妄語

「なーんだ、違ったんだ。衣理さんの変わりようは男が絡んでると思ったんだけどなあ……」
「でも結局自分から打ち明けちゃうなんて梓さんらしいですね」

そう言って常連になりつつある女子高生二人が笑っていた。

「そういえば安室さんはその辺どうなの?」
「どうとは?」
「好きな人とか彼女とか……例えば安室さん目当てで来てる子達であの子可愛いな、とか?」

日本を支える指折りの財閥、鈴木家のご令嬢である彼女はこういった話が特に好みらしく、ポアロにいる時間の半分はそれについて話しているように感じる。とはいえまさかこちらに振ってくるとは思わずグラスを洗う手が止まってしまった。

「そういう方は特にいませんねえ」
「安室さん目当てでポアロに通ってる子たちは全員脈なしってわけか……」
「秘密ですよ?売り上げが落ちてしまうとマスターに怒られてしまいますからね」
「ちゃっかりしてるわねえ……」

ご令嬢が呆れたような視線を投げてくる。ポアロの売り上げが自分に直接降りかかってくるわけではないが、安室透として働く場を与えてもらっている以上は可能な限り力を尽くしたい。幸いにしてここは監視対象の人物がよく訪れる場所でもあり、刑事が度々やってくる客層からしても情報を入手しやすいのだ。

「二人共絶対言っちゃダメだからね、安室さんのファンは本当に怖いんだから……」
「梓さんネットに色々書かれてるって言ってましたもんね」
「でもネットに書かれるだけで実害はないんでしょ?そりゃ気分良くはないでしょうけど」
「違うの!この前衣理さんとご飯した後二人で帰ってたんだけど……」

確かに以前から自分のファンだという人達がインターネット上であれやこれやと話をしているというのは榎本梓から聞いていた。些細なことで勘ぐる多感な時期の女の子がほとんどだから仕事中以外では気を付けてほしいと。
言われた通り、自分なりに気を付けて榎本梓との距離は取っていたつもりではあるのだが、どうやらそれでは足りなかったらしく、ストーカー行為を受けたのだと話し始めた。

「ストーカー?!」
「あ、安室さんのファンの子達にってことですか?」
「それ以外思い当たる人はいないし……多分だけど……」

榎本梓が首を傾げたが個人的な繋がりがある人物で該当者はいないらしい。自分が何をしたわけではないけれど、迷惑をかけてしまったことには申し訳なさが生じた。

「それって警察行った方がいいんじゃないの?おじ様から高木刑事達に話してもらったら?」
「それも考えたんだけど、でも一回だけだし……安室さんはどう思います?」
「一回だけだと警察も動きようはないかもしれませんね……すみません、梓さん」
「安室さんが悪いわけじゃないですよ。次また何かあったら相談させてもらいますね、探偵さん」
「でも安室さんに相談したらまたファンの子達ヒートアップしちゃうんじゃないの?」
「……」

それは困ると三人が騒いでいる間にまた担当編集者を連れて瀧衣理が店へやってきた。
「衣理さんこんにちは」と挨拶する高校生達に笑いかける彼女は確かに何も知らなければ誰かの影響を受けているとも思えそうだ。その実、全くの別人なのだから違っていて当然なのだが。もし部下が潜入捜査としてこんな演技をしてこようものなら三日三晩不眠の指導が必要になるほどだ。

「いらっしゃいませ。今日も打ち合わせですか?」
「違う喫茶店でやってたんですけど混んできちゃって」

そう肩を竦める瀧衣理の前に座る須藤とか言う担当編集者はかっちりとしたバッグから原稿用紙が入っているのであろう茶封筒を取り出していた。

「えっ衣理さんポアロなら空いてるって思って来たんですか?」
「売り上げに貢献しようと思って来たんですよ、梓さん怒らないでください」

榎本梓と軽口を言い合いながら笑う彼女を須藤がじっと見つめている。先日の打ち合わせでは真剣な表情で議論を重ねていたところを目にしたけれど、時折見せるこの表情の意味は読み取れなかった。どこかで見たことのある表情なのだが。
アイスコーヒーと冷たいお茶という以前と同じオーダーを用意するべくカウンターの中へ入ると、榎本梓が周囲の目を気にしながら近づいて来た。

「安室さんはどう思います?」
「何がですか?」
「衣理さんですよ。やっぱりなんだか違うと思いません?」
「そうですか?僕は皆さん程彼女と話す機会がないので……特に何も感じませんけどね」

彼女が別人であると吹聴したところで利点は何もない。組織の人間でも他国からきた同じような立場の人間でもない一般人の嘘を暴いたところで無意味だ。

「うーん、安室さんがそう言うならそうなのかな……」

勿論彼女が元の瀧衣理を殺した可能性も考えた。
しかし成り代わりなどという御伽噺なんて、嘘ならばすぐバレてしまう。いくら顔を変えたとしても、背格好が似ていたとしても、血液検査や歯型照合までは誤魔化せないからだ。一時凌ぎならともかく自分にその話を打ち明けても尚この町に残っているのなら疑いを掛けられてもそれらの身体検査をクリアできるということ──つまりは彼女が真実を語っている可能性が非常に高いというわけだ。

「今は打ち合わせ中だそうですし、いつもと違うように感じるのもわかりますよ」

ならば彼女の嘘を手助けするわけではないけれど、自分から他人へ話を広げたくはない。彼女から人に話さないでほしいと頼まれたからというのもあるが、あくまでも一般市民の生活を守るのが務めだから、だ。

「じゃあ担当さんはどう思います?」
「え?」
「もう結構担当についてもらってから長いんだってご飯した時に聞いたんです。担当さんが衣理さんのこと──とかあると思いませんか?」
「さあ、僕はそういうのよくわからないので……」

榎本梓も気付いているのだろうか、瀧衣理に気づかれないよう須藤が彼女を見つめていることに。原稿用紙を片手に話し合いを続ける二人とそれをカウンターから見ている自分。物理的距離は数メートル程度にも関わらずひどく隔たりがあるように思えた。




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