妄語

米花町の近くに行く用事があるので今回はそちらで打ち合わせをしたいと言われたのが二日前。特に場所の指定はなかったのでポアロに来てくれないかと打診した。

「この後もう一人来るから机使ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ、今まだ他のお客さんもいませんし」
「ありがとうございます」
「……あの、つかぬ事聞きますけど、誰と待ち合わせなんです?男の人?」

梓が水の入ったコップを机に置き、周りに人がいないことを確認してからまるで内緒話でもするかのように小さな声で尋ねてきた。男性入店お断りを掲げているわけでもないのに一体なんだと言うのだ。

「ええ、まあ。でも──」
「やっぱりそうだったんですか?!」
「え?何?何が?」
「蘭ちゃん達と話してたんですよ、最近の衣理さんは好きな人でもできたんじゃないかって」

私は好きな人がいるらしい。
男に生まれたことがないので知らないけれど少なくとも女性の間では何歳になろうと永遠の話題となる、恋愛。思えば梓とも蘭とも、それどころか他の誰ともそんな話はしたことがない。経験がないのだから話しようがないのだ。「やっぱり」と言うあたり梓にはその心当たりがあるようだが、当の私には思い当たる節など存在しない。

「ごめんなさい衣理さん……安室さんに京都のこと教えたりお土産屋さんでも会わせようとしたりして……」
「別に謝らなくていいですよ」
「いえそんなわけには」
「この後来るのは出版社の人です、担当さん。好きな人でもないし、そもそもそんな人はいません」
「あー……な、なるほど……」

あはは、と力なく笑う梓と目が合う。何がどうなってその想像に至ったかはわからないが、梓は私と同様、安室やコナン程の洞察力はないようだった。というよりも、あの二人が異常なほどに頭も勘も良すぎるだけなのだが。
何故安室と会うよう仕向けたかと聞けば、梓が安室に言い寄っているだの彼女気取りだのとネット上で燃えているので、他の女性といるところを見れば落ち着くのではと思ったから、だそうだ。着眼点は間違っていないと感じたけれど、新幹線や京都で会わせたところでネットにいる人達の目には入らないんじゃないだろうか。

「本当にすみませんでした……」
「いいですよ、別に」

安室はとんだ災難だったかもしれないけれど、あの時彼がいてくれなければどうなったことか。むしろ私としては理由がなんであれ、あの新幹線に乗せてくれたことを感謝した方がいいほどだ。

「先生、お待たせしました。前の用事が長引いてしまって」

カラン、とドアの開く軽やかな音と共に須藤が現れた。

「大丈夫ですよ。早めに切り上げましょうか?」
「いえ、もう終わりましたので。ところで先生」
「?」
「刑務所で黒岩が亡くなったそうですよ」
「……?」

もう数ヶ月も経っているのにまだ知らない名前が出てくるなんて。黒岩という名前は一回とて耳にしたことはない。おまけに刑務所で亡くなったということは犯罪者だ、一体その人が私と何の関わりがあるというのだろうか。

「そうですか」

いやしかし、思い返せば作品を書くために様々な人と会ってきた。小説に現実味を出すには可能な限り実際に風景や施設を自分の目で見て、肌で感じて、そこで過ごす人達と会話するべきだからだ。それはきっと誰であれ小説を書く人ならば変わらないはず。弁護士でも刑務官でも警察でもないのし、取材対象としての繋がりだったということなのだろう。
何回も会っていたのか、ただ一度数分言葉を交わしただけなのかを把握できない以上、ただ相槌を打つしかできないのだが。

「ご注文はいかがされますか?」
「あ、私はアイスコーヒーのお代わりを。須藤さんは?」
「僕は……冷たいお茶をお願いします」

担当である須藤の分も水を出してくれた安室に注文を告げるとにこりと笑う彼と目があった。梓が嘘をついているとは思わないが、ただの喫茶店の店員にそこまで多くの人が熱狂的になるとも思えなかった。だがしかし、こうして見てみれば端正な容姿に穏やかな物腰、仕事もできるとくればなるほど納得できてしまう。
そんな人達の目に触れることなく新幹線や京都で過ごせた私は、梓の勘違いから始まったとはいえとんだ幸運だったのかもしれない。

「先生?」
「あっはい」

何を考えていたのやら。普段通りポアロにいると言っても今は間違いなく仕事中なのだ。しっかりしなければ。グラスの下部に残っていたアイスコーヒーを飲んで気を引き締めた。

「ここの放課のシーン、もう少し詳しく描写があった方がいいと思うんです」
「……?どこでしたっけ」
「えーっと、ここです」

まだしっかりと書き上げたわけではない、あくまで構想段階の内容も須藤はしっかりと目を通してくれたようで赤字の記入が目立つ。手渡された指摘の箇所を読み終えるとといつのまにかアイスコーヒーのグラスが入れ替わっていて、ちょうど須藤が安室にお礼を言っていた。

「わかりました、ちょうど知り合いに高校生もいますから参考に聞いてみます」
「あとはそうですね、このあたりなんですけど──」

須藤とも意見交換を重ねて話を作りたい。そう話したのはもう数ヶ月も前のことで、ようやく今それが実現しようとしている。この作品が売れるのか売れないのかは私が判断することではない、私が私にできる精一杯をするだけだ。




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