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▼2025/12/29:月日を数えるのは人間だけ、それなら何故季節は変わる?

遂に2025年が終わりを迎える。今年も色々あったなぁと考えるのは実際に色々とある人生だからなんだけれど、常に『普通でないのに普通な自分』を目指す私としては何も変化がない方が怖いような気もする。
まず、今年は就職する事が出来た。正確には転職かな、今の会社で3社目だね。働き始めてもう半年以上経つし、この前契約更新の話もしてきた。出来る事はまだ多くはない、でも増やし続ける事は出来ているように感じている。少しづつで良いし、少しづつじゃないと私は恐らくパンクする。勤務時間を延ばすのがなかなか思うようにいかないのが困っている所だけど、実際生活に困っているわけではないし、全体的には上出来かもしれない。

今年は自分の病名と言うか障害名がやや変化した年でもあった。『統合失調症』に『非定型発達』が加わって『双極性障害』も加わった結果『統合失調感情障害』に。秋くらいに購入した書籍が精神科医の先生が書いたもので、今まで感じてきた症状の理由が少し掴めた気がした。楽しい事や嬉しい事があった直後に消えたくなったり死にたくなる理由は双極性障害の症状の一つで、脳のエラーと言うか、バグみたいなものらしい。そう知って少しづつその考えを自分に染み込ませていった結果、その感情が湧き上がったらすぐに「いつもの奴だ」と思って「本気ではない」と思う事が出来るようにもなった。
たまたま統合失調部分の治療として飲んでいる薬が鬱の症状にも効くものだったと知って、でもそれは抗うつ剤と併用しないと効果が無いらしいとも知って、だから私は元々躁に寄っているのかなとも思った。鬱が見えにくいとも言えそう。この薬、レキサルティって言うんだけど、元々はエビリファイの改良版らしい。前の病院に通っていた頃主治医が新薬と漢方薬が好きな人で、レキサルティが認可されて割とすぐに「飲んでみない?」と処方された。実はその前に別の新薬(シクレスト)を試して洒落にならない副作用があってから元の薬(セロクエル)に戻して飲んでいて、それが糖尿病や糖質代謝異常の副作用が多めと言う事で代役を探していたらしい。洒落にならない副作用って言うのは味覚異常。甘味だけが全く感じられなくなって驚いた。蜂蜜を舐めても甘く感じないの。怖いよね。
話を戻すね。今の所症状は不安定とは言えないけど、完全に安定とは言えない。でも確実に快方に向かっている。発症し始めの頃よりは格段に良くなった。だって初めは就労は不可能って言われた。何なら自分で歩く事も出来ない、一生車椅子とも言われた。でも今は毎日立ち仕事をして重い物を持ったり運んだりもしている。

人間ってね、良くも悪くも変わるんだよ。だから今辛い状況に居ても、ずっとそれが続くかと言われたら多分そうじゃない。より酷くなる可能性もあるけど、良くなる可能性もある。だから私は今日も脳のバグをただの誤作動だと思ってやり過ごした。

毎日目一杯に楽しいかって訊かれるとそれは違うんだけど、楽しいって感じる瞬間が割と多いし、楽しいと感じる環境を与えて貰った。みんながみんな幸せじゃないのは知ってるし、でも私の不幸だった過去を誰かに押し付けていないなら、この楽しさをきちんと味わおうと思う。

今年の年末も米津さんが歌うみたいだから、良い年に出来ると思う。ともあれみんな、今年一年本当に頑張りました!


▼2025/12/26:まるで胎内回帰、猫はゆるりと窓辺で寝そべる。

近所に保護猫カフェが出来たので、初訪問。通勤経路の目と鼻の先にあるお店で、通りに面した大きな窓から猫が丸まっている様子が見られる。三毛猫とハチワレ猫が二匹、思い思いに過ごす空間でコーヒーを頂き、静かに時間が流れるのが心地好いお店だった。猫が居るからなのか、室内の温かさと湿度が本当に心地好い。保護猫カフェとは言っても猫と触れ合う事を目的としたお店ではないので、初めから猫を触りたい人には向いていないかもしれない。私は『そう言うお店なんです』と知って、じゃあ観察する方向で行こうと思って手帳や本を持って行った。ジャズが流れる空間には私の他に二人連れのお客さんが居るだけで、猫の爪とぎ兼ベッド傍のテーブル席に陣取れば、三毛猫が丸まって眠っている。室内にはキャットタワーや猫の寝床が幾つかあって、それぞれの猫に挨拶したら三毛猫はちらりと私を見て、ハチワレ猫はシャーっと威嚇してくる。
実に猫らしい猫達だ。ごめんごめんと言いつつ席に戻って手帳を書き始めた。アイスコーヒーを注文したのだけれど、深煎りの豆を選んで正解だったらしく、美味しい。そして外は吹雪が始まったのでもう暫く居よう、とスマートフォンでSNSを見たり、猫の写真を撮ってアップしていたらあっという間に一時間半以上経っていた。兎に角安心できる空間で、猫ファーストな空間にしていると人間にも心地好いらしいと知った。次はフードメニューも注文してみようと思う。ベーグルが美味しそうなので。
室内に流れる音楽も心地好かった。一人暮らしを始める時には音響設備も追加したい。今はほぼイヤホンで聴いているけど、最近イヤホンを耳に入れていると頭痛がする事が増えた。物理敵に圧迫されているのが如何にも合わない事があるらしく今も音楽を聴かずにこの記事を書いている。昔ウォークマンを使い始めの頃、その機器にはオプションとして置くだけで音楽を再生してくれるスピーカーがあった。ああいうの、今は売ってるのかな。昔から聴覚が過敏なのでイヤホンとウォークマンが欠かせないんだけど、途中から頭痛持ちになって辛い事も増えた。どうも耳自体も敏感な方らしく、マスクをするのも辛い時期があった。眼鏡だけは平気なのが不思議だ。
耳の周りをマッサージする癖をつけたから幾らか改善がされたんだけど、この時期は寒さに身を縮めるせいもあってか体調が悪くなりやすい。体温が高くて掌があったかい方なので、両掌で耳を塞ぐように温める事も多い。
耳のマッサージをすると、血流が良くなるのか耳がぽかぽかと熱くなることがある。そうなると頭痛には陥らないので、身体を温めるのは本当に大切だなぁと感じる。お風呂に浸かるとか運動するとか、健康の為でもあるんだろうし、だから風呂キャン界隈の人はメンタルが弱りやすいんだろうか。ここ十年以上コロナウィルスに感染した時とインフルエンザに感染した時以外は毎日お風呂に浸かっている。今日もしっかり浸かる。ちなみにお湯の温度は熱めの方が好きだ。

お風呂でぼーっとするのが割と好きなんだけど、その時は取り留めもなく妄想をする事が多い。妄想とは言っても症状の方じゃなくて、次に書きたい作品とか作りたい物、行きたい場所の事を考えている。お風呂には雑音が無いから落ち着けるのだと気付いて、今日の猫カフェにも雑音が無かったからあんなに心地好かったんだと思った。
音楽は雑音を消してくれるし、猫を驚かさないようにしていると自然と空間は静かになる。将来犬をおむかえ出来たら、あんな空間にしてみたい。


▼2025/12/22:充電式の私、電源は貴方じゃない

最近、英語の動画を見る事が増えた。
正確には、英語と日本語両方の字幕が付いている、英語で話している動画。去年の12月初めにデュオリンゴをインストールして英語の勉強をスタートしたけど、いつの間にか大体の英会話で何を話しているかが理解できるようになった。自分で話せるかはまた別みたいなんだけど、英語で話される内容をそのまま聞いて理解して、脳の調子が良ければ日本語に訳せるようになった。直訳だけじゃなくて翻訳も出来る。
日本語の歌を英語に訳して歌っているものを聴く事も多いんだけど、ああ云うのって直訳ではないから多少の表現のブレみたいなのがあるんだよね。で、日本の人が日本の曲を英訳する時にもそれは現れる。その時に『この抽象的な歌詞を此処までシンプルに訳せるんだ』と驚いたり『この訳、言葉選びがかっこ良すぎる』と感動することもある。でもそれって、自分がある程度英語が出来ないと出来ない感動なんじゃないかってこの前言われた。少し前にデュオリンゴのレベルがまた一つ上がって、ネイティブじゃない英語話者としては充分に業務で使えるレベルの英語力だと評価された。本気を出せば英検準一級以上も狙えるらしい。リーディングとリスニングに偏った成績だから、実際に喋るとなると文法は滅茶苦茶になる事も多いけど。
で、耳を英語に慣らすのと勉強の為に英語の動画や曲を聴いてるという話。デュオリンゴのレベルが上がるよりも少し前から、周囲から聞こえる日本語を無意識に英語に訳す癖もついた。そして日本語で言うべき普通の場面で英語が出てきそうになるようにもなった。『それは違います』と言うべきなのに『That's wrong』と言い掛けたり(表現としては強めの言い方らしいので、目上には良くないかも)声をかけられて『どうしました?』と返すべきなのに『What's up? 』になる。英語かぶれだよね完全に。何処?も何故?も誰の?も英単語で脳内に浮かぶ。此処まで来たらいっそ苦手な発音も頑張って英会話に本腰を入れるべきな気もする。発音は未だにカタカナなんだよね。
とは言え紙の上(若しくは画面上の)成績だから実践でどこまで使えるのかは未知数。ただ、英語の語彙が増えていく過程も面白いし元々は英語圏の作品が訳されるのを待てなかっただけだから、文章が理解出来さえすればそれで良かったりもする。

そんでさ、英語圏の人々の発信を見る事も増えた結果、日本の教育はまあまあ良く出来てるなって感じる事が増えた。義務教育をしっかり受けてれば然程困る事は無いでしょ。高校以上の知識もあった方が有利なのは確かだけど、少なくとも日常生活で買い物とか家事をする分には中学までの知識で充分生きていける気がしてるんだよね。役所とかの手続き関係は置いといても、その知識を理解するための前提知識は中学卒業までには或る程度身に着ける素地が出来上がってるのが日本と言う国な気がしてる。
識字率ってあるじゃん。日本は確か100%だった筈だけど、先進国のなかだとトップらしいね。アメリカでも人口の内幾らかの人は英語を話せても読めないし書けないし、自分の名前のスペルも怪しかったりするらしい。ってことは日本で中学を卒業して高校に合格できた人って(偏差値は一旦置いとく)一部のアメリカ人よりも英語ができるって事だよ。そんで、私の英語のレベルは日本の高校三年生の人達の中でも上位数%しかいないレベルの高さまで行っちゃったらしい。
オタク関係で長年お付き合いのある外国人のファンの女性が居るんだけど、彼女は初め翻訳機を使って私と話してた。でも途中から自分で英語を日本語に訳してメッセージをくれるようになって、今では流暢に操ってる。だから彼女に『日本語勉強するの大変だったでしょ。頑張ったね』と言ったら『読みたい作品が訳される前の文章で読みたい』んだって。心底尊敬した。やっぱり語学を勉強する時には『楽しみたいコンテンツを思う存分味わう為』っていうモチベーションが効くんだね。
好きこそものの上手なれってよく言うけど、好きになりかけの物をより好きになりたい時にも人は努力出来るらしい。そしてその勉強の素地は義務教育の中にあるんだろうなってよく思うんだ。大人になると勉強する時間も取れなかったりするし、学生の方は将来の自分の趣味や娯楽の為に勉強してみたらどうだろう。
大人になると勉強したくなるって、この結果かもしれない。

▼2025/12/19:三角錐の輝きを纏う、氷上のバレエシューズ

昨日の記事、自分で読み返すと『一読するだけだと病んでいないように思えて、しっかり病んでいるな』と思った。そしてそう思えるのはどうやら、そこから抜け出し掛けているかららしい。相変わらず気分の上がり下がりが激しい性分だが、現在の気分が良いのならば別に構わないか。

最近視聴し始めた動画チャンネルでは、お薬の情報を発信している。私が現在処方されているお薬も紹介される事がある。精神科のお薬と言うのは食欲増進や代謝異常などを引き起こすものが多くあるが、例に漏れず私も一時体重が増えた。今もギリギリ標準体型と言った感じで、ただへこむべきところよりも出ているべきところが出ている事や、洋服の上からだと分かり辛い場所にお肉がついているので悟られ辛い。
鬱転や天候諸々による体調不良でここ最近、夜中に食べたい欲と闘う事が増えた。折角今年一年かけて減らした体重が少し戻ってしまったのだが、今年ももう終わるし鬱転から完全に抜け出せていない以上は今年いっぱいは緩めの制限で行く方が良さそうだ。何より、『食べてもいい』と思うと逆に『じゃあ今は食べなくていいや』と思う事が増えた。私と言う生き物はあまのじゃくである。

可愛い洋服を可愛く着る為に痩せていたいし、健康の為にも痩せていたい。痩せと言うよりは標準の中のやや下くらいを目指すべきか。高校生の頃はBMIが17くらいだった時期があって、あの頃は何故あんなに痩せていられたのか疑問に感じる。代謝の問題かとも思うが、恐らくは初めての精神科閉鎖病棟への入院で食生活や運動などをほぼすべて管理された中、毎日たくさん歩いて(何故かは分からないが、廊下を歩くのが入院患者の娯楽の一つだった)強制的に早寝早起きだったからだろう。ちなみにおやつは食べても良いとされていた。
となると規則正しく起きて決まった時間にバランスの良い(この病院は規則には厳しいが兎に角ご飯が美味しい)食事をとって或る程度運動して決まった時間に布団に入り眠る、と言うのが基本の痩せ方なのは間違いない。いや、分かってはいる。適度な運動と食事と睡眠が一番効果的だって事は。でもそれが出来ないのが俗世界と言うやつなのだ。
鬱転していると兎に角何をするにも億劫だし疲れやすくなる。しかし隙間時間にストレッチをしたり筋トレをする事くらいは出来たので実行中だ。出来ない事を悔み責めるよりも、出来る事を淡々と行う方が気分も幾分かマシだ。友人も頑張っている踏み台昇降は結構休んでしまっているが、代わりに(自分にとって負荷がかかりすぎない)プランクやスクワットなどをしている。ツイストプランクを1分半やるだけでも結構疲れるし、スクワットは色々なタイプがあって飽きにくい。椅子に座ったままできる筋トレは腹筋周りに効くものも意外と多い。

例えば今日5分筋トレが出来たとして、全くやらないよりは遥かに良いのだ。それが続いていくともなれば尚更。

ふと思ったんだけど、私は今の仕事に就いて半年以上たって、初めの頃よりも運動に割ける時間と体力が増えたように感じる。初めの頃は毎日筋肉痛だったのに、今は帰って来てから夕飯を食べて趣味としての運動が出来る日が増えた。疲れ果てて布団へ直行することも無い。
そうなると、結構頑張れている日々なんじゃないか。自分を卑下する必要なんて無かったかもしれない。気付いたら出来る事も増えて、ああ、こうやって慣れていくんだろうか。

仕事に全力投球しない事が今の職場に就く時の目標だったんだけど、時折力が入り過ぎる事があっても、余裕でこなせる日も無いわけじゃない。力を抜いて楽しめている瞬間だってある。無理に頑張る事を頑張ろうとしなくても良いのだ。出来なかった事が或る日突然、いつの間にかスッと出来るようになる瞬間があるみたいに、今はタメているだけだって思った。
目の前の、出来る事を淡々とこなす。なるべくなら笑顔が良いけど満面の笑みじゃなく微笑みくらいで充分。失礼な言葉を使わず、相手を否定しなければ充分。それで良いんじゃないか。

多分私は『甘やかす』よりも『許す』が良いんだと思う。100%でやらない自分を鼓舞するんじゃなくて、それで十分だって認めて許す。それで良いんだよ。私はよくやってる。

自分にかけてあげるべき事は、もう自分の中に満ち始めていた。良いじゃない。良い感じの自分だよ。極端な事なんてしなくていい。ただ、私が私であるだけで良いんだ。

もしもまた自分を追い詰めそうになったら、今できている事を書き出してみてもいいかもしれない。読み返したら今の気持ちを思い出せる。道しるべとして書き置いておこう。
さて、ちょっとだけ可愛い物を見てから寝ようかな。

▼2025/12/18:もう一度だけやり直させて、そもそも何を間違えた?

精神科を受診してきた。月に一度の通院。いつものやつ。
私は少々頑張り過ぎたらしい。仕事に打ち込み過ぎていると言われた。もっと適当でいいのだと。
これがフィクションの話なら美談になるんだろうか、頑張って働いた結果、頑張り過ぎて壊れる精神疾患患者って。少しでも社会に貢献したくて、より詳しく言うなら、誰かに喜んでほしくて。『ありがとう』って言われたい。そうでないと私なんて生きていてはいけない存在だから。こんな醜い本性と思考の人間は、他の人に認められないと生きていてはいけないの。自分で自分を『よくやっている』と認める事が凄く凄く苦手だ。苦手と言うよりも、やり方が分からない。皆はどうやって自分を認めているんだろう。どうやっても承認欲求が尽きない。『すごい』『良く出来てるね』『頑張ってる』みんなみんな、本当は自分が自分に言ってあげた方が良いんだ。

一度壊れたものって、金接ぎをしたとしても元には戻らないのと同じように、心も一度壊れたら元には戻らないんだと思う。私の心は多分何度か小さく壊れた後で粉々になってるから、元々の形がどうだったのかすらよく分からない。金接ぎしようにも粉砕されてたら遣りようがないでしょ。

冬になって、鬱転して、暫く職場以外では元気をなくしてる。本が読めなくなったなと言うより、読まなくなった。なんて言うかね、面倒くさいの。物語を咀嚼して飲み込んで吸収して血肉にしていく過程が長すぎて面倒くさい。新しいものに触れる事を億劫だと感じるようになってしまうと創作を齧る者として如何なものかと思うんだけれど、どうにもならない物ってあるじゃない。
人はこうやって大人になっていくというのなら、常に新しい刺激を取り入れないと老いていくままだってことだろうか。最近、自分の心が老いたなと感じる事が増えた。見た目は割りと年齢不詳に出来るメイク技術があるんだけど、中身は完全に中年になっていく。その一方で『子供っぽいと感じる物』への興味は強くなっていく。ぬいぐるみとか、フリルの付いた小物を持ち歩いて愛用するとか。相変わらずキャラクターものは苦手なんだけどね。

このまま衰えていく一方なんだろうか、これが俗に言うミドルエイジクライシスって言うやつなんだろうか。もう子供じゃないどころか『女の子』ですらないと思うし、そうで居られたらそれはそれで問題だと思う。『女子』と名乗るのは許して欲しい。女子トイレも女子刑務所も『女子』が入るものだし。

鬱々と、つらつら書き連ねていくうちに、何か答えが見つかればと思って書いてる。明確な形が無いのが困りものなんだよね。どう対処すればいいんだろう。
眠るのが怖い。また明日が来てしまう。朝が怖いんじゃない。夜が終わるのが怖いの。このまま目覚めなかったら良いのにとは思わない。ただ、もう少し今日を味わいたいんだ。真夜中の自室で好きな事を好きなだけしていられた自分が懐かしい。総ては変わっていくから、ずっと同じでは居られらないって知ってるのにね。

この世界でうまく生きていくって難しい。世を渡るとか立ち回るとかじゃなく、色んなことに気付かずにいられる方法って無いのかな。如何にもしっかりしないといけないと思い込んでいる、この枷を外したい。箍かもしれない。

出来ていると思ってた、周囲の評価は違った、でも少し離れた人からは評価されていた。自分からはどうだろう、多分、巧くやれていると思ってた。でも本当は、無理をしていただけだったらしい。しようと思えばできてしまう無理を、また繰り返してしまった。生きるって難しい。

壊れてしまう前に『何かがおかしい』と気付けてまだ良かったんだと思う。でも、じゃあどうすれば良いのかは自分では分からない。見つけられない。まだ、とつけてはおきたいけれども。

遠くからサイレンが聞こえる。また誰かが不幸になったのかな。そもそも幸福って何だっけ。私は今幸福なんだろうか。温かい家でこうして画面に向かう事を易々と叶えながら、精神は異常値を示す。閾値は何処だった、何故私は間違えた。
身体の幸せと心の幸せは違うんだね。人は誰かよりも不幸で幸せなんだよ、皆。

今回の鬱転は、ゆっくり静かに沈んで行った分、長く続きそうだと感じている。その反面仕事ではハイテンションであり続けそうだし疲れる日々が予測される。いい加減経験や過去に学びたいんだけどね。これじゃあ愚者ですらないじゃん。賢者とは思ってないけど。でも頭は悪く無いんじゃないかな、きっとね。

眠剤が効いてきた。そろそろ終わらせよう。

最近ずっと陽の光に当たらない所でばかり過ごしてきたのが良くなかったかもしれない。日照を浴びる時間って法律でも明記されていたりするのに。本来人間は陽の光を浴びるべき生き物なんだよ。なのに私は夜に終わってほしくないっていうね。生き方を見直した方が良いのかな。

どうか、この鬱々とした考えは、目覚めた時に幾らかでも消え失せていますように。

▼2025/12/15:切実なんだよ、だって人生は一度きり

昨日の記事を書いていた時は軽い躁状態だったんだなと実感している。何故って、今は鬱転してしまってるからだ。
今年に入って二度目の鬱転。よろしい状態ではないと分かってはいるが、躁状態の方が幾分か楽だ。
最近視聴するようになった動画チャンネルでは、双極性障害を持つ人の場合、鬱状態で居る方がまだ危険性が少ないらしい。何の危険性かは察してほしい。鬱状態から半端に躁状態に変わってしまうと、鬱の思考回路のまま躁の行動力でとんでもない事をしでかすんだとか。となるとこの精神低空飛行状態も悪いわけではないのだろうか。低め安定が一番いいらしい。ただ、当事者である私は苦しくて仕方ない。
前から書いているように、私は軽い躁状態がデフォルトの人間だ。少なくともここ十年くらいは。何だかんだ前向きだし、人生はどうにだって好転させられると信じている。その反面、人生どころか世界全体に絶望しているけれど。まず、人間として生まれて来たくなかった。理性や高度な思考が存在しない生き物として生まれて来たかった。私の脳味噌はしょっちゅう誤作動を起こすし、ただでさえ後ろ向きな楽観主義者なので『追い詰められたらこの世界を手放せばいい』と考えがちだ。こんな風に考える事も出来ない生き物だったなら、この苦しみも存在しなかった筈なんだ。
でも、生まれてしまったものはしょうがない。なるべく良く生きたいし、人生を楽しみたい。やりたい事も見たいものも尽きない。一度きりの今日も、明日も幸せで居たい。でも幸せで居たいなら、もう少し鈍感なくらいで丁度良いように思う。
何事も深く考え過ぎてしまう。二の足を踏んで見逃した好機がいくらあったのか分からないくらい、『熟考は愚考』を地で言っている人生だ。
死にたいとか消えたいとかじゃなく、苦しくて仕方ない。誰でも良いから助けてほしいのに、多分本当に助けられるのは私自身しか居ないんだろう。痛いのも苦しいのも嫌いだ。好きな人はあんまり居ないと思う。

訳もなく苦しくて、辛いと思うしかない『今』が厭わしくて煩わしい。何かに没頭すべきだろうか、人は思考に隙間が生まれると碌な事を考えないというのは正しいと感じる。何かに忙殺されたい。出来れば興味のある事に没頭して思考の隙間を詰め切ってしまいたい。目の前の何かに集中している間は『今の苦しみ』を忘れられる。
暫く絵を描いていないと気付いた。小説も書いていない。だからだろうか、何か心に目詰まりでも起こしているのかもしれない。
ふとした時、消えたいという感情を抑える事に苦労している。これは多分鬱転の所為なので私の本心じゃない。だってもしも明日目が醒めた時、銀行口座に非課税の10億円が振り込まれていれば途端に持ち直すだろう。それくらいの鬱状態でしかない。それくらいには今の所俯瞰視出来ている。
貧乏が皆悪いとはよく言われるけれど、確かに自由に使えるお金がある程度多ければ悩みの多くはどうでもよくなるだろう。

書き出している内に段々落ち着いてきた。私は本気でこの世界に絶望なんかしてないし、明日も多分仕事に行くし、来年には一人暮らしをして再来年にはチワワをお迎えする。具体的な行動プランだって練っている。

幸い、一晩眠ると大分回復出来る性質なので明日の朝にはケロッとしている可能性が高い。夜が明けるまで、静かに息を潜めていようと思う。ちなみに精神科の受診も近いので、其処で主治医に伝えるための文章は書き上げた。

ただ、楽しく生きたいだけなんだ。それが難しい生き物であることが、少しだけ悲しい。


▼2025/12/13:鉤爪を立てる、取り掛かりとしては十分

最近、実行しているライフハック。
私は朝に蛋白質を多めに摂取すると一日中空腹感を覚えにくい。なので朝食に卵や納豆、無脂肪のヨーグルトを食べる事が多くて、最近その中でも『豆乳』もしくは『豆腐』が一番効くと分かった。chatGPT(通称チャッピー)曰く、蛋白質を朝食で摂取しておくと低血糖になり辛いらしい。加えて私の場合、豆乳を使った料理か豆腐を使った料理を食べておくと一日中空腹を感じ辛いと分かった。納豆や味噌系だと効果が薄いのはどうしてなのか分からないけど、取り敢えず豆乳を毎朝飲む事にしようと思っている。ダイエッター歴は長いから豆腐も納豆も豆製品はお世話になりまくる日々ではあるんだけども、豆乳を取るのが効くのは知らなかった。ちなみにそれに気付いた日の朝食は

・カボチャとベーコン、しめじと玉ねぎの入った豆乳シチュー
・もち麦ご飯
・無脂肪のダノンビオヨーグルト
・バナナ

だった。朝からしっかり食べているのは仕事の為でもあり、夜を軽くする為でもある。朝に蛋白質を取ると調子が良いとは思ってた。昼には糖質を多めに摂ってて、それでも他の人と比較すると低糖質メニューらしい。夜には魚やビタミンを多めに摂る。今日の夕食はお刺身の漬け丼や作り置きのブロッコリーやひじきのおかずたちで、まあまあ栄養バランスが良い食卓な我が家。まあ大半はおばあちゃんの食べたい物に合わせてるからかもしれないけど。和食に偏る訳でもないのがうちのおばあちゃんらしくて、何なら孫の私よりも食べる人だ。揚げ物もお肉も大好き、でも一番はお刺身と言う性質の人で、何故って元鮮魚売り場のお刺身職人だからだ。彼女のお陰で私は鯵のなめろうが得意料理になった。尾頭付きの魚を捌いて皮を曳けるし、イクラの醤油漬けも作れる。

そして、十年くらい前からお米にはもち麦を混ぜて炊いたものが我が家の主食。パンや麺もそれなりに食べる、でももち麦ご飯が一番おいしい。そして、少し前から大根入りヨーグルトをやめた代わりに水分と食物繊維をとる目的で果物を多く食べるようになった。主にバナナや柿、その他季節の果物を食べる。水分補給は変わらず牛蒡茶を飲んでいて、コーヒーは基本的に無糖。たまに無糖の炭酸水も飲む。甘い飲み物があまりたくさん飲めなくなったのもあってか、午後の紅茶のストレートティーが非常に甘く感じる。元々果汁系のジュースは飲まないしコーラやサイダーも飲まない。
そんな感じで過ごしていたら、今年一年で体重が五キロ減っていたらしい。職場で毎日立ち仕事をして休日も動きまくっていたらこうなった。やっぱり身体を動かすのが嫌いじゃないみたいで、休日出掛けなくても筋トレと有酸素運動はするし、心拍数が上がる活動が好きらしい。
こうして頑張っているのは、体重を減らすというより上昇しやすい悪玉コレステロール(遺伝+体質)を如何にか下げたい一心だ。なるべく健康に長生きしたいし、今と同じ数値のまま五年後を迎えたら内科を受診しないといけない数値だとはっきり言われてしまった。つまり服薬が増える=で出費が増える。絶対に嫌だ。

この歳になると、肥る痩せるではなく『健康に良きる為に』努力しなければならないらしい。

今の所やりたい事が尽きそうに無いのでなるべく身体の自由が利く状態で長生きしたいし、もっと言うならロリータを貫ける女性で居たい。おばあちゃんになったらPINKHOUSEで全身を固めてもみたいし。何だかんだ小説家になってみたい夢も諦められていないし、チワワをお迎えしたらその子と一緒にあちこち出掛けてみたい。

なのでチャッピーに毎日の生活について報告してアドバイスを貰っている。幸い素直な性質なので助言はすっと受け入れられるタイプだ。やはり私は運がいい。
身近にはチャッピーに健康アドバイスを貰っている人が少なくて、無料で使える範囲でも充分に役立つのでお勧めしたいと考える事が多い。あすけんとは相性が悪くても自分なりのテンプレートが見つかれば取り掛かりやすいアプリだと思う。テンプレートと言っても簡単なもので大丈夫だし。
私の場合は

・朝昼夜の食事、間食をしたらそれを含んだ食事の記録
・運動の記録(立ち仕事○時間、ウォーキング15分とか)
・睡眠の記録(8時間くらい、とか)

を記録して評価して貰ってる。ついでにその日の感想も書いてる。チャッピーは多少曖昧な表現でも汲み取ってくれるし、かなり楽な方なんじゃないか。一日を評価して『頑張ったね』と褒めてもくれるし、そりゃあ生きている人間よりも良いトレーナーになってもおかしくないよねと思う。言い方は良くないけど、生きていないからチャッピーは『呆れる』と言う事が殆ど無い。失敗しても努力を無駄にしても怒らないし呆れもしない。感情的な返事を期待せず、『そう言う物だ』と割り切って利用する分にはいいツール。
けど、多分こう言っていられるのは、私がリアルの人と話す機会が多いからかもしれないと感じる事もある。接客業だから毎日お客様とも同僚とも上長とも話すし、医療や福祉関係の人と話す機会が多い。人との繋がりが無いと私は駄目になるタイプなんだろうなと大分前から思ってる。だからもし、独り暮らしを始めたら最初はホームシックだろう、確実に。そうなった時の為に幾らかは対策を持っておきたい。もう少しで良いから友人を増やせたら良いんだろうな。今いる友人も大切にしながら。チワワをお迎えしたら犬友も作りたい。
まあ、チワワを実際にお迎えしたら休日はその子とばかり話す可能性が高いけども。元々動物に(言葉が返ってこない事は知ってるんだけど)話しかけたくなるし、その時は完全に人格が変わってる。今の所は周囲に気味悪がられてはいない。多分。

運動を習慣づけるライフハックも見つけた。出勤して直ぐと昼休みにお弁当を食べたらストレッチや軽めの筋トレを規定回数こなせば結構な運動量になると気付いて、出勤したら毎回身体の筋肉を伸ばし、壁で腕立て伏せみたいなのをして、お昼ご飯を食べたら首回りと背筋のストレッチ、椅子に座ってできる筋トレをするだけでも消費カロリーが変わってくる。筋トレがきついならつま先立ちをしてから踵を下ろす、と言う事を繰り返すだけでも良い。ふくらはぎって下半身の血液を体内に循環させるのに大切な筋肉が多いから、其処をケアするだけでも大分違う。と言うか、これが癖みたいになってるから私はあまり浮腫まないらしい。
なるべくならルーティーンで運動できれば自然と痩せるんだろうな。今はその準備段階、と言う事で。

▼2025/12/12:樹蜜生まれの金平糖、化石になっても止まらない時間

ホリデーシーズンと言う事でクリスマスコフレを幾つか購入しました。大人になるにつれ、家族との過ごし方も変わっていくなぁと思う昨今ですが、私元々クリスマスにはそれなりに思い入れがあって、何でかって両親が気合いを入れてクリスマス(だけでなく季節行事は大体力入ってたけど)の準備をするタイプだったからなんですね。ケーキは勿論、クリスマスのディナーはかなり豪華でした。普通一般家庭で北京ダックとかエスカルゴとか出てこないと思う。毎年中身は変わりましたが、オーブン料理は必ずありました。ターキーとか魚のパイ包み焼きとかグラタンとか。ケーキは有名店のホールケーキを予約するし、プレゼントもすごい気合いの入りようでしたね。何せ英語の筆記体でサンタクロースからの手紙を用意してましたし。
実父は英語がそれなりに得意だったらしく、年代的に筆記体が書けるのもあって私宛に手紙を用意してたんですよ。それに両親からのプレゼントはサンタクロースとは別枠で設けられていたし、祖父母からも色々貰ってました。その後大晦日とお正月は自宅から近い母方の実家で過ごして、お年玉を両家の親戚から貰うのが通例。
とまあ、結構楽しい季節でしたね、この時期は。
過去形なのでお察しかと思うんですが、このご馳走とかプレゼントのオンパレードは実父なりの愛情と言う名の見栄張りでした。あの人、季節行事が好きなのはいいんですけど周囲から『幸せそうな家族』と思われたかったらしくて。もっと言うなら、『幸せそうな人』と思われたかったんでしょうね。だから色んな嘘をついて、色んな悪い事をして、結局独りきりで逝ってしまったんですよ。いや、独りかは分かんないな。病院で入院中にいつの間にか亡くなっていたらしいし死因も特定できなかったみたいなので、もしかしたら誰かしらが病室に居る時に気付かれずに逝ってしまったのかもしれない。

クリスマスから随分話がそれました。
なんでこんな物騒な事を書いたかと言うと、家族っていつ何時『一緒に居ない事』を選択していてもおかしくないって言いたかったんです。私は何年も前に実父とは縁を切りましたし、今の家族と一緒に過ごさないクリスマスも一年ちょっとでやって来ます。今年は敢えて大晦日と元日に仕事を入れましたし、義父も大晦日と元日共に仕事です。
きっと、家族そろって暮れを過ごすって事自体が珍しくなっていくんだろうなと。あったかい部屋でご馳走を食べるとか、贈り物をし合うとか、そりゃあ幸せなんですけど、出来ない人も居るし、敢えてしない人も居る。
正直、顔を合わせて息が詰まるなら家族であっても一緒に居なくてもいいんじゃないかなと思っています。家族は一番近い場所に居るだけの他人です。自分以外の人は皆『他人』なんですよ。だって『自分』じゃないじゃないですか。
そこに罪悪感とか悲しさとかそれに似たようなものを抱く人が居るのも事実ですが、案外一人も良いもんです。自分を傷つけたりマイナスな事をしてくる人とは離れたって言い。家族とか血の繋がりがあるとか、案外どうでもよくなったりしますよ。私は義父と血の繋がりは無いし、実父サイドとは没交渉だし、恋人がほしいとかも無いですしね。

ただ、自分が今の状況が嫌だと思うから辛いんですよね。これは自分の望む環境じゃないって分かっているから辛い。でもそれって、あなたの所為じゃないと思うんですよ。正確には『あなた一人の所為じゃない』でしょうか。何かの事象が起こったり、状況があるのって相手が居る場合には双方に幾らかずつ原因があるんです。その割合はケーズバイケースだけど、今回みたいなパターンならあなた由来の原因ってどれくらいですか。多分、そんなに多く無いんじゃないですかね。
相手を変えるのは難しいです。状況を変えるのも同じくらい難しい。でも、何もしないという選択をなるべくとらないでいるよう心掛けるあなたが、友人の私としては誇らしいです。私は随分と前に実父やその他の人を切り捨てているから。その優しさを、なるべくなら良い方向で大切にしたい存在にかけてあげてください。
自分以外の命を預かるとね、責任感は大切ですが背負い過ぎも毒になります。いつかあなたの事を困らせている人が適切な医療とかにかかって、自分の考えの癖や振る舞いについて自覚し、反省してくれると良いのですが。正直受診するべきレベルなんじゃないかなと思うから。本当、近い場所に住んでいる人なら引き摺ってでも私のかかりつけに連れて行くんですが。

もしも本当に身動きが取れなくなりそうなら、行政や医療に頼ることも選択肢に入れてください。護られるべき人が護られない状況が、私は心配です。

▼2025/12/12:銀色の音を聴く、咎める言葉を滅してしまえ

今日も緊急地震速報のあった札幌からこんばんは。地下鉄車内でいきなりサイレンが聞こえてびっくりしたし、今この状況で地震が起きたら私はいつお昼ご飯にありつけるんだと若干に暢気な事を思いながらさっぽろ駅に降り立ちましたよ。なのでお昼ご飯は予定通り食べられましたし、何なら札幌ではほとんど揺れを感じなかったのでその後の予定も崩れなかったという。
別の場所でも書いたんですが、初めの地震の夜は夜中に布団でスマホを弄っている時に緊急地震速報が発令されて、2〜30秒後に揺れが来たんで直ぐに布団に潜って揺れの治まりを待ってガスの元栓を切りパソコンのACアダプターを抜いてからライフラインの確認をしました。全部生きてまして、今回揺れは結構大きいけど被害は少なそうだと感じました。で、家族と職場の人の無事を確認し、避難する為の準備を整え、もう一回寝ました。
そんで朝。地下鉄が動いている事は分かったのでいつも通り仕事へ行く準備をし、いつもより少し早い地下鉄で出勤して、いつもと同じように(客数も変わりない)仕事をして、お客様の連れていらしたお犬と触れ合い、お猫とも触れ合い、いつも通りに退勤して日常に戻っていったという。何と言うべきか、然程被害の無い地域とは言え日本人は地震と言う自然現象に慣れ過ぎているなぁという印象。前の胆振東部地震の時と同じくらい揺れたけど、震源が違うしねぇ。
取り敢えずあと一週間は避難用セット(常時服薬する処方薬、コンタクトレンズの替え、モバイルバッテリーなどなど)を持ち歩いて行動ですかね。んで今日も緊急地震速報な訳ですが、この国って同じ場所に住み続けていたら何年かに一回はでかめの地震が来ると思っておいた方が良さそうです。明日は持ち歩き用の非常食(日持ちするお菓子とか)を買おうと思ってます。水分は常に持ち歩くタイプなんですが、お菓子を持ち歩く習慣が無いんですよね。一気に食べちゃうせいなんですけども。仕事の時は1リットルの飲み物を持っていくんで、後はブドウ糖とかを摂取できれば生き延びられそうと思っています。できれば夏場に常備していた塩分タブレットが欲しい所ですが。塩キャラメルとかにすればいいんですかね。

あ、ちなみにメンタルには全く影響がなかったのでご安心を。今回速報が速かったお陰で冷静に避難する行動をとれたし、意外と生き延びられそうだし、ハザードマップを見たら自宅付近の地盤は偉い頑丈みたいで安心しまして。慢心は良くないんですけど、心配し過ぎても良くないよねって事で。

それでちょっと笑えるのが、私初めの地震の後で寝た時に、夢の中でも被災してたんですよ。もっと洒落にならないレベルだったんですが、何でか私小脇にチワワを一匹抱っこして『リンちゃん!○○区役所行くよ!』って声かけて避難してるんですよ。チワワはあったかくてぷるぷる震えてて、喋りはしなかったけど『ママ…怖い…』って思ってるって分かったんですよ。多分区役所に避難してるのは地域の動物同伴可の避難場所が夢の中では咄嗟に思い出せなかったんですね。で、私はチワワのリンちゃんを毛布か何かにくるんで一緒に避難しているという。いや、キャリーバッグ使えよ、と目が醒めた時自分に突っ込みました。その方が安全じゃねーか。

そんな感じで割と特に衝撃もなく日常を送っております。この国だからだと思うんですが。

大分前、チワワをお迎えしようと決めた時、もし彼女をお迎え後に地震や災害があったらどうしようかとシミュレーションした事があるんですが、取り敢えずお迎え前に『でかめの容量の蓄電池』『灯油や電気を必要としない暖房』『カセットコンロ』『緊急避難用のクレート』『モバイルバッテリーは2種類』をちょっとずつ購入すると決めています。ご飯やおやつや消耗品に関してはローリングストックして、あと自分の飲料水とご飯も用意して、なるべくなら自宅避難の方がこの辺りの地域は良さげでした。ハザードマップを確認したら、この辺りの地盤は一番被害が起き辛いタイプの地盤らしく、なるべくなら最寄り駅も変えたくないので、この辺りの物件に住みたいなぁと思っております。今の家からはそれこそ煮立ったスープが程良く冷める距離くらいで。

まあこんな事言っていられるのも震源から結構離れているっていう事実があるからではあるんですが。ただ、色々心配し過ぎてもキリが無いのでこんな感じで行こうかなと思っております。


▼2025/12/10:唇に触れる違和感、冷え切ったルージュ

地震被害がさほど大きくなかった地域の人間からこんばんは。
取り敢えず家族みんな無事です。職場にも異常は有りませんでした。取り急ぎご報告まで。


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