないからなのか、可哀想だから? 誰がなんだろう? 私は私しか居ないのに。
所謂発達障害グレーゾーン、もっと言えば非定型発達だけど、他の人とは違う仕組みと設計図と手順書で作られたこの脳味噌が働いた結果が私で、その私自身を正確に認識できるのも理解できる可能性が高いのも私しか居ない。本当の私なんて居ない。そもそも私は私しか居ないから。内側の子供も、切り離されただけで元は私だ。
以前『貴方は解離の症状が強い』と評された。会う時、会う人によっては人格が少しずつ違うらしい。きっと、表の私が強いか内側の子供が強いかで割合が変わっちゃうんだろうな。だから時々驚くくらい簡単に騙されるの。冗談が通じないのは人と関わった経験が少な過ぎてそれを冗談と見抜けないから。解離の症状を指摘した人曰く、本来愛されて育ったんだってさ。ただ、愛情の方向性がちょっとおかしかったし、大人になった今あれは虐待行為の一種だったとはっきりわかる事もある。毒親、って言うのは少し違う。人として少し、何かが足りない人だった。父親に関してはね。愛情をもって育てられたことは間違いないよ。けど、本当は誰よりも自分が愛されていたい人だった、自分がいつでも世界の中心だった。そう言う人が似たような子供に育ててしまったって話。
憎んでいるかと問われると、憎んではいないと思う。ただ虚しくて仕方ない。もっと早くに気付いて、離れておけば良かったかなと思う。あの時代には難しかったけどね。
血の繋がりってそもそも同じ人間って生き物な時点であまり関係ない。だってDNA配列が示すのはホモサピエンスだもん。だから今のお父さんの事は保護者だって認識してるし尊敬もしてる。ただ、この遺伝子を残すのは嫌かな。産まれてくる子供に同じ苦しみを背負わせそうな気がするんだ。
つらつらと書き連ねたけど、取り返しのつかないものってあるけど、やり直しの機会は幾らでも見つけられると思う。向こうに引っ張られないように必死であの腕を振り切って今がある。正しく生きようと、貴方と同じにはならないと、大好きだったそれを切り捨てた。大好きでも害になるものってあるからさ。
大好きだったり大切に敬うべきそれを切り捨てて生きられるなら、躊躇せずに手放して良いよ。貴方の人生は貴方だけのものだから。視点を切り替えて生きるの。罪悪感なんて懐かなくていい。
ただ、もしも貴方の中に泣いている子供が居たら、いつかその傷を受け取る可能性だけ覚えておいて。その子は今肩代わりをしているだけだから。
▼2025/03/23:震えながらコンフォーターに包まる縫いぐるみ
FNAFと言うゲームのファンメイドの『Never Be Alone』と言う曲にハマっている。昨年末から英語の勉強を始めたのだが、思いの外捗っていて、この曲も全編英語なのだが、聴いていると訳せるようになってきた。直訳と翻訳ではまた少し違うけれど。この曲、少し前からYoutubeで飛行機事故の再現動画のBGMに使われるようになったらしく一時ハマってよく見ていたら、曲自体にもハマりアマゾンミュージックで購入してしまった。曲名の解釈は人それぞれだと思うが、元になったFNAFと言うゲームの内容にかなり巧い事リンクしているらしいので、プレイした事のある方は聴いてみてほしい。さて、実習は無事に終了した。何かとても褒められ『指摘すべきところは何もなくて、働きぶりも遜色なく、寧ろ他のスタッフが出来ていない所を担ってくれた』とか評価をいただいている。正直驚きだが、私の感想としても『意外と楽しかったし、自分の中の業務のギアを上げなくても十分評価された』と素直に感じている。
下の記事にも書いたが、私は前職まで自分の中の業務のギアを目一杯上げて、100%どころか120%出さないといけないと思い込んでいた時期があった。しかしそれで体調や精神面の調子を崩しては元も子もないので、普段は精々70%の実力を出せばそれで良い仕事を探していたのだが、丁度この実習先がそんな感じだったのだ。分類としては前職と同じく販売だが、興味はあっても深堀しないであろう分野の販売だ。障害者雇用の枠なのは前にも書いたが、接客も必須ではあるが難しい部類ではない。私がやらなければならないのはあくまでも一時対応のみで、基本自分では答えずに既存のスタッフさんにつなげばそれでOKである。あとは品出しとか前出しとかを行ない、店内を整備し清掃し、お客様に笑顔で元気よく挨拶出来ればそれでよし。ぶっちゃけ楽ちんである。初日はそりゃもう緊張したが、お客様が皆優しい方ばかりだったのもあり、実習期間を終えた頃には充実感でいっぱいだった。
私が持つ幾つかの課題の一つに『声の大きさやトーンの調節が苦手』な事があるのだが、寧ろそれも有利に働いている。業務の説明を受けていた時たまたまお客様が通ったので反射的に笑顔で『いらっしゃいませ』を繰り出したのだが、他の人よりも少々大きな声になってしまったのを逆に『活気があって良い。今の感じでやってほしい』と言われたのだ。その際『挨拶はいつも通り元気良く、他は1、2トーン落とせば大丈夫』と言われたのでその通りにする。そしたら最終日には褒められたのだ。前職時代に『お客様と擦れ違う時、無言なのはご法度』だった為に。一度挨拶した方と擦れ違う時には『ご覧くださいませ』と言うのだが、初めは余計な事言ってるかなと思いつつも言っていたら『本来は他のスタッフも言わないといけない事だが、言えていなかった』と言う。
まだ新しい店舗なこともあり、既存のスタッフさんは接客業自体が初めてな方も多いそうで、もしこの企業とご縁があれば非常に楽に勤められるのではないか? と感じたのが正直なところだ。
まあ、もう一つの懸念点として『仕事が楽しいし覚えるのも好きだから、つい探求し過ぎてしまうこと』も挙がるんだけれども。真面目過ぎて仕事のことを家に持ち帰って悩む事の繰り返しの社会人人生だ。勉強することも好きなので、以前はお風呂にまで資料を持ち込んで商品知識を覚えたりしていた時期もある。今はそう言う行き過ぎた努力は止めて、仕事とプライベートのバランスを取るよう意識している。メリハリは何事にも大切だ。
この前、いつも行っている就労移行支援事業所のスタッフさんから『最近イイ感じに緩くなったね』と言われた。以前とは違って程良くゆるく、ふんわりした話し方になったと。目付きも顔つきも優しくなったらしい。前よりも頑張り過ぎないようにした結果かもしれないし、歳を重ねた結果でもあるかもしれない。きっと自分にも他人にも優しくなれたのだ。世界と言うのは人が働いた結果で出来ている、でも、全員が常に全力で生きているわけじゃないし、その必要も無い。頑張る時は頑張って、休む時は休む。そして、持続可能な感じに仕事のギアを入れて働けばそれで世界は回っていくのだと感じている。ご飯を食べる時と同じで、腹八分目ならぬ働き八分目と言うやつである。目一杯頑張り続ける必要が生じる時も確かにあるけど、その分非常事態以外は休んだ方がきっといい。その方が必要な時に頑張れる。
それと、少し前から自分を適切に♀テやかすようになった。例えば『今日はいっぱい頑張ったから甘い物沢山食べちゃえ☆』じゃなくて『今日は沢山歩いたし、お店のポイントも貯まってるから好きなお茶を一杯だけ飲んじゃお♪』みたいな感じ。前者と後者との違いは『頑張った事実を無駄にしないかどうか』と思っている。いっぱい頑張ってカロリーを消費できたのに、甘い物をたくさん食べればそれはゼロどころかマイナスに働く事もあるし、後で後悔する可能性もある。お金もかかるし。でも後者なら『沢山歩いた』事実があり『ポイントが貯まっている』からお財布にも負担が少ない。この時のお茶は大抵シロップは少量入っているが、脂質はゼロだ。ミルクは入っていないお茶しか選ばないようにしているので。
この時のポイントとして、『後で後悔しない事、物』をご褒美にしている点が挙げられる。金銭的にきついのにお金を遣い過ぎれば後で後悔するし、食べ過ぎれば身体に脂肪が蓄積されてやっぱり後悔する。何事も程々が良いのだ。
この辺りにも私がゆるくなったなぁと感じる要因がある。何事も全力を出さなくても結果は出せる。本気で頑張るべき時に頑張る為にも普段は休む。これからの季節には特に大切な姿勢らしい。
私が頑張り過ぎなくても、地球は変わりなく回り続けるだろうし、ちょっと緩くなったところで世界は爆発しない。なら、自分に優しくしたって誰も怒らない。でも、優しくするなら適切にしよう。許容範囲は何にでもある。
やっとこの感じを身につけることが出来たし、そうすると大分生きやすい。やっと色々落ち着けたかな。病院を変えられたのも大きいんだろうけど。お薬の飲み過ぎも自分を追い詰める一因だったみたいだし。
割りと良い感じで最近を過ごしているので、このままの流れでゆるーっと就職したい所存。
▼2025/03/09:氷上で歌う、剣の舞
このタイトルで書く時点でこのブログの読者差さん達は何の話題かピンとくるかもしれない。米津さんの新曲が良くて、MVが豪華すぎるのだ。私は高校生の頃から彼の音楽を聴いているが、まさか羽生結弦君と共演するとは思わなかった。今回の新曲がフィギュアスケートを題材にした漫画原作のアニメの主題歌な為、それっぽいMVが来るかと思いきやド直球で大型ミサイルが放たれたようだ。元々曲自体の長さがフィギュアスケートのショートプログラムで使える長さと言うのは何処かで見聞きして知ってはいたし、米津さんファンの間では『米津さんがフライングシットスピンを習得するのに時間が掛かってMVの公開が遅れているのでは?』など冗談みたいなことが囁かれていたのだが、ガチのメダリストが来てしまった。羽生君は元々、ハチ時代から米津さんを応援して推していたと言う。彼がもう三十歳と知って今の自分の年齢に眩暈を起こしそうになったのはまあ置いておいて、彼は丁度ニコニコ動画のボカロ界隈が大賑わいだった頃の視聴者らしい。きっとリンネとかマトリョシカとかパンダヒーローとかドーナツホールも聴いたんだろう。米津さん自身は今回の新曲を描き下ろした切っ掛けとして漫画『メダリスト』の大ファン(と言うか半ばオタク)である事を挙げ、アニメ化の折に逆オファーしていると言う。って事は米津さんの関係者の何方かが原作者サイドの何方かに『うちの米津がつるま先生のメダリストに主題歌を提供したいと申しておりまして…』とか言ったんだろうか。『うちの米津が』とか人生で一度も言わないようなフレーズである。
一米津さんファンである私は最近、自分を『米民』と称する。某SNSでフォロワーさんの多い米津さんファンの方が使っているのに倣わせてもらっている。米の民と書くのが非常に良きファンとしての自称名称だと感じてのことだ。今回札幌ドームでのライブに参戦して、米民は民度が高いなぁと思った事が非常に多かった。私はアリーナのかなり良い席が当たったのだが、皆さんマナーをきちんと守っているし、演出の為に敷かれた『光物(ペンライト等)うちわ禁止令』は厳守している。スタッフさんの対応も良かったし、今回も非常に楽しく参加できた。私も一米民として金テープ(ライブ中に降ってくる奴)の集中砲火を浴びたた為、自分のぶんを確保したら残りは周囲の方へお譲りした。入場で困っていたらしき高齢のご婦人たちの疑問にも答えた(入場券がどうやったら出てくるのか分からなかったと言う)。退場の時も米民はスタッフさんの指示に従うし、私と同じように金テープの集中砲火を浴びたらしきお姉さんが大量の金テープを持って「欲しい方いませんか〜」と周囲に呼びかけ譲っていた。
ただ、ひとつだけ意見させて貰えるなら今度のライブツアーは温かい時期に開催してほしい。札幌ドームから最寄り駅に行くまでに同じ方向へ向かう人が多過ぎて1時間半ほどかかり、真冬なので遭難している気分になったのだ。結構ガチ目に震えていた。そしてもう少し早い時間帯に開催してほしい。帰宅が夜11時を回ったので。
さて、話題を変えよう。私は現在と或る企業様と就職のお話が進んでいる。今週企業実習が決まっているのだ。あくまでも『ただの実習』であり雇用が前提のものではない。のだが、この前ハローワークのみどりの窓口の職員さんに実習が決まった事を伝えたら『おめでとうございます!』と言われた。まだ内定をもらったわけでもないのにと疑問に思ったが、同じ週に精神科のいつもの通院があったので主治医にその事を言ったら『…ああ。実習もなかなか決まらない人の方が多いですからね』と彼は微笑んでいた。そして『頑張って』と言われる。今回の求人は障害者枠で、かつ就労移行支援事業所などの関係機関との繋がりがある人限定の求人だ。職種は販売。また販売員である。事務職なども考えたのだが、私の場合身体を動かさない仕事じゃないと確実に就業時間中に寝る。一度見学に行った企業様は環境音が非常に静かで動きも無い業務だった為、『これは確実に寝る』と思って応募を止めている。
今回の実習では実際にお店で働く事になる。久しぶりに店員側としてお客様の前に立つのだが、以前より全然緊張しない。何せこっちは二年以上お客様の前に立ち続けておりますので。声を掛けるのも掛けられるのも怖くない。最近の私の強みの一つは『物怖じせず笑顔で声を掛けられる事』だ。緊張もあまりしなくなった。お客様の方も此方に完璧を求める人はそんなに居ないと気付いたからである。お客様は気持ちよく買い物が出来ればそれで良くて、その時の店員の対応が悪くなければ(つまり最低限笑顔で目的の品物を提供できれば)それで良いのだと分かった。
勿論完璧を求める事は出来る。明るい笑顔で朗らかに、きちんとした敬語で対応し、最高の対応が出来ればそりゃあ理想形だ。でも私はそれを追求し過ぎた余り、前職を辞めることになっている。『完璧な接客が出来る最高の販売員』になろうとして無理を重ね過ぎた結果だ。楽しい仕事だったし、辛い事も込みで大好きな仕事だった。自分を指名してご来店くださるお客様が複数いらっしゃるとか、販売員冥利に尽きると言うもの。でもそれらは総て他の色々なものを犠牲にした上に成り立っていて、そのうちの一つに『私の心の安定』が含まれていたのだ。常に完璧で最高で居なければならないと思い行動し続けていた結果が去年の二月に訪れた精神科医からのドクターストップだ。
今はもう、自分に完璧を求めないことにしている。完璧じゃない自分を、何も生産出来ない事もある自分を許せるようになった。完璧じゃなくても、最高じゃなくても私は存在していて良いし、そもそもこの世界に存在している事は私が望んだものじゃない。
誰も、産まれたいと願う事は出来ないから。
勿論、生き続けたいと思うのは私自身なんだけど、何だろう、自分が『此処に居て良い』じゃなくて、産まれちゃった以上生きて行くしかないし、死ぬのは怖い。以前は直ぐ『消えたい』とか『此処に居ちゃいけない』とか思ってたけど、望んで生まれていない上にやりたい事は今のところ尽きる気配も無いので、生きることにした。そして創作する人間あるあるなのが『何も書いたり作ったりしていない自分が許せない』だと思うんだけど、私は現在『何かを生み出す事は義務じゃないな』と思っている。それを仕事にしているのなら兎も角、私は個人的な趣味として創作に親しんでいる。楽しむ為に創作をしているんだから、自分を苦しめる程やらなくてもいい。それでフォロワーさんが『最近更新ないな…他の人の方が投稿頻度高いしな…』と離れて行ったとて、またいつか投稿したら戻ってくる可能性もあるわけで。何よりも優先したいのは『私の心が安定して、健康を損なわない程度に楽しめる状況』なのだ。趣味に命を懸ける事に向いていない人間なのだ、私は。
と言う訳で、最近だと何も生産せずぼけーっとする時間も増えたし、生産するのではなく興味がある分野の情報を摂取するとか、作品にしない心算の妄想に浸るとか、ひたすら自分の『愉しみ』と『楽さ』を優先して行動している。結果、とても楽になったし生きているのが楽しい。
何歳になったからこうなっていなきゃいけないとか、この歳でそれするの? とか、普通はこうでしょ? とか、あまり思わなくなった。だって、私以外の誰かは私じゃない(注、ゲスの極みは関係ありません)。私の人生は私以外に歩めないし、較べたところで比較対象も困るだろう。ただ、『こんな感じで生きていきたいなぁ』と言うふわっとした感覚だけ持って生きている。まあ、時にはしっかり将来を見据えた方が良い場合もあるけど。でもふわふわっとしている部分としっかりした部分、両方あると私は生きやすい。
最近、長年のブログ仲間の方が非常に悩んでいる様子を読んでは画面の向こうに行けたらなぁと思う事が増えた。彼女の状況を良くする術を思い付く事は残念ながら難しいけど、話を聴く事は出来るし、文字じゃなくて声で話せたらいいのにと思うのだ。オフラインの友人達よりも長い付き合いの彼女は現在、凄く苦しんでいる。でも画面に浮かぶ文字に表されていない本音とか、彼女自身が書きたくないであろう事を考えた時、どんな言葉を掛ければ良いのか悩んで、結局何もしない事が多い。貴女の現実を変える事が出来なくて本当にごめんなさい。
…まあ、此処で謝罪するのも私の自己満足なんだけども。辛い時に貴女の言葉に救われた私は、貴女を救えるだろうか。本気で悩み、苦しんで、それでも生きている貴女を誇りに思いますとだけ、此処に書き残しておく。もし余裕があったら、あったかいお茶を淹れてゆっくり味わってみてください。
▼2025/02/23:夢のような世界を、ほんのひと時構築できる人に就いて。
米津玄師さんの初のドームツアーライブに参戦してきた。すっごく良かったし、夢のような世界を約二時間半味わった。彼のライブは当日になるまで何処の席になるか分からない仕様だ。私は今回最前列でこそないが、かなり良い席が用意された。中心の通路に近く良く見える席で、ステージから10メートルも離れていない。初のドーム参戦だったので軽食を摂り(シナモンチュロスをもぐもぐした。本当はプルダックポークのホットサンドも食べたかったが目の前で売り切れた)、いざ開演したら米津さんは白い洋服に身を包み、黒髪は無造作なセンターパート。歌い始めの挨拶も曲も歌もバッグのバンドの皆さんの演奏も、ダンサーの皆さんの踊りもどれもとても良かったのだが、終わった今、あれは夢だったんじゃないかと記憶が曖昧なのは何故だろう。
大好きなアーティストが目の前で歌い、話し、演奏し、時には踊る。そんな光景はなかなか見られるものじゃないからだろうか。米津さんのライブはいつも、夢の世界へほんのひと時だけ連れて行ってくれる。その切符を得るのも大変になってしまったけれど、やっぱりその世界を味わいたいからまたきっと応募するし、繰り返しCDを買って曲を聴く。
今回購入したグッズは『いきものショルダー』だ。丸い黒いあの子のポーチである。ショルダーストラップがついていて、何処にでも連れて行ける仕様だ。これからもう少し暖かくなったら色んな所へ連れて行きたい。その時はうちの子達皆で美味しくて可愛い物を食べに出掛けよう。
ちなみに、初めて札幌ドームから駅までの帰り道を歩いたわけだが、死ぬほど寒くて遭難したかと思った。もし次回以降開催されるのであれば、もう少し暖かい時期でお願いします。帰宅が23時を過ぎたので本当に寒かったです。現場からは以上です。
▼2025/02/23:異国情緒を纏った爪先、金接ぎの欠片は誰も傷付けない
最近、ネットの彼方此方で『風呂キャンセル界隈』『風呂キャン』と言うワードを見かける。要は何らかの理由によりお風呂に入る事を躊躇う人や、入るのが面倒だからドライシャンプーやボディシートなどで誤魔化す人や、そもそも入らない人や入れない人を指す言葉らしい。初め、『キャンセル』と言うのだから元々は入る気はあったのだろうと思ったら、入る気も無い人も居るらしい。そうなると幅広い人々を指す言葉だと感じた。私はどちらかと言えば『風呂はのっぴきならない事情以外ではキャンセルしたくない界隈』の人間だ。昨日たまたま風呂キャン界隈に関する動画を視聴する機会があったのだが、冬で汗をかかないから入らないのは序の口、真夏だろうと汗っかきであろうと入りたくないときは入らない人もそれなりの人数存在するらしいと知って少々衝撃だった。そして、私には到底真似できないとも思った。基本的に、と言うか、私は毎日お風呂に入るのが楽しみなタイプだ。髪の毛が長く乾かすのは確かに時間が掛かるが、新作のトリートメントのサンプルを貰えばうきうきしながら使うし、シャンプーも髪質に合うものを探して試すのが好きなので、お風呂=癒しを与えてくれる楽しみな時間である。
ボディソープは家族で共用なので普通にビオレの弱酸性ではあるが、シャンプーとトリートメントはお財布と相談しつつより良い物を探し続けている。現在はボタニストのモイストタイプだ。最近だと頭皮クレンズにも興味が湧いていて、何故かと言うとこの前ジルスチュアートビューティでお買い物をした際『頭皮のクレンジングと髪の毛の洗浄、及び保湿総てを一度で出来るクレンザー』のサンプルを貰ったからだ。一度使用して直ぐその爽快感と乾かした後の指通り、そして乾かす時間が短くなることに驚いた。来月現品を買うと思う。何せパケも可愛いし、ジルはデパコスの中でも比較的に安価である。ちなみに使用感は非常にスースーする(メントールっぽい感じ)のでそこは個々人の好みによるかもしれない。
話がわき道にそれてしまったが、私自身は風呂キャン界隈とは少し離れた場所に居るようだ。しかし、この『風呂キャン』と言うワードが示す人々の幅がやや広過ぎるように感じる。自分の意思で入らない人も居れば、何らかの理由で入れない人も含むらしいのだ。何らかの理由とは、例えば仕事が忙しく、週末には寝倒して入浴するエネルギーも無いとか、疾患の影響で体力が奪われ入る気力も湧かないとか。まあ要はメンタル疾患界隈である。私もそこに属して久しいわけだが、うつ病や抑うつ症状の影響で入浴も出来ない、と言うのは珍しい状態ではないと思う。それに名称がついたと言うか、一部の人が宣言をした感じなのだろうか。でも、それにアイデンティティを覚えるのは些か病みの影響を感じる。何らかの理由でお風呂に入らない、入れない事を宣言する風潮には、如何にも馴染めない。此処みたいな匿名の(まあ簡単に特定できる時もあるけど)ブログとかで書くのは自由だ。でも公の場(学校とか職場とかテレビ番組のインタビューとか)で言うのは如何なものだろう。別に宣言する必要は無くて、ただ、自分の体臭とかで他者に迷惑をかけないよう何らかの措置をとっておけばいいだけの話なのではないか、と思う。
以前此処にも書いているが、私は過去の事故で嗅覚を失っている。故に自分の体臭は分からない分非常に気にしている。毎日入浴して身体を洗い、デオドラントグッズは頻繁にしようする。香水に関しては量と吹き付ける回数、行く場所によっては着けない場合もあるしTPOを考えるのは当然だ。自分が認識できない要素でマイナス評価を受けるのが怖い。
と言うのは私の個人的な事情だが、何と言うか、入りたくても入れない人とそもそも入る気が無い人を一緒くたにするのは如何なものか、と言うのが正直な見解だ。
此処からはメンタル疾患患者故の意見を表明しようと思う。不快に思う方は流して欲しい。
私は17歳の頃から統合失調症と生きてきた。現在も薬物治療やカウンセリングを受けている。そして、統合失調症やうつ病などに代表されるメンタル疾患の患者さんの一部は時にお風呂に入れなくなるらしい。一部と付けたのは私の周囲には『お風呂大好きだし入らないとか無理!』な患者さんと『お風呂とかは居る気力も湧かない』と言う患者さんが同時に存在するからである。まあその中間で『入れる時もあれば入れない時もある。臨機応変』な人も居るだろう。これは普通(要は健常者)の人も同じだろうが、比率は変わってくると思う。
メンタル疾患と言うのは、何も精神面にだけ影響があるわけでない。身体的症状だって山の様に出る。身体が動かなくて一日中布団から虚空を見つめるだけの人も居ると聞くし、何とか入れてもその後体力を消耗し過ぎて何も出来なくなる人も居ると聞く。お風呂に入ると言うのは、幾つもの行程に分かれる行動だ。
まずは上がってから着る洋服と下着の替えを用意する。続いて洋服を脱いで洗濯籠へ入れ、ヘアゴムなどを外し、髪の毛をブラッシングする。湯舟に入る前に掛け湯をする人も居るだろう。そしてやっと湯船に入り、お湯に浸かる。温まった頃合いで湯船から出て髪の毛と顔と身体を適切に洗浄する。髪の毛が長ければ、シャンプーの後には多くの人がトリートメントやコンディショナーを施すだろう。それらの洗浄剤や保湿剤をシャワーで綺麗に流して、人によってはもう一度お湯に浸かって、更にシャワーでざっと身体を流して浴室から出る。此処まででも大変なのに、お風呂上がりには身体の保湿をした方が良い時も多いし、着替えののちに髪の毛を乾かすと言う最も労力を要するミッションも発生する。
…書いていて思ったが、私はこんなにも面倒な行為を喜んで行っていて、毎日やらないと気がすまないのは何だか凄いなぁ。
まあ、そんな面倒且つ幾つもの行程に分かれた行動が必須になったのはそう昔の話でも無いらしい。お風呂好きと言われる日本人だって、毎日入浴するようになったのは個々人の自宅に入浴設備が完備されるようになってからだ。きっと。私の母親だって自宅にお風呂が無かった頃は、冬場は銭湯へ向かう脚が重くなることがあったと言うし。
そんな訳で、何らかの理由でお風呂に入れない、入らない人は昔から沢山いたのだ。その意見が可視化されたのが最近だと言う事なのだろう。私が毎日入浴しスキンケアを行うのは見た目を整える事と精神面が安定する事がイコールで繋がっているタイプなのが関係している。私は現在、休日はロリータファッションで過ごす事が多い。中学生の頃からゴスパンクとかゴスロリの人間で、就職前に一度やめた後で出戻ったらロリータになっていた、出戻りーた(出戻り+ロリータの造語)である。ゴスも、ロリータも、見た目を非常に気にするし、出来れば薔薇とか紅茶とか果物の香りを纏っていたいタイプだ。コスメだって見た目の愛らしい物とか優美なものが好き。お気に入りのお洋服を着るならお化粧だって気合いを入れるし、ヘアアレンジだってアクセサリーを使って凝ったものにする人が多い。自分と言う人間を『理想のお人形さん』に仕立てるために色々なものを犠牲にしている人だって多い。それくらい納得のいく自分を構築するのが好きなのだ。
と、言うのを前提に。私はメンタル疾患と診断される遥か昔にゴスやロリータの世界に耽溺していた。故に、発症後も可愛いお洋服に見合う自分を保てるよう努力する道を無意識に選んだのだ。どんなに症状がきつくても、発熱していない限りは(閉鎖病棟に入院していた時は無理だったが)入浴するしスキンケアも欠かさない。次の日が休みで予定も無いとかで髪の毛を洗うのをサボる事はあっても、二日以上は正直無理だ。そんな状態で自分にロリータの照合を当て嵌められない。そして、精神医学の面でも、自分の見た目にある程度手を掛けられる患者さんは回復の見込みがあるし実際回復が早いらしいのだ。以前精神科病院に勤めていた人も似たようなことを本に書いていた。
で、結論。私は自分がロリータで本当に良かったと思う。自分に可愛いお洋服をに合わせる為なら多少きつい事でも努力する気力がわく。それを続けて自分を好きになれた。こんなにも頑張る自分を愛さないでどうするのだ、と今は思っている。なので、昨日もお風呂に入って全身を洗い、スキンケアを施し着心地の良いパジャマを着て、髪の毛を乾かす前にはヘアミルクを馴染ませ、乾いたらヘアオイルも塗り、それが終わったらネイルオイルとハンドクリームでハンドケアを施す。今はあまり面倒とも思わない。だって、自分を慈しむ時間だから。
結局のところ、自分の事が大好きなんだよね。可愛い子には手を掛けたいタイプなんだろう。多分これからも私は自分のお手入れを楽しみながら頑張るんだと思う。でも、それが出来ない人も居るし、其処を責めるのもおかしい。自分は自分で他人は他人。その辺り、線引きはした方が良いんじゃないかな、と思う近頃。
▼2025/02/10:白桃の紅茶を纏おうよ、琥珀糖になれる
可愛らしいものが大好きである。見た目が可愛らしいのも好きだし、中身が可愛らしいとか、言葉遣いが可愛らしいのも好き。そう言えば『可愛い』は古くに作られた造語と言うか当て字だそうで、本来は『かわゆい』と書くらしい。響きがかわゆい。ただ、『可愛い』の当て字も可愛いし、好きな方が使うのが善きと考えている。米津さんのライブの準備が遂に完了した。自分の髪の毛とメイク、お洋服を含めたコーディネイトを構築し、あーちゃんに着せるお洋服と頭物も完成した。お揃いの鞄も製作した。我ながら器用な女である。
私用のお洋服や鞄は既製品で、頭物、つまりはヘッドドレスのみ自作した。近所で一番大きな手芸屋さんでお買い得なセールをやっていて、髑髏柄のレースが格安で手に入ったのだ。白地に黒い髑髏が刺繍された綿レース。2.5メートルで400円(税別)はかなり安いと思う。それと百均のリボンやチェーン、デコレーションパーツなども活用して仕立てた。あーちゃんの分は同じ素材も使いつつ、ちょっとずつデザインを変えている。作りやすさと彼女に似合うようにする為だ。お洋服はドール服の作り方大全と言える本を購入して、掲載されている型紙を試行錯誤しながら既製服のデザインに近づけている。そろそろトルソーが欲しい。身体のラインに沿って作れたら相当に便利だし、お気に入りのコーディネイトを着せておいても楽しいと思う。
実は以前あーちゃんのお洋服を仕立てる材料としてレースの量り売りをして貰う際、値段を見ないでメートル数を言って切ってもらってからお会計になってとんでもない金額になった事があって、初めて手芸屋さんでクレジットカードを切った事がある。非常に危険なので皆さんはマネしないでほしい。普通に驚く額だった。
メイクは最近ハマっているFlowerknowsのアイシャドウパレットが主役だ。以前は『所詮中国製品だし…』などと穿った見方をして使わず嫌いをしていたのだが、見た目が何とも可愛らしく周囲の評判も良いので使ってみると、かなり良い仕上がりだったのでお勧めである。色合いが絶妙に使いやすく、偏光パールの美しさはデパコスブランドにも勝るとも劣らない。特に『胡蝶雲肩』シリーズの、パッケージがピンク色が基調になっている『02雲想衣裳』の右から3番目の色が使いやすく、人にも褒められる。ぶっちゃけこの色だけ単色で売り出して欲しい。スペアも一緒に買うから。
日常生活や就職活動にもこのシリーズは活躍してくれる。同シリーズでパッケージがラベンダー色が基調になっている『香炉紫煙』のマットアイシャドウで程良くグラデーションを入れて、グレージュのリキッドアイライン(ご自身の使いやすい物で、細く、長すぎないように引いてみて欲しい。目尻のラインをほんの少し延長する感じで)と自然にセパレートした睫毛(マスカラもご自身の使い慣れたものがおすすめ。私は長年オペラのマイラッシュの漆黒である)を合わせれば、印象的だがやり過ぎないオフィスメイクが出来上がる。
ただ、オフィスメイクの場合以外にも気を配るべきポイントは幾つかある。以前読んだ書籍ではメイクの印象を決めるパーツは『眉』『睫毛』『頬』『唇』らしく、もし難しければアイメイクはビューラーとマスカラのみでも良いらしい。私の場合メイクに凝るのが楽し過ぎるので毎日TPOと気分と服装に合わせて色々と変えているが『自分にはこれが一番似合うし、変えなくとも問題が無いメイク』が見つかって、それに満足しているなら変える必要はないと思う。
で、私の最近のデイリーオフィスメイクをこれに当て嵌めると以下の様になる(暫しお付き合いください)↓
『眉』
セザンヌ 超細芯アイブロウ 08ビターグレージュ(眉墨)
ケイト 3DアイブロウカラーN ミュートグレージュ(眉マスカラ)
『睫毛』
オペラ マイラッシュ アドバンスト 01漆黒(睫毛用マスカラ)
『頬』
ナーズ ブラッシュ N 903A IMPASSIONED(チーク)(限定色)
『唇』
ナーズ アフターグロー センシュアルシャインリップスティック 226 ALLIN(口紅)
これらの前に『肌』には↓
ナーズ ライトリフレクティングトーンアップヴェール(下地)
キャンメイク ポアレスエアリーベース 02(部分用下地)
メイベリン SPステイ ルミマットリキッドファンデーション(薄く塗る用のファンデーション)
カバーマーク フローレスフィット FR20(コンシーラー代わりのファンデーション)
ナーズ ソフトマット アドバンストパーフェクティングパウダー 03122(フェイスパウダー)
ナーズ シングルアイシャドー 5307 BIARRITZ(目元のクマを隠すためにハイライトと混ぜて使用)(廃番)
ジバンシィ プリズム・リーブル・ハイライター 14(ハイライト)(2024年ホリデーコフレの為限定品)
キャンメイク シェーディングパウダー 05(シェーディング)
を施した上で『目元』には↓
キャンメイク アイシャドウベース PP(アイシャドウ用の部分下地)
フラワーノーズ 胡蝶雲肩 03香炉紫煙(前述のとおりアイシャドウパレット。マットカラーのみを使う)
3650 リキッドアイライナー グレー(アイライナー)
を合わせている、と書くためにコスメを確認したら結構な種類を使っていると再認識した。一度に使う量にしてはかなり多いかもしれない。これに加えてオフィスメイクでないなら偏光パールのアイシャドウを乗せたり、チークを2色使うとかリップも3種類使うとか、アイラインも3色使うとか普通にやってしまう。顔面お絵描きが楽しくて仕方ない。
最近シミこそ増えたがそれを隠すためにカバーマークを使うし、肌自体の調子は良い状態をキープできているのでそれ以外は薄付きにして問題ない。問題無いのについつい化粧を盛ってしまう。この前パウダールームで化粧を直している時に気付いたが、私の場合顔立ちがはっきりしている為、あまりアイメイクに手を加えない方が断然見た目が若くなるようだ。この時はたまたま目元のメイクが殆ど取れていて、持ち運び用のハイライトとアイライナーのみにしたら発見に至っている。マスカラは多分取れているけど、まつ毛パーマのお陰で綺麗にカールしてセパレートしていた。後は眉とリップのみ、肌だけはしっかりと粗を隠せば大体成立する。つまり、それ以上は趣味で濃くしていると言う事である。
ちなみに現在この記事を書いているノートパソコンの周囲はコスメだらけだ(確認の為持って来た)。えらい量がある。デパコスもドラコスもその中間層に当たりそうな価格帯のものも、良いと思って費用対効果に納得できれば使用する主義である。メイクやコスメについて語ると時間がマジで足りない。最近になって漸く引き算を覚えたので、足したり引いたり自由に楽しんでいる。オフィスメイクも『如何にさり気なく印象を良くするか』に焦点を当てると楽しいと気付いた。大して興味関心も時間もかけていないようで、手間と技術と計算を重ねたメイク。最低限なのに最大限その場に馴染む魅力的なメイク。それはそれで結構面白い。
TPOを意識して可愛いを楽しむ、がモットーかもしれない。幸い技術はあるので隠すも盛るも自由自在だ。自分に似合わないであろうものは置いておくとしても。
スキンケアに関しては、最近大分シンプルになった。菊正宗の日本酒の化粧水(ナイアシンアミド入り)とミノンの乳液、時々ラリンの夜用クリームとパック(最近値上がりして悲しい)で終了。クレンジングは日によって変えているが、基本アンドハニーのクレンジングバーム(青いやつ)とマツモトキヨシ限定の拭き取りクレンジング(クレドポーボーテのコットンを使用して拭き取る)とヒロインメイクのアイメイクリムーバーだ。洗顔料はロゼット洗顔パスタの緑のパッケージのやつ(毛穴ケアのタイプ)で、今のところは安定してくれている。
スペシャルケアはラリンのパックくらいで、あまり手をかけ過ぎないのが逆に良いのだろうかと思う事がある。
頑張れない事も多いけど、何でか毎日クレンジングと洗顔とスキンケアはやってしまう。それをする為にはお風呂に入って身体を温めるし、何だかんだ身体は洗う。髪の毛はたまにサボるけど。一日くらいならサボっても問題ないって分かっちゃったし。
頑張れなくても私は可愛いみたいだし、皆も可愛いんだと思う。ベクトルが違うだけだきっと。ゆるい可愛さもあれば夢っぽい可愛さもあって、病んでる可愛さもあればギャルギャルした可愛さもある。多分、自分にとって丁度良ければ何でも良いし、何なら可愛くないものを目指すのもいい。かっこいいとか、かしこいって意味でスマートとか、逞しいとか、力強いとか、逆にゆるゆるふわふわ生きてるのも楽しいんじゃないかな。
誰かに迷惑をかけ過ぎずに、自分も誰かからの迷惑をちょっとだけ背負って生きる分には何にも問題ない。まあ、背負える分は個人差があるけど。
そんな中、私は可愛く闇を感じるロリータとかゴスロリを選んだわけで。
前職に就いていた頃行った旅行先で、久しぶりに会った友人から『闇を抱えた港区女子』とか評されそれが何か嬉しかった私はその時、サーモンピンクのノースリーブワンピースを着ていました。今日の私はくすみピンクのニットとチュールフリルスカートを着ています。ライブのコーディネイトはデスノートのミサミサみたいなゴスロリです。オフィスに行くなら、マジェスティックレゴンのバーガンディーのトップスとGUのセンタープレスの入ったグレーのストレートパンツを纏います。
その日その日で自分を変える事は出来なくても、装いは変えられる事に感謝しつつ、明日はどんなコーディネイトを構築するか考える時間が大好きだと、今書き残す事にした。
▼2025/01/23:心的外傷を和らげられる、モルヒネみたいになりたい。
お正月明け、今年初めの記事を書いた直後に高熱を出して見事に寝込んだ。元々喉が弱いタイプの人間なのだが、今回も喉の違和感から全身の悪寒、高熱へと症状が劇的に進み昨今の情勢を鑑みて新型ウィルスか流行性感冒かと戦々恐々しながら翌日まで待って、実家から母に簡易検査のキットを持って来て貰って検査したら『どっちでもない』と言う結果が出た。
流行性感冒、つまりインフルエンザは症状が出て十二時間以上経たないと体内のウィルスの量が足りずに検査結果が正確でなくなる恐れがある。故に熱が出て翌日まで待ったのだ。その間に体温は38℃を超え、もう少しで自己最高記録を更新するところだった。
その週に良さげと感じていた企業見学も予定されていた私は、大変に慌てながら脳内で様々なパターンを考える。結果生まれて初めて熱譫妄を起こし、食欲不振故に低血糖を起こしていたのでお菓子と水分を摂って、真夜中に#7119へ連絡した。熱が高すぎて身体中の主要な関節が激しく痛んでいたのだが、譫妄によりその部分にエンジンが着いて身体がばらばらになると言う妄想に囚われたのだ。
自分にとって作品にならないタイプの妄想に囚われるのは初めてで、その時は本気で死ぬかと思ったし眠れもしなかった。おまけにスマートフォンで熱譫妄について調べると『インフルエンザ脳症の前兆の場合がある』とか書いてあって、『自分は後数時間で急激に状態が悪くなって死亡するのでは?』『でも脳症の原因になりやすい解熱鎮痛剤は飲んでない!』などと半端な医療知識でパニックになり(ちなみに、アセトアミノフェンを飲んでました)、泣きながら#7119への連絡(通報?)である。電話先のオペレーターさんに症状を問われ、泣きながら答え、水分と食事は摂れているかを訊かれたので夕食の内容と先程食べていたお菓子の種類を総て答えた。オペレーターさんは戸惑いながら『大丈夫。それなら死にません。精神的な病気については詳しくないので、別の機関に相談してみてください』と言ってくれたのでスマートフォンで再び検索。教えてもらった番号はスマートフォンから通じないので、泣きながら検索窓に『助けて』と入力したら24時間チャットで相談に乗ってくれる機関を見つけた。結果。真夜中過ぎにぼろ泣きしながらチャットで相談し、一時間もしたらケロッと落ち着いた。
熱譫妄は長くても数時間で治まる事が多いらしいと書いてあったのは本当だった。
簡易検査でインフルでもコロコロでもないと分かり、内科を受診したら『風邪です!』と言われ、諸々薬を貰って飲み終わり、良くなったと思ったら今度は上咽頭炎で声がまともに出ない。大分散々な目に遭っている。
しかしまあ、声が出ないのと咳、痰以外に症状は無い為就労移行は休まずに行っているのでどうか褒めてやってくれまいか。そして、外に出掛けないのをいいことに創作活動が捗っている。自分用のヘッドドレスとうちの子用のドレスが完成した。お揃いのテイストだ。某百円均一の三百円商品(矛盾しているがよくある話)のグルーガンが大活躍している。
ドール用のお洋服の型紙がたくさん載っている本を購入したのもあり、ようやっとライブ参戦用衣装の作成にも着手した。トップスはブラウスなのだが、襟部分の装飾が難しそうだと思い沢山の店を巡って丁度良い材料を捜索している。ボトムスはフリルスカートで、ベルト付き且つファスナーで着脱できるようにしたい。しかしそんな短くてパーツも小さなものは見つかるだろうか?ドール専用のパーツ屋さんとか、ネットにあったりしないかな。
最近の百円均一は半分ハンドクラフト向けの材料屋さんと化していると言うのが私の個人的な見解だ。最近インスタグラムで見かけたのだが、百円均一で手に入るドールの素体でとても可愛らしいお人形も作れるらしい。但し、技術は必要である。しかしドールアイを売っている店も行動範囲にあるし、普通に作れそうな気がしてきてしまった。お洋服だって袖なしのドレスくらいなら二時間で作れる。お靴も鞄も、丁度良い商品が沢山ある。今現在我が家にはドールとしてのうちの子第一号であるアザレアちゃん(通称あーちゃん)が居るが、私が他の子を構っていたら彼女は気分が良くないだろうか? 本音を言えばもう1、2体お迎えしたいのだが…
近所の百円均一でドールのウィッグまで売っている昨今、創作活動界隈は非常に隆盛しているなぁと思うことしきりである。ってか、普通に作りたい。欲を言えばもう少し素体の肌色を白くしてくれたらもっと嬉しい。あーちゃんはシルバーグレーの髪色なので、今度は黒髪かダークブロンド辺りが良いなと思っている。アクリルの毛糸でウィッグも手作りできてしまうらしいし、その毛糸も百円均一で手に入る。やばい。
ドールのメイクに関しては、試行錯誤はするだろうが、自分の腕とか今まで扱ってきた画材の知識的に出来ちゃう気もする。だって、ぬいぐるみとしてのうちの子第一号である『ぷに』(前に乗せた黒くて丸い子)は私が「作れるかも?」と思って型紙から引いて作れてしまった。某SNSで見かけた画像を参考にしたが、大きな失敗もせずに生み出してしまった我が子である。型紙の比率やサイズ感とかは検索したフリー画像が元だが、そもそも『作れるかも?』→『できた!』のプロセスがおかしいと友人からツッコミが入っている。ぬいぐるみ用の布が百円均一に沢山あるのもすごい時代になったなと感じる要素の一つだ(所謂『ぬい活』用の布を使用した)。書店に出向けばぬい活の本が何冊も売られているし、ネットにはハウツーの動画もある。或る程度のお金と時間さえあればやりたい放題だ。
と、言う訳で。新しいドールも作ってみたいな☆なんて考えてしまっている。あーちゃんの素体は既製品なのでメイクも施してあったが、今度の子は私が一から顔を描くのだ。サイズはあーちゃんより小さいのでお洋服は少し縫い辛いかもしれない。しかし二人の衣装を色違いで作ったりとか、お靴もお揃いにするとか出来そうで楽しそうな予感しかしない。ドールとしてのうちの子第二号の名前は既に決めていて、『リュンヌ』(通称りーちゃん)。フランス語で『月』である。
小説の執筆も調子よく進んでいる。つい昨日も短編集に取り掛かった。お正月休みにはイラストも沢山描いたしその時間がとても幸せだったので、創作する事がストレス発散って本当だなぁと思う。
描(書)けるし、縫えるし、作れる。手先が器用な娘に産んでくれてありがとうお母さん。おかげでメイクも毎日楽しいし、ヘアアレンジも出来るようになりました。
ただ、このまま気の向くままに作品を増やし続けるとリアルの収納が間に合わなくなりそうなのだけが気がかりである。早く一人暮らししたい。
▼2025/01/05:異邦の言葉、発するは己が為
あけましておめでとうございます。ご挨拶遅れて申し訳ございません。2025年もよろしくお願いいたします。紅白歌合戦の米津さんの歌唱、とても良かった。相変わらず二次元に達しているレベルのスタイルの良さを遺憾なく発揮した身のこなしに、歌声もダンスも横ピースも堪らなかったので、生中継ではないのなんて気にしない様にしようと思った。多分徳島の実家に帰って皆で観ているか、東京で紅白に出演していないご友人らとはしゃいでいるかの何方かな気がするし。米津さんって交友関係が広いのかは分からないけど、ロッキンオンジャパンに掲載されるタイプの音楽系アーティストさん達とは大体仲がいいイメージなので。
何だかんだとお正月休みは今日で終わりだけど、あっという間と言うべきか結構長かったと言うべきか。前職が長いお休みの取れないタイプの職種だったので、久しぶりにゆっくりまったりしたお正月だったと思える。奇跡の九連休とは言うけれど、その間普通にお仕事のある人が身近に沢山いるので、この時ばかりは給料を倍以上増額にしてあげて欲しいと願うことしきりだ。医療系とか介護系とか、交通系もそうだし郵便局の人もだし飲食なんて稼ぎ時だから余計にシフトが入りそうだし、ライフラインを保つ人とか報道関係とか、コンビニエンスストアもドラッグストアも、元旦から営業のスーパーマーケットもあるし。皆様お疲れ様です。ありがとうございます。
さて、私は今回の休みを創作とお買い物、そしてインプットの期間に当てる事にした。小説はまだ書いていないがイラストは描いたしうちの子のお洋服や小物も作ったし、ロリータファッションのお洋服や小物を買いに出かけた。ふわっふわのレースとチュールのパニエはかなりの大ボリュームの物を買ったし、ピンクのリボンと真っ白なトーションレースが可愛らしいヘッドドレスや苺が刺繍されたエプロン(タブリエかピナフォーと言うべきか)、黒いレースの靴下、フリルがたっぷりあしらわれた晴雨兼用の傘に、王冠の形のペンダント等々。コスメも何点か購入及び予約している。axes femme kawaiiと言うメゾンのローズストライプ柄のワンピースに購入したばかりのパニエを合わせて試着室を出た時、お店のスタッフさんだけでなくお客さん達も皆で『可愛い』『似合う』と口々に褒めてくれた。同年代の方だけでなくご年配のお姉様も。後ろの方でダンディな白髪のおじ様が『良いね』とばかりに何度も頷いていたのが嬉しいし、驚きでもある。
何となく、ロリータやゴス、パンク系のお洋服を纏う人達は見た目に相反するかのようにフレンドリーで優しい人が多い。お店で躊躇なく此方を褒めてくれるので私も褒めるようにしている。良い言葉を口にする事は自分を美しく見せる術の一つなので。晴雨兼用の傘の外側はアイボリー色で、内側は色々な動物たちが描かれたメリーゴーラウンド柄だ。フリルとリボンがたっぷりで、雨が降っていなくとも差したい(そもそも日傘でもあるので差して良い)素敵なデザインだ。明日就労移行支援に向かう時に差して行きたい。まあ、ぶっちゃけオフィスカジュアルを想定した施設にそれはどうなんだろうと言う気はするが…
そんな楽しい初売りセール行脚の最中、お昼休憩でアジアンカフェに向かった。そこそこ美味しくて量もあり、お手頃なお店だ。
去年の終わりが見えてきた頃から突如英語圏で画かれた作品を読みたいがあまりに英語を勉強し始め、遂に作品を購入して読み進めている。紙の本で手に入らなかったのが残念ではあるが、kindleデビューして2冊購入。新たな推しとなったデスドリーム君の台詞は一部日本語なのだが、英語圏の作品なので当然ながら『translation』との文字と共に英語で書かれている(それでも比較的易しめの表現ではあった)。それでも前情報があった為か、物語の展開も文章も意外とすんなり理解できた。シリーズ物の途中から読み始めてしまったが、この世界にはウィキペディアと言う強い味方がいるので。
話を戻そう。アジアンカフェでルーローハンをいただいていると、隣の席にアジア圏っぽい外国人の親子連れが座った。お母さんと小学生くらいの娘さん。二人でアイスコーヒーを一つずつと、大きな苺のパフェを注文して、注文はすべて英語で行われているのを見ながら内心で(聞き取れるようになったなぁ…)などと思いながら烏龍茶を飲む。彼女等の注文の品が揃い二人でスプーンを持ちパフェを食べ始めたが、娘さんの方が自分のお洋服にアイスとストロベリーソースを零してしまった。お母さんが慌てているのを見て、するっと「Do you need help ? use this.」と口が動いてポケットティッシュを差し出していた。驚くお母さんと私。お母さんは「Thank you !」とティッシュを受け取り娘さんのお洋服を拭いていた。娘さんにも「Thanks」と言われ、私が席を立つ時にもお礼を言われたので微笑み「Have a nice vacation!」とさらっと言えてしまった。手まで降ってしまってまた自分に驚いた。そのまま会計へ向かえば店員さんにもお礼を言われる。
あれ、もしかして私、結構奉仕精神が強い? と店を出て思った。多分あの状況なら英語が喋れなくてもティッシュは差し出すだろう。ただ、うっかり「May I help you?」「Can I help you?」以外の「お困りですか?」のフレーズを手に入れてしまったので使ってみたくなってしまったのだろう、多分。平成初期産まれ特有の言い方をするならば『「これ、進研ゼミで見たやつだ!」現象』である。『此処で使える!』と思ったらつい使ってしまった。そんな感じで今日も英語を勉強した。
思い出した事がある。
私の幼稚園は何故か、毎週二回くらい英語の授業があった。当時としては珍しいであろう外国人(多分アラブ系の人)の先生が英語と日本語を交えて様々な英語のフレーズや簡単な会話、ローマ字などを教えてくれる。自分の名前は当然書けるようになるし、英語で自己紹介したり『これは幾らですか?』とか『今日の天気は何ですか?』くらいは受け答え出来る状態で小学校へ入学した。そして私の世代は小学校の授業では英語が必修ではないのだが、小学三年生で転校した先では英語の授業が毎週4コマはあった。英語の歌に合わせて1月から12月まで言えるようになったり、朝昼夜の挨拶は勿論『What time is it ?』『It's ten o' clock』くらいなら答えられるようになった(綴りが間違っていたら笑ってやってください)。おまけに5、6年生の時の担任の先生が所謂先見の明がある方で『これからはパソコンが使えた方が良い』とがっつりタイピングとローマ字を仕込まれた。なので私達のクラスの文集は総てパソコンで打つと言う特例措置が敷かれたのだ。
もしかして、これらの経験のお陰だったりするのだろうか。元々リーディングとリスニングは結構得意で、前職でも英語を聞き取り理解する事は出来たし、聞き取れなかったら『Sorry, please writing.』とメモ帳に書いてもらえれば読んで理解出来た(ただし、あまり喋れないので身振り手振りと単語で如何にかしていた)。小さい頃からネイティブの英語を聴く機会が多いのが素地になってた的な。……親に感謝すべきか。
大人にならないと分からない事は沢山あるけれど、親の選択次第で子供の世界が広がるのって本当だなぁと最近結構感じる。幼稚園と小学校で英語を話す事への抵抗感が無くなったから、外国へ旅行へ行っても現地の人に躊躇なく話し掛けられる。現地で別の国から来た子と友達になって一緒にケーキを食べたり遊んだりできる。道を訊かれても『分からなければGooglemap開けば案内できるでしょ』と応じられる。職場で『このタオルは何回洗って干しても柔らかいままなのか?』と訊かれていると分かる。職場で急遽安全点検が必要になった際も外国のお客様へ案内できた。総てのパターンで正解を導けてはいないけれど、挑戦することへの躊躇は無い。
何事も、やってみなければ分からない。この姿勢、以前は斜に構えて見がちなそれだったのに、今では『やってみたら案外できたわ』となる事の方が多いのでどんどん挑戦するようになった。
勿論、失敗することもあるし挑戦自体が時期尚早な時もあるけれど、やらずに後悔するよりやって後悔した方が引き摺らないとも気付いた。それでも先入観の所為で挑戦していない物は沢山あるので、ちょっとずつその先入観や苦手意識を減らしていって、やってみたい事はやってみようと考えられるようになった。人間、興味の幅は広い方が人生が面白いと個人的に思う(異論は認める)。なので今日もうちの子のお洋服の材料を買いにお出かけした。既にコートとバッグは完成したので、トップスとスカートを作る予定だ。お揃いのお洋服を着て大好きな米津さんのライブへ行けるとか楽しみしかない。週末には生地屋さんに出掛けよう。春が来る前に春のお洋服も作ってあげたいし、その前にぷにズのおめかし用のタイとかバンドも作りたい。
作りたいと思えるものを作れる(ある程度形にできる)とか楽しみたい物を存分に楽しめる事は多分当たり前じゃないので、才能と技術とそれを磨く時間をくれた人達に感謝しよう。
今年もきっと、良い年になるよ。素直に思えるなら、きっと大丈夫。
▼2024/12/31:降り頻る雪、積もり積もる音のない夜
皆様、今年も最後の日となりましたね。如何お過ごしですか?私は早々に大掃除を終わらせることが出来てほっとしております。何ならクリスマスイブの時点で担当箇所は終了していました。自分の部屋とお風呂場が担当箇所だったのですが、お風呂のドアの隙間の黴を取るのが楽しくてつい時間を忘れると言う。今年もゴミ袋が二枚分いっぱいになったので、何故こんなにも不要品を持っているのかと不思議でなりません。
紅白歌合戦には尊敬してやまない米津玄師さんが出演なさいますが、来年のライブグッズの情報が公開されて知る、家にもいるあの黒い子の名前に驚きました。前にこのブログにも写真を載せた、『ドーナツホール』のAMVにも出演している黒くて丸いあの子です。私はあの子の事を『ぷに君』と呼んでいましたが何と、あの子は『いきもの』が本名との事。ライブグッズであの子の形のショルダーポーチが発売されるらしいんですよね。ちなみに買います。
今回のライブでは長袖のパーカーとあの子のショルダーポーチを購入する予定です。米津さんのライブグッズはデザインが良いので複数ほしくなるのを毎回抑えていたのですが…今回は買う事にします。初のドームツアーなので。
今夜の歌合戦では『さよーならまたいつか』は確実に歌われるんだろうけど、出来れば『がらくた』も歌って欲しい。とても良い曲だし、色んな事があり過ぎた今年に疲れた人達の何人かはあの歌に救われると思うので。
クリスマスイブには、家族の中で自由に動けるのが私だけと言う状況だったので、クリスマスディナーの用意を一任されました。とても美味しく作れたのは良いんだけど、美味し過ぎて写真撮るのを忘れました。ブロッコリーと生バジルのサラダ、豆乳クラムチャウダー、チキンと林檎のハーブソテーを作っております。実は同居のおばあちゃんが生野菜とか果物をあまり食べられない為、なるべく火を通したものにした次第。
今年は沢山書いたし、描きもした一年でした。さっき今年最後の某SNS(BなL専門の所)への投稿を済ませまして、相っ変わらずBなLばっかり書いてます。まあ人生の半分以上が腐った女子人生なので今更かな。しかし、推し作品が幾つか増えてしまった年でもあります。産まれて初めて海外の作品にもハマりました。『エックスメン』なんですが、つい最近話題に上った新キャラにぬっ転びまして。『デスドリーム』君と言います。エックスメンは合衆国の作品ですが、彼はつい最近作品へ加入したらしい高校生の男の子です。その上日本人で、死産から蘇り死者の魂を操るタイプのミュータント。そしてビジュアルが劇的に好み。アジア人らしさをきちんと盛り込みつつも現代の若者で、新キャラの中ではかなりの小柄で細身な点も非常に良きです。本名は『Hotoru』と名乗ってますがこれ、多分誤植で本来なら『Hotaru』で蛍君なんじゃないかな。
あ、エックスメンの基本情報はwikiとかを参照してください。実はまだ履修してないんです。読みたいけど日本語訳されてなくて、ならば読める様になろうと英語を勉強し始めました。冠詞と無冠詞意味わからん。デュオリンゴを使ってますが、そもそも私英語の成績は悪くなかったんですよ。寧ろ良かった(英検準二級と言う微妙な立ち位置ですが)のにスラングが混じると更に意味分からん。頑張って彼の出演作を読むのが来年の目標の一つです。
そう言えば、来年の手帳は九月辺りにはもう買ってました。で、一月始まりなので明日から日々の記録を付けます。毎月小さな目標とかやりたい事を4つ決めたので、それらを少しずつ消化していけるよう努めたい所存。特に今年やり残してしまったダイエットは一年かける心算なので、1ヶ月当たりの目標を定め、3ヶ月ごとに振り返り改善しながら続けていきます。痩せたらもっと可愛くなると言われ続けている人生なのでね! でもあんまり言われ過ぎると病むからその辺注意してくれ母上。
あ、年末年始はそれなりに食べます。運動もしてるけど。今日はロイズの生チョコとカルディで買って来た生ハムの切り落としがおつまみです。とは言えドリンクはノンアルコールですが。
後で長風呂しながら今年の振り返りを手帳でもやります。可愛くコラージュすると続くんだなぁと思いながらつけてきましたが、フリクションを利用するようになったのも続いた要因かも。消しても消しかすが出ないからお風呂で書くことも出来るんですよね。その上可愛い色付きの物が沢山出ているので、今年はフリクションマニアになった年でもあるかな。
多分来年も色々とありまくるんだろうし、その前に就職したいし、多分だけど四月くらいには決まるだろうけど、今年よりは嫌な事が少ない一年だと嬉しいな。良い事が多いのはあまり望まないから。後ろ向きかもしれないけど、楽観的なネガティブ女なんですよ。嫌な事が少ないだけでも幸せじゃないですか。この国にはそんなに期待してませんので、これ以上失望させずに粛々と自分達の仕事をしてくれる人達が政を為してくれればそれで良いです。
これを書いている今聴いてるのはキタニタツヤさんの『ずうっといっしょ!』なんですが、この曲今年何回聴いたかな。同じくらい米津さんの『ドーナツホール』とカロンズベカラズの『エンバーミング』を聴きましたね。そんで色々書いてたし描いてた。やってみたいゲームも見つけたし、多分だけどそれの日本語版が出ても私には出来ないだろうけど。でも、来年やりたい事が満載の人生は悪くないです。勿論、それは人それぞれだけど。
画面の向こうの貴方様は、今年やりたい事が出来ましたか? それとも、来年やりたい事の方が多いのかな。どっちも良いし、どっちでも良いですよね。貴方は今生きてこの文章を読んでくれている。この、インターネットの片隅に作られいつの間にか何年も続けて来られたこのブログを。消えたい事も多かったけど、取り敢えず今は生きているのがとても楽しいです。不安な事はまあ、一旦は隅っこに放ってあったかい場所で好きなものを程々に食べましょう。
私は、貴方と出逢えて良かったと思っています。良いお年をお迎えください。