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▼2025/11/11:振り返れば轍、何と小さな足跡だろう

結局、下の記事を書いた翌日には小説を書いていた。私の使う言葉は時に逆の現象を巻き起こすのだろうか。

この前ある書籍を購入した。以前より視聴しているYoutubeチャンネルの主が書いた本で、『私のなかの希死念慮ちゃん』と言う、精神科領域の解説本、みたいなもの。希死念慮は皆さんも幾らかはご存知かと思うので説明を省くけど、その感情や思い自体に『希死念慮ちゃん』と敢えてポップなキャラクター性を持たせてメタ思考をしつつ、それと向き合い共存する方法を提案する、と言う内容で結構面白かった。
最近では希死念慮を強く感じる事は減っているのだけど、ふとした瞬間に魔がさすかのようにその気持ちが心の中に発生することがある。何だろう、慣れた選択肢と言うべきか。勿論本気で実行しないし、心の底からそう思っているわけではないので毎回『何か疲れる事したっけ?』と自問したり『取り敢えずカフェイン摂って運動しよう』と別の事に脳のモードを切り替える。
ただ、楽しかった出来事の後で無性に消えたくなることが結構あって、これはどうやら双極症の『軽躁』状態と関係しているらしい。これは私の持つ過去のトラウマによるものと言うより、脳内の『気分の調整機構』が乱れてしまった結果だろうと書かれていた。なるほどな、と思う。私は鬱よりも躁の状態の方が圧倒的に多い。ただ、これは鬱状態に効くお薬を飲んでの状態なので、処方薬が無かったらどうなるか分からない。
私は普段、エネルギッシュに活動するタイプだと思う。持病の統合失調症はもう、統合失調感情障害と言える。これには双極症の症状も含まれる。だから、突発的な軽めの希死念慮がやってくるのかもしれないし、それは脳の誤作動なんだと思い始めた。
もしこの仮説が当たっているなら、この微かな希死念慮は『気分』と言うより『脳や身体の機能障害』だ。だから色んな薬が良く聞くのかもしれない。今現在飲んでいる薬が合っているから、病気由来の鬱々しさではない突発的な症状が顕れる。
こういった精神科の先生が書いた本を読むのは初めてだけど、割と面白いし勉強にもなった。興味があれば手に取ってみてもいいと思う。


▼2025/11/07:凹みが無いと埋まらないでしょう、その尖った感性。

暫くの間、小説を書いていない。
私の第一の趣味と言える文章を書く事、及び物語を綴る事。二次創作BLだけでなく、一時創作の妄想は蔓延っている。ただ、何となく書く気にならなかった。他にしたい事も多いし、何もしない時間が休養となって心が休まる事を知ったから。物づくりはそれなりにしている。この前も髪飾りやバッグを作った。手帳をつけるフォーマットも試行錯誤の最中だし、料理や運動も欠かさないし、英語だって毎日勉強している。
人間と言う生き物は、自発的な行動の方が続くらしい。『これを学びたい』と感じて自らそれを極めようと考え行動すると継続しやすいと聞いた。ただ、その動機が『他の誰かの為』ではなく『自分の思う未来の自分の為』でもなく、『今を楽しむ自分の為』の方が続きやすいように思う。最近それを実感しているのが英語の学習である。デュオリンゴで英語を勉強しようと思ったきっかけは前に書いた通り『英語で画かれた漫画を読みたいから』で、それを読みたいのは『癖に刺さった新キャラのパートを読みたいのに、翻訳されるまで何年かかるか分からないから』だ。ビジュアルが癖に刺さるのは勿論の事、彼の過去も持っている特殊能力も非常に良いので読みたくて、しかし翻訳されるまで十年単位待つのは嫌だった。から、『じゃあ原典で読めばいい』と結構軽いノリでデュオリンゴをダウンロードした。私は昔から、変な所でフットワークが軽い。
結局その読書の目的は続かず(一話当たりが900円弱は高すぎる)、英語の勉強はそれなりに楽しいし遣り甲斐もあるしで現在に至っているが、何でか世界のどっかの人が私をフォローして応援してくれるようになった。しかし私は彼等彼女等のことを何も知らないし分からないので、ただ『楽しむ自分の為に』勉強している。大分英語を聴いたり読んだり書いたりは出来るようになって、苦手な英作文もそれなりに出来るようになった。但し発音は変わらずカタカナだ。しかし毎日練習していると若干ではあるが良くなっているようで、デュオリンゴの発音練習も点数が貰えるようになってはいる。
英語の曲を聴きながら運動することも増えた。何となくでも言っている事や伝えたい事が掴めるようになってきて楽しい。運動しながらネバービーアローンを口パクで歌ったり、カウンティングスターズをシャウトしている気分に浸ると踏み台昇降の30分はあっという間だ。米津さんの曲を英訳したものを唄う挑戦もしている。我ながら自分が何処に行きたいのか分からないが、まあまあ面白いから良いと思う。
運動の他に料理も趣味の一つだし、裁縫やハンドメイドアクセサリーの製作、ドールを愛でる活動、美容とメイクの研究、イラストを描く事もインテリアをコーディネートする事も、このブログを書いたり手帳をつけたり、まあまあやる事は多い多趣味な人生だ。総てをやり切ろうとするとかなり疲れるし、恐らくは不可能なのでどれかは力を抜くわけだ。私はよく、趣味の一つ一つを調理中の鍋に喩える。どれも焜炉の上でコトコトと煮えているわけだが、火加減の調節をしながら巧い事続けているように感じている。そして、焜炉が足りないこともままあって、そう言う時は鍋敷きの上で休ませているのだ。その鍋のうちの一つが今現在、『小説を書く事』なのかもしれない。こういう考えで居られる時はその趣味と巧く付き合えている状態に感じる。何だろう、やっていない事に罪悪感を覚える事があるというのは趣味に於いてはあまり良い状態ではないように思えるのだ。趣味とは余暇活動の一つなので、これが仕事なら或る程度の成果を求められるけれど、個人の活動でしかないなら誰に強制されることも無い筈なのである。しかし、自分に罪悪感を覚えるのは何となくわかる。自分をいちばんに扱えていないように感じてしまう事が私にもある。人生は有限だし、やりたい事も書きたい事も尽きない。でも、本当に自分をいちばんに扱うのであれば、『今は書きたくない気持ち』を尊重して良いように思う。誰の許可も取らずに書いているのなら、書くか書かないかは自分の裁量で決めて良いのだ。
『推し活』と言う言葉が広まって少し経つけれど、『推す事』に義務感を覚えたら一旦離れようと考える人も多いらしく、それが長く適切な形で推しを推す事に繋がりもするらしい。
ただ、オタクと言うのは厄介な生き物なので『推していない自分』や『書いていない自分』を過去の『推してきた自分』や『書いてきた自分』に申し訳なく思ってしまうんじゃないだろうか。これまでの自分に恥じない自分で在りたいからこその罪悪感かもしれない。
しかし、私は多分こんな事を書きつつも『これからも書き続ける為に今は書かないのだ』と唱えてしまう。細く長くいきたいと考える事が増えた。そして、いつか商業作家になってみたいなぁと思いながら一時創作のネタを温めている。書きたい話について調べ、必要な知識を勉強して身につける。イメージソングを決めて妄想を繰り返す。これらも文字になっていない創作の一部の様な気もする。多分これは言い訳でしかないんだけど、趣味なんだしこんな感じでも許されると思うし、私は許している。
『趣味』と『愛好』は少しニュアンスが違う様な気がしていて、でもよく似た姉妹くらいの関係だと思う。趣味は仕事にすると病む事があるけれど、愛好『家』なら職業に近いと言うか、称号のようにも思える。うまく言えないんだけれど。
つまるところ、書いていない自分も好きだし、書いている自分も良い。同じくらいに。今は煮詰まったジャムを冷ましている所なのか、それとも煮物の味を沁みさせているのか。丁度良い温度になったら次の段階に行くし、もしくは何かしらの手を加えるかもしれない。多分私のキャパシティ的に三口焜炉以上なのは確定なので、そろそろ炎の上に戻すかもしれない。
面倒に感じる事もあるし、でも出来上がった成果物を味わうと格別なのも本当。焦げ付かない程度に熱していられれば良いんじゃないか、鍋ごと駄目にするよりは、一度火から下ろして置けるならそれで。

このスタンスを取れるようになって、大分楽になった。出来る日も出来ない日も、やりたいのに出来ない日もあって良い。と言うか、許可を出さずとも存在する。そう実感できて腑に落ちて、急に楽になれた。非定型発達の人間は、人間として成熟するスピードが定型の人の7割くらいらしい。と言う事は私の精神年齢は23〜24歳くらいなんだろうか。それにしては時折子供すぎるし、別な時には老成しているけれども。

自分を俯瞰で見られると、人はそれまでよりも少し楽に生きられるらしい。メタ認知とかメタ思考とか呼ぶらしく、自分の中の感情と自分を切り離して外側から眺めてみる、のだとすれば、私の離人症状はそれに近いものがある気がする。良いんだか悪いんだか。
これまでの我武者羅でストイックな自分も悪くなかったとは思う。今は大人になって、大人ならではの楽しみ方を身に着けている最中なんだろう。情熱はとろ火になっても燃え続ける物だし、結局好きなものは好きなままだ。焜炉の数を増やしたいなとたまに思うけれど、ガス代がかかって仕方ないよりはいいのかもね。


▼2025/11/05:この世界で唯一じゃない正解を探す、結局のところ全てはコインの表と裏。

ロルバーンのシステム手帳化完了。バインダーにノートの穴の位置が合わない原因が判明。サイズを思い切り間違えてた。本来欲しかったのはB6サイズなのに間違ってA5サイズ相当を購入していたとか言う、割りと初歩的なミスを犯していました。でもお陰でペンとかの筆記具やシール類もしまえるので良しとします。美術系だったのに、紙の版の大きさがあまり頭に入って無いのは残念ですね。まあ調べればすぐに分かるから、此方も良しとしましょう。
手帳の書き方はまだ考案できていないので、明日以降検索したり自分なりに試行錯誤してみます。書きたい項目は幾つか決めてあって『その日の身体の調子、心の調子』『運動をしたか否か』『頭痛を感じたのか、その際薬を飲んだのか』『その日に出来た事を踏まえて明日以降にやりたい事』『デュオリンゴの連続記録日数』辺りですかね。女子の日とかは薬で管理しているし、精神科の服薬漏れも基本的に無いので、これ等はひとまず置いておきましょう。
最近、SNS等で服薬がどうしても漏れる人とか予約通りに通院できない人の意見を見聞きするんですが、服薬が漏れると症状は悪化しないんだろうか。それで通院できないんだとしたら、主治医の先生に持効性注射とかお願いするのもアリだと思うなと思いつつ、使っている薬総てでそれが出来るかと言うと違うので、薬剤師さんとかとも相談すべきなんですかね。
幼稚園の頃からしょっちゅう体調を崩していた子供だったので、昔から薬を飲む事に抵抗がありません。ただ、市販薬はあまり飲んでこなかったなと思い出しました。母の方針だったのかな、基本的に熱を出したり喉が痛いとすぐ小児科にかかっていました。2歳の時に肺炎になった事があって、それ以来私が内科的な要因で体調を崩すと基本直ぐに受診。インフルエンザの予防接種も記憶にない頃から毎年受けています。痛いのは嫌いなので時々逃亡しようとしたらしいですが。今も注射が駄目なので、腕を差し出したら目をつぶってじっと耐えています。
そう、そのインフルエンザ予防接種を今年も受けないといけないんですよ。大人なんで一人で病院行くのも普通の事なんだけど、毎回素直に『注射が駄目なタイプです。横を向いて目をつぶってても良いですか?』と申告します。歯医者の麻酔も基本半泣きになるんですが、一回局所麻酔で気分が悪くなって(呼吸が苦しくなった)帰宅後直ぐにググったら『20〜30代の女性は局所麻酔で呼吸が乱れる事がある』『精神科の病気を持っている人は特になりやすい』とか出てきてちょっと血の気が引きました。
それでも健康に生きていく為には病院の力を借りざるを得ない時がある。我が家は身体(主に臓器)に影響がないなら積極的に薬を使う方針なので、精神科の薬も『これで病状が改善されるならしっかり飲もう』と母に言い聞かせられた結果、今の服薬管理スタイルが身についたんで感謝しています。

昔はかなりの不眠だったんですが、現在は7〜8時間は眠るようになれました。寝る前のお薬との相性も整ってきた。実は今も若干眠気が来てます。眠りたい時間の1時間前には飲めば充分入眠時間に間に合うんですよ。ただ、このスタイルに落ち着くまでは結構な道程でした。それは主治医と意見交換できるくらいには医薬品や病気について学んだからなんですよね。精神科の病気は主治医との相性が本当に大切。

手帳にはなるべくなら良い事を書いていきたいので、短めの日記みたいな分も書こうと思っています。前よりも緩めにやっていく心算ではありますが、一言日記でも良いし、もっと書きたいならもっと書こうと思う。嬉しかった事とか、その逆から今後に活かせそうな事とか。手書きの文字を可愛く綺麗に書く練習もしたい。
下の記事で新しい事に挑戦するのが好きだと書きましたが、これ、初対面の人に会うのも含まれるんですよ。その所為もあってか接客が楽しくて仕方ない。最近だと仕事の知識も着いてきて、お客様に喜んで貰えてとても嬉しい。その喜びを反芻して自分の中に染み込ませていきたいんです。

メンタルをやらかしている私が此処まで前向きで居られるのは、きっと気付かない内にお薬が頑張ってるんだろうな。感謝です。

▼2025/10/31:僅かな違和感、細かく刻まれる数字

先程届いたノートをばらしてバインダーに通そうとしたところ、穴の位置が微妙に合わないので明日以降穴あけパンチを購入してリベンジすることにした。その他のデザインと大きさは良い感じなんだけどもね。
札幌には大丸藤井セントラルって言う大きな文房具屋さんがあって、其処に無い場合はロフトかハンズに行くことになる。画材に関しては専門店が一番強い。ただ、バラエティ文具って言うのかな、ファンシーなものやキャラクターものはロフトとかハンズとかその他の雑貨屋さんの方が見つけやすい事も多い。最近手書きをする機会が減って来て手書きの文字がどんどん汚くなっていくので、せめて読める文字を書こうと努力するのも兼ねて記録をつける事にした。
私の字は女の子らしいとも言い難いし、読めないほど汚くないんだけど、角ばった文字と言われる。何だろう、急いで書く癖がついてしまったからか丸みって言うのが減っちゃったと感じる。丁寧に書くと大人の文字と分かると言われるのはまあ良いとしても、そもそも女の子らしい文字ってどんなんだろうね。丸みがあって小さいのならギャル文字とかとは少し違いそう。
同世代の人は見た事あると思うギャル文字。あの頃は皆ちょっと下手に見えるけど可愛いあの文字を目指していたように思う。でも私はその頃そう言う流行に乗らない事こそがかっこいいと信じ切っていて、敢えて丁寧で読みやすい文字を書こうと意識してた。多分五十歩百歩で団栗の背比べでしかない。
手書きの文字を書くにあたって、去年あたりからフリクションが大好きになった。ペンで書いても擦って消せるのが画期的過ぎて今も大好きだ。ただ、ブームが去って来てて色数が減ってしまったのは悲しい。ブラウンとか絶妙な色合いが大好きなんだけどな。昔から細軸のボールペンが好きなのは多分、イラストを描く時にはコピックマルチライナーを主線にしていてコンマ以下にこだわる所為。細ければ細いほどいいと思う時期が長かったし、今も若干その傾向は残ってる。

今度一番好きな百貨店で文具の催事をするみたいで、意気揚々と出掛ける計画を練っている。スタンプとか紙もの以外も充実してて、去年はうちのドール達の為に小物を作る材料を購入した。今年はノートの中身を装飾するものとかリフィルが欲しい。
結局、紙に何かを描くとか記す事が大好きなんだと思う。自分の考えを頭の中にだけ置いておきたくないんだ。アウトプットしていつでも見られるようにしておきたい。頭の中で形の無い状態だと、直ぐに崩れたり歪んでしまうから。認知の歪みだけでも充分厄介なのにね。ちなみに、ノートの表紙はロルバーンのチェリーが乗ったケーキのイラストの物を選んだ。バインダーはファスナーが付いた、淡い水色の金具と飾りが可愛い奴。新しい事を始める時はワクワクする。
きっと、そのワクワクを何度も味わいたいから色々な事をやりたいんだと思う。或る程度未来が予測可能な(矛盾してるけど)未知の物って楽しい。昔は知らない物って怖かったのにな。大人になると知らない物が減るから、面白く感じるのかもしれないね。

▼2025/10/30:衝動を継続する、寧ろそれは熟考か?

気付けば今年もあと二ヶ月らしい。早いと感じると同時に『まだ今の職場に来て半年も経ってないのか』とも思う。今日も可愛いトイプードルがご来店して、3匹仲良くわちゃわちゃしているのが見ていて非常に癒しだった。今日は全体的にゆるっとした空気感の店だったが、或る程度は緩急つけられる方がメリハリが利いていて良い、のだろうか。
うちの店長はシフトを組むのがあまり上手ではないので時々『無茶だろ…』となる時間帯が発生するんだけど、これって何処の企業にも幾らかは発生するタイプの困り事な気がする。何でこんな時に限って二人シフトなんだとか、肝心な時にいっつも居ないよなあの人、とか思う事は色々あれど、それだけで上長を軽んじるのは大人としてしてはいけない事なので或る程度は飲み込んでいる。
まあそれでも仕事は毎日楽しいし遣り甲斐もそれなりに在るし、プライベートを優先できる立ち位置はやりやすい。私は今、プライベートを豊かにする為に仕事をしていると言い切れる。

で、タイトルにもかかる『継続』の話。
思えば昔から飽きっぽい方だと思う。思い付きで行動してはうまくいかないとか自分に合わないと感じる物からは直ぐに興味が離れてきた。なのに少し前から『継続力がある』『よく続くね』と言う評価を得るようになってきた。顔の体操とか、筋トレ含む運動とか、お弁当作りとか。まあ全部自分に利益が大きいからやってると同時に『やっていて楽しいから』なんだけど。お弁当作りに関しては『節約になる』『料理は元々趣味』『お弁当を手作りしている人への憧れを充たせる』が上がるし、顔の体操は『やっていると顔の緊張がほぐれて笑顔に自信が付く』『気づけばほうれい線が殆ど無い』『小顔になれる』が上がる。運動に関しては『やっているとストレスを解消できる』『痩せられる』『汗をかくと美肌になれる』と、『筋トレしていると心が強くなる』『暴力isパワー=気に入らないお客は脳内でぶっ飛ばせる』とか、沢山あるから続いてるんだと思う。
思い付きでやってみたい事の比較的多くが自分にとって利益の高いものだから続いているのと、継続力があると評される状態はイコールではないけど、ニアリーイコールくらいの関係性はありそう。それとも自分に利益がありそうだからやってみたいとなるのか。
今日もやりたい事の為の物が届いたよ。Instagramで見かけた、ロルバーンのノートのリングを外して表紙にカバーをかけてバインダーに仕込んで、システム手帳として使うって奴。去年くらいからシール帳を持つことが流行してるらしくて、可愛いバインダーが沢山あって驚いた。透明カバーにラメが散った可愛い物を購入できたし、ロルバーン公式のチャームも購入して書く気満々。書く事は前にやってたのとかなり似てるけど、毎日書くんじゃなくて自分の文字で書きたい事が出来た時、記録をつけたい事の数値とかをつけようと思う。デコるのも無理なくって言うか、そもそも趣味って無理にするものじゃないんだよね。
健康診断で要注意って言う数値が一つだけ出ちゃって、そろそろ本格的に体調管理をしないといけない事もあったからこれをやろうと思い立った。主に運動の記録と体重の記録、ただ体重に関しては私の場合毎日やっちゃうと逆に病むから月一かな。現在は運動は大体週5を目安にしてる。これは前と一緒なんだけど、兎に角『取り組む事』に重点を置いてカロリーを消費出来て長く続く事なら何でも良い事にした。此処に書いてないのだと腰振り運動かな。腰を左右にリズミカルにスイングするだけなのに腰回りが変わるから驚いた。これを始めに持って来て好きな歌を聴きながら口パクしていると、その後の運動も楽しくてあっという間に終わる。おすすめはShadrowのNever be aloneとクリーピーナッツの「BBBB」。テンポが速い曲の方が乗れて良いと思う。これを10〜15分やって、その後踏み台昇降を20〜30分すると私の場合は良い感じ。休みの日はこれの前に筋トレを20分やるのが一番楽しいし汗をかいた状態でお風呂へドボン出来る。お風呂に入る前の時間がストレス解消に大切だって気づいた。この時間にやっておきたい事が出来ると一日の充実度が違う。

ちなみに、地味に続いてるデュオリンゴはもう少しで一年続いていることになるらしい。これはやっていて楽しいのと、他人からの評価が上がるって言う利益があるから続いてる。結局の所読みたかった作品は購入してないし、英語の資格取得とかもしてないんだけど、何だかんだ続いてるあたり、私は英語の勉強が好きらしい。やっぱり出来るとかっこいいじゃん。外国の人に声をかけられても怖くないし。発音は完全にカタカナだけど、向こうからすると英語を喋れるロリータの女の子ってだけでCool!らしいから。ロリータだとたまに声をかけられるんだよね。日本人からも結構褒められる。年配の女性からのウケが特に良いし、小さな女の子とか、こう言うお洋服が好きな人が身近にいる人からも声をかけられてる。
外見にこだわりすぎる傾向はまだあると思う。でも自信がついたからコントロールも利くようになってきた。私はこんなに可愛くなれるんだから大丈夫だって。その自信を守るために運動とかスキンケアも頑張ろうと思える。
前に自分が常に自分じゃないみたいな事を書いたけど、いっそ自分の中に役を幾つも用意して演じ分けるのも悪くないかなって思い始めた。TPOを守る事にもなると思うし。
疲れない範囲で、色々と楽しんで行こう。時々家に引きこもって好きなものに囲まれる時間も忘れずに。


▼2025/10/24:爪で突き刺すのか、鉛で撃ち抜くのか。

私が住んでいる地域のお話をします。ご存じの方も多いと思いますが、北海道に住んで十年以上です。産まれた場所も北海道なので、一度本州にすむまでの期間も換算すれば二十年以上北海道で暮らしています。ちなみに生まれて直ぐ引っ越した札幌市の南区は、政令指定都市にしては緑あふれる自然豊かな地域。よく遊んだ公園には美味しい実のなる気が沢山生えていて、桑とか木苺の実を頬張る事が楽しみの一つでした。胡桃やどんぐりの木も沢山生えていたし、大和公園の緑が繋がっている場所も多かった。つまり、今のご時世的に近づかない方が良い場所の一つと言えます。今は別の区に住んでいるので登下校が山登りとかは無いんですけど、うちの区でも場所によっては(結構広い区なので)クマさんがバンバン目撃されているし何なら今日は猟友会の皆さんが発砲に至ったそうです。

めっちゃ怖い。

私、小学生の頃に社会科見学で博物館に行って羆に襲われて生還できた人の写真をモザイクなしに見せられたことがありまして。ご想像通り酷い損傷を負ったその方は片目を失明したとの事で、担任は彼の言葉を読み上げましたがあれって、低学年の子供に聞かせても良い内容だったんだろうか。モザイクなしだから傷の具合も鮮明に覚えておりまして割とトラウマです。うちの担任、今思うと少し変わったタイプだったように思います。終戦記念日の話とか空襲で爆撃の被害に遭った人が、敗れた自分の腹の内臓を如何にか元に戻そうとしても戻らないとか、君が代は歌わない方が良いとか(天皇制を廃止すべきとよく言っていましたね)、国旗掲揚はすべきじゃないとか、原爆はアメリカの大犯罪とか、割りと左寄りの人だったんだと今なら思います。

話をクマさんに戻しましょう。
私は幼少期裏がガチの山な一軒家に住んでいました。山は本当にガチの山で、家の前の傾斜がソリ遊びに使えるレベルの急な斜面がある地域です。比較的富裕層の多い地域だったらしいんですけれど、まあどっちみち山がすぐそばで自然が超豊かでした。木苺を積んでジャムが作れるし、胡桃を拾ってお菓子に入れられるし、蓬を積んで草餅が作れるし、栗の木から実を落として栗羊羹が作れる環境、と書くと楽しそうだし実際楽しかったんですが、先述の通りクマの恐ろしさを知ってからは毎晩クマが裏山から降りてこないか心配になり、親と一緒じゃないと眠れなくなりました。親と山の付近で遊ぶ際にはラジオを流していました。
今思うとクマに対する正しい怖がり方を知れたのは良かったんですけど、若干担任の思想が激しめだったように感じます。あの頃は多かったみたいですけど。

うちの区の山に近い方面、毎日ニュースで見るんですよね。羆目撃情報とか発砲許可とか、避難警報とか。実家は隣の区に在るんですが、実家のある区にも羆はのそのそと現れているみたいで、車にはねられても普通に動けるそうで(車は被害を負います)、じゃあもう一般市民はどうしたらええねんって感じです。
そして、遂にこの秋のコートで外出+初雪の報道も見たのでまたこの季節が来てしまったなぁと思うしか出来ない。来年の手帳を買ったんですが、今回はかなりラブリーな見た目の物にしました。本格的にロリータに舞い戻ったのでそんな感じのを購入。後でInstagramに載せます。

夏場にロリータを着ていると真面目に熱中症の心配がありますが、これからの季節はロリータに優しい。パニエを何枚着込んでも暑くないし、タイツを履いてもニーハイソックスを重ねても問題なし。ドロワーズも重ねたい所です。来月になったら購入する心算のロリータのお洋服があるんですが、秋冬と言えばタータン模様ですよね、って感じのを買います。今月はロリータに必須なアイテムの一つであるパニエを新調しました。
基本的に休日以外はカジュアルに過ごしているので『ロリータである意識』的な物はそんなに無いのが現状です。今だとロリータ以外に可愛い物も沢山あるし。地雷系も好きだし量産系も好き。一時はスナイデルっぽかったり、カントリーっぽい時期もあった。レースとかフリルとかリボンに弱いのは幼少期から変わらないのですが。
最近だと子供服のメゾピアノとかシャーリーテンプルに憧れる事も多いです。小さい頃はあんなお洋服着る機会もなかったし。あのテイストのまま大人サイズで作ってくれないかなと思う事多々です。
多分この趣味のお陰で整容とか美容の習慣がついたんだろうな、とよく思います。どんなに疲れていてもメイク落としと洗顔は欠かさないし、スキンケアとか歯磨きもやらないと後が怖い。出来れば洗髪も毎日した方が良いし、身体を洗うのも同じく。
セルフネグレクトと言う言葉を聞くようになって久しいですが、初めから見た眼にこだわる趣味があると予防にはなるんだなって。だからロリータに目覚めて良かったなぁと思うことしきり。今年も残り少なくなりつつありますが、あと何キロ体重が落とせるのか、頑張ってみようと思います。


▼2025/10/23:織り上がるタータン、ベロアのリボンを結ぼう

下の記事が不穏すぎるね。たまに訪れる鬱な時間に書いてしまった。鬱な時間もそう長くは続かないのが私の症状なんだけど。
病名が変わるかもしれないという話を以前書いたのが、多分本当になりつつある。ただ名前が変わったとて症状に変わりはないし投薬内容にも変更が無いから何の意味があるのかって、私の中の納得値の問題以外特にないと思う。今の主治医がきちんと私と対話して病気と向き合ってくれる人なのもあって、彼に『病名は病名でしかない』っていう、文字にすると意味が分かり辛い言説もスッと入った。名前が変わっても中身が変わらないならラベルの貼り替え作業でしかないからね。
昨日友人と会って話したんだけど、私は大分幸運な人間らしい。病院にせよ相談室にせよ就労移行支援にしろ、大体のサービスに容易にアクセスできるかお膳立てして貰えたし、大抵の担当者とは気が合った。私自身が来るものを拒まないタイプなのもあってか気に入られる事も得意だ。良くない言い方をすると『気に入られるように振る舞える要支援者』って事。お互いに求められる返事を出来るから会話って進むじゃない。日本語を話しているのに日本語を理解していない人って結構居るから、言葉を使うのが上手な私は比較的有利なんだと思う。
自分の思いを言語化するのが習慣になって結構経つ。意見を求められたり、仕事のセミナーでの質疑応答でも挙手したりするのも苦手じゃない。自分の言いたい事を巧いこと伝える為の言葉を探す作業が好きだ。
友人は専門学校からの一番古いリアルでの友人で、私も彼女も家族に色々と事情を抱えてる。私は実父がああだし、彼女はお兄さんが多動の診断を受けているらしい。んで、今就労の事で悩んでる。お兄さんはある障碍者就労施設で働いてるんだけど、周囲の他の障害者の人達とぶつかることが多いんだって。話を聞いてると私にも身に覚えがあるタイプの言動をしているそうで、昔の私が嫌われていた(今がそうじゃないかって言われたら自信はない)原因に心当たりがあるなとか、私もそこで躓いたなとか感じて、支援の介入する余地は結構ありそうだった。ただ、なかなか良い支援機関に繋がれないらしい。一応『強制はしないよ』と前提を述べた上で私の言ってた就労移行支援を紹介だけして置いた。
今って色んなサービスが形だけは存在するのに質に差がありまくりだから、こういうミスマッチが起きるんだろうな。お兄さんの話を聞いてると、過去私が関わった人達の言動も思い出した。言っている事は決して間違いじゃないのに、言い方の問題で周囲とぶつかる人って結構居るじゃない。そんな感じ。自分の中の感情をそのまま言葉にしてしまったり、それを言ったら相手がどう思うのか想像するのが難しいし、何で駄目なのか、嫌なのかを察するのが苦手だから教えて欲しいのに、教えてもらえないから周囲との溝が深くなる。私がお兄さんと一緒に働いているなら似たような特性持ちからアドバイスできるかもしれないけど、それが望まれるとも限らないしね。
この前主治医から『本音と建て前を巧く使おう』『誰も傷付けない嘘は積極的についた方が良い』みたいなアドバイスを貰ったと書いたね。私がそれを実行できるのは、或る程度コミュニケーションで失敗を繰り返したからなんだ。そして、その失敗を責めずに改善する方法を考えたり教えてくれた人たちと繋がれたから。
其処が幸運だと感じる要因だし、素直に聞き入れる事が出来るのは長所の一つらしい(学生時代の成績表参照)。
去年の今頃に書いた覚えがある話もした。非定型発達の人間は、一般的な健常者の人よりも脳が出来上がるスピードが遅いってやつ。私の場合、32歳を過ぎてから急に楽になった。その辺りで脳が完成したのか、考え方の癖とか認知が歪む原因を何となく理解して察知できるようになった。
この話を教えてくれたのも今の主治医だ。カウンセリングを受けられる病院に移れた事も功を奏して今は大分安定した。今日も精神科の診察で、ずっと感じてきた解離の症状を少しづつ治療していくことになりそう。常に自分じゃない自分で居る感覚の根っこにある『もう一人の自分に押し付けてきた傷を受け取る事』はもう出来た訳だから、これからもう一人の自分と私を統合していくらしい。でも、それをするのは少し怖くもある。それが出来たとして、今の私はどうなるんだろう。違う人格になってしまわないか、怖い。過去の忘れていたトラウマが復活しないかも怖い。勿論先生は無理強いはしないと思う。けど、もしも今の調子が良くなってきた私のペースが乱れる様な事が起きたらどうなるのか予測できない。下の記事に書いた事と矛盾するけど、私は今全く死にたくない。死んだら何も出来ないんだから。やりたい事が沢山ある。作りたい物も沢山ある。現状が良い方向性ならトラウマに見て見ぬふりをするのと、とことんまで向き合って治療していく(多少の痛みや苦しみは伴っても)のと、どっちが正しいんだろうか。適しているんだろうか。

これ以上苦しみたくない。と言うのは昔から変わらない。でも、必要な苦しみがあるんだとしたら。
これは甘えだろうか。甘ったれてたとしても、私は余計な痛みや苦しみは負いたくない。見て見ぬ振りも処世術だし。こんな風に考えている時の私は本当の私だろうか?


▼2025/10/21:私は決定的に何かが過剰で、別の何かが足りない

自殺する事罪とする宗教ってあるじゃないですか。よく友人知人に『死にたいんだ』って打ち明けられて同様のあまり『そんなの駄目だよ!』と言い切っちゃう人も居るじゃないですか。これも良く聞くんですが

『貴方が死にたいと思った一日は、生きたかった人がどうしても生きられなかった一日』

みたいな言説、あるじゃないですか。さっきたまたまスピリチュアル系の動画を流し見してたら『なぜ自殺はいけないのか』って言う内容で。『周囲が悲しむ』とか『家族への思いやりが無い』とか『死んだ後の貴方を見つけてトラウマになる人も居る』などなど自殺を否定する言説ばかり溢れてて、嘗て本気で消えようとしていた身からすると、随分と的外れなアドバイスだと思うんですよね。死にたいくらい苦しんでいる人自体を救うんじゃない、自分の言葉で誰かが死なない選択を取るのは良い事だと思ってるから。
本気で死にたい人ってね、全部がどうでもよくなってる事も多いんですよ。寄り添っている心算だった周囲に傷付けられ続けた結果だったとして、その人たちに『死ぬな』って言われても多分響かないですよね。響かない人からすると『貴方達は善人で居たいだけでしょ』と言う問いしかない。
私の自殺の目的は『生きているのが辛いから』と言うより自分と言う存在をぞんざいに扱い続けてきた周囲への『復讐』なんですよね。私はお前達に傷続けられ過ぎて、その上頓珍漢なアドバイスまで寄越して。殺人者と何ら変わらないじゃないかと言う思いを認めて遺書にして、命を対価に世界へ復讐する心算だったんです。私の死体はお前たちの罪の証拠だよって示したかった。お前達が私を殺したんだと主張するためのツールでしかない。
私が今生きているのは多分たまたまの幸運と言うやつで、若しかしたらもうこの世に居なかったかもしれない。もし遂行出来ていたら、私の魂は何処にも行けないし、行く前に消滅するんだと思う。自殺したら地獄行きとか関係ないよ。傷つけられ続けた人が誰も傷付けずに消えるのに迎えない天国なんて要らない。




▼2025/10/20:狭間に居る、何方の岸辺へ上がるべきか

Instagramに載せた鞄について、と言うか、趣味で行なっている手芸全般に言える事なんだけど、私は型紙を創作することがかなり不得意だ。頭の中で『こんなものを作りたい』と思い立ったとして、材料を購入する前に一度近い形の物の作り方をネットで調べるプロセスを踏む。材料の布やレースは大体が量り売りだし、その他の部分も或る程度のサイズは頭に入れておく必要がある。入れておかないと何をどのくらい購入すべきか分からないからだ。
作り方が見えて来たら脳内でどんな形の布が必要かなどを考えつつメモを作る。今回の鞄なら表布と裏布、肩にかける為のベルト、キーホルダーをつける部分の紐、飾りのチュールとレースとリボン。イメージを実際に紙に起こす事はほぼしなくて、若しかしたらやった方が良いのかもしれないけどいつもぶっつけ本番で作っている。で、型紙が必要なら書き起こすプロセスがある筈なんだけど、私の場合立体を平面にしてそれを紙に起こすのがとても苦手だ。今回も荷物に入れるだろう物のサイズに合わせて測ってはいるものの、直線縫いばかりだからと型紙を起こす事はせず
フィーリングで製作したというのが正直なところだ。
多分本当は脳内に型紙らしきものがある筈で、でもそれを紙にアウトプットするのが苦手過ぎる。お人形の洋服とかは予め元にしたデザインに幾らか書き足したりして型紙を作れるんだけど、一から創造して型紙に起こすのは難しい。洋服を作る時にスポットライトが当たりやすいのは多分デザイナーが一番に上がると思う、けど、彼等彼女等がデザインした洋服が作れるのはパタンナーと言う型紙に起こす人が居るからだ。平面で描かれたデザイン画を元に立体と平面を行き来しながら実際のシルエットを描いて行ける才能、とても羨ましい。私は空間や図形の認知が得意なのに、それをアウトプットするのは不得意だ。最近そう考えが至ってインテリアコーディネーターの二次試験に不合格だった理由のひとつがなんとなく見えてきた。
脳内に素敵なアイディアがあったとして、それを紙に起こせない場面もあるって事だと思う。私はイメージ自体は得意でも、その他の部分で実力が足りなかった。きちんと勉強していた心算でも足りない部分が補えていなかったんだと思う。線の引き方や色の付け方には自信がある。観察も得意。でも数字とか正確性とかはかなり弱い。三角スケールって言う定規みたいな道具があるんだけどさ、1センチに見える目盛りが1メートルに相当する、みたいな大きな物を小さく描くためのツールなの。私はあれを使いこなせなかった。思えば漫画を描いていた頃も背景がものすごく苦手だった。細かく描き込める同級生に尊敬の念を抱いて仕方ないくらい。結局の所私の画力には足りない部分が多過ぎて、それを補えるほどには情熱が無かったのかもしれない。もっともっと勉強して、見て、描いてを繰り返す事が嫌になったんだろう。でも二年間全力で頑張らないと見えてこなかった事実だから、無駄ではなかったと感じる。得意を伸ばそうとか、好きなもので食べていこうとか、色んな理由で創作者を目指していた人達と知り合えて自分の身の程をいい意味で知れたと思う。
で、最初の話に戻るんだけど、発想はきっと豊かなんだよね。だからアイディアはどんどん湧いて来る。一方で単純作業は大好きだから只管手を動かして縫うプロセスも好き。これらの間に在る『アイディアをラフにでも良いから書き起こす』のが苦手なんだ。まどろっこしくてそれをする前に布を切ったり縫い始めちゃう。これが趣味だからまだいいけど、仕事にしてたら大変だったろうな、とも思う。
元になるものを改良するのは得意なんだけど、0から1にする少し前が苦手なんだろう。絵を描いている時もラフ画を描く事は少ないし、小説でもプロットは練らない。漫画もネームを切るのが苦手だった。多分これらに繋がっている形で、型紙に起こすのが苦手なんだなって最近思った。だから何だという話なんだけど、得意不得意が見えるまでやり続けられる事は長所と言ってもいいのかもしれない。英語もそう。相変わらず発音がカタカナ過ぎて嫌になるけどこれもやってみないと分からない事の一つだったし、勉強し続けてたら苦手だったはずの文法は得意になって来た。最近だと英作文を求められる事があるんだけど、些細なミスなら減点にならないみたいで程良く楽しんで勉強できる。元々得意な暗記を活かして単語をどんどん覚えれば語彙力が付くし、元々知っていた外来語の仲間に見える単語を知ると色んな情報の解像度が上がって面白い。
苦手だと思ってる事でも或る程度やり続ければ得意にはならなくても不得意のままじゃないかもしれないから、明日からは少しだけ型紙を起こす意識を持ってみようかな。大の苦手だった電話応対も自信がついたみたいに出来るようになるかもしれないし、ならないかもしれない。でもやらないと何も分からないままだからやってみる、って言う心理的なフットワークの軽さは保っておきたいなぁと思う出来事が日常に溢れてる。
勿論苦手な事より得意な事を磨き上げるのも良い。私は苦手だからこそ少しだけ触れてみる好奇心みたいなのがあるからこうする、って言う選択をする事を、此処に宣言したかった。


▼2025/10/19:それが大人になった証なら、まあ。

Windows11へのアップデートを遅ればせながら行った。一人でやり切ったのは褒められていいと思う。誰にも頼れない代わりにスマートフォンとインターネットの集合知にはかなり助けられた。結果、三時間半の戦いに勝利した。
戦いと言えば、今年は初めてジルスチュアートビューティーのクリスマスコフレを購入することにしたのでそちらでも戦いを繰り広げてきた。仕事と同じくらい朝早く起きて準備して、まずは百貨店のホームページで整理券(購入の確約ではない)を取得し、現地に向かって並び、購入予約(こちらは確約)をする。思ったより難しくない戦いではあったが、思ったより手順は多かった。
今回のクリスマスコフレはとことんまで私の好みの色味の物ばかりがセットされていて、ポーチは言うまでもなく可愛い。アイライナーの色味も可愛いし使いやすそうだし、アイパレットの中身も捨て色が無い。強いて言うならハイライトを使う際は少々テクニックが必要そうなくらい。おまけに11月になったら発売される限定品のチークも可愛いのでほしいし、モチーフはコフレと同じリボン。この歳になって可愛らしいものがますます好きになっている。何だろうね、或る種諦めがついたというべきかいい意味で『私は変われないんだな』と腑に落ちたと言うか。どんなに歳を取っても可愛い物が好きで、それに似合う女性で居られるように努力したいと思ってて、一定の結果は得られている。目元の小じわとか毛穴の開きとか、気になる事はあるけど可愛く在れるように努力している自分が一番自然に感じる。

まあ、可愛いにも色々あると思う。私の思う可愛さがイコールで他の人の思う可愛さではない。ファッションだけでなく好きな人物の何処を可愛いと感じるかって、人によって結構違うと思う。私によくあるタイプだと『このおじいちゃん素直じゃない所が逆に可愛いな』とか『このおじさん、休日に縁側でお茶飲みながら猫を膝にのっけてそうで可愛いな』とか本来の可愛らしさとは少しベクトルの違う可愛さを見つけることが度々ある。芸能人相手なら割りと分かってくれる人も多いんじゃないかと思うんだけど、一般人相手(主に職場で関わる人)だと理解しにくいだろうから口に出さない事が多い。
私のドール趣味に関しても似たようなものだと思う。ドール趣味を持たない人からするとリアルすぎる(ドールアイが入っている子達とか)ドールは怖いと感じる事も多いらしい。ぬい活が盛んな一方、ドル活は少々ハードルが高いのだろう。初期投資も高額だったりするし。私はドールを連れて出掛けて一緒に写真を撮ったり話しかけるのが好きなんだけど、写真は兎も角腕に抱っこして歩いていると周囲からの視線が痛い。時々話しかけていると周囲からはヤバい人扱いだ。まあマナーの観点からしてもあまり宜しくないのでやらない事にしている。しかしどっちみち透明なバッグに入れて持ち運んでるので怖いと感じる人はいるかもしれない。
現在私の家に居るドール達は皆安価な子達だけれど、自分でメイクを施したりお洋服を誂えているので時間はかかっている。お人形の服はあっという間に出来上がる事もあれば、作りたいデザインにするにはどんな型紙にすればいいのだと格闘することもしばしばある。今年の米津さんのライブ用に家の長女ドールに誂えたお洋服は私とお揃いだったのだが、襟の部分がまあまあ大変だった。最終的にはとても良い出来になったので良かったが、私は本当に手先が不器用なんだろうか。職センで受けた検査結果だと空間や図形の認知能力が高いからカバーされているらしいが、だからって平均をあそこまで下回るとは思わないだろう。
この前仕事用の鞄を製作したんだけれど(Instagramに載せてる)、今回も型紙を引いていない。鞄に関してはほぼほぼ直線縫いしかないので型紙を引くのが面倒に感じられてしまい、大体このくらいの大きさだというのが判ったらダイレクトに布をカットして縫い始めた。結果成功しているので良しとしている。かなり大雑把な人間だと自覚しているのでこのやり方に落ち着いてしまった。

そろそろうちの子達に秋冬のお洋服を誂えたいところだ。長男に関してはほとんどお洋服を作れていないので優先順位が最も上なのは彼である。まずは長袖のシャツにリボンタイを誂えたい。それとジャケット。この前とても良さげな生地が手に入ったので次の連休には着手しよう。セットアップも良いんじゃないかと感じる。秋冬物のお洋服ならではの楽しみの一つだ。
末っ子の三女にも秋冬物が必要だから、まずはワンピースを作ってあげたい。ヨークワンピースが良いな。タータンチェックの生地でヨーク部分は生成り色にしたい。二女にはこの前可愛いお靴を見つけたのでそれに似合うちょっと地雷系の物を着せたら可愛いと思う。長女は前に購入したゴスロリ衣装を着せて、ガチャガチャで手に入れたミニチュアの鞄を合わせて写真を撮ろう。地雷系もゴスロリも可愛いの極みだし、小物もそろそろ増やしていきたい。が、収納が足りないので早く独り暮らしをしてドール専用のコーナーを作りたい。多分これは私にとっての推し活だ。


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