memo

▼2025/09/30:コーンフレークと糖蜜、蕪のサンドイッチ、合成葡萄ソーダで乾杯。

言葉を学ぶ段階って人それぞれだと思うんだけど、この記事のタイトルを知っている人はきっと、今Xとかでも話題になってしまったワードを見てピンとくるタイプだと思う。大分マイナーな文章なんだけど、絵本や文学、書籍やイラストレーターのマニアとかなら聞いた事がある可能性が高い。私は某遊べる本屋さんでこの作家さんの絵本を手に取った事があって、このタイトルに据えた絵本も招いていないお客の絵本も不吉なABCの詩の絵本も読んだ事がある。絵が独特でね、好みは別れると思う。
さっきSNSを覗いていたらAIと日本語は相性が良くないと知った。共感性に重きを置く言語であるが故に、慣用表現が複雑すぎるきらいもあるかららしい。あのワードだけでなく『何かを連想させて意味を持たせる表現』は苦手なんだって。じゃあ京都弁で皮肉を言われたら素直に喜んじゃうタイプも居るのかな。それはそれで強そうと感じるけども。
何となく京都弁とクイーンズイングリッシュには親和性があると思ってる。お互いに皮肉の文化でしょう。それが綺麗だと思っちゃう私も居るけど。とか言いながら勉強してるのはアメリカ英語なんだけどね。
言葉って、産まれてから使われる段階で色々と変容していると思うのね。活用形とか後半につかわれる言い回しで意味が逆になっちゃうとか、敢えて濁す事ではっきりと伝えるとか。違和感を覚える事もあるんだけど、言葉或る種生き物みたいなものだとも考えてて、多くの人がその存在を忘れてしまったら言葉として意味を為さなくなったり(死語になるとか以外でも)、時間の経過とともに全く別のニュアンスになっちゃったりもする。例えば『適当』。これって半端に力を抜いておざなりにする、が本来の意味じゃないじゃん。『ある性質や状態、条件に相応しいこと』とか『具合(温度や時間帯なんか)が丁度良い』が元々の意味だったよね。数学や国語の問題で『次の中から適当なものを選べ』とかさ。でも時代と共に『適当にやる』=『いい加減に、要領よくこなす』って意味が生まれてさ、次第に『適当とはいい加減な事で、真剣には行なっていない』みたいなニュアンスが浸透してる。どちらかと言えばそっちが現代の主流だよね。
でも一番まずいと感じたのは『間違いを指摘される事』をイコールで『馬鹿にされた』と変換してしまう人が増えているらしいこと。私もそう言う傾向あるから人の事はあまり言えないんだけど、間違いを指摘された後で逆切れみたいな真似をするのは、大人としてどうなんだろう。子供と呼べる人たちだって或る程度歳を取ったら理解できることが多いと思うんだけど、もし間違いを指摘してくれる人が居なかったらずっと間違ったままなんじゃないかって怖くなる。
学生時代、国語の成績は正直あまり良くなかったんだけど(特に問題文の読解)、専門学校に行く頃には不思議と文章を褒められる事が増えた。病気になって一回は何にも書けなくなったんだけどね、きちんと療養してその間にも本や漫画を読み続けていたらまた書けるようになった。抽象的な文も好きだし、暗喩が好きになったのもその頃。言葉の裏側や文脈、行間を読むのが好きなのってオタクあるあるじゃないかな。言葉以外にもイラストや絵画の構図や描かれるアイテムの意味を勉強するのも面白い。一神教どころか多神教すら信仰していないのに宗教画が好きなのはこの辺りに理由がある。メタ的な視点を持つとどんな文化も面白く感じる面がある。所謂お約束みたいなものもあるじゃない。ヤドリギの下でキスを仕掛けるとか、薔薇の花を壁に吊るすとか。
勉強すると、始めは何とも思っていなかった(心に引っ掛からないと言うべきかも)表現の意味を推測して、更に発展した考えが出来るようになる。『このキャラクターが持っているアイテム的にあの人物がモチーフになってるな』とか、『だからこの色で表現されてたんだ』とか。そう言うパッと見では分からない事を探求するのって面白いだけじゃなく、自分の脳味噌をフルに活用している気分に浸れて私は好き。
よく、好きな楽曲を聴き込んでタイトルとか歌詞の意味を推測してはキャッキャしてる。聴き込み甲斐がある曲を作ってくれる人達に感謝してるし、それから連想して小説やイラストに起こすと感想を貰えることも多くてうれしい。勉強ってさ、しなくても生きてはいけるんだよね。でもより人生を楽しみたいなら或る程度の教養はあった方が有利と言うか。歴史上の人物になぞらえた設定のゲームとか広く知られる架空の人物の設定を少し(ないしは大幅に)弄って生み出されたものってたくさんあるじゃん。
そういう生き方を望んでないなら仕方ないけど、私は仲間内で盛り上がれるくらいの知識は欲しいから勉強し続けるんだろうな。
ちなみに、今日でデュオリンゴを始めて296日目らしい。何だかんだ毎日続いている上に新しい仕事を覚えながら今月皆勤だった私を褒めておこうと思う。


▼2025/09/27:鍵盤の上を踊る桜貝、絡ませたのはいつの約束か

友人が踏み台昇降を頑張っているとブログに綴っていた。汗をかくのって初めは不快なんだけど、或る一点を超えると急に気持ちよくなるから頑張ってみてほしい。私も後でやらないとな。同じように頑張る人がいるのって良いね。
人間の身体って或る程度動いているのが自然な在りかたらしい。生命維持に必要なレベルの鼓動とか呼吸だけでなく、スポーツがストレス発散になるタイプも居るって言う事なんだけど。最近知ったんだけど、身体を動かすと心拍が速くなるのが心地好いと感じるタイプと逆のタイプの人が存在しているらしい。心拍が速くなるのが心地好い人はジェットコースターとか刺激的な食べ物(激辛カレーとかスパイス系)、パニックホラー映画が好きな事が多いんだって。逆に心拍がゆっくりになる事を好む人は瞑想とか茶道とか優しい繊細な味わいの食べ物を好きな傾向があるらしい。面白いなと感じた。
私は完全に前者なんだよね。ジェットコースター、パニック系ホラーも身体を動かすのも大好き。心臓の鼓動が速くなるのが分かるとワクワクしてるって自覚する。元々頻脈なのは関係あるのか知らないけど。だからディズニーリゾートに行ったら『センターオブジアース』や『インディージョーンズアドベンチャー』、『ビッグサンダーマウンテン』や『タワーオブテラー』は欠かせない。『ホーンテッドマンション』も好きだけどあれはゴシックっぽいのが好きかな。あと『レイジングスピリッツ』も好き。
休日にまったりしようと思って難しいのはこの辺に理由があるかもしれない。動いてない事が苦手過ぎて。回遊魚って言われる事が多い人生なんだけど、よく読書家になったよね。まあ読みながらドキドキする物語が好きだから心拍が速くなってはいるのか。
音楽もアンビエントよりはアップテンポだったり邦楽ロックとかを好んで聴いてる。ウォークマンに入れてるのも速い曲ばっかりで、それを聴きながら運動して汗をかくとすっきりする。でもこれは全員に当て嵌まる傾向じゃない。音楽を安らぎのツールにしてる人も多いよね。何だろう、私完全にアッパーなんだよね。ダウナーな人生も面白そうなんだけどな。気だるげな人ってミステリアスで好きなのに、何だかんだ根明な行動ばっかりとっちゃう。声も動きも大きい。もうちょっと落ち着いた人間になりたい。
悩んで考え込むフェーズが少ないのは良いんだろうけど。或る程度悩んだらスパッと決めちゃうんだよな。割り切ってると言うか、切り替えが早すぎると言うか。『これが駄目ならこっちのプラン』って思っちゃう。諦めが速すぎるのかも。粘り強く構えるのも苦手。悩んでても仕方ないから行動!って生きてきた。興味の湧かない物の前で黙ってると眠気が来る。だから事務職は諦めたんだけどさ。
この歳で生き方を変えるのは難しいよなぁ。それが生まれつきの性質なら尚更。でもじゃあ、一日に8時間も机に向かって絵を描いてるのが好きなのは何処を動かしてるのかって思っちゃうけど。作業しながら脳内が動いてるのかな。小説ならね、展開や構成を考えて書くから只管脳が動いてる実感があるんだけど。インドアだけど脳内はアウトドア。何も考えないことが難しい気質はADHDっぽさがある。

落ち着きが無いって言われるとそれまでだけど、普段は販売員としてそれなりにやれてるから適材適所って事で。

▼2025/09/26:霜が降りる前に枯れた木の葉、染まる事すらできないで

言葉を綴る趣味を持つよりも前の事を思い出す。
小さい頃から本を読む事が好きだ。今も読みたい書籍が絶える事は無くて、来月のお給料で購入したいシリーズがある。『光が死んだ夏』と言う、今アニメも放映されてるホラー要素と青春もの要素が絡み合った漫画作品。主題歌がとても良くて、イラストも好みで購入を決めた。元々SNSで話題になった頃から気にはなっていた。只、主人公が不幸になる未来しか見えなくて手に取れなくて、でも気になり続けて主題歌を聴いてみて(正確にはMVを視聴して)私が彼を不幸と断じるのは早計だし展開が気になり過ぎるので思い切って購入してみようと決めた。主題歌もダウンロード購入して、今も聴いている。MVを視聴した時私はいつの間にか涙を流していて、繰り返し聴いていると胸の奥が引き絞られる感じがした。
人は誰かの死に引っ張られる事がままある。ご遺体や血液は穢れとされたし(後世から見れば医療的な側面が強いんだろうけど)、殉死と言う文化があるかと思えば自死を最大の禁忌とする宗教の教えもある。『死』と云う言葉や文字自体を忌み嫌う人がいるのはおかしい事じゃない。生命にとって最も恐ろしい事を避けるのは自然だ。だから様々な代名詞的な表現として『無言の帰宅』『他界された』『永眠致しました』『お隠れになる』とかの言葉達が生み出されたんだと思うけど、最近、それらの言葉を知らない人が増えているらしい。年齢は様々みたいだけど、決して若者とは呼ばれないであろう人達も居るそうで、彼若しくは彼女に『何故シンプルに「死んだ」と言わないんだ』と逆ギレされたとの記事だったと知って正直驚いた。
当該の記事は『無言の帰宅』が分からないパターンだったらしい。分からない事自体は恥ずかしい事じゃないと思う。ただ、その後の台詞が良くなかったんじゃないかと思った。「そう言う表現があるんですね。勉強になりました」とか「教えてくれてありがとうございます」とかせめて「初めて聞きました」とか言いようは幾らでもあると思う。これらの言葉や近い意見を述べていれば此処まで話題にならなかっただろうし、十年以上読書をしてきた人だとの事なので、どんなジャンルを読む方なのか気になった。
無言の帰宅。思えば最近見聞きしていないかもしれないな。でも今までのどこかで知識として吸収して自分の語彙に追加したのは確かだ。今は何て言うんだろう、事故とか事件でお亡くなりになった方をご自宅へお送りして、皆で迎えたとの報道を耳にする機会がめっきり減った。
慣用句とか諺とか故事成語、比喩表現とか広く一般に知られる表現は時代によって変わるのがまあ、通常なんだと思う。私も年齢を重ねるにつれて趣味の作品中で使う言葉や語群は変わって来た。例えば一時『得心した』、『直截な』、『如何せん』を多用していたし、今は『殊に』、『殊の外』や『閑話休題』を使う機会が多い。それと直喩よりも暗喩を使う方が好みだ。書く側としては、だけれど。漢字の画数は多い方が文章が詰まって見えて好きなので旧字体や異字体を使いたいと感じる。かと言って読めなかったり通じなかったりすれば意味が無いから程良くひらくようにはしている、と書くと何を『ひらく』んだ、と訊かれるんだろうか。漢字でも書ける言葉を筆者が意図してひらがなで書く事を言います。皆さんはきっとご存じでしょう。
先述の閑話休題とか虎視眈々、群雄割拠、渾然一体とかの四字熟語ならどうなんだろう。多分通じないな。エンターテインメントの書籍ではあまり使われない、なんて書いたら気に障るかな。
言葉を知らない事は恥ずかしい事じゃないけど、知らない言葉を知った後の振る舞いで貴方の教養の程度が伝わるんじゃないかな。『沈黙は金、雄弁は銀』って言うし、知性と品性と人間性は言葉選びにも如実に表れる。

まあ、かと言って難し過ぎたり場にそぐわない表現ばかり使うのもよろしくないんだけどね。適度に平易にしておいた方が軋轢は生まれ難い。接客業してても思うよ。この前『釈迦に説法』が通じなくて驚いたんだけど、お母さんが「多分それは通じないのが普通」って言われて更に驚いた。じゃあ何て言ったら通じるんだろう?と訊いたら「馬の耳に念仏じゃない?」って言うからうちのお母さんが活字を読まない人だと思い出した。勿論訂正してる。
他にも高齢の女性(若しくは容姿から年齢を推し量れない女性)を『ご婦人』って呼ぶんだけど、少し丁寧すぎるらしい。難しいなと感じる。

趣味の小説では漢字の使い分けにもついこだわる性質で、『きく』は『聞く』『聴く』『訊く』から選んで使い分けたいし、『効く』と『利く』は似ているようで違うから面白い。『かく』も『書く』『描く』『画く』から最も適してると感じる物を使う。だから『手書きMAD』って書き方に違和感を覚えがち。他にも『とる』は『取る』『摂る』『採る』のどれなのか考えて間違えないようにしたい。漢字の違いって意味も変えてくるからついついこだわりたい凝り性の自分が指示を出してくるんだよね。
だからと言って完璧な文章は書けてないと思ってる。誤字脱字チェックも欠かさないけど漏れがあったりなんて日常茶飯事だ。ただ、知らない事を指摘されて恥ずかしい事だと思うよりも学びの機会と思う方がポジティブで良いと思うんだけどな。知らない事を素直に『知らない』と言える環境じゃなかったかもしれないなんて空想する。
比喩表現も同じようなもので、『道に迷った仔兎みたいだね』なら『怖がっているの?』と妖しく問い掛けてるみたいに思えるし、『やっと刃が此方へ向けられ始めた』なら『ついに敵意を持たれたと気付いた側』の心情に思える。『供された馳走の帯を解く』なら『夜の営みの始まり』かもしれないし。
まあこれは書く側のセンスの問題かな。伝わらなかったら意味が無いのが辛い所だけど、同時に面白いと感じる要素でもある。教養って色んな方向性があると感じてる。例えば映画や文学作品に詳しいだけでなくそれらに付随した歴史的知識とか地理、伝承、寓話とかの覚えがあるとより楽しめるから、人は書籍や文章、映像や音楽に触れるんじゃないかな。勉強するのが面白いのってそれらの入り口に立てるからだと思う。
日本ってさ、義務教育で色んなことを教えてもらえるじゃん。楽譜の読み方もミシンの使い方も、栄養学的知識も宗教学のまくらも美術作品の○○派も木工作品の鑢の掛け方も、中学卒業までに或る程度吸収できる。それをとっかかりにして興味のあるものの学びを深めるのは、良い事だと思ってる。学校の図書館で読める本にはきっと色んな言葉が載ってるし。

さっきね、『自分の知らない言葉や表現を使われると腹がたつ人』の話を読んだ。馬鹿にされてると感じるらしい。『そんな事も知らないのか』って言外に示されてる気分になるのかな。嘲笑する心は無いんだけど、じゃあもっと自分を高める努力をすればいいのにとは思う。知らない事を教えてもらえてラッキーくらいでもいい。きっとこれは私が興味の範囲での勉強が苦にならないタイプだからで、もしこれが生まれつきなら遺伝子に感謝かな。あと環境にも。

自分が知らない事を疎ましさの始点とするよりも『無知の知』を得る方が、だいぶん人間らしいと思うんだけどな。
気付いてると思うけど、この記事はわざと難解な表現を織り交ぜて書いてる。私の日記の読者さん達はどんな風に思うのか気になったのと、長年読書に親しんできたと宣ってたらしい『無言の帰宅』を見た事も聞いたことも無いと相手を全否定した人への意趣返しとして。
……もしかして『宣った』とも知らないとか言わないよね?『意趣返し』は通じる?『無知の知』は?とか煽りたくなるあたり私も修行が足りなそうだけど。

ただ、世代によって通じない言葉があるのは仕方ないと思う。どうしたって触れられるツールや媒体は変わって来るし、場合によっては発禁とかあり得るし。残酷すぎるからという理由で全国の学校の図書室から排除された漫画を読んだ事があるんだけど、『残酷すぎる』って思えるくらいこの国の今は平和なんだろうなって感じるしね。
グリム童話とかは原典の時点では恐ろしいにも程がある倫理観に欠けるものが多いと聞いた事があって、まあ具体的に言うと白雪姫の目覚めた後の顛末とか、シンデレラの継母は一人じゃないとか。『グレーテルのかまど』って番組のタイトルを知った時は驚いた。魔女を突き落としたかまどで何をするんだろう。人魚姫とかもさ、王子様を殺せなくて最期は泡になって消えるとか知らない人も多いらしいし。『赤い靴』のカーレンがどうなるかとか、ハーメルンの笛吹きとか。
童話って優しくない話の方が多い、と思ったけど、当時の社会を反映しているなら致し方ないかも。童話はつまり民の話だから、嘗ての時代の『標準』『基準』『世相』『民意』が絡まない方がおかしいもんね。
で、現代では『残酷すぎて教育に良くないから』改訂されるか削除される事もある。
前項の学校から排除された漫画って言うのは『はだしのゲン』の事なんだけど、私は小学生の時に当時出版されていた分を全部読んだ。まあ確かに残酷っちゃあ残酷だけど、実際に起きた事なんだし勉強も兼ねて読んでおいても良いと思うんだけどなぁ。右翼左翼は抜きにしてね。
大昔の話って言われるけど、『サド裁判』を思い出した。いつだって、書籍の上で描かれる物語よりも現実の方が余程残酷だよ。
文字で人を殺す事は意外と簡単だけど、救う事も割と簡単なのにね。

▼2025/09/25:替え歌を口遊むくらいにはご機嫌、それは只の文字列だった

精神科の診察に行ってきた。月に一度の定期的な奴で、今の先生に初めて自分の病名について疑問をぶつけてみてる。
結論と言うか、病名はあくまでも治療の指針を立てる為のヒントみたいなものらしい。幾つかの診断基準やその病気で起こる症状を満たしていればこの病気と『仮定して』治療する。薬とか認知行動療法とか心理的な治療とか、沢山ある中から『まずはどれを使ってみるか』を決める為の物。
私は結構長い間自分の病名に疑問を持っていたわけだけど、診察後の今は病名そのものがあまり意味の強くないものと感じてる。私が与えられた『統合失調症』と疑いを持つ『気分障害(恐らく双極性障害)』の間にはグラデーションの部分があって、其処に居る人達が与えられる可能性があるのが『統合失調感情障害』らしい。両方の要素を持っている人と言うべきかな。
『統合失調症』と『双極性障害』は似通った病気でもあるらしい。だから片方の診断を受けている私は、もう片方の病気を彷彿させる症状があってもおかしくない。だけど、どっちとも言えるしどっちかだけとも言い難いから『統合失調感情障害』かもしれない。らしい。ちょっとはっきりしないなと思ったけど、血液検査やMRIで見つけられる病気じゃないから仕方ないのかもと感じて、すっきりはした。目で見てはっきり判別できる数値の異常や病巣もない病気に、正確な名前を付ける事は難易度が高いと感じたから。
躁に寄っている事は先生はあまりよく知らなかったらしくて(この前診察日の関係で今の先生に戻ったから)、どれだけエネルギッシュなのかとか活動的になっちゃうかを説明したけど、説明している時の私はテンションが低くて(仕事で疲れて眠かった)あんまり深刻に捉えられてはいなさそう。夢をはっきり見る事は興味あるみたいだけど。どんな夢を見るのか訊かれて『好きな漫画のキャラが出てきて、こんな展開なら良いなって思う夢が見られる』と答えたら『何て漫画なんですか』って突っ込まれた。ぶっちゃけBLっぽい話題に触れないように持っていくのが大変だった。夢は心理的な物が大きく映し出されるから気になるんだと思う。前にもここに書いた守って貰えなかった自分を救いたいから好むキャラが居る事も話した。
職場での話は『本音と建て前を巧く使う』『自分を守る嘘はついた方が良い』が主なアドバイスで、私含め精神的に幼い傾向がある人や発達特性のある人は、つい本音100%で話をしてしまって嫌われる事も多い。この場面で何を言うのが適切なのかを考えた上で♂Rをつく事も必要だし、その嘘は悪いものじゃない。『ホワイトライ』だったかな、自分と相手を守るための嘘。嘘を吐くのはいけない事だと思って来たけど、これにも『時と場合』が適用される。相手を傷つけない為なら必要な嘘はついて良いし、それは嘘じゃなく『建て前』だと。
昔から『素直』と評価される事が多かったけど、嘘を吐かないんじゃなくて『吐けない』んだよね。『この場では本音を話さない方が良いと判断できる機能』が一般的な人達よりも弱い。だから意図せず他人を傷つけるし、相手を慮って適切な言葉を選べない事があるから『他の人の気持ちを想像する機能』も弱いってこと。自分に置き換える事は出来るんだけど、自分が嫌じゃなかったらやってしまったり言ってしまう。この辺、私の発達特性にも関わってきそう。
嘘をつく事が悪いんじゃなくて、結果誰かを傷つけたり不快にさせたり不利益を被らせることが良くないんだから、何でもそうだけど『使いよう』だし『嘘も方便』なんだろうな。
人には誰でも表裏があって、それは悪い事でも何でもない当たり前の事。本音で誰かを傷つけたり自分の立場を悪くするくらいなら、職場では本音を出さなくてもいいというのが先生の意見。私もおおむね同意。ちょっと罪悪感があるけど多分慣れる。
店長のシフトや休暇については、大きな問題が起きない限りは私からは何も言わない事にした。折角高評価を得ている今を壊すくらいなら、長い目で見て変化を待つ(例えばさらに上層部の人が店長へしかるべき措置を取るとか)方がメリットが多い。今の所私と店長は良好な関係だし、私自身が無理をしなければならない事態には陥っていない。他の人に皺寄せが言ってる。で、元々有能で優しい人が割を食うんだよね。それが私は許せない。
店長に能力が無いとは言わないけど、何だろう、かなり鈍感な気がする。言われないと伝わらないし、分からないし発想も出来ない。それこそ相手の気持ちや感情を想像できていないと言うか。
決めつけは良くないのは大前提として、コミュニケーション能力のレベルと想像力のレベルが合ってない人かもしれない。優しさと思い遣りは違うと言うか、優しくても思い遣りの無い人って意外と多いんだよね。似てるんだけど両者は結構違う。優しさは主体的な物で、思い遣りはそれを使用して発展させた結果出来るようになるものと言うか。
例えば、階段で重い荷物を運んでいる人を手伝う。それは優しさであり思い遣りでもある。けど、その荷物がもしも他の人に触ってほしくない物(例えば医療機器)だったとしたら、無言で持ったり支えるんじゃなくて「お手伝いしても良いですか?」って一声かけて≠げる方がベターとか。うまい例が思い付かなくてごめん。でも、『自分がこうした方が良いと思ったから動く』よりも一度考え問い掛け声掛けをして、『相手はこうされたら嬉しいと言ってくれた、示してくれたから動く』の方がベターなんじゃないかと思うんだよね。
例えば、迷子を見つけたけど『いきなり知らない大人の自分が声をかけるのは怖いと思われるかもしれない』って考えて近くの交番や駅の事務室の人にお願いするとか、自分よりソフトな印象の人に依頼して、自分は警察に報せるとか。相手がどう思うか、考えるフェーズを挟むのが思い遣るって事だと思う。だから適度な想像力は大切。で、うちの店長はそれが他の能力とレベルが合って無いんじゃないかなって考えてる。
まあ大なり小なり皆そう言う物は持ってるんだろうけど。得意な事と苦手な事の凸凹が激しいと診断とかの対象になるけど、そう言う特性って結局はグラデーションだから。そんで、そういう所があるからって店長を嫌な人だと断じるのも良くない。人には色々な面があって、誰でも長所と短所が存在するし場面によっては入れ替わる。強みと弱みは表裏一体。人は白と黒で別けられない、グレーのグラデーションの中に居る存在なんだ。

って、解かってても気になっちゃうのは最早私の性格なんだろうな。正しく在ろうとすれば必ず報われるみたいに考えちゃうところあるし。人生そんなに甘くないのにね。

変わらず私は白黒思考をしちゃうし、0か100で考える癖がある。他の人が本音と建て前を使い分けていると想像し辛いし、つい自分を開示し過ぎてしまう。自覚する前よりは大分楽にはなったけど。気付いてからは治せるようになったし、巧く振る舞えるようにもなった。後は心の中の変な罪悪感を減らしていくのが良いんだと思う。
前からさ、自分が子供っぽいって感じてるの。良くも悪くも純粋と言うか。それと、他者と自分の境界も曖昧になりがち。時々だけどね。それが自覚できる程度には軽度な症状なんだと思うし、自己分析が出来てると思う。だから俯瞰視は出来るようになった。
もしかすると、医療に繋がってない人とか、繋がる必要が無い人は、こんな風に深く考えたりしないのかもと考える事が増えた。考えないからやってしまう事って多い気がしててね。『ちょっと考えたらこうなるって何で分からないの?』って事、ニュースとかでよく聞くんだよ。でもそう感じるのは『たまたま』考える能力を持ててるだけかもしれない。明日は我が身だし、人の振り見て我が振り直せだし。
けど、人として間違った事をしていない人ばかりが割を食うのは如何にかならないのかな。私が出来る事、そしてしたい事は割りを食ってる人を助ける事かもね。


▼2025/09/24:腑に落ちるラベルが欲しい、中身は変わらずとも

最近、ヘルプマークを着けたい人が増えているらしい。なんでも『公共交通機関などで座席を譲ってほしい』とか『とにかく優しく接してほしい』とかの理由で本来持たなくて良い人達が利用したいと声をあげているそうだ。一部の健常者の人が障害を持つ人から譲り受けて使用することもあるとか。意味不明だ。本来ヘルプマークは『外見から障害や疾患がある事が判別できないか、難しい人達』が『緊急時や不調時に助けを求める、適切に配慮して貰う』が主目的なのではないだろうか。前にも書いた気がするこの話題。
外出先でも発作が起きる可能性があるとか、理解に時間がかかるからゆっくりはっきり話してほしいとか、お薬手帳の在処や家族の連絡先などを記載して着ける物だと思うんだけどな。認識が間違っていただろうか。おまけに一部のアジア人観光客が旅行会社から貸与される事もあるらしい。意味が分からないが『日本ではこれを着けていれば優しくしてもらえる』とか教わるらしい。割りと悪質な入れ知恵じゃないかと思う。
友人達にもヘルプマークを着けている人が居るけど、彼女たちは本来の目的で使用する為このケースには引っ掛からないが、其処から逸脱する人達の所為で何らかの不利益を被らないのかと心配になる事が増えた。
前にヘルプマークを色分けしたら(トリアージの話)と言う案を書いた事があるけど、家族には『そもそもそれを誰がどんな風に周知すれば良いのか分からない』と言われてしまった。結構いい考えだと思ったんだけど。
そんな感じで私は変わらずヘルプマークを貰っていないんだけど、これが障害者の私が障害者(と名乗る人)を差別したり見下している気がして自己嫌悪に陥る事も増えた。『私は貴方達とは違う』と無意識にでも思っているなら最悪だよね。

そう言えば、現職の店長は今の店の皆に私の病名を伝えていなかったらしい。合理的配慮の関係で『全員に報せて大丈夫です』と言ってあったんだけどな。統合失調症って事も気分障害の疑いも、非定型発達の件も知られてなかった。ただ、『他の人より配慮が必要』としか思われてなかった。これってたまたま良い方向に繋がったけど、そうじゃなかったらどうなってたんだろう。
五感の一つが無い事はみんな知ってたし、それで支障はなかった。昔あちこち骨を折ってる事も伝わって無かったのは多分プライバシー保護に鑑みてなのかな。あまり重量のあるものが持てないし、左腕は可動域が限られてて、筋力も右とは結構違うんだけどね。
それでも接客がかなり巧く出来るようになれてしまって、ギリギリ健常者みたいな扱い。お客様も私が障害を持ってるとは思ってないだろうし、更に言うなら『そこそこ業務に慣れている人が他店から異動してきた』と思った人も居たみたい。
商品についてとか動物さんについてとか、勉強するのは好きだよ。一日一学びは継続してる。覚える事や調べる事は得意だし、それを応用するのも上手い自信がある。伝える事も得意。文章を書く趣味を長い事遣ってると声での話もうまくなるらしい。事実一番明るいキャラで通ってる。お客様と盛り上がる事も多いし、固定客も着いてきた。でもさ、あまり適合し過ぎるのも問題かもしれない。何処かで破綻しないかと心配になる事も結構ある。
元々『自分を良く見せたい欲求』が強い。要は見栄を張りがちなんだけど、それに疲れてたら意味ないと思う。離人の症状もここから来てるんだろうか。私は常に何らかの『役』を演じてるし、それが増えていってる自覚もある。その場その場に合わせた振る舞いは大切なんだけど、過剰になるのは良くない気がする。でも、それをしない自分も嫌なんだよね。一人前の大人として、被らなきゃいけないものってあるから。
子供時代があまりうまくいってなかったのもあって、今の状況がいつ崩れるのかと怖くなってるんだと思う。それでも新しい夢とかやりたい事の為に頑張ってるんだけど。
何だろうね、私は全てを信じられないのに、別の面では信じちゃってるんだよ。かなり簡単に。矛盾に塗れて生きてる。けど、昔みたいに戻りたいかって言われるとそれも違うんだ。過去に戻りたくもないし、やり直しもしたくない。本当の最善なんて選べないし実行できないし、多分そんなものなんて無い。解ってるから戻らないんだよね。今の自分を作ったのはこれまでの自分で、もし何かが一つでも違ってたら別の結果になってる筈だし、違った問題も生まれる。
まあ、こうやってブログにして自分を俯瞰視できるようにはなったから、生き方が上手になった自覚はあるんだけど。

で、タイトルの話なんだけど。今も変わらず自分の病名(診断名)に違和感がある。本当に『統合失調症』なのか、『統合失調感情障害』じゃないのかって言うアレ。調べてるとさ、離人感が強くて小さな頃から自殺願望みたいなのがあって、感情のアップダウンが激しいって言う症状に鑑みると後者の方が正しいんじゃないかって思うんだ。自分が自分じゃないって感覚がいつもある。『今此処に生きている私』は本当に『私』なんだろうかって、常々疑問。自分が他人に乗っ取られてるとか考えが盗聴されてるとは思わない。自分は自分なんだけど、『違う自分』なんだよね。最近この感覚が気持ち悪くなってきた。気味が悪いというべきかも。私が一番不気味な存在なの。
過度に適応して、過剰に役を演じちゃったんだろうか。でもそうしないと苦しいの。どうしたら良いかな。

明日はお休みで、精神科の診察だからこの事達も話してみようとさっきメモを作成した。病名が変わっても何も変わらないかもしれないけど、腑には落ちると思うんだよね。どうなるのかは分からないんだけどさ。中身とラベルが一致しないと気持ち悪いじゃん。

▼2025/09/23:醒める度に続く夢、何故あんなにも鮮やかに

飲んでる眠剤の副作用の話。
前にも書いた事なんだけどさ。デエビゴって薬が『悪夢を見る』『夢がはっきりする』『夢をたくさん見ていてそれを覚えている』って言う副作用が現れやすいとされてる。私も良く夢を見るしそれを覚えてる。でも最近少し方向性が変わった夢を見る機会が何回かあった。
前提として私は腐女子でBLが好きで二次創作が大好きで、どんなものでも作品を楽しんでいるとつい妄想(症状じゃない方の)を始めるタイプ。二次創作活動をしていない作品でも話の展開とかキャラクターに着いて考察と妄想が自動的に始まるし、作品とか次元の垣根はぶっ壊してクロスオーバーさせて最終的に自分以外が楽しめない内容の妄想で悦に入ってる痛い感じの人間。
で、好きなキャラクターとか作品の情報が夢にも表れるんです。そうなると好きなキャラクターと会話ができたり、一緒に事件を解決したり幼児化したキャラクターの世話をしたり出来るんですよ。勿論自分は関わらず見ているだけのこともあるし、こう書くと語弊が生まれそうだけど、夢を見ながら二次の夢作品に浸っているみたいな感じ。
此処から本題。自分でハマってる漫画作品の一番好きなカップリングの受けがショタ化して、攻めと一緒にお世話する夢を見ました。しかも『こうなったら本当に嬉しい』と思う展開への選択肢を自分で選べた上に、一度目が醒めた後で続きを見たいと思って二度寝したら本当に見られました。最近そう言う事が続いてる。
他にも自分がお迎えしたいお犬がまた夢に出てきてくれて「ママ!」って私を呼んで腕に飛び込んでくるの。尻尾をブンブン振って嬉しそうに駆け寄ってくる。彼女を抱っこして何でか猫カフェに行くんだけど、お猫には甘噛みされてお犬は「ママはわたしの!」って怒る、みたいな。
他にもハマってるYouTubeチャンネルのキャラクター達の日常に関われるとか、一番こうなってほしいって展開が夢の中でご用意される。この傾向は昔からあったんだけど、デエビゴを飲み始めてからかなり強まった。目覚めた時に『あれは夢だったのか』って不思議に感じるくらい。随分とリアリティのある設定で、でも夢じゃないと有り得ない展開ばかりではあるんだけど。この前見た夢が良すぎる設定で、自分の脳のどこかが考え出したんなら素直に拍手喝采したいくらいの神的展開だった。その作品内でそう言う事が起きたらいいのにって何度も考えた展開と設定で受けは本当に可愛いし攻めは格好良いしで、朝から充実してて仕事に行きたくなくなるくらい。
かと言ってずっと寝て居たいわけではなくしばらくしたら『良い夢見た』って活動し始める。しっかり睡眠をとれた実感もあるから疲れも残ってないし、昼間に眠気もない。悪夢を見る事も勿論あるけど、こんな明晰夢めいた面白い夢を見る機会が最近多い。Youtubeチャンネルのキャラクター達が出てきた時は漫画絵の筈が何でか実写化されてて驚いたけど。
元々何でも面白がる性質なのもあるんだろうか。トラブルが起きるとパニックになる事より『面白い事になった』と感じる事の方がどちらかと言えば多い。そう言うタイプの人間とは相性がいい薬だったりして。
長い映画みたいな夢を連続して見る事もあるし、同じ光景を繰り返し見る事もある。願望の表れだったりするかもしれない。たまに居るじゃん、夢に夢見過ぎてるタイプの人。私多分それだよ。
この妄想とか夢を見る事が症状なのかは分からないし、今の所何にも支障が出てないから症状と呼ぶべきでもないかもしれない。でも面白いよ。好きなキャラの望む展開を自分専用のディスプレイとかデバイスをご用意されて見られる感じだし。おまけに自分で作り出したって感覚も無くなるからね。完全に自分の癖を理解した誰かが生み出した作品を独り占めできる。そう思うと、創作活動やって妄想力を鍛えるのも悪くはないかなって感じがする。

ちなみに今執筆準備してるのは夢とは関係ないけど、他の二次創作作品で滾った物があって触発された形になるのかな。不思議だよね。触発されてるのに展開は全く別なんだから。何にせよ界隈では『魔改造の女』と呼ばれてる。自分が面白いと感じた作品の要素を更に自分仕様にして書いてしまう。まあそもそも二次創作なんだから大なり小なりそう言う物だと思うけど。何処までが私が考えた内容なのかな。勝手に指が書いたんじゃないのって時もあるから。自分で書いたにしては出来過ぎた文章が生まれる時、両手の十指はそれぞれに思考を持っているかもしれないなんてそれこそ行き過ぎた妄想だ。

▼2025/09/22:爪を紅で染める季節、果実と一緒に霜がふる

私がそうかもしれないというのは置いておいて、社会不適合者を略して『社不』って呼ぶようになったのっていつぐらいからなんだろう。この前気が向いて検索して診断を受けてみたけど、そもそも論、適合してる人の割合ってどのくらい? 適合してるって言うゾーンはどの辺りから? とか色々考えてしまう結果だった。
他にも適職診断で『芸術家』とか『クリエイター』としか結果が出ない人も多いらしいけど、本気で芸術系やってた人間からするとクリエイト系の仕事に就こうと思うとかなりのコミュニケーション能力を求められる事は覚えておいた方が良いと思う。打ち合わせとか提案とか意見のすり合わせとか、何かしらの対人能力が必要。ツールは何であれ相手とのやり取りが難しいなら芸術系は厳しいんじゃないかな。
ちなみに私の適職は前にも言った『一般事務』の他に『販売職』『教師』『保育士』『自然科学の研究職』があったりします。誰かに何かを教える為に勉強することが苦にならないのと、ものを説明して飲み込んでもらうのが得意だかららしいです。でも一対多数は難しいし想像がつかない。どっちかって言ったら少数を相手にそれぞれに特化した勉強法とかを考えて教える方が面白そう。

こないだADHDの確定診断が出ている人が言ってたんだけど、所謂社不の人は『メモを取ろうと集中すると何を言われてるか分からなくなる』らしい。だから仕事での電話対応なんて絶対無理だしやりたくないそう。私も電話が苦手だと感じ続ける人生だったんだけど、今日それがひっくり返った。
今の仕事だとたまーに電話を取らないといけないタイミングが発生するんだけど、今日は同じブースの別テナントさんの電話に急遽対応しないといけなくなって、腹を括って出たんだよね。商品の在庫確認諸々だったんだけど、何でかかなり巧い事対応できてしまった。メモを取りながら話を聞いて相手の言ってる事を復唱して、必要な情報を全部聞き出して、在庫と希望している数量を照らし合わせながら商品の使用期限も確認しながら確保してた。一度他店に確認しないといけなくて、そっちは先輩にやって貰って、同時に別のお客様の対応もきちんと出来た(調べものの為に一旦保留にしてたから)。で、結局ほぼミスもなく対応出来ちゃったわけですよ。そんで一気に苦手意識みたいなのが剥がれ落ちました。
何で電話対応が苦手だったのかって言うと、初めての職場で電話の相手に何度か怒鳴られる事があったからなんだよね。電話に出る事は或る種怖い事だと思ってトラウマになったからなんだけど、仕事は仕事としてやらなくちゃいけなくなったら出来た。って事は『苦手だけど嫌いではなかった』んだと思う。
たまに聞く話なんだけど、どこかのお店や病院(歯医者とか)の予約やその取り消しや変更が苦手って意見にはあまり同意できなかった。やらないと自分が困るだけだから平気と言うか。何だろう、思い込みの一つもあったのかもしれない。
人と関わる事を好きになれたのはいつからだろうか。いじめで一回心が壊れかけて、その後もう一回壊れそうなタイミングがあったのに、どうしてか周囲には必ず味方になってくれる人が現れる。傷つけてくる存在と同じかそれ以上に助けてくれる存在が居てくれたから生きて来られた。それなりに人生が楽しいのは確実にそのおかげで、気付けた後は自分が助ける側に回ってた。でもこれって運とか巡り合わせの類なんだろうな。
最近自覚したと言うか言語化できたんだけど、私は『強めの弱者』なんだと感じてる。弱者って言うのはつまり『社会的な弱者』って事なんだけど、障害者手帳を持って専用の雇用枠で働いてて、月に一度以上の通院が必須となると『強者』とは言い難いと思う。でも必要な支援に繋がる情報を得るツールが使えたり、自分から苦しみを発信できるし病院とか行政にも一人で頼れる。就労移行支援とか最たる例だし、あの場所を紹介してくれたのは専門学校の先生の繋がりで出逢った相談室の人だった。そう言う支援者さん達にアクセスする手段がある時点で『絶対的弱者』ではないと思う。
少し前から『最優先に支援が必要な弱者は、救いたいと思う姿をしていない』みたいな意見を見聞きする。それとも少し関係してるけど、私に助けの手や支援の手が比較的スムーズに伸びてくれるのは『最優先に助けるべき弱者じゃないから』なんじゃと感じる事が増えた。救いたいと思う姿をしていないって、醜いとかじゃなく『支援を受け容れる態度をとらない、自分を侮るなと怒る事もある』とかが該当すると考えてる。負けたって感じるのかな。素直にその手を取れない人がいるのは確かだけど、素直にならないと助かる人も助からないよ。
こうやって書くと『弱者』とされる人達を中傷してるみたいな言い方になるのが嫌だ。遜ったり自分を下げまくる必要はない。でも、助けてくれる人に感謝したり、素直に支援の手を頼るのは負けじゃないし、寧ろ勝ちだと思う。産まれたから一生一人で生きるなんて、強者であっても誰にもできないんだから。

で、冒頭の話に戻るんだけど『社会不適合者』って言うのは本当はすごくグラデーションになってるんじゃないかな。私にもそう言う要素は確実にあるけど、白と黒なら確実に白寄りのグレーゾーンに居る。だから『頑張ればできる事』と『出来るけど疲れる事』の間に色んな項目を抱えてて、一つ一つ潰して行ってる。『まったく苦にならない事になる事』は多分ないけど、少なくとも出来る事は増やせてきたんだ。
その一つが電話対応なんだと思ってる。やっぱり、経験とそれに裏打ちされた自信が無いと出来るようにはなれないんだ。だから私には発達障害の診断が下りないし、必要ないんだよね。そしてこれからその自信を育てていけばいいんだ。
ちなみに社不のテストの結果は『社会不適合者の要素:0%』でした。何にでも適応できるってさ。良かったね私。

▼2025/09/18:異色の琥珀、稀なる紺碧

幼い頃からずっと両手を酷使している。物を作る、書く、描く、塗る、調理する、読む為に捲る、写す為に押さえる、縫う為に抓むなどなど、指先から手首にかけて過重労働を強いている人生だ。ちなみに両手とも骨折した事があり、未だ可動域に制限があるなど結構ボロボロである。手術の痕跡がまあまあ目立つしメンタル疾患と相性の良くない箇所にある為、初対面の人は存在を認識しても訳を訊き辛いらしい(以前就労移行支援事業所の同期に元柔道整復師の人が居て、『解放骨折の跡ですか?』と訊かれたくらいで、ぶっちゃけ自傷行為の痕跡と思われる事がある)。しかし当の私はまったく気にしていないらしいと言うか、たまに存在を忘れる。具体的に言うと左手首と左肘関節の内側にそれぞれ十数針縫った跡があるのだが、内側にあると意外と気にならないから不思議だ。私自身よりも両親の方が気にしているらしい。『女の子なのに』と言われたのはその時が初めてだった。
右手の方はと言うと、傷跡は残らなかったが小学生の頃に車のドアに右人差し指を挟んだ結果パキッと折れた。今でも若干動かしにくい方向がある。利き手は右なのだが、特に問題なく使えているので幼い子供の回復力はすごいなぁと今更感心してしまう。
で、書き続けているとペンやら鉛筆やらを握り続けるわけだけど、案の定腱鞘炎を患う事になった。高校生の頃と就職してからも何度か整形外科に赴いている。多くのケースでは痛み止めの湿布薬なので症状を緩和して手を休ませつつ(つまりは作業量をセーブして)経過観察していることになるのだが、それだと駄目な場合、私は注射をお願いすることがある。腱鞘炎とは利き手の親指側の関節内部の腱が納める鞘のような部分が腫れて炎症を起こしているから腱鞘炎と書くのだが、それを緩和する(それも結構劇的に効果がある)のがその注射だ。ただしこれ、少なからず痛みを伴うし、それは治療する医師の腕にかなり左右されるらしい、と高校生の頃に思い知った。
その時は学校の紹介で(漫画研究部だったのもあり校医を紹介して貰った)と或る診療所へ赴いたが、診察してくれるのは80歳すぎのご老人。注射器を持つ手がプルプルしていた。ちゃんと針が目的の場所に刺さるのか、そっちの方が怖かった。この時、結構ぶっとい針が親指の付け根の関節に捩じ込むように刺される。結果としてきちんと刺さったし、薬は注入されて、一週間ほどかかって痛みはほぼなくなった。しかし注射の後は手首と親指の根元が腫れてとんでもなく痛いし、丸一日水にも濡らせないしでトラウマになるくらいの出来事だったので、暫くは加減して両手を使っていた。
時は流れ社会人になってから、事務職で手を酷使してしまった結果腱鞘炎が復活。再び湿布で急場をしのぐも結局は注射での治療を選んだ────しかし、その時受診した病院の先生に『神的に腱鞘炎治療の注射を打つのが上手な先生』がおられたのだ。診察の後、注射での治療を怖がる私に彼は何と言ったと思うだろうか。

「大丈夫。僕、上手だから」

これを執筆している現在なら既視感を覚える台詞と共に、先生は注射器を構え、真っすぐに関節に突き刺し、薬を注入した。針が突き刺さった瞬間だけ痛みを感じたが、その他は全く痛くなかった。
薬液が注入されて患部に染み渡る感触のみを覚え、刹那に炎症由来の痛みそのものが無くなる。とんでもなく上手な先生だったのだ。「本当に痛くないです。薬液って冷たいんですね」と私が言うと、「でしょ。もうちょっとかかるけど、頑張ってね」と笑顔を見せる。この時私は先生が神様に思えた。
結構な量の薬液が注入され、針が抜かれて傷の処置を施され、その後の注意点などを聞いたのち診察は終了する。そしてお会計の時、受付のお姉さんは「良かったですね〜。あの先生うちの病院で一番注射が上手なんですよ」とこそっと教えてくれた。
さて、皆さんは先生の台詞にどんなキャラクターヴォイスを当てただろうか。私はこの時の事を現職の店長に伝えた際「五○悟w」と言われた。つまるところ『CV:中村悠一』である。ちなみに狙って言ったわけではない。あの時先生は本当に上記の台詞を述べたし、多分だけどあの頃呪術○戦は連載前だ。
まあそんな神医者が存在する整形外科に出逢えたのは幸運である。その後は先生の指示や言いつけを守り生活しているおかげで腱鞘炎の影くらいは見えても直ぐに対処して湿布も要らない状態を保てている。
具体的に言うと『手を酷使しない』に尽きるのだが、長時間の作業が予想されるときには小休憩を挟み手のマッサージやストレッチを取り入れている。お陰で此処五年ほどは整形外科に通院していない。
以前『舌回し運動』の事を書いたが、両手をいたわる為に行なっている事も書こうと思う。基本的に私はキーボードを打ったりイラストを描く際には最低でも30分に一度は手首や指の付け根、腕のツボっぽい所をマッサージしてストレッチするようにしている。
腕を伸ばし、もう片方の手で伸ばした手を抑えて腱や筋を伸ばすのと、手首から肘にかけてきもちいいと感じるくらいの強さで押さえるようにマッサージする。序でに肩凝り防止で首の筋肉も伸ばしたり首の裏側を伸ばすようにしている。これが習慣になって頭痛や肩凝りが劇的に減った。両肩を竦めてグルグル動かすのも良いと思う。人生で一度しか与えられない身体をケアしておくと、大きな不調には陥りにくい。
思えば筋トレを始めてから腰痛に悩まされる事が激減した。頭痛に関しても両方の耳をマッサージしたり、回す事で其処まで大きな不調に陥る事も減った。身体はある程度動かしておく方がいいんだなと感じる。筋肉量も或る程度維持しておきたいし、何より、鍛えていると目の前に現れた理不尽(主にアレなお客)にも内心で『殴り合ったら私が勝つんだからな? お前が客じゃなかったら既に鳩尾に一発入ってるぞ?』と思うと不思議とそこまで心に波は立たない。
そう、筋肉は全てを解決する──と言うのはさておき、最近あまり心が荒れない事に気が付いた。凪いでいるわけでもないが、気付いたのだ。『目の前の理不尽に心を乱されている時間の方が勿体無い』事に。人生や心のリソースを嫌なものの為に割きたくない。ので、もし乱暴な物言いのお客やいきなり失礼なレベルのタメ口を聞くお客には心のシャッターがガラガラッと下がって最低限のサービスしか提供しないようにしている。下手に出ろとは言わないが、人として最低限の礼節を弁えるべきなのは、何もサービス事業者ばかりではないのだ。販売員も人なので、より良いサービスを提供するなら好ましいお客様を優先したいのが正直なところ。
ので、自分が客側に回ると良いお客でいたいと強く思う。その時礼節を弁えていない店員に当たると悲しい所だが、まあこれも勉強の機会であり、『自分ならこうするかな』と言う脳内シミュレーションをしておく。で、それを仕事に活かす。
この前、うちのお店で仔犬をお迎えしたお客様のご相談に乗って話が弾んだ結果、ご飯やおやつも当店で買ってくれるようになった方が増えた。一応記憶力が良いのでワンちゃんの話も覚えているし、商品をお勧めしたりご飯の食べさせ方を色々とお伝えしたらまたたくさん買ってくれたしクリスマスケーキ(わんこ用)も予約してくださった。
相変わらずと言うか、お年寄りや年上の女性への受けが良いタイプのスタッフである。母曰く『孫オーラ』を纏っているらしい。そして甘える方の孫じゃなく頼れる方の孫オーラらしく、声も大きく聞き取りやすいし元気が良いのでお年寄りには適している接客なんだろう。
そんなこんなで毎日遣り甲斐を感じつつお仕事している。働く時間が伸ばせた関係で賃金も上がるので、このままいい感じに働いていきたい。こう思える心の余裕は、恐らく趣味の筋トレを含む運動のお陰もあるのだ。良くも悪くも寝たら大体の事を忘れられる性質なので、適度な疲労の為にもと積極的に身体を動かしている。
今年が終わるまでにあと5キロくらいは体重を落としておきたい、と言うのが当面の目標だ。案外達成できそうな気もする。毎日それなりに動く仕事内容且つ、身体を動かすのがストレスコントロールだから。


▼2025/09/12:毒も過ぎなかったら薬だよね

『毒にも薬にもならぬ』って言われたらもうしゃあないけど。
薬を毎日飲むようになって早十六年。メンタルの薬ってこんなに長期連用しても良いように作られてるのって凄いなぁと素直に感心する。まあ服用し忘れて大変な目に遭う人の方が多いから、そう言う仕様じゃないと困るんだけどね。
長年メンタルの薬をほとんど忘れずに飲む事が出来てるのは、飲み始めの頃からお母さんと努力した+就労移行支援事業所で『薬の服用をついサボってしまう、忘れてしまう』で大変な人を多く見てきた×初めての職場が調剤薬局の数式が当て嵌まると思う。
メンタルの薬を飲んでると副作用が大変だって話をあちらこちらで本当に良く見聞きするんだけど、確かに私も合う薬を探すのに数年かかったからあまり軽く見てはいけない問題だなと思う。おまけに精神疾患ってなかなか診断が定まらない人も多いから、一度出された薬が症状に合ってない場合も少なくない。多分、私の薬が此処まで合うようになったのは専門学校を出て就職活動ができるようになった頃くらいだよ。それでもたまに薬があってないかもしれないって思う事あるし。
ちなみに、薬が合ってるからって劇的に元気で活動的≠ノなれるわけじゃない。私は外交的な方だし知らない人に話しかけるとか初対面の人と会う事にワクワクするタイプだけど、それはあくまでも性格だから。元々の性格の部分は薬で矯正できない部分の方が大きいと思う。多分。
で、活動的過ぎても逆に多少なりとも周囲との軋轢が生まれたりするんですよ。元気すぎる子供とか普通にうるさいしね。人によって性格が合う合わないは当然あります。ただ、それが病気や障害の所為でデバフがかかってた場合に幾らか改善されたりって事があるだけ。
昨日たまたまニュースで見たんだけど、愛知県(だったと思う)に成人限定の発達障害外来が存在していて、かなり込み合っているらしい。予約を取るのも大変で、それでも診て欲しい人達は絶えないんだって。大人の為の発達障害外来だから、これまで見逃されてきた人たちが殺到するんだろうね。
前にも書いたけど、私は発達障害の観点から見るとかなり微妙な立ち位置にいる。限りなくグレーゾーンの、困り事があっても自分や周囲の人の協力で如何にかできちゃうから診断がつかないってレベルの人間です。確かに片付けは苦手だし昔は忘れものと遅刻のオンパレードなある種の困った問題児だった。授業中に空想の世界に飛んで落書きしたり手遊びはしょっちゅうだったし、クラスで一人だけ毎日のように忘れ物はするし、夜眠れなくて朝起きられないから遅刻魔、かつ授業中は居眠り魔。所謂器械運動が苦手でマット運動とか跳び箱は出来たためしが殆ど無い。球技とかも悲惨だよ。まずラケットにボールが当たらないし、ルールも覚えられないからね。一番苦手なのは水泳で、顔を水に浸けるのも嫌だった。
書き連ねてみると大分指導しづらい子供だな。でも、出来る事は周囲よりもとびぬけて出来た。絵画の賞は毎年十個以上受賞するし、上位の賞を獲って新聞に載ったり副賞の画材や図書カードで荒稼ぎしてた(年間3〜4万円くらいは稼いでた)。記憶力も良かったもんだから、暗記科目ではテストで満点を取ったり、調べもので力を発揮することも多い。記憶力が良いのに忘れ物が多いのは謎だけど。
で、こんな風に書いていくと結構発達障害っぽい要素が多いんだよね。恐らくだけど、今現在困り事が殆ど無いから診断がつかないだけで、そしてお母さんや周囲の人に恵まれて『療育』みたいなものが受けられたから或る程度矯正出来ちゃっただけなんだよね。
昔から自分で納得できない事をするのが苦手だった。これって意味あるのかって考え(過ぎ)ちゃう癖もあるから。でも今は『意味が無くても必要があるとされる事はある』とか『自分にはなくても他人にはある場合もあるじゃん』
って考えられるようになれたから出来るようになった。
何て言うか、自分の考えと目の前で起きてる事を一旦切り離す感じ。で、後になって意味がある事に気付く事もたまにある。勉強とか長期休みの宿題とかね。ああ、これ社会に出た時に必要なスキルの一つだったわと気付いた事も何度かあった。
そんで話を戻すけど、薬もある意味『これ飲んでる意味あるのかな』の連続だと思う。初めは特に。でも時間の経過とともに症状が改善したり、一定期間服用したからこそわかる『合う合わない』や『丁度良い服用時点や服用方法』がある。どんな病気でも飲む前から合う合わないがはっきりとわかるケースはそんなに多く無いんじゃないかな。腎臓の病気で飲水制限がある人に粉薬はマズいとか、爪水虫の治療中の人に合わない眠剤が結構多いとかは別として。
だから、考えないで飲むのはあまり宜しくないけど、考え過ぎて服薬を勝手に辞めてしまう事のリスクの方が多分大きい。
……まあ、その辺を相談しても話を聞いてくれないとか改善しようという意思が見られない医療従事者に当たるのは悲惨だけど……精神科って他の科とは別のベクトルで相性が大事だから。
これは私が比較的都会に住んでるから言えちゃう事なんだけど、もしそんな医療者に当たったら変えちゃった方が自分の為だと思う。私もそれで転院してるし。後は正確な薬の知識をつけて、ある程度主治医とバトル出来るようにするとか。今ってさ、ネットで医薬品添付文書とか検索できちゃうし疫学も調べられるんだよね。本屋さんとか図書館で調べてもいいと思う。つまりは医療従事者が言ってる事の正確性を患者側がある程度ジャッジできちゃうから、医療者は油断禁物なんだけど。

私が今飲んでる薬で困ってるのは食欲が増して肥りやすい事と、眠剤の影響で寝る直前の記憶が無くなる事、そして『妙に夢がはっきりする』事。
いま主軸で飲んでる眠剤がデエビゴって言うんだけど、比較的新しい薬で広く知られる副作用が『悪夢を見る』なんだよね。はっきりと言われてるのがちょっと笑えるけど、この薬は浅い眠りを減らして、深い眠りとレム睡眠と言う夢を見る時の眠りの時間を増やすタイプの効き方をする。だから夢をはっきり見る人が多いし、夢を覚えてるくらいはっきり見るって事は悪夢の可能性も増える。私は現実に起きて欲しくないと考えている事に限って悪夢を見る。そんで起きた時にリアルに『…ハッ!…夢か…』をする事になる。結構怖いし嫌なんだけど、起きて暫くすると忘れちゃうからあまり気にしてない。逆に言うと『気にならない程度の副作用だから飲み続けられる』と。よく見る悪夢はメイクが巧く出来ないとか、仕事でミスするとか、何か大切な約束に間に合わないとか、スズメバチに刺されるとかかな。こうして文字にすると結構アレな悪夢だけど。
悪夢じゃなくても夢の内容がはっきりし過ぎてて、起きた時現実だったんじゃないかって思う事が多い。あまりにも現実染みたリアリティのある夢だから、記憶のどこかに存在するんじゃないかって結構思う。でも、絶対に何処かが違うから区別が付く感じ。
記憶違いって多くの人が経験してると思うんだけど、それくらい想像力が豊かって事なのかな。夢の中のクオリティって想像力が少なからず寄与してそう。つまり、妄想するのが好きなオタクは大体が想像力が豊かだってことなんだろうけど。
統合失調症ってさ、妄想──所謂『被害妄想』が症状のひとつじゃない。私も一時悩まされたけど、今は『これは妄想だ』って判断つくし『考えが飛躍してるな』って自覚も出来る。で、『妄想した理由』とか『考えが飛躍した理由』を考えると大抵『自分に余裕が無い』か『肉体や脳味噌が疲れてる』んだわ。となると適切に自分を甘やかしたり疲れをとる方向にシフトする。主にお風呂に入って好きな本を読むとか音楽を聴くとか、歌って発散するとかだけど。其処で少し回復出来たら取って置きの時短アイテムで身体を綺麗にして、余裕が生まれたらフェイスパックをして、いつも通り髪を乾かして寝る。以上。
ちなみにこれも出来ない時は只管おばあちゃんに頼って家事を丸投げし、自分はごろごろしながらスマホで好きなもの(特にお犬とお猫)を見ます。ぶっちゃけ薬は後付けと言うか。

発達障害の話に戻るとさ、特性を持ってる人って脳が完成するスピードが一般的な人とは違うらしいんだよね。そして脳内の回路も違ったりするから普通とされる人とはどうしたって能力のパラメータが違う。今の時代は『普通の人』に求められる能力値も高すぎるし、うまくいかない人が多いのは何となくわかる。でもだからって昔に戻りたいかって言われたら絶対に嫌だって私は思う。今の方が楽しいし自由だもん。

それくらい恵まれてる立ち位置に居るって自覚しつつ、謙虚に生きていきましょうか。


▼2025/09/11:喪いながら生きる私は、犠牲を活かして生きている。

デュオリンゴで勉強始めて、277日経ったらしい。今日もデイリークエストは回収済みで、何だかんだ毎日続いて今がある。始める前は『これ本当に続くのかな』と思いもしたけど、意外と続いてる。下の記事でも書いてるけど記憶力が結構いいのもあって単語の綴りとかも忘れてなかったり、他の媒体で出逢った事ある単語に関連付いていれば初めて出題されても大体は答えられるようになった。それでも今は英語辞典の入った電子辞書が欲しい。スマホで総てをカバーしきれない時もあるから。
勉強序でに英語の曲を聞く事も増えて、最近だと外国ゲームのファンメイド曲にハマってる。どうしてか飛行機事故の再現動画に使われがちな『FNAF』の『Never Be Alone』とか、YouTubeでよく見た『That’s not my Neighbor』の『Open The Door』とか。
SNSで一時『バイオハザード』のダブルパロディシリーズを書くのにハマってた事があるんだけど、作中にそれっぽい英文を組み込むのも楽しかった。完全に習ったばかりの言葉を使いたいだけの中二病だったけど、あれはあれで楽しい。他にも二次創作で外国映画のダブルパロディを書いた時もそれっぽい英文とか固有名詞を考えて載せてた。元々苦手意識が少ないんだろうね、とたまに言われる。多分幼稚園と小学校で比較的がっつり英語を習ったからだと思う。まあ発音は大抵カタカナなんだけど。
最近、デュオリンゴで英作文問題も出るけど、時間はかかってもそれなりに正しい文法で書けるようにもなって来た。このやる気が高校生までに出てたらもう少し成績も良かったのかな。今からでも遅くはないか。やる気になれるだけ幸運だと思うし。
ローマ字入力は小学生の頃に叩き込まれたおかげで脳内で直ぐに変換できるのに、英語をパソコンで打とうと思うと途端に速度が落ちるのは仕方ないのかな。ブラインドタッチ殆ど完璧になったけど、英語だと見ながらじゃないと打てない。
そう言えばこの前パソコン買い換えの話をしたと思うんだけど、どうやらまだまだこのパソコンが頑張れそうなのでちょっとほっとしてる。後は年末の賞与がどれくらい貰えるかにもよっては、来年以降に買い替える可能性もあるけど。生きてるだけでもお金がかかる。でもそれが人間と言う社会的な生物のお約束なんだろね。
ちなみにブラインドタッチに関しては自分のパソコン以外ではあまりうまくいきません。多分脳じゃなくて身体が覚えてるんだろうな。テンキーの位置とか記号の配置が微妙に違うんだと思う。勿論見ながらの方が早く正確に打てるんだとも思ってるけど。
前に画面を見ながら打てなかった頃は手元を見て打って画面を確認するってタイムラグが発生してたんだけど、それでも今のブラインドタッチより早かったと思う。今でも調子が悪い時は手元見ながら打つし。今月でとうとうオタクになって書き始めてから20年目。小説を書き続けてきたのも或る種、継続力がある証拠になってるのかな。運動とか顔の体操とか、他にもいろいろあるけど、続いてる一番の理由は『楽しいから』なんだよね。うまく出来なかったことが努力でできるようになる過程が楽しい。
物づくりと同じかもしれない。形に出来てくると楽しいんだよ。調理も縫い物もイラストも、形になってきてからが一番楽しい。脳内で考えてる時も楽しいんだけど、目の前に五感を刺激する物体があると楽しさが段違いになる。
多分、それもあって実店舗でお買い物するのが好きなんだと思う。見て触れて、実際のそれが生まれた経緯を推測するのが好きなんだ。ネットショッピングも楽しいんだけどね。
初めて会う人とか、初めて見る物とか、初めて聴く音とか、ワクワクするものがある限りはお金よりも大切な時間を引き渡しますよ、私はね。

←前へ | 次へ→