妄語

「つまり……自分が先生のストーカーだと?」
「いえ、ストーカーだとは思っていません。あなたなら読者からのプレゼントと言って細工できそうなものですが、そういった形跡はありませんでしたから」
「プレゼント……」

須藤という男は天井を見上げ、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。その表情からは先ほどまであった緊張感も見られず、声色からも動揺は見られなかった。どちらかというと納得したような、受け入れたような、落ち着いているようにも見受けられる。

「先生もやったのは自分だと気づいていたんですか?」
「衣理さんはただの偶然、彼女自身の不注意で怪我をしたと思ってますよ。ただ怪我をした場所と日にちを話してくれただけです」
「……じゃあなんであなたが?」
「初めてポアロにいらした日のことを覚えていますか?」

あの日、いやに真剣な顔つきで彼女を見つめていたのが頭に引っかかっていた。順風満帆な作家と新作について打ち合わせをしようというものでは決してない、複雑な感情が見え隠れするあの表情は見覚えがあった。ああいう顔をした人間は良くも悪くも何かを決意しているのだ。

「か、顔で……?」
「まさか、それだけでわかったりはしませんよ。同じ日に刑務所で黒岩という人が亡くなったという話もされていましたね」
「それが何か?」
「所内で死亡したと報道はされても個人情報保護の観点から受刑者の名前は公表されません。しかしあなたは黒岩さんが所内で亡くなったと話していました」
「……」
「後日調べてみると確かに愛知の少年刑務所で死亡事故があったと報道されていました。使われている方言から須藤さんは愛知出身のようでしたし、恐らく黒岩さんのご遺族……ですよね?」

一般的に死刑執行でもなければ市民が刑務所内での死亡事故なり事件の詳細を知ることはまずない。海外諸国はともかく、ここ日本においては遺族に通達がいくのみだ。
ここまでは調べるまでもなくわかったこと。そしてこれらの前提をもとに、本業の伝手を頼って情報を集めれば黒岩という青年は死亡事故を起こし少年刑務所に服役していたと判明した。被害者は瀧衣理の両親と彼女自身。その遺族が仕事相手になるなんて、どちらにとっても因果なものである。

「……そうですね、察しの通り自分はあいつの兄です。方言は気づかなかったな……出てましたか」
「放課、と打ち合わせで使われていたので。愛知では休み時間の意味だそうですね」
「あれ、方言なんですか」

知らなかった、と須藤が呟いた。コーヒーのお代わりをいれようかとカップに手を伸ばしたら須藤が手を左右に振る。この時間のために用意したコーヒーだったが少し余ってしまった。

「その後に彼女が誰かにストーキングされていた、怪我をしたと聞いたのでまさかと思いまして」
「なるほど──……言い訳がましく聞こえますが、弟の件で逆恨みしてたわけじゃないんです」

須藤が遠くを見るような目でポアロの壁を見つめていた。弟は許されないことをした、罰を受けるのは当然のことで、それについては彼女に対して申し訳のない気持ちでいっぱいなのだと。自分に言い聞かせるでもなくただただ淡々と話すその様はどこか寂しそうにも見えた。

「自分だって先生の立場なら刑務所に入れろと言っていたと思います。刑務所が原因で死んだんだとしても、先生のせいではないことくらいわかってるんです」
「……」
「でも……弟なんて最初からいなかったかのように扱われたのが悔しかった」

何の感情も向けられない、その対応が弟を亡くしたばかりの自分にはひどく堪えたのだと須藤は細い声で呟いた。自分が間違ってることはわかってます、と付け足して。
彼にも、彼の弟にも同情はできない。確かにその対応は冷たく見えたのだろうが彼の弟は加害者で、過失でも両親を奪っているのだから伏して受け入れなくては。いや、受け入れなくともいい。加害行為さえなければ彼がどのような感情を持とうが介入する気はなかった。問題はその一点なのだ。

「先生には酷いことをしました。怒りが抑えられなくて……ちょっと怪我でもさせてやろうと思っただけで」

彼女はきっと知らなかったのだろう。以前どんな事件に巻き込まれていたのか、その加害者の遺族が仕事相手だったのかを。そしてボロを出さないように会話を早々に打ち切って仕事の話に移った。本人から話を聞いているわけではないが、今までの言動から予想できる範囲ならそう外れてはいないはずだ。

「ええ。階段から突き落とす以上のこともできたでしょうし、殺意があったとは思えません。しかしあなたのしたことは暴行──傷害罪にあたり、許されない行為です」

彼女は須藤を信頼していた。一緒に仕事を作り上げるのだと楽しそうに話していたのが記憶に懐かしく、手料理まで振る舞う仲になっていたにも関わらず信頼を裏切られた彼女を思うと少しばかり胸が痛んだ。

「……そうですね。警察に行こうと思います」

ガタリ、と椅子を引く音がした。傷害罪は親告罪ではない。このまま自首すれば逮捕、そして起訴に至るだろう。どんな事情があるにせよ罪を犯したのなら被害者に謝罪をして償う他に道はない。初犯であれば、ともすると不起訴になるかもしれないが、そこは自分の介入する領域ではない。

「最後にもう一ついいですか?」
「はい、なんでしょう」
「喫茶店の店員さんが相談されたわけでもないのに、何でここまでしたんですか?」

何故かと問われれば、自分は警察官であり、潜入捜査中の今現在は探偵として行動しているからだ。探偵として犯罪行為を見逃すことはできないから、そう答えようとした。答えようとしたが、はたと思考が止まる。

「……それは──」

そう、彼女には相談されたわけでも依頼を受けたわけでもないし、もとより彼女自身が被害を受けたとは思っていないのだ。
ただ怪我の話を聞いただけなら彼女に笑いながら気をつけてくださいと言って終わっていただろう。しかし注意を払っていた相手が偶然にも怪しい言動をしていて、その後に彼女から怪我の話を聞いてもしやと思い黒岩や須藤について調べ上げ、大事に至る前に止めなければと今日この時を迎えた。
これは警察官だから、探偵だからした行為なのだろうか。

「探偵なんです、僕」
「探偵?」
「ええ。気になることがあると調べてしまうもので。彼女はここのお得意さんですし」

被害を受けたのが誰であっても同じことはしたと思う。その自負はある。だがここまで早く動けていたかはわからない。少なくとも彼の発言や表情を注意深く見ていたのは彼女が被害にあったからではないのだから。
全ての行動には理由がある。自分が彼を注視して、観察していたのも理由があるのだ。それが何なのかは今うまく説明できないが。

「自分が言えたことじゃないですけど……先生のこと、よろしくお願いします」
「……わかりました」

ドアを開けると雨の匂いがした。地面も濡れていて、どうやら話している間に雨が降ってあがったらしい。
須藤はこれから自首をする人間とは思えぬほどの穏やかな表情だった。気持ちの整理がついたということなのだろうか。再度こちらに頭を下げてしっかりとした足取りで歩き出した。それに比べて自分には言い表せない感情が──いや、言い表したくない感情が存在していると気づいてしまった。

「……閉めるか」

時刻は閉店の数分前。一時間ほど勝手に店を閉めていた影響もあるのだろう、誰一人客が入ってくる気配はなかった。コーヒーを余らせてしまったことだけが残念だ。




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