妄語

疑われている。
絶対なんてない世の中だけど、これだけは確信を持って言える、私は安室に疑われている。

「はあ……」

今までだってこういうことがなかったわけじゃない。私が成り代る前の本人とどこかが違うと家族や近しい人間が訝しむ事は何回かあった。でもそれは成り代わった一日目などではなかったし、ある程度の人となりを身につけた上でのことだったから疑う相手にも割とスムーズに対応できていた。
しかし今回はたったの数分の言動で見破られている。安室と一緒にいたのなんて、全部合わせたって三十分になるかならないかくらいなのに。いくら探偵とはいえ頭が良すぎやしないか。

「完全にばれてるわけはないだろうけど……」

死んだら誰かの身体で人生をやり直してる、なんて二束三文にもならないレベルのファンタジー小説にありそうな話、大の大人が思いつくはずもないだろう。私だって自分がこんな目にあっていなければ信じるわけもない。
輪廻転成は否定しないけど、私の場合新しい自分に生まれ変わるのではなく既存の誰かの人生を乗っ取っているのだ。そんなこと、誰が思いつくだろう。
私自身、なんでこんなことになっているかもよくわからないのに。

「?……はいもしもし?」
「あ、衣理さん!夜分遅くにすみません、蘭です」
「蘭ちゃん。こんばんは。お家ついた?」
「はい、たった今。あの、今日は本当にありがとうございました!コナン君ご迷惑おかけしませんでしたか?」
「ううん全然。むしろすごい活躍だったよ。蘭ちゃんが言ってたのはああ言うことなんだね」

電話の向こうで蘭がそうなんです、と相槌を打った。昼間にコナンはまだ幼いのに頭が切れると聞いていたけれど、殺人事件を解決してしまうほどとは思ってもみなかった。安室といいコナンといい、どうやら瀧衣理の周りには頭の回転が速い人物が多いらしい。なんとも迷惑なことだ。

「──でもいいですか?」
「え?うん、うんいいよ」
「ありがとうございます、それじゃあ週末にポアロで。三時くらいには行けると思いますから」
「うん、ポアロに三時ね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

話半分に聞いていたおかげであまり伝わらなかったけれどとりあえず週末の三時にまたあの喫茶へ行けばいいわけだ。安室がいないことを祈っておこう。あんなにしつこく問い正されたのだ、彼と顔を合わせることはできるだけ避けたい。
新しい人生になるたび、環境さえも一新してしまいたい衝動にかられるけれど、戦時中でもない限りそう簡単にはいかない。親戚や友人が失踪届を出すかもしれないし、そもそも生きていく上で必要不可欠なお金のやりくりや住宅だってなんとかしなくてはならないのだ。おいそれと住むところは変えられないし人間関係を断つわけにもいかない。精々一人二人との縁を切るくらいしか。

「すみません、十時から打ち合わせをお願いしてる瀧です」
「ご足労おかけしております。ご案内いたしますね」

スケジュール帳に書いてあった最初の予定は出版社との打ち合わせ。
駅から徒歩三分の大きなビルに入ると、私と目が会うなり煌びやかな受付嬢がすっくと立ち上がった。
受付のカウンターにたどり着くよりも早く私の前へやってきた女性に名乗るとそのままエレベーターに乗り、クッション性の高いカーペットが敷かれた階で降り、重そうなドアを開け、好きなとこに掛けるよう、彼女が指示をした。指示といっても大変にかしこまったものであったけど。

「……何ここ……」

高そうな床、値段の張りそうな机と椅子、お待ちくださいと出されたお茶とお茶請けはどう見ても安物ではない。一体どんな小説家だったのか、このもてなし具合を見ればなんとなく想像がつき、それと同時に背中では冷や汗が落ちていた。

「先生、遅くなってしまいすみませんでした!」
「いえ、私が早く来すぎたから……」
「あれ?」
「?」

私の担当らしい若い男性が飛び込むように部屋へやってきた。若いとはいえ社会人らしくアイロンのかかったスーツに着られているわけではなく、違和感なく着こなしている。三十前後というところだろうか。
そんな彼が入ってくるなり私の目の前で首を傾げた。また何からしからぬ行動をしてしまったのだろうか。

「先生、今日はそのままなんですね」
「そのまま……?」

これでも仕事の打ち合わせなのだからと部屋からかき集めてきた化粧道具と社会人らしい装いで家を出たのだが、起きたてのままやってきたと思われているのだろうか。
本来はもっと身なりに気をつけていたとか、と考えたところで思考は止まる。一日目にみたあの顔は健康そうではなかったし、そもそもクローゼットにある衣類は九割モノトーンで装飾品も少なかった。

「いつももっとご自身を隠されてるじゃないですか。……あっ、僕は今日の先生も素敵だと思いますけど!」
「……」

なるほど変装ということか。この待遇からしてさぞ売上に貢献している作家のようだし、あまり人目につきたいタイプではないということなのだろう。それ以外に一般人が変装する意味などない。
恐らく私にヘソを曲げられては困ると察知した目の前の男性はあまり褒めどころのない私のフォローを始めたから「そういうのはいいから、ありがとう」と伝えると申し訳なさげに眉を下げた。

「最終話はすごい反響でしたよ。また改めてアンケートなどはお送りしますね。それで……先日頂いた書き下ろしエピソードとあわせて書籍化という流れでよろしいですか?」
「そうですね、はい」
「……えーっと、ボリューム的に上下巻にするか、一冊にするか微妙なラインなんですけど先生のご希望は?」
「どっちの方がいいんですか?」
「え?」
「出版社的に」
「ああ……えー、そうですね、今は電子書籍も流通してますけどやっぱり新規顧客をことを考えるとページ数を抑えた方が手に取っていただきやすいので……」
「じゃあ分冊にしましょう」
「そ、そうですか?……なんか先生、いつもと調子違いますね?」
「えっ」

コナンら周りの人達とのやりとりをじかに見てきたわけではないが、そう主張しすぎない性格だと判断していた。だが目の前の仕事相手は違うという。どちらが正しいのだろうか。

「いつもは……その、もうちょっと強い言い方というか、あっ別に変な意味じゃないですよ?ただなんというか……良いことでもあったんですか?」

彼の首から下がっているネームタグには須藤と書かれていた。ああ、手間いらずで名前の分かるこの制度はありがたい。

「……いつも迷惑かけてごめんなさい。私、これからはなるべく須藤さんと意見交換したいと思ってるから、改めてよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」




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