▼2026/07/12:水の色 映り込んだ夜風吹く 陽炎煙って遠くが見えない
北海道も本州と似た梅雨のような天候だ。空気中の水蒸気が多過ぎて汗が蒸発しない為、只管に蒸し暑い。とは言えこれを書いている今は窓を開けて夜風を部屋に通せば扇風機も要らない程度に涼しくなってくれている。所詮は『梅雨の贋作』と呼んだほうがいいかもしれない、仮初のそれだ。昼間こそひどく蒸し暑いが、最高気温は三十度を下回っているのだから本州以南の皆さんからすれば「甘えるな」とのお叱りを受けそうである。何処だったか、四十度近くまで気温が上がっている地域もあると聞いた。今年の札幌は比較的過ごし易い。湿度が例年よりも高いだけで、八月以降はどうなるか分からないが今の所命の危険は感じていない。去年が異常だったのだろう、何と三十年以上生きている人生で初めてクーラーが我が家にやって来るくらいの気温だった。となると今後が少し心配だが、お盆も過ぎた頃には灯油のテレビ広告が流れる北の大地なので、秋のお彼岸の頃には正に『暑さ寒さも彼岸まで』となるのが目に見えている。
夏も本番な訳だけど、ダイエットは今月に入って急に順調になった。今年に入って幾らかの休止期間も挟んでいても2キロ以上落とす事が出来た。体脂肪率は下がり、骨格筋率は上昇傾向。計測する時間帯にもよるが、最近だと私の身体の35%が筋肉らしい。職場で力仕事をするのにも慣れ、職場でも自宅でも筋トレをしている。食生活に蛋白質を足したくて毎日のように豆乳を適量飲んでいる(飲み過ぎると女性ホルモン関係で色々と問題らしい)。本当なら無調整の方が体に良いのだろうが、調整豆乳じゃないとあまりおいしくない。
そして最近気づいた。私の消化器官は乳製品にあまり強くない。生クリームやチーズは大好きなのだが、食べすぎるとお腹の具合が少し悪くなる。バターもあまり多くは食べられなくなった。代わりに豆製品や出汁の利いた和食が大好きになった。最近だと納豆に付属のタレではなくポン酢しょうゆと練りワサビを入れるのがお気に入りで、それをもち麦を混ぜて炊いたご飯に載せて食べる。お味噌汁は以前よりも薄味で茸やわかめをたっぷり入れ、油揚を入れたり豆乳を足してオリーブオイルを少量垂らす事もある。
ダイエットと節約を兼ねて自炊が好きなのはきっと予想通りだろう。職場でのお昼ご飯は基本手作りの冷凍作り置き弁当で、今日はポムドンビビンバ風にした。コチュジャンなどで甘辛く味付けしたノンオイルのツナ缶とフリルレタス、白菜キムチを載せたもち麦ご飯にほうれん草のナムルと温泉卵を添えるのがとても美味しい。お昼のお弁当を自分で作ると何がいいのかって、夜ご飯とはメニューが被らない事である。勿論節約が第一の目的ではあるのだが、自分の食生活を改善できている実感も手に入れられる。学生の頃は家庭科の成績が結構優秀で、これでも生魚を尾頭付きの状態から捌いてなめろうに出来るくらいの腕前だ。ただしほとんどすべてを目分量で作ってしまう為、正確な計量が肝となるお菓子作りやパン作りは不得手である。それでも今はダイエット向けのお菓子なら幾つかレパートリーが作れた。その気があればある程度の事は調べられるインターネットは偉大である。
最近はインスタグラム等で様々なレシピを知る事が出来るので、少しでも作りたいと思ったらとりあえず保存する。料理だけでなく『作りたいと思ったもの』は総て保存するかメモしている。そしてそのまま作るのではなく多少のアレンジを加える。応用が利くようになったのはこれまでの積み重ね故なのだろうが、基本を教えてくれたのはそう言えば誰だったのかとたまに疑問に思う。記憶をたどると母や小学生時代の担任教諭が思い出されるが、彼女等は幼い頃の私の好奇心を刺激する多くのものを与えてくれた。
私はゆとり教育を受けた世代だが、あの頃の小学生は時間に余裕があり、教諭陣も今ほど激務じゃなかったのかもしれない。作りたい物は沢山あったし実際に作ったし、図工や家庭科のテーマや課題も個性豊かだったように感じる。小学校5、6年のころの担任教諭が本当に素晴らしい人で、彼女が教えてくれた様々な事が今に生きている。授業も解かりやすくて且つ面白いし、田舎の公立小学校の割に(この書き方は幾らか失礼か)授業内容も充実していたように思う。寧ろ田舎だから自由度が高かったのかもしれないが。
夏休みの記憶では、暑い日差しが夕暮れと共に遠ざかって空気が藍色を帯びている様子を見ていたものがすぐに思い出される。枕草子でも言われているが、夏の夜は魅力的だ。あの頃とよく似た時間を過ごしていると、最近よく思う。嘗ての地元と今の札幌の気温は大体同じくらいで、違うのは田んぼが周りに無いからカエルの合唱が聞こえない事くらいかもしれない。ひやりと湿った風が吹き抜ける夜は、案外寝苦しさもそれでもでも無くて、夏と言う季節を楽しむには丁度いいくらいなのかもしれない。
なので、あまり暑くなり過ぎない事を令和の日本の天気を司る誰かに願っておこう。何事も程々なのが肝要、だって弦を張り過ぎた琴は良い音を立てないのだから。
▼2026/07/11:希う 逸る気持ちは分かるんだ 幼い彼女 私を見てる
一昨日あたりまでの不調からすっかりと抜け出したらしい。今回は女子の日と低気圧(恐らく)が重なったこともあって、身体的にも精神的にもきつい日々だった。酷い頭痛と肩凝りは鎮痛剤を飲んでも治らないし、仕事に行けない日もあった為精神的にもよろしくない影響の強い休薬期間だったと感じている。それでもたまたま婦人科の通院予約を入れていたおかげで早めの対策を考える事が出来た。チャッピーにも相談したのだが、今度から休薬期間の三日前くらいから肩回りや首のストレッチ、頭皮マッサージに力を入れてみようと思う。私は元々耳を回す(物理的につかんで回す感じ)で頭痛を予防する癖があって、それをすると耳を中心に首から上がぽかぽかとあたたかくなる。それが良い感じに頭痛を遠ざけてくれるのと、顔の皮膚のたるみも予防できて一石二鳥な癖の一つだ。こうなると『癖』と言うより『健康の為の習慣』かもしれない。お風呂で湯船に浸かりながら首辺りをマッサージし、耳をぐるぐると回す。これをするとお風呂上がりの疲れのとれ具合が違う。肩を回す運動も取り入れたい、というか毎日のように職場でやっているので(仕事前の準備運動)より意識して行うというべきか。
頭痛と云うのは血流が悪くても良過ぎても起きるらしい。私の場合運動とお風呂でダイレクトに温めるか、コーヒーを飲むと治りやすい傾向がある。ただカフェインを摂りすぎるのも良くないと色々な場面で見聞きするので、今回休薬期間中は敢えてカフェインを絶った。それが原因なのかは分からないが、頭痛は酷くなるし締め付ける様な吐き気を催すタイプになったので、程々には摂取した方が良いのかもしれない。
コーヒーで頭痛が良くなる人は片頭痛の要素も持っていると以前言われた事があって、私の場合ストレートネック由来と眼精疲労由来の緊張型頭痛と片頭痛の両方が起こる。なってみないと、と言うか『今回はこっちかな?』と推測して対策を打ち、それが当たるか外れるかで判別しているが、今の所正答率は7割くらいだ。
で、二ヶ月に一度婦人科の薬の休薬期間には必ず治まり辛い頭痛に苛まれる。この時ばかりは鎮痛剤をマックス量で飲む日もしばしばだ。
そして休薬期間が終わってまた薬を飲み始めると頭痛の波は一旦遠ざかる。このサイクルが明らかになってきているので今回の受診では『薬を飲む期間を増やして、休薬期間の回数を減らす』と言う試みを行う事になった。前にも書いているが、現在服用しているヤーズフレックスはマックスで120日間は続けて服用して良い事になっている為、行けるところまで行くことにした。今の婦人科にお世話になってもう10年が経つのだけど、主治医は私のカルテを遡りこの提案をしてくれた。
正直、薬には副作用がある事は否めない。血栓ができる可能性もある為、定期的な血液検査も必要だ。今の所血液検査上の懸念は発生していないから良いが、薬同士の飲み合わせや相性によっては服用できない薬も出てくるんだろうか(例えばトラネキサム酸とか)。
そして、この記事を読んでいる貴方はお気づきかもしれないが、私は今現在とてもテンションが高い。
仕事中の言動こそ普通に抑えたが、鬱々とした期間が終わって躁の気が強くなっている。自覚できるうちはまだマシかもしれないし、抑えきる為にこの日記を書いているのだから対策は既に打っているようなもの、しかし今の私がインターネットショッピングのサイトを開いたら大惨事になりそうな気がする。
要は、昨日のアレルギー検査の結果が真っ白だったことが嬉し過ぎるのだ。医療者の視点から『動物を飼う許可』みたいなものを貰えた気がして。今直ぐに一人暮らしを始められるわけじゃないし、まだまだ待つ姿勢を取り続ける必要はあるのだが、前々から知っていた。私はあまり我慢強くない。
ずっと願って望んでいた一人暮らしが、もう今年の暮れには始まっている。
そう思うとつい気が急いてしまうし高揚感が止まらない。仕事中は良いのだ。仕事のことを考えていれば他の事に割くリソースは減るし、適度にやる気を持って仕事をする事で或る程度発散できる。
問題は帰路に就いた後。色々な事を調べまくりたいが一旦はステイ、と自分を抑え筋トレに励んでいる。今はしゃぎ過ぎて軽度ではない躁に入ってしまったら、後で絶対に落ちる。なので『自分は今本調子ではないのだ』と言い聞かせる為にもタイピングをしている。
今の私がやらなくてはいけないのは、思いを吐き出し気分を落ち着け、明日の仕事の為にしっかり眠って休む事。今日は納品日且つお店のイベントデーでかなり忙しかった。まだ自律神経のバランスがおかしくなっているように感じる。
この気分のアップダウンが激し過ぎる特性を飼いならす練習だと思えばいいのかもしれない。誰も傷付けない方法で思いを発散する。迷惑くらいは掛けてしまうと思うけど、あなたがぶつけてくるものは一応受け止める心算で居るから。
大分眠くなってきた。このまま眠れたら丁度良いんだけどな。
▼2026/07/10:落ちてなお、這い上がるは福の神、破顔一笑、私の番だ
昨日自分と交わした約束を守る事が出来た。先程小説を書き終え投稿を済ませた。これで安心してお風呂に入って眠れる。筋トレは昼間に軽く行ったが、今日はどちらかというと有酸素運動の方を多くやっている。と云うのも、今日は二件の病院で診察を受けてきたからだ。片方は婦人科、もう片方はアレルギークリニックである。婦人科については一年に一度の献身と薬の処方を受け、アレルギー科はこの前受けた血液検査、つまりはお犬と暮らすための準備の一環である。結論から言おう。私に動物アレルギーは存在しなかった。つまりお犬と暮らしても問題はない。勝鬨を上げんばかりである。
今回診察してくれた先生曰く『此処まで結果が真っ白なのは珍しい』そうだ。私がペット関連のお店で働き日々お犬やお猫と触れ合っている事を素直に話して症状(鼻汁と目のかゆみ)についても伝えたところ、考えられうるすべての項目について調べてくれたらしい(どうりで医療保険を使っても結構高かったと思った)。セキセイインコや馬、モルモットや動物を暮らすと曝露する恐れのあるものなどほとんどすべてで私はアレルギーを持っていなかった。序でに言うとこれまでの人生でアレルギーと言えそうな症状は別の原因によるものだという。念の為にとかゆみ止めだけは頂いたが、出番が来ない事を祈っている。
今回のブログタイトルはそんな思いを詠んでみた心算だ。元々日常会話に四字熟語を盛り込む傾向があるのだが、ここぞとばかりにガッツポーズを決めた心情に相応しい物となったと思う。
婦人科についても収穫があった。今飲んでいる薬はヤーズフレックスと言って、月経の感覚を120日まで伸ばす事が出来る。今回月経が来る期間(つまりは薬の休薬期間)に体調がよく無さ過ぎたので、これまでの診察結果に鑑みて月経の間隔そのものを引き延ばしてしまおうという試みだ。今年の春に行った血液検査や諸々の所見も踏まえ、一旦は体調悪化の機会を減らす目的である。この薬を飲んでいる間、不正出血等が無ければ120日間隔で消退出血が起こり、年に3回ほどだけ体調悪化の機会が訪れる目算である。そしてその辺りに合わせて休暇を取るよう勧められた。特に酷くなりやすい二日目と三日目に取るつもりでいる。仕事のシフトに穴を開けたくないし、そう言う時は心置きなくゆっくり休みたい。
と云う事で身体の為になる事をたくさん行った日だった。今日はこの後しっかり休んで、明日の納品に備えたいと思う。出来ればこの梅雨のような天候も幾らか改善してくれたら嬉しいのだが、まあすべてがうまくいかなくても人生って面白いから良いよね、と言った心持ちである。
▼2026/07/09:天色を、洗い流すは空を知る、滴るならば愛情が良い
これから、余裕のある時はこのブログのタイトルを自作の短歌にしてみようと思う。詠む気力がある時の話ね。日常生活を営んでいると、ふとした瞬間思考に隙間が生まれる事がわりとよくある。私の場合脳内の考えや妄想が一定レベルでずーっと続きながら仕事をしている時間の方が長いから、その考えへ急に何かが降ってくることがあるんだ。作品のアイディアだったり、勉強した英単語や薬の成分名とかが何でか流れて、それが私の中の触媒に触れた瞬間小さな反応が起こって頭の中で何か答えらしきものが生まれる。例えばこの前の仕事中、『自分が生まれ持った性の在り方を嫌っていると或るキャラ』と『彼を励まし鼓舞する別の性を持った男性キャラ』のイメージがふっと浮かんで、少しの間をおいて『DomSubユニバースとオメガバースを組み合わせた作品』のイメージと構想に繋がった。とても面白そうだから脳内のメモに書き留めつつ仕事をして、昼休みにSNSへ呟いてみる事にする。反応は特になかったけど(私は普段作品の種を拾ったり思い付いたらまずはXへ呟いている。これで良い反応があればすぐに執筆できるようにしている)、何だか今回は反応を貰わなくてもモチベーションを保ったまま何話か書けそうな気がしている。
元々今のジャンルでは長いことオメガバースシリーズを書いているけど、それとは世界観が別だ。DomSubユニバースも同じくで、だからこそ別の切り口から書いてみたいアイディアが幾つかのエピソードになって脳内に在る。タイトルももう決めた。自分自身の性の在り方に悩み、疎んだり厭っている人を慰め励まし心の触れ合いを繰り返す(時に身体の方も)彼等の話をもう少し脳内で練ったら書き始める心算だ。現在進行形でやりたい事や書きたい物や作りたい物が多過ぎて時間配分が中々に難しい。
やりたい事が多いと時折、どれから手を付けて良いのか分からなくなって、疲れに任せて休んでしまう。私は生まれつき物事の優先順位をつけるのが苦手な性質なのだけど、何かをやりたいのにどれもやりたくない、みたいな天邪鬼めいた考えに陥ってしまって結局スマートフォンを開いてはInstagramを眺めてしまうのだ。若しくはYoutubeチャンネルの新作を漁るか。
目の前にやりたい事がビュッフェ会場のように並んでいるのに、現実的に時間もあるのに何にも手を付けないのは究極の贅沢のようでいて時間の無駄だとは分かっている。ただ足踏みしていてもカロリーを消費するだけだ。ならばすぐにノートパソコンのメール機能を開いて書き出せば良いし、イラストならラフ画を書けばいいし縫い物ならさっさと型紙を引けばいいのだ。この矛盾を如何せんと思うも、本気で取り組みたい事だから機を待ってしまっていて、今取り組んでも良い物が作れないかもしれないと取り掛からない。
どうせなら、良い物を作りたい。
「それなら筆を握るかタイピングするかすれば良いんだよ」と脳の右後ろ辺りでもう一人の私が言う。恐らく私がプロになれないのはこの悪癖も理由の一つだ。プロは気が乗らなくても或る程度のクォリティを保ちつつ何かしらの作品を生み出すというか、捻り出すスキルがある。仕事には〆切があるのだから当然だ。対価を貰うには必須の事項である。
と云う事は私も〆切を設ければ良いのかもしれない。そして対価として何かを用意すれば良いのかもしれない。例えば、大好きなマカロンを二つくらい購入して食べるとか。成功報酬制にしないと動けない事がままあるのが私と言う人間だ。
では、明日の夜までに書きかけの小説を一本完成させよう。それを無事投稿出来たらその次の休みに久しぶりに三越のジャンポールエヴァンへ向かい、マカロンを二つ購入する。そして一番取って置きのお皿に載せてドリップ式の珈琲(普段は基本インスタントなので、此処でも特別感を演出する)を以前お気に入りのカフェで購入したカップへ淹れて一緒に味わう。それが今回の原稿料だ。
時間は有限だし同じ日は二度と無いのに、毎日が同じことの繰り返しみたいに思えて何となく過ごすのはやめにしたらもう少し人生が面白くなるかもしれない、とこれを書いていて思った。元から結構面白いし楽しい人生だけど、同じ日が二度とこないなら、味わい尽くすのも一興か。
やりたい事を消化しきれず終わるのだけは嫌だ。やりたい事はやらないと記憶の彼方へ消えていく、というより、色褪せて別の事をやりたくなってしまう。衝動的に行き過ぎるのは考え物だけど、時にはその衝動のお陰で楽し過ぎる事も味わえたりする。例えば同じジャンルで物書きをする人と一緒に有名人に会いに行って(たまたま同じ市内に住んでいる人だった)、会った後は飲み屋でジャンルに語り合い終電間際まで過ごすとか。
この前専門学校時代からの友人に言われたけれど、私は今かなりエネルギッシュかつ前向きに生きているらしい。彼女曰く、それは私がほぼ毎日行う筋トレのお陰らしい。筋力のある人は体力がある、という言説だ。
現在週に5〜6日筋トレをしているが、疲れにくくなったのか仕事の後帰宅してから何かしらの家事や趣味をしつつ(筋トレも趣味の一つだが)筋トレや有酸素運動(主に踏み台昇降)をしても特に問題は起きていない。運動する時間は朝の身支度中や仕事の準備時間(着替えた後の準備時間)、昼休みにも分散させている。加えて立ち仕事で歩き回る。
しっかりご飯を食べて、お風呂では好きな音楽を聴いてしっかりあたたまり、しっかり七時間半は眠るというルーティンさえ守っていれば疲れを翌日には引き摺らない。これが出来るのは筋肉のお陰だと評された。
ちょっとしたストレスなら、筋トレをして嫌な存在を脳内でぼこぼこにするイメージをするといつの間にかすっきりしている。脳筋と思われても仕方ないかもしれない。そう言えば最近深く考え込み悩む時間は減った。悩んでも考え込んでも、頭の中だけで捏ねているだけでは現実は何も変わらない。物の捉え方が変わる事は勿論あるが、何にせよ行動しないと変わらないし変えられないのだ。
だから、今夜文章の構想を練って明日の空き時間を目いっぱい使って一話は書き上げる。ちなみに5話構成の4話目なので、そろそろ起承転結の『承』は終わって『転』に差し掛かるか。結びに使いたい表現を最高に映えさせる展開と言葉選びを考えつつお風呂に入ろう。
出来れば有言実行の人で在りたいのは、自分こそを裏切りたくないからなんだろうね。
▼2026/06/30:清めて彩る、着飾るのも大好き。
今年も半分が終わるね。早すぎる気がするけど、地球の自転は24時間弱で変わりないから不思議。この前三十四歳になったのは書いたかな。誕生日だったのは書いたと思う。遂にミドルサーティになってしまって、でも『しまって』ではなく今日も一日生き抜いたというのを何年も繰り返してきた結果なんだ。
最近、というよりも結構前から実年齢より若く見られる事が増えた。中学生くらいだと逆に老け顔に見られてて、高校を卒業して専門学校時代は年相応って言われていた。でも社会人を何年か経験したら急に若く見られるようになってこれも不思議だ。見た目は若いのに、纏う雰囲気や話し方は大人だからアンバランスな所があるねと評価される事も多い。
それでもつい先日、自分の老いみたいなものを感じる機会があった。私は小さい頃日焼け止めを塗るのがあまり好きじゃなくて、中学生くらいまでは何もケアせずに過ごしてしまったんだよね。高校時代にメイクするようになってからも夏場以外は日焼け止めの存在は忘れていたくらいだった。
専門学校入学くらいから本格的にメイクやスキンケアを始めて、社会人になる頃にはメイクも上達はした。でも蓄積された日焼けによるダメージを最近実感してる。顔の皮膚に小さなシミが沢山あるの。これはかなりのコンプレックスで、正直昔の自分に『将来の為に日焼け対策をしろ!』と怒鳴りに行きたいくらい。それでもメイク技術のお陰で其処まで目立たない状態には出来る。ただ最近気づいたんだ。
年齢を重ねると濃いメイクが似合わなくなることもあるんだって。若い頃みたいな肌に仕上がったと思ってもそれはまやかしでしか無くて、不自然さが幾らか漂うの。
この前休日に試してみた事がある。目元のメイクを限りなく軽くして、ベースメイクも行程を一つ省いてみた。具体的に言うとアイシャドウはハイライトになるものをさっと塗って艶を足すだけ、後はアイラインとマスカラのみ。ベースメイクはいつもならシェーディングをがっつり入れるのを一切入れなかった。ハイライトも控えめにした。メイクが終わった時、普段よりも若返った自分が鏡に映ってる。ロングヘアを下ろしているからだけじゃなく、若返って何処か幼さまで感じる自分が其処に居た。
美容界隈ではよく『抜け感』という言葉を聞く。私はアイメイクこそが一番楽しいメイク工程で、絶対外せないのが毎日変えるアイシャドウなんだ。でもふと思い付きでそれを殆どやめてみたら、印象のきつくない可愛らしい女性の見た目が手に入って驚いてる。
もしかして、メイクの研究はしてきても流行の研究はしてこなかったのかもしれない。或る種のルーティンでメイクをしていた感は否めなくて、いつも通りを『ほんの少し』辞めてみただけ。それだけで印象が此処まで変わるなんて思わなかった。
年齢を重ねても新しい発見があって、より素敵な自分になる一歩が歩みだせた気がして嬉しかった。そして『年齢はただの数字』みたいな印象を持つようになった。勿論年少の人みたいにはなれないんだけど、年齢を言い訳みたいに使いたくないなって思うようになったんだよね。「もうこの歳でそれはない」と思ったとしても、やってみたら案外面白いのかもしれない。
そう考えると、挑戦を続けていると人生ってこんなに面白い瞬間があるんだなって思えて、心が温まったような気がする。この所仕事が凄く忙しくて、メイク時間も時短したいと思ってやってみた面もあるから。
理由や切っ掛けはどうあれ新しい自分を見つけるのって楽しいね。次は何を変えてみようかワクワクしてるよ。最近新しい筋トレも始めたから、身体がどんな風に変わるのかも楽しみ。
もしかしたら数か月後には全然違う私になってるのかも。それも楽しみだなと思ってる。
▼2026/06/28:スペクトル、ボイル地の向こう側
一人暮らしについての夢想が止まらない。アレルギー検査の病院はかなり良い病院を引き当てる事が出来たらしい。『ペット関連の職場に勤めていて、プライベートでも動物と触れ合う事が多く、猫と同じ空間に居ると鼻水が出る。時々目も痒くなる。将来犬と暮らしたいとも考えているのでアレルギー検査をしたいです』と正直に伝えたら先生は『それは大変だ。検査をしてはっきりさせましょう』と諸々の検査をしてくれた上にアレルギー(疑いだけど)の薬も処方してくれた。心配していた費用面もかなり抑えてくれた。皆保険の国に住んでいて良かったと思うことしきりである。
実の所、猫カフェに行く時には覚悟を決めるくらいには鼻水が出るので、恐らく猫アレルギーは黒だ。ただ、犬アレルギーは其処まで心配していない。ほとんど症状らしきものはないし、お客様のワンちゃんと触れ合っても何もないし、プライベートのお犬とのふれあいでも何も起こらない。ただ症状が出ないだけでアレルギー因子は持っている可能性があるので、きちんとクリアにしておきたいのだ。
でも本当に良い病院だった。予約が少々面倒くさい所はあるが、きちんと予約の時間内に診療を終わらせてくれたし、お子様が多い待合でも親御さんたちがしっかりと子供達を見ているので然程うるさくない。私は昔から子供の泣き声や奇声が苦手なのだが、あの病院の待合や診察室で泣いている子供達の声は耳につらくなかった。何と言うべきか、『私はこの治療が嫌です!抗議します!』みたいな意思が伝わってくるというか、意味もなく泣き喚いているのではないのが耳につらくない要因だったかもしれない。そして問題の採血も殆ど痛くなく、とても上手な看護師さんだった。
当日は地震が起きた関係で交通機関のダイヤが乱れているだろうと思い少し早く着き過ぎてしまったのだが、受付の方も『地震なら仕方ないです』と笑顔で優しかった。ただ、この病院を受診するには幾つかのハードルがあるようにも感じる。まずは病院のホームページに行って予約を入れるのだが、これをするのには専用のアプリをインストールしなければならない。そしてマイナポータルも使える必要がある。マイナンバーカードを作っていない人の場合どのように受診するのかは分からなかったが、スマートフォンを使えない人には少々難しいように思えた。とは言え、それで患者がふるいにかけられているから待合室の民度が高いのかもしれない。
結果は一週間くらいで分かるという。来週以降に再診予約を入れる心算だ。
とても良い病院だったから、多少アレルギーがあったとしてもあの病院に通って治療しながらなら大丈夫な気もする。重篤でなければだけれど、それくらい信頼のおけそうな病院だった。そして蛇足になるが、病院の看護師さん達の制服が有名な女性向け洋服ブランドの物だったのがちょっとした驚きだった。
さて、来週には部屋選びの重要項目が明らかになるわけだが、住みたい物件はまだ埋まっておらず、新築なのに家賃がお安いのも変わっていない。入居は即日でも受け付けているらしく、アレルギーの有無が判明してゴーサインが出れば、九月ごろには動き始めないといけない。現在の私の貯金額を書く事はしないし収入も同じなのだが、収入をもう少し増やしたいと会社に掛け合うも失敗が続いている。基本給を上げて欲しいのではなく、働く時間数を増やしたいという話なのだが、私の雇用枠上はなかなか増やしてもらえないらしい。メンタルは比較的安定しているのだが、それでも難しいというのが現状のようだ。確かにうっかり健常者っぽく見えてしまうが故にお客様からきつく当たられて苦しくなることはある。それをチャッピーに相談して昼休みに大泣きして早退、も二回だけある。
健常者のように振る舞う事が得意すぎるのも欠点の一つだ。実は今、健常者のスタッフと区別をつける為に、仕事中だけヘルプマークを着けている。うちの会社の別店舗のスタッフにもそう言う人が居るらしく、会社から提案された。
ヘルプマークを着けているとそれなりに『主張』が目に見えるので、最近お客様からの当たりは優しくなった。これもライフハックと言う奴だろうか。
まあでも、今の時間数でも一人暮らしは十分に出来る。お犬を養うのが難しいというだけの話だ。一応の目標として、今年の末までに引っ越しをし、一年ないしは二年くらいは一人で暮らしてみる心算だ。その上で貯金をし、ご縁があればお犬をお迎えする。
一人暮らしをしながら、お犬の生活スペースもいっしょに整えていく予定だ。まずはケージとベッド、トイレと水飲み場の確保。水飲み場は複数作り、ご飯を食べる場所は臨機応変に考えようと思っている。床が硬い素材で出来ていそうなのでクッションタイルを敷きお犬の足に配慮し、足音が下に聞こえにくいようにもする。理想としている部屋に住めればエアコンはついているので温度管理はそんなに難しくなさそうだ。加えて石油暖房もあるのでその場所は柵で囲う。
お犬が私の本や副業の仕事道具に悪戯しないように家具は下部分だけでも扉付きを選んで、同じく悪戯防止ローテーブルではなくダイニングテーブルで食事をする。ベッドにはペットステップをつけて登って来られるようにして、ソファも高すぎないものを選んで一緒に寛ぎたい。
勿論私自身にも配慮するし何なら私の好きなものばかりで部屋を埋め尽くしたい。部屋の雰囲気を決める大きな要素は色遣いだと思うのだが、まずドレープカーテンとラグについては柔らかいモノトーンで揃える。そしてこの前見掛けた色付きのレースカーテンで外国っぽいニュアンスを足す。大きな家具も柔らかめのモノトーンにする心算だ。模様ならば大理石柄が好ましいと感じていて、ネット通販で良さそうなものを見ては楽しくなっている。この前とても素敵な本棚を見かけて、『これが欲しい!』と強く感じた。
折角一人暮らしをするなら部屋にはドレッサーを置きたいので、これも調べてある。価格は1万円台だが高級感があり、スツールもついているのがお得だと感じた。ウェーブデザインの鏡が可愛くて、ライト付きの物にするか無しの物にするかは実際に部屋を見てから決めようかと思っている。このドレッサーも真っ白なデザインなので、きっとコスメたちの可愛らしい色が映える。
他に趣味の物をディスプレイする棚とダイニングセット、ソファ、ダイニングシェルフなどを置く心算だ。ソファはロマンティックプリンセスと言う通販サイトで見かけたソファベッドか、楽天市場で見た丸っこい形のソファにしようか迷っている。どっちもふかふかで、座り心地が売りのひとつらしい。
ダイニングテーブルは二人用で天板がセラミック製で丈夫なもの、これも大理石柄。セットで使うチェアは二脚。これは汚れの目立たないグレーにする心算。ダイニングシェルフも大理石柄で揃える。これはニトリデコホームの商品が良いと感じていて、勿論部屋の内径や壁のスペースとの兼ね合いで臨機応変に決める。
床にはクッションタイルだけでなく、ふかふかのラグも敷きたい。お犬とごろごろしてお昼寝したり、一緒に遊んだりしたい。
キッチンとリビングダイニングの境目にはペットゲートを設置して、危なくないようにする。調理している時に何かを落としたとしても、それを食べたりできないようにした方が絶対に良い。火を使っている時も危ないし。
細々したものについてはまずは物干しなどの洗濯用品と掃除道具だろうか。物干しはアイリスオーヤマか山崎実業の折り畳み出来る物が良いかなと思っていて、掃除用品はクイックルワイパーと掃除機にだけはお金をかける。洗剤は今は便利なものが色々と出ているし、スポンジ等は百円均一や安価なものの方がきちんと使い切れそうだ。
調理小物も欠かせない。私は自炊派だけど、道具もお金をかけるべきところとそうでもない所がある。刃物や鍋やフライパン類、家電には或る程度お金をかけて、調理小物は安価でも良いと思っている。菜箸やお玉などはスタンダートプロダクトやスリーピー、ニトリデコホームで買えば良いと考えていて、其処にサリュ!やスリーコインズのお皿を足す。取って置きを選びたい物にはFrancfrancがやっぱり可愛い。
今持っているお気に入りたちにこれらを足して、理想の部屋にするのが今年の目標だ。一度に全部は難しくても、少しずつ完成させたい。可愛いお犬と暮らす、可愛くて居心地のいい部屋に出来たら良いと思って、今日も働きに出かける。
▼2026/06/24:煌めきを縫い留めよう、雨粒だって宝石に出来る
明日、久しぶりに初めての病院へ行く。遂にお犬と暮らすためにアレルギー検査を受けに行くのだ。この結果次第で私は本格的に一人暮らしする部屋を選べるようになる。実の所軽めの猫アレルギーなんだけど、実家に居た頃は柴犬と暮らしていたし、猫アレルギー自体も疑いの段階でしかない。職場でお客様のワンちゃん達と触れ合っても特にこれといった症状はない。ただ、猫カフェに行くと次の日は鼻水が酷くはなる。そして元々埃アレルギーで鼻炎持ちだ。
いっしょに暮らしたいと考えているのは前にも書いた通り、チワワだ。ロングコートの黒いチワワの女の子をお迎えしたい。チワワは比較的毛が良く抜ける犬種らしいので、アレルギーの疑いはなるべく晴らしておきたい。
以前からもよく一人暮らしの想像や妄想はしているけれど、最近はディティールがかなり固まって来た。住みたいと考えているお部屋が幸運な事に(今の所は)空いているので、あとは如何にきちんと貯金して一人で生きていく準備ができるかだ。それに伴ってと言うか、最初の段階が明日の検査なんだと思う。血液検査だろうから、注射が苦手な事を除けば其処まで侵襲性はないし、遅刻せずに病院へ行ければ大丈夫だと思う。相変わらず採血が苦手なのに、毎年複数回の血液検査を自分から受けに行っている。いややっぱり、自分の健康状態は気になるじゃない。
この前たまたま急性膵炎の疑いで血液検査をした時は特に異常なしだった。検査項目にもよるんだろうけどね、筋トレし過ぎと云うのは精神科の主治医くらいかな。
明日行く病院のアレルギー検査は一週間くらいで結果が出るらしい。その辺りの休みで結果を聞きに行くことになると思う。とにかく、犬アレルギーだけは出ませんようにと願うしかないかな。
話は変わって、職場でのこと。
現時点だと納品日のゴミ捨ては私の仕事なのは前に書いたかな、売り場を離れてもあまり差しさわりの無いポジションだし、身体を動かすのも好きだから良い運動になると思ってゴミを出しに行ってる。で、何処の商業施設もそうなのか分からないんだけど、うちの職場のゴミ集積所には『主』みたいな人達がいて、彼等の指示通りにごみを分別して棄てないといけない。大体みんなお年寄りの男性で、契約している業者に滞りなくごみを預ける為に分別ルールには厳しいんだ。もしこっちがきちんと分別せずに好き勝手にゴミ出しをしたら怒られる彼等からすればまあ、当然なんだけどね。で、私はなるべく彼等の指示に従ってごみを分別して棄てている。解らなかったら素直に訊けば教えてくれるし、ぶっきらぼうな人が多いけどきちんと丁寧に向き合えば私にとって得なんだ。捨てるべき方法が分からないゴミほど邪魔なものはないから。
何人かいる『主』たちの指示を覚え書きとしてWordに打ち出して、職場に掲示してみたりもした(店長の許可も取った)。都度都度改訂もしてる。普段きちんと誠実に仕事をしていれば主たちは親切に接してもくれるし、お互いWinWinだ。一人で運ぶのが大変な時は手伝って貰えるし、時間があれば彼等の方から受け取りにも来てくれるようになった。最初の何も分からなかった頃を除けば、可愛がられてるんだろうなと思うくらい彼等は私に甘い所がある。私は元々声が大きくてはっきりしてるし、挨拶は人一倍きちんとするよう意識しているのもあってか、彼等は私の所属する店名を聞いただけで『少しだけ』甘めの対応をしてくれるし、さり気なく手伝ってくれるんだ。
真面目に誠実に仕事をするのは当たり前かもしれないけど、出来ている時ばかりとは限らない。でもなるべくそうしておこうと意識さえしておけば勝手に行動へ反映される。だからか、他の部署の人にも可愛がってもらえているらしい。皆優しいよ。解らないなら素直に質問するのも仕事の内なんだと思う。メモを取って次から出来るようにしておけば上出来だし、出来なくても『確認なんですけど』の前置きがあれば特に文句は言われない。
こういう姿勢を教えてくれたのは多分これまでの職場の人達なんだよね。辞めると決めた時は心が追い詰められてて省みる事も難しかったけど、あの人達のお陰もあって今の私が居るんだなって最近よく考える。そう言う意味では前職もその前の職場も大切だし、みんな元気にしていると良いなって思う。離れてみて初めて実感して感謝できるとか、子供みたいだけどね。
あの頃の私は社会に出たばかりで要領も悪くてミスばっかりだったけど、今はそれなりに褒められる仕事が出来るようになった。職場に欠かせない存在にはなれていると思う。だから全部に感謝なんだよね。
実はうちの職場、今求人募集をかけてるんだ。もしかしたら近いうちに後輩が出来るかもしれない。もしそうなったら、私も嘗ての先輩や上長たちみたいに出来るだろうか。なかなか難しい気もするけど、私は私なりに頑張って身につけた事を伝えるしか出来ないし、それで良いんだと思う。そんなに難しい事を任されているわけでもないしね。
兎に角人手が足りてないから、年齢とか性別にはこだわらず、それなりにやる気があればいいと思ってるよ。
▼2026/06/18:君と重ならない私のカタチ、はみ出るところは見逃して。
所謂発達特性の話。私は以前の病院で発達障害があるかないかを調べるテストを受けていて、その時は『どちらとも言えない、グレーゾーン』との診断だった。知能指数も平均のど真ん中だったし、発達の凸凹は有れど発達障害の診断を下す事は出来ないらしい。これは今の病院に移ってからも変わっていなくて、『非定型発達』との事だったけどあくまでもグレーゾーンだ。現在の診断基準で発達障害とされる人達も、真っ黒みたいな極端過ぎる人よりもグラデーションの中でも濃い方に居る人達が多いんだと思う。つまるところ私はかなり薄めのグレーなのかな。
でも最近、自分の特性を必死に抑えて仕事をしたり生活を送っている感覚が強まってる。相手の話を遮らずに聞いたり、意見を吸い上げたり、提案する時の口調に気を使ったり。私は元々言葉が鋭くなりすぎる性質だから、他の人よりも気を付けて話すべきという認識はある。仕事も接客販売だしね。
この所、自分を抑えきるのが大変だ。仕事場では抑え切れてるんだと思うけど、プライベートではかなり失敗してる。こっちがお客側になって買い物をしてる時とかはそれが顕著だ。気を抜いているというか、公私に応じてオンオフを区別しているという証かもしれない。
私には多動とか衝動性の強さ(思った事がすぐに口から出てしまう)、相手の考えている事を推測するのが難しい、他者の気持ちを理解するのが苦手、みたいな、ASDとADHD両方に見られやすい発達特性がある。これを自覚したから巧い事調節しながら生きてるわけだけど、所謂『普通の人』として生きる事に疲れているのかもしれない。仕事だとスイッチが切り換わるから無理にでも自分を抑えるけど、私生活でも或る程度は自分を抑えた方が得する場面が多かったりするじゃない? 其処に疲労感と言うか、虚しくなることがあるんだ。私は今本当に私なのか、疑問に感じる事がある。
『普通とされる人達』が『普通』に振る舞う方法みたいなものが分かったらいいのになって思う。マニュアルみたいに覚えておけば、今より幾らかは楽になるんじゃないかって思いが強い。
私みたいな人ってそんなに多くは無いのかな? それとも案外皆こんな感じに自分を抑えるのに苦労しているのか。最近は発達障害とされる人達が増えたって言うけど、診断基準が変わったり発達障害が認知された事で精神科を受診する人が増えたんだろうなって思う。
私の発達特性を抑えるお薬的な物は、現状相応しい物が無いと思ってる。私は日常生活を何とかおくれるレベルの症状しかないし、発達特性の所為で仕事に支障をきたしたりもしていない。ただ、凄く疲れるんだよね。普通の人に『擬態』するのが思いの外に上手かったもんだから、気付かれるまでも時間がかかったし。定型発達の人には簡単に出来てしまうことを、見様見真似で必死にどうにかしてる。一般の人と同じように出来る事は沢山ある方だと思う。でも同じくらい『出来るけどものすごく疲れる事』もある。
普通じゃなくちゃいけないって訳じゃない。でも社会で暮らしていく以上は『或る程度の普通』はどうしたって求められる。社会人になってからずっと障害者雇用で働いてきてるけど、それでも一定の成果は上げなくちゃいけない。おまけに私の障害は目に見えないし、先述の通り擬態がうますぎる傾向もある。だから余計に普通とされるゾーンからからはみ出してしまうと悪目立ちするんだ。
私は私として生まれてきて良かったし、楽しい人生だと思うけど、それでも『もしこの特性が無かったら、人生はもう少し楽だったのかな』って考えてしまう。考えたところで現実は変わらないんだけどね、意味もなく考えちゃうよ。
この前インターネットの診断で発達障害の可能性はあるのかって何度目かのテストをしてみた。両方とも可能性が高いって診断されたよ。自己判断だから恣意的な答えになってる可能性も充分に高いけどね。
生きている事が楽しいのに時々どうしようもなく苦しくて、その度に私がおかしいのかって疑問に感じる。こんなに幸せで楽しいのに、それを疑ってしまうのはどうしてなんだろう。考え込みやすいタイプなのは知ってる。『人は考える葦』って言うから『考えられる事自体』は悪くない要素なんだろうけどさ。
私が私として生きる事に納得したいんだなって感じる。産まれてきた事に意味を持たせたいんだろうか。でも意味が無くても生きたい理由は沢山あるよね。それだけじゃ充分じゃないのかな、今の私にとっては。
何でもない刺激に過敏に反応しちゃう時期なのかもしれない。ストレス耐性みたいなのは弱くないと思うけど、キャパシティ自体はそんなに大きくないから。昔から夏は苦手だ。苦手なのは、昼間の光が眩し過ぎるからかもしれない。夏の夜は涼しくて程良く明るいから、割と好きだけど。
発達特性によっては光や音が辛くなるってたまに聞く。加えて私は光が頭痛の元になりやすいから、それも関係してるかも。
自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたけど、今度の精神科の受診で主治医と話してみようかと思ってる。この内容を見せたらいいのかもしれない。後で体裁を整えてWordに打ち込もう。
▼2026/06/17:五線譜の上、いい加減踊り疲れた爪先
最近よく聴いている曲があるんだけど、今書いている小説のイメージ元になっているから久しぶりに音楽を購入してみた。執筆BGMにして連作を投稿してる。このブログでは私が今いるジャンルや界隈の話は敢えてしてきてないけれど、付き合いの長い人には結構バレバレなのかもしれないと思うと『そのまま黙って見守っててほしい』と願わざるを得ない。でもBGMにしてる曲の事だけなら語っても良いかな。語るほどの事でもないのかもしれないけど、此処って元々私の日記帳だからさ。今回発想元になった曲は雨良さんの『バゥムクゥヘン・エンドロゥル』って曲。聞いてみたらわかると思うんだけど、ベートーヴェンの第九『歓喜の歌』とかなり似ている、というよりもオマージュなんだと思う。元ネタがバレた時に作者が嬉しかったり「その通り!」ってなるのがオマージュで、元ネタを知った側が楽しめるのがパロディ、どっちも楽しくないのがパクりだと思ってるのは置いておいて。
この曲は初音ミクと重音テト、亞北ネルが使われた所謂ボカロ曲だ。この界隈にも親しんで長いけど、一度隆盛を極めたジャンルは趣向や構成の仕方を変えて生き残り続けるんだね。ベートーヴェンの第九も似ている所がある。日本人ってさ、有名なクラシック音楽にアレンジを加えた(ときにはおふざけも含む)曲を二次創作して楽しむのが好きだよね。
この曲を聴いて暫くして、以前此処にも書いた自作の短歌が頭上から降って来た。仕事の品出しをしてる時で、品出しに関してはあまり頭を使わなくても出来る仕事だから、別な事を考えている時も多い。何も考えない時もある。考えなくても手は動くから特に差し障りは無くて、でも仕事中だから作品の事を考えてばかりっていう訳でもない。ふっと何かの考えが途切れた瞬間に短歌の後半(五七五七七の七七部分)が降って来て受け止めた時に考えが脳内で小さくスパークした。パチッと、静電気くらいの強さで。
前から自作の短歌を元に小説を書いてみたいとは思ってた。でも意外と難しいんだね、短い音節に載せるのが大変でなかなか詠めなかった。でもその時急に『それでも種蒔く 冷え切った手』って現れた文章と決められた音節が重なってしまったから、逃すわけにはいかなかった。仕事終わりの地下鉄に揺られながら五つの短歌を詠んで、驚くほどスムーズに書けたのもあって執筆を決意する。其処からは少し時間が掛かっちゃったけど、今は連載の第二話を書き上げて投稿した所。
正直、人気は出ないと思ってる。でも不思議とそれで良いと思えた。感想がもらえたりイイネが貰えたらそりゃあ嬉しいんだけど、何だろう、他の人からの評価待ちの作品ではないらしいんだ。私の中ではね。
『バゥムクゥヘン・エンドロゥル』所謂『NTR』って言うジャンルを歌にしたものらしい。あまり下品なことは書きたくないけど、誰かの恋人を『寝取る(つまり浮気)』って言う言葉の頭文字をとっているらしい。今まで一度もモチーフにしてこなかったジャンルだ。
でも其処に人間ならではの悲哀とか、裏切られた被害者は被害者であり続ける必要もなくて、実は加害者たりうることもあるって感じのお話を執筆している。歌詞の最後に『アンタ等に贈るホコロビの歌』ってあるんだけど、これを巧い事作品に盛り込みたい。明日も休日だから執筆したいし、イメージイラストも本書きを始めたい。
やっぱり音楽は良いね。聴覚が過敏ゆえに無いと生きるのが本当に苦しくなるから、これからも自分の耳に良い音を聴き続けるんだろうね。そうしてまたネタを拾うと。
耳が良過ぎるのは問題だけど、案外武器になる。記憶力が強いのもそうだね。普通の人が覚えていない事柄を縫って繋ぐと、案外いい感じにデザインされた作品と言う名のパッチワークが出来上がる。
五感の一つが無くなったからこそ書ける小説って、聴覚を失っても曲を書き続けたベートーヴェンへの餞になったりしないかな。
▼2026/06/14:拍手お返事。
シロさんへ。こんばんは。お返事が遅くなってごめんなさい。ご家族の様子も知られて安心しました。入院の理由って患者自身以外の為も兼ねていたりしますよね。そう、人生の半分シロさんとお話しているという事に気付いて驚きました。私も本当に苦しい時、夜中とかに泣きながらこのブログに文を綴っている時があって、そんな記事に心配の声やコメントをくれる事に救われているから私も書いているという訳です。
このブログサイトの前身である『斜陽』を作った時はまだ未成年な上に入院中だったと思い出すなど。あの時の入院では身体じゅう骨折してるわガチ目に死にかけたわで両親には心配をかけてしまったなぁと申し訳ない限りですが、あの出来事が無かったら多分、別な意味でちゃんと生きて来られなかったかもしれないなと最近考えます。
誕生日おめでとうのコメントもありがとうございます。正確には8日が当日でした。書き方が良くなかったですね、申し訳ない。たまたま有給休暇を消化してほしいと言われていて、通院の関係上五連休だったんですよ。とても楽しかった。
私達って、時々は休みながらも結構頑張っているんじゃないかと思っています。人間と言う生き物である以上はそもそもが休息が必要ですし、それがシロさんにとって最適に近い形での休息になってたらいいんじゃないですかね。私も家では何もせずにカーペットの上で転がって犬の動画や猫の動画を見てたりします。普段はエネルギッシュと評されがちですが、仕事中の仮面が外れたら案外ダウナー気味に生きてますよ。皆或る程度はそうなんじゃないかな。
シロさんも家の事とか育てている植物とか動物さん達のお世話もしてきているわけだし、何にもしていないというのは違うかなと思う。
それと、夜食は私も長期にわたって辞めるのは本当に難しい。前に書いてましたよね、『お夕飯でそれなりにカロリーを取っている筈なのに、夜中には何かを食べたくなる』みたいな話。私もそれに当て嵌まるので、どうしたらいいんでしょうね。私はチャッピーと相談して『素焼きアーモンドを10〜15粒』なら食べて良い事にしてます。でもそう言う時に本当に食べたいのは別の物と言うか、もっとハイカロリーなものだったりする。
ああいう時、私は『身体』が食べたいと感じているのではなく『心』が欲しがってると思っています。エモーショナルイーティングって言うらしいけど、『満足したい!』って感情由来の心の食欲。でもそれに任せず堪えられた時もあったのになぁ…と自分の意志の弱さに嫌になりそうになったり、でも本当に心が駄目になりそうだったら限定的に許したりしています(摂取カロリーを200キロカロリー以下にするとか)。
前にも書いたと思うんですけど、私は本当に心が苦しくなるとあばら骨の間がすかすかするんです。そうなって来ちゃうといよいよもって眠れないし、何も手に着かないまま延々と音楽を聴いてパソコンの前で絶望したみたいな心地になります。ああいう時は家族にも本音を言えなかったりするんですよね。家族だから言えないのかもしれない。大体は不穏な事を調べたり書いたりしてるけど、それに加えて食べる事もしなかったら、私はどうなるんだろう。壊れない為に、無意識に生きるための行動をとってるのかな。でも同時に自分を傷つけていたりもするから厄介ですね。皆しあわせに生きられたらいいと思うのに、明日をより良くはしないだろう行動をとってしまうのが人間のバグなのかなってよく考えます。
明日に希望が無いように思えてもまだそれは未然形だから、案外何かの拍子に風向きが変わるかもしれません。取り敢えずぼちぼち生きていきましょう。私にとっては生きてるだけで致命傷だけど、死ぬ事以外はかすり傷みたいだから。