思い出した斎藤の姿につい目に涙を浮かべた桐島。
赤くなったその瞳に不意にその光景が写り込んできた。

「.....」

目の前の光景にふと立ち止まると昨日の事が頭を過ぎる。
立ち止まった先に佇むのは昨日の生徒。
そう自分よりも体の大きな、あの黒髪の生徒がいるのだ。

『....せんせぇ』

自分の耳元で呼んだ、低い声が頭の中で再現されていく。

保健室で休んでいる時に来た生徒で、前日に彼とぶつかった事もぼんやりとだが覚えていた。

が、最後に耳元で放たれた甘ったるい呼び方が何だか似ているように感じるのだ。

自分が斎藤に甘える際、出てしまう呼び方に。

「...せんせぇ」


「えっ? 」

今のは自分の声でないと桐島は吃驚すると、目の前の黒髪の生徒は口元に弧を描き、そう呼びながらこちらに歩いてきた。

「...桐島先生。昨日言ってた通り国語苦手なんで教えてもらいたくてきました」

ニッコリ人好きのする笑顔で桐島に話しかける、黒髪の生徒だが、その笑顔に言い知れぬ違和感を感じた。

「.....」

「先生は国語の中でも何が好きなんですか? 」

どんどん近づいてくる黒髪の生徒に桐島は言い様の無い圧迫感を感じ、少しづつ後ろへ下がる。

「先生は国語の中でも何が好きなんですか? 」

答えない桐島に一度目よりも静かに、しかし強い口調で同じ質問を投げかけてきた。

「あ...あの...に、日本文学...」

ついと、桐島が答えた途端、黒髪の生徒は足を止めた。

「じゃあ、それで良いんで教えてください。放課後、第二図書室にいるのでちゃんと来てくださいね」

強制的な約束に桐島は訳がわからなくなるが、目の前の黒髪の生徒は満足したように踵を返し戻って行くかと思ったら、またこちらに振り向くと、

「もし来なかったら」

「桐島先生と抱き合ってたあの既婚者の『先生』との関係、バラしますね」

とまたもや人好きのする笑顔で言い放った。
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