▼2025/10/19:それが大人になった証なら、まあ。
Windows11へのアップデートを遅ればせながら行った。一人でやり切ったのは褒められていいと思う。誰にも頼れない代わりにスマートフォンとインターネットの集合知にはかなり助けられた。結果、三時間半の戦いに勝利した。戦いと言えば、今年は初めてジルスチュアートビューティーのクリスマスコフレを購入することにしたのでそちらでも戦いを繰り広げてきた。仕事と同じくらい朝早く起きて準備して、まずは百貨店のホームページで整理券(購入の確約ではない)を取得し、現地に向かって並び、購入予約(こちらは確約)をする。思ったより難しくない戦いではあったが、思ったより手順は多かった。
今回のクリスマスコフレはとことんまで私の好みの色味の物ばかりがセットされていて、ポーチは言うまでもなく可愛い。アイライナーの色味も可愛いし使いやすそうだし、アイパレットの中身も捨て色が無い。強いて言うならハイライトを使う際は少々テクニックが必要そうなくらい。おまけに11月になったら発売される限定品のチークも可愛いのでほしいし、モチーフはコフレと同じリボン。この歳になって可愛らしいものがますます好きになっている。何だろうね、或る種諦めがついたというべきかいい意味で『私は変われないんだな』と腑に落ちたと言うか。どんなに歳を取っても可愛い物が好きで、それに似合う女性で居られるように努力したいと思ってて、一定の結果は得られている。目元の小じわとか毛穴の開きとか、気になる事はあるけど可愛く在れるように努力している自分が一番自然に感じる。
まあ、可愛いにも色々あると思う。私の思う可愛さがイコールで他の人の思う可愛さではない。ファッションだけでなく好きな人物の何処を可愛いと感じるかって、人によって結構違うと思う。私によくあるタイプだと『このおじいちゃん素直じゃない所が逆に可愛いな』とか『このおじさん、休日に縁側でお茶飲みながら猫を膝にのっけてそうで可愛いな』とか本来の可愛らしさとは少しベクトルの違う可愛さを見つけることが度々ある。芸能人相手なら割りと分かってくれる人も多いんじゃないかと思うんだけど、一般人相手(主に職場で関わる人)だと理解しにくいだろうから口に出さない事が多い。
私のドール趣味に関しても似たようなものだと思う。ドール趣味を持たない人からするとリアルすぎる(ドールアイが入っている子達とか)ドールは怖いと感じる事も多いらしい。ぬい活が盛んな一方、ドル活は少々ハードルが高いのだろう。初期投資も高額だったりするし。私はドールを連れて出掛けて一緒に写真を撮ったり話しかけるのが好きなんだけど、写真は兎も角腕に抱っこして歩いていると周囲からの視線が痛い。時々話しかけていると周囲からはヤバい人扱いだ。まあマナーの観点からしてもあまり宜しくないのでやらない事にしている。しかしどっちみち透明なバッグに入れて持ち運んでるので怖いと感じる人はいるかもしれない。
現在私の家に居るドール達は皆安価な子達だけれど、自分でメイクを施したりお洋服を誂えているので時間はかかっている。お人形の服はあっという間に出来上がる事もあれば、作りたいデザインにするにはどんな型紙にすればいいのだと格闘することもしばしばある。今年の米津さんのライブ用に家の長女ドールに誂えたお洋服は私とお揃いだったのだが、襟の部分がまあまあ大変だった。最終的にはとても良い出来になったので良かったが、私は本当に手先が不器用なんだろうか。職センで受けた検査結果だと空間や図形の認知能力が高いからカバーされているらしいが、だからって平均をあそこまで下回るとは思わないだろう。
この前仕事用の鞄を製作したんだけれど(Instagramに載せてる)、今回も型紙を引いていない。鞄に関してはほぼほぼ直線縫いしかないので型紙を引くのが面倒に感じられてしまい、大体このくらいの大きさだというのが判ったらダイレクトに布をカットして縫い始めた。結果成功しているので良しとしている。かなり大雑把な人間だと自覚しているのでこのやり方に落ち着いてしまった。
そろそろうちの子達に秋冬のお洋服を誂えたいところだ。長男に関してはほとんどお洋服を作れていないので優先順位が最も上なのは彼である。まずは長袖のシャツにリボンタイを誂えたい。それとジャケット。この前とても良さげな生地が手に入ったので次の連休には着手しよう。セットアップも良いんじゃないかと感じる。秋冬物のお洋服ならではの楽しみの一つだ。
末っ子の三女にも秋冬物が必要だから、まずはワンピースを作ってあげたい。ヨークワンピースが良いな。タータンチェックの生地でヨーク部分は生成り色にしたい。二女にはこの前可愛いお靴を見つけたのでそれに似合うちょっと地雷系の物を着せたら可愛いと思う。長女は前に購入したゴスロリ衣装を着せて、ガチャガチャで手に入れたミニチュアの鞄を合わせて写真を撮ろう。地雷系もゴスロリも可愛いの極みだし、小物もそろそろ増やしていきたい。が、収納が足りないので早く独り暮らしをしてドール専用のコーナーを作りたい。多分これは私にとっての推し活だ。
▼2025/10/16:無くなっちゃえばいいと思うよ、誰からも望まれてない
まあ広告の事なんですけど。無料でサービスを利用していると現れる広告を見る度に『この広告の製品だけは使うまい』と強く決心してしまうから、逆効果な気がする。もう少しうるさくないタイプにしてくれないとそのサービス自体を使いたくなくなる。プレミアム会員になればいいんだろうけど、そのお金があればいいランチとか行けるんじゃないかって思って、結局そのまま無料会員で居たりする。ちなみにYoutubeの事です。まだデュオリンゴの方が広告は少ないんじゃないか。使いたい機能が使えるようになるならまだ考えるんだけど、動画が良い所なのに何回も広告が入ると、そもそも見るのを辞めてしまう。これが繰り返されたらユーザーが減るんじゃないかなと思ってしまう。
今の所私が課金をしているのは某創作SNSだけだ。それは使いたい機能を使う為に登録したもので、コーヒーを一杯飲むくらいの料金しか掛からないから課金した。いずれデュオリンゴにも課金したいと考えてるけど、自分にとってメリットのある課金以外はしなくていい、と思うけど、つい「広告ウザいなぁ」と最近よく考える。
▼2025/10/14:我を失う想いを辿る、首を絞める指は爪から冷えていた
暫く小説じゃなくて別の創作行為に力を注いでた。お陰様で可愛く丈夫な造りで完成したのはお弁当諸々を入れるバッグ。職場に持っていく為に、自分のわがままを全部満たせるデザインで手縫いで仕上げた。職場のIDや必要なものを総て取り出しやすい位置に収納出来て、洗濯した制服を収納するスペースも取ったしキーホルダーを吊るすタグもつけたし、使用したのは有名なロリータモデルさん監修の生地だから可愛さも抜群。安売りしていた端切れのレースとベロアリボンで飾り付けたのもお気に入りなポイントで、今回はきちんとファスナーも付けたからこれからの季節も安心、と言う仕様。あとでInstagramにも載せよう。相変わらず手縫いで仕上げてるから一週間くらいかかったけど、ミシンがあったら三日もかからずに完成してる可能性はある。自分でも意味分からないときあるもん、何でこれを手縫いで作ろうと思ったんだって。本返し縫いって手間がかかるよね。そんで、買えばすぐに使えるのに敢えて手作りしてるのが私の変態っぷりを表してるな。まあ自分で作った方が安上がりだからなんだけど。私が思うようなデザインの手頃なバッグがこの世に存在しないんだよね。仕方ないよね。
たまたま家庭科の成績が良かったからこうなんだろう。無いなら誰かに頼むんじゃなくて自分で作ろうとなる。そう言えばドールを作ろうと思ったのもこんな切っ掛けだ。自分が思う通りのドールがこの世にまだいなかったから『じゃあ作っちゃえ』となって作ったんだった。
前に知り合いに言われたんだけど、普通は一回そこで諦めるらしい。私の場合、諦める前に一回『どうにか作れないか?』って考えるフェーズが入る。で、作れちゃう場合がこれまでの人生で割と多かった。ドールを持ち運びする時のバッグも自分で作っちゃうし、お洋服なんてもっと簡単に作れるし、ドール本体の材料は割と簡単に手に入るしでこれは『沼』だと思った。多少手先が使えるなら幾らでも楽しめる世界に踏み込んでしまった。
元々ロリータだから可愛い物もお人形も好きだし、ロリータの人には手先が器用な人が多いみたいだから親和性が高い。今は全然やらなくなったけど、私セルフネイルも趣味だったんだよな。細かい作業が嫌いなわけないんだよね。絵を描くのが好きなのもそうだけど。ちまちました作業が好きだし、糸が絡んだくらいじゃ苛つかないから無言で何日も針を動かしてる。全部自分の制御下で行なえる作業って心が整うから好きなんだろうな。創作する人ってそう言う一面があるんじゃないかと少し前から思ってる。
一段落したし、来月は推しカプの右の子が誕生日だからそろそろ小説の方も進めたい。この前米津さんの新曲を聴いてたら取り入れたい描写が浮かんだから組み込んで書きたい。久しぶりにエロも組み込んで2万字超えしたい。今のジャンルに来て結構経つのにネタが途切れないお陰でフォロワーがちょいちょい増えてるのも嬉しい。多分暫くはこのジャンルから動かないと思うし、何なら骨をうずめる可能性すらある。何でこんなに好きなんだろうって不思議だけど、好きなものに理由ってそんなに無いから問う事すら無意味かも。取り敢えず書きたいから書くし、書き続ける。
もう来年の話を日常的にするようになって、ああ、来年の今頃私は一人暮らしの準備で忙しいのかって考えると時間の進行速度が日毎に速まってるなぁと思わずにはいられない。取り敢えず大晦日と元日は働く心算で居る。手当が出るって訳ではないけど、その代わり二日以降に初売りを楽しめるシフトにして貰う。冬物のロリータも欲しいんだよね。タータン模様とかファーコートとか欲しい。こんな感じだと貯金が厳しいのが悩みではある。ボーナスはあるみたいだけど。可愛くいるのにもお金がかかるから、取り敢えず新しい業務をちょっとずつでも覚えて収入を増やそう。多分来月からレジを習えそうだし。上が慎重だから(有難い事だけど)かなりのんびりペースの仕事なんだよね。出来ない方がストレスな事も多いから教えて欲しい。接客力があると余計にそう感じるんだ。この前も英語でお客様対応したし、聴覚障害がある人の対応もしたし電話対応も毎日やってるよ。出来る事と出来ない(習ってない)仕事の差が激しい、と書くと発達の凸凹みたいだね。
▼2025/10/14:終わった季節に居る君と生きる、行く末は考えないまま
『光が死んだ夏』、買って読んでみた。結構面白いし日本の古き良きホラーって言うテイストで良い感じにぞくぞくする気持ち悪さがある。夏の不快な温度と湿度と、相反する冷たい感触は有機的で生きている@竄スさと言うか。音の表現が書き文字じゃないのも面白いし、それが作品に合ってるなと感じたから来月も続きを購入しようと考えてる。私、生き物の中で一番嫌いなのが虫類なんだけど、それらが出てくる時の描き方が心地好いリアルさだったんだよね。精緻に描かれてるのに本物感が少なめで、作品の一部として見ていられる。主人公を始めとする人物の描かれ方とか気持ちの描写も良い感じで、久しぶりに当たりの二次元に出逢えた。これから活躍するだろうキャラクターも楽しみだし。日本のホラーってじっとりした粘度と湿度の高い描写が魅力だと思う。洞穴とか旧い隧道の壁って湿ってて冷たいでしょ。あんな感じが私の中でのホラーの質感なんだよ。静かな中に急に大きな音が鳴ったりするから怖いのであって、叫び声満載の異形の元人類が牙を剥いてきても、驚きはするけど怖くはない。だからゾンビものとかも大好きなのに或る種エンタメの消費対象としての印象が勝ってしまう。取り敢えず首を一刀両断して置けば動かなくなるじゃん。物理的攻撃が通じないタイプの怪異の方が怖いし面白い。ちなみに『光が死んだ夏』はBLみも強い作品だけど、単なるBLじゃなくて思春期に起こしやすい(と書くと語弊がありそう)同性への好意が高まり過ぎた結果の共依存関係がみられるのもあって貴重な作品と感じてる。全然ジャンルが違うけど、『No.6』とか『ボーイズインブラック』とか『バッテリー』を思い出した。全部児童書なのすごい時代だな。一時さ、BLが社会に受け入れられてるみたいな風潮なかった?私その頃中高生で親と一緒にBLアニメを観たり漫画を読んだりしてて、お母さんはアニメの描写を「温いね」って言い切ってかなり驚いた事ある。「そりゃ地上波のアニメで性描写はマズいでしょうよ」と返したけど「それなら他の部分で行為の暗示をすべき」とか言ってて母は強いし何なら娘と推しキャラと推しカプが同じだったことあります。
『光が死んだ夏』はアニメの第二期も決定らしい。舞台化もするとか。アニメの主題歌も良いし演技の方も良さげだから見てみたい。こういう時気軽に東京に行けない地方在住はちょっと悔しい。飛行機に乗れば1時間半で羽田に行けるけど、宿代が痛い。
最近だとゴスロリマーケットってイベントに行きたかったけど金銭的に余裕が無くて無理だった。最後に東京に行ったのが前の仕事をしてた時だし、来年には一人暮らししたいから今よりも切り詰めないといけないし、お犬もお迎えしたいから貯金貯金の日々だ。結構頑張ってるのに普通に生きる事で精一杯で、何よりたまに旅行に行ったり推し活をしつつ満足に生きられる人ってどんだけ頑張ってるんだと疑問に思う。皆何処を削ってるの?私の収入が低いだけ?
とか言いつつ現状にはまあまあ満足してると書くと盾に矛が突っ込むね。仕事は毎日ほどほどに楽しい。昨日も可愛いお犬と触れ合い、馴染みになって来たお客様とお話して、またお犬と触れ合って、社割で館の飲食店を利用して、同じく社割で商品を購入して帰って来た。
お犬が来てくれたら『あら〜♡こーんにちは〜♡』みたいなテンションで挨拶するし匂いでご挨拶してご主人であるお客様にはワントーン低い声で「ごゆっくりご覧ください。気になる事があればいつでもどうぞ」って言ってるんだけど、切り替えが凄いらしい。自動で切り替わるよ。だってお犬は愛すべき存在だから。ちなみに人間の子供にも同じように接してるから一部には子供好きと思われてたらしい。違うよ、子供好きを演じておけば親御さんたちからのウケが良いからだよ。
今のまま頑張っていけば未来が明るいのかなんて誰にも分からないのに、何で私は生きるのをやめる気を起こさないんだろう。いつから死にたくなくなったのかなと考えて、元々死にたいわけでもなかったかもしれないと思い至った。『生きていたくない』と『死にたい』の間にイコールが付いてなかった。自分の思う通りに生きられるなら寧ろ生きていたかったんだと思う。で、今はそれなりに思う通りに生きられている、と。苦手なものが『苦手だったもの』に変わったり好きなものが増えたり、やりたい事が次々生まれたり、かと思えば何もやりたい気分じゃないから何もしない時間と自分を許せるようになった。人と自分が違う事がようやっと分かって来た。どう頑張っても普通には生きられない部分があるって事がきちんと理解の上納得出来て、自分が諦めたものを持っている人への過剰な羨望を認めて捨てる覚悟も出来た。結局無い物強請りだし、私が持っている何かを諦めた人も居るかもしれない。
ずるい、と人に思った事はあまりない。羨ましいと思う事はよくある。けど、この傾向はあまり多くの人が持っているものじゃないらしい。羨望を『ずるい』の言葉に集約して、結果其れを向ける相手を害そうとしてしまう人が多いんだって。ずるいって言うのはそう言う時に効く言葉じゃないのにね。もっとこう、違うニュアンスの言葉だと思ってた。言葉には特定の効果が生まれる使い方があるから面白いのに。
それを向ける相手に一番効く言葉を、最も適切なタイミングでぶつける為に、私は文章を書いてるんだろうな。
▼2025/10/02:綴る術を持っていなかった貴方に、それでもペンを渡す
一次にしろ二次にしろ、自分の創作を豊かにするには知識とか経験とか、分からない事を調べるツールや使い方とかについて身に着けておく方が作品に深みが出るよなぁと思うなどする。そして定期的に新しい作品に触れて刺激を受けるのも大切。と思ってるけどいつまでも同じ作品をスルメみたいに噛みまくってるのはどうなんだろう。最近話題の漫画を幾つか読みたいなぁと思って購入の順番を考えてる。一気に買える程お給料がもらえるわけじゃないのが悲しい所だけど、まあ働けてる上に微々たる額でも貯金を出来てるだけよくやってるよ、と思いつつこれを書いてるんだけども。色々と勉強したり趣味の調べもので得たりした知識を下敷きに、発想の切っ掛けは素敵な音楽との融合だったりする。集中力を維持するのにBGMが必須で、そうなると色んな音楽を聴いた方が良いのかと思ってYouTubeで評判の良い曲を聴いたりショート動画で『良き』と感じた曲をフルで聴いたりする。そもそもそのショート動画は興味があるものしか見ないわけだから、どんどんと動画のジャンルが先鋭化しそうで怖いけども。アルゴリズムだっけ?時々すごく良い仕事をしてくれる事があってまあまあ好き、けれども似たようなものばかりだと飽きるからバランスが肝要なのは何事においても同じだと思う。
そして、自分には合わないだろうと手を付けていなかったジャンルや曲が良いと感じる事もそれなりにあって、それが今一番良く聞いているVaundyだったりする。今話題の『再会』の歌声と歌詞がとても良い。アニメも二期決まったんだってね。これの原作も購入予定に組み込んでる。はじめに避けてた理由は前に書いた通り主人公の行く末が不安な事と商業BLっぽさが苦手だったのもあった。根っからの二次創作オタクが行き過ぎたのか商業BLを受け付けなくなってた時期が長くて、特定の作者さんのばかり買ってた。でも最近久しぶりにBL本を衝動買いしてさ、悪くなかったよ。この人の絵柄好きだなって思って買ったんだけど、右の子がちゃんと男の子なのに可愛いのと左の彼もかっこいいしサブキャラも良いし、続編出たら多分買う。
たまに新しい作品に触れるのは大切だなと感じるのは、刺激になるだけでなく普段脳内に取り込まない種類の情報を取り入れてその作品を書くにあたって必要だったであろう知識とか技術を垣間見る事も出来るから。創作するのが好きな人間って何かしら脳内や紙やデバイス上のメモ帳に書き溜めてるんじゃないかと思うんだけど、それは一言二言じゃなくて或る程度貯まって来た時に別の何か(断片的な言葉とか、偶然目にした視覚的な刺激、楽曲の歌詞やメロディー)と触れ合って静電気みたいに反応して、いつの間にかネタが生まれて書き始める事がある。
私は前にマクドナルドでトイレの注意書きのお子様用椅子の使用上の注意に英語で『お子様から目を離さないで』と書かれてたのを読んで何でか推しカプの『○○しないと出られない部屋』のネタが降臨した結果、一万字くらいの小説を書いてた。英語を勉強し始めて少し経った頃で、文章の意味が分かった事と似た意味の別の単語に置き換えたら語呂が良いと感じて書き始めたと知り合いに話したら「よくそんなところから妄想が膨らむね」と若干引き気味に言われてる。ちなみに結構イイネが貰えた。その時部屋の内装を決める時にインテリアコーディネーターの教本を捲って様式を決めたんだよね。そしたらリアリティーも出て妄想しやすいし描写に説得力も出る。
『沢山読書してくれた事』や『興味が引かれた事や気になった事は直ぐ調べる癖をつけた事』は過去の自分の行動で最も感謝してる部分。お陰様で今の所ネタに困る事が無い。他の人の作品を読んでる時に脳内で静電気が起きてネタが生まれるのもよくある展開で、X(旧Twitter)で見かけたポストを元にネタが生まれていつの間にか超大作な事もある。
まだ音源を買ってないんだけど、ぬゆりさんの『ロウワー』って曲を聴き続けてた時、いきなり鮮やかな映像が脳内に流れた事がある。それが如何にも綺麗で惹きつけられたからすぐノートパソコンを開いて文字化した結果、6話に亘る長編と解説編を書いてた。執筆中はずっとYouTubeとお友達状態。このロウワーも初めは全然違うところで知った曲で、ドラマのネタバレショート動画みたいなののBGMだった。さとうもかさんの『メルトビター』とも似たような感じで出逢って、こっちはイラストのイメソン兼作業BGMになった。
常に何かを生み出したくて仕方ないんだと思う。自分が感じた刺激を自分なりに魔改造して面白く出来たら嬉しいし、それを『良き』と感じてくれる人が居ればそれも嬉しい。世間一般からの評価が得られなくても何かを描きたいし、文字にもしたいんだと思う。
前に就労移行支援事業所で作品を書く事が好きな人と話してる時に『それだけ思い通りに書ければそりゃあ楽しいですよね』と強めの語調で割り込んできた人がいたんだけど、いやほんとその通りだし、書ける自分で良かったです! みたいに返してその人を怒らせたことがあるんだけど、このコメント返しに私の意地の悪さが現れてるなって思う。創作者って意外と意地の悪い面もあるし、結局自意識はかなり強いから対立もするんだろうなって感じた。私だって或る程度苦しんでる時もあるんだけどね。大抵はめっちゃ楽しいしし面白いけど。多分あの人は『自分が思い通りに書けないからそれなりに書ける人に怒るタイプ』だったんだろう。わりと損な性格だと思う。
何だろう、文字を綴る事が好きで楽しめるタイプの人は言葉での攻撃に強い返しをしちゃうんだろうね。前に『子供の成績の悪さを妻の所為にする夫』の話で「蒔いた種が悪かったんじゃないですか? 一方的に畑に文句を言われても。耕さなかった側にも責任あるでしょ」って言って場が凍った事がある。流石にあの時はバツが悪かった。
自分の言葉に強いエネルギーがあるんだと感じたと同時に、それを産んだのはこれまで見聞きした文字や情報、色んな経験のお陰だったと改めて思った。
相変わらずテレビは苦手だけど、そろそろ新しいドラマとかも見たいなぁと思ってる。こないだ完結したばかりなのに今更見たいと思っちゃってて方法を模索中。もう一回見たい映画もあるし、聴きたい曲も沢山。
HSPの派生で本来繊細で刺激には弱いし敏感なのに、新しいものが好きでどんどん行動するHSSってタイプらしいよ。色んなテストで二面性が強いって言われがちな理由、この性質に関係してるかもね。
▼2025/09/30:コーンフレークと糖蜜、蕪のサンドイッチ、合成葡萄ソーダで乾杯。
言葉を学ぶ段階って人それぞれだと思うんだけど、この記事のタイトルを知っている人はきっと、今Xとかでも話題になってしまったワードを見てピンとくるタイプだと思う。大分マイナーな文章なんだけど、絵本や文学、書籍やイラストレーターのマニアとかなら聞いた事がある可能性が高い。私は某遊べる本屋さんでこの作家さんの絵本を手に取った事があって、このタイトルに据えた絵本も招いていないお客の絵本も不吉なABCの詩の絵本も読んだ事がある。絵が独特でね、好みは別れると思う。さっきSNSを覗いていたらAIと日本語は相性が良くないと知った。共感性に重きを置く言語であるが故に、慣用表現が複雑すぎるきらいもあるかららしい。あのワードだけでなく『何かを連想させて意味を持たせる表現』は苦手なんだって。じゃあ京都弁で皮肉を言われたら素直に喜んじゃうタイプも居るのかな。それはそれで強そうと感じるけども。
何となく京都弁とクイーンズイングリッシュには親和性があると思ってる。お互いに皮肉の文化でしょう。それが綺麗だと思っちゃう私も居るけど。とか言いながら勉強してるのはアメリカ英語なんだけどね。
言葉って、産まれてから使われる段階で色々と変容していると思うのね。活用形とか後半につかわれる言い回しで意味が逆になっちゃうとか、敢えて濁す事ではっきりと伝えるとか。違和感を覚える事もあるんだけど、言葉或る種生き物みたいなものだとも考えてて、多くの人がその存在を忘れてしまったら言葉として意味を為さなくなったり(死語になるとか以外でも)、時間の経過とともに全く別のニュアンスになっちゃったりもする。例えば『適当』。これって半端に力を抜いておざなりにする、が本来の意味じゃないじゃん。『ある性質や状態、条件に相応しいこと』とか『具合(温度や時間帯なんか)が丁度良い』が元々の意味だったよね。数学や国語の問題で『次の中から適当なものを選べ』とかさ。でも時代と共に『適当にやる』=『いい加減に、要領よくこなす』って意味が生まれてさ、次第に『適当とはいい加減な事で、真剣には行なっていない』みたいなニュアンスが浸透してる。どちらかと言えばそっちが現代の主流だよね。
でも一番まずいと感じたのは『間違いを指摘される事』をイコールで『馬鹿にされた』と変換してしまう人が増えているらしいこと。私もそう言う傾向あるから人の事はあまり言えないんだけど、間違いを指摘された後で逆切れみたいな真似をするのは、大人としてどうなんだろう。子供と呼べる人たちだって或る程度歳を取ったら理解できることが多いと思うんだけど、もし間違いを指摘してくれる人が居なかったらずっと間違ったままなんじゃないかって怖くなる。
学生時代、国語の成績は正直あまり良くなかったんだけど(特に問題文の読解)、専門学校に行く頃には不思議と文章を褒められる事が増えた。病気になって一回は何にも書けなくなったんだけどね、きちんと療養してその間にも本や漫画を読み続けていたらまた書けるようになった。抽象的な文も好きだし、暗喩が好きになったのもその頃。言葉の裏側や文脈、行間を読むのが好きなのってオタクあるあるじゃないかな。言葉以外にもイラストや絵画の構図や描かれるアイテムの意味を勉強するのも面白い。一神教どころか多神教すら信仰していないのに宗教画が好きなのはこの辺りに理由がある。メタ的な視点を持つとどんな文化も面白く感じる面がある。所謂お約束みたいなものもあるじゃない。ヤドリギの下でキスを仕掛けるとか、薔薇の花を壁に吊るすとか。
勉強すると、始めは何とも思っていなかった(心に引っ掛からないと言うべきかも)表現の意味を推測して、更に発展した考えが出来るようになる。『このキャラクターが持っているアイテム的にあの人物がモチーフになってるな』とか、『だからこの色で表現されてたんだ』とか。そう言うパッと見では分からない事を探求するのって面白いだけじゃなく、自分の脳味噌をフルに活用している気分に浸れて私は好き。
よく、好きな楽曲を聴き込んでタイトルとか歌詞の意味を推測してはキャッキャしてる。聴き込み甲斐がある曲を作ってくれる人達に感謝してるし、それから連想して小説やイラストに起こすと感想を貰えることも多くてうれしい。勉強ってさ、しなくても生きてはいけるんだよね。でもより人生を楽しみたいなら或る程度の教養はあった方が有利と言うか。歴史上の人物になぞらえた設定のゲームとか広く知られる架空の人物の設定を少し(ないしは大幅に)弄って生み出されたものってたくさんあるじゃん。
そういう生き方を望んでないなら仕方ないけど、私は仲間内で盛り上がれるくらいの知識は欲しいから勉強し続けるんだろうな。
ちなみに、今日でデュオリンゴを始めて296日目らしい。何だかんだ毎日続いている上に新しい仕事を覚えながら今月皆勤だった私を褒めておこうと思う。
▼2025/09/27:鍵盤の上を踊る桜貝、絡ませたのはいつの約束か
友人が踏み台昇降を頑張っているとブログに綴っていた。汗をかくのって初めは不快なんだけど、或る一点を超えると急に気持ちよくなるから頑張ってみてほしい。私も後でやらないとな。同じように頑張る人がいるのって良いね。人間の身体って或る程度動いているのが自然な在りかたらしい。生命維持に必要なレベルの鼓動とか呼吸だけでなく、スポーツがストレス発散になるタイプも居るって言う事なんだけど。最近知ったんだけど、身体を動かすと心拍が速くなるのが心地好いと感じるタイプと逆のタイプの人が存在しているらしい。心拍が速くなるのが心地好い人はジェットコースターとか刺激的な食べ物(激辛カレーとかスパイス系)、パニックホラー映画が好きな事が多いんだって。逆に心拍がゆっくりになる事を好む人は瞑想とか茶道とか優しい繊細な味わいの食べ物を好きな傾向があるらしい。面白いなと感じた。
私は完全に前者なんだよね。ジェットコースター、パニック系ホラーも身体を動かすのも大好き。心臓の鼓動が速くなるのが分かるとワクワクしてるって自覚する。元々頻脈なのは関係あるのか知らないけど。だからディズニーリゾートに行ったら『センターオブジアース』や『インディージョーンズアドベンチャー』、『ビッグサンダーマウンテン』や『タワーオブテラー』は欠かせない。『ホーンテッドマンション』も好きだけどあれはゴシックっぽいのが好きかな。あと『レイジングスピリッツ』も好き。
休日にまったりしようと思って難しいのはこの辺に理由があるかもしれない。動いてない事が苦手過ぎて。回遊魚って言われる事が多い人生なんだけど、よく読書家になったよね。まあ読みながらドキドキする物語が好きだから心拍が速くなってはいるのか。
音楽もアンビエントよりはアップテンポだったり邦楽ロックとかを好んで聴いてる。ウォークマンに入れてるのも速い曲ばっかりで、それを聴きながら運動して汗をかくとすっきりする。でもこれは全員に当て嵌まる傾向じゃない。音楽を安らぎのツールにしてる人も多いよね。何だろう、私完全にアッパーなんだよね。ダウナーな人生も面白そうなんだけどな。気だるげな人ってミステリアスで好きなのに、何だかんだ根明な行動ばっかりとっちゃう。声も動きも大きい。もうちょっと落ち着いた人間になりたい。
悩んで考え込むフェーズが少ないのは良いんだろうけど。或る程度悩んだらスパッと決めちゃうんだよな。割り切ってると言うか、切り替えが早すぎると言うか。『これが駄目ならこっちのプラン』って思っちゃう。諦めが速すぎるのかも。粘り強く構えるのも苦手。悩んでても仕方ないから行動!って生きてきた。興味の湧かない物の前で黙ってると眠気が来る。だから事務職は諦めたんだけどさ。
この歳で生き方を変えるのは難しいよなぁ。それが生まれつきの性質なら尚更。でもじゃあ、一日に8時間も机に向かって絵を描いてるのが好きなのは何処を動かしてるのかって思っちゃうけど。作業しながら脳内が動いてるのかな。小説ならね、展開や構成を考えて書くから只管脳が動いてる実感があるんだけど。インドアだけど脳内はアウトドア。何も考えないことが難しい気質はADHDっぽさがある。
落ち着きが無いって言われるとそれまでだけど、普段は販売員としてそれなりにやれてるから適材適所って事で。
▼2025/09/26:霜が降りる前に枯れた木の葉、染まる事すらできないで
言葉を綴る趣味を持つよりも前の事を思い出す。小さい頃から本を読む事が好きだ。今も読みたい書籍が絶える事は無くて、来月のお給料で購入したいシリーズがある。『光が死んだ夏』と言う、今アニメも放映されてるホラー要素と青春もの要素が絡み合った漫画作品。主題歌がとても良くて、イラストも好みで購入を決めた。元々SNSで話題になった頃から気にはなっていた。只、主人公が不幸になる未来しか見えなくて手に取れなくて、でも気になり続けて主題歌を聴いてみて(正確にはMVを視聴して)私が彼を不幸と断じるのは早計だし展開が気になり過ぎるので思い切って購入してみようと決めた。主題歌もダウンロード購入して、今も聴いている。MVを視聴した時私はいつの間にか涙を流していて、繰り返し聴いていると胸の奥が引き絞られる感じがした。
人は誰かの死に引っ張られる事がままある。ご遺体や血液は穢れとされたし(後世から見れば医療的な側面が強いんだろうけど)、殉死と言う文化があるかと思えば自死を最大の禁忌とする宗教の教えもある。『死』と云う言葉や文字自体を忌み嫌う人がいるのはおかしい事じゃない。生命にとって最も恐ろしい事を避けるのは自然だ。だから様々な代名詞的な表現として『無言の帰宅』『他界された』『永眠致しました』『お隠れになる』とかの言葉達が生み出されたんだと思うけど、最近、それらの言葉を知らない人が増えているらしい。年齢は様々みたいだけど、決して若者とは呼ばれないであろう人達も居るそうで、彼若しくは彼女に『何故シンプルに「死んだ」と言わないんだ』と逆ギレされたとの記事だったと知って正直驚いた。
当該の記事は『無言の帰宅』が分からないパターンだったらしい。分からない事自体は恥ずかしい事じゃないと思う。ただ、その後の台詞が良くなかったんじゃないかと思った。「そう言う表現があるんですね。勉強になりました」とか「教えてくれてありがとうございます」とかせめて「初めて聞きました」とか言いようは幾らでもあると思う。これらの言葉や近い意見を述べていれば此処まで話題にならなかっただろうし、十年以上読書をしてきた人だとの事なので、どんなジャンルを読む方なのか気になった。
無言の帰宅。思えば最近見聞きしていないかもしれないな。でも今までのどこかで知識として吸収して自分の語彙に追加したのは確かだ。今は何て言うんだろう、事故とか事件でお亡くなりになった方をご自宅へお送りして、皆で迎えたとの報道を耳にする機会がめっきり減った。
慣用句とか諺とか故事成語、比喩表現とか広く一般に知られる表現は時代によって変わるのがまあ、通常なんだと思う。私も年齢を重ねるにつれて趣味の作品中で使う言葉や語群は変わって来た。例えば一時『得心した』、『直截な』、『如何せん』を多用していたし、今は『殊に』、『殊の外』や『閑話休題』を使う機会が多い。それと直喩よりも暗喩を使う方が好みだ。書く側としては、だけれど。漢字の画数は多い方が文章が詰まって見えて好きなので旧字体や異字体を使いたいと感じる。かと言って読めなかったり通じなかったりすれば意味が無いから程良くひらくようにはしている、と書くと何を『ひらく』んだ、と訊かれるんだろうか。漢字でも書ける言葉を筆者が意図してひらがなで書く事を言います。皆さんはきっとご存じでしょう。
先述の閑話休題とか虎視眈々、群雄割拠、渾然一体とかの四字熟語ならどうなんだろう。多分通じないな。エンターテインメントの書籍ではあまり使われない、なんて書いたら気に障るかな。
言葉を知らない事は恥ずかしい事じゃないけど、知らない言葉を知った後の振る舞いで貴方の教養の程度が伝わるんじゃないかな。『沈黙は金、雄弁は銀』って言うし、知性と品性と人間性は言葉選びにも如実に表れる。
まあ、かと言って難し過ぎたり場にそぐわない表現ばかり使うのもよろしくないんだけどね。適度に平易にしておいた方が軋轢は生まれ難い。接客業してても思うよ。この前『釈迦に説法』が通じなくて驚いたんだけど、お母さんが「多分それは通じないのが普通」って言われて更に驚いた。じゃあ何て言ったら通じるんだろう?と訊いたら「馬の耳に念仏じゃない?」って言うからうちのお母さんが活字を読まない人だと思い出した。勿論訂正してる。
他にも高齢の女性(若しくは容姿から年齢を推し量れない女性)を『ご婦人』って呼ぶんだけど、少し丁寧すぎるらしい。難しいなと感じる。
趣味の小説では漢字の使い分けにもついこだわる性質で、『きく』は『聞く』『聴く』『訊く』から選んで使い分けたいし、『効く』と『利く』は似ているようで違うから面白い。『かく』も『書く』『描く』『画く』から最も適してると感じる物を使う。だから『手書きMAD』って書き方に違和感を覚えがち。他にも『とる』は『取る』『摂る』『採る』のどれなのか考えて間違えないようにしたい。漢字の違いって意味も変えてくるからついついこだわりたい凝り性の自分が指示を出してくるんだよね。
だからと言って完璧な文章は書けてないと思ってる。誤字脱字チェックも欠かさないけど漏れがあったりなんて日常茶飯事だ。ただ、知らない事を指摘されて恥ずかしい事だと思うよりも学びの機会と思う方がポジティブで良いと思うんだけどな。知らない事を素直に『知らない』と言える環境じゃなかったかもしれないなんて空想する。
比喩表現も同じようなもので、『道に迷った仔兎みたいだね』なら『怖がっているの?』と妖しく問い掛けてるみたいに思えるし、『やっと刃が此方へ向けられ始めた』なら『ついに敵意を持たれたと気付いた側』の心情に思える。『供された馳走の帯を解く』なら『夜の営みの始まり』かもしれないし。
まあこれは書く側のセンスの問題かな。伝わらなかったら意味が無いのが辛い所だけど、同時に面白いと感じる要素でもある。教養って色んな方向性があると感じてる。例えば映画や文学作品に詳しいだけでなくそれらに付随した歴史的知識とか地理、伝承、寓話とかの覚えがあるとより楽しめるから、人は書籍や文章、映像や音楽に触れるんじゃないかな。勉強するのが面白いのってそれらの入り口に立てるからだと思う。
日本ってさ、義務教育で色んなことを教えてもらえるじゃん。楽譜の読み方もミシンの使い方も、栄養学的知識も宗教学のまくらも美術作品の○○派も木工作品の鑢の掛け方も、中学卒業までに或る程度吸収できる。それをとっかかりにして興味のあるものの学びを深めるのは、良い事だと思ってる。学校の図書館で読める本にはきっと色んな言葉が載ってるし。
さっきね、『自分の知らない言葉や表現を使われると腹がたつ人』の話を読んだ。馬鹿にされてると感じるらしい。『そんな事も知らないのか』って言外に示されてる気分になるのかな。嘲笑する心は無いんだけど、じゃあもっと自分を高める努力をすればいいのにとは思う。知らない事を教えてもらえてラッキーくらいでもいい。きっとこれは私が興味の範囲での勉強が苦にならないタイプだからで、もしこれが生まれつきなら遺伝子に感謝かな。あと環境にも。
自分が知らない事を疎ましさの始点とするよりも『無知の知』を得る方が、だいぶん人間らしいと思うんだけどな。
気付いてると思うけど、この記事はわざと難解な表現を織り交ぜて書いてる。私の日記の読者さん達はどんな風に思うのか気になったのと、長年読書に親しんできたと宣ってたらしい『無言の帰宅』を見た事も聞いたことも無いと相手を全否定した人への意趣返しとして。
……もしかして『宣った』とも知らないとか言わないよね?『意趣返し』は通じる?『無知の知』は?とか煽りたくなるあたり私も修行が足りなそうだけど。
ただ、世代によって通じない言葉があるのは仕方ないと思う。どうしたって触れられるツールや媒体は変わって来るし、場合によっては発禁とかあり得るし。残酷すぎるからという理由で全国の学校の図書室から排除された漫画を読んだ事があるんだけど、『残酷すぎる』って思えるくらいこの国の今は平和なんだろうなって感じるしね。
グリム童話とかは原典の時点では恐ろしいにも程がある倫理観に欠けるものが多いと聞いた事があって、まあ具体的に言うと白雪姫の目覚めた後の顛末とか、シンデレラの継母は一人じゃないとか。『グレーテルのかまど』って番組のタイトルを知った時は驚いた。魔女を突き落としたかまどで何をするんだろう。人魚姫とかもさ、王子様を殺せなくて最期は泡になって消えるとか知らない人も多いらしいし。『赤い靴』のカーレンがどうなるかとか、ハーメルンの笛吹きとか。
童話って優しくない話の方が多い、と思ったけど、当時の社会を反映しているなら致し方ないかも。童話はつまり民の話だから、嘗ての時代の『標準』『基準』『世相』『民意』が絡まない方がおかしいもんね。
で、現代では『残酷すぎて教育に良くないから』改訂されるか削除される事もある。
前項の学校から排除された漫画って言うのは『はだしのゲン』の事なんだけど、私は小学生の時に当時出版されていた分を全部読んだ。まあ確かに残酷っちゃあ残酷だけど、実際に起きた事なんだし勉強も兼ねて読んでおいても良いと思うんだけどなぁ。右翼左翼は抜きにしてね。
大昔の話って言われるけど、『サド裁判』を思い出した。いつだって、書籍の上で描かれる物語よりも現実の方が余程残酷だよ。
文字で人を殺す事は意外と簡単だけど、救う事も割と簡単なのにね。
▼2025/09/25:替え歌を口遊むくらいにはご機嫌、それは只の文字列だった
精神科の診察に行ってきた。月に一度の定期的な奴で、今の先生に初めて自分の病名について疑問をぶつけてみてる。結論と言うか、病名はあくまでも治療の指針を立てる為のヒントみたいなものらしい。幾つかの診断基準やその病気で起こる症状を満たしていればこの病気と『仮定して』治療する。薬とか認知行動療法とか心理的な治療とか、沢山ある中から『まずはどれを使ってみるか』を決める為の物。
私は結構長い間自分の病名に疑問を持っていたわけだけど、診察後の今は病名そのものがあまり意味の強くないものと感じてる。私が与えられた『統合失調症』と疑いを持つ『気分障害(恐らく双極性障害)』の間にはグラデーションの部分があって、其処に居る人達が与えられる可能性があるのが『統合失調感情障害』らしい。両方の要素を持っている人と言うべきかな。
『統合失調症』と『双極性障害』は似通った病気でもあるらしい。だから片方の診断を受けている私は、もう片方の病気を彷彿させる症状があってもおかしくない。だけど、どっちとも言えるしどっちかだけとも言い難いから『統合失調感情障害』かもしれない。らしい。ちょっとはっきりしないなと思ったけど、血液検査やMRIで見つけられる病気じゃないから仕方ないのかもと感じて、すっきりはした。目で見てはっきり判別できる数値の異常や病巣もない病気に、正確な名前を付ける事は難易度が高いと感じたから。
躁に寄っている事は先生はあまりよく知らなかったらしくて(この前診察日の関係で今の先生に戻ったから)、どれだけエネルギッシュなのかとか活動的になっちゃうかを説明したけど、説明している時の私はテンションが低くて(仕事で疲れて眠かった)あんまり深刻に捉えられてはいなさそう。夢をはっきり見る事は興味あるみたいだけど。どんな夢を見るのか訊かれて『好きな漫画のキャラが出てきて、こんな展開なら良いなって思う夢が見られる』と答えたら『何て漫画なんですか』って突っ込まれた。ぶっちゃけBLっぽい話題に触れないように持っていくのが大変だった。夢は心理的な物が大きく映し出されるから気になるんだと思う。前にもここに書いた守って貰えなかった自分を救いたいから好むキャラが居る事も話した。
職場での話は『本音と建て前を巧く使う』『自分を守る嘘はついた方が良い』が主なアドバイスで、私含め精神的に幼い傾向がある人や発達特性のある人は、つい本音100%で話をしてしまって嫌われる事も多い。この場面で何を言うのが適切なのかを考えた上で♂Rをつく事も必要だし、その嘘は悪いものじゃない。『ホワイトライ』だったかな、自分と相手を守るための嘘。嘘を吐くのはいけない事だと思って来たけど、これにも『時と場合』が適用される。相手を傷つけない為なら必要な嘘はついて良いし、それは嘘じゃなく『建て前』だと。
昔から『素直』と評価される事が多かったけど、嘘を吐かないんじゃなくて『吐けない』んだよね。『この場では本音を話さない方が良いと判断できる機能』が一般的な人達よりも弱い。だから意図せず他人を傷つけるし、相手を慮って適切な言葉を選べない事があるから『他の人の気持ちを想像する機能』も弱いってこと。自分に置き換える事は出来るんだけど、自分が嫌じゃなかったらやってしまったり言ってしまう。この辺、私の発達特性にも関わってきそう。
嘘をつく事が悪いんじゃなくて、結果誰かを傷つけたり不快にさせたり不利益を被らせることが良くないんだから、何でもそうだけど『使いよう』だし『嘘も方便』なんだろうな。
人には誰でも表裏があって、それは悪い事でも何でもない当たり前の事。本音で誰かを傷つけたり自分の立場を悪くするくらいなら、職場では本音を出さなくてもいいというのが先生の意見。私もおおむね同意。ちょっと罪悪感があるけど多分慣れる。
店長のシフトや休暇については、大きな問題が起きない限りは私からは何も言わない事にした。折角高評価を得ている今を壊すくらいなら、長い目で見て変化を待つ(例えばさらに上層部の人が店長へしかるべき措置を取るとか)方がメリットが多い。今の所私と店長は良好な関係だし、私自身が無理をしなければならない事態には陥っていない。他の人に皺寄せが言ってる。で、元々有能で優しい人が割を食うんだよね。それが私は許せない。
店長に能力が無いとは言わないけど、何だろう、かなり鈍感な気がする。言われないと伝わらないし、分からないし発想も出来ない。それこそ相手の気持ちや感情を想像できていないと言うか。
決めつけは良くないのは大前提として、コミュニケーション能力のレベルと想像力のレベルが合ってない人かもしれない。優しさと思い遣りは違うと言うか、優しくても思い遣りの無い人って意外と多いんだよね。似てるんだけど両者は結構違う。優しさは主体的な物で、思い遣りはそれを使用して発展させた結果出来るようになるものと言うか。
例えば、階段で重い荷物を運んでいる人を手伝う。それは優しさであり思い遣りでもある。けど、その荷物がもしも他の人に触ってほしくない物(例えば医療機器)だったとしたら、無言で持ったり支えるんじゃなくて「お手伝いしても良いですか?」って一声かけて≠げる方がベターとか。うまい例が思い付かなくてごめん。でも、『自分がこうした方が良いと思ったから動く』よりも一度考え問い掛け声掛けをして、『相手はこうされたら嬉しいと言ってくれた、示してくれたから動く』の方がベターなんじゃないかと思うんだよね。
例えば、迷子を見つけたけど『いきなり知らない大人の自分が声をかけるのは怖いと思われるかもしれない』って考えて近くの交番や駅の事務室の人にお願いするとか、自分よりソフトな印象の人に依頼して、自分は警察に報せるとか。相手がどう思うか、考えるフェーズを挟むのが思い遣るって事だと思う。だから適度な想像力は大切。で、うちの店長はそれが他の能力とレベルが合って無いんじゃないかなって考えてる。
まあ大なり小なり皆そう言う物は持ってるんだろうけど。得意な事と苦手な事の凸凹が激しいと診断とかの対象になるけど、そう言う特性って結局はグラデーションだから。そんで、そういう所があるからって店長を嫌な人だと断じるのも良くない。人には色々な面があって、誰でも長所と短所が存在するし場面によっては入れ替わる。強みと弱みは表裏一体。人は白と黒で別けられない、グレーのグラデーションの中に居る存在なんだ。
って、解かってても気になっちゃうのは最早私の性格なんだろうな。正しく在ろうとすれば必ず報われるみたいに考えちゃうところあるし。人生そんなに甘くないのにね。
変わらず私は白黒思考をしちゃうし、0か100で考える癖がある。他の人が本音と建て前を使い分けていると想像し辛いし、つい自分を開示し過ぎてしまう。自覚する前よりは大分楽にはなったけど。気付いてからは治せるようになったし、巧く振る舞えるようにもなった。後は心の中の変な罪悪感を減らしていくのが良いんだと思う。
前からさ、自分が子供っぽいって感じてるの。良くも悪くも純粋と言うか。それと、他者と自分の境界も曖昧になりがち。時々だけどね。それが自覚できる程度には軽度な症状なんだと思うし、自己分析が出来てると思う。だから俯瞰視は出来るようになった。
もしかすると、医療に繋がってない人とか、繋がる必要が無い人は、こんな風に深く考えたりしないのかもと考える事が増えた。考えないからやってしまう事って多い気がしててね。『ちょっと考えたらこうなるって何で分からないの?』って事、ニュースとかでよく聞くんだよ。でもそう感じるのは『たまたま』考える能力を持ててるだけかもしれない。明日は我が身だし、人の振り見て我が振り直せだし。
けど、人として間違った事をしていない人ばかりが割を食うのは如何にかならないのかな。私が出来る事、そしてしたい事は割りを食ってる人を助ける事かもね。
▼2025/09/24:腑に落ちるラベルが欲しい、中身は変わらずとも
最近、ヘルプマークを着けたい人が増えているらしい。なんでも『公共交通機関などで座席を譲ってほしい』とか『とにかく優しく接してほしい』とかの理由で本来持たなくて良い人達が利用したいと声をあげているそうだ。一部の健常者の人が障害を持つ人から譲り受けて使用することもあるとか。意味不明だ。本来ヘルプマークは『外見から障害や疾患がある事が判別できないか、難しい人達』が『緊急時や不調時に助けを求める、適切に配慮して貰う』が主目的なのではないだろうか。前にも書いた気がするこの話題。外出先でも発作が起きる可能性があるとか、理解に時間がかかるからゆっくりはっきり話してほしいとか、お薬手帳の在処や家族の連絡先などを記載して着ける物だと思うんだけどな。認識が間違っていただろうか。おまけに一部のアジア人観光客が旅行会社から貸与される事もあるらしい。意味が分からないが『日本ではこれを着けていれば優しくしてもらえる』とか教わるらしい。割りと悪質な入れ知恵じゃないかと思う。
友人達にもヘルプマークを着けている人が居るけど、彼女たちは本来の目的で使用する為このケースには引っ掛からないが、其処から逸脱する人達の所為で何らかの不利益を被らないのかと心配になる事が増えた。
前にヘルプマークを色分けしたら(トリアージの話)と言う案を書いた事があるけど、家族には『そもそもそれを誰がどんな風に周知すれば良いのか分からない』と言われてしまった。結構いい考えだと思ったんだけど。
そんな感じで私は変わらずヘルプマークを貰っていないんだけど、これが障害者の私が障害者(と名乗る人)を差別したり見下している気がして自己嫌悪に陥る事も増えた。『私は貴方達とは違う』と無意識にでも思っているなら最悪だよね。
そう言えば、現職の店長は今の店の皆に私の病名を伝えていなかったらしい。合理的配慮の関係で『全員に報せて大丈夫です』と言ってあったんだけどな。統合失調症って事も気分障害の疑いも、非定型発達の件も知られてなかった。ただ、『他の人より配慮が必要』としか思われてなかった。これってたまたま良い方向に繋がったけど、そうじゃなかったらどうなってたんだろう。
五感の一つが無い事はみんな知ってたし、それで支障はなかった。昔あちこち骨を折ってる事も伝わって無かったのは多分プライバシー保護に鑑みてなのかな。あまり重量のあるものが持てないし、左腕は可動域が限られてて、筋力も右とは結構違うんだけどね。
それでも接客がかなり巧く出来るようになれてしまって、ギリギリ健常者みたいな扱い。お客様も私が障害を持ってるとは思ってないだろうし、更に言うなら『そこそこ業務に慣れている人が他店から異動してきた』と思った人も居たみたい。
商品についてとか動物さんについてとか、勉強するのは好きだよ。一日一学びは継続してる。覚える事や調べる事は得意だし、それを応用するのも上手い自信がある。伝える事も得意。文章を書く趣味を長い事遣ってると声での話もうまくなるらしい。事実一番明るいキャラで通ってる。お客様と盛り上がる事も多いし、固定客も着いてきた。でもさ、あまり適合し過ぎるのも問題かもしれない。何処かで破綻しないかと心配になる事も結構ある。
元々『自分を良く見せたい欲求』が強い。要は見栄を張りがちなんだけど、それに疲れてたら意味ないと思う。離人の症状もここから来てるんだろうか。私は常に何らかの『役』を演じてるし、それが増えていってる自覚もある。その場その場に合わせた振る舞いは大切なんだけど、過剰になるのは良くない気がする。でも、それをしない自分も嫌なんだよね。一人前の大人として、被らなきゃいけないものってあるから。
子供時代があまりうまくいってなかったのもあって、今の状況がいつ崩れるのかと怖くなってるんだと思う。それでも新しい夢とかやりたい事の為に頑張ってるんだけど。
何だろうね、私は全てを信じられないのに、別の面では信じちゃってるんだよ。かなり簡単に。矛盾に塗れて生きてる。けど、昔みたいに戻りたいかって言われるとそれも違うんだ。過去に戻りたくもないし、やり直しもしたくない。本当の最善なんて選べないし実行できないし、多分そんなものなんて無い。解ってるから戻らないんだよね。今の自分を作ったのはこれまでの自分で、もし何かが一つでも違ってたら別の結果になってる筈だし、違った問題も生まれる。
まあ、こうやってブログにして自分を俯瞰視できるようにはなったから、生き方が上手になった自覚はあるんだけど。
で、タイトルの話なんだけど。今も変わらず自分の病名(診断名)に違和感がある。本当に『統合失調症』なのか、『統合失調感情障害』じゃないのかって言うアレ。調べてるとさ、離人感が強くて小さな頃から自殺願望みたいなのがあって、感情のアップダウンが激しいって言う症状に鑑みると後者の方が正しいんじゃないかって思うんだ。自分が自分じゃないって感覚がいつもある。『今此処に生きている私』は本当に『私』なんだろうかって、常々疑問。自分が他人に乗っ取られてるとか考えが盗聴されてるとは思わない。自分は自分なんだけど、『違う自分』なんだよね。最近この感覚が気持ち悪くなってきた。気味が悪いというべきかも。私が一番不気味な存在なの。
過度に適応して、過剰に役を演じちゃったんだろうか。でもそうしないと苦しいの。どうしたら良いかな。
明日はお休みで、精神科の診察だからこの事達も話してみようとさっきメモを作成した。病名が変わっても何も変わらないかもしれないけど、腑には落ちると思うんだよね。どうなるのかは分からないんだけどさ。中身とラベルが一致しないと気持ち悪いじゃん。