妄語

安室の白い車に乗り込み、シートベルトを引っ張った。
安室と二人きりというのもまたなるべくなら避けたい状況ではあるが、沖矢との睨み合いの場に立ち尽くすよりかはいくばくかマシである。
緊張感からうまく呼吸できず、底に溜まっていた息を吐き出すと「お疲れのようですね」と運転席に座った安室から面白そうな声がする。誰のせいだと思っているんだ。

「沖矢さんと仲悪いんですか?」
「まさか。沖矢さんとは初めてお会いしました」
「それにしては……」
「それにしては?」
「喧嘩でもしそうな雰囲気だったなって」
「そう感じさせていたならすみません。そんな気はなかったんですが」
「さようですか……」

どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。横目で睨んでみても安室が動じることはなかった。
沖矢もそうだが安室と話す時もやはり全てを疑ってかかる必要がありそうだ。少なくともこの会話だって、きっと体良く私から聞き出すために質問を許可しているだけなのであって、私の質問に正しく返答するとは一言も言っていないのだから。

「どうやら信じていただけてないようですが、次は僕から質問する番ですね。では……なぜあなたは瀧衣理さんに?」
「なぜ……」

工藤家から私の家までは車を使えば割と近い距離にある。深夜ということで渋滞もないし横断歩道待ちの赤信号だってほとんどない。何と答えたらいいものかと考えを巡らせていたらもう目の前までマンションは迫っていた。

「別になりたくてなってるわけじゃないんです。私はこの人になろう、なんて選んでません。死んだら誰かの身体にうつってるんです」
「……」

マンションの少し手前で止められた車の中でひたすら沈黙が流れる。ラジオや音楽がかかっていないのだから、私と安室のどちらも言葉を発さないとなればそれは当然のことだ。居心地が悪いとは思わなかったが安室の処理能力がどれほどかもわからない以上、向こうの出方を待つのも時間の無駄だ。

「信じられないですよね。でも私、安室さんと違って嘘は言ってませんから。生まれ変わりたいと願ったわけでもないし、気づいたら違う誰かになってるんです。何回目だろう……そんなに多くはないですけど、残念なことに割とすぐ事故にあったりしてたので」
「……」

何も反応してくれないのは正直意外だった。安室ほど頭が切れて理知的な人間ならこんな話、すぐに否定してくるだろうと思ったから。信じてくれているわけではないのだろうが、頭ごなしに否定して人格や精神を疑われるよりはよっぽどありがたい。

「次、私の番だから聞きますけど。こんな話聞かされて信じます?」
「……鵜呑みには、し難いですね」
「でしょ。頭がおかしいとか、そういう風に言われるのわかってますし、実際言われてきました。私だってこの女何言ってるんだろう、ってなりますよ。だから成り切ろうとしてたんです。それだけ。わかりました?」
「……ええ……まあ……」

わからないと安室の顔にははっきりと書いてあった。書いてあったけれど、私は真実しか話していないのだ、これ以上何をどうすることもできないし、立証する手立てもない。安室の想像力が子供のように潤沢であり、純粋な精神を持っていて、私のこのファンタジーな実情を理解してくれるよう祈るばかりだ。

「あと私が誰か、でしたっけ。最初の名前は──」

この名前を口にするのはいつぶりだろう。本当の私の名前。きっとこれが最後だろうけど。

「ほとんどアメリカにいたから日本人と言えるのかわかりませんけど……国籍は日本でしたよ。亡くなる前は日本に戻ってきて薬か何かの研究してたことは覚えてます。多分二十歳半ばくらいまでです。それじゃあ、今日は送ってくださってありがとうございました、おやすみなさい」
「……あの」

安室は運転席から降りる素振りは見せず、ハンドルに腕を預けて少しの間考え込んでいた。てっきりこんなお伽話のような話に呆れでもしているのかと思ったから、話しかけられるのは少し意外だった。

「?はい」
「最後に一つだけ」
「何でしょう」
「何で僕には話したんですか?」

安室の瞳に私が映っている。男性にしては大きな目だな、とどこか他人事のように感じた。

「……さっき言った通り安室さんはどうせずっと疑うだろうなと思ったから、話した方が早いかなって。あとは、何だか少し似てる気がしたから」
「似てる?僕とあなたが?」
「まあ、はい」
「……どのあたりが?」
「そんな大したことじゃないです。ただなんとなく……女の勘ってやつです。安室さんと私が少し似てるなって思っただけ。だから、もしかしたら、信じてくれるかなって」

安室は私から目を逸らさなかった。探るような目つきで、しかし私の精神を疑うような視線ではなかったのが唯一の救いだ。
前に一度だけ話した時は精神を病んでいるとか気が触れてしまったとか、そう思われてしまったから隠すようになったけれど、一度くらい誰かに信じてほしい。受け止めてほしい。認めてほしい。そんな風に思ったから、つい、話してしまったのかも。
どうせ無理なのに。こんな話、信じてもらえるわけがないのに。

「わかりました。ありがとうございます」
「いえ、別に」
「ああ、そうだ。僕もあなたに嘘は言ってませんよ。一度もね。それにきっと、これからも。では、おやすみなさい」

信じてほしいならまず自分がかくあるべしとはよく言うが、安室のこの言葉を信用していいものか。私とのこの問答において嘘偽りはなかったと。安易に納得こそできはしないけど、そういえばはぐらかされた質問もあったわけだし、答えられない質問はあってもウソの返答はしなかったのかもしれない。

「……わかんない人だな」




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