妄語

「では表紙のデザインなどはいくつかパターンを作ってから相談ということで」彼の一声を皮切りに打ち合わせは終了となった。

私が書いたわけでもない小説の賛辞を私に言われるというのは決して居心地がいいものではないのだが、これからしばらくはこういう気持ちになることが多くなるに違いない。
それに今はそんなことに心を砕いている余裕はない。瀧衣理が以前書いていた小説を読み込んで文体を覚えなくてはならないのだ。完璧にはコピーできなくとも、ここで一気に売上を落とそうものなら、この世界で生きていく術を失うことになる。

「頑張らないとね……」

大丈夫、小説を書くのは初めてではないのだし。この世界の私にあとどれくらいの時間が用意されているのかはわからないが、精一杯やってみようではないか。

「あ!衣理さん!」
「蘭ちゃん、ごめんね待たせちゃって」
「いいえ全然。私も園子も今来たところなんです」
「園子ちゃん……」
「衣理さん、お久しぶり。私のこと覚えてる?」
「え?もちろん。お待たせいたしました」

園子というのは蘭と同じ制服を着た茶髪の女の子だった。くりっとした目が特徴的で、「一回しか会ってないから忘れられたかと思っちゃった」なんてケラケラ笑う姿にこちらをヒヤリとさせてくれる、天真爛漫な女子高校生。

「聞いたわよ、ガキンチョと殺人事件に巻き込まれて犯人を倒したとか!」
「そんな大層なものじゃないよ?」
「いーえ、この前までか弱いお姉さん枠だったのに蘭みたいに男をノセちゃうなんて……」
「コナン君から聞いて驚きました。何かやってらしたんですか?」
「たまたまインターネットで見たのがうまくいっただけなの。本当に。蘭ちゃんみたいなものではないから」

そう両手を上げてまるで降参しているかのようなポーズをとってみたがあまり二人は納得していない様子だった。それはそうだろう、たかだか動画で学んだからといって大柄な男を平均的な日本人女性が制圧できるとは、私だって思ってやしない。

「……これ言うとカッコ悪いから言いたくなかったんだけど、犯人、少しつまづいてたの。バランス崩してたから私でもできたってだけ。内緒だよ?」
「えー?なんだそうだったの?あのガキンチョ嘘ついたわね……」
「コナン君からは見えなかったんでしょ、大人がたくさんいたから」
「あー、なるほど。でも衣理さん、気をつけてくださいね?衣理さん結構巻き込まれ体質だから」
「あ、あはは……」

私だけでなく瀧衣理も巻き込まれ体質だったのか。今生はいつまで続けられるのだろう。

「……うわっ」
「え?」

梓にサーブされたコーヒーを飲んでいたら裏からエプロンをつけた安室が出てきた。私のことを瀧衣理ではない他の誰かだと疑いを強めている安室が。顔を合わせたくないのに。そんな毎日店に出るわけじゃないだろう、蘭の指定通りポアロでもいいだろうと考えたのが間違いだった。
つい条件反射的に口から漏れたその一言を園子は聞き流すことなく、私の視線を追ってすぐさまカウンターの方へ目をやった。やめて頂きたい。

「なんでそんな反応してるのよ?」
「え?えー……そんな反応って?」
「安室さん見て、ちょっと嫌そうな顔してませんでした?」

私の隣に座る蘭も不思議そうに首を傾げている。目ざとい子達だな。安室やコナンは人並みはずれて頭がいいと思うがこの子達も中々どうして周りをよく見ているではないか。私にとっては喜ばしいことではないけれど。

「ははーん?」
「?」
「どうしたの園子」
「わかっちゃったのよ。この名探偵園子様にはお見通しよ」
「め、名探偵?」

この街には一体全体何人の探偵がいるというのだ。このポアロに働く安室、このビルの二階に店を構えている毛利とかいう探偵、そしてそこの息子であるコナンに加えて園子まで。
本当にそうだとしたら大変厄介な人達に囲まれて疑われずに過ごさなければいけなくなる。ああ、頭が痛くなってきた。

「安室さんに告白して、フラれたんでしょ、衣理さん。だから顔を合わすのが気まずいんだ?」
「ええ……なにそれ」
「も、もう園子!失礼でしょ」
「だーってあんなイケメンを見て嫌そうな顔ってそれくらいしか思いつかないわよ。それとも蘭には思い当たることあるの?」

確かに園子の発言には正当性がある。あれだけの容姿を持つ男性を見たら例えなんと思っていなくとも目の保養になるわけだし、少なくとも顔が引きつるようなことにはならないだろう。

「そ、そう言われると……衣理さん、何かあったんですか?」
「なにもないよ。そもそもそんな嫌そうな顔なんて、してないし」
「そうですよ、この前は手を繋いで一緒に帰った仲じゃないですか」

水のお代わりを注ぎにきたのはまさに話題の人物であり、口元には緩く笑みを浮かべている。にこやかな表情を醸し出しているが、彼は私を疑っている。絶対に、間違いなく。あの鋭い瞳と沈黙の間に流れた重い空気を忘れられるわけがない。

「えー!安室さんと衣理さんって、そういう……!」
「ちょっと、違う。語弊があるから。向こう側から自転車が来た時に安室さんが気づいて引き寄せてくれただけなの」
「なーんだつまんないの。安室さんてば思わせぶりなこと言わないでよね」
「あはは、すみません。僕としてはあのまま手を繋いで帰りたかったんですけど」
「……」

どの口が言うんだ、どの口が。そんなツッコミは喉の奥に押し込んで乾いた笑い声をひねり出すので精一杯だった。
そんな私たちのやり取りを見てどう思ったのか知らないが、園子と蘭は安室が私に気があると思い込んでさらに黄色い声はヒートアップしていく。安室という男の狙いは一体なんだというのだろう。




top