妄語

「薬で子供の姿に?」
「そうよ。で、今は組織の目から逃げてる真っ最中。……ごめんなさいね、銃を向けたりして」
「ううん。怖がらせちゃったのは私だし……にしても銃なんてどこで?」
「ああこれ?偽物よ」

机の上に置かれていた銃の引き金があっさりと引かれ、その銃口からは弾の代わりに軽やかな音と共に花が数本出てきた。宴会芸でよく使われるちゃちな偽物だが、遠くから一見しただけでは本物に見えてしまう。

「馬鹿ね、アメリカならいざ知らず、ここ日本で子供が手に入れられるわけないじゃない」
「そ、そうだね……」

そう言われてしまえばその通りだけど、私が本当に組織の人間で偽物の銃だと看破されていたらどうしていたのだろうか。偽物の銃を手に取り、ふとそんなことを考えていたらそれまで黙っていたコナンが口を開いた。

「銃はねえけど、麻酔があるから動きを見ようとしたんだよ」
「麻酔?」
「博士に作ってもらったんだ。この時計から麻酔を打ち込める。ただ、装填できるのは一つだけだからそんな乱射はできねえけど」
「ただまあその分一発の威力は大きいぞ。巨象でも約三十分は眠らすことができるじゃろうな」
「すご……ここから飛ばすの?ってことは静脈注射用、じゃないですよね?筋肉注射になる確率の方が高そうだから相当な量がここに……」
「衣理さん──いや、えっと、なんで呼べばいいんだ?──とにかく、灰原や博士と同じ研究者だったんだろ?」

コナンは私に気を使っているわけでもなさそうだが、だからこそ少し悲しくなる。私の程度はたかが知れている。こんな小さな腕時計に人一人眠らすことができるほどの麻酔を組み込めるほどの技術はないし、薬物使用の痕跡が残らないような毒薬も体を幼児化させてしまう薬物も私に作ることなど叶わない。精々資料まとめが関の山だ。

「私なんて二人の足元にも及ばないから。正直あんまり昔のことは覚えてないんだけど、やってたことはほとんど雑用だったし」

両手を軽くあげ、肩を竦めてみせると志保も阿笠博士も何とも言えない表情をしていた。こちらとしてはただ事実を述べただけなのだけど。

「あと私のことは衣理でいいよ、もうこの名前で生きてくって決めてるし、人前で呼ばれても困るから。だから私も……哀ちゃんって呼んだ方がいいんだよね?」
「ええ。誰がどこで聞いてるかわからないから」

次に何の遠慮もなく「志保ちゃん」と呼べるのはいつになるのだろう。彼女が元の姿に戻る解毒剤の作成に注力でき、組織の追っ手からも完全に逃れることができるその日まで、もうこの名を呼ぶことはできない。
それでも、こうして出会えただけで私にとっては奇跡のようなものだ。今までにない現象ばかりが起きているこの世なら、もしかしたら、組織が壊滅する奇跡だって起きるかもしれない。

「ちなみに、その、コナン君は……」
「灰原と同じって言うと話が早えよな」
「……なるほど」

だからあの頭の良さ──と納得しかけたが、元の年齢が二十であれ三十であれ、やはりあの推理力は凡人とは非なるものだろう。志保も頭が良く、組織内どころか国内や海外でも有数の研究者だったが、コナンのそれは彼女とは違う、洞察力や推理力によるもので、その部類に明るくはないけれど決して平凡なものではないことだけは理解していた。

「元の俺は工藤新一。ああ、この前母さんには会ってたよな、その工藤だよ。まあ俺のこともコナンで頼む。特に蘭の前では……何回か新一じゃないかって疑われてるんだ」
「だらしのないことね」
「うっせ」
「哀ちゃんにお友達ができてて私安心しちゃった」
「……それ、どういう意味よ?」
「いや、別に?ほら、仲が良いに越したことはないし」

志保もとい哀のこの視線にはやはりたじろいでしまう。絶対零度の視線と言うか、限りなく鋭い視線と言うか、責められているような気分になるのだ。今も昔もそれだけは変わることがない。

「それで、衣理、あなたのこの話、誰にも話してないでしょうね?」
「え?」
「あなたがどうしてその状況になってるか、はっきりはわからないけど。組織とそれなりに関わりが深い人間であればその薬にも心当たりがあるはず。あなたが最初に殺された理由を考えると正体がバレればまた狙われる可能性もあるわ」
「……そんな……」
「私と江戸川君、それに博士以外には話しちゃダメよ。絶対」
「う……うん」

つい最近、一人だけ話してしまった、とはとてもじゃないが言い出せなかった。まあそもそも、こんな私の境遇をいい大人が誰かに話すとも思えない。話しやすいだろう私の小説の件だって話さないでいてくれているのだし、安室自身が組織の人間でない限り問題はないだろう。

「衣理君も薬の研究員じゃったんなら哀君と二人で薬を調べれば解毒剤作成も捗るんじゃないのか?」
「いえ、私は関わってたって言っても本当に簡単な部分だけで。哀ちゃんとは文字通りレベルが違ったんです」
「へえー、やっぱ灰原ってすげえ奴だったんだな」
「コナン君もすごいと思うけどね、頭の良さは」
「あら、衣理も知ってたの?」
「この前一緒に入った喫茶店で殺人事件があって。それでちょっとね」
「ふうん。気をつけた方がいいわよ、江戸川君の行く先々で事件が起きてるから」
「人を疫病神みてーに言うなよ」
「どっちかって言うと死神かしらね」
「おいおい……」

彼らがどれだけの時間を一緒に過ごしたかは聞いていないが、それなりに打ち解けている様子が伺えて自然に口元が緩んでしまう。
私にはただ一人の親友だったけれど、彼女には私以外にも頼れる人がいた。少しも寂しくないだなんて強がりは言えないけど、孤立しがちな彼女を支えてくれる人がいるのはやはり嬉しいものだ。




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