妄語

「それじゃあそのなんで、についてですが……そうですね、一ヶ月前に衣理さんのことを疑い始めてから少し調べたんです。法に触れることはしてませんよ。それで少しのヒントを得ました。それに先日お送りした際の住まいからしてある程度の収入を得られる推理もしくは現代小説家だとアタリをつけ、且つ女性、そして年齢から凡その活躍年数を仮定すると対象者はかなり絞り込めるんですよ」
「……」

色々と突っ込みをいれたい所があるのだが、それよりも安室のその行動に背筋が冷えた。既知の人物に違和感を覚えたからといってそこまで普通の人間がするものだろうか。素行調査を請け負うような探偵だからと言われてしまえばそれまでだけれども。

「会場で見た時は顔つきと髪色や長さが違いましたが輪郭と声と身長がそのままでしたし、女性小説家ということもあり、もしかしてと思っていたところに僕が名乗る前から名前を呼んだのであなたが衣理さんであると確信しました」
「……」
「何か?」
「いつもそんなにたくさん考えて生きてるんですか?」

赤信号で止まった車の中、安室は目を丸くして私の方を見ている。沖矢の凝視とは違うそれはそこまで不快なものではなかった。

「気になることが多い性分なだけですよ」
「そうみたいですね」
「それでは次は僕ですね。聞きたいことはたくさんありますが……一番気になるのはやはりあなたが誰か、ということですね」
「……」
「答えたくなかったら結構ですよ」
「答えたくない、というか……誰なんでしょうね、本当に」

私自身のことは勿論覚えている。日本人ではあったが親の都合でアメリカの学校に通っていたし、そこで出会ったとても頭のいい、飛び級制度のおかげで同学年とはいえ年下の、たった一人の友達がいたことも。そしてその子に勧誘されてある組織に入ったことも。
それから一年だったか二年だったか、当時の私は死に、他人の人生を歩むことになったことも。

「……と、いうと」
「?」
「やはりあなたは別人だと?」
「安室さんはどうせ否定したって信じてくれないんだから、もう無駄なことはしたくなくて」
「そうですか……合理的ですね」

安室の声は納得している人のそれではなかった。一ヶ月否定し続けたことをこうもあっさり認めるのには裏があるとでも思っているに違いない。

「でも信じてくれた通り、私は何も犯罪なんてしてないし、これからもしません」

疑われるのはこれが初めてではない。何度となくこんな事態は切り抜けてきたというのに、どうして今回はそういかないのだろう。今回の人生はうまくいかないことだらけだ。

「これ、答えになってます?」
「あまりなってませんが、真実を言ってくださっているようなので良しとします」
「それはどうも」
「次はその理由を聞きたいですが、僕の番まで取っておきましょう」
「……じゃあそうですね──安室さんは誰なんですか?」
「誰、というと?」
「ポアロの店員で探偵ってことは知ってますけど、それだけじゃない気がして」
「気が、ですか……なんでまた」
「なんとなく」
「『なんとなく』?」
「誰もが安室さんみたいに色々考えてるわけじゃないんです。あえて言うなら女の勘ってやつかな」
「それは怖い」

安室の声に面白みが帯びてきたと同時に、フロントガラスの向こうには工藤家が見え始めた。明かりがついているということは沖矢はまだ起きているのだろう。よかった、あの家に入る方法などインターホンからしか知らないのだからこれで寝られでもしていたらこのまま帰らなければいけないところだった。

「ここで大丈夫です。安室さん、送ってくださってありがとうございました」

どうせ彼は私の質問に答えてくれない。だから車に残って時間稼ぎをしても無意味だ。
安室からすると合理的らしい私はそう判断してシートベルトを外し、緩やかに停車したのを確認してからドアを開けた。

「……え?なんで降りるんですか?」

そして下げた頭を上げた時、運転席側でもドアを閉める音がした。見てみると安室も車を降り、鍵をかけているところだった。

「あの家に泊まるんですか?」
「え?いや、違いますけど」
「なら家まで送りますから、待とうかと」
「え?」
「ほら、早く行きましょう」

言うが早いか安室は工藤家のインターホンを押していた。時々というか、割と安室は予想にない行動をすることがある。今がまさにそれだ。
しかし、待つのなら車の中にいたらいいのに、とはいえなかった。送ってもらう立場の分際で車で待っていろと言えるような力関係があるわけではないのだから。

「はい?」
「仙道先生をお連れしました。入れて頂けますか?」
「……どうぞ」

インターホンからは当たり前だが沖矢の声だった。車の中で聞いたもっと低い男の声ではなく、私が最初に聞いた沖矢の声。声の主と安室は私の考えなど知る由もなく、私が通れるように門を開けて入るように促している。ただでさえ沖矢と顔を合わすのは気まずいというのに、そこに安室もいるとなると余計にそれが増しそうだ。

「……お連れの方がいるとは聞いていませんでしたが」
「えっと、すみません……でもこの方、私のことはもう知ってるので、大丈夫です」

多分に沖矢が言いたいのは『この化粧をとった私を見られることに問題がある』ということではなさそうだが今安室に沖矢の言いたいことを知られるのはあまり得策でないようにも思える。沖矢も安室という部外者がいる手前何を言えるわけでもないらしく、「それなら」と私と安室の二人揃って中へと招いてくれた。

「じゃあ私はこのメイク落としてくるので」
「ごゆっくりどうぞ」
「ど……どうも」

安室はまた表情筋をうまく操っているように見え、かたや沖矢はと言えば一切の無表情で何も読み取れない。心理学のような高尚な学問をかじったわけでもないがこの場には緊張感というものがあり、何故か私はいない方がいいと判断して洗面所へ逃げ込むようにドアを閉めた。




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