妄語

「いきなりすみませんでした。ご協力ありがとうございます」
「いえ、早く解決するといいですね」
「失礼しました」

一人目は白だった。学生の課外活動の引率として移動中で、他の教師が自由席で学生を見ているらしいが体調の優れない学生が出たため薬を渡しに行ったんだとか。
それを踏まえても取引ができないわけではないだろうが、裏も取れた今、その可能性は格段に低くなる。本来ならばもう少し話を聞きたいところだが警察という後ろ盾もなければ時間もない。軽く頭を下げると男性は気にしないでくれと笑ってくれた。

「あともう一人は……」
「あそこです、後ろから二列目の」

もう一人は女性だった。黒く艶のある髪を肩につくかつかないかのラインで切り揃え、雰囲気のある人。隣は空席なのだろう、黒いかっちりとしたバッグを置いていた。

「衣理さん」
「はい?」
「連絡先を教えてもらえますか?」
「え?」
「この後お願いしたいことができるかもしれませんから」
「……?わかりました──あ、すみません充電少ないので一応仕事用の携帯で」

彼女が取り出したのは今時珍しいガラケーと呼ばれる古い機体だった。まあ今は即座に指示を受け取ってもらえるならばなんでもいいのだ。念のため前に座っているよう指示を出してから爆弾を所持しているかもしれない女性の隣に向かった。

「すみません、隣いいですか?」

名古屋を出てから暫く経っている。これだけ空席が目立つ平日の昼間のグリーン車で隣に人がいるとは思わなかったのだろう。彼女はパッと顔をこちらに向けて謝罪の一言共に黒いバッグを自分の膝の上に置いて、そのハンドルから手を離すことはなかった。足元に置かなかったのは既にハンドバッグが陣取っているからだ。

「ごめんなさい、空いてると思って」
「いえ。少しお話を聞きたくて来ただけですので」
「話?」
「実は……前方車両で人が亡くなっていまして。そのことについて二、三質問させてもらえますか?」
「は、はあ……」

女性は恐らく三十代前半。香水の類はつけておらず、スーツは上品なデザインではあるものの長年着ている様子が窺える。靴も磨いているのだろうが歩き回ったことによるシワと掠れが見えた。
男女差別をするわけでもないし年功序列など意味の無い制度だと思う。しかしながら、贔屓目なしに見ても彼女は重要な取引をするような身なりではなかった。

「前方の車両に行きましたか?」
「え?いえ……」
「間違いなくあなたを見たという方がいるんですが」
「あっ……行きました。お手洗いがすごく混んでいて、一つ前の車両に」
「なるほど」

この女性を見たというのは他でも無い自分自身だが、だからこそ自信がある。あの時通路を歩いていたのは間違いなく彼女だと。

「遺体が発見されたのはお手洗いなんです。何か変わった事はありませんでしたか?誰か怪しい人がいたとか」
「変わった事……?特に何もなかったと思います。怪しい人と言われてもそんなに人もいなかったし、それに男性用のお手洗いなんて入りませんし」
「……そうですか。ああ、気づくのが遅れてしまいましたが、荷物、上に乗せましょうか?」
「え……」
「僕は京都までなんですがまだ時間はかかりそうですし」

さあ、と片手を彼女に向けたが彼女はバッグのハンドルから手を離すことはなかった。余程大事なものが入っているのだろうか。
バッグに視線を向けても怪しまれない流れは作った。堂々とバッグに目をやると、真ん中にはダイヤル式の鍵が取り付けられている。
「その人が知らずにスイッチを押しちゃうらしいんだ」どこで聞いてきたのかはさておき、あの小さな名探偵はそう言っていた。断片的な情報が少しずつ繋がっていく。

「お気遣いありがとうございます。でもこれすごく大事なものなので。それで……もう聞きたいことは終わりですか?」
「終わり──と言いたいところなんですが」
「?」
「何故男性用のお手洗いで遺体が見つかったことを知っているんですか?」
「……!」

女性の眉が反射的に上がった。ぱっと背けられたその横顔には焦りの色が浮かんでいる。

「僕は前方車両のお手洗いで遺体が見つかったとしか言っていません。何故あなたが知っていたんでしょう」
「それは……だって、ほら、男性はあまり共用のを使わないでしょ?だから──」
「僕は男性の遺体が見つかったなんて一言も言っていませんよ」
「!」

確かにこの女性が言っていることは的を射ている。瀧衣理が確認したところによると前方車両では男性の死体が発見され、場所は男性用のお手洗いだったそうだ。
しかし僕の隣にいる女性はこの情報を知っていてはいけないはず。女性の顔が黒いバッグに向けられ、ハンドルを握る手により力が込められた。

「あなたは遺体が発見されてからここよりも前の車両には行っていません。なのに何故男性の遺体が、男性用のお手洗いの中で発見された事を知っているのか。それは騒ぎになる前に見ていたから。違いますか?」

恐らく彼女は何らかの形で前方車両で起きた事件に関わっているのだろう。その事を突き詰めたい気持ちもあるが、何よりも優先すべきはその手の内にある爆弾の処理だ。
残り時間はあと十五分。前に座る瀧衣理に乗務員を呼ぶよう指示は出した。気づかれないように最後方車両の乗客を移動させることも。あとはこの女性の持つ爆弾を最後方車両で解体するだけ。

「それにここより一つ前の車両ではお手洗いが非常に混んでいてゴミすらも捨てにくい状況だったそうです。これもあなたの証言とは矛盾しますね?」
「……それは……」
「あまり時間がないので手短に聞きます。あなたが殺したんですか?」
「なっ!違います!私はそんなことしてない、ただ──」
「ただ、なんでしょう?」
「……会社の指示で……」

前方車両で起きた事件については、直接関与していないのは事実なのだろう。いとも簡単に起きた事を話し始めた。『金に関する情報』を怪しげな人間にもらう代わりに四億円を渡したということ、その際にこの事を口外すればこうなると男性用のお手洗いに転がされている男の写真を見たことを。

「あのー、お呼びでしょうか?」

粗方聞き終わったところで乗務員がやってきた。女性が前方車両で起きた事件に関係していること、毛利探偵に彼女を引き渡して欲しいことを伝えるとそんな頼まれごとだとは思っていなかったらしい彼が背筋を伸ばして了承の返事をくれた。




top