妄語

風見に指示を出してから数日が経った。未だに連絡がないところを見るとあの条件ではやはり難しかったのだろう。こちらも無茶を言っているのは承知の上だ。
空いた時間を使って考えを整理しようと思うものの、彼女から聞いた話は論理的に思考をまとめるには少々突飛すぎた。

「……」

テラスから落ちるほどに身を乗り出してまで人を救おうとしたり、数週間前には暴走した大男を素手で倒したり、今までの瀧衣理ではあり得ない行動を多々とっている。
それに犯人を制圧してから腰の後ろにさしている拳銃を取り出すあの仕草。あそこまで手慣れた動作を動画などで身につけられるわけがない。そもそも彼女のパソコンにそんな履歴は残っていなかった。

「軍……?」

これらの条件を踏まえると、やはり軍人か警察の経歴がある誰かということになるわけで、そういった経歴も訓練を受けた様子もないとすると、やはり彼女の言う「他の誰かになっている」という言葉に信ぴょう性が出てくるわけだ。

「……はあ」

もはや堂々巡りだ。彼女の言葉は真実である可能性が高いのだが、そう簡単に信じられる内容ではない。最早あの言葉を信じるかどうかは彼女自身を信用できるか否かにかかっているわけだ。それ以外、あの言葉を証明できるものは何一つないのだから。

『安室透』の部屋へ戻りミネラルウォーターを一つ飲み干してまた一つを手に取った。組織に潜入し二重スパイとなってから早数年が経っているが疲れを感じないわけではない。こうして誰の目もない部屋で一息をついたその時だけ気が楽になる。
ペットボトルを机に置いてパソコンを立ち上げた。風見からのメールには暗号化されたいくつかのファイルがあった。 

「亡くなったのは数年前か……」

彼女の経歴はこれと言って面白みのあるものではなかった。日本人の両親から生まれ、父親の都合で渡米。その後の記録は米国にいたからかあまり残っていないが二十歳になる前に日本へ戻っている。あまり日本にいなかったという事実は彼女が言っていたことと合致する。
そして、その後は大学に行くでもなくある製薬会社へ入っているがその製薬会社はよく知るもの──あの組織のダミー会社の一つだ。

「……まさか」

彼女の言うことが真実で、本来の彼女がこのファイルにある経歴を持つ人物だとすれば、彼女はあの組織の一員だったということになる。何も知らずにダミー会社に入っていたという可能性もなくはないが、これだけでは白とも黒とも判別しかねてしまう。

一体何が真実で、何が嘘なのか。
彼女には目的などないと言っていたが本当にそうなのか。 組織と関わっているのか、関わっていないのか。
今わかっていることはあの瀧衣理が数週間前に違う人物と入れ替わったということ。言動から見ても明らかに違っていたし、別人であるということは本人も認めたことだ。
しかしただそれだけ。それしかわかっていない。
ファイルの続きを見てみるとダミー会社に入社したのが二十歳になる前、結婚などの情報もなく、二十二歳で生涯を終えた。数年前に死んでおり、生前は長いこと国外で過ごし、薬の研究をして二十歳を過ぎた頃に死亡というのは彼女の言う経歴と一致する。

「嘘はついてない、か」

思考がまるで迷路に閉じ込められてしまったかのようだ。
彼女はこの人物だったのか、それともまた違う誰かなのか。そもそも死亡後に他人の身体に意識が飛ぶなんてこと、現実に起こり得ることなのか。そしてもし、これまでの言葉に嘘がなかったとしても組織と関わりがあったのか。あったとすれば今もそれは続いていて、組織の一員なのか。
結局ある程度の情報を得たところで結論は出せず、ただ日が過ぎていった。




top