白石蔵ノ介は優しくない。
彼はいつだって正しいけれど、正しさは優しさではない。彼がその愚直で純粋な正しさを振るう時、彼の周りの正しいだけではいられない人たちは、時としてその正しさに深く傷つけられてしまうのだ。
かくいう私もその一人である。つま先から頭のてっぺんまで全部正しいままではいられない。ちょっと悪いことをしたり、正しくないと分かっていても止められないことはある。
そういう人って多分、沢山いるんだと思う。
皆がどれだけ彼のことを優しいと言っても、私は白石蔵ノ介っていう人は優しくないって思うの。正しさを振るう人に優しさを求めるとするならば、誰よりも悪い心が必要だと思うの。だって、そうじゃないと完璧じゃない人のことを傷つけてしまうと思うから。
だから私は彼に、優しくないね、って言うんだけど、そうしたら彼はちょっと困ったように眉尻を下げて言うのよ。
「堪忍なあ、次からもっと気を付けるわ」
それって私が悪者みたいじゃない。私は彼に優しくないってことを伝えようとしただけで、そんな顔をさせたかったわけではないの。でもそうやって謝る彼の顔に、どこか隠しきれていない嬉しさみたいなものを見つけてしまって、結局私は黙ってしまうのだ。
「でも自分のそういう率直なところも、俺は好きやで」
どうやら俺は優しくないらしい。
テニスにしろ何にしろ、いつだって俺は完璧を極めてきたはずやのに、彼女にだけは何故か優しくない、て言われるんや。一体何が悪いのか俺にはさっぱり皆目見当もつかん。
優しくない、と彼女が俺に言うたび、いつもより小さな声で謝れば彼女は更に顔を曇らせてしまうのを、俺は知っとる。優しくない、と言って彼女が俺を責める気がないことも俺は知っとる。
それは俺の落ち込んだ顔を見たくないと言外に言っとるようで、だから俺は彼女の顔が曇るのを見るたびに彼女がまだちゃんと自分を好きでいてくれると分かって、ちょっと嬉しくなってしまうんや。
俺は優しくない、なんていう自覚はなかったんやけど、でも彼女が言うならそうなんやろ。彼女はその理由を言わへんから、今日も今日とて俺は自分のどこが優しくないのか一人で頭を抱えるばかりでな。
でも俺は今まで誰にもそんなことを言われへんかったから、そないなことを正面から言われたのがめちゃくちゃに嬉しくて、たとえ彼女が嫌な顔をしたとしても俺はこの子を離す気なんてさらさら無くなってしまうんや。
そういうところが優しくないんやろうか。そうだとしたら、それだけはこの子の願いは叶えてやれへん。そういう話ではなるほど確かに優しくはないなと思って俺は今日も、堪忍な、って少し申し訳なさそうなフリをしてあの子に呟くんや。