お年頃

「柳先輩ってすごいですね」
俺の顔に見入るようにして言うものだから、彼女の手元をトントンと叩いて目線を戻させた。
急かす指に、自分の手が止まっていると気が付いたのか問題集のページを再びめくり始めるが、どうやら話を終わらせるつもりはさらさら無いようだ。

「やっぱり頭がいい人ってテスト前も余裕なんですね」
立海大付属中の定期試験一週間前、放課後のテスト勉強の生徒たちで賑わう自習スペースの二人向き合った机の上に広げられた教材は一人分だった。
「お前も毎日コツコツ復習さえ積み重ねていれば、もう少しマシだったと思うが」
「えーでも学校から帰ったら部活の後ですぐ寝ちゃうし、他にすることもあるから復習にまで手が回らないんですよ」
口を尖らせて言う彼女に、それはとても共感するところがある、と柳は小さく心の中で頷いた。
顔には出さないものの、王者立海の練習量は確実に疲労として身体に蓄積される。それに加えて家に帰った後の自主トレーニング、おまけに本を読み始めてしまえばそれだけで勉学に励む時間などあっという間に潰れてしまうのは想像に難くない。
「柳先輩は?部活のあと家に帰ったら眠くならないんですか?」
純粋な眼差しでこちらに問いかける彼女に、柳は眉一つ動かさずに答えた。
「俺はちゃんと寝ているからな。眠くはない」
正直言うとめちゃくちゃ眠い。特に風呂上りは睡魔からの刺客かと疑うほど眠い。
だがしかしそれを彼女に悟られるわけにはいかないのだ。これには海より浅く山より低いくらいのれっきとしたくだらない理由があった。
「そういえば先輩、データって言いますけどその割には資料を纏めたりしてるの全然見たことないんですけど。もしかして全部のデータが頭の中に入ってたりするんですか?」
「まあな」
まあ嘘である。本当は毎晩毎晩きっちりデータを纏めている。
けれどそんなことは口が裂けても言えない。マジシャン顔負けのポーカーフェイスを装う柳を前に、問題に行き詰ったのか彼女が無意識に前髪を弄りだす。今すぐノートを取り出したい欲を抑えて、早まる気持ちに逆行するように柳は深く椅子に座り直した。
そのデータは後でしっかりとノートの書き留めておこうと頭の中でメモを走らせる。
こんな小さな嘘が非効率的だということは他でもない柳自身が一番よく知っていたのだが、どんな些細な嘘でもついてしまうに然るべき理由があるものだ。
ふと顔を上げれば同じくこちらを見た彼女と目が合う。最初は数秒、無言で見つめ合っていた二人だが、先ほどの会話の続きとでも言いたげに口を開いたのは彼女の方だった。
「やっぱり柳先輩って頭がよくてかっこいいですね!」

ああこれだ。全てこの一言がいけないのだ。
それはまるで柳を縛る最も強い魔法の言葉の内の一つである。まったく、中学三年生の男子生徒が、好きな女の子の前で格好よく思われたくないはずがないだろう!