妄語

「運転、ありがとうございました」
「……三時間後に迎えに来る」

トントン、とハンドルを指で叩いて沖矢はまた私を凝視した。その鋭い視線は私の中身を見透かそうとしているようで、正直あまり気持ちのいいものではない。

「はい、わかりました。ありがとうございます」

不躾なのはわかっているがこれ以上何か言われるのを避けるべく、頭を下げて車に背を向け歩き出した。

「仙道先生。お待ちしておりました」

出迎えてくれたのはスーツではなくタキシードに身を包んだ担当の須藤だった。彼はこの顔の私を見慣れているらしく顔色一つ変えることなく出迎えてくれたが、彼以外の人達も皆、この顔を見て「仙道先生」と話しかけてくる。思うに、公の場へ出る時はいつもこの顔にしてもらっていたのだろう。

「仙道先生じゃないですか」
「あ、こんばんは。お世話になってます」

出版社のパーティだとアタリをつけて呼ばれそうな作家の顔と名前は頭に入れてきたおかげで、こうやって話しかけてくる人との会話も何となくであればこなすことができる。例えば目の前にいる和装の老人はこの出版社の歴史小説の稼ぎ頭であるとか、その横にいる三十代も終わるのだろう彼は若者を中心に人気を博している人間ドラマがメインとなる小説を展開している人であるとか。

「連載完結されたそうで。人気があったらしいじゃないですか」
「おかげさまで。でも人気だなんて、まだまだです」
「その謙虚さ、忘れるなよ。たかだか賞を取ったくらいで図に乗られては困る」
「えっと……?」

老人はふん、と鼻を鳴らして私を見上げてくる。目線の高さすら気にくわないのだろうか。足元をちらりと見てヒールの高さを確認してから私を睨みつける老人は今まさに舌打ちでもしそうな勢いだ。

「女にしかうけんような軽い小説なぞ誰にでも書けるわ。深みが足らんのだ」
「……はい、ご指導ありがとうございます」
「いいですよね、若くて話題性があれば連載をもらえるなんて。羨ましい限りですよ」

もし軍人の時の私であったのなら言葉の暴力に対して物理で返してみせるところだが、私は瀧衣理であり、ここは日本という法制度が整っている国家である。揉め事を起こすわけにいかないことくらい考えるまでもなかった。

「すみません、仙道先生ですか?」
「えっ?う、うん」
「やったー!僕、先生のファンなんだ!サインちょうだい!」

足元でドレスを引っ張るのはコナンだった。なぜこの子がここにいるのだろうか。出版社のパーティになぜこの子がいるなんて、予想もしていない事態だ。
しかしコナンからしてみれば私は仙道という名の小説家だ。私からコナンがこの場にいることを尋ねることはできないけれど、私がどんな対応をしようが今だけは怪しまれる心配もない。差し出された本にサインをしながら軽く息を吐いたところで、あまり喜ばしくない声がした。

「コナン君、蘭さんが探してますよ」

顔を上げるとやはりそこにいたのは安室だった。安室は私が瀧衣理であることは知らないとはいえ、数分で私が別人だと疑いを持つような観察眼を持つ男だ、あまり顔を合わせたい相手ではない。

「仙道先生、でしたか。連載拝見しました。先が読めない展開で大変面白かったです」
「あ、ありがとうございます」
「よかったらあちらで話しませんか?ここは少し……騒がしいですし」

安室が私の前にいた男性陣に目を向け、品定めをするように順々に視線を走らせていた。やはり沖矢とどことなく似ている。まさか同一人物ではないだろうが。こういう癖、どこかで見たことがあるのだけど、一体それはどこだっただろうか。

「あの、安室さん、ありがとうございました」
「いえいえ。人の成功を妬む者は相手にしない方がいいですよ」
「そうですね……皆さん私なんかより凄い方ばかりなのに」
「自分の地位を衣理さんに奪われるかもしれないと怯えているんでしょう」
「そんな……」

あの場にいた人達とは全員小説のジャンルが異なっているはずで、怯えから来る態度とはあまり思えなかった。幸いにしてこういう場でなければ顔を合わせない人達なのだ、何を言われようと当たり障りなく受け流していれば問題は起きないはず。
その問題よりも今隣にいる安室をやり過ごす方が私にとっては難問のように思える。「どうぞ」手渡されたシャンパンに口をつけた。

「ところで、否定しなくていいんですか?」
「え?」
「衣理ではないと」
「!」

安室の前だからより気をつけて言葉を選んでいたつもりだったが、疑われているということに気持ちが向いていたせいで今の姿は仙道であるということがすっかり頭から抜けていた。さっと血の気が引いていくのがわかる。持っていたシャンパングラスを落とさなかったことを褒めて欲しいくらいだ。

「そんなに驚かないでください。言いふらしたりしませんから」
「……ありがとうございます」
「ちなみにその変装はご自身で?」
「いえ、その……知り合いがやってくれてます」

工藤有希子と言えば既に芸能界を引退してはいるがそれでも根強い人気を誇っている女性だ。おいそれと名前を出していいものかわからない私はあくまでぼかした言い方しかできなかった。実際、工藤有希子がどの程度の知り合いなのかは分かりかねるが、間違いではないだろう。

「知り合い、ですか」
「はい。まさかこんなの、自分でできるわけないじゃないですか」
「わかりませんよ、女性が一夜にして別人になることはままありますからね」
「はあ、深い言葉ですねえ……」

それは私が瀧衣理ではないということを言っているのだろうか。表情筋をうまく操り、ニコニコと笑う安室の真意はどうも読み取ることができない。




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