memo

▼2025/08/21:毒を矯める、ひと時であっても

気になる書籍がある。最近見始めたYoutubeチャンネル主の精神科医の先生が書いた『私の中の希死念慮ちゃん』と言う、結構可愛らしいイラストの本。分類は実用書になるのかな。割りと昔から日本人って自分で自分を殺す事を美徳みたいに感じてしまう文化みたいなものがあるけれど、輪廻転生が信じられてきたことが背景にあるのかな。ひとつ言っておくと、私が自分を殺したいって訳ではないよ。ただ、自分には明日も明後日も変わらず未来が来ることを信じられないってだけ。
今世の前には前世があって、今世の次には来世があるとして。『自分』と言う存在が終わってしまうのなら私は死にたくない。やりたい事が山ほどあって、知りたい事も同じくらいあって、きっとこれからもどんどんと増えていく確信がある。ただ、面倒になっちゃう可能性は否めないからこの本が気になってる。著者の先生はYoutubeで毎日19時に動画を投稿してるんだけど、時々視聴しては勉強になるなぁと思う。ちゃんと患者を診てくれるタイプの人なんじゃないかなと思うと同時に、たまに居る『患者を診ないお医者さん』って初めは何を思ってこの道を志したのかも若干気になるなぁと考えたりする。高い志を持っていないといけないと言い切る心算はないけど、無いならないなりにビジネスとしてきちんと職務を全うするべきなんじゃないの? と感じる。でも幾ら志が高く保たれていても技術や知識が伴わないなら志よりもそっちなんだろうな。結局、救う術がないなら何も救えないし。

私の身近な人達には、心に病みを抱えた人が多い。SNSを覗いたら『この世の皆死んじゃえばいいのに』って小さく書かれた真っ黒い写真を投稿している子も居れば、必死で家族と自分を生かす術を模索している子も居る。当事者じゃなくて関係者の子も居るし、守りたい人が病みを抱えている人も居る。
何て言うかね、この世界って人間の為に作られたものじゃないと思う。当たり前なんだけども。『社会』は他人が創り出したものだけど、人のコントロール下にはないように感じる。『社会は厳しいものだ』って言う人も多いし多分実際そうなんだけど、あまりにも多くの人が生き辛さを感じてるのって同じ人間が作ったにしては出来が悪すぎないかな。もっと優しい世界があればなぁって感じる出来事が、私が観測できる場所でもたまに起きるんだよね。もっとどうにかならなかったのかなって、ちょっと泣いちゃったりするような出来事が。
このサイトの前身だった『斜陽』は措置入院してた時に作ったんだけど、あの病院で出逢った色んな人達は今どうしてるんだろう。あの時私を生かしてくれた人達は今をどう生きてるんだろう。よく思い出すんだよね、消灯後の病棟で眠れずにナースステーションに行くと灯りがついてて、看護師さんが迎えてくれて、話したければ話せばいいし、ただ居たい時は居るだけでも良いの。『優しい世界』ってああいう場所の事を言うのかもしれない。でもあれくらい限られた場所じゃないと『それ』が成り立たないかもしれないのは悲しいかな。
全ての人の味方にはなれない。正義の裏は別のベクトルの正義だから、全方位に良い顔をするならそれはもう正しいとは言えない。誰かが泣くから誰かが笑う。逆も同じ。けど、出来るだけ悲しんだり苦しむ人が少ない世界って目指せないものなのかな。
二次創作とは言え小説を書く人間だから日常的に何かしらの妄想(症状じゃない方の)をするんだけど、前にも書いた通り、私は救われなかった自分を救う為に書き始めたんだよね。もっと生きやすい世界が、スカッとして快い気持ちになれる世界があったって良いんじゃないかって。理想を描けるって意味では良い趣味だと思う。多少嫌な事があっても妄想に昇華して文章に出来れば気が済む時の方が多いし。
私にとって文字にする事は、現実を生きる為に、理不尽さに対しての或る種の抵抗手段なんだよね。それが一時的な鎮痛剤であっても副作用もない良い薬だよ。前のサイトの時に『賄い薬』ってコンテンツがあったね。多分今にも引き継がれてると思う要素のひとつ。他の誰にも処方してもらえない、自己流の処方薬。
人間って同じ行為や作業を繰り返す事で幾らかはそれらが洗練されていくものだと思ってるんだけど、あの頃の私に誇れるくらいには文章を書く事が得意になった。漫画家を目指してたのにそっちは良いのかって訊かれたら『ごめんね。駄目だった』って謝るしかないけどね。でもイラストを描く事はその頃より上手になったから許して欲しい。創作業で食べてる人に『貴女は文章でも生きていける』って評価されたし、最近だと人形も作れるし。
二次創作って『現実ではそうならなかったけど、他でもない自分が読みたい話』を味わえる限られた手段の一つだと感じてて、自分の中にしかない妄想を形に出来るのって幸福な事だと思う。発表して他の誰かにも賛同してもらえたら本当に嬉しい。せめて文字の上では大好きなあのキャラを幸せに出来るんだって思えるし、同じ思いを持つ仲間が存在してるって知る手段にもなるから。

話がそれたね。大脱線だ。『希死念慮』って要は自分を消したい気持ちの事を言うけど、誰かが綴った文字が他の誰かを救う一方で別の誰かを崖から突き落とす事がある。悲しいけど、言葉は諸刃の剣みたいな道具だから仕方ない。考えを特定の音に載せて、文字と言う形を与える事でこの世界に送り出すのはみんな一緒。でも目的が違う事の方が多い。慰めようとした言葉がうっかり相手には傷口に塩を塗る禁句だったり、何の気なしに零した一言で見聞きした誰かが絶望から救われちゃう事もあるから、結構な確率でエラーを起こしてるよね。
学生のころ読んだエッセイに似たようなことが書かれてたんだけど、『私達は本来個々人の脳内にしかない世界を、共通のものと認識することで社会を営んでる』んだと思う。
私が見てる空の青を同じそれだと認識してる人はどれくらいいるだろう。でもその色を『青』と呼ぶことで共通の認識を持てる。日本じゃない国の人だと大分ズレそうだけどって言うのは置いておいて。
つまり、人間は『言葉』にしないと『思い』を掴みづらい生き物なんじゃないかな。勿論『察する』とか『推測する』とか『想像する』って言う手段はある。でもそれって自分以外に伝えるなら分かり易い形を与える方が効率がいい。
で、希死念慮とは長い付き合いだから分かって来たんだけど、端的に『死にたい』って感じても大体の場合は深堀すると違う感情も出てくる。『これが嫌だから逃げたい』『辛いから誰かに慰めて欲しい』『現状の何もかもが不満で気に入らないから自分の命を人質にします』とか、私の場合は一番最後が多かったかな。結構な子供だね。あくまでも個人的な意見だし、発売前の本らしいからまだ読んでも無いのに考察みたいなのをしてるのはおかしいかもなんだけど。
思考の癖みたいなのなんだよね。口癖みたいな。
初めは本当にそうしたいんだって思ってたかもしれない。でも初めて実行しようとした時『怖くて無理だ』って思ってやめた。痛いのが怖かったんだと思うけど、じゃあそれで気が済んだって事は、本当にそうしたかったわけじゃないって今は思う。思うし、あの時やらなくて本当に良かったって思う。
人間ってね、一年前の悩みを思い出せない人の方が多い生き物なんだって。一つの出来事で苦しいのって割りと短い間の事らしい。本当かは若干疑問なんだけどね。同じことで悩み続けてても、少しずつベクトルが変わるのかな。ただ、これは本当だなって感じるのは『何事にも終わりが来る』って事。これは事実として、私は永遠には生きられない。どんなに苦しんでも、悲しんでも、嬉しくなっても、楽しくなっても、怒っても、いつかは絶対に終わりが来る。この事が腑に落ちた時に何となく諦めがついた。

どうせいつか終わっちゃうなら、生き辛くても生きていこうと思えたんだよね。

不思議な話。ゴールが見えた途端に楽になっちゃった。自分じゃ決められないゴールなのにね。希死念慮は今でも常にうっすらとあるよ。でもそれ以上に生きたいって思える内は大丈夫かな。書いてないネタも山ほどあるし、作りたいものだって沢山ある。後50年くらいは尽きないと思うし、増えるかもしれない。
ただ、本当に辛かった自分を置いてきぼりにせずに生きたい。彼女が居たから私が居るしね。同じような事何回も書いちゃってごめん。辛かった時、それでも生きるのをやめないでくれてありがとう。私を生かしてくれた皆の為にも、今日も思いを文字にし続けるよ。多分、それが一番私を救うから。


▼2025/08/19:覚悟した、私の一生の光となって手を引いて。

ひとつ前の記事で自分の考えをアウトプットした事で多少は落ち着けた。昨日今日と連休で、明日から仕事。昨日少しはしゃぎ過ぎて疲れがたまってしまって、今日はほとんど何も出来なかった。年齢を重ねるとどうしても体に無理が効かなくなる。
お盆が終わったね。今回は其処まで調子を崩さなかったのかな。もう四年も経つと当時の気持ちを思い出す事さえできなくなったけれど、家族だった人を喪った事よりもその後の煩雑な手続きの方が余程負担だったのは覚えている。相続放棄って本籍のある場所の役所から書類を幾つか取り寄せないといけなくてさ、私の本籍は両親と一緒だったんだけど、何と本州だったんだよね。何処かは書かないけど。
マイナスな遺産を残す可能性のある人はある程度の負担を遺族に強いるかもしれないって覚えておいた方がいいかもしれない。覚悟しとかないと死んでから怨まれるよ。

奇妙な焦燥感については一応治まった。ただこれって、気にしないようにしているだけでずっとあるものかもしれない。世の中の理不尽に怒る事も虚しさを感じる事も、全部ずっと私の内にあるものだ。疲れが溜まるとただでさえネガティブなのが酷くなっていけないね。
気分障害の可能性、つまりは統合失調感情障害の疑いについて、少し主治医と話してみたいと思っている。統合失調感情障害って言うのは、統合失調症に気分障害(別名は感情障害)が加わった病気の事。で、気分障害って言うのはうつ病と双極性障害の事。私は前の病院の頃から躁状態に寄っている事を指摘されてきたんだけど、最近少し酷くなったかもしれないと感じる。だから疑わしいのは双極性障害の方。鬱になる事があまりないタイプなんだけど(元々がネガティブだからね)、時折エネルギー切れになってパタッと倒れるから、それが代わりかもしれない。今日とか起きてご飯食べてまた寝て、起きて作って食べて寝て、起きて作って食べてごろごろしてとか言う自堕落な生活をしてたよ。明日は仕事だからお風呂には入ったけど。鬱って言うより無気力な感じかな。
もしかすると、気分障害の可能性についてあまり言及されないのは鬱状態がほぼないからかもしれない。躁状態は多分自分でコントロールが効くあたり『軽躁』くらいの状態かもしれない。本当に躁に入っちゃうとコントロールなんて効かないらしいから。
飲んでる薬は合ってる、んだと思う。肥る薬は極限まで減らしたいけど難しい。生きるために必須な薬が消えたい欲求の原因の一つっておかしいのかな。どうしても歳を取ると代謝も落ちるから、運動するか食べる量を調節するしかないよね。
生きるのってどうしてこんなに大変なんだろうね。消えるのもまあまあ大変なんだけどさ。だからあの人の最期も結構大変だったみたいだけど。私も多分消える時は一人だと思うから、ちゃんと準備しないとね。あと五十年くらい先で良いけど、準備するなら何でも早め早めがいいでしょ。

職場でさ、毎日可愛いお犬やお猫を見てるの。皆可愛いし賢そうで、目が合う度に尻尾を振って寄ってきたりする。ぴこぴこって振られる小さな尻尾と、まん丸いお目目が可愛すぎて、ついつい抱っこして連れ帰りたくなるよね。まだ自分以外の命に責任が持てないから、彼等彼女等の幸せを担保できなくてお迎えは難しいんだけど、いつか一緒に暮らしてみたいと思って頑張ってる。昔はチワワがあまり好きじゃなかったんだけど、今はすっかり考えが変わっちゃったね。お店のショーケースに居る子がもう、可愛くて可愛いくて。躾とかちゃんとするのは勿論、最期まで幸せでいて欲しいからまずは貯金かな。
あんなに小っちゃいのにさ、一生懸命生きてるの見てると、愛おしくて仕方なくなる。今の収入じゃ厳しいけど、職場の先輩の一人が来年引っ越して、日本スピッツってお犬をお迎えするらしい。って事は、いずれはそれくらいの収入が得られる可能性が私にもあるって事だよね。じゃあ頑張ろうって思うじゃない。
毎日あんなに可愛い子が隣に居たら幸せなんだろうな。お散歩に関しては地面があちちじゃない時間に行くのは当然で、抱っこして撫でて、ご飯あげて撫でて、遊んで、疲れて寝てるところを見てたらこっちの疲れは吹き飛びそう。

あ、これ結構本気で飼いたいって思ってるな私。お猫が良いんじゃなかったのって感じだけど。
いつかもっとお金が貯まったら本気でお迎えしちゃいそうだよね。

▼2025/08/17:一葉一枚、数えて整理しよう。

お盆が開ける日が来る、と殆ど同時期に心の中がざわついている。
今日の仕事中から奇妙な焦燥感を覚えている。不調の前兆だろうか、いつもよりも離人感が強い。自分という『役』を演じる私を内側から眺める奇妙な感覚はいつもの事なのだけれど、心の中が落ち着かず、些細な音や肌感覚(痒いとか肩が凝っているとか)が気になって仕方ない。毎年、あの人が他界してから引っ張られるようにこの時期は向こう岸への誘いが強くなる。勿論、それはまやかしみたいなものと知っている。この時期が終わればこの感覚も気にならなくなるかもしれない。ただ、私は考えを整理する為にこうしてこのブログを書いている所があるので、もしよかったら吐き出した考えを読んでみて欲しい。

節約及び貯金は、それなりに上手くいっていると思って良いのだろうか。私の場合自分を肯定する為に他者の力を借りることがままあって、そのうちの一つが買い物だ。と書くと不親切な書き方になるので少し補足する。私は自分の事をとても可愛いと思っている。しかし、その評価は周囲から得られるものの方が自己肯定感が上がりやすい。なのでお買い物をして『可愛い。お似合いです』と言われたいがあまりに買い物をし過ぎてしまう。そして販売員の方に褒めてもらえることや話を聞いてもらえることで自己承認欲求を満たしているのだ。
この事に気付いていたのに見ないフリをしていた事をやめて、少し経った。可愛い事に重きを置くのは変わらないが、他の誰も認めなくとも私は可愛いのだと強く思いこむ事や、可愛い事以外に自分の価値を見出してみる事を少しずつ繰り返した。
私の長所(つまるところ裏返せば短所)は沢山ある。可愛い事以外にも人に親切に出来る事や、誰かにはその誰かなりの事情があるから頭ごなしに否定しない姿勢をとれる事。物を生み出す事が得意な事、自主的に継続して英語を勉強できるくらいには根気がある事、人が嫌がりそうな単純作業でも集中して取り組める事、意志を強く持って目標に向かって努力出来る事、などなど。
で、序でに『さらに言うなら結構可愛い』が後付けで来るようにした。何だろう、可愛くないと言われ続けた過去が此処まで尾を引いているのは、嫌な事を根に持つ力も強いのだろうか。自分が可愛くない事を許せない。
まあそれは置いておくとして、あまり気軽にお金を遣わないようにしている事も、少しの間とは言え継続している。焦る必要はないし、焦ったり考え込んだところで現実は変わらない。それの赴くままに行動すれば結果が悪くなる可能性だってある。それは理解している。でもたまに、納得できなくなることがある。
私は中途半端な完璧主義者だ。物事を根気よく続けることができる癖に、急にパタッと何も出来なくなることがあるしそもそもが怠惰な人間なので、途中(本来なら気を抜いてはいけない箇所)で急に力を抜いたりやめてしまったりする。それが嫌な結果を招くと知っているからますます最後まで気を抜かずに頑張らなければと心の中でだけ自分を追い詰めるのが悪癖の一つだろう。
昔から、0か100かで生きている。完璧じゃない私に価値は無いと思う事はしょっちゅうだし、かと言えば少しの成果で有頂天になって気分良く過ごす事もある。所謂白黒つけたがり過ぎる性質なのだけれど、意識的にグレーゾーンを作るようにはしてきた。就労移行支援事業所でもその練習を繰り返した。
仕事は多分、うまくいっているのだと思う。ただ、何か心の中でズレの様な物を感じる。自分ならもっとうまくできる筈なのにと思いながら、時折小さな綻びを指摘される。もっともっとできる筈だと思って、でもそれは思い込みと言うやつでしかないから如何にか現状を受け容れようとも思う。
何だろう、自分に自信があり過ぎるのも問題かもしれない。よくない意味での自信と言うか。根拠のない自信って或る程度は必要らしいんだけど、私の場合失敗すると『死ぬ事以外はかすり傷』の真反対の『生きてるだけで致命傷』モードに入るのだ。こういう時は只管考えをアウトプットすると良いのでノートパソコンを開いたんだけど、それ以外だとお風呂でぼーっとしながら音楽を聴いて瞑想みたいな感じで自分が今温かいお湯に浸かっていて、汗をかいている事へ意識を向ける。頭を空っぽにする感じ。洗顔とか洗髪に関しては行程を意識しなくても出来る事の一つなので、なるべく何も考えずに手を動かす。今はお風呂から上がってスキンケアを終わらせ髪を乾かして書き始めたところ。
で、何でどことなく不調なのかについて考えよう。幸いにも幾つか要因が思い当たる。
まず、天候(主に気圧)が不安定な事。気温も湿度も高く、幾らスポットクーラーと言う文明の利器を活用したとしても通勤中や仕事作業中は暑いし、空気がじめっとしていて不快だ。一昨日くらいから片頭痛もしばしばある。気圧由来の物もあるし、スマートフォンの頭痛予測アプリは毎日のように警告メッセージを寄越してくる。
次に、元々この時期は睡眠が乱れやすく眠りが浅いのか悪夢を見る事。元々服用している薬の副作用に『悪夢を見る』があるのだけど、はっきり言って寝ている時の夢が奇妙過ぎて怖い。でもこの薬のお陰で眠れている所もあるので、この辺りは今度主治医と相談しようと考えている。
そして、仕事に慣れてきた事。いい意味でも悪い意味でもだ。職場の人と雑談する事も増えたし、仕事のコツみたいなものも分かって来た。そうなると気が緩んで余計な事を考え始める。仕事中に余計な事を考えるとうっかりミスとかしそうで怖い。人間、慣れてきた頃が一番怖いのだ。

仕事はそれなりに楽しい。褒められる事、お礼を言われる事、可愛いお犬やお猫を見られる事。全部楽しい。でも面倒くさいと思う事も結構ある。小さな商品一つ一つの埃を払う事が楽しい時もあれば煩わしく感じる事もある。日によって、時間によって、自身のコンディションによってそれは変化する。そして、それを自分に許したくないと思ってしまうのも問題だと思う。常に完璧で在りたい。でないと此処でも居場所を失うんじゃないか。
小さな頃の経験故にか、あまり人を信用できない。なのに直ぐに信じて『この人は私にとって最高の味方だ』と感じてしまう事も多い。相反しているが、結局のところ『人との適切な°覧」の詰め方が分からない』のだ。此処で出てくるのが先程の白黒思考。つい、自分にとって敵か味方かを判断したがる。
ぶっちゃけた話、100%の敵も味方もほとんど存在しない。私だって『この人の此処は賛同できるけど、此処は違うから反対したくなる』と感じる事の方が多いし、そもそも全肯定してしまうのは危ないとも思う。理解しているのに、それを自分に適用できない。完璧な味方が欲しいと感じてしまう。否定されるのが怖いから。
私の行動の一部へ苦言を呈されただけなのに(しかも多くの場合、それは否定じゃなくて親切な指摘なのだ)、全てが駄目だと言われたような気がしてしまう。何故だろう。これ以上否定されたくないのは何となく分かっている。否定され続けてきた過去の私の傷口は、まだ瘡蓋が被ったままだ。そしてそれを『私が可愛くないからだ』と考えを飛躍させて無理矢理に剥がし、また傷口になってしまう。
こうなると正に思考の自傷と言う奴で、繰り返し何度もなぞるから傷の通りに溝が刻まれてしまいそうだ。
この思考の癖≠ヘ経験や嫌な記憶から来る認知の歪みが招いたものだけど、自分を守って保つ精一杯の抵抗≠ゥら生まれている。自分を保つ為に自分を傷つけるのはありがちな話だし、私は肉体に傷をつけない分心を傷つける自傷行為を繰り返している。

苦しい。

本当ならもっとうまくやれたはずだ。と思うけど、うまくやろうと頑張った結果がこれなら受け容れるしかない。過去は消えないし、現実は毎秒過去になっていく。変えられるのは未来だけ、と思ったけれど、そもそも未来ってまだ確定していないんだよね。変えるも何もない。
今こうしてキーボードを叩きながら、考えを文字にしながら洟を啜っている。何故だろう、とてもとても恵まれている人生なのに、苦しくて仕方ない瞬間が溢れている。今年は比較的マシだと思いたいけど、やっぱりこの時期は辛くなりやすい。これ以上何を望むんだろう。何がそんなに不満なんだろう。
昼休憩とか退勤後の地下鉄に乗っている間、SNSを眺めては心がささくれる事が増えた。動画でも文章でも世の中には理不尽が溢れていて、傷つく人が沢山居る事に心が苦しくなる。貴方だって守られているべきなのにと怒りも湧く。でもそれは過去の自分を救ってくれない誰かへの不満と同じなのだ。外科的な手術とか医療を除いたら。自分を救うのは最終的に自分なのにね。

小さい頃からこの憂鬱さと生きてきたけれど、やっぱり気分障害もあるのかな。自分を終わらせようと思ったのは幼稚園の頃で、いじめが主な原因だった。昔から、周囲に膜のような隔たりがある。私は何故か普通の人とかなり違う。『個性』と呼ぶべきか今でも悩む。子供ってさ、自分と違う人をそのまま受け容れられるかって言ったら違うでしょ。何でもみんな同じが好きな子ばかり。誰かと違う事を個性として受け容れられるようになるまでは結構時間がかかるんじゃないかな。

今では『私は私で貴方は貴方、みんな違ってみんないい』が一応のモットーなんだけど、やっぱりみんなと同じが良いと思う事が多いし、みんなと違う私を認められない事も多い、のに、普通じゃない自分で在りたい気持ちもある。私は周囲よりも劣っている所が多過ぎるから、せめて違う所では秀でていたい。

もう少し普通に生きられたらと思うと同時に、もっと特別で優れた自分を追い求める矛盾。

これが考えの飛躍や、過度な期待を生んでいるのは薄々気づいてた。妄想癖があるのもそうだね。つい脳内でシミュレートしちゃうね。輝かしい未来をさ。そしてその未来の自分は相当『可愛い』んだよ。なんでもここに帰結しちゃう。

可愛くない自分を受け容れるべきか、それとも『こんな私も可愛い』と思うべきか。

後者の方が健全だと思う。でもさ、健全な思考が出来る時の方が少ないんだよ、落ち込んでる時とか失敗した直後ってさ。そうして苦しむの。解ってはいるんだ。でも心は納得してくれない。もしかしたら今は、誰かの助けを求めるべきかもしれない。
そろそろ眠剤が効いてきた。文章がおかしくなる前に、おやすみなさい。


▼2025/08/12:闇色とは言うけれど、夜明け前が一番暗い

子供のころと比べると味覚が変わったなと思う事が増えた。既に成人していた十年前とだって大分違う。春くらいからチョコレート菓子を自分に買っていない事に気が付いた。ケーキを食べはした、がそれは母に連れて行ってもらったアフタヌーンティーのメニューの一部だったから自分でお金を出してはいないし、強いて言うならこの前数年ぶりのサーティーワンアイスクリームでチョコレート味のアイスを食べたと言うだけ。自宅へ持ち帰ってはいない。
私は嘗て大のチョコレート好きで、毎年バレンタインデーの時期を心待ちにしていた。百貨店の催事やコンビニエンスストアの限定商品、スターバックスのバレンタインビバレッジも大好きだった。しかし、今はあまりチョコレートに興味が無い。嫌いになったわけではもちろんないのだが、今はあまり甘い物を食べたいと思わなくなった。特に甘い飲み物も嫌いと言うほどではないにしろ、舌に纏わりつくような気がしてあまり量を飲めない。元々飲み物は甘くない物の方が好きなのだが、コーヒーも入っているチョコレートシロップたっぷりのカフェモカとか、生クリームもりもりのラテも飲まなくなったのは意外な事と思うし、そう言われる。
コーヒーが好きになった切っ掛けは高校生の頃に駅のスターバックスコーヒーで勉強することにハマった事なのだが、当時私は自宅で勉強が出来ないタイプの学生だった。社会人になった今でこそ自宅でデュオリンゴをやり倒す毎日だけれど、高校生の時には『カフェで勉強するのがステータス』みたいな風潮があったので(うちの高校だけだろうか?)わざわざ出掛けて(しかもそれなりにお洒落する)高校の教科書を丸テーブルに拡げて甘いコーヒービバレッジとスコーンやマシュマロ入りの大きなクッキーを頼んで勉強するのが大好きだった。まあそれなりに成績も上がったので親も何も言わなかったのだと思う。次第にお金が続かなくなり自宅でコーヒーを飲みつつの勉強スタイルに変わっていったが、どちらにしろ私の勉強には珈琲やカフェインがつきものであり、しばしばチョコレート菓子が付いてくるのだ。
繰り返すが、チョコレートが嫌いになったのではない。ただ、自分で自分を食わせないといけない今の私には、市販のチョコレートの値段が財布に厳しいのだ。毎日の昼食は朝自分で拵えるし、外食も月に一、二回程度に抑えている。休日に外食する際も値段を気にしてはなるべく安く済ませようとポイントを貯めるようになった。純粋に『勿体無い』と感じる事が増えた。
自分にご褒美をあげる事も大好きなのだが、そのご褒美が財布を痛めつけるのはいただけない。
そもそもご褒美は日常的な物ではないので、日常の自分は日常の中でケアしている。お風呂に入って好きな音楽を聴くのもそうだし、好きな動画を見るとか、ご褒美候補として欲しい物を探す事に時間を割くとか。筋トレに関しても同じようなくくりに入るのかもしれない。個人的に身体を動かさなさ過ぎても疲れがたまるので、動ける時にはなるべく動いて汗をかき、お風呂に入ってしっかり眠る。今服用している睡眠薬が『自然な眠気を強くする』タイプのものなので、それをしっかり効かせる為にも身体を動かすようにしている。昨日もフルコースで筋トレと有酸素運動をしたらいい感じに眠気が来たのでスッと眠る事が出来た。仕事が忙しい時期なのもあってその日の疲れはその日に取っておきたい。
話が大分それた。そう、味覚が変わったと書いたが、昔は好きなじゃなかったものの筆頭が実の所今欠かせないブラックのコーヒーで、甘党だった自覚もあるがそれにしたって味覚が子供に寄っていた。酸っぱい物も苦手で、未だに百パーセントのオレンジジュースが飲めない。何なら生の苺も苦手である。グレープフルーツに関しては天敵レベルで苦手。でも苦い物は寧ろ大好きになった。ブラックコーヒーだけでなく、高カカオのチョコレートも大好きだし純ココアを使った簡単なスイーツもたまに作る。紅茶もストレートが一番好き。甘いものに合わせるなら尚、甘くない苦みや渋みのあるものの方が好きになった。
専門学校に入ったくらいから、夜に作業する度カフェインを摂取するようになる。今はしていない事だけれど、真夜中まで珈琲をがぶ飲みしながら原稿に向かっていた所為で疲労のあまり付けペンをインクの代わりにコーヒーに浸してしまった事もあった(やった直後に気付いて頭を抱えた)。
当時の主治医は『貴女と同じ病気の患者は大体、コーヒーか煙草に依存する。まだコーヒーの方が健康的だから私は止めない。ただ、一日に四杯までにしなさい』と言っていたのを覚えている。つまりこれはもう半ば依存状態だったんだろう。それでも今現在は一日に四杯までのルールは守っているし、何なら一杯も飲まない日もぽつぽつある。夕方4時以降は飲まないようにしていて、どうしても飲みたいならノンカフェインのコーヒーを飲む。
カフェイン依存の人は頭痛がしやすいとか、肩が凝るとか動悸がすると云う『依存・離脱症状』についてたまに見聞きする。私の場合当て嵌まる事が今の所は無いので、耐性の問題もあるのかなと思った。年に一度精神科で行なう血液検査では腎臓と肝臓がすこぶる元気らしく、あらゆる化学物質の代謝が人よりも早いらしい。お陰で感冒薬や鎮痛剤系もさっさと代謝されてしまって困ると言えば困る。お酒に強かった過去も多分、これが原因だ。
SNSで知り合った外国人の友人曰く、日本人東アジアの人々にはアルコールに弱い代わりにカフェインへの耐性が高い人が多いらしい。彼女はムスリマなのでコーヒーを嗜むけれど、そうでない地域の友人は私の様な飲み方はしないと言っていた。同じ人間なのに不思議だ。
ちなみに私の場合は珈琲で頭痛が良くなることが結構ある。ので、軽い頭痛の気配を感じたらコーヒーを淹れる事が多い。しかしこれはそんなによくある事でも無いらしいと最近知ったので以前友人に勧めてしまったのが少し申し訳ない。やっぱり肩回りを温めるのが良いのだろうか。耳の周囲を解すようにマッサージするのが習慣というか癖なのだが、それをすると首回りがぽかぽかして頭痛の波が引く事が多い。
身体は暖め過ぎても冷やし過ぎても良く無いらしい。極端な方向に走りやすい生き物だからこそ、何事も程々が良いのだ、多分。


▼2025/08/11:硝子の向こうは炎天下、部屋の中では解けない氷

お盆ですね。今年は現在の所体調を崩してないので少しほっとしてる。やっぱり家にスポットクーラーが来たことが大きいんだと思う。今もリビングダイニングで元気に稼働中です。
お盆って世間はお休みだけど販売業にそんな事は関係ないし寧ろ繁忙期だから(承知のうえで就職しましたが)、お盆中のお休みは今日と木曜日だけです。でもこういう感じ、嫌いじゃない。お正月とかも多分出勤なんだけど、嫌じゃないしそんな自分が格好良く思える。社会を支えていると言うか『世界は誰かの仕事で出来ている』の内に入れている感じがして好き。
此処に書いた『舌回し運動』の件ですが、友人がやってくれているらしい。彼女のブログにその運動についてお医者さんが書いた記事のリンクが貼ってありましたが、あれで合っていると此処で書いておく。回数だけが私とは違うけど。詳しく書けばよかったんだけど、私の場合時計回りと反時計回りに30回ずつを一日に3回やってます。朝の通勤時、お昼休み、お風呂に入ってる時、の3回。後は朝の通勤時の舌回しが終わったら3分間上顎の裏を舌で押す。どれも初めは二重顎を直すために始めました。姿勢とか目の開き具合は気にしてなかったけど。
友人が舌の位置が変わった事に驚いていて、そう言えば舌って正しい位置にあると歯を常に噛み締める事はないらしいらしいなぁと思い出しました。私の場合歯列に関しては小学生の頃から矯正を初めて高校の頃に完成していて、歯並び自体は結構綺麗な方です。親知らずを抜くのが一番大変でした。何せ全身麻酔で1週間くらい入院したので……今思うと授業とか出席日数とかよく平気だったなと思いますが。家の親はあまり私の学業に口を出す方じゃないのですが、それにしたって1週間も休ませると学校に連絡した時に何か言われなかったんかな?
それと、私元々口呼吸だったんですが歯列矯正している間に治ったと言うか、いつの間にか鼻呼吸になってました。今は鼻呼吸じゃないと眠れないので、風邪とかで鼻が詰まると大変。
歯ってね、普段意識しないと大切に出来ないんですよね、なかなか。呼吸に関しても鼻呼吸が良いと分かっていても、生命維持の為に無意識的に行う事だから意識的に変えるのって難しいと思います。寝ている時にテープを貼るのとか、貼ってる部分は荒れないんだろうか。

話は変わって。
職場で嬉しい出逢いや再会が幾つもありました。まあ大体がお犬関連なんですが、やっぱり飼い主さんを信頼しているお犬は皆しあわせそうだなぁと思うことしきりです。パパに抱っこされてご来店のブルドッグの男の子はパパとママが大好きみたいで、終始にこにこしていましたね。フレンチブルドッグのお姉ちゃんと一緒に大人しくいい子にしていました。パパに抱っこされていると『僕しあわせです』ってお顔でまあ可愛い。ご挨拶すると『うふふ〜。僕です〜』みたいなご機嫌さん。フレブルのお姉ちゃんはママが一旦その場を離れてもきちんといい子にしていて、お眼目も真ん丸毛並みも綺麗。二人共保護犬との事ですが、優しいママとパパのお陰で人間が好きな模様。撫でるとフラれる尻尾も可愛い子達。
日本で飼われているお犬で一番多いのはトイプードルらしく、店に来る子達もトイプーちゃんが多い印象です。小さなもしゃもしゃのお犬達は大体が人間大好きでフレンドリーな子ばかりで、皆『匂いでご挨拶』の時点でぺろぺろ舐めてきます。私にとってはご褒美です。皆愛されてるから人間=自分を可愛がってくれる生き物なんだろうなぁ。
この前も来てくれた別のフレブル君とも再会しました。前と同じくママの抱っこで登場。ご挨拶したらにこーっとしてくれて可愛い。お犬って本当に笑うんですよ。信じてくれない人も居るみたいだけど。フレブル君は長い時間をママと一緒に過ごしているみたいで、全幅の信頼を寄せているのが解ります。スリングの中で大人しくいい子にしていて、ママは彼のおやつを選んでご購入。嬉しそうに見つめるまん丸いお目目が可愛すぎる。
豆柴ちゃんにも出会いました。この子もママの抱っこでご登場。まん丸いけど小さなお顔でお目目はくりくりのどんぐりみたいな感じ、赤毛だけどちょっとだけ毛先に黒が入ってる。私も以前柴犬を飼っていたので接し方と言うかいきなりガンガン行かない方が良いかなと少しづつ近づけば大人しく撫でさせてくれる。でも実に和犬でした。『匂いでご挨拶』の時からクールなんですよ。洋犬みたいにきゃいきゃいしない。スン、とお澄ましで、でも吼えないで良い子。ママさんとも柴距離の子だそうな。まあそれがまた可愛いのですが。
以前家に居た柴も一応は豆柴になる筈だったのが、いっぱい食べ、いっぱい遊び、いっぱい寝た結果13キロのムキムキマッチョ君に育ってしまったと話すと、大体のお客様の笑いを取れます。家のわんこはそれでいて自分が未だ小さな仔犬だと思っていたのか、狂犬病予防接種のたびに抱っこする私や母によじ登るので首が大変でしたが。まあそれでもかわいい奴でした。

お犬もお猫もみんな違ってみんな可愛いんです。そんな彼等彼女等が健やかに幸せに居てくれれば私はそれで良いです。

▼2025/08/07:彼の想い人は自分ではないと嘆く青年、君を想う僕はどうする。

タイトルが思い切りBLだね。
腐女子になって早20年、自分で書くようになってからも同じくらい。一度読んだら割りと直ぐに書(描)くようになったけど、これってあまり多数派の傾向じゃないらしいね。
BLっぽい漫画を初めて読んだのは実は幼稚園くらいの時で、両親が気付いて慌てて止めてきたけど結局は腐れ女子になった……年齢的には貴腐人か。もう女子って自称する歳じゃないけど女子と女性の中間って何て呼べばいいんだろう。
昨日軽く病んで寝る前に色々と検索して読んで音楽を聴いて泣きながらいつのまにか寝てたんだけど、一回しっかりと寝たら治るから簡単な造りしてるよね。そしてSNSで見かけたフレーズで書きたいBLのネタをキャッチして、どう書こうか考え始めるとあの厭世観はなくなっている、と。つまりはBLについて考える事が一番の精神安定剤な訳です。早くから創作する側として生きてきたんで、ネタを見つけると水を得た魚そのものになるし、丁度良いBGMがあるとますますピチピチ跳ねる魚と化す。
そんで、去年末くらいから書こうとか妄想しようって気分の時には大抵選択肢に入る楽曲がある。前にもここに書いたかもしれないけど、キタニタツヤさんの『ずうっといっしょ!』と、それを歌ってみたの動画がたまらなく好み。二次創作用SNSではこの曲を元にして書いた作品を幾つも投稿してて、毎日聴いてるし何なら今この瞬間も聴いてる。ちなみに英語翻訳バージョン。
昔からヤンデレメンヘラなお話が大好きで、受けにしろ攻めにしろ病んでるのが大好きな傾向がある。所謂中二病な中学時代を過ごしたから(ある種正しい形かな)血とか鎖とか骨とか黒い羽根とかまあまあ痛々しい物を好む。そんで、今は多分慢性期だから自分である程度は調整できるようになったかな。治ったとは思ってない。官界レベルとも言えない、ような気がする。
米津玄師さんの楽曲だと、一番好きな曲は比較的明るい曲なんだけど、ハチさん名義なら暗い曲が一番好き。『リンネ』って言う曲なんだけど、歌詞を深読みすると色々R指定が掛かりそうなのが昔から好き。ちなみに此処でよく書いてる友人と出逢った頃に聴いてた曲です。米津さんって昔は今よりももっとこう…ドロッとした曲を作っててあの頃はあの頃で良かった。
で、『ずうっといっしょ!』が良すぎて毎日聴いてて、小説だけでなくイメージイラストとか描いちゃったりしたんだけど、何か良い物を見聞きすると『取り敢えず書(描)こう』となる人はオタクでもそうじゃなくてもそんなに多く無いらしい。全体の1、2割くらいだって聞いた事ある。私の周囲には逆に書こうとか作ろうって人ばかりだったから、少数派の中で過ごし続けてきた人生かもしれない。そもそも専門学校が漫画とデザインだし、中学の頃から美術にばかり親しんでた。
前に友人が褒めてくれた英語力を身に着けようと思ったきっかけも二次創作意欲から。一時凄い話題になったX-menのデスドリーム君の二次創作を描きたくて、それなら原作を軽くでも読んでおきたいけど暫くは翻訳バージョンが出ないだろうしと思ってデュオリンゴを始めた。
この子が気になり出したきっかけは元青い鳥で別の友人が呟いた記事なんだけど、彼女は彼を通称『デスドリ君』と書いてて、私も倣ってる。そしてこのデスドリ君、『ずうっといっしょ!』がまあ、似合うんですよ…良い感じにヤンデレっぽさを感じさせるビジュアルをしていらっしゃるもので。でも多分原作を軽く読んだ時の印象からすると、彼本人は結構天然でぽやぽやしたきゃわわな男の子だ。しかしそれを変容させるのがオタク兼腐れのたしなみと言うやつ。此処では初めて書くと思うんだけど、私年上攻めとか体格差のあるカップリングが大好きなんですね。そうなるとデスドリ君は自然と受けで、攻めはローガンさん(ウルヴァリンさん)かランサム君(デスドリ君の同級生。本名はバレンティン君)になるんですね。二人でデスドリ君を取り合ってくれないかなぁとか考えてはニヤつくんですよ。ローガンさんはこれまでに女性のパートナーが何人かいたし(とんでもなく長生きなので)、バレンティン君は頼れる好青年だけどティーンエイジャーだから経験そのものは少なそうなので良い感じに正反対じゃないですか。原作が高額過ぎて全然読めてないけどこの三人でわちゃわちゃしてくれてたら私は嬉しい。
今度この三人に関するイラストを描いて此処に載せたいと思ってます。脳内でAMV作るくらいには好きです。その場合『ずうっといっしょ!』も聴くけど、FNAFってゲームのファンメイド楽曲の『Never Be Alone』もとても良い。英語の勉強するモチベーションは、英語の曲を聴いて理解したい気持ちと、日本語の曲を英語に訳してみたい気持ちも関わってます。高校の頃に趣味レベルで好きな曲を英訳して英語の先生に見て(添削して)もらってたんですが、それをきっかけに英語の補習(成績が悪いのではなく、もっと勉強したい生徒向けの)に誘われて出た結果、英検準二級を受験しました。今の実力なら二級もいけるらしいし、準一級も夢じゃないらしい。
オタクってたまに、本当に小さなきっかけで色んなことに挑戦した結果本人も予想していない方向に行くことがある。だからもっと学校で勉強しとけばよかったって思うのかもしれない。私もパソコンに関する知識とか技術とかきちんと身に着けておきたかったし、地理とか歴史とか、古典とか化学とかももっと勉強しておきたかった。何にハマるか分からないんだから、それに関する知識を勉強する前提知識みたいなのを学べる機会があるんなら有効活用すべきと思う。って事を理解するのは大体卒業後なので、これは人生のバグだ。
それでも今から学ぼうって思えば幾らでも出来るんだし、結局『やるかやらないか』と『時間とお金の余裕』の如何で出来るか否かが決まるんだろうな。まあ必ずしもやれば出来るようになるかと言うとまた別の話だけど。
何が言いたいかって、勉強って大事だなってことです。

▼2025/08/06:天候が左右する動き、心だってそう。

楽しい事や時間が終わって、ふっと考えが途切れた刹那に奇妙な感覚に戸惑う事がある。
虚しいような何か心がすかすかとして風が吹き抜けるような感じ。何度も繰り返しているのにいつまで経っても慣れないこの感覚を端的に言葉で表す事は出来るだろうか。楽しかった記憶も楽しんでいた記憶もあるのに、その余韻が消えた時私は消えたくなることがあるのだ。昔の癖が今でも抜けていないのか、消えてしまおうかと思ってしまう。そしてその感覚は日常に戻ってすぐ消えるし、何なら本当に消えたいわけじゃなくて、少し疲れているだけだ。詰まらない(とその時には感じているかもしれない)日常へ戻る道には、必ずと言っていいほど憂鬱と形容すべき感覚の種がばらまかれている。
今が本当に幸せなのは間違いないのに、悪癖が抜けない。ふとした時、と思ったが、若しかしたらこれは私が『私』に戻った瞬間なのかもしれない。此処にも繰り返し書いている『自分をもう一人の自分が演じていて、内側から眺めているような感覚』つまりは『離人感』と言うやつが解かれた瞬間。でも最近自己分析していて思ったのだけど、私は常に世界に対して自分を人質にしているんだろうな。
これまで傷つけられ過ぎた所為で何でも疑ってかかるような癖もあるし、周囲がすべて敵に思える錯覚に陥ることも少なくない。一種の被害妄想だと分かってはいるのだけれど。消えたいと思う事が自分の心をほんの一時軽くしてくれるのだ。まだ自分には『自ら消える』と言う切り札があるんだって。
昔有害図書指定された『消え方の本』があったけれど、いつでも消える事が出来る事がその人物が生きる事を助けれくれるケースがままあるんだと思う。
話がそれた。今の私に不安要素は幾らでもあるけれど、考え込んだって何かが変わるのかと言われると素直に頷けないし、思いもよらない事が起きるのが世界の常だから明日のこの時間私はきっと別の事を考えている。いつもいつまでも、消えようと思う事からは逃れられない。一度ならず二度も三度も実行してしまった罰なんだろうか。でもさ、じゃあそもそもの罪って何だろう。産まれてきたことそのものが罪だと言うならその他の人達はどうするのって話。
昔、好きなアニメのエンディングで『生まれて来たいから生まれてきただけ』と言うフレーズがあったんだけど、こう言い切れるまでにこの歌詞を書いた人はどんな道を歩んで来たんだろう。
或る偉人が『言葉には気をつけなさい、それは貴方の思考になるから』みたいな言葉を言ったらしいと本で読んだ。言葉には力があって、繰り返し唱えればそれは自分にどんどん染み込んで染みついて離れなくなる。或る偉人は日本人じゃないけど、言霊って言う事も言いたかったんだろうな。それと自己暗示の恐ろしさも。
汚い言葉を吐けば、どんなに美しい人でも嫌な印象になるし、逆も同じ事。私達は目に見える容姿と目に見えないのに確実に作用する言葉で自分を表現していると考えているから、私はなるべく綺麗な言葉や好ましい言葉を使うようにしている。でもだからって私自身が素晴らしい人物かと訊かれたら、首は横に振ると思う。好きだよ? 私は私自身を可愛くて仕方のない存在だと思ってる。でもそれとこれとは別の話って言うかね。
心の中で繰り返した言葉は未だに私を縛ってるんだろう。それが解かれる日は来ないかもしれない。ただ、未来に希望が無いとは思わない。今少し我慢してじっとしていれば好転する可能性が高いって知ってる。今が正念場なんだよ。
将来本当に得たい物を得るために、今を我慢するとか心を抑える術が欲しい。それも確かだけど、きっと自分にしか出来ない事なんだよね。もう肩代わりしてもらえる歳じゃない。心を充たす為に物を増やしたって虚しいだけだ。本当に欲しい物だけ手に入れるって実は難しいのかもしれない。

一時の分かり易い快楽と、割りと長期的に続く地味な幸せ。

どっちを選ぶも自分次第なんだろうけど、私は後者を選べるようになりたい。自分の人生の舵取りに関わるから。私は私が思うように生きる為に、自分を抑えて待つ事を覚えないといけないんだ。目先の利益よりも長く続く人生の方が大切、な筈なんだよ。
与えられない事を嘆くより、これまでに得られたものを見つめ直したい。見つめて数えて、きちんと味わい尽くしたい。思えば駆け足の日々だった、これまで。
どれくらい取りこぼしてしまっただろう。本当ならもっと違った見方が出来たんじゃないかと思えた時には機会が過ぎてるって、人生のバグだよね。心が揺れてしまうくらいなら、見ない方がいいのかもしれない。反省は一度でいいんだ。それ以上は自傷行為でしょ。そして、君子危うきに近寄らず。苦しくなると分かっているなら、初めから見ずに居た方が何倍も楽だ。そうやって動かずにいる事を罪のように感じていたこれまででもある。

何も生み出さない時間や、何も味付けていない日々。そのままの状態で一回味わってみようか。

▼2025/08/05:両手を鳴らして呪文をおひとつ、薬なんてメリケン粉で良い。

ネイルを変えてもらって来た。今回はマグネットネイルの水色と、フラッシュネイルのピンク。お給料日だったのでうきうきでお出かけである、がしかし。今回は社会保険料などの天引きが減ったおかげで幾分か高額になったとはいえこの勢いのままに使ってしまうと不味いと言うラインは引いて守る事にした。稼ぐのは得意でも使うのと貯めるのはあまり得意じゃないと実感したので。
今年も最低賃金が上がるけど、喜んでばかりもいられないのが現状と言うか、この国ですよね。色々と持っていかれる分があるんだと言う。
一時国が副業を推進していた気がするんだけど、今は違うのかな。投資の推進はもっと早くに終わったけど。世界情勢がヤバヤバ過ぎて投資なんて怖くてできませんよ某合衆国の貴方さん。
まあ副業にも制限がある企業とかあるし、うちもそうだし、年末調整や確定申告の面倒さも気になるこの頃です。うちの会社の場合は他の企業に属すのが基本的に駄目で、自営業を手伝うとか個人事業主ならOKらしい。政策業でちまちま稼ぐ分には大丈夫だと就職する時に確認しました。ので、今日はその為の資材調達をしてきたと。まずはカスタムドールの目ん玉の材料と製作するための道具を購入。本当ならドールアイって言うべきなんだろうけど、うちだと基本皆目ん玉って呼んでます。前にメルカリで購入したのが届いた時もおばあちゃんが『お人形さんの目ん玉届いてるよ』って教えてくれたんで。目ん玉の材料はあまり高額にしちゃうとハードルが上がるので(政策と購入両方の)まずは安価なものを購入しました。二通りの作り方で試してみようと思います。レジンのスターターキットと樹脂粘土が主に活躍しそう。便利な世の中なので作り方は沢山調べられるし見つかるけど、難易度が低そうな物からやっていこうかと思ってます。メインはあくまでもドールヘッドで、目ん玉は初めはサブの部分。うまく製作できるようになれば商材になるかもしれませんが。ただ、まだ材料を揃え切っていないので(費用の問題)、始めるのは今月末くらいからかな。
販売価格の相場も調べております。大体これくらいかな、と言うのに送料を足すとまあこんなもん、と脳内設定はしてあるけど、はてさて。
自分が楽しむ為に始めた趣味(まあ趣味は皆大体そうですが)ですが、売れそうとか人気でそうと言われると嬉しいのが人情と言うやつで、ならばやってみるかと思えるくらいには自分に余裕と自信があるんですよね。以前の病院で発達障害を疑って検査をした際言われたんですが、私は自己肯定感がかなり高い方らしい。昨今の流れ的に煽って言うのではなく、純粋に自分の事が健全に好きで自信があると。思えば自分の事を嫌いになった事って殆ど無いんですよね。自分の置かれた状況や外見が嫌だと思う事は有れど、自分を嫌いだと感じる事はほとんど無かった。適していないような感じはしてますけどね。世界ってか、この世に。でも今のところは生きてるのが楽しいし、生きてないと出来ない趣味が多いから頑張るし、ちょいちょい嬉しい事があるからやっていけてると。
学生の頃辺りから始めた習慣みたいな、決め事みたいなものがあるんだけど、何か嫌な事が有ったらそれが『貯まった』と思う事にしてます。通称『不幸貯金』。これが貯まって閾値を超えると何か良い事があるというイメージです。誰かに言われたとか本で読んだとかでもなく、勝手に始めた思い込みなんですが、意外と本当になる。臨時収入とか欲しかったものが貰えたとか、たまたま見つけた本がとんでもなく当たりとか。小さい事でも良い事が起きるし、そうなるといつの間にか嫌だったことから考えもそらせると言う。この考えの元は『何事にも終わりがあるな』と思った時『悪い状態も良い状態も永遠には続かないよな』と続けて考えて試しにこう思うようにしてみました。つまり、良い事があれば何か嫌な事が起こる可能性が生まれると言う事でもあるんですが。でもそうなると不運が続いた時でも『今はその番が巡って来ていないだけ』と思って切り替えられるんですよね。何て言うか、人類皆が幸福なんて有り得ないじゃないですか。絶対誰かは不幸なんですよ。幸運と不運がランダムに巡ってくる。前に好きな本で『人類皆が笑える筈がないから、自分は笑える時に笑おうと思う』って感じの台詞があったなと思い出したりもして。まあ、じゃあ自分の幸せは誰かの不幸の上に成り立ってるのかとか考え始めると暗黒面に行っちゃうので控えますが。

話は変わって、友人が読んだ本がたまたま私の蔵書にもあった事を書くかな。前から此処でも書いている友人です。一番長い付き合いのブログ繋がりの友人。彼女が最近読み返した本があって、吉川景都先生の『メイクがなんとなく変なので友人の美容部員にコツを全部聞いてみた』と言うタイトルのお化粧のハウトゥーエッセイ。彼女がこの前話題に出していて、現在2巻まで刊行されてます。2冊とも私の本棚にも入ってて、結構な頻度で読み返します。確か元々は元青い鳥のSNSで掲載されたのが一冊の本になり…って感じの経緯だった筈。本になると聞いて嬉しくて発売を待って買いましたね。結構長かったかな。化粧品検定の答え合わせプラスアルファが出来ればいいなと思って買いました。それは叶って、日常で行かせる知識も多い本です。
たまたま帯付きの状態で持ってるんですけど、それには『気づけば5年以上同じメイクのあなたへ』と書いてあるんですよ。メイクって自分なりのやり方と言うか正解みたいなのが見つかると、其処から動けなくなると言う事らしいです。何となくわかる。『これが正解』と感じたら動かす必要性って必ずしも無いのかなって思うし。私は偶然にもメイクが好きでコスメを集めるのも好きで、試行錯誤するのも好き。でも、或る程度の『型』みたいなものがあってそこからはみ出る事ってあんまり無いので。冒険するほどには時間とお金が足りない。前に書いた通り唇が程々に弱くて荒れやすいし、顔って1個しかないから試しまくるのも本職じゃないと難しいと言うか。この本はそんな中でも変化をつけられたりとか流行の型を取り入れやすくしてくれるのかもしれない。そもそも正解が見つからない人も居るのかも。
友人は読み返すにあたって付箋を貼りつつ読んだそうです。テキストブックスとしても成り立つ読み方ですね。スキンケアが気になるらしい。土台って何事にも大切ですからね。個人的に本州の人と北海道の人は肌が違うんじゃないかと思う事があるのですが(気温や湿度、日照時間や紫外線量の関係で)、その辺どうなんだろう? 標高とかにもよるのかな。前聞いた事あるのは、秋田県は日本で一番日照時間が短いのと湿度が高いお陰で色白美肌の人が多い傾向にあるらしいと言うトリビア。私自身以前本州に住んでいた頃とは明らかに肌が変わったので聞いてみたい。
スキンケアって、お金をかけるか時間をかけるかの割合で色んなスタイルがあると思う。お風呂にじっくり浸かったりマッサージとかパックとかの時間が取れるならプチプラでもリカバリー可能だけど、時間が無いけど美肌になりたいならお金で時間を買うしかない時があると聞いたので。化粧品だけでなく、身体に良い飲み物とか食べ物でもカバーできるし。前に読んだ上記のとは別の本では『高級栄養ドリンク』を飲みつつ『某高級ブランドのパック』をして、足にはリラックスシートを貼りまくり、パナソニックのマッサージ機でマッサージして、肩には『あずきのチカラ』を載せて宝塚歌劇団のミュージカル映像を見る、と言う人が登場しました。気分は某機動戦士の機体をメンテナンスしている状態だそうです。推し活をしつつエネルギーチャージと言う事でしょう。
私はあまりたくさんのお金がかけられない分、時間と手間をかけてる方に入るんですかね。運動とかお風呂とか、人より長い方だと思う。両方とも1時間近くかけてる時あるし。効率云々は一回置いておきます。スキンケアは…まあ普通なのかな。化粧水と乳液、朝起きれば洗顔、日焼け止めは2度塗りするけど乳液と下地それぞれに入ってるってだけだし。最近パックしてないから今夜やろうかな。夏用の引き締まる奴。本当は朝にやった方が良いらしいんですが。
友人も言ってたんですが、現在の肌状態はこれまでの積み重ねの結果なんですよね。スキンケアもそうだし、きちんと化粧を落とせているかとか紫外線から守って来られたかとか。たまに過去の自分をぶん殴りに行きたい思い出が蘇る事もあるんだけども。
何て言ったらいいのかな、自分に余裕が無いと自分をケアするのも難しいんですよ。入院中とか肌荒れまみれでしたからね私。そもそも顔を洗えない日も多かったので。そんな状態が数ヶ月とか、今考えると恐ろしい。それでも何とかリカバリーして今がありますが、生まれつき美肌の人はこんな苦労はしないんだろうか。幸いニキビとかには悩まない学生時代でしたが、如何せん紫外線ケアが苦手で。日焼け止めをまともに塗るようになったのが専門学校時代なので、それまでに蓄積された紫外線を考えるのが怖い。
それでも『昔を反省しつつ、未来を良くしていこうよ』、って本なんだと思います。実際肌全体をきちんとケアしてると毛穴が減ったと言われるし、ハリも艶もあると言われるようになれました。個人的に、この本には書かれてないけどお勧めなのが顔の筋肉の体操です。舌を口の中で大きくグルグルと回し、上顎の裏を舌でぎゅっと押し続けて筋肉を鍛える的な奴を10年くらいやっていたら、ほうれい線がほとんど出て無いです。毎日駅までの道を歩きつつやってるから若干不審者だけど。
歩きながらとか食器を洗いながらでも出来るので、やれそうな時はやってみてもいいかもしれない。無理はせずにですが。一番良くないのがストレスってかなりよく聞くけど、じゃあそのストレスを取り除く事にもストレスならどうすりゃいいんだって話ですし。何事もきっちり! とかしない方がいいんだろうな。やりそうになるけど。

さて、踏み台昇降運動の時間なので、ここまでにします。

▼2025/08/04:誰かの一瞬の希望として寄り添いたい

拍手お返事です。シロさんへ。
いつも読んでくれてありがとうございます。クーラーがやって来てお家時間がより快適になりました。下の記事にも書いた通り、地元札幌では壁づけのクーラーが設置できない家も多いのでスポットクーラーが売り上げ好調らしいですよ。付けられるお家でも寒冷地仕様にしないといけないので、工事費がマシマシです。でも生活の質が上がるんなら高い買い物でもないのかも?
英語能力向上をお褒め頂き光栄です。デュオリンゴは初めあるアメコミを読みたくて始めたのに、今は勉強することそのものが楽しくなっちゃっててその作品を買ってすらいないと言う(笑)シロさんも御存知かな、X-menのアンキャニーってシリーズなんですが、日本語訳されてないのを読みたくて始めたんですよ。すっごい可愛い新キャラクターがいて、彼について妄想の種を得たくて頑張ってました。一時元青い鳥のSNSで話題になった子なんですが『デスドリーム』君と言います。日本人で多分本名は『ホタル』君。非常に可愛いです。
シロさんも勉強に再挑戦したい気持ちになったとの事、嬉しいです。昔買った資料があると助かりますよね。どんな勉強をするんでしょうか。趣味を増やすのも良いですよね。出来る事が増えるのって嬉しいし。編み物は私も憧れです(自分には向いていないので尊敬)。
ジバンシィのリップ、チェックしてくださったんですね!唇の血色問題は結構な課題なので、出会えてよかったアイテムです。何て言うか、私薄めの色を塗るとリップの方が負けるんですよね…色が消されると言うか。なのではっきりぱきっとした色を塗る事が多いです。唇荒れる問題も重大です。皮がべろんべろんになる事があるので、ブランドでの冒険は怖くなりました。イブサンローランの時は、まあまあ派手に剥けましたので…色は可愛かったのに。ちなみに私は、一時話題になり過ぎて品薄だったKATEのリップモンスターでも荒れます。
お人形たちを愛でるのも本当に楽しいです。自分でカスタムする方法が世の中に溢れていて楽しい。幸い手先は器用なのでお洋服とかドールメイクも楽しめます。それぞれの子達の設定考えるのも楽しそうです。プロフィールはどんな感じが可愛いか、試行錯誤して作ってみようと思います。それぞれテーマとか名前の由来ははっきりしてるんですが、性格まではぼんやりしてたかも。

いつもありがとうございます。暑いのでお互いのんびりペースで行きましょう。それでは。


▼2025/08/04:微熱の中を歩くみたい、そろそろ蛍も光る筈。

まず初めに、拍手パチパチありがとうございます。しっかり読ませていただきました。お返事は後程書きますね。
スポットクーラーのお陰で大分安眠が保たれています。最近始めたSNSで『札幌に旅行に来たけど、やっぱり本州と比べれば涼しいですね』と綴られていて、拍手をくれた友人の住む地域も酷暑とのこと。今日も30℃に届いた地元なんかよりも余程暑いんでしょう。今日私は汗の所為での化粧崩れが殆どありませんでした。
北海道の場合冬に特化し過ぎた建物が多い所為で、クーラーを壁につけられないお家も多いです。我が家もそうなのでスポットクーラーを導入。今現在はかなりの品薄状態らしい。早めに買えてよかったけど、これから月賦で母上にクーラーの購入代金+工事費を返していかなければならないので頑張って働く所存。運よくと言うか、最低賃金が今年も上がるらしく、最低賃金よりも大分良いお時給の弊社も上がるのではないかなと思っています。十月かららしい。
そんで、この前店長に『本社の人事異動の関係で、教えられる仕事が増えるかもしれない』と言われたんですよ。御存知かもしれませんが、障害者雇用で働いてると一般の人よりも任せられる仕事の量が調節されやすく(制限ともいう)、私の場合も一年間くらい働いてから教える範囲を広げる感じだったらしいんです。けど、本社の人が私の働きぶりを知ったのか方針を変えたのか、一年以上勤続してからの仕事をそろそろ教わることになりそうです。実は使用期間がいつの間にか終わっておりまして、研修中の札も外れ普通の名札をつけて勤務しています。本当ならもっとゆっくり教えるはずの仕事を私が初めから当たり前の様に出来ていたらしく、じゃあ覚えられそうな範囲で教えて行こうとなった模様。ので、その仕事が出来るようになったら社員としてのランクが上がります。そうなると資格給が発生するんですって。数十円とは言え毎時間貰えますから結構大きい。その上基本給も上がれば本当に嬉しい。ますます(程々に)頑張る。
以前の仕事でもやっていた事を幾つか、今の仕事でも初めからやっていたのが評価の元だったらしいですね。出来ない事が多い以上は出来る事をなるべく頑張る方がフェアだからと頑張っていたんですが。自分がお買い物大好きなので、お客様目線で『こうしてほしい』『こうなら嬉しい』と思いそうな事を無理のない範囲でやっています。面談をした本社の方曰く、『これは当たり前の事のようで難しい事、出来ない人も多い』らしい。何故って、皆そこまで考えて仕事をしないんだそうです。
普段から色々と考え過ぎる性質の人間な事が功を奏したのが不思議ですが、様々な事に対して敏感なのも要因かもしれないですね。お店に出掛けると什器の埃や汚れがついつい気になるし、化粧品のテスターが乱れていると治したくなります。自分の部屋はまあまあ普通レベルの綺麗さなんですが。でもあれだ、足の踏み場が無くなった事も害虫の発生も無かったかも。幼少期は今の診断基準なら確実にADHDだったんですが、両親の教育が或る種療育に近かったので大分まともな人間になりました。時間とか締め切りを厳守するようになったのは、それを守らないと不利益を被ると実感したからでもありますが。高校生を卒業した頃には今みたいな感じになっていましたね。特に専門学校は締め切りを守ってナンボな世界でしたし、進級にも関わりますし。
以前母上に『昔の私って変な子供だったよね』と言ったら『特にそうは思ってなかった。興味の方向性は特殊だと思ってたけど』と返されました。本当に小さい頃は泣きもせず騒ぎもせず、一人で放って置いても勝手に遊んでいたから寧ろ楽だったらしいです。一人っ子だったし。母上は結構早くから共働きを始めたんですが、その準備として私に一人でお留守番をさせていたそうです。ビデオに私の好きな番組を録画して置いて、チラシの裏とかにビデオデッキの使い方の説明や何を録画してあるか、何処にご飯やおやつがあるかを記して私を置いて出掛けていたみたいですね。お陰様で幼稚園児にしては珍しいくらい、親と離れるのが大丈夫な子供でした。一人の時間が苦じゃない子供に育ったのと同年代の子供よりも大人の中で育ったので、大人に対して敬語を使う子供だったらしいと聞いています。
この頃の話、もう母上もあんまり覚えてないみたいで主治医やカウンセラーさんに訊きたいと言われても話せないらしいです。今の病院に移って来て、発達障害の可能性を伝えたら幼少期からの発育歴も鑑みると言われて話せる範囲で伝えたんですが、客観的な意見も必要らしくて認定しづらいと言われました。そもそも今困ってないので診断基準には当て嵌まらないし。
で、私の考え過ぎるところってこの辺の特性由来でもあるんですよ。考えに考え、石橋は叩いて叩いて叩き割ってしまうタイプ。最近では自分でも調整できるようになって結構楽になりましたが。考えても考えなくても、やった事の結果は変わらないって実感したんですよね。あと、自分が思うよりも他人の事を考えずに生きている人が大多数って分かりましたし。今は丁度良く考え込み、丁度良くアウトプットできるようになった感じ。
何事も自分がやれる範囲でやればいいんだと思います。勿論努力は大切なんだけど、やり過ぎて自滅するくらいならやらなくてもいい。ので、最近だと便利な物はガンガンに使っていて、そのうちの一つがクーラーな訳です。
今の世の中って便利さに溢れていて、色んなアイテムやサービスがあるから色んな人が助かっている。それで雇用も生まれるんだから良いでしょう。ライフスタイルが沢山ある分それぞれに適した形があります。空調設備にせよ、コスメにせよ、外食産業にせよ。

有名な詩に『みんな違ってみんないい』って言うフレーズがありますが、今の私のモットーはこれです。

それぞれに異なる、育ってきた背景とか現状とか生まれ持った性格や特性がある以上はみんな違ってもおかしくない。だから『違いを認め合って許容しよう、無理なら一旦距離を置こう』って言うのが本来の多様性なんじゃないかな。
『貴方』に出来る事が出来ない『私』を認めてもらう代わりに、私は貴方が出来ない事をやる。適材適所って奴が近いんですかね。お互いさまってこういう時にも使うのかな。

この前最後のカウンセリングで私は、『この一年弱で自分の考えをアウトプットして整理して、自分なりに今の私の気持ちを理解したり、痛みを受け止める術を身に着けてきた』と評されました。皆が皆一人で出来るようになれるわけじゃないし、私も沢山の人に支えられて今がある。それを恵まれていると素直に言える自分で居られたから良かったのかな。今度は私の番だなってよく思います。
私、本名が結構特殊なんですけど、名付けの時に両親が音だけ決めて有名な占い師さんに漢字を決めて貰ったらしいんですよ。そして親が離婚して、母上に引き取られて今の父と出会って苗字が変わったんですが、今の本名は最強に幸運な名前らしいです(旧姓は割りと最悪な苗字だったらしい。画数とかの話です)。それもあってか、今が楽しいし色々と好転してきてるのかも。以前調べたら『お金に困ると何処かから助けが必ず来る名前』と出ました。まあ高額とは限りませんし、金銭とも限りませんが。
何て言うか、『与えられた場所で咲く』のは御免って感じですが、自分で開拓したり他の人と協力して耕した場所で咲いてるのかもしれません。肥料とかお水は誰に貰ってるのか分からないけど。ただまあ、何とか自立しつつある今日この頃です。


←前へ | 次へ→