妄語


「えーっ、衣理さん京都行くんですか?いいなあ」
「仕事ですよ?」
「ああ、作品の取材とかですか?」
「まあそんなところです」

アイスコーヒーを運んできてくれた梓が「でもいいなあ京都」とうっとり呟いた。私自身、京都に行くのは初めてだから楽しみがないと言えば嘘になるけれども、あくまでも仕事の一環として行くのだ。

「梓さんのおすすめのお店とかありますか?」
「私のですか?うーん……あっ、じゃあ、紹介するんでそこでお土産買ってきてくださいね」
「うまいですね、交渉」

人差し指を立ててにこりと笑う彼女に釣られて笑ってしまった。週に何回も食事の世話になっているからお土産くらい買ってくるつもりではあったが、その抜け目のなさに口元が緩む。
一度カウンターに引っ込んだかと思えば彼女は三つほど店名を箇条書きにしたリストを渡してくれた。真ん中のお店に下線が引いてあるところを見ると、ここがその買ってきて欲しいお土産がある場所なのだろう。

「どれくらい行かれるんですか?」
「明後日から二泊三日です。市内回って帰ってきます」
「三日間……うん、天気もバッチリです!楽しんできてくださいね」

お客さんが読めるように常備してある新聞紙の天気欄に真剣に目を通して笑顔を返してくれた梓があまりにも可愛らしくて、「仕事ですよ」なんて野暮なことはとてもじゃないけど口にすることはできなかった。

「うん、そう、京都に仕事でね。お土産買ってくるね」
「いいわよ別に。京都のお土産ばっかりもらったって仕方ないもの」
「そう?でも適当に見繕ってくるね。戻ったら顔出してもいい?」
「ええ。気をつけていってらっしゃい」
「ありがとう、じゃあまたね」

哀との通話を切った。何の接点もなかったはずの私があまり頻繁に顔を出しては怪しまれる可能性がある。誰がどこで見ているかわからないのだから。という哀の懸念もあって、私一人であの家に行くことは控えるようにしている。
「もう少し普段から気をつけなさいよ」と見た目は小学一年生の彼女にため息がてら叱られてしまったことは誰にも言いたくない秘密の内の一つだ。

「あれ?衣理さん」
「蘭ちゃん!びっくりした、どうしたのこんなところで」

乗車までまだ少し時間がかかるというアナウンスを受けてベンチに腰を下ろしたら、両手にビニール袋を持った蘭が声をかけてきた。米花町でもないというのにこんなところで顔を合わせるとは思いもよらなかった。

「お父さんの友達の結婚式で京都に行くんです」
「すごい偶然。私も仕事で京都なの」
「この新幹線ですか?えーっ、すごい!」
「席どこ?」
「あ、私達自由席なんです。お父さんが昨日飲み会でチケット買い忘れちゃった上に、今日起きるのもギリギリで指定席埋まっちゃって。しかもまだお酒残ってるみたいなんですよ、本当だらしないんだから」

なるほど、だから彼女は今お水のペットボトルやおにぎりといった軽食を手にしているというわけか。あそこの夫婦は別居中だから彼女が奥さんの仕事もしていると聞いたけれど、なんともしっかりしている高校生だ。

「あ、もう乗れるみたい」
「本当だ。この後お父さんには結婚式行く支度もさせなきゃいけないので、私もう行きますね」
「頑張ってね蘭ちゃん。もし京都で時間空いたら連絡して、どこかでご飯でも」
「はい!衣理さんもお仕事頑張ってください」

ビニール袋の中身がガサガサと音を立てている中、蘭は相変わらず可愛らしい笑顔を浮かべた。活発で明るくて家庭的な面もあるし、あの外見なのだからきっとクラスでも人気者なのだろう。私の周りにはいなかったタイプだ。タイプもなにも、遡ってみても私と親しくしてくれたのは哀だけだし、その彼女は蘭と似ているどころか、蘭のような子は苦手にする人なのだけれど。

「この新幹線は、新大阪行きです。途中の停車駅は──」

車内でのアナウンスやドア近くのディスプレイ、はたまた座席一つとっても私が昔乗車した新幹線とは違う。確かに何年も縁がなかったとはいえ、こうも変わっているとは、数年前の誰が予想できただろうか。
新幹線だけじゃない、色んなものが変わっている。家電製品も交通機関も人々の生活様式も、何もかもが。駅弁もその一つだ、ターミナル駅とはいえあんなに種類が豊富でお洒落なデザインのお弁当があるとは思わなかった。これはせめて新横浜を出た辺りで食べ始めよう。

「隣失礼します」
「あっいえ……どうぞ」

私の左隣、つまり窓側の席に座るらしい男性が声をかけてきたものだからつい駅弁から顔を上げて目を合わせた。浅黒い肌に金色の短い髪の毛の男性と。

「……」

蘭に会った時はすごい偶然だと思った。しかしこの人までが同じ新幹線で、且つ隣の席に座るなんて一体どんな確率だというのだろうか。色々と話している手前、今更何というわけでもないのだが、どことなく掴めないところがあるこの人と短くとも一時間以上は隣の席で過ごさなければいけないと思うと、自然と口からため息が漏れてしまった。

「幸せが逃げますよ?」
「逃げても掴みに行くのでご心配なく」
「勇ましいですね」

この人は私がいることをまるで知っていたかのように、あたかも最初から同じ新幹線で来ると打ち合わせていたかのように自然に話しかけてくる。横目で見ると相変わらずニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべているが、私にはどうもこれが蘭のような本心からの笑顔だとは到底思えない。

「どこで降りるんですか?」
「早く降りてほしそうですね?」
「被害妄想ですよ、それ」
「京都までです。衣理さんもですよね?」
「……はあ、梓さんかあ」
「名推理じゃないですか。流石小説を書かれている方は頭の回転が違いますね」

馬鹿にされているようにしか思えないのだが、京都に行くことと旅立つ日は梓に聞いたとしても新幹線の時刻と座席はどうやって突き止めたのだろう。聞いても煙に巻かれるだけだから聞いたりはしないけれど。




top