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▼2025/10/30:衝動を継続する、寧ろそれは熟考か?

気付けば今年もあと二ヶ月らしい。早いと感じると同時に『まだ今の職場に来て半年も経ってないのか』とも思う。今日も可愛いトイプードルがご来店して、3匹仲良くわちゃわちゃしているのが見ていて非常に癒しだった。今日は全体的にゆるっとした空気感の店だったが、或る程度は緩急つけられる方がメリハリが利いていて良い、のだろうか。
うちの店長はシフトを組むのがあまり上手ではないので時々『無茶だろ…』となる時間帯が発生するんだけど、これって何処の企業にも幾らかは発生するタイプの困り事な気がする。何でこんな時に限って二人シフトなんだとか、肝心な時にいっつも居ないよなあの人、とか思う事は色々あれど、それだけで上長を軽んじるのは大人としてしてはいけない事なので或る程度は飲み込んでいる。
まあそれでも仕事は毎日楽しいし遣り甲斐もそれなりに在るし、プライベートを優先できる立ち位置はやりやすい。私は今、プライベートを豊かにする為に仕事をしていると言い切れる。

で、タイトルにもかかる『継続』の話。
思えば昔から飽きっぽい方だと思う。思い付きで行動してはうまくいかないとか自分に合わないと感じる物からは直ぐに興味が離れてきた。なのに少し前から『継続力がある』『よく続くね』と言う評価を得るようになってきた。顔の体操とか、筋トレ含む運動とか、お弁当作りとか。まあ全部自分に利益が大きいからやってると同時に『やっていて楽しいから』なんだけど。お弁当作りに関しては『節約になる』『料理は元々趣味』『お弁当を手作りしている人への憧れを充たせる』が上がるし、顔の体操は『やっていると顔の緊張がほぐれて笑顔に自信が付く』『気づけばほうれい線が殆ど無い』『小顔になれる』が上がる。運動に関しては『やっているとストレスを解消できる』『痩せられる』『汗をかくと美肌になれる』と、『筋トレしていると心が強くなる』『暴力isパワー=気に入らないお客は脳内でぶっ飛ばせる』とか、沢山あるから続いてるんだと思う。
思い付きでやってみたい事の比較的多くが自分にとって利益の高いものだから続いているのと、継続力があると評される状態はイコールではないけど、ニアリーイコールくらいの関係性はありそう。それとも自分に利益がありそうだからやってみたいとなるのか。
今日もやりたい事の為の物が届いたよ。Instagramで見かけた、ロルバーンのノートのリングを外して表紙にカバーをかけてバインダーに仕込んで、システム手帳として使うって奴。去年くらいからシール帳を持つことが流行してるらしくて、可愛いバインダーが沢山あって驚いた。透明カバーにラメが散った可愛い物を購入できたし、ロルバーン公式のチャームも購入して書く気満々。書く事は前にやってたのとかなり似てるけど、毎日書くんじゃなくて自分の文字で書きたい事が出来た時、記録をつけたい事の数値とかをつけようと思う。デコるのも無理なくって言うか、そもそも趣味って無理にするものじゃないんだよね。
健康診断で要注意って言う数値が一つだけ出ちゃって、そろそろ本格的に体調管理をしないといけない事もあったからこれをやろうと思い立った。主に運動の記録と体重の記録、ただ体重に関しては私の場合毎日やっちゃうと逆に病むから月一かな。現在は運動は大体週5を目安にしてる。これは前と一緒なんだけど、兎に角『取り組む事』に重点を置いてカロリーを消費出来て長く続く事なら何でも良い事にした。此処に書いてないのだと腰振り運動かな。腰を左右にリズミカルにスイングするだけなのに腰回りが変わるから驚いた。これを始めに持って来て好きな歌を聴きながら口パクしていると、その後の運動も楽しくてあっという間に終わる。おすすめはShadrowのNever be aloneとクリーピーナッツの「BBBB」。テンポが速い曲の方が乗れて良いと思う。これを10〜15分やって、その後踏み台昇降を20〜30分すると私の場合は良い感じ。休みの日はこれの前に筋トレを20分やるのが一番楽しいし汗をかいた状態でお風呂へドボン出来る。お風呂に入る前の時間がストレス解消に大切だって気づいた。この時間にやっておきたい事が出来ると一日の充実度が違う。

ちなみに、地味に続いてるデュオリンゴはもう少しで一年続いていることになるらしい。これはやっていて楽しいのと、他人からの評価が上がるって言う利益があるから続いてる。結局の所読みたかった作品は購入してないし、英語の資格取得とかもしてないんだけど、何だかんだ続いてるあたり、私は英語の勉強が好きらしい。やっぱり出来るとかっこいいじゃん。外国の人に声をかけられても怖くないし。発音は完全にカタカナだけど、向こうからすると英語を喋れるロリータの女の子ってだけでCool!らしいから。ロリータだとたまに声をかけられるんだよね。日本人からも結構褒められる。年配の女性からのウケが特に良いし、小さな女の子とか、こう言うお洋服が好きな人が身近にいる人からも声をかけられてる。
外見にこだわりすぎる傾向はまだあると思う。でも自信がついたからコントロールも利くようになってきた。私はこんなに可愛くなれるんだから大丈夫だって。その自信を守るために運動とかスキンケアも頑張ろうと思える。
前に自分が常に自分じゃないみたいな事を書いたけど、いっそ自分の中に役を幾つも用意して演じ分けるのも悪くないかなって思い始めた。TPOを守る事にもなると思うし。
疲れない範囲で、色々と楽しんで行こう。時々家に引きこもって好きなものに囲まれる時間も忘れずに。


▼2025/10/24:爪で突き刺すのか、鉛で撃ち抜くのか。

私が住んでいる地域のお話をします。ご存じの方も多いと思いますが、北海道に住んで十年以上です。産まれた場所も北海道なので、一度本州にすむまでの期間も換算すれば二十年以上北海道で暮らしています。ちなみに生まれて直ぐ引っ越した札幌市の南区は、政令指定都市にしては緑あふれる自然豊かな地域。よく遊んだ公園には美味しい実のなる気が沢山生えていて、桑とか木苺の実を頬張る事が楽しみの一つでした。胡桃やどんぐりの木も沢山生えていたし、大和公園の緑が繋がっている場所も多かった。つまり、今のご時世的に近づかない方が良い場所の一つと言えます。今は別の区に住んでいるので登下校が山登りとかは無いんですけど、うちの区でも場所によっては(結構広い区なので)クマさんがバンバン目撃されているし何なら今日は猟友会の皆さんが発砲に至ったそうです。

めっちゃ怖い。

私、小学生の頃に社会科見学で博物館に行って羆に襲われて生還できた人の写真をモザイクなしに見せられたことがありまして。ご想像通り酷い損傷を負ったその方は片目を失明したとの事で、担任は彼の言葉を読み上げましたがあれって、低学年の子供に聞かせても良い内容だったんだろうか。モザイクなしだから傷の具合も鮮明に覚えておりまして割とトラウマです。うちの担任、今思うと少し変わったタイプだったように思います。終戦記念日の話とか空襲で爆撃の被害に遭った人が、敗れた自分の腹の内臓を如何にか元に戻そうとしても戻らないとか、君が代は歌わない方が良いとか(天皇制を廃止すべきとよく言っていましたね)、国旗掲揚はすべきじゃないとか、原爆はアメリカの大犯罪とか、割りと左寄りの人だったんだと今なら思います。

話をクマさんに戻しましょう。
私は幼少期裏がガチの山な一軒家に住んでいました。山は本当にガチの山で、家の前の傾斜がソリ遊びに使えるレベルの急な斜面がある地域です。比較的富裕層の多い地域だったらしいんですけれど、まあどっちみち山がすぐそばで自然が超豊かでした。木苺を積んでジャムが作れるし、胡桃を拾ってお菓子に入れられるし、蓬を積んで草餅が作れるし、栗の木から実を落として栗羊羹が作れる環境、と書くと楽しそうだし実際楽しかったんですが、先述の通りクマの恐ろしさを知ってからは毎晩クマが裏山から降りてこないか心配になり、親と一緒じゃないと眠れなくなりました。親と山の付近で遊ぶ際にはラジオを流していました。
今思うとクマに対する正しい怖がり方を知れたのは良かったんですけど、若干担任の思想が激しめだったように感じます。あの頃は多かったみたいですけど。

うちの区の山に近い方面、毎日ニュースで見るんですよね。羆目撃情報とか発砲許可とか、避難警報とか。実家は隣の区に在るんですが、実家のある区にも羆はのそのそと現れているみたいで、車にはねられても普通に動けるそうで(車は被害を負います)、じゃあもう一般市民はどうしたらええねんって感じです。
そして、遂にこの秋のコートで外出+初雪の報道も見たのでまたこの季節が来てしまったなぁと思うしか出来ない。来年の手帳を買ったんですが、今回はかなりラブリーな見た目の物にしました。本格的にロリータに舞い戻ったのでそんな感じのを購入。後でInstagramに載せます。

夏場にロリータを着ていると真面目に熱中症の心配がありますが、これからの季節はロリータに優しい。パニエを何枚着込んでも暑くないし、タイツを履いてもニーハイソックスを重ねても問題なし。ドロワーズも重ねたい所です。来月になったら購入する心算のロリータのお洋服があるんですが、秋冬と言えばタータン模様ですよね、って感じのを買います。今月はロリータに必須なアイテムの一つであるパニエを新調しました。
基本的に休日以外はカジュアルに過ごしているので『ロリータである意識』的な物はそんなに無いのが現状です。今だとロリータ以外に可愛い物も沢山あるし。地雷系も好きだし量産系も好き。一時はスナイデルっぽかったり、カントリーっぽい時期もあった。レースとかフリルとかリボンに弱いのは幼少期から変わらないのですが。
最近だと子供服のメゾピアノとかシャーリーテンプルに憧れる事も多いです。小さい頃はあんなお洋服着る機会もなかったし。あのテイストのまま大人サイズで作ってくれないかなと思う事多々です。
多分この趣味のお陰で整容とか美容の習慣がついたんだろうな、とよく思います。どんなに疲れていてもメイク落としと洗顔は欠かさないし、スキンケアとか歯磨きもやらないと後が怖い。出来れば洗髪も毎日した方が良いし、身体を洗うのも同じく。
セルフネグレクトと言う言葉を聞くようになって久しいですが、初めから見た眼にこだわる趣味があると予防にはなるんだなって。だからロリータに目覚めて良かったなぁと思うことしきり。今年も残り少なくなりつつありますが、あと何キロ体重が落とせるのか、頑張ってみようと思います。


▼2025/10/23:織り上がるタータン、ベロアのリボンを結ぼう

下の記事が不穏すぎるね。たまに訪れる鬱な時間に書いてしまった。鬱な時間もそう長くは続かないのが私の症状なんだけど。
病名が変わるかもしれないという話を以前書いたのが、多分本当になりつつある。ただ名前が変わったとて症状に変わりはないし投薬内容にも変更が無いから何の意味があるのかって、私の中の納得値の問題以外特にないと思う。今の主治医がきちんと私と対話して病気と向き合ってくれる人なのもあって、彼に『病名は病名でしかない』っていう、文字にすると意味が分かり辛い言説もスッと入った。名前が変わっても中身が変わらないならラベルの貼り替え作業でしかないからね。
昨日友人と会って話したんだけど、私は大分幸運な人間らしい。病院にせよ相談室にせよ就労移行支援にしろ、大体のサービスに容易にアクセスできるかお膳立てして貰えたし、大抵の担当者とは気が合った。私自身が来るものを拒まないタイプなのもあってか気に入られる事も得意だ。良くない言い方をすると『気に入られるように振る舞える要支援者』って事。お互いに求められる返事を出来るから会話って進むじゃない。日本語を話しているのに日本語を理解していない人って結構居るから、言葉を使うのが上手な私は比較的有利なんだと思う。
自分の思いを言語化するのが習慣になって結構経つ。意見を求められたり、仕事のセミナーでの質疑応答でも挙手したりするのも苦手じゃない。自分の言いたい事を巧いこと伝える為の言葉を探す作業が好きだ。
友人は専門学校からの一番古いリアルでの友人で、私も彼女も家族に色々と事情を抱えてる。私は実父がああだし、彼女はお兄さんが多動の診断を受けているらしい。んで、今就労の事で悩んでる。お兄さんはある障碍者就労施設で働いてるんだけど、周囲の他の障害者の人達とぶつかることが多いんだって。話を聞いてると私にも身に覚えがあるタイプの言動をしているそうで、昔の私が嫌われていた(今がそうじゃないかって言われたら自信はない)原因に心当たりがあるなとか、私もそこで躓いたなとか感じて、支援の介入する余地は結構ありそうだった。ただ、なかなか良い支援機関に繋がれないらしい。一応『強制はしないよ』と前提を述べた上で私の言ってた就労移行支援を紹介だけして置いた。
今って色んなサービスが形だけは存在するのに質に差がありまくりだから、こういうミスマッチが起きるんだろうな。お兄さんの話を聞いてると、過去私が関わった人達の言動も思い出した。言っている事は決して間違いじゃないのに、言い方の問題で周囲とぶつかる人って結構居るじゃない。そんな感じ。自分の中の感情をそのまま言葉にしてしまったり、それを言ったら相手がどう思うのか想像するのが難しいし、何で駄目なのか、嫌なのかを察するのが苦手だから教えて欲しいのに、教えてもらえないから周囲との溝が深くなる。私がお兄さんと一緒に働いているなら似たような特性持ちからアドバイスできるかもしれないけど、それが望まれるとも限らないしね。
この前主治医から『本音と建て前を巧く使おう』『誰も傷付けない嘘は積極的についた方が良い』みたいなアドバイスを貰ったと書いたね。私がそれを実行できるのは、或る程度コミュニケーションで失敗を繰り返したからなんだ。そして、その失敗を責めずに改善する方法を考えたり教えてくれた人たちと繋がれたから。
其処が幸運だと感じる要因だし、素直に聞き入れる事が出来るのは長所の一つらしい(学生時代の成績表参照)。
去年の今頃に書いた覚えがある話もした。非定型発達の人間は、一般的な健常者の人よりも脳が出来上がるスピードが遅いってやつ。私の場合、32歳を過ぎてから急に楽になった。その辺りで脳が完成したのか、考え方の癖とか認知が歪む原因を何となく理解して察知できるようになった。
この話を教えてくれたのも今の主治医だ。カウンセリングを受けられる病院に移れた事も功を奏して今は大分安定した。今日も精神科の診察で、ずっと感じてきた解離の症状を少しづつ治療していくことになりそう。常に自分じゃない自分で居る感覚の根っこにある『もう一人の自分に押し付けてきた傷を受け取る事』はもう出来た訳だから、これからもう一人の自分と私を統合していくらしい。でも、それをするのは少し怖くもある。それが出来たとして、今の私はどうなるんだろう。違う人格になってしまわないか、怖い。過去の忘れていたトラウマが復活しないかも怖い。勿論先生は無理強いはしないと思う。けど、もしも今の調子が良くなってきた私のペースが乱れる様な事が起きたらどうなるのか予測できない。下の記事に書いた事と矛盾するけど、私は今全く死にたくない。死んだら何も出来ないんだから。やりたい事が沢山ある。作りたい物も沢山ある。現状が良い方向性ならトラウマに見て見ぬふりをするのと、とことんまで向き合って治療していく(多少の痛みや苦しみは伴っても)のと、どっちが正しいんだろうか。適しているんだろうか。

これ以上苦しみたくない。と言うのは昔から変わらない。でも、必要な苦しみがあるんだとしたら。
これは甘えだろうか。甘ったれてたとしても、私は余計な痛みや苦しみは負いたくない。見て見ぬ振りも処世術だし。こんな風に考えている時の私は本当の私だろうか?


▼2025/10/21:私は決定的に何かが過剰で、別の何かが足りない

自殺する事罪とする宗教ってあるじゃないですか。よく友人知人に『死にたいんだ』って打ち明けられて同様のあまり『そんなの駄目だよ!』と言い切っちゃう人も居るじゃないですか。これも良く聞くんですが

『貴方が死にたいと思った一日は、生きたかった人がどうしても生きられなかった一日』

みたいな言説、あるじゃないですか。さっきたまたまスピリチュアル系の動画を流し見してたら『なぜ自殺はいけないのか』って言う内容で。『周囲が悲しむ』とか『家族への思いやりが無い』とか『死んだ後の貴方を見つけてトラウマになる人も居る』などなど自殺を否定する言説ばかり溢れてて、嘗て本気で消えようとしていた身からすると、随分と的外れなアドバイスだと思うんですよね。死にたいくらい苦しんでいる人自体を救うんじゃない、自分の言葉で誰かが死なない選択を取るのは良い事だと思ってるから。
本気で死にたい人ってね、全部がどうでもよくなってる事も多いんですよ。寄り添っている心算だった周囲に傷付けられ続けた結果だったとして、その人たちに『死ぬな』って言われても多分響かないですよね。響かない人からすると『貴方達は善人で居たいだけでしょ』と言う問いしかない。
私の自殺の目的は『生きているのが辛いから』と言うより自分と言う存在をぞんざいに扱い続けてきた周囲への『復讐』なんですよね。私はお前達に傷続けられ過ぎて、その上頓珍漢なアドバイスまで寄越して。殺人者と何ら変わらないじゃないかと言う思いを認めて遺書にして、命を対価に世界へ復讐する心算だったんです。私の死体はお前たちの罪の証拠だよって示したかった。お前達が私を殺したんだと主張するためのツールでしかない。
私が今生きているのは多分たまたまの幸運と言うやつで、若しかしたらもうこの世に居なかったかもしれない。もし遂行出来ていたら、私の魂は何処にも行けないし、行く前に消滅するんだと思う。自殺したら地獄行きとか関係ないよ。傷つけられ続けた人が誰も傷付けずに消えるのに迎えない天国なんて要らない。




▼2025/10/20:狭間に居る、何方の岸辺へ上がるべきか

Instagramに載せた鞄について、と言うか、趣味で行なっている手芸全般に言える事なんだけど、私は型紙を創作することがかなり不得意だ。頭の中で『こんなものを作りたい』と思い立ったとして、材料を購入する前に一度近い形の物の作り方をネットで調べるプロセスを踏む。材料の布やレースは大体が量り売りだし、その他の部分も或る程度のサイズは頭に入れておく必要がある。入れておかないと何をどのくらい購入すべきか分からないからだ。
作り方が見えて来たら脳内でどんな形の布が必要かなどを考えつつメモを作る。今回の鞄なら表布と裏布、肩にかける為のベルト、キーホルダーをつける部分の紐、飾りのチュールとレースとリボン。イメージを実際に紙に起こす事はほぼしなくて、若しかしたらやった方が良いのかもしれないけどいつもぶっつけ本番で作っている。で、型紙が必要なら書き起こすプロセスがある筈なんだけど、私の場合立体を平面にしてそれを紙に起こすのがとても苦手だ。今回も荷物に入れるだろう物のサイズに合わせて測ってはいるものの、直線縫いばかりだからと型紙を起こす事はせず
フィーリングで製作したというのが正直なところだ。
多分本当は脳内に型紙らしきものがある筈で、でもそれを紙にアウトプットするのが苦手過ぎる。お人形の洋服とかは予め元にしたデザインに幾らか書き足したりして型紙を作れるんだけど、一から創造して型紙に起こすのは難しい。洋服を作る時にスポットライトが当たりやすいのは多分デザイナーが一番に上がると思う、けど、彼等彼女等がデザインした洋服が作れるのはパタンナーと言う型紙に起こす人が居るからだ。平面で描かれたデザイン画を元に立体と平面を行き来しながら実際のシルエットを描いて行ける才能、とても羨ましい。私は空間や図形の認知が得意なのに、それをアウトプットするのは不得意だ。最近そう考えが至ってインテリアコーディネーターの二次試験に不合格だった理由のひとつがなんとなく見えてきた。
脳内に素敵なアイディアがあったとして、それを紙に起こせない場面もあるって事だと思う。私はイメージ自体は得意でも、その他の部分で実力が足りなかった。きちんと勉強していた心算でも足りない部分が補えていなかったんだと思う。線の引き方や色の付け方には自信がある。観察も得意。でも数字とか正確性とかはかなり弱い。三角スケールって言う定規みたいな道具があるんだけどさ、1センチに見える目盛りが1メートルに相当する、みたいな大きな物を小さく描くためのツールなの。私はあれを使いこなせなかった。思えば漫画を描いていた頃も背景がものすごく苦手だった。細かく描き込める同級生に尊敬の念を抱いて仕方ないくらい。結局の所私の画力には足りない部分が多過ぎて、それを補えるほどには情熱が無かったのかもしれない。もっともっと勉強して、見て、描いてを繰り返す事が嫌になったんだろう。でも二年間全力で頑張らないと見えてこなかった事実だから、無駄ではなかったと感じる。得意を伸ばそうとか、好きなもので食べていこうとか、色んな理由で創作者を目指していた人達と知り合えて自分の身の程をいい意味で知れたと思う。
で、最初の話に戻るんだけど、発想はきっと豊かなんだよね。だからアイディアはどんどん湧いて来る。一方で単純作業は大好きだから只管手を動かして縫うプロセスも好き。これらの間に在る『アイディアをラフにでも良いから書き起こす』のが苦手なんだ。まどろっこしくてそれをする前に布を切ったり縫い始めちゃう。これが趣味だからまだいいけど、仕事にしてたら大変だったろうな、とも思う。
元になるものを改良するのは得意なんだけど、0から1にする少し前が苦手なんだろう。絵を描いている時もラフ画を描く事は少ないし、小説でもプロットは練らない。漫画もネームを切るのが苦手だった。多分これらに繋がっている形で、型紙に起こすのが苦手なんだなって最近思った。だから何だという話なんだけど、得意不得意が見えるまでやり続けられる事は長所と言ってもいいのかもしれない。英語もそう。相変わらず発音がカタカナ過ぎて嫌になるけどこれもやってみないと分からない事の一つだったし、勉強し続けてたら苦手だったはずの文法は得意になって来た。最近だと英作文を求められる事があるんだけど、些細なミスなら減点にならないみたいで程良く楽しんで勉強できる。元々得意な暗記を活かして単語をどんどん覚えれば語彙力が付くし、元々知っていた外来語の仲間に見える単語を知ると色んな情報の解像度が上がって面白い。
苦手だと思ってる事でも或る程度やり続ければ得意にはならなくても不得意のままじゃないかもしれないから、明日からは少しだけ型紙を起こす意識を持ってみようかな。大の苦手だった電話応対も自信がついたみたいに出来るようになるかもしれないし、ならないかもしれない。でもやらないと何も分からないままだからやってみる、って言う心理的なフットワークの軽さは保っておきたいなぁと思う出来事が日常に溢れてる。
勿論苦手な事より得意な事を磨き上げるのも良い。私は苦手だからこそ少しだけ触れてみる好奇心みたいなのがあるからこうする、って言う選択をする事を、此処に宣言したかった。


▼2025/10/19:それが大人になった証なら、まあ。

Windows11へのアップデートを遅ればせながら行った。一人でやり切ったのは褒められていいと思う。誰にも頼れない代わりにスマートフォンとインターネットの集合知にはかなり助けられた。結果、三時間半の戦いに勝利した。
戦いと言えば、今年は初めてジルスチュアートビューティーのクリスマスコフレを購入することにしたのでそちらでも戦いを繰り広げてきた。仕事と同じくらい朝早く起きて準備して、まずは百貨店のホームページで整理券(購入の確約ではない)を取得し、現地に向かって並び、購入予約(こちらは確約)をする。思ったより難しくない戦いではあったが、思ったより手順は多かった。
今回のクリスマスコフレはとことんまで私の好みの色味の物ばかりがセットされていて、ポーチは言うまでもなく可愛い。アイライナーの色味も可愛いし使いやすそうだし、アイパレットの中身も捨て色が無い。強いて言うならハイライトを使う際は少々テクニックが必要そうなくらい。おまけに11月になったら発売される限定品のチークも可愛いのでほしいし、モチーフはコフレと同じリボン。この歳になって可愛らしいものがますます好きになっている。何だろうね、或る種諦めがついたというべきかいい意味で『私は変われないんだな』と腑に落ちたと言うか。どんなに歳を取っても可愛い物が好きで、それに似合う女性で居られるように努力したいと思ってて、一定の結果は得られている。目元の小じわとか毛穴の開きとか、気になる事はあるけど可愛く在れるように努力している自分が一番自然に感じる。

まあ、可愛いにも色々あると思う。私の思う可愛さがイコールで他の人の思う可愛さではない。ファッションだけでなく好きな人物の何処を可愛いと感じるかって、人によって結構違うと思う。私によくあるタイプだと『このおじいちゃん素直じゃない所が逆に可愛いな』とか『このおじさん、休日に縁側でお茶飲みながら猫を膝にのっけてそうで可愛いな』とか本来の可愛らしさとは少しベクトルの違う可愛さを見つけることが度々ある。芸能人相手なら割りと分かってくれる人も多いんじゃないかと思うんだけど、一般人相手(主に職場で関わる人)だと理解しにくいだろうから口に出さない事が多い。
私のドール趣味に関しても似たようなものだと思う。ドール趣味を持たない人からするとリアルすぎる(ドールアイが入っている子達とか)ドールは怖いと感じる事も多いらしい。ぬい活が盛んな一方、ドル活は少々ハードルが高いのだろう。初期投資も高額だったりするし。私はドールを連れて出掛けて一緒に写真を撮ったり話しかけるのが好きなんだけど、写真は兎も角腕に抱っこして歩いていると周囲からの視線が痛い。時々話しかけていると周囲からはヤバい人扱いだ。まあマナーの観点からしてもあまり宜しくないのでやらない事にしている。しかしどっちみち透明なバッグに入れて持ち運んでるので怖いと感じる人はいるかもしれない。
現在私の家に居るドール達は皆安価な子達だけれど、自分でメイクを施したりお洋服を誂えているので時間はかかっている。お人形の服はあっという間に出来上がる事もあれば、作りたいデザインにするにはどんな型紙にすればいいのだと格闘することもしばしばある。今年の米津さんのライブ用に家の長女ドールに誂えたお洋服は私とお揃いだったのだが、襟の部分がまあまあ大変だった。最終的にはとても良い出来になったので良かったが、私は本当に手先が不器用なんだろうか。職センで受けた検査結果だと空間や図形の認知能力が高いからカバーされているらしいが、だからって平均をあそこまで下回るとは思わないだろう。
この前仕事用の鞄を製作したんだけれど(Instagramに載せてる)、今回も型紙を引いていない。鞄に関してはほぼほぼ直線縫いしかないので型紙を引くのが面倒に感じられてしまい、大体このくらいの大きさだというのが判ったらダイレクトに布をカットして縫い始めた。結果成功しているので良しとしている。かなり大雑把な人間だと自覚しているのでこのやり方に落ち着いてしまった。

そろそろうちの子達に秋冬のお洋服を誂えたいところだ。長男に関してはほとんどお洋服を作れていないので優先順位が最も上なのは彼である。まずは長袖のシャツにリボンタイを誂えたい。それとジャケット。この前とても良さげな生地が手に入ったので次の連休には着手しよう。セットアップも良いんじゃないかと感じる。秋冬物のお洋服ならではの楽しみの一つだ。
末っ子の三女にも秋冬物が必要だから、まずはワンピースを作ってあげたい。ヨークワンピースが良いな。タータンチェックの生地でヨーク部分は生成り色にしたい。二女にはこの前可愛いお靴を見つけたのでそれに似合うちょっと地雷系の物を着せたら可愛いと思う。長女は前に購入したゴスロリ衣装を着せて、ガチャガチャで手に入れたミニチュアの鞄を合わせて写真を撮ろう。地雷系もゴスロリも可愛いの極みだし、小物もそろそろ増やしていきたい。が、収納が足りないので早く独り暮らしをしてドール専用のコーナーを作りたい。多分これは私にとっての推し活だ。


▼2025/10/16:無くなっちゃえばいいと思うよ、誰からも望まれてない

まあ広告の事なんですけど。
無料でサービスを利用していると現れる広告を見る度に『この広告の製品だけは使うまい』と強く決心してしまうから、逆効果な気がする。もう少しうるさくないタイプにしてくれないとそのサービス自体を使いたくなくなる。プレミアム会員になればいいんだろうけど、そのお金があればいいランチとか行けるんじゃないかって思って、結局そのまま無料会員で居たりする。ちなみにYoutubeの事です。まだデュオリンゴの方が広告は少ないんじゃないか。使いたい機能が使えるようになるならまだ考えるんだけど、動画が良い所なのに何回も広告が入ると、そもそも見るのを辞めてしまう。これが繰り返されたらユーザーが減るんじゃないかなと思ってしまう。
今の所私が課金をしているのは某創作SNSだけだ。それは使いたい機能を使う為に登録したもので、コーヒーを一杯飲むくらいの料金しか掛からないから課金した。いずれデュオリンゴにも課金したいと考えてるけど、自分にとってメリットのある課金以外はしなくていい、と思うけど、つい「広告ウザいなぁ」と最近よく考える。


▼2025/10/14:我を失う想いを辿る、首を絞める指は爪から冷えていた

暫く小説じゃなくて別の創作行為に力を注いでた。お陰様で可愛く丈夫な造りで完成したのはお弁当諸々を入れるバッグ。職場に持っていく為に、自分のわがままを全部満たせるデザインで手縫いで仕上げた。職場のIDや必要なものを総て取り出しやすい位置に収納出来て、洗濯した制服を収納するスペースも取ったしキーホルダーを吊るすタグもつけたし、使用したのは有名なロリータモデルさん監修の生地だから可愛さも抜群。安売りしていた端切れのレースとベロアリボンで飾り付けたのもお気に入りなポイントで、今回はきちんとファスナーも付けたからこれからの季節も安心、と言う仕様。あとでInstagramにも載せよう。
相変わらず手縫いで仕上げてるから一週間くらいかかったけど、ミシンがあったら三日もかからずに完成してる可能性はある。自分でも意味分からないときあるもん、何でこれを手縫いで作ろうと思ったんだって。本返し縫いって手間がかかるよね。そんで、買えばすぐに使えるのに敢えて手作りしてるのが私の変態っぷりを表してるな。まあ自分で作った方が安上がりだからなんだけど。私が思うようなデザインの手頃なバッグがこの世に存在しないんだよね。仕方ないよね。
たまたま家庭科の成績が良かったからこうなんだろう。無いなら誰かに頼むんじゃなくて自分で作ろうとなる。そう言えばドールを作ろうと思ったのもこんな切っ掛けだ。自分が思う通りのドールがこの世にまだいなかったから『じゃあ作っちゃえ』となって作ったんだった。
前に知り合いに言われたんだけど、普通は一回そこで諦めるらしい。私の場合、諦める前に一回『どうにか作れないか?』って考えるフェーズが入る。で、作れちゃう場合がこれまでの人生で割と多かった。ドールを持ち運びする時のバッグも自分で作っちゃうし、お洋服なんてもっと簡単に作れるし、ドール本体の材料は割と簡単に手に入るしでこれは『沼』だと思った。多少手先が使えるなら幾らでも楽しめる世界に踏み込んでしまった。
元々ロリータだから可愛い物もお人形も好きだし、ロリータの人には手先が器用な人が多いみたいだから親和性が高い。今は全然やらなくなったけど、私セルフネイルも趣味だったんだよな。細かい作業が嫌いなわけないんだよね。絵を描くのが好きなのもそうだけど。ちまちました作業が好きだし、糸が絡んだくらいじゃ苛つかないから無言で何日も針を動かしてる。全部自分の制御下で行なえる作業って心が整うから好きなんだろうな。創作する人ってそう言う一面があるんじゃないかと少し前から思ってる。
一段落したし、来月は推しカプの右の子が誕生日だからそろそろ小説の方も進めたい。この前米津さんの新曲を聴いてたら取り入れたい描写が浮かんだから組み込んで書きたい。久しぶりにエロも組み込んで2万字超えしたい。今のジャンルに来て結構経つのにネタが途切れないお陰でフォロワーがちょいちょい増えてるのも嬉しい。多分暫くはこのジャンルから動かないと思うし、何なら骨をうずめる可能性すらある。何でこんなに好きなんだろうって不思議だけど、好きなものに理由ってそんなに無いから問う事すら無意味かも。取り敢えず書きたいから書くし、書き続ける。
もう来年の話を日常的にするようになって、ああ、来年の今頃私は一人暮らしの準備で忙しいのかって考えると時間の進行速度が日毎に速まってるなぁと思わずにはいられない。取り敢えず大晦日と元日は働く心算で居る。手当が出るって訳ではないけど、その代わり二日以降に初売りを楽しめるシフトにして貰う。冬物のロリータも欲しいんだよね。タータン模様とかファーコートとか欲しい。こんな感じだと貯金が厳しいのが悩みではある。ボーナスはあるみたいだけど。可愛くいるのにもお金がかかるから、取り敢えず新しい業務をちょっとずつでも覚えて収入を増やそう。多分来月からレジを習えそうだし。上が慎重だから(有難い事だけど)かなりのんびりペースの仕事なんだよね。出来ない方がストレスな事も多いから教えて欲しい。接客力があると余計にそう感じるんだ。この前も英語でお客様対応したし、聴覚障害がある人の対応もしたし電話対応も毎日やってるよ。出来る事と出来ない(習ってない)仕事の差が激しい、と書くと発達の凸凹みたいだね。


▼2025/10/14:終わった季節に居る君と生きる、行く末は考えないまま

『光が死んだ夏』、買って読んでみた。結構面白いし日本の古き良きホラーって言うテイストで良い感じにぞくぞくする気持ち悪さがある。夏の不快な温度と湿度と、相反する冷たい感触は有機的で生きている@竄スさと言うか。音の表現が書き文字じゃないのも面白いし、それが作品に合ってるなと感じたから来月も続きを購入しようと考えてる。私、生き物の中で一番嫌いなのが虫類なんだけど、それらが出てくる時の描き方が心地好いリアルさだったんだよね。精緻に描かれてるのに本物感が少なめで、作品の一部として見ていられる。主人公を始めとする人物の描かれ方とか気持ちの描写も良い感じで、久しぶりに当たりの二次元に出逢えた。これから活躍するだろうキャラクターも楽しみだし。日本のホラーってじっとりした粘度と湿度の高い描写が魅力だと思う。洞穴とか旧い隧道の壁って湿ってて冷たいでしょ。あんな感じが私の中でのホラーの質感なんだよ。静かな中に急に大きな音が鳴ったりするから怖いのであって、叫び声満載の異形の元人類が牙を剥いてきても、驚きはするけど怖くはない。だからゾンビものとかも大好きなのに或る種エンタメの消費対象としての印象が勝ってしまう。取り敢えず首を一刀両断して置けば動かなくなるじゃん。物理的攻撃が通じないタイプの怪異の方が怖いし面白い。
ちなみに『光が死んだ夏』はBLみも強い作品だけど、単なるBLじゃなくて思春期に起こしやすい(と書くと語弊がありそう)同性への好意が高まり過ぎた結果の共依存関係がみられるのもあって貴重な作品と感じてる。全然ジャンルが違うけど、『No.6』とか『ボーイズインブラック』とか『バッテリー』を思い出した。全部児童書なのすごい時代だな。一時さ、BLが社会に受け入れられてるみたいな風潮なかった?私その頃中高生で親と一緒にBLアニメを観たり漫画を読んだりしてて、お母さんはアニメの描写を「温いね」って言い切ってかなり驚いた事ある。「そりゃ地上波のアニメで性描写はマズいでしょうよ」と返したけど「それなら他の部分で行為の暗示をすべき」とか言ってて母は強いし何なら娘と推しキャラと推しカプが同じだったことあります。
『光が死んだ夏』はアニメの第二期も決定らしい。舞台化もするとか。アニメの主題歌も良いし演技の方も良さげだから見てみたい。こういう時気軽に東京に行けない地方在住はちょっと悔しい。飛行機に乗れば1時間半で羽田に行けるけど、宿代が痛い。
最近だとゴスロリマーケットってイベントに行きたかったけど金銭的に余裕が無くて無理だった。最後に東京に行ったのが前の仕事をしてた時だし、来年には一人暮らししたいから今よりも切り詰めないといけないし、お犬もお迎えしたいから貯金貯金の日々だ。結構頑張ってるのに普通に生きる事で精一杯で、何よりたまに旅行に行ったり推し活をしつつ満足に生きられる人ってどんだけ頑張ってるんだと疑問に思う。皆何処を削ってるの?私の収入が低いだけ?

とか言いつつ現状にはまあまあ満足してると書くと盾に矛が突っ込むね。仕事は毎日ほどほどに楽しい。昨日も可愛いお犬と触れ合い、馴染みになって来たお客様とお話して、またお犬と触れ合って、社割で館の飲食店を利用して、同じく社割で商品を購入して帰って来た。
お犬が来てくれたら『あら〜♡こーんにちは〜♡』みたいなテンションで挨拶するし匂いでご挨拶してご主人であるお客様にはワントーン低い声で「ごゆっくりご覧ください。気になる事があればいつでもどうぞ」って言ってるんだけど、切り替えが凄いらしい。自動で切り替わるよ。だってお犬は愛すべき存在だから。ちなみに人間の子供にも同じように接してるから一部には子供好きと思われてたらしい。違うよ、子供好きを演じておけば親御さんたちからのウケが良いからだよ。
今のまま頑張っていけば未来が明るいのかなんて誰にも分からないのに、何で私は生きるのをやめる気を起こさないんだろう。いつから死にたくなくなったのかなと考えて、元々死にたいわけでもなかったかもしれないと思い至った。『生きていたくない』と『死にたい』の間にイコールが付いてなかった。自分の思う通りに生きられるなら寧ろ生きていたかったんだと思う。で、今はそれなりに思う通りに生きられている、と。苦手なものが『苦手だったもの』に変わったり好きなものが増えたり、やりたい事が次々生まれたり、かと思えば何もやりたい気分じゃないから何もしない時間と自分を許せるようになった。人と自分が違う事がようやっと分かって来た。どう頑張っても普通には生きられない部分があるって事がきちんと理解の上納得出来て、自分が諦めたものを持っている人への過剰な羨望を認めて捨てる覚悟も出来た。結局無い物強請りだし、私が持っている何かを諦めた人も居るかもしれない。
ずるい、と人に思った事はあまりない。羨ましいと思う事はよくある。けど、この傾向はあまり多くの人が持っているものじゃないらしい。羨望を『ずるい』の言葉に集約して、結果其れを向ける相手を害そうとしてしまう人が多いんだって。ずるいって言うのはそう言う時に効く言葉じゃないのにね。もっとこう、違うニュアンスの言葉だと思ってた。言葉には特定の効果が生まれる使い方があるから面白いのに。
それを向ける相手に一番効く言葉を、最も適切なタイミングでぶつける為に、私は文章を書いてるんだろうな。

▼2025/10/02:綴る術を持っていなかった貴方に、それでもペンを渡す

一次にしろ二次にしろ、自分の創作を豊かにするには知識とか経験とか、分からない事を調べるツールや使い方とかについて身に着けておく方が作品に深みが出るよなぁと思うなどする。そして定期的に新しい作品に触れて刺激を受けるのも大切。と思ってるけどいつまでも同じ作品をスルメみたいに噛みまくってるのはどうなんだろう。
最近話題の漫画を幾つか読みたいなぁと思って購入の順番を考えてる。一気に買える程お給料がもらえるわけじゃないのが悲しい所だけど、まあ働けてる上に微々たる額でも貯金を出来てるだけよくやってるよ、と思いつつこれを書いてるんだけども。色々と勉強したり趣味の調べもので得たりした知識を下敷きに、発想の切っ掛けは素敵な音楽との融合だったりする。集中力を維持するのにBGMが必須で、そうなると色んな音楽を聴いた方が良いのかと思ってYouTubeで評判の良い曲を聴いたりショート動画で『良き』と感じた曲をフルで聴いたりする。そもそもそのショート動画は興味があるものしか見ないわけだから、どんどんと動画のジャンルが先鋭化しそうで怖いけども。アルゴリズムだっけ?時々すごく良い仕事をしてくれる事があってまあまあ好き、けれども似たようなものばかりだと飽きるからバランスが肝要なのは何事においても同じだと思う。
そして、自分には合わないだろうと手を付けていなかったジャンルや曲が良いと感じる事もそれなりにあって、それが今一番良く聞いているVaundyだったりする。今話題の『再会』の歌声と歌詞がとても良い。アニメも二期決まったんだってね。これの原作も購入予定に組み込んでる。はじめに避けてた理由は前に書いた通り主人公の行く末が不安な事と商業BLっぽさが苦手だったのもあった。根っからの二次創作オタクが行き過ぎたのか商業BLを受け付けなくなってた時期が長くて、特定の作者さんのばかり買ってた。でも最近久しぶりにBL本を衝動買いしてさ、悪くなかったよ。この人の絵柄好きだなって思って買ったんだけど、右の子がちゃんと男の子なのに可愛いのと左の彼もかっこいいしサブキャラも良いし、続編出たら多分買う。
たまに新しい作品に触れるのは大切だなと感じるのは、刺激になるだけでなく普段脳内に取り込まない種類の情報を取り入れてその作品を書くにあたって必要だったであろう知識とか技術を垣間見る事も出来るから。創作するのが好きな人間って何かしら脳内や紙やデバイス上のメモ帳に書き溜めてるんじゃないかと思うんだけど、それは一言二言じゃなくて或る程度貯まって来た時に別の何か(断片的な言葉とか、偶然目にした視覚的な刺激、楽曲の歌詞やメロディー)と触れ合って静電気みたいに反応して、いつの間にかネタが生まれて書き始める事がある。
私は前にマクドナルドでトイレの注意書きのお子様用椅子の使用上の注意に英語で『お子様から目を離さないで』と書かれてたのを読んで何でか推しカプの『○○しないと出られない部屋』のネタが降臨した結果、一万字くらいの小説を書いてた。英語を勉強し始めて少し経った頃で、文章の意味が分かった事と似た意味の別の単語に置き換えたら語呂が良いと感じて書き始めたと知り合いに話したら「よくそんなところから妄想が膨らむね」と若干引き気味に言われてる。ちなみに結構イイネが貰えた。その時部屋の内装を決める時にインテリアコーディネーターの教本を捲って様式を決めたんだよね。そしたらリアリティーも出て妄想しやすいし描写に説得力も出る。
『沢山読書してくれた事』や『興味が引かれた事や気になった事は直ぐ調べる癖をつけた事』は過去の自分の行動で最も感謝してる部分。お陰様で今の所ネタに困る事が無い。他の人の作品を読んでる時に脳内で静電気が起きてネタが生まれるのもよくある展開で、X(旧Twitter)で見かけたポストを元にネタが生まれていつの間にか超大作な事もある。
まだ音源を買ってないんだけど、ぬゆりさんの『ロウワー』って曲を聴き続けてた時、いきなり鮮やかな映像が脳内に流れた事がある。それが如何にも綺麗で惹きつけられたからすぐノートパソコンを開いて文字化した結果、6話に亘る長編と解説編を書いてた。執筆中はずっとYouTubeとお友達状態。このロウワーも初めは全然違うところで知った曲で、ドラマのネタバレショート動画みたいなののBGMだった。さとうもかさんの『メルトビター』とも似たような感じで出逢って、こっちはイラストのイメソン兼作業BGMになった。
常に何かを生み出したくて仕方ないんだと思う。自分が感じた刺激を自分なりに魔改造して面白く出来たら嬉しいし、それを『良き』と感じてくれる人が居ればそれも嬉しい。世間一般からの評価が得られなくても何かを描きたいし、文字にもしたいんだと思う。
前に就労移行支援事業所で作品を書く事が好きな人と話してる時に『それだけ思い通りに書ければそりゃあ楽しいですよね』と強めの語調で割り込んできた人がいたんだけど、いやほんとその通りだし、書ける自分で良かったです! みたいに返してその人を怒らせたことがあるんだけど、このコメント返しに私の意地の悪さが現れてるなって思う。創作者って意外と意地の悪い面もあるし、結局自意識はかなり強いから対立もするんだろうなって感じた。私だって或る程度苦しんでる時もあるんだけどね。大抵はめっちゃ楽しいしし面白いけど。多分あの人は『自分が思い通りに書けないからそれなりに書ける人に怒るタイプ』だったんだろう。わりと損な性格だと思う。
何だろう、文字を綴る事が好きで楽しめるタイプの人は言葉での攻撃に強い返しをしちゃうんだろうね。前に『子供の成績の悪さを妻の所為にする夫』の話で「蒔いた種が悪かったんじゃないですか? 一方的に畑に文句を言われても。耕さなかった側にも責任あるでしょ」って言って場が凍った事がある。流石にあの時はバツが悪かった。
自分の言葉に強いエネルギーがあるんだと感じたと同時に、それを産んだのはこれまで見聞きした文字や情報、色んな経験のお陰だったと改めて思った。
相変わらずテレビは苦手だけど、そろそろ新しいドラマとかも見たいなぁと思ってる。こないだ完結したばかりなのに今更見たいと思っちゃってて方法を模索中。もう一回見たい映画もあるし、聴きたい曲も沢山。
HSPの派生で本来繊細で刺激には弱いし敏感なのに、新しいものが好きでどんどん行動するHSSってタイプらしいよ。色んなテストで二面性が強いって言われがちな理由、この性質に関係してるかもね。

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