妄語

「あっ先生!すみません、さっき渡しそびれちゃったんですけど……」

突然鳴り出した携帯電話はさっきまで打ち合わせていた須藤からだった。蘭と園子にことわって席を立ち、テーブルを離れて電話に応じた。

「?」
「招待状です。まあ先生ならなくても入れるとは思いますけど、場所とか時間も書いてありますし、一応お渡ししようかと」
「招待状……ならまた今度取りに行きます」
「え?来週ですよ?速達で送りますから明日受け取っていただいてもいいですか?」
「あ、うん」

招待状、何の招待かはわからないが瀧衣理は知っていたのだろうそれを私が聞き返すことはできない。ましてや疑いの目を向けている安室のいるこの店で。視線を感じることはないけれど、何となくわかる、安室という男が私に注意を払っていることは。年の功のおかげというか、なんというか。

「いつものようにこちらで手配しておきますから、そのまま伺ってください」
「伺うってどこに?」
「どこって、工藤さんのところですよ。工藤さんは来週パーティーの前にご帰国されて先生との仕事を終えられたらまたとんぼ返りするそうですからなるべく早めに行っていただいてもいいでしょうか?」
「わかりました、じゃあまた」

工藤さんって誰だろう。工藤さんのところに行けと言われたが誰のことなんだ。今日は帰ったら家探しでもして工藤が誰なのか突き止めなくては。
帰国してとんぼ返りということは国外で仕事をされているというわけだ。日本名だし日本人ではあるのだろうが、それ以外の情報がなさすぎる。

「衣理お姉さんどうしたの?」
「え?あ、コナン君」
「こんにちは、衣理お姉さん。難しい顔してたね?」
「コナン君、邪魔しちゃダメよ」
「大丈夫、ありがとう蘭ちゃん」

電話する私の横で椅子に座りながら見上げていたのはコナンだった。そして、何やら梓に用があったらしい通りすがりの蘭が注意する。
このあどけない顔と声からは想像つかない程の頭の回転の良さで殺人事件をあっという間に解決してしまった、探偵事務所の息子。この子も安室同様気をつけなくてはいけないのに、やはりそこはこの見た目だからか、私に隙があるのも仕方のないことだった。

「コナン君、工藤さんって知ってる?」
「く、工藤?」
「そう。今度仕事でご挨拶することになって」

知ってるわけないのに、なんで聞いてしまったんだろう。コナンはこれまた可愛らしい声でうーんと唸っている。まあいい、早く帰ってメールや手紙のチェックをしよう。何かしら残っているはずだ。

「工藤って、新一……あっ衣理さん小説家ですし、新一のお父さんのことじゃないですか?」
「あ、あー、そっかあ!新一兄ちゃんの苗字工藤って言うんだっけ」
「蘭ちゃんも知ってるの?」
「新一っていうのは私の幼馴染みなんですけど、衣理さんと仕事でってことならお父さんの工藤優作さんのことだと思います」
「でもお……し、新一兄ちゃんのお父さんは今海外にいるんだよね?」
「ああ、やっぱりその人かも。今度仕事に合わせて帰国するって言ってたから」
「ねえねえ衣理さん、それっていつのことなの?」
「え?えーっと、来週って言われてるかな。確か。なんで?」
「聞いてみただけ!」

国外にいる工藤という出版業界の人間がそうそういるとも思えないし、恐らく蘭やコナンが言う通りの人物で相違ないだろう。あとはその人の家か、勤め先を調べればなんとかなる。いつものように手配すると須藤は言っていたから、家をひっくり返せば何かの手がかりくらい見つかるだろう。それでもダメなら須藤から聴きだそう。

「コナンずりーぞ!お前ばっかジュース飲みやがって!」

太い声と共に入店してきたその男の子は大きな身体にランドセルを背負っている。コナンを呼び捨てにしているしお友達か、先輩といったところだろうか。
大きく太い足を目一杯広げてズンズンと進むその男の子の目は、手前の私を通り越してコナンの手にあるオレンジジュースに注がれているようだ。だからきっと気づかなかったのだろう、ちょうどその間、男の子と私の間にあったカウンターの出入り口から安室が出てくることなんて。

「いてっ」

勢いよく安室の足に激突した男の子は尻餅をつき、その拍子に安室のバランスも崩れた。

「うわっ」
「衣理さん!」
「……あっつ!」

蘭が甲高い声で私を呼んだけれど、昔取った杵柄というか軍人時代の習性で避けようと思えば避けられたけれど、私が避けてしまえば隣にいるコナンが害を受けるのだろう。こんな子供に、熱いコーヒー。そんなことできるはずが。
安室の持っていたコーヒーカップから溢れた液体が私の腕にかかるのは、重力がある以上当然のことと言えた。

「おい元太!」
「お、俺……」
「すみません衣理さん、大丈夫ですか?裏で冷やしましょう」
「そこまでするほどじゃ」
「痕になったらどうするんですか、さあ」

焦る様子を見せる元太と呼ばれた大きな子供とは対照的に安室は実に落ち着いていた。彼のせいではないとはいえ、彼の持っていたコーヒーを私にかけてしまったのだから申し訳なさそうにはしていたけれど、よくあることと言っては聞こえが悪いがどうにも慣れているように思えた。

「すみませんでした」
「安室さんが悪いわけじゃないですし」
「いえ、僕もよく見てなかったので……クリニーング代、請求してくださいね」
「いいですよ、そこまでしなくて。火傷ってほどでもないみたいですから」

かかったのは肩から下の大部分ではあるが、そこまでひりつく感じはないし、流水ですぐに冷やしてもらったのが功を奏したのか、肌がほんのりと赤みを帯びている程度で痕に残りそうなほどではない。肩も腕も、もらった保冷剤で大丈夫そうだ。

「肌が白いから目立っちゃいますね。普段あまり外には出られないんですか?」
「まあ、仕事が仕事ですし。でも気分転換に散歩することは多いですよ。だからこちらにもよくお邪魔してて」
「そうですね、よく原稿と睨み合いしてらしたのを見てました」
「あ、あはは……うん、もう大丈夫かな」

安室はテンポよく会話をしてくれるから話したくないというわけではないのだけど、いかんせん疑いを持たれたまま墓穴を掘るわけにはいかない。
しかし生まれ変わって何の繋がりもない人に成り代るという発想になっているとは思えないのだが、だとしたら、安室は私を何だと疑っているのだろうか。軍に属している人物に成り代わった時のような視線を安室から感じているのは、断じて私の気のせいではない。ただ瀧衣理はそういう人物だったとはとても思えないのだ。

「病院は?」
「そんな大袈裟な。ガーゼと薬で大丈夫ですよ。着替えもありがとうございました。今度返しにきますから」
「……衣理さん」
「?はい」
「……いえ、あの、お大事になさってください」
「?ありがとうございます。それじゃ」

安室は何か言おうとしたことがあったようだが、私に言わないということは聞き返してもきっと無駄だろう。
それにここは早い所切り上げて工藤がどうとかという話を片付けてしまわなければ。蘭の幼馴染の父親と仕事をするということは、何かおかしなことがあれば蘭に伝わる可能性もあるわけで。そうなるとよくここに来ている蘭がふとした時に安室に話さないとも限らない。この先平穏に生きて行くためには、最低限の信頼は勝ち得なければ。

「あっ衣理さん!」
「蘭ちゃん、園子ちゃん」
「大丈夫ですか?結構な量かかってましたけど……」
「全然、洋服の上からだったし。ごめんね、バタバタしちゃって」
「いえそんな、衣理さんが謝ることじゃ……あの、うちこの上ですし、良かったら手当てしていかれますか?」
「そんな大したことないから大丈夫。ありがとう蘭ちゃん。園子ちゃんも待っててくれたんだよね?ありがとう」

私が出てくるまで待っていたのだろう二人に軽く礼を言い、服が汚れたことを理由に店から出た。約束をして待ち合わせていた二人には悪いが、二人との約束より優先度の高い事項ができたのだから仕方がない。また今度埋め合わせをしておかなければ。
どういう人間であったにせよ、これから瀧衣理として生きるのは私なのだ。いつも通り、少しずつ、私の生きやすいように変えさせてもらおう。




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