染み込むようなアルコールの匂いの間を縫って、苗字は薄いカーテンを静かに開ける。職員不在、と書かれた入り口の張り紙はさっき見過ごしてきたばかりだ。
白昼堂々、昼下がりの温かい日差しが差し込む保健室で不二周助はベッドを一台、占領していた。
寝顔の一つでも見てやろうとベッドの傍らに滑り込めば、寝ていたはずの不二がぱちりと目を開けて首を動かした。
「び…っくりした…」
「それは僕の台詞だよ」
状況を理解するように数秒固まって、今何時だっけ、とだけ不二が聞く。苗字は最後に見た時計の針からほんの五分進めた時間をそれとなく伝えた。
「授業は?」
「抜けてきた」
窓の向こう、授業中のグラウンドから生徒の声が聞こえてくる。お昼の後の微睡むような時間に、教室では一体何人の生徒が居眠りをしているだろう。
小さく欠伸をして不二がもそもそと布団の中から上体を起こした。
「誰先生の授業だったの?」
「山崎せんせー」
「じゃあ大丈夫だね」
優等生、と呼ぶには少し意地悪い笑みを不二が静かに湛えたのを見て、苗字は近くにあった椅子を引いた。人の目がなければ彼は案外、正しいばかりの人間ではないらしい。
清潔な白いカーテンの上を反射した日差しが視界の端を掠めて、苗字が思わず目を細める。
「部活は?」
「今日はもう帰れって手塚に言われちゃった。もうなんともないんだけどね」
なら一緒に帰ろうよ。苗字がそう口にする前に不二は苗字の手を握る。苗字は言いかけていた言葉を舌の上に転がして、代わりに不二の笑みを真似てみせた。
「じゃあちょっと寄り道しちゃおうよ」
誰もいない部屋の隅で小さくそう囁いた苗字に、不二が喉の奥でくつくつとゆっくりと笑い声を漏らす。
遠くから誰かの笑い声がぬるくなった風に乗って運ばれてくる。人気のない明るい廊下に、緩く締められた蛇口から水滴の落ちる音が響いた。
二人の秘密の話を世界から隠してやるように、窓の外で鮮やかな色を纏った木立が揺れている。
「誰にも見つからないようにね」
ここには誰もいないことを確認して、少しだけ低い声で不二が呟く。それは天井に届く前に穏やかにシーツの中へ溶けていった。