妄語

「本当に、すみません、衣理さん」
「気にしないで。散歩するくらい暇だったんだし」
「別に僕一人でも大丈夫だよ?」
「子供がこんな重いもの持つもんじゃないよ。もっと背が伸びて、私より大きくなったらそう言ってもいいけど」
「はーい」
「それじゃあ衣理さん、よろしくお願いします」
「はいはい。蘭ちゃんはお大事にね」

偶然とは末恐ろしいもので、何となしに出歩いてみれば具合の悪そうな蘭とその横を心配そうに歩くコナンと出会ってしまった。何やら荷物を知り合いの家に届ける途中だったそうで、小学一年生のコナンに大荷物を持たせるわけにもいかず体調が悪くとも向かっていたらしい。そしてそれに出くわした今、蘭から役割を引き継いだのが私というわけだ。

「ねえねえ衣理お姉さん」
「なに?」
「有希子おば……お姉さんとお仕事って、何だったの?」

そういえばコナンとはあの時以来だったか。あの後は殺人事件があったり、沖矢との一件があったり、安室に自分から秘密を洗いざらい白状してしまったりと盛りだくさんだったからすっかり忘れてしまっていた。私はそうでもコナンは疑問を抱えていたようで、赤信号を待つ間私を見上げて首を傾げているわけだが。

「あ、コナン君にまた連絡するねって言ってたよ」
「有希子お姉さんが?」
「うん」
「ふーん……で、何のお仕事?衣理お姉さん小説家でしょ?」

子供は好奇心が非常に旺盛のようで、コナンも例に漏れずそうであるらしい。うまく話を逸らしたつもりだったがそれには釣られることなく聴きたい話題へスムーズに戻ってきている。
話したとて支障がないと言えばないのだが、これから先私が小説を書いて世に発表していく以上、ペンネームを探られ作品を読まれるというのはやはり気恥ずかしいものがある。コナンであればきっと周りに言いふらすような子ではないだろうし、安室にバレてしまった以上教えてしまってもいいのだが。

「……そう小説家。だから今後の作品に生かしたくて伝説の女優工藤有希子にインタビューをさせてもらったの」
「インタビュー?」
「うん。インタビュー。女優としての考え方や引退に至るまでの悩みとかね」

苦し紛れの答えだが、まあ納得してくれるだろう。子供なのだし。そう思った私が甘かった。

「……なーんだ、てっきり衣理お姉さんも有希子お姉さんにメイクしてもらってるのかと思ってた!」
「え?」
「だって工藤さんを知らないかって聞いてたでしょ?ってことは衣理お姉さんも会う相手がわかってなかったってことになる。だからインタビューとか相手を事前に知ってないとできない仕事ではないんだろうなって思ってたんだ」
「……」
「そうなると、小説家同士ってことで優作おじさんとのアポを会社の人がとって、理由は聞かされてないけど対談するように言われてた……ってことなのかなって思ってたけど実際会ってたのは有希子お姉さん。それで、元女優で今は主婦の有希子お姉さんに衣理お姉さんが仕事で会う用事があるとすると、精々芸能生活で身につけたメイクかなって」
「す、すごいねコナン君。相変わらず」
「ううん。だって僕の考え、間違ってたみたいだし」

子供だからと言ってこの子だけは侮るなかれと肝に銘じた。記憶力には自信がある、二度と同じ過ちは犯すまい。
手に持ったビニール袋を前後に少し動かしながら歩みを進める、ともすればただの子供にしか見えない彼に気づかれないように息を吐いた。この子もきっと安室と同じく、『気になることが多い性分』なのだろう。何かと疑われがちなこちらとしては迷惑なだけだが。

「あ、ここだよ」
「あれ?ここって工藤家の……」
「うん、隣。阿笠博士が住んでるんだ。会ったことなかったっけ?」
「あー、どうだったかな……」
「おーい博士ー、入っても平気か?」
『おお新……コナン君。構わんぞ』

どうやらコナンはこの家の主と相当に仲がいいようで、インターホンから軽くことわるだけでいとも簡単に中へ入ってしまった。
白くて丸いフォルムの大きめのお家だ。この前入った工藤家から一回りくらい小さいとはいえ、これもまた立派な建物。日本でこの大きさの家が並んでいるのもまた珍しい。
「博士ー」そう呼びかけながらコナンは部屋へと進んでいくが、見知らぬ方の家にズカズカと入る気にもならず、コナンが進む一方で私は玄関に立ち尽くしたままどうしたものかと両手の荷物を見ていた。

「入らないの?」
「え?あ……」
「荷物、持ってきてくれたんでしょ?重いならそこに置いておいて、後で博士が持って行くから」

顔を上げればコナンとそう背丈の変わらない女の子が立っていた。明るい茶髪に緩やかなウェーブがかかったその髪型、大きく作られている割に性格故かあまり見開かれることはない物憂げな瞳、米国では日本人らしいと言われるが多民族国家ではない日本ではどこか外国の血を感じさせるその風貌、全てに見覚えがある女の子が。
いるわけない、ここにいるわけがないのに。

「……」
「え?」
「志いちゃん……」
「……?!」
「衣理お姉さん、早く入っておいでよ。あ、こいつは灰原って言って僕の同級生なんだ」

コナンが部屋から顔を覗かせて私に言った言葉は目の前にいる女の子が「灰原」という名前だということ。恐らく苗字だろう。私の知るものではないその苗字にやはり目の前の女の子は他人の空似なのだと理解する。
そうだ、たとえ本人であれ、生きていればもう二十歳前後という頃だ。いくらなんでも小学一年生の姿というのはあり得ない。大体、私自身成長した彼女を覚えているではないか。よく似てるからって彼女と勘違いするなんて。

「灰原……さんって言うの?」
「……」
「おめーな、自己紹介くらい自分でしろって」

コナンが呆れた表情で灰原という女の子を睨んだ。幼い女の子が人見知りするというのはよく聞く話だ。気にしないでと声をかけてもなお、真一文字に結んだ口元を動かす予定のない彼女にコナンがため息を吐いた。

「衣理お姉さんごめんね、この子灰原哀って言うんだ。少し人見知りだけど仲良くしてあげてね。で、灰原、こちら小説家の瀧衣理さんだ」
「よ、よろしくね」
「……」
「お、おい灰原?!」

一度引っ掻かれた猫に手を差し出すような仕草がいけなかったのだろうか。それとも最初に間違えて呼んでしまったことがいけなかったのだろうか。灰原哀と呼ばれたその子は目を見開いて、色白な顔をさらに青白くさせ、私の目の前から走り去ってしまった。コナンもそれには驚いたようで「ごめんね衣理お姉さん、博士のとこ行ってて!」と言い残して彼女の後を追って行った。

「……」

たった一人の親友。それが宮野志保だった。たまたまアメリカの学校で出会った同じ日本人の女の子。心無い人種差別を受けた時に励まし合い、テストの上位に食い込んではお互いを讃え、なんでも打ち明けることができた、たった一人の女の子。飛び級制度があったから同い年というわけではなかったけど、年も近く国籍も同じとなれば境遇は似てくる。割とすぐに仲良くなり、それが大きくなっても続いていたことを今でも覚えている。
彼女はまだ生きているのだろうか。あの危険な組織で。




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