妄語

おかわりがいるかとコーヒーを差し出したがゆっくりと横に首を振られた。

「信じなくてもいいんですけど、周りの人に言わないでください……ってお願いしたら受け入れてもらえますか?」
「わざわざ言いふらしたりしませんよ。でもどうして?」
「え?」
「僕があなたに似てるから話したと前に言っていましたが、そもそも言わなければリスク管理的にも最善だったのでは?と」
「まあ、そうですね……」

考え込むように彼女は肘をつき、両手で口元を覆い、またもやため息を吐いた。すっきりしたと言ったがまた別の悩みの種を作ってしまったのだろうか。
ちらりと時計に目をやると巷では平均的な夕食の時間だった。幸か不幸か早めの閉店で食材は余っているわけだし、もう少し会話を続けて情報を集めておきたい。冷蔵庫から野菜を取り出して下準備を始めた。

「この前どこまで話しましたっけ?最初の私、二十そこらで死んでるんですけど、正直なんで死んだか覚えてないんです」
「はあ……覚えてない方がいいのかもしれませんね」
「朧げなんですけど、最近──安室さんに話した後のことですけど──少し記憶が戻って、勤めてた会社がちょっと……所謂反社的なアレだったみたいで、それで殺されたんですよね。明確な理由はわからないんですけど。でもこんなことになってるのは会社が関わってるみたいで」
「……」
「だからもし言いふらされたら最初の私のことがバレて、私はともかく、私の周りの人に何かあったら嫌だなって。思ったんです」

胡瓜を切り終えたところで彼女と視線が合う。職業柄嘘を見抜くのは得意だが、彼女は、彼女が一般人ならば、嘘はついていないように見える。同じような職業の人間であればなんとも言い難いところだが、公安や組織においても何の仕草も見せずに嘘をつく人間など片手で数えられる程度だ。恐らく、九分九厘、真実なのだろう。

「衣理さんの周りの人に何かされるんですか?」
「あるとは限らないんですけどね。でも私のこの件を知ってると思われた人に何かされるかもって……あ……」

確かに組織が彼女の一件に関わっているのならば、なんとしても情報漏洩を防ごうと周辺の人物を始末する可能性はゼロではない。生まれ変わりだの成り代りだのと人の生き死にを左右できる組織だとは思わないけれど、彼女の言うことも一理ある。

「?なんですか、急に」

黙ったかと思えば目を泳がせる彼女を不思議に思って声をかけた。

「すみません私、安室さんに話すべきじゃなかったですね。安室さんがこのこと知ってるってバレたら……」
「……大丈夫ですよ、先ほど言った通り僕からは誰にも言いませんから知られる心配もありません」
「す、すみません……」
「そんなに危ない会社なんですか?」
「多分……あまり覚えてないので……」

そういえばさっき死んだ理由もわからないと言っていたな。ダミー会社に所属していて組織の内部に関わっていなかったのならば、組織の内情までは知らなかったのかもしれない。

「何作ってるんですか?」
「夜ご飯です。好き嫌いありますか?」
「味が濃すぎなければ、特には」
「それはよかった。一つお聞きしますが、僕がその会社の人間だったらどうするんですか?」
「えっ……」

彼女の瞬きの回数が倍、いや、三倍になった。この返しは想定外だったのだろう。
彼女の言う反社会的な勤め先というのは風見の調べからしても組織のことで間違いはないだろう。そして組織に関する何かがきっかけとなり、組織に殺されたと。今のところこちらの調べと彼女の説明に食い違いはない。調べられていることなど知らないのだから嘘をつくかと思ったが、特にその様子もなかった。

「……こ、困ります……ね」
「困るだけで、いいんですか?今あなたがここにいることは誰かご存知ですか?」

店の中には二人だけ。コンロの音以外には今は特に音もなく、先ほどよりも張り詰めた空気が流れている。彼女もそれに気付いているのだろう、どことなく身構えているように見受けられた。

「ポアロに残るってことは警察の方も……見てましたし」
「そうですね。でもコーヒーを飲んですぐに帰ったと僕が証言すれば、恐らく目暮警部達は信じてくださると思いますよ。ここには監視カメラもありませんからね」
「……そうなんですか?安室さん、もしかして──」

彼女は怯えているように見えた。自分を殺した相手ではないにせよ、その会社の人間であれば怖がるのは当然だろう。
流石にそんな彼女を目の前にしては申し訳ないことをしたなと罪悪感を覚えた。恐怖の色に揺れる瞳を見たかったわけじゃないし、死を知覚させ、震えさせたかったわけでもない。確認をしなければならなかったのだ。彼女が組織と通じていないという、確認を。

「そんなわけないじゃないですか」
「……えっ?」
「ポアロが反社会的な勤め先なら、そうかもしれませんけどね。多分違うと思いますよ」
「……また騙したんですか?」
「人聞きが悪いですね。そうだったらどうするのかと聞いただけじゃないですか。何度も言いますが、あなたに嘘をついたことはありませんよ」
「…………夜ご飯、メニューなんですか」
「棒棒鶏です」
「大盛りでください」
「承知しました」

カレー用の大きなお皿に盛り付けた。多すぎただろうかと思ったが、怖がらせたお詫びになればとも思って。「お待たせしました」目の前に棒棒鶏、春雨のサラダ、卵スープを置くと恐怖の色は既になく、キラキラと輝いた瞳がこちらに向けられた。

「美味しそう……」
「よろしければどうぞ」
「安室さんも食べます?」
「ご一緒してもよければ」
「もちろん、どうぞ」

彼女の手が向かいの椅子へ向けられる。自分用に盛り付けた料理の皿を並べて腰掛けると彼女が手を合わせていただきますと呟いた。

「おいしっ」
「それはよかった」
「料理上手ですね、中華までとは」
「独り身が長いとレパートリーが増えるんですよ」
「そう……ですか?」
「……もしかして」
「推理しないでください。あー、美味しい。美味しすぎますね」

多すぎただろうかと思っていたのは杞憂だったようで、彼女は時間こそかかったもののお皿に盛り付けたものをきれいさっぱり食べ切ってしまった。見た目は平均的な日本人女性の細さだというのに少し意外だった。

「ごちそうさまでした。おいくらですか?」
「いいですよ、賄いみたいなものですし」
「だめです。お店の商品じゃなくたって作ってもらったんですから、その分は対価を払わないと」
「そう言われても……ああ、なら今度は衣理さんが作ってください」
「え?」
「夜ご飯」
「……」

先程の物言いからして、きっと料理は苦手なのだろう。意地が悪いことを言っているのは承知の上だが、微笑んで見せると彼女は水を飲もうとしていた手を止め、眉根にシワを寄せていた。

「対価は行動でお願いします」
「……わかってて言ってますよね」

最初の頃、マンションでやり取りをしていた時のように苛立ちを顔から隠そうとはせず、彼女はこちらを睨んでいた。コロコロ変わる表情が面白くて笑ってしまうと、彼女とは思えぬ低い声で「何が面白いんですか」と飛んできたので、水道を捻って聞こえないフリに徹した。




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