妄語

重い。両手にぶら下がる白い袋の中には魚や米というメインで使う食材から、味を整えるための調味料まで、とにかく重量のあるものがたくさん詰め込まれている。

「……」

こんな時に限ってよく信号に引っかかる。誰が悪いわけでもない、急にこんな買い出しをしている自分が一番悪いのだということくらい自覚している。思い立ったが吉日と張り切った自分が馬鹿なのだ。
台所を預かっている皆さんは一体どうやって毎日、いや、毎週の買い出しを済ませているのだろう。例えその答えを今得たところで何にもならないのだが、そんなことでも考えていないと変わる気配のない赤信号が余計にビニール袋の重量を増す魔法でもかけているように思えてしまうから。

「衣理さん?」
「梓さんに安室さん」

横断歩道や赤信号とは逆方向へ振り向くと二人が私の方へと歩いてくるところだった。ポアロの外で二人が一緒にいるのを見るのは初めてだ。時間も時間だし、二人で食事にでも行くのだろうか。

「わー、どうしたんですかこんな大荷物」
「ちょっと買い出しに……買いすぎちゃったけど」
「あ、だから今日ご飯食べに来なかったんですね?三日も来ないからどうしてるんだろうってさっき安室さんと話してたんですよ」
「あはは……」

こうも屈託無く言われてしまうと居心地の悪さこそあれど反論のしようもない。ポアロで食事をしない日は自宅で料理を作るでもなく、適当に済ませるか食べないかのどちらかだということを梓は知っているのだ。彼女の隣にいる安室もまた、そんなことには勘付いていそうだけど。

「えっ?」

急に両手から重みが消えた。止まっていた血流が動きはじめたようで冷たかった指先にじわりじわりと体温が戻っていく。ついに耐えきれずビニール袋が破けたかと思ったがそうではない。「持ちますよ」と言った安室の手へと移動したのだ。

「衣理さんお家に帰るんですか?」

梓は安室の行動など特になんの気にもならなかったようで反応することなく私に話しかけてくる。

「ええ、まあ……いや、自分で持ちますよ大丈夫です」
「うーん、衣理さんがそう言うなら大丈夫なのかもしれませんが、僕が大丈夫じゃないので持たせてください」

こうまで言われて意固地になるのも大人の対応とは言い難いし、安室の好意を跳ね除けるのは失礼過ぎる気もする。行き場を失った右手をどうすることもできなくてバッグを肩にかけ直した。

「……すみません、ありがとうございます」
「いえいえ」
「じゃあ私、先行きますね」
「ええ。梓さんお気をつけて」
「はーい」

私が渡りたい道とは別の横断歩道で青信号が点滅していた。梓が綺麗な髪の毛を揺らして早足で渡っていく。昼が長くなったとはいえこの時刻では横断歩道の向こう側まではよく見えない。梓の姿はあっという間に闇へ消えてしまった。

「しかしすごい量ですね。ご自宅でパーティでもされるんですか?」
「……しません」
「ふむ」

安室に荷物を持たせたくない理由はいくつかあったが、その内の一つはこれだ。少しでも情報を与えてしまうとすぐ本質に辿り着いてしまう頭の良さ。探偵であるのだから事件解決には大変役に立つであろうその能力も、知られたくないことがある人間からすると厄介なことこの上ない。

「推理の答え合わせ、しますか?」
「そうですね……推測ですが、料理の練習をされるんじゃないですか?」

隣を歩く安室はちらりと袋の中に目をやったものの、買った品物を全て見るような不躾な真似をしたわけではない。私もまた、たった一つ、質問を否定で答えただけで大量の情報を与えているつもりもない。
それなのにこの男は読み当ててしまうのだ、尊敬の念すら抱く程に頭がいいというか勘がいいというか。

「なんでそう思うんですか?」
「重い方の袋には調味料がたくさん入ってますが、一人暮らしでこれだけの数が一気に切れるというのは考え難いです。しかも突然必要になる珍しいものではなく、基本的なものばかり。安かったから買い溜め──という可能性もありましたけど、このスーパーの特売日は昨日。それに衣理さんはあまり料理をされないのに買い溜めする理由がそもそもないかと」
「特売日昨日だったんだ……」
「気になったのはそこですか?」

はは、と小さな笑い声がする。私が料理をしないことはこれまでの会話でほぼほぼバレているようなので、今更取り繕うのも無駄かと思ってしなかっただけなのだが。それに私が程度の低い嘘をついたところで通用しなさそうだ。

「もう一つの袋は匂いからして魚ですね?しかも一切れ二切れではない。傷みやすい生物をこれだけ買うということは大人数で消費するのかと思いましたがそれはどうやら違うようなので」
「まあ、そうですね」
「最後に、衣理さんの手には絆創膏と小さな火傷の跡。今までには見なかった傷です。なのでこれまでやっていなかった料理に挑戦されているのかなと」
「……毎回同じ反応で申し訳ないですけど、安室さんってすごいですよね」
「そんなに褒めても何も出せませんよ」

スーパーの袋二つに少しばかりの私の言動でこれからすることまで言い当てられるなんて。その洞察力を悪用したら人を騙すことすら簡単そうだ。彼がそんなことをする人間でないことくらい、この数ヶ月でわかり切っているけれど。
ふと隣の安室を見るとまるで夜空に輝く月のように耿々としていた。私の目がおかしくなったのではなくて、対向車線から断続的にやってくる車のヘッドライトによるものだろう。

「もうすぐそこですし、自分で持ちますよ」
「?すぐそこなら構いませんよ、最後まで持ちます」
「でも梓さんとご飯なんじゃないんですか?」
「え?」

安室の顔が道から私へと向けられた。どことなく日本人離れした色をした大きな瞳がそれこそ月のように丸くなっている。

「変なこと言いました?」
「梓さんとご飯……僕がですか?」
「違うんですか?こんな時間に一緒だったし、梓さんもさっき『先行く』って言ってましたし」
「ああ……一緒だったのは仕事終わりだったからですよ。あれも先に帰るという意味だったんでしょう」
「そういう……」

ほっとした。ほっとしている自分がいる。ポアロでの仕事を終えた帰り道だっただけだと聞いて安堵しているのだ、私は。一体何を不安に思って何に安堵しているのか自分のことなのによくわからない。
ゆっくりと瞬きをして静かに、しかし深く息を吐いた。




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