妄語

「何をそんな落ち込んでいるんですか」
「何って、いえ別に……」
「何もない人がカップ片手にため息をつくとは思えませんが?」
「ついてました?」
「はい」
「それは……すみません」
「謝ってもらいたいわけではないんですがね」

現行犯逮捕とはいえ、犯行現場ということでアポロは臨時休業。巻き込まれることもなかった客は一人を除き全員が帰っていった。そう、犯人確保の張本人であるこの彼女を除いては。

「ここってもう安室さんだけですか?」
「そうですね、僕とあなただけかと」
「私って……いえ、瀧衣理はたくさんの人に大事に想ってもらってたんだなあと感じて、少し凹みました」
「はあ……?」

何を言い出すのかと思えば。相も変わらず自分は瀧衣理ではないという話らしい。実際、風見に調べさせたところでは確かに彼女の言う人間は存在していた形跡があり、そして現時点では死亡が確認されている。だからといって中身だけ成り代わったなどと信じる気にはまだなれないけれども。

「いいですよ別に、信じてくれなくて」

こちらを一瞥し、彼女はカップを傾ける。前にその話をした時も『自分だって逆の立場なら信じない』と言っていたわけだし、突拍子もないことを口にしているという自覚はあるのだろう。彼女の表情には若干寂しげな色が浮かんでいたが、気づかないふりをしてコーヒーのおかわりを注いだ。

「ありがとうございます。……目暮警部もさっきそんなこと言ってましたし、他の人達も。どういう人だったのか私はわかりませんけど、みんな大切に想ってくれていて、それなのに私はこの身体を蔑ろにしてたなあって」
「……つまり?」
「安室さん冷たいですね。女が凹んでいるのにそんな言い方。モテないですよ?」
「はは、確かにそうですね」

アポロに来る女性客からはあれこれと声を掛けられているが、確かに彼女らにこんな物言いをしたことはない。目の前に彼女に対して少し地が出てしまうのは、恐らく彼女を警戒しているからだろう。組織の息がかかっている人間ではないのかと。「あーあ」と眉を下げて呟く彼女からは組織の人間らしさを伺うことはできないが、あのベルモットのように幾つもの顔と性格を使い分ける人間もいるのだから警戒をとくわけにはいかない。

「私もそうなりたかったんですよ」
「そう、というのは誰かに大切にしてもらいたかったということですか?」
「直接的に言われるとなんだか……子供みたいですね。昔は外国にずっといたから中々友達ができなくて、でも一人だけ、大切な子ができて。ただレベルが違いすぎて……」
「レベル?」
「頭の良さですかね。同じような会社に誘われて入ったんですけど彼女はずっと多忙、私は所謂窓際部署。忙殺されてる彼女に何もしてあげられなかったし、彼女も……私のことなんて気にしてなんかないだろうなって」

自虐的に語るがその会社というのは組織のダミー会社のことだろう。彼女が知っていてその会社にいたならば組織の手の者であり、そうでなかったのならば庇護すべき一般人であるのだが、いかんせん見極めがし難いというのが現状だ。

「いつもはこう、違う人に生まれ変わる──って言うんですかね、まあ生まれ変わっても、割と色んなこと諦めちゃってたんですけど。今回はもっと周りの人を、瀧衣理を大事にしてくれてた皆さんを、自分自身も大切にしなきゃなって思ってたところです」
「そうですね、大切にするのはいいことだと思います」
「昔、要人の護衛をしていた時にその要人から生きることを諦めるなって諭されたことがあるんです。護衛ってほら、盾になったりするじゃないですか。どうせ死んでもまた次があるから──なんてことをそれまでは考えてたんですけど、その人のおかげで今を精一杯生きなきゃって思うようになって。もちろんそれも大事ですけど、視野を広げなきゃいけませんね」

言い終わるや否や、彼女はコーヒーを飲んだ。コーヒーカップから顔を離した彼女は晴れやかな表情になっていた。何をそんなに考え込んでいたのかもよくわからないが、彼女の中で整理できたというところだろうか。

「……なんだか少しスッキリされたようですね」
「話してると考えがまとまるみたいです。ありがとうございました」
「お役に立てたのなら、何よりです」
「……」
「……?」

カップがソーサーに置かれた時の少し高めの軽い音がした。そしてそのまま彼女の視線はこちらへ向いていて、何か言いたげな様子にも受け取れる。今度は一体なんだと言うのか。

「人がいいですよね、安室さん」
「はあ……?」
「モテますよね?見た目はいいですし、女の子結構泣かせてそう」
「さっきそんなんじゃモテないだとかなんとか言ってませんでしたっけ?」
「私のこと頭おかしいと思ってるでしょうから、私への対応は冷たいんだろうと思い直しました」
「思ってませんよ」
「でも信じてるわけじゃないでしょ?」
「それはもちろん」

信じるには証拠が必要だ。確固たる証拠がなければこんなファンタジーとも思えることを信じられるわけがない。輪廻転生どころか他人に乗り移るだなんてことが、実際起こり得るはずはないのだから。
今のところ偽証はしていないようだからあくまでも真実と仮定して動いてはいるが、別に彼女の言うことを信じたわけではない。念には念を入れているだけだ。

「ま、話し相手くらいにはなれますから」
「こんな風にお客さんがいない時じゃないと話せませんよ」
「成り代わりだとか言わなければいいのでは?」
「そうじゃなくて。安室さんは女の子達から大人気って聞いてるので。変に思われたくないです」

大人気だかなんだかは知らないが、あくまでもこれは自分にではなく安室透という人物に対しての評価である。周囲の人達に受け入れてもらえるよう物腰を低くして接してきたお陰か安室透の好感度は非常に高い。素を知っている部下達が聞いたら絶句するに違いない。

「ふむ……犯罪者相手に大立ち回りをしたり自分は成り代わりだと言い出したり、もう十分変だとは思いますけどね」
「……売られた喧嘩は買わせて頂きます」
「売ってないので買わないでください」

彼女からの好感度だけは唯一低いかもしれないが。




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