妄語

「はあ……」

すっかり暗くなってしまった道を歩き始めた。歩道はやや広めの作りだが、三人くらいが横になるのが精一杯。世界でもそうないほどの大都市、東京都なのだから当然といえば当然だが。

「……あれ?」

バッグに手を入れても手帳らしきものに当たらない。あまり物が入っていないこのカバンでそんなことは起きないはず。ああ、そういえばさっきの店で警察に呼ばれた時、テーブルに置いたんだった。
辿った記憶に合点がいった時、思わず足の歩みも止めてしまった。前の瀧衣理も、今の私も大概うっかりな性格だな。

「探し物はこちらですか?」
「あっ……安室さん。もしかして、追いかけてきてくれたんですか?」

夜道だというのに明るい髪の毛だけでなく端正な顔だち故に輝いて見えるその笑顔も車のライトに照らされてはっきりと見えた。コナンといい安室といい同じ人物に何度もよく会う日だ。

「ええ。刑事さんから忘れ物だと伺ったんですが見覚えがあったのでね。にしても……よく忘れますね?」
「す、すみません……」

私が忘れたのは今が初めてなのだが、そうは言っても安室からしたら同じことだろう。面白そうに笑う彼に少し羞恥心を感じながら彼の方へと足を戻した。

「ありがとうございます、わざわざ」

手帳をもう一度受け取ろうと手を伸ばしたが、安室がそれを手放す様子はなく、私に見せるように持ち続けているせいで私の右手の行き場はなくなってしまった。

「せっかくここまできたんですし、ご自宅まで送りますよ」
「いいですよ、もうこんなに暗いのに」
「だからですよ。この前だって、こういう時間に送っていったじゃないですか」
「ああ、はい……」

前は素直に送られていたというのなら今頑なに拒むのは不自然というものだろう。お言葉に甘えて道を歩き出すと安室は私の右側、つまり車道側に自然と並んだ。

「災難でしたね、今日は」
「まあ……でもコナン君があっという間に解決してくれましたから」
「やはりあの少年ですか」
「やはりって?」
「有名ですよ、あの子は。毛利先生からきっと指導を受けているんでしょうね」
「なるほどね……」

ランチの後に毛利探偵事務所と書かれたチラシを見たし、コナンを見つけた目暮警部は毛利というのが一緒じゃないのかと確認していたことからいって、そこは同一人物である可能性が高い。
年齢から見てその毛利探偵とやらの息子なのだろう。事件とわかってからの彼の指示はひどく的確だったし、昼間やさっきの事件で感じた年齢に似つかわしくない雰囲気はそういったものが関係しているに違いない。

「怪我はありませんでしたか?」
「怪我?」
「ええ、犯人確保の時に」
「それは全然。ラッキーでした」
「驚きましたよ、いつのまにあんなことができるようになったんですか?」
「ネットで見たの。たまたまうまくいってよかった、本当」

目暮警部にあれだけ驚かれたのだ、瀧衣理があんなことをする性格でも、できるような身体能力もないということはわかっている。これからジムにでも通って最低限の筋肉はつけておこう。何故か私は長生きできないタイプなのだから。

「ネットで見ただけですか……まるで拳銃か何かを常備しているかのような、そんな動きでしたね」
「……何を言ってるんだか」

ホルターなんかないのに、手をそこにやった私の一連の動作をきっと見ていたのだろう。安室の顔は確かに笑っているのに、何故か圧力を感じる。不思議と距離を置きたくなる、そんな雰囲気を醸し出している。

「危ないですよ」
「えっわっ」

一歩、二歩と斜めに歩いて自然と距離を開けようとした私の腕を引き、安室の近くに戻された瞬間、無点灯の自転車が私のいた場所を猛スピードで走り抜けていった。

「あ、ありがとう……」
「いえ、急に引っ張ってすみませんでした」

物腰は穏やかだし、表情も優しくて、女性の夜道の送り方だって大変スマートで感心するほどだ。だけどなぜか安室から感じる視線は日常会話をするような知人に向けるようなものではなく、何かを探ろうとするような、まるで品定めをされているかのようなものだった。

「私の顔に何かついてます?」
「ああ、いや、すみません。昼のお返しというわけではないんですが」
「ついてないならそれでいいです」
「目が離せなくなってしまって」
「……安室さん」
「はい?」
「わざとじゃないなら、あなたこそそういうの、やめた方がいいですよ」
「衣理さんのことを見るのがですか?」
「人をからかうのを、です」

歯の浮くようなセリフも、まるで映画に出てくるキザな優男がスクリーンでアップになった時に言うような言葉も、この端正な顔にかかればそれはもう立派に殺し文句として聞こえるのは認めるが、安室が軟派な男でないのならそんなこと、ここぞという時にとっておくべきだろう。
そうこうしているうちにマンションへと辿り着いていた。私のこれからの住まい。十階あるかないかの建物はこの辺では少し大きめのマンションで、部屋は五階。中々いい住まいといっても差し支えはないほどだ。

「それじゃあ安室さん、ありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」
「ええ」
「おやすみなさい」
「……衣理さん」
「?」

マンションのライトアップを頼りにバックからキーを取り出してオートロックを開けた。私は安室に頭を下げてオートロックの奥へと入っていったのに、自然と閉まろうとするドアのレールの上に安室は立っている。これではオートロックの扉が閉まらない。私にまだ何か用事があるのだろうか。

「あなたは誰ですか?」
「え?」

ぎくり。もしこれが映画や漫画なら、私の胸からはそんな音がしていたことだろう。




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