妄語

「あれ?」

新横浜に着いたら食べ始めようとしていた駅弁に割り箸がない。お弁当の中にあるのかと思って開けてみても存在しない。せっかくの美味しそうな焼肉弁当だったのに、割り箸もフォークもスプーンも何もないんじゃどうすることもできやしない。

「おや、幸せが逃げてしまったようですね」
「安室さんって私に喧嘩売るのが趣味なんですか?」
「まさか。被害妄想ですよ」

私の台詞を一々返してくるあたり憎らしい。
安室のことを格好よくて何でもできる人当たりのいい人だと評する人は多い。例に漏れず私も最初こそそう思っていたが最近はその評価に誤りがあるのではないかと思い始めている。

「次止まったら売店で貰ってきますから」
「やめておいた方がいいですよ」
「走れば間に合うと思うんですけど……売店くらいたくさんあるじゃないですか」
「のぞみは停車時間が他に比べてとても短いですからね。ホームにある売店は大抵レジが一つですし、一人でも他のお客さんがいたら走っても間に合わない可能性の方が高いです」
「……物知りですね」

焼肉弁当は今日の夜ご飯にすれば問題ないが、あと二時間の旅路を空腹で過ごすのは少々寂しく思えてしまう。とはいえ梓の話では京都駅の開発は目覚しく、京都ならではの食事を楽しめるところが多いそうだからそのために空腹を維持しておくのも悪い手ではないだろう。

「食べますか?」
「え?」
「サンドイッチです。午前中ポアロのシフトがあったので賄いもらってきたんですよ」
「ああ、朝ごはん限定で出してる美味しいやつですか?」

何をやらせてもそつがない人間はこの世に存在したようで彼の取り出した使い捨てのウエットティッシュで手を拭い、ボックスから一つサンドイッチをもらった。ポアロのサンドイッチの噂は聞いていたれど、食べるのはこれが初めて。梓によるとどこぞのパン屋さんがその人気の秘密を調べにきたこともあるらしい。

「ありがとうございます」
「え?いえ、お礼なら私ですよね?もらうんだし……ありがとうございます」

軽く会釈をしてサンドイッチを口に含んだ。時間が経っているだろうにまだパンは硬くなっておらず、なるほど梓の話も大袈裟ではなかったのだと分かるほどに美味しかった。ポアロの価格帯から考えるとかなりコスパがいいのではないだろうか。

「私、朝のサンドイッチは食べたことなかったんです。美味しいですね。……どうかしました?」
「どうかとは?」
「さっきから私見てニコニコしてるから」
「自分の作った料理を美味しいと評価していただけるのは嬉しいなと思いまして」
「……これを?」
「はい」
「安室さんが……」
「はい、恐縮です」
「はあ……なんでもできますねえ」

この前は棒棒鶏を作ってもらったし、その前は車の運転もしてもらったし、またある時は巻き込まれた殺人事件を解決に導いている姿も見た。安室透という男にできないことなど思いつかないな。何度も思うけれどなんでこんな人がポアロでバイトして探偵なんてやっているんだか。それこそ殺人事件を解決できるなら刑事にでもなればいいのに。

「そういえばこの新幹線、蘭ちゃんも乗ってるんですよ」
「ああ、毛利探偵の友人の結婚式だそうですね」
「知ってたんですか」
「結婚式に行くと言うことは聞きました。同じ新幹線とは──なんとも奇遇ですね」
「安室さんが言うと嘘くさく聞こえますよ。それに安室さんはなんで京都に?観光ですか?」

ポアロのバイトで京都に用はないだろうから、考えられるとしたら探偵の仕事かプライベートの旅行だろう。蘭によるとたまに地方からの依頼も舞い込むと聞いたけれど普通、県を跨いでまで探偵に依頼なんてそうそうないはずだ。
隣に座る男はペットボトルの水で喉を潤し、蓋を閉めて机に置くやいなや私の方へ少し顔を向けて「仕事ですよ」と笑った。私が思っている以上に探偵という職業は忙しいらしい。

「大変ですねえ」
「お互い様じゃないですか」
「まあ確かに。食べ終わったならゴミ捨ててきますよ」
「いえ、いいですよそんな」
「サンドイッチもらったお礼です。私通路側ですし」
「ではお言葉に甘えて」

ゴミ箱は恐らく乗降するデッキのところにあるのだろうとふんで自動ドアを開けると、恐らくあるにはあるのだろうが隣のお手洗いに列ができていてとてもじゃないが列の人立ちをどかせることはできなかった。理由は知らないが舌打ちをしたり足で地面を叩いていて、機嫌の悪い人達に睨まれるのは避けたかったからだ。
ゴミは結局捨てられなかったけれど久しぶりに乗る新幹線だし、グリーン車以外も見てみようかともう一つ先の車両に行くべく奥の自動ドアを開けた瞬間、見えたのは開放的な車内のデザインではなく、男性の黒い衣服だった。

「……邪魔だ」
「あ、すみません」
『名古屋に到着します。お降りの方は忘れ物にご注意ください』

真冬でもないのに上下真っ黒の出立。葬式か何かあったのだろうか。車両から出ようとする彼らに道を譲り、私は車両に乗り込む。グリーン車とはデザインがだいぶ違うようで少しわくわくしたものの、すれ違ったやけに身体の大きな男性が頭に引っ掛かった。今までの人生のどこかで出会ったことがあるのだろうか。

「遅かったですね」
「そこのゴミ箱に入れようと思ったらお手洗いすごい列になってて、皆さん雰囲気がすごく悪かったし普通車両も見ておきたくて、お散歩してきました」
「新幹線は小説にもたくさん使うでしょうしね。乗ったことあるんですか?」
「だいぶ前ですけどね。前に言った会社にいた頃──」

彼には既に話してあるし会社の話をしても問題はない。だからそれを口にしたのだけど、何故か違和感を覚えた。いや、違和感というよりは、何かを思い出しそうな、忘れていた何かが蘇ってきそうな。

「……どうかしましたか?」
「あ、いえ……昔乗った時は乗務員に切符見せたりしましたけど、なくなったんですね」

いつでも出せるようにカバンのポケットに入れていたというのに。ちらりとカバンに目をやるとスマートフォンが光っていた。

「……?」
「何か?」
「コナン君から電話が──ちょっとかけてきますね」

特に電話をもらうような心当たりはないのだが。着信は二件入っているしメッセージもきている。蘭に私が乗っていることを聞いたにしても用事などあるものだろうか。




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