恋の話

柳蓮二が久方ぶりに乾貞治と待ち合わせたのは、穏やかなクラシックが店内を流れる小さなカフェの一角である。
二人の話の話題は最初、あいさつ代わりの近況報告からテニスの話、そしてデータの話へと変わっていく。

「どうしてもデータを取り切れないんだ」
そうやって口火を切った柳蓮二の目下の悩みの種はその相手だった。
「へえ、それは珍しい話だね。詳しく聞かせてくれないかな」
「ああ、相手はただのクラスメイトなんだが、これがどうも厄介なんだ」
話によればその相手は柳と同じクラスの女子らしい。特段なにか表立って問題があるわけではなく、至って普通のその女子だというらしいが、どうやらあの王者立海の参謀である彼がデータを取りあぐねている、と言うのだ。
「全てのデータを取った、とは思うんだが、こう、釈然としなくてな」
「というと?」
「まだ何か俺の知らないデータを取り溢しているんじゃないかと思うんだ」
聞きながら、乾は運ばれてきたコップを手に取る。試合に関係のないクラスメイトのデータなど取りこぼしてもさほど問題はないが、データマンと呼ばれる身としてデータの取れない相手を気にせずにはいられない、という柳の気持ちもよく分かった。
「何のデータが…それは何かデータを取り損ねた、というデータでもあるのかな」
「いや、ない」
「…」
それを今考えているところなんだ、柳がそう呟きながら険しい顔をするのを、乾は一瞬おどろいたように動きを止めて、そして小さく肩を震わせて笑った。
「なんだ貞治」
「別になんでもないよ。ねえ蓮二、今度俺にも例のその子を紹介してくれないかな」
「…何故?」
「ちょっと気になってさ、あ、なんなら連絡先だけ教えてくれたら俺から連絡するよ」
「それは断る」
先ほどとは違う意味で険しい顔の柳に、乾は発言を撤回するように目の前を手で制する。いくらテニスはで敵同士だったとしても、大切な幼馴染の恋敵にはなりたくないのだ。
お前の発言の意図が読めない、とでも言いたげな顔をして柳は苛立ったように眉間に皺を寄せた。
「蓮二、その子のデータはもう取れてるよ。取れてないのは自分自身のデータだ」
「どういうことだ?」
「つまりさ、蓮二があの子に恋をしている、ということだよ」
乾がそう言えば柳は少しだけ固まって、そうして辛うじて動き出したかと思えば呆れた顔をする。今日の蓮二は百面相だ、なんて思いながら乾は心の中でノートに書き加えた。
「じゃあなんでその子を俺に合わせてくれないんだ」
「…それは、本人の都合や意志の問題もあるだろ」
「そうだけどそれだけじゃ、断る、なんて一方的な言い方はしないさ」
だからもう認めてしまえ。
反論をしようと口を開くが、その余地がないことに気が付いた柳の動きが止まる。相手を知り尽くしている者同士だからこそ、交わした最小の言葉は最大の意味を持った。
少しだけ開かれたその瞳を過ったのは焦りか困惑か。
目の前にいる幼馴染の、誰も見たことのない新しい一面が垣間見えるその一瞬に目を凝らして、乾はただ淡々とその事実を述べるのだ。
「理屈じゃないよ」