妄語

「え?」
「安室さんは衣理さんの小説がどんな話なのか知ってますか?」
「いいえ、何も。何度かお願いしましたが見せてもらえないので僕も気になっていたところなんですよ」
「安室さんでも知らないとなるとやっぱり気になる……ね、コナン君も気になるよね?どんなのだと思う?」
「うーん、推理小説か現代小説かなあ」

ハヤシライスを食べる手を止め、コナンが私を見た。小学生の言うことだというのに何故だか当てずっぽうなどではなくて、何かしらの確証を持っているとコナンの瞳がそう訴えていた。

「なんで?」
「だって衣理お姉さん、ここで新聞見てる時事件の記事ばっかり熱心に見てるし。おじさんや安室さんに色んな事件のこと聞いたりもしてたよね?席に戻った後にメモを取ってたから参考にするんだろうなって思ったんだ」
「よ、よく見てるね……」
「──ってこの前おじさんが言ってた!」

これが正しいか否かは家に帰って献本でも見ればわかるはずだ。まだ私に正答を得る術はないけれど、どうしてだろう、コナンの言うことは強ち間違いでもないように思えてならなかった。

「……?」

ふと視線を感じて横に立つ男を見上げた。安室と呼ばれていた金髪で長身の男性。ただ単に見られているというよりは、少しばかり疑念が混じっているような。

「……」
「そんなに見つめられると男は勘違いしますよ」
「え?」
「僕の顔に何かついてましたか?」
「あ、いや、何でもないです」
「?なんだか余所余所しいですね」

安室が首を傾げた。先ほどまでの雰囲気は一欠片も残さずに消え去っていた。私の思い違いだったのかもしれない。やはり初日はどうも神経が過敏になっているようだ。

「衣理さん、脱稿終わりで疲れてるみたいなんです」
「なるほど。僕はてっきり、デートのお誘いでもいただけるのかと」

口元を緩ませた安室が私に笑いかけてくる。明らかに揶揄う口調だと言うのに、その笑顔から少なからず圧を感じているのは私だけなのだろうか。気まずさをごまかすために手元にあったコーヒーカップに指を通した。

「えっもしかしてそういう……!」
「そういうんじゃなくて、ただ何か……」
「何か?」
「……やっぱり私、今日少し変かも。そろそろ帰るね」

すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すとテーブルに残った三人からの視線を受けながら会計の紙を抜き取った。初日はいつもこんな感じだけど今日は特にうまくいかないな。

「お会計ご一緒でいいんですか?」
「うん、まとめてで。あの子達が追加で頼んでたら今度払いにくるから」
「優しいですね衣理さん」

ふふ、と梓が笑った。可愛らしい人だ。
私が優しいかどうかは知らないけれど自ら評判を下げても仕方ないので曖昧に笑って済ませる。財布から取り出した数枚のお札で会計を済ませて店を出ると、なんとも気持ちの良い風が吹いていた。
それにしても、もう何回も繰り返しているのに何故今回はうまくやり過ごせないのだろう。コナンからは小学生らしからぬ洞察力を感じたし、安室のあの視線はなんだろう、どこかで体験したことのあるような雰囲気だった。

「……安室ねえ」
「僕がどうかしましたか?」
「うわっ!」

一切の音がしなかった。気配もなかった。店とはドア一枚で隔てているだけとは言え、音もなくドアを開け、神経過敏になっている私に悟らせることなく背後に立つだなんて。思わず心臓がうるさく鳴った。

「驚かせてしまいましたか?しかし、うわ、とは心外ですね」
「あ、はい、えっと……ごめんなさい」
「いえ、冗談ですよ。僕こそ驚かせてしまいすみませんでした。ただ……本当にどうされたんですか?梓さんや蘭さん、コナン君にはもう少し親しくされていたと思いますが」

親しく、とそう評されても程度がわからないのだ。年齢もだいぶ離れているあの二人とはここ数年来の仲なのか、それとも数ヶ月レベルなのか、はたまたつい最近関係性を深めたのか。まあいいか、適当に話を合わせていればなんとなく調子を掴んでいつも通りなんとかなるのだろう。

「脱稿したてだと気分が抜けなくて。それで、何かご用ですか?」
「これ、先日来店された際の忘れ物です。ネタ帳か何かですか?」

安室の手には青いメモ帳があった。ポストイットが少なくとも十枚は貼ってある。

「ありがとう安室さん。また来ます」
「はい、お待ちしてます」

会釈をすると安室はまたさっきのように緩く笑った。手帳をカバンにしまって息を吐き出した私の後ろで、安室が店にいた時よりも遥かに鋭い視線を向けていることなんて気づきもしなかった。




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