妄語

「ところで」
「はい」
「安室さんはどうしてここに?さっきコナン君もいましたけど」
「ああ。毛利先生が以前この出版社と縁があったそうで、その関係で呼ばれたところを僕やコナン君がくっついてきたというわけです」
「へえ、それはまた──え?」

私と安室はテラスの前で話していた。窓は開かれていて、パーティの夜にふさわしい気持ちのいい風がイヤリングを揺らす程度には外と通じていた。シャンパングラスを傾けながら、側から見ればパーティを楽しんでいるようにしか見えていないだろう格好で。
だが、それも一瞬にして終わりを告げた。テラスに目をやったその時、どこからか落ちてきた人物と目があったからだ。「助けて」落ちながら悲壮な表情でそう呟いているように見えた。

「!」
「何してるんだ!」

グラスを放り捨て、テラスに駆け寄って落ちるかどうか瀬戸際のところまで手を差し出したけれど、逆の手を後ろに引かれたせいか私の反射速度が遅いせいか、落ちる人を助けることは叶わなかった。地面にナニカが叩きつけられた嫌な音が聞こえた。

「何で邪魔するのよ!」
「あなたまで巻き添えになって落ちることくらい誰だってわかります!」

私の手を引いたのは安室だった。手首を後ろに引かれたおかげで手首と負荷のかかった足首には痛みが走ったけど、私のそんな痛みよりも、あの落ちてきた人はきっと、もっと。また助けられなかった。目の前で起きたことなのに。ただただ無力感が身体を支配していく。

「──すみません、大きな声を出して。あなたはここにいてください。下に行ってきます」

私達以外にも落下を目撃した人はいたらしく、会場は既にパーティのそれとは思えぬ空気へと変わっている。安室は私を椅子に座らせると表情を変え、会場から出て行った。私はただ小さくなる背中を見ているだけ。

「……」

ああ、そういえば彼も探偵なのだった。
探偵は常に冷静に物事を判断できるようだが、私はそうではない。助けられる可能性があるなら手を差し出すし、テラスから身を乗り出しもする。
でもきっと、あの落下している人の手を掴んだって、安室の言う通り、私も一緒になって落ちていた可能性は高いのだろう。今こうして冷静な頭で考えたら理解はできるのだが、目の前で死にそうな人がいたらまた同じことをしないと言い切れる保証がない。

「大丈夫ですか?」
「え……」
「さっき、見てたんです。テラスから乗り出してるところ。その後誰かが落ちたって聞いて……」

声をかけてきたのはいつもと違う装いの蘭だった。この子は私に気づいておらず、どこかよそよそしく、だけど呆けている私を心配そうに伺っている。

「大丈夫です。ありがとうね」
「冷たい飲み物とか……」
「ううん。あなたも大丈夫?驚いたでしょ、こんなことになって」
「は、はい」
「警察も来たし、長引くと思うからお家の人に連絡して迎えに来てもらったら?」
「あ、父と来てるのでそれは大丈夫なんです。それに父達が今捜査に加わってますし、きっと長引かないと思います」
「お父さん、警察の人なの?」
「いえ、探偵です。毛利小五郎っていう」
「ああ……」

この世界で過ごし始めてもうすぐ一ヶ月。新聞やテレビ、インターネットで得た情報によれば毛利小五郎は名探偵であり、難事件をいくつも解決しているという。そしてその毛利小五郎の娘が蘭であり、何やら複雑な事情があるようだがコナンもそこに住んでいて、且つ、毛利小五郎の助手だか弟子だかで安室もいるということか。

「だからその……安心してくださいね」

名探偵と言われる毛利小五郎がいて、この前の殺人事件を解決に導いたコナンもいて、観察眼の鋭い安室もいるとなれば、確かに早期解決へ繋がりそうだ。
とはいえ、いつ帰れるかはわからない。沖矢の連絡先に一言断りのメールを入れると数分後に『了解した』とだけ返事が来た。

「仙道先生」
「……?」

二時間経ったか、経たなかったか。名探偵達の活躍により事件はあっという間に解決した。一ヶ月に二件も殺人事件と出くわすなんて大層な巻き込まれ体質だと思うが、今回のこの世界には優秀な警察と探偵が多くいるらしい。そう安堵しているところにまた安室の声がした。

「もう帰れますよ。送ります」
「いいですよタクシー呼びますから」

流石に今から沖矢に出てきてくれと連絡する気にはならない。もう日付も変わろうというのに、どんな仲なのかもわからない相手を呼び出すような厚かましさは持ち合わせていないつもりだ。この人数が一気に帰るというのだから時間はかかるのだろうけど、待っている相手もいないのだし、そこまで問題ではない。

「その足首のお詫びもしたいですし」
「……なんでわかったんですか?」
「さっき一度立とうと足に力を入れた時、座り直したでしょう。その後逆の足に力を入れて立っていた。今も左足で支えていらっしゃいますし、先程僕が力任せに引いてしまいましたからね」

安室の目が洋服で隠れた私の足首へと向かう。さっき後ろ手に引かれた時に捻ったのを見ていたのだろう。掴まれた手首よりも熱を持っている足首が更に熱くなった気がした。

「安室さんが引っ張ってくれなかったらこんなので済まなかったことくらいわかってますから」
「そう思ってるなら、僕を立てると思ってくださると嬉しいですね」

安室が眉を下げて口元を緩めた。事件が起きる前の表情筋をうまく使った笑い方ではない。少しだけ安室の素の表情を見れた気がした。




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