妄語

「あなたは誰ですか?」
「え?」

まずい、そう彼女の顔に書いてあった。

最近見なくなったと思ったら一仕事終えたらしい彼女は今日、ようやく行きつけの喫茶ポアロに顔を出したが様子が変だった。榎本梓や毛利蘭は「脱稿したてだから疲れてるんですよ」なんて笑っていたが、今までだって仕事終わりに店へ来ることはあったのだ。それでもここまで違和感を覚えることはなかった。

「誰って……瀧衣理ですけど」
「そうですね、姿形はそっくりです」

まず不思議に思ったのは店でのやり取りだった。榎本梓や毛利蘭にも指摘されるほどの不自然さ。ポアロに潜入してから何十回と彼女を見てきたが、話し方や仕草がまるで別人のそれだった。
コーヒー一つとってもそうだ。いつも同じように使う砂糖やミルクを榎本梓が用意していたにも関わらず、一切手をつけることなく飲みきっていた。

『昨日脱稿日だったんだ……』

彼女は一人になったところでそう呟いていた。手帳のカバー下に貼っておいた盗聴器は予想よりも高性能で、道行く人々の雑音など物ともせず彼女の音声だけを届けてくれた。
家の外に出ても他人に疲れを見せるような仕事だったにも関わらず、何故他人事のような話し振りなのか。

『ネットで見たの。たまたまうまくいってよかった、本当』

先程の行動もそうだ。あんな言葉を鵜呑みにできるような動作ではなかった。あれは間違い無く、それなりに実戦経験がある人間の動きだった。
しかし昨日までの瀧衣理にそんな形跡はなかった。

顔も身体つきも声もまるでそっくりなのに、中身だけが入れ替わっているような、そんなまさかを想像してしまう。
ファンタジー小説やSF映画じゃあるまいしと数年前の自分なら否定していただろうが、今の自分はベルモットという不可能を可能にした女を知っている。不自然さからいって瀧衣理があのベルモットとは思わないが、第二、第三のベルモットである可能性こそ否定できない。

「姿形って……安室さんどうしたんですか?さっきから少しおかしいですよ?」
「色々と気になる点が多いんですよね。まるで誰か、まったくの別人が成りすましているようです」
「成りすましているって、そんな無茶な」

瀧衣理はそう困ったように笑った。ともすれば一般人に見えるのだが、これがもし組織の一員であるのなら、尚且つこちらに知らされていない監視要員だとしたら。本人が否定するからはいそうですかと相手を信じられるような世界で生きているわけではない。

「無茶ですか?」
「無茶ですよ」
「……すみません。実は僕も探偵で、疑り深い性格みたいですね」
「えっ、安室さんも?」

ほらまた、知っているはずの情報を聞いて驚いている。胸の奥に生じた疑念が更に輪をかけて大きくなっていく。
だがそれは組織であれば知っていなければいけないことだ。組織の一員ではなくFBIあたりの手の者か、組織から寄越されたがそれすら知らされずに潜入させられているのか、それとも、全ては思い違いなのか。

「ええ、疑り深くなってしまって……すみません」
「ああいえ、別に私は。安室さんは想像力豊かなんですね」
「そうかもしれませんね。最近どこか衣理さんが前と違うような気がしてしまいまして」
「そうですか?……私、最近物忘れがひどくて。仕事も落ち着いたしそのうちいつも通りになると思いますから。それじゃあ、おやすみなさい」
「衣理さん」
「……はい?」

彼女が一般人ならそれでいいのだ。自分が守る日本国民の一人であるのなら。怪しい言動もいきなり覚えたとかいう軍で習うような武術も、今はまだ自分の脅威になり得ないのだから。
一呼吸置いて振り向いた彼女の表情は少しばかり強張っていた。

「衣理さんは普段僕と二人の時は僕のことを名前で呼んでいたんですよ。それも忘れてしまいましたか?」
「?!……えっ?」
「冗談ですよ」
「……性格悪くないですか?」
「衣理さん」
「はあ……今度は何ですか?」

自分が疑われている自覚はあるのだろう。苛立ちを隠さず返事をする瀧衣理は年相応の女性に見える。少なくとも年齢不詳のベルモットには見えない。最早感情を隠そうともしない彼女に思わずこちらも笑えてきてしまう。

「お忘れ物ですよ」
「……ありがとうございます」

カバー下の盗聴器は既に回収したそれを彼女へと手渡した。今度また怪しい動きを見たその時は彼女の家か持ち物かに取り付けておくよう部下に指示しておこう。
いくらなんでもこれだけ牽制したのだし、これが誰であれすぐに目立った動きをするとは思えない。持ち物の確認だってきっと今日始めることだろう。瀧衣理の正体をつかまぬ限り、こちらが仕掛けているとバレるわけにはいかないのだから。

「ああ、そうだ。悪いが瀧衣理について資料をまとめてくれ。それが終わったら他にも頼みたいことがある」

町外れの公衆電話から風見に連絡をした。久しぶりの指示ということもあってか風見はいやに神経質そうな声でわかりましたと呟いたが、事はそう深刻ではない。まだ深刻ではない、と言う方が正しいのかもしれないが。

「どこまで調べますか?」
「全部だ」

深刻な事態になる前に手を打ってみせるさ。誰の変装であろうと、どの組織であろうと。あの反応、身のこなし、会話の矛盾からいって彼女が一般人という可能性は消え去ったのだ。嘘が下手な芝居をしてこちらを欺こうとしているかもしれない、気を引き締めなくては。

「……厄介ごとが増えたな」




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