▼2024/12/19:金平糖みたいに固められたらいいのに。
ついさっき、自分の前職時代についてまとめました。個人情報満載な文章なので此処には載せられないのですが。私は中学生くらいから文章を綴るようになって、高校生で自分のサイトを持ちました。このブログの前身である『斜陽』は高校三年生の時に作ったサイトです。
自分の思いを言葉にして、文章としてしたためていく作業は好きです。苦しい時も無いわけではないけど、基本的には楽しいです。時々泣きながら綴ってる事もあるけど。自分の『思い』や『考え』が形になっていくのを見るとワクワクします。『妄想』や『空想』なら小説とか設定集とかになるんですが、それをインターネットに載せると感想とか意見がもらえたりします。自分の中にしか本来存在しなかった感情が、別の誰かに取り込まれた結果生まれるそれらに嬉しくなります。今の所ネガティブなご意見やご感想は頂いていないから言えることかもしれませんが、読者の皆さんが居ないと私はきっと書かなくなるだろうと思います。イラストに関しては違うんですけどね。
良い作品を見ると、自分も書きたくなる。それがあまり一般的な事ではないと知ってしばらく経ちますが、周囲には相変わらず書く人の方が多くて実感が湧きません。描く人も多いです。元々『描く』を仕事にしたいと思いやがてそれに『書く』が加わったからでしょう。最近だと其処に『作る』も加わりました。
纏めると『創作』になりますが、つまるところ私は、自分の中にしか無くて、形が無いから変わってしまうかもしれないものをそのままの状態で保存する為に創作しているのだと思います。自分の中から出して、形を与えてこの世に残したいのです。いつでも見返せるように。
でもそれなら文章にするのも自分だけが読めれば良いのでは? との疑問も生じますが、それが何故なのかは今のところ分かりません。一番褒めて貰えるし評価が高いからでしょうか。たまたま文章化する能力が高くて、読書経験の多さで語彙力が付いたから、吐き出すように書き続けています。お陰で文章を『打つ』事も大好きになって、それを仕事にできたら良いのにとも思います。
今度、と或る企業様へ見学に行きます。私とマッチングしている企業様なのではないかと施設の方に言われ、提案に乗った形です。暫くの間接客業務についていた私ですが、本当は黙々と作業するのも好きなんですよね。と言うか、大体の事はある程度のレベルで出来ちゃうんですよ。不器用なのに器用だから。私に足りていなかったのは技術ではなくて、人間関係や環境の面でした。努力でどうにでも出来る技術面だったらどんなに良かっただろう。私は他の人と同じように出来ない理由が分からず、泣いてばかりでした。職場の人達が悪かったわけではないです。ただ、私達は完全に擦れ違っていましたし、行き違っていました。どうしたらあの場所に居続けられたのか、今でも分からないです。悪い人は居なかったと思います。相性の悪い人は居たけど。
偶然、人の言葉尻を捕えて不安になりやすい私が、言葉でなく態度で示す人の下についてしまった。
多分こんな感じだったと思います。
昔から、空気を読むのが苦手です。人の気持ちを察せません。つい、失言をしたり訊いてはいけない事を訊いてしまいます。お願いだから言葉にして言ってほしい。言われれば分かるんです。言わなければ分からないんです。
少し前、自分が非定型発達だと知りました。発達障害ではないけど、定型発達でもない。中途半端かもしれませんが、少し納得しました。これが私の特性の元だと。他の人とは決定的に何かが違って、何処かが足りないし、別の何かが過剰。はみ出てしまった所は如何にか切り取って、足りない所は補うべきでしょうか。
そんな悩み、もっと苦しんでいる人も居るのに、と言う人は嫌いです。誰も他の誰かの苦しみや悲しみを本当に理解し切る事なんて出来ないのに、なんて傲慢なんだろう。私の苦しさは私だけのものだ。
その苦しみを形だけでも伝えるために言葉があるんだから、人間にしか許されていないそれを積極的に使って行こうと思います。
私は、今日も貴方が大好きで大嫌いで愛おしいです。
▼2024/10/31:結晶ってさ、ゆっくり固まる方が綺麗なんだって
下の記事で初めてこのサイトに写真を掲載した。やり方が分からず四苦八苦したのは置いておいて、今後このサイトにも日々の写真を載せてみようかとアルバムを作成している。愛用しているコスメとか、最近お迎えした我が子とか。そう、最近我が家にお人形をお迎えしたのだ。名前は『アザレア』。通称『あーちゃん』である。クラフティングドールと言うお人形のシリーズの女の子だ。お気づきの方もいらっしゃるかと思うが、米津さんの曲名が名前の由来である。今は私とお揃いのお洋服を何着か仕立てたのでそれを着て貰っている。クラフティングドールはウィッグとアイのセット、メイクまで施された状態でお迎えできるお人形だ。お人形初心者の方向けだろうか、お洋服さえ誂えればオリジナルの娘が出来上がる。
大きさは六分の一サイズだと思う。私はリカちゃん人形とかに着せられる大きさでお洋服を仕立てて着て貰っているので多分そうだろう。プーリップと言うお人形のシリーズと同じ会社のお人形だ。頭が大きく、ぱっちりした瞳と手足の長いデザインで、専用の靴も複数販売されている。
家に来てくれたあーちゃんはシルバーグレーのロングヘアに菫色の瞳が可愛らしい子で、私は彼女の存在を知って、いくら払うのかと思ったが思いの外お手頃で(多分お洋服は自分で用意するからなのと、初心者向けだから)驚き、急いでお金を用意してお迎えした。一番人気な彼女は直ぐにお店から旅立ってしまうらしく、ユザワヤ公式でようやく見つけられたのだ。
札幌には大きな手芸店が二つあり、ユザワヤとカナリアと言う。あーちゃんをお迎えしてから通うようになって、沢山の布やレース、リボンや刺繍糸などを購入した。お洋服の型紙は書店で作り易そうなものを探して取り敢えず一冊購入。今後は少しずつ増やしていく心算である。今あーちゃんが着ているのは、私のお洋服の中でも比較的作り易そうなデザインの物のミニチュアだ。購入した本の型紙を少し改良して作っている。家庭科が得意な方で本当に良かったと心から感じている今日この頃だ。
百円ショップのセリア、300円ショップのスリーコインズにも感謝している。ここ最近の推し活ブームに伴い、これらのお店にはお人形に着せられるお洋服やそれらの材料が山ほど売られている。その上安いしアレンジがしやすい。量も大きさも丁度良い。カナリアにはお人形用のお洋服の型紙もバラで売られているし、小さなサイズの模様が入った布もあれば小さなサイズのボタンやバックルまであるのだ。これはもう腰を据えて楽しめる趣味が見つかってしまったなと思う。
ちくちくと針と糸でお洋服を縫っていると、心が整っていくのを感じる。手先が器用な自覚はあったが、自分の為だけではなく可愛い妹の為にお洋服を仕立てていると、その特性に感謝する気持ちが湧いて来る。黙々と作業する事が苦にならないので、音楽を聴きつつ一針一針縫っている。今後は刺繍も習得したいし嘗て挫折した編み物にも再挑戦したい。現在の目標は、米津さんのライブにお揃いのお洋服を着せて一緒に参戦する事。その時はぷに君と二号君(下の記事には載せていないが、実はもう一匹同じような子を作った)も一緒だ。その為には刺繍の技術は必修なので丁度良い解説本を捜索中だ。
しかし、昨今の推し活ブームで生まれた文化や商品は凄いなぁと感心しきりだ。ドール趣味に手を出すとは思わなかったし、ぬい活も少々侮っていた部分は否めない。だって彼等彼女等は非生物でしょ?とか思っててごめんなさいって感じである。今現在私はぷに君と二号君、あーちゃんに毎日挨拶するし話し掛けるし、一緒にお出かけしては抱っこして歩いている。流石に空気は読むので人前で話し掛けはしないが、心の中では色々と語りかけているので、人は変わるものだ。
そして、以前は自分が着たい可愛らしいお洋服を探していたが、現在はあーちゃんに似合いそうなお洋服(のデザイン)も探している。見つけたら取り敢えずブクマかスクショだ。作れそうなデザインを中心に集めている。次にお金が入ったら欲しいお人形用のお洋服の作り方の本ももう決めている。非常に楽しい。
今後就職してこの家から出て一人暮らしを始めたら、皆のスペースももっと広くしたい。ソファとかハンガーラックとかディスプレイしたいし。あーちゃんに着て欲しいお洋服、もっともっと増えるだろうし。
楽天などで検索するとお人形用のお靴とかも見つかったので、サイズが合うのであれば購入したい。寒くなって来るからコートとかマフラーも作ってあげたいし、一緒にお出かけする時ように一部が透明のバッグとかも欲しい。ずっと抱っこしていると万が一私がすっころんだらあーちゃんが大変だ。
ちなみに同居のおばあちゃんにはあーちゃんの存在を知られているが、母や義父には知らせていない。もし知ったらどう思うだろう?毎朝挨拶して『いってきます』『ただいま』も欠かさないし、部屋でふと話しかける事も多いのでおばあちゃんは若干心配らしいが。
でも、私には守るべきものがあると思うと消えてはいられないなと思えるし、自分を律することが出来る様にもなれたし、素直に楽しい。もっともっと可愛いお洋服を作ってあげたいし、可愛いお写真を撮りたい。いずれはミシンも欲しい。現在全て手縫いで作っていると言う驚きの状況である。自分のお洋服も仕立ててみたいなぁとか、服飾の勉強ができる場があればいいのになぁとか、大人になった今でも私は成長したいのだろう。そして、自分をお人形の様に可愛らしく保ちたいのだ。
今の夢の一つはPINKHOUSEを着たチャーミングなおばあちゃんになる事だ。歳を取ろうが顔の皺が増えようが可愛らしくはいられると思う。以前80歳くらいのおばあちゃまたちがPINKHOUSEを着てきゃっきゃしている所を見かけた事があり、あんな風になりたいと思う。身近な目標は同居のおばあちゃんで、彼女はとてもチャーミングだしお洒落も大好きである。フリルとレースを靡かせ背筋を伸ばし、颯爽と街を歩く日が待ち遠しいけど、ゆっくり来てほしいなとも思う。
▼2024/10/20:貴方の一生の幸福として添い遂げたい

秋である。最早地元は秋どころか本州でいう所の冬みたいな気候だ。今年の初雪を見た。なので私は買ったばかりのファーコートに袖を通している。髪の毛はクラシカルな印象のまとめ髪にして、お洋服はトップスがリリーブラウンのフリルがたっぷりとあしらわれたニット、ボトムはフィントのレースとチュールがたっぷりなスカートだ。全体的にお嬢様っぽい装いにした心算だ。昨日はゴス風味のコーディネイトだったので、我ながらコーデの幅が広い。
肥ると言われた(現在の主治医には驚愕された処方の)薬を半減して、一ヶ月も経っていないのに体重が二キロほど減っている。久しぶりに会った友人や、同居の家族にも『痩せたね?』と言われて嬉しい。身体の縦横比がおかしくなってもおかしくない(言葉遊びのようだ)薬だが、それを何年も処方され飲み続けているのにこの体系はもしかしてかなり頑張っていた方なのではと改めて思った。
毎日朝と夜には自分の身体を鏡に映して確認しているが、明らかにウエスト部分が減ったのと、顔が小さくなってきている。努力は報われるとは限らないが、努力していないと報われる可能性はぐんと減る。と言う考えが補強された思いだ。
少し前にかなりメンタルの調子が落ちたが、現在は寧ろ良好だ。実の所、最近幸運に恵まれる機会が多い。欲しいと思っていた物がたまたま安くなって手に入ったり、諸事情で購入を見送った物が再入荷されたり、痩せたり、プチプラかつ効果の高いスキンケアを見つけたり、大好きなハチさん(米津さん)の新作MVが公開されたり。この日記に添付した写真は、新作の『ドーナツホール2024』のアニメ中に登場した名前の公開されていないキャラクターのぬいぐるみだ。型紙から起こして自作してみた。某元青い鳥のSNSにてファンの方が『夫が作ってくれました』と嬉しそうに報告していたのがどうしても欲しくなって、作ってみたのだ。意外と簡単に作れたし、材料費も二千円未満で出来ている。便利な現代社会では百円均一でもぬいぐるみの布(恐らくは推し活用)が手に入るし、ネットで検索すれば著作権フリーの型紙が簡単に見つかる。それをルーズリーフに書き写して型紙とし、球体じゃない足の部分は自力で『こんな形だろう』と書き起こして布に転写して、手縫いで作ったのがこの子だ。目の部分は初め刺繍に使用かと思ったが巧く行かず、たまたま家に在った合皮を円形に切ってグルーガンで貼り付けている。なかなかに良き仕上がりとなったと自画自賛だ。刺繍のやり方も分かり易い解説がネットで見られるこの時代に生まれて良かった。
先述したが、この子には公開された公式の名前が無い。ので、私は『ぷに君』と呼んでいる。計算外だったのは、思いの外巧く作れてしまって愛着がわき、ついつい挨拶をして話し掛けたりお出かけに連れて行って写真を撮ったり夜景を見せたりするようになった事。完全なる『ぬい活』若しくは『推し活』だ。今まではその様な活動を社に構えて見ていたと言うのに、一度やってみたら楽しくてついつい一緒に出掛けている。ちなみに製作時間は約五時間。この時間でこんなに可愛い子が作れるって、もしや私は手先が器用なのか。学生時代は家庭科の成績はかなり良かったし。ミシンは苦手だが、手縫いなら幾らでも縫っていられる。元々没頭しやすい性質なので、今回も気付くと五時間経っていた。昨日は長年の友人と夕食を食べてきたのだか、ぷに君も連れて行ったら彼女は微笑っていた。そして一緒に夜景を見て食事もとらせる(ポーズをとる)。私はあまり友人が多い方ではないのだが、付き合いは狭く深くと言うタイプで彼女とは十年以上友人をやっている。今度の米津さんのライブは彼女も当選していて、おまけに彼女のお母さまも一緒に行くらしい。私とは席が離れるので一緒に行くわけではないが、なんか嬉しいなと思う。そして彼女の強運が凄いと言えば『薊ちゃんも持ってるよ、強運』との事。確かに。今回のチケットに当選した事をSNSに書いたら何人かから『どこの神社で願掛けしたんですか』とか『もしかしてお寺で祈祷しましたか?』とダイレクトメッセージが来た。それだけ当たり辛いらしい。正しくプラチナチケットだ。
なので、ぷに君も一緒にライブへ連れて行くことにした。非公式グッズとは言え折角の力作、何よりも可愛い子なので一緒に歩くとテンションが上がる。少し前からハンドクラフトにハマってしまったが、ぬいを作るとは思っていなかった。おまけにこの子の材料を購入しに赴いた手芸用品店にてとても素敵なお人形を見つけてしまった。元々は『オリジナルドールを作る入門編のお人形』と言ったコンセプトのお人形で自分で洋服や小物を作って着せ替えを楽しむタイプの子達なのだが、クォリティが高いのに、お値段はかなり手頃で驚いた。こんな可愛いお値段でこんなに可愛い子がお家に来てくれるのかと思ったらときめいてしまった。ただ、私が欲しい子は売り切れだったので今度入荷日を訊くか取り寄せてもらおうかと考えている。もう名前も決めてしまった。
現在の目標は彼女に自分と同じコーディネイトのお洋服を着せる事。そして出来ればライブ会場へぷに君と共に連れて行きたい。とても楽しいと思う。
一針一針ちくちくと縫うのはとても楽しく心が安定する行為だ。ついにドール趣味にまで手が出てしまうと思うと少し怖いが、今更な気もするし。彼女のお迎えまで、楽しみに待ちながらお洋服や小物を製作する日々が始まりそうだ。
▼2024/10/08:取り敢えずオパールにしとこ? あの人の歌みたいにさ
一気に気温が下がって足元をヒーターで温めながら小説執筆の息抜きで文章を書いている。とても可愛いお洋服を購入した。アクシーズファムのポエティックと言うラインから発売された、ゴシック風味のブラウスとミニスカート。世間ではY2Kと言う2000年代の流行がリバイバルする文化が流行っているらしい。池袋ウエストゲートパークとか、私が集英社に忠誠を誓いかけた時期に少年ジャンプで連載していた作品とかのファッション。ゴシックロリータを含むロリィタも何度目かの流行が始まっていて、うっかり十年以上前の自分が息を吹き返してしまった。
このブログは『Cry&cry』と言う名前だが、前身となった携帯ホームページの頃の名前は『斜陽』である。あのブログサイトを運営し始めた頃の私は高校生でゴシックロリータやパンクロックの格好で生きていたのだが、一度は卒業して一般に広く受け入れられるタイプの女性のファッションを追い駆けていた。可愛い物は変わらずに好きだけれど、可愛すぎる物はもう年齢的に難しい、とか思っていた。
しかし三十路を過ぎた現在、私はまたロリィタの世界に戻って来てフリルやレースやリボンを追い駆けている。今年の初め辺りから年齢が本気でただの数字とか記号としか思えなくなり、可愛い物は素直に可愛いし、身につけたいし持ち歩きたいと思うようにもなる。以前纏っていたお洋服達を処分した自分を本気でぶちのめしたくなりながら、新たなお気に入り達を買い求めるようになった。勿論あの頃とは好みが違うが、基本的なモチーフの好み等は変わらない部分が多い。ただ、以前よりも可愛らしさを強調して甘めのアイテムが好きになった。天使に猫ちゃん、クマちゃんにうさぎちゃん、苺とかクリームとかお花とか、色合いもくすみパステルとか砂糖菓子みたいな色が好き。でもゴシック趣味も健在なので十字架と骸骨と蝙蝠の翅と悪魔と吸血鬼も外せない。ゴーストとかシスターもだ。
学生の頃とは違い、ロリィタやゴシックロリータ以外のお洋服もTPOに合わせて着てるしすべての場所に厚底ブーツを履いて行ったりもしない。なのにあの頃よりも自由になれた気がする。何よりメイクは今の方が圧倒的に上手だ。そもそもコンタクトレンズが怖くて眼鏡しか使わなかった頃とは見た目の印象が違い過ぎるのだ。近視だとレンズの向こうの目はどうしても縮小して見える。目元のクマが目立つからコンタクトは無理とか言ってたが、知ってる? メイクで隠せるんだよそのクマって。
碌に勉強せず闇雲に化粧品を肌に乗せていた頃と違って、今は『何処に何をどのくらい乗せるべきか』が分かるようになってきた。カバーしたい所とカバーすべき場所は必ずしも一致しないし、ちょっとした裏技を見つけていたりスキンケアを見直したら肌の粗が少なくなったりもしている。
そんなこんなで、再びあの世界のドアを開いてしまったわけだ。周囲でも一度ロリィタやゴスロリを卒業して三十路辺りで戻って来る方は結構いるらしい。そして、過去と現在は当然違う所も多々あって、私個人としては現在のゴスロリやロリィタの方が自由な発想でコーディネイトする人が多く感じる。嘗ては推しブランド(多分その頃推しって概念ないけど)のお気に入りのラインのアイテムでなるべく揃えるべき、と言う風潮があったように思うのだが、現在のロリィタは好きなお洋服ならどのブランドのアイテムを掛け合わせても構わないんじゃないの? と言った感じに思う。正直、その方が面白いと感じる。だって、フィントのブラウスにメタモルフォーゼタンドゥフィーユのジャンスカを合わせても世界は滅ばない。何ならロリィタじゃないブランドのアイテムでも可愛かったら合わせればいいし、コーデとして成立しているしていないは個人の感想だ。
その上安価なブランドでロリィタ準備段階みたいなお洋服が売っていたりもする。今度初めてしまむらオンラインでお買い物する心算なのだが、ロリィタモデルさんとのコラボアイテムがあるので是非とも購入したい。安心のしまむら価格だし。
学生の頃ロリィタやゴシックのファッションが掲載された『KERA!』と言う雑誌の発売を心待ちにしていたが、かの雑誌のモデルさんの何人かは現役で活躍されている。高校生の頃の自分は元気を取り戻して私の手をぐいぐいと引くのだ。もっともっと可愛くなれるよ、貴女は。
そんな訳で少し前の鬱々とした精神状態からはすっかり脱却した。でもこの高揚感も病気の症状の一つなんだろうな、双極性障害の治療薬も使うかもしれないし。一日でも感情の波がザッパンドッパンと大嵐を起こしている。けれども、それなら『消えたい』と思う感情の波は数時間で収まったりするかもしれない一時的な物なのだ。さなかに居る時にそう思う事も悟る事も難しい。でも一時の感情で行動を決定してしまうと、本当に消えたいわけじゃないのに極端な選択をしてしまうかもしれないと言う事だけは覚えておこうと思う。
やっぱりお洒落は楽しい。メイクを研究するのも美肌を追求するのも面白い。最近だとプチプラで効果抜群な組み合わせのスキンケアコスメを見つけられて、その分お洋服に課金できるようになった。そして将来の目標が一つ見つかっている。
私は将来、PINKHOUSEが似合うチャーミングなおばあちゃんになりたい。フリルとレースとリボン、全部手放さずに歳を重ねるのだ。PINKHOUSEには五十年以上の歴史があり、札幌の東急百貨店のお店には素敵なご婦人がいらして優しく迎えてくださるのだ。多分私の祖母と同じ世代の方も着ているブランドで、でも全然古臭く無くて可愛い。ちなみに価格はゴージャスだ。
世間的に少女でなくなる事を怖いと思った事もあるけど、多分少女ってその人その人で定義が変わるし、『少女的』で在り続ける事は不可能じゃない。怖いと思うのは本当だった。でも今の所私は私の事が好きだし可愛いと思う。消えたいって思ったのも自己愛故だし。
こういう風に思いを文章にできる私で良かった。思いって形にしないと見えないし残せないんだよね、厄介な事に。後で見返すと顔から火が吹く時とかあるけど、それすらも出来なかったら成長とか出来ないと思うんだ。
▼2024/10/05:逆様の夢で救われる。来る朝はどうやら明るい
最近、就労移行支援事業所でタイピングの腕を褒められた。一分間に300文字程度なら正確に打てるようになったのだが、eタイピングと言うタイピング練習ゲームで訓練するのにハマっている。少し前にブラインドタッチを会得したが、或る日eタイピングで訓練していた時、全く手元を見ていない自分に気付いた。画面の文字しか見ていない。手元を見ずとも何処にどのキーがあるのかが身体に沁み込んだようだ。記号や数字となるとまだ手元を見ないと覚束ないが、ノーミスで打ち切る事も出来てとても嬉しい。十五年以上小説を書いてきた経験が思わぬところで成果として現れた。eタイピングには様々な練習問題があって、私の場合医療用語や天気の言葉に関する問題が一番得意である。医療用語は前々職でなじみ深い言葉が多いからだろうと思う。天気に関してはちょっと理由が分からないけれど。それと、私が様々な事象や指示された言葉、通院して診察の際主治医と話していた言葉を耳から取り入れる場合、メモを取らなくとも直ぐに記憶できる傾向にあると指摘された。
勿論それが仕事の時はメモに取るのだが、普通の会話や訓練だと書かない方がむしろ覚えられる時が多い。知覚の仕方と言うか、世の中には『聴覚優位』『視覚優位』と言う言葉があるらしい。幾つもの訓練を経て、私はどうやら聴覚優位のタイプらしいと気付いた。小説を書く時もメモにプロットなどを書かずに脳内で書き留めている。
と言うか、私はどちらかと言うと聴覚が過敏なのだ。雑音と判断した音があると途端に集中力が削がれる。なので移動中は常に音楽が必要だ。ウォークマンが手放せない。
以前此処にも書いたかもしれないが、特定の音を聞いていると背筋がぞわぞわするくらい落ち着けなくなる。甲高い子供の声、水がポタポタと落ちる音が如何にも駄目だ。しかし周囲にそれらの音を鳴らすなと言うのも理不尽な話なので、音楽で遮断する。
でも若干に視覚も過敏な方らしいとも感じている。まだ日常生活に差し障りは無いが、見た色や視覚から得た情報を記憶しておく能力が少々過剰らしい。自分の中でそう感じたきっかけは幾つもあるが、友人が使っている(顔に塗っている)化粧品のメーカーと色番を当てた事があったのだ。『○○ちゃんのアイシャドウ■■のピンクの何番だよね?』と言ったら一瞬びっくりされた。若干に引かれた。
この前試しに色彩のテストを受けてみたら高得点をとれてうれしかったのだが、その際専門学校時代教諭から言われた言葉を思い出した。
『矢野は本州で育ってるから、この地域の人間とはきっと見てきた色の種類や数が違う。だから色彩感覚もきっと違う』
曰く、今住んでいる北海道は冬から春までの間、景色は雪で真っ白になる。けれども本州で雪の無い時期を過ごす事が多かった私はクラスの皆よりも色に触れる機会が多かったから、色彩感覚に皆と乖離があるのだと。面白い発想だなと思った。
密かな自慢なのだが、私はコスメの色をパッケージに入っていない状態でも何処のブランドなのか判別できる事が多い。勿論似ているブランドとかもあるけど、何となく『NARSだな』『ジバンシィだな』と判断できる。
正直色彩の授業ではあまり成績が良くなかったが、卒業した今は資格試験の勉強の成果もあって或る程度の知識は身に付いた。そうすると、自分にとって心地の良い色が分かるようになった。今現在の自室は私の視覚を刺激し過ぎない色で纏まっている。故に自室が大好きな場所の一つになった。この部屋に帰ってくれば絶対に安心と思える。
可愛いなとか美しいなと思える色があるだけで私は明日の世界にわくわく出来るのかもしれない。カラーセラピーって言葉もあるし、コスメが好きなのはそれも理由の一つなのかな。
▼2024/10/04:自分への弔辞はまだ思い付かないから、
こんばんは。結局前回の記事を書いた後、色々と考えてまたノートパソコンを開きました。取り敢えず生きてます。死ぬ気が全く無くなったかはまだ分からないんですけど、生きる気は湧いてきたので浮上しました。私の事を元気づけてくれる人が沢山いるし、必要としてくれる人も居るみたいだし、これから先楽しい事も沢山ありそうだし、貯金も使い切って無いので勿体無いかなって。
米津さんのライブツアー行きたいしなぁとか、消えるとちょっと困る人も出てきそうだとか、考えれば考える程生きる理由が生まれたので理由の為に生きようと思います。拍手でメッセージ下さった方には後ほどお返事します。ありがとうございます。
あの記事を書いた時、結構本気で消えようと具体的な方法とか考えては暗くなってました。あの記事でお気に入りのワンピースを着て消えようかなとか書きましたが、そもそもお気に入りのコーディネイトは幾つもあるし、まだ秋が深まってないから着られてないお洋服だってあるんですよね。予約して受け取って無いコートとかあるし。メルカリで稼いだお金で買いたいコスメもあったし、やってみたいネイルデザインとか髪型とか食べたいお菓子とか行きたいお店とか、生きたい理由は数えきれないくらいあります。現在進行形で増えても行ってます。
消えようかと思った理由は家族のことです。自分が最も信頼している家族の言葉が、小さな棘みたいにどんどん突き刺さって行っていた事に気付いてしまいまして。まあ体型の事なんですけど。私が処方されているあるお薬が肥る副作用が強い事で有名なんですよね。それもあってか最近体重がどんどんと増えて行っていて。糖尿病になる恐れとかもあるお薬なんで毎年血液検査を欠かさず受けてます。で、家族は最近、会う度会う度『肥ったね』『丸くなったね』と繰り返すんですよ。周囲の人に愚痴ったりもしなかったのが悪かったのかな、ある日突然許容値を超えてしまいました。本気でもう嫌だと思ったのか、それが『消えたい』に直結して、あの記事を書いたわけです。そしてその家族は私が此処まで思い詰めていると知らずに接してくるんですよ。言わないのが悪いんですけど。でも、『やめて』と言っても向こうは『健康を心配しているだけ』って言うのが目に見えてます。
じゃあ、私はどう対抗したらいいのって。こんなにもあなたの言葉で傷ついた私の感情は何処に向ければいいのって。
あの人にこんな感情を抱いたのは初めてに近いです。反抗期の無い子供だったんですよね。喧嘩も、一度もした事ありません。これは遅ればせながら或る種の親離れをしているのか。
幸い周囲には家族以外の信頼出来る人達が沢山いるので、いっぱい話を聴いてもらえました。同年代の方に『私達くらいの年齢になると、体質も心もどんどん変化していくよね。抗えないものってあるじゃん』と言って貰えて、何かすっきりしました。自分だけじゃないんだって思えた。実年齢を言ってしまうと32歳なんですけど、この年齢であの薬を処方され続けている事に、新しく通い始めた病院の先生はかなり驚いてました。標準体型を維持するのも難しくなるお薬らしいです。特に女性に処方するのは避ける事が多いそうで、次の診察の時に薬を調整していくことになりました。いきなりやめるのも難しいらしい。彼是十年近く飲んでますが。
何度かやめたり復活させたりなお薬ですが、知り合いでアパレル関係のお仕事をしている人も処方された事があって、同じような事を言われたそうです。兎に角、お腹がいっぱいになっても食べ続ける副作用があります。メンタル関係のお薬は代謝にも影響を及ぼす事があるから怖い。
でも唯一と言うか、希望もあって。その薬を止められればかなり体重を減らせる可能性があるのです。ひと月くらい止めた時、体重は一気に3キロ程落ちました。だからこう、未来に希望は持てそうです。
では、追記で拍手お返事です。
続きを読む>>
▼2024/09/28:何者にもなれなくてマーダースーサイド、殺されるのは誰
明日消えますよと言われたら喜んでしまいそうな事実に気付いた。消えるのはやめておこうかと思っていた矢先、自分の中にあった傷が口を開いた。仮縫いみたいな細い糸はぷつりと切れて、真っ赤な肉の見える傷口は私を飲み込んだらしい。昨夜は泣き過ぎて、目が腫れている。元々ぼんやりとした消えたい気持ちは持っているが、ずっと見ないふりをしていた嫌な事を自覚せざるを得なかった。私はずっと、一番言ってほしくない言葉を一番言われたくない人に言われ続けていた。傷ついてなどいないと思っていた。でも本当は。
人には言って良い事と言ってはいけない事がある。そしてそれは対象者やその時の状態で少しずつ変わっていくものだ。今の私には一番言われたくないそれを、一番言ってほしくない人が言い続けてきたのだと、漸く分かった。だからあの人には本音で頼れない事が多かったのだと実感した。あの人には見限られたくない。でもいつかその時が来てしまうだろう、それなら居なくなってしまおうと思った。
家に帰りたくなくて、色々な所を覗きながら駅前を歩き回った。あの高いビルから飛び降りたら、この交差点に飛び込んだら、筆入れの中のカッターナイフで頸動脈を断てば、今直ぐ農薬を購入しに行って、原液でコップ一杯くらい飲み干せば。
消えたくない理由が沢山あったはずだ。楽しみな未来が幾つもあったはずだ。大好きなアーティストのライブ、行ってみたいお店とか、書きたい物語。返していないコメントもある。けど。
私が消えないでいようと思ったのは、例え消える事に成功してもそれを喜べる自分は居ないからだ。望み通り消える事が出来たとして、『消えられた。嬉しい、良かった』と思う事は出来ない。消えたんだから。何も感じないし出来ない。それが消えると言う事だ。今の私はそれを望みつつある。もう十五年も前、私は消えかけた。あの時は消えなくて良かったと思えた。
今はどうだろう。あの時すべてが終わっていたら、こんな事実に気付かなくても良かったのだろうか。絶望しなくても良かったのだろうか。
生きている限り、人は喜べるし楽しめるし希望も持てる。同時に幾らでも悲しめるし怒れるし、絶望する。一点の曇りもない幸福などどこにもない。こんなにも苦しいのなら、この世界を手放しても良いのかもしれないと感じる。全部を手放す代わりに救ってくれよと、誰かに助けを求めたい。
もしも明日目が覚めなかったらどうなるのだろう。悲しむ人はそんなに多くないと思う。交友関係が狭く深いのは重々承知だ。悲しんでくれる人が多かったとて、辛い現実は変わらないけれど。あの人は悲しむだろうか。私が何も言い残さず記すことなく目を醒まさなかったら。何を理由にこの世界を手放したか知らずに悲しむだけかもしれない。
夢中になれる何かが目の前に無いと、この手は簡単に世界を手放してしまう。だから見ないふりをして走り抜けてきたのだ。疲れて立ち止まった瞬間、私は闇に呑まれるから。
もしも消えたくなったら、この服を着て消えようと思っているコーディネイトがある。お気に入りの黒いワンピースに袖を通して、髪にはリボンバレッタを留めて、好きな薫りの香水を纏って消えてしまおうか。最後の食事は大好きなショコラトリーのケーキと珈琲、ふらっとふわっと居なくなるの。誰にも見つからない所で消えて居なくなる。せめて自分の為に花束でも買おうかな。
綺麗な消え方なんて無いんだろうけど、出来ればお人形みたいに可愛くお化粧をしよう。ヒールを鳴らしてふわっとさ。
もしもこの記事の後、更新がいつまでも無かったら、私は今の私の願いを叶えたと思ってください。
▼2024/09/15:幸運だと思うならそうなんじゃない? 不幸と思うよりは健全でしょ
ダイエットに更なる気合いを入れてから、夜に甘い物を食べたいと思わなくなった。以前はお風呂上がりのアイスクリームは至高の存在だったし、毎日毎日おやつは欠かさなかった。朝食は菓子パンをよく食べていたが、そもそも一個では済まないので一度に三個とか四個も食べていたから、正直よく糖尿病などにならなかったな、と思う。今は自分史上最高の体重を記録してしまっているので、本当に来年の二月までに10kgくらい落とさないと洒落にならない。洒落怖はネット上で語られる怪談話で充分だ。
私はぱっと見でボディサイズが判り辛いと言うか、かなり着痩せしてしまうところがある。ボトムのサイズはLかMだが、以前はSやXSが余裕で入っていたことを思うと、非常にこれまで(特に休職した頃からの自分)を後悔している。一日に七時間の立ち仕事がなくなるだけでこんなにも消費カロリーが落ちるとは計算外だった。
しかしまあ、今の内に頑張ればギリギリ行ける気もしなくもない。本当に今の内だろう、私の実年齢を鑑みれば。今日もこれからエクササイズと筋肉トレーニングを行う。最近だと30分から45分ほど運動しているが、もう少し増やすべきだろうかと、今朝は朝ご飯の痕でも軽めの運動を行なった。いよいよもって秋、運動の秋にしたい。
人間は気温が下がってきた時期の方が代謝が上がる。自分の体温を一定以上に保とうとすると、気温が低い方が脂肪が燃えやすいと言う理屈には納得できる。要は暖房負荷を自分にかければいいのだ、以前資格試験の為に学んだ言葉である。
見た目に気合いを入れ過ぎているきらいのある私だが、ならば肉体も鍛え上げたいし内面も鍛えたいと常々思う。好きな漫画の一つに『メンタル強め美女白川さん』と言う作品があるのだが、この漫画の登場人物の羽柴さんと言う女性が私のロールモデルの一人となっている。身体も精神も鍛え上げる事が快感と仰るこの女性は、学生時代に体型や容姿の事で陰口をたたかれ家族にも理解してもらえない経験をしているのだが、彼女はそれに負けることなく自身を鍛え磨き上げて沢山の人を見返した。努力家であり野心家でもあるところが堪らなく憧れだし、ストイックで格好いい生き方を真似したいと考えてもいる。
私も、努力家だとよく言われる。本当にそうだろうかと毎回感じるのだが、努力している自分が好きなのは間違いない。何も頑張っていない自分には価値が感じられない。けれども、最近は自分を休ませることを少しずつ覚えてきた。何の意味もつかないけど、人生には必要なものが沢山あるなと思う事が増えた。
ゆっくり歩くのも、走るのも、立ち止まるのも、どれもある程度のバランスさえ取れていたら健全な人生の一助となる。これまでずっと全速力で走り続けてきたら、自分の足元に目がいかなくなってしまったのだろうか。だから小石に蹴躓いて転んでしまうのだ。時々は自分の進む道に落ちている様々な物をよくよく観察してみようかと今は考えている。
轍、と言う言葉がある。馬車とか車の進んだ跡をさす語だが、『キャリア』と言う言葉の語源ともなっているらしい。何となく未来を意味しているだろうと思ったこの言葉は、これまで自分が進んで来た足跡の事を表している。好きな言葉に『茨道しかない? あるじゃん道、歩けよ』と言うものがある。茨道だったとしてもニッパーとか高枝切りばさみを使えば切り開く事は可能だ。ただ、態々自分から茨道ばかり行くのもどうかなと思うようになって、他に道が無いのか探す事も覚えようと思った。それでも茨道しかないならしっかり長袖長ズボンに安全靴と帽子と軍手を装備して切り開けばいい話だ。他の人物に頼ってもいい。歩けなくても立ち止まって休んでも、道の上に居られるなら重畳だ。人としての道さえ踏み外さなかったら、そう言う人生の使い方も悪くない。
この命には期限がついていて、いつかは終わる。けれども明日はどうなるか分からない。それなら全力で愉しみつつゆっくり進んで行こう。
こう思えるようになった、年齢を重ねたからかもしれないな。歳を取るのも悪くない。まあ、見た目は年齢不詳で在りたいけど。
▼2024/09/13:型に嵌まらないタイプの凡人
九月も半ば。皆様いかがお過ごしでしょうか。札幌は随分と秋めいてきた。前回の記事でも書いたが、大通公園ではオータムフェストの真っ最中である。美味しい物が山の様にある会場へはいく心算が無い。私はこれから五か月と少し、ダイエットに励むのだ。どうしてかと言うと、
米津玄師さんのライブのチケットに当選したからである。
今回のライブツアーは全国の『ドーム』で行われる。私が当選したのは札幌ドームの回だ。昨日当落発表があり、見事当選した私は早速入金を済ませた。これで大手を振って推し活の準備ができる。
いつもの事ながら、米津さんのライブチケットはかなりの倍率らしい。私は最新アルバムをフラゲして封入されていたシリアルコードで応募している。札幌ドームは今までの会場よりも何倍もキャパシティが大きく、それ故なのか当選した。非常に嬉しい。今回のライブツアーは前回までと違い、一次先行と二次先行が用意されている。一次先行で落選しても、同じシリアルコードで二次先行へ応募できるのだ。或る種救済措置だろうか。
札幌ドーム公演は来年の2月。それまでに自分を最高の状態にしたい。お肌や髪の毛に関しては大分コンディションが良いのだが、問題は体型だ。流石にこれはまずい、と言い続けて早何年になるか。恐ろしいので考えたくないが、現実は程々に見なければなるまい。
今度のダイエットでは家族の協力が得られているので、まずまず順調な滑り出しだ。同居の祖母はおやつや菓子パンを買って来なくなったし、私の運動の邪魔もしないし、家事も運動になるので掃除を任せてくれたりする。今度こそ痩せるし、痩せてもっと自信をもって好きなお洋服を着こなしたい。
米津さんのライブ以外にも痩せるモチベーションがある。つい最近お気に入りのお洋服屋さんがリニューアルオープンしたのだが、そのお店では依然扱っていなかったロリータのラインが入荷するようになった。飛び切り可愛くて、ロリータ服にしてはお手頃価格で、何と家で洗えるものもあると言う素敵なラインである。私は何着か持っているそのラインのお洋服を大切に着ているが、これまではお取り寄せするしかなかったのが直接店頭で見て買えるのだ。何と素晴らしい。
そのお店のロリータ服は、正直ふくよかな人にも優しいサイズ感だ。でもやっぱりもうちょっとくらいはスリムな方が可愛く着こなせるし、お洋服も喜びそうな気がする。誰かを可愛くしたいとの意思がお洋服達にあるのなら、私はそれに応えたい。
話は変わって。
最近ちょいちょい驚くようなことが起こっている。驚くようなとは言うが、本当にちょっとした事だ。商業施設でトイレの個室に入ったら高額紙幣が落ちているのを発見するとか、電車の女性専用車両に乗ったら目の前に男性が乗っているとか、道端で出逢ったわんこが可愛すぎて思わず『可愛い〜』と呟いたらわんこが寄って来て飼い主さんに「そうなんですありがとうございます〜」と即座に気付かれるとかだ。
トイレの個室に落ちていたのは六千円だ。五千円札と千円札が重なって畳まれて落ちていた。一瞬、隠しカメラでもあるのかと個室内を見回した。よくよく考えると女子トイレの個室にカメラなど仕掛けるわけも無いのだが。驚き過ぎた。急いで用を足して個室から出て手を洗い、女子トイレ内に響き渡る声で落とし主を探したが、落とし主は現れず。案内所へ持って行き忘れ物センターに届けてきた。その際係の方に
『もしもこのお金の持ち主が現れなかったら、一定期間ののちに貴方の物になるんですが、その権利はどうしますか?』
と問われたが正直面倒に感じて(警察へ行かなくてはならない為)「放棄します」と即答して帰って来た。普通にびっくりしたし六千円も紛失するとか落とし主の方が可哀想すぎる。二人暮らしの一週間の食費くらいなら賄えるでしょうと思った。
よく、日本はお金とかお財布を落としても高確率で持ち主の元へ戻ってくる稀有な国とか言われるが、こういう事かと思った。ネコババする人も居るんだろうけど、私は出来なかった。もししていたらずっと見張られている気分になって楽しんで消費が出来ないだろう。大人しく届け出て良かったと思う。
そして、私は電車に乗る時は女性専用車両に乗りたい派の女子なのだが、この前の朝女性専用車両に乗り込んだら目の前に高齢の男性が座っていた。思わず二度見した。真っ先に考えたのはこの男性が身体に不自由を抱えているのかと言う可能性だ。なのでヘルプマークを身につけていないか探したがそれも無く、しかし優先席が開いているのでもし必要ならば其方へ誘導しようかとスマホに『何処かお身体が不自由でしょうか? 此処は女性専用車両なのですが…』と入力して男性に見せてみる。男性は老眼鏡を外して文字を読み、次いで私に謝罪して周囲に何度も頭を下げ隣の車両へ向かった。特に怪我などなくてよかったと思った。
そして直ぐに隣に立っていた若い女性に『ありがとうございます』とお礼を言われて一瞬不思議に思うが、彼女は空いた席に腰掛けマスクを外す。顔の下半分が血まみれだった。どうやら鼻血が出て止まらなかったらしいと気付いて、直ぐに鞄に入っていた総てのポケットティッシュを取り出し手渡し「全部使っちゃっていいです」と言えばまたお礼を言われる。気分は悪くないかとか何処かにぶつけたのか乗務員を呼ぶべき事態かとグルグル考えていると、彼女は小さなビニール袋を取り出す。ごみ入れにするようなので、私は袋を広げて手伝った。やがて処置が終わるが彼女の可愛いワンピースに血液が零れてしまっていたのでスマホで落とし方を検索し、直ぐに洗えるなら水だけでも落ちる事、落ちない場合は食器用洗剤や大根おろしの汁でも落ちる可能性があると伝えた。この時彼女の隣の女性も同じように検索していた。
私と同じ駅で下車するとの事だったので、一緒に降りた。別れ際「ありがとうございました!」と言われて、つい照れてしまってあまりスマートな対応は出来なかったが、気分は晴れやかだった。
こんな感じの出来事の後で道端のわんこに「可愛い〜」と呟いたら飼い主さんの耳にも届いてしまい「そうなんです可愛いんです〜」と愛犬へのラブを叫ばれ、わんこは尻尾を振り振りして「そうなの僕可愛いの〜」と撫でさせてくれた。とんでもなく可愛かった。あんなに愛想の良いわんこは久しぶりだ。飼い主さん曰く「優しいお姉さん大好きだから」との事で、まだ私はお姉さん≠ニ呼ばれる歳なのだなと妙に嬉しかった。まあ、初対面の女性に対する呼称はお姉さんが安牌だろうとは思うが。
その他にもちょいちょい善行を積んでいたらライブのチケットに当選したので『計画通り』の顔になった(このネタ通じる人今どれくらいいるの?)。私はこの為に善行を積んだんですよ! そりゃあ、良い人でもありたいけど!
そしてこの前、前の病院からの紹介状を持って新しく通おうと思った病院へ行ってきた。家から徒歩で行ける上になかなか良い病院だった。診察の前準備と言うか、きちんと診察してくれようとしていると分かる対応をしてくれたのだ。問診票は表裏二枚ずつあり、それに記入したら心理テストを二種類行ない、結果をもとに診察。とても丁寧な先生だった。専門用語は分かり易く噛み砕いて伝えてくれたし、話し方は穏やかだけど言うべきことは言ってくれる。薬や病名への疑念も汲み取ってくれて、『発達障害』『定型発達』『非定型発達』の括りや定義についても教えてくれた。私が検査を受けた場合、属するだろうと言われたのは『発達障害』ではなく『非定型発達』の部分だろうと言われ、初めて言葉の定義を知った。所謂定型発達には属さないだろうと思っていたが、お恥ずかしながら非定型発達はイコールで発達障害と言うもんだろうと思っていたら違ったのだ。発達障害は非定型発達の中のほんの一握りの人が属するらしい。私は以前自分をASD(自閉スペクトラム障害)ではないかと疑ったが、診察時の様子や紹介状を鑑みるにASDには該当しないし、ADHDでもなさそうらしい。意外だった。
でも少なからず特性があって、心理テストの結果では「この数値が出る人は『生き辛いタイプ』ですね」とのこと。私の場合は過去のトラウマや実父との関係性や父方からの遺伝が関係している可能性が高い。父方はまあ、警報に触れた人も居れば民法に触れた人も居るので……
そして先生は私を『言いたい事をズバズバ言えちゃう人』『自由奔放な子供と厳しい親が同居してる』と評した。言いたい事をズバズバ言えちゃうのは、周囲がその言葉を聞いてどう思うかを考慮しづらいと言う事で、私に友人が少ない理由の一つはこれだと思う。そして厳しい親は自分に対しても他人に対しても不寛容だ。誰かがミスをする事をあまり許せないし、自分も同じく。誰でも間違いはあると頭ではわかっていても自分にも他人にも完璧を要求する。0か100か。白と黒の思考である。どんなに研鑽を積んで様々なケースに対応してきた人であってもミスはある、でもそれを受容できない自分は結構子供だよなぁと思わざるを得なかった。
他にも処方内容を変更すべきかもしれない事や、カウンセリングを受けるなら心理士さんにつなぐとも言ってくれたので、この病院に通おうと思った。勿論、期待はし過ぎずに。
診察を終えて待合に戻った時、病院に抱いた第一印象の『綺麗な病院』と思った理由が少しわかった。埃が落ちていないとかだけじゃなく、掲示物がどれも新しく、整った状態なのだ。カレンダーも様々な資料もきちんと手が行き届いている。何かの講演会のパンフレットも見かけたが、どれも開催日を過ぎてはいなかった。ポスターの端が破れているとかも無い。きちんと管理されていると感じて、身形へのこだわりが好印象へ繋がるのと同じだと思った。
多分、私は運が良い方なんだと思う。或る程度都会に住んでいて、選べるくらいにはメンタルの病院やクリニックが身近にあり、障害福祉へ繋がる事も出来て、自分で調べられる程度にはデバイスが扱える。制度や法律も教えて食える人が居て、何より家族の理解がある。友人も多くはないけど深く付き合っている人たちがいる。
自分が幸せじゃないと他人の幸せを祝えないと思うし、他人の幸せを願えなかったら自分の幸せを喜んでもらえない。後半は生きる上のモットーの一つだ。
私が生きる世界は時々とんでもなくクソだけど、とんでもなく素晴らしい時もある。どちらでもない時もある。ただ、本当に終わるまでは終わりじゃないから、最後まで足掻こうと思う。取り敢えず、明日はPINKHOUSEのお洋服を見に行きたい。
▼2024/08/28:自縛する金鎖をペンチでブチッと、
夕方の風に秋の気配を感じるようになった。勿論湿気に蒸され不快な日もあるにはあるが、八月の末が近くなると涼しい夜も増える。お正月のお節料理の広告を見るようにもなり、車のスタッドレスタイヤの話題や大通公園で行われるオータムフェストの求人広告なども増え、いよいよもって秋の予感を覚えるわけである。かかりつけの病院を変えたいと此処に書いたが、本格的に動くのは九月の初めだ。既に区役所で自立支援医療の受給者証などについて確認は済ませた。現在の病院には一人で通っているし、次にかかりつけにしたい病院は家から数分の距離にある。前回の記事では少々攻撃的な言葉で語ってしまったが、今の主治医も私を大切にしてくれない訳ではないのだ。医療者の立場では言えない事も多いだろうし、看護師は理事長である私の主治医には逆らおうとはしないのだろう。加えて、現代日本の精神科医はあまり積極的に患者を『職場』と言う場へ送り出そうとはしない方が多い傾向にあるようだ。その医師の年代にもよるが、少なくとも私の主治医の年代ならば『生きていてもらう事』を何よりも優先する為に無理に就労させようとはしない。しても作業所レベルであったり、障害者雇用でパートタイマーとかで、年金は絶対に受給させ無理が生じれば休職し傷病手当や生活保護に流そうとするのだ。
その方針が合う人も居るだろう。本当に精神が不安定で就労が難しく、日常生活も儘ならない人だっている。主治医はそういう人を助け続けてきた人だ。一応、尊敬には値する。しかし、私は違うのだ。生活保護を受ける人を馬鹿にする心算も嘲笑する心算も無い。でも、私はそれには該当しないし、フルタイムでの勤務も経験していて、もっともっと働いて色々な人と関わりたくて仕方ない。きちんと働いてその結果、お客様に笑顔になってもらいたい。楽しいんだよ、働くのって。誰かの喜びや楽しみを生み出す事が出来るって本当に嬉しいし、生きている実感に繋がると知っている。
勿論無理はしたくないし出来ないと思う。働く事は人生を豊かにするツールを得るための行動だから、それで人生を食いつぶす心算は無い。でもそれなり重要と言うか、生きる上での根幹を担っていると思うのだ。人間は一人じゃ生きていけないと言うのはそういう面でも言えるのではとよく考える。自分じゃない誰かの為に頑張れるのって凄く人間らしいんじゃないかとずっと考えている。自分一人だけが幸せになれるように生きても、周囲の人達だけでも平和に生きていないと幸せとは思えない。なるべくなら多くの人が笑顔で生きている世界の方が、私は良いと思う。
この辺、私の利己主義な一面が現れているなと思う。私の為に、貴方達も幸せでいてくださいと言うのは結構な利己主義だ。でも、それが行き過ぎての利他主義な面が強いのが私だ。
私の幸せの為に、貴方も幸せでいて。
小説で使えそうなフレーズだな。今度書く時盛り込めそうなら盛り込んでみよう。
話は少し変わって。
最近、自分の病気が本当に統合失調症なのか疑わしくなることが増えた。幻覚妄想は何年も現れておらず、時折気分の乱高下に襲われ過去のトラウマが蘇っては泣いているが、それよりも多く現れる症状があるのだ。
『離人感』である。予てより此処でも語っているが、私は大抵常に自分が自分じゃない気分にさいなまれている。自分でいられるのは小説を書いている時と絵を描いている時と筋トレをしている時だけだ。後は、ご飯を食べている時。それ以外は自分じゃなくて、自分が自分のものではないような感覚をずーっと味わってきた。常に自分じゃない自分、と書くと意味が分かり辛いかもしれないが、その場その場に合わせた自分を演じている感じ、と言えばいいのだろうか。仕事をしていても、友人や家族と話していても、買い物をしていてもお風呂に入っていても自分じゃないのだ。
これは統合失調症の症状にもあるらしいが、この前の通院同行で支援者が『統合失調感情障害』の疑いはないのかと訊いていたのを見て、調べてみる。元々友人の何人かがこの病気と生きているので多少の知識はある。気分障害が統合失調症の症状と重なって現れる病気だ。男女比では女性の方が多くなるらしい。気分障害とは『鬱病』や『双極性障害』の事である。色々な病院の医師や教授陣が書いた記事を読み漁ると、私みたいな自分が自分じゃない感覚に襲われる患者さんもいるらしい。私は鬱よりも躁に寄っていると主治医は常々言っていた。だから私には鬱の薬は出したくないのだと。
もしかして、私は統合失調症なんじゃなくて、統合失調感情障害なんじゃないか? だから躁にもなれば鬱にもなるんじゃないか? こんなにも気分が乱高下するのもそれが理由なんじゃないか。
主治医はその場では支援者の疑問に否定で答えていた。けれども、誤診の多い病なのも知っている。これも病院を変えたいと思った理由の一つだ。長年、それこそ幼稚園の頃から死にたがりだった、気分のアップダウンが激しく、時折自分を傷つけたい衝動に駆られる子供だった。首を吊り高所から飛び降りる子供だった。大人と呼ばれる歳になっても生き辛さからは解放されず、常にどこか冷めた眼で現実を見る日々は続いている。本気で自分と向き合うには環境を変えるのも良いかもしれない。
三十路を過ぎて、ようやっと見えてきた本当の自分とか、目標とか果たしたい夢とか、少しでも多く手に入れたいなら行動すべきだと思う。自分に向けられるポジティブな言葉達を素直に受け止められない自分をいい加減どうにかしたい。貴方は生きる価値があるし、例え無くても生まれちゃった時点で人権はある、この国に生きている以上は。
…あ、文章を読んでる時は自分だ。じゃあ本を読んでる時も自分だな。
以前は理想の自分を演じてるんだろうなと思ってたけど、どうやら違うらしい。演じる事が日常過ぎて、本当の自分が殻とか鎧の中に閉じ込められてるって感覚に近いみたい。本当は自分そのもので生きていたい。だから物を書くんだろうし、読むんだと思う。
過去とか理想とか家族の問題とか遺伝とか、自分一人じゃ変えられない事の方が多いし寧ろそれだらけなんだろうけど、せめて明日も生きたいと思えるように今日を過ごしていたい。取り敢えず、この前観た映画がすごく良かったから後三回は観に行きたいし、米津さんのライブにも参戦したいし、書きたい物も作りたい物も沢山ある。希望には満ちていない未来を彩るそれ等を味わい尽くしてからにしようよ。あと百年も経てばみんな地球上には居ないんだから。