彼がそんな顔をするのを、私は見たことがなかった。
初めて見る不二のその顔への驚きと、純粋な好奇心と、それを向けられているのが自分ではないという失望にも似た嫉妬が、胸の内を駆け巡る。こちらに背を向けた女の子の表情は確認できないけれど、鼻を啜る音からして彼女にとって、良い知らせではなかったことだけは確かだろう。
知らない女の子の、頭越しに見える不二はいつもの困り顔よりもほんの少し眉を下げていて、相手が泣き止むのをただ優しく見守っている。
彼女が聞いたのは悪い知らせなのだろうけれど、まるでなにか小さな花に触れるように、ごめんね、と不二に慰められる彼女の立場が少し、羨ましかった。
振られても不二がこの対応をするなら彼に告白する女の子が絶えないのも頷ける。
泣き止んだ女の子が未練がましそうにその場を去るのを私はただ見ていた。別にのぞき見をしようとしたわけではない、世の中には想定外の遭遇というものがある。女の子が完全に立ち去るまで不二がその背中を見ていたものだから、まさかこちらへやってくるとは思わなくて、私はこっそりとその場を立ち去るという任務を失敗したのだ。
「そんなところで、誰を見てたの?」
まるで最初から私がそこにいるのを知っていたように。躊躇なく一直線にこちらへ向かってきた不二は、軽く微笑みながら首を傾げた。これはいつもの、私の知っている顔だ。
「わざとじゃないの、たまたま通りかかっただけで」
ここには二人しかいないのに誰を見ていたか、なんて見え透いた質問である。
表情を崩さない不二に、ふと、私も彼に今ここで告白をしたらあんな顔をしてもらえるのだろうかと、馬鹿な考えが頭をよぎった。
「今のこと、誰にも言わないでもらえる?」
私の気も知らないでスッと顔を近付けて不二が聞くので、私は言い訳の続きを言うのを忘れて首を縦に振る。
「振り方まで優しいんだね」
そうして、ついさっきまで頭の中を巡っていた言葉がポロリと口から出た。これだから不二はいけない。
穏やかにこちらを見つめる様はまるで私の思考回路をすっかり奪っていくようだ。
「どういうこと?」
「いや、その、ほら、告白を断るのも丁寧というか、優しいというか…」
言いながら私はそれ以上の言葉を抑えている。彼がだれにどんな対応をしようと彼女ではない私が言うのは、なんだか彼を好きだと言っているようで気恥ずかしい気がした。
「ダメだった?」
「そうじゃないけど、私だったら諦めきれないなあ、って」
言えば不二は考えるように少し黙って、確かに、と呟く。それでも決して手荒な方法をとらないのが彼の、そういう狡いところだろう。困ったなあ、なんて、全然困っていないように不二は言って、そしてふと私の目を見据えた。
「じゃあもっと別の方法で断ることにするよ」
「別の方法?」
聞くと不二はさっきよりももっと、私に近付くように目線を合わせて顔を覗き込む。私より長い彼の睫毛の、その本数すら数えられそうな距離である。
「今日の放課後、またここに来てくれる?」
その言葉の意味に、私は何か特別なことを期待してしまってもいいのだろうか。ここにきて肝心の言葉を言わないなんて、なんて思わせぶりな人だろう。
突然の出来事で自分の顔に一気に熱が集まるのが分かって、私は辛うじて出た声を絞りだす。
「わか、った」
そう言えば不二は悪い人みたいな声で私にだけ聞こえるように言ったのだ。
「君は良い子だね」
彼がそんな顔をするのを、私は見たことがなかった。