妄語

「珍しい組み合わせですね?」
「たまたまそこで会って。この子達ケーキ食べたいみたいなんですけど、人数分ありますか?」
「子供たちの分だけなら……衣理さんはどうされますか?」
「私はコーヒーだけで。みんなオレンジジュース?他のジュースがいい?」
「僕コーヒーだけでいいよ。この前安室さんのケーキ食べたから」
「そういえばコナン君は前にも食べに来てくれてたね。他の子達はオレンジジュースでいいかな?」
「うん!オレンジジュースとケーキ!」
「では、少々お待ちください」

メニューを書き留めもせず安室はカウンターへ向かって行く。頭のいい彼のことだからそう大きくない店内での注文なんて全て頭の中に入っていそうだ。

「ねえコナン君、安室さんのケーキって、安室さんが作ったってこと?」
「うん。それどころか最近の人気メニューはほとんど安室さんが担当してるって噂だよ」
「へえ……本当になんでもできる人なんだ」
「新しいお客さんを連れてくるのもほとんど安室さんだって前に園子姉ちゃんが言ってたし」

まあそこはあの外見だもの、不思議ではないでしょうよ。頭に浮かんだ言葉をストレートに口にするわけにもいかず、安室が持ってきてくれていた水を一口含んだ。
あの整った容姿で記憶力も良く、頭の回転も大変早くなんなら運転免許だってあるのになんだって喫茶店のバイトなんてやっているのだろうか。彼は自分のことを探偵とも言っていたけど、あんなに要領のいい探偵ならばバイトなんかしなくともと思うのだが、そうそう事件は起きないものなのかな。この二ヶ月で殺人事件が二回もあったけれど思い返せばどれも早期解決に至っていたし。

「……どうかした?衣理お姉さん」
「え?あ、ごめんなんでもない」

そういえば二回の殺人事件はいずれもコナンが近くにいた。一回目は一緒に店へ入り、二回目はたまたま同じ会場にいた。二回だなんてただの偶然と断ずることもできるけれど、哀に言われた『気をつけた方がいいわよ、工藤君の行く先々で事件が起きてるから』あの言葉がふと蘇る。
そう言われたところでどうしようもないのだけど、トラブルメーカーというやつなのだろうか。同級生が美味しそうにケーキを頬張る中、元の年齢が違うとはいえ小さな身体でコーヒーをすする姿はどう見てもちぐはぐ感が否めなかった。

「美味しかったー!」
「喫茶店じゃなくてパティシエでもやってけそうだね、安室さん」
「まさか。僕はそんな器用じゃないからね」

歩美も光彦も元太も口を揃えて美味しかったと騒ぎ、喫茶店の空気が少し変わってしまった。子供が子供らしくしていい時間とそうでない時間があるのだろう。会社員が仕事の合間に癒しを求めに来るようなこんな時間では。

「歩美ちゃん達にお願いがあるんだけどいい?」
「なあに?」
「靴擦れしちゃったみたいだから薬局で絆創膏買ってきてくれないかな?靴擦れ専用のが欲しくて、店員さんにいえばわかると思うから」
「わかった!じゃあすぐ戻ってくるね」

パタパタと軽やかな音を立てて出て行く姿はとても愛らしいのだが、子供達がいなくなった瞬間刺さっていた視線は何処へやら、私の肩の力も一気に抜けてしまった。

「気を遣わせてしまってすみません」
「いえ別に。外で待ってそのまま連れて帰りますね。コナン君はまだいる?」
「うーん、僕ももう帰ろうかな。蘭姉ちゃんもそろそろ帰ってくるし」
「じゃあお会計お願いします」

カウンターの前に立ち、財布を開く。何やら安室は他の客に呼ばれたらしく金額だけを聞いて支払いの準備を済ませていたら後ろのドアが力任せに開かれる音がした。子供達がもう戻ってきたのかと財布を片手に振り向くと私よりも背の高い男性が立っている。ああよかった、針のむしろになる前に退散しなければ。幸いにもお札も小銭も金額ぴったりに揃えることができ、財布をカバンにしまった途端、背中に尖ったものが当てられる感触。

「動くな」
「……」
「動いたら刺すからな」
「……はい」

答えると同時に身を反転させた。靡く髪の隙間から見えた男は驚いたように目を丸くしている。「な」何を言おうとしたのかはわからない。男の声がすると同時に男の手首へ私の手を振り下ろし、床と金属が接触するよりも早く男の顎に掌底を当てていたから。

「うっ!」

力がないために男の体を浮かすことはできなかったけれどもバランスを崩した男を床に組み敷くのはそこまで難しいことではなかった。
この身体は鍛えてもいない標準的な成人女性のそれだが、相手の背中の上に膝をついて腕を抑えてしまえば早々起き上がってくることもない。バッグの肩紐を掛け直し、落ちていたナイフを拾った。

「動いたら刺します」
「…………くそっ」
「安室さん、警察を呼んでください。あと何か縛るものを」

男から眼はそらしていないが私の手に、顔に、動作に集中する安室の視線を感じる。「はい」と安室の低い声がパトカーのサイレンに変わるまで男から目をそらすことはしなかった。今この場に子供達はいないけれど、いつ戻ってくるかわからない。あの子達に万が一でも危害を加えられないよう、男の腕を縛り上げた。

「また君たちかね」

目暮警部の呆れた声が私の隣にいた安室とコナンに突き刺さっている。あはは、と苦笑いするコナンを見るに、哀の言っていたことは大袈裟というほどでもないらしい。事件など日常的なものとなる刑事が「また」と言うくらいには、コナンは、そして安室も事件に巻き込まれやすいタチなのだろう。

「それで?手首と顎がいやに腫れていたが君がやったのかね?」
「いえいえ、僕にそんなことはできませんよ。全て彼女がやってくださったことです」
「彼女……瀧さんが?」
「え、あ、はい」

僕にそんなことはできませんだなんて、どの口が言うのだろうか。バルコニーから身を乗り出した私を咄嗟に捕まえたあの反射神経と力強さは絶対に只者ではない。正確に何がどれだけできるのかなんてことは知らないけれど、あの男からナイフを取り上げることくらい、恐らく安室はなんてことなくこなしてしまいそうな雰囲気がある。

「前回といい、今回も」
「たまたまです、たまたま……テレビでよく護身術のやり方を見てたので、真似したらうまくいっただけで」
「テレビ、ですか。今回は大きな怪我もなく無事に済みましたが、次からは危ない行動は控えるように。いいですか?」
「は、はい……」
「瀧さんに落ち度があるわけじゃないんですがな、できることなら危ないことはして欲しくないんですよ」

目暮警部のため息が私に刺さる。私の身を、瀧衣理の身を案じてくれる人のため息。私は瀧衣理の身体を使ってこの身体が傷つく危険を冒したのだ。百パーセント成功するという確信もなかったのに。
私はこれからも瀧衣理として生きていく。でもそれは私がこの身体を好き勝手使っていいということではない。案じてくれる人がいるならば、私はこの身体に敬意を持って接しなくてはならないのだ。




top