気がおかしくなるほど暑い夏がすぐそこまで来ている。
中学三年生、やっとの思いで同じクラスになった不二周助は、これでもかというほど女子に人気があった。
密かに思いを寄せていればいつかは恋が叶う、なんて幻想は微塵も浮かばないくらい、彼の隣はいつだって虎視眈々とその座を狙われている。
そんなものだから私は見ているだけでお腹いっぱいになってしまって、アイドルを追いかけるファンみたいに彼を眺めているばかりだ。けれどただ眺めているわけじゃない。不二と同じ卒業アルバムの制作委員の抽選に、阿呆みたいな倍率を潜り抜けて当選したのがつい三日前のことである。
「だからって不二とどうにかなる、とは思ってないんだけどね」
そう言って私がため息を溢した相手は、三年生になってから仲良くなった男友達の菊丸英二だ。どうやら私から聞かされる不二関連の話にはすっかり聞き飽きてしまったみたいで、適当な相槌を打っては私の話を聞き流している。
「こんなこと話しておいてなんだけど菊丸、部活は大丈夫なの?」
「本当に今更だにゃ〜…」
私と菊丸は人気のない放課後の廊下を歩いていた。何を隠そう、私が長いこと彼を不二の話に付き合わせていたこと原因だ。
いつもなら部活の時間になると颯爽と話を切り上げて去っていく彼が、今日は未だそんな素振りを見せない。気になってその理由を聞くと、菊丸は両腕を頭の後ろで組んで呆れたように言った。
「今日はオフだにゃ!まったく…ずっと話を聞かされる俺の身にもなってよ。駅前に新しくできたクレープ、奢ってくれないと許さないんだからな!」
「クレープ?!今月は金欠なのになあ…」
中学生相手に一つ五百円以上のクレープの存在感はかなり大きい。けれど折角できた話し相手の機嫌を損ねるわけにもいかず、私は頭の中で財布の中身と綿密な相談をする。
「クレープは高いからアイスにしない?」
「え〜?今回だけだぞ!」
そうやって菊丸と昇降口へ向かえば、ふと、後ろから声がかかった。
「ちょっといいかな」
聞き間違えるはずもない、不二の声だ。突然のことにどんな顔をすればいいのか分からなくなって、私は咄嗟に菊丸の後ろに身を隠す。
「不二〜どかしたかにゃ?」
「ああ、実は卒業アルバムのことで話があったんだけど…」
身に覚えある単語が聞こえて、菊丸の後ろからちらりと不二を覗き見ればガッツリと目が合ってしまう。その視線を逸らすことなく不二は言葉を続けた。
「写真の配置についてなんだけど、苗字さんの担当のページって貼る量が多いから大変でしょ?よかったら僕も手伝おうかと思って」
「えっ?!全然大丈夫だよ、一人でできるよ!」
反射神経のように私は首を振る。この誘いに乗れば不二と二人で作業ができるだとか、そんなことは少しも頭の中にはなくて、一番最初に脳裏に浮かんだのは不二に迷惑をかけてはいけない、ということだった。
「そう?それならいいんだけど…」
「うん、全然、平気」
それ以上不二と上手く会話をする話題も見つからなくて菊丸に助けを求める視線を送ると、菊丸は仕方がなさそうにスッと前に出た。
「話終わった〜?俺はやくアイス食べたいにゃー」
「そ、そうだね!今日暑いもんね、ごめん不二、また明日!写真はちゃんと私が貼っておくから!」
「…うん、また明日」
何か言いたげな不二を置き去りにして、半分挙動不審になりながらも不二に別れを告げる。慌てて校門から外に出れば、思っていたよりずっと暑い日差しが肌を焼いた。
好きな人と話していたというのに、まるで肩の荷が下りたような顔をする私を隣の菊丸が呆れたような目で見ている。
「不二と話したいんじゃないの?」
「そうなんだけど…いざ前にするとさあ…テンパるっていうか…」
「意気地なしだにゃ」
「本当にそうかもしれない…」
もはや菊丸の軽口に応戦する気にもなれなくて私は複雑な顔で帰り道を歩く。あそこで首を縦に振っていたら今頃は不二と楽しく二人で作業でもしていたのだろうか。別にそんなことをしたからって特に何かが起こるわけでもないけれど、そんな千載一遇のチャンスを逃したという事実は私には痛すぎた。
かといって今から戻ることも出来ない。菊丸の小言を右から左へ聞き流していれば、突然聞こえてきた大きな声に意識を引き戻された。
「あのさ!」
不二だ。私と菊丸はそろって顔を見合わせる。
校門から私たちの後ろを追いかけるように駆け寄ってきた不二が息を切らしながら言う。
「僕の担当の方の卒アルを、手伝ってほしいんだけど、だめかな」
「いい、けど…いつ?明日の放課後?」
急にそう言われるものだから私は思わず頷いてしまう。息は切れているけれど、不二が私を捉える視線は外れなかった。
「出来れば今すぐ」
「今?」
予想外の答えに固まっていると菊丸は何かを察したようにひらひらと手を振る。
「じゃあ俺は先に帰ってるにゃ〜アイスはまた今度でいいよ!」
「待って?!今帰るの?!」
まるで嵐が去るように、私が止めるのも聞かずに菊丸が去っていく。こんな仕打ちがあるものか。ついさっきまで不二と二人きりのチャンスを逃したことをあれだけ後悔していたというのに、既に私はその場から逃げ出したい気持ちになっていた。会話の糸口なんて掴めない。
炎天下、ただ向かい合っているこの状況をどう打破しようかと頭を抱えていると、先に口を開いたのは不二の方だった。
「ねえ、英二とはよくこうして帰ってるの?」
「そ、そういうわけじゃないけど…」
「でもすっごく仲がよさそうだったよね」
「まあ友達だからね…?」
訳が分からずそう答えるものの、不二はなんだか釈然としない表情だ。
そもそも、こういう質問はなにか裏がありそうで心臓に悪い。己惚れてしまったらなおさらだ。
「僕はてっきり君が英二を好きだと思ったんだけど…」
爆弾発言とはまさにこのことである。私は思わず不二の顔を二度見した。
「えっ?!なに?!そんなわけないじゃん!違うよ!」
「本当に?」
「本当に!」
じっと私の目を探るように不二が見つめるものだから、目を逸らせずぎこちなく固まってしまう。見つめられた一点に全身の熱が集中するようだ。
沈黙の空気に蝉の声だけがどんどん大きくなって頭がどうにかなりそう、と思った瞬間、軽く、恥ずかしそうな不二の声が聞こえた。
「焦っちゃった」
なにが、とか、なんで、とか、そんなことを不二は一つも言わなかったけれど、私が勝手に期待して勘違いをするにはそれだけで十分だった。
「英二に君をとられるかと思ってさ」
そんなことを言われてしまっては私はもう、開いた口が塞がらない。蝉の音は聞こえなくなって不二の声だけがはっきりと耳に届いていた。
まるで心底安心したような声でそう言う不二に、私の心はもうずっと前から君に奪われている、と言葉が喉元まで出かかって、静かに隠していた気持ちの全てがはちきれそうだ。