| 夜が明けて、わたしは早速海へと向かった。昨日の町で海の方角は聞いていたから、あとは通る人に聞きながら進んで、無事たどり着くことができた。 ちなみに、山を出る前に服装は改めているので悪しからず。 海辺には人が何人かおり、そのトップだという第三協栄丸さんという人に話を聞くと、彼らは兵庫水軍という団体で、こちらの世界でいう海賊だという。ただ、冒険をしていたり財宝を探していたりするわけではなく、漁業や商船の護衛など、海に関係する健全な仕事をしているようだった。海に詳しい彼らにも一応、念のため" 海賊だと聞いて上がった気持ちは、結局落ちることになってしまった。 とはいえ、海は海。海王類はいないようだったが、同じ海だった。ほぼ毎日見ていた海はなんだかとても懐かしくて、奥歯を噛み締めた。 なんとなくわたしが落ち込んでいるように思ったらしい第三協栄丸さんは、元気を出せと美味しい魚介料理をご馳走してくれた。さらにはお土産までいただいてしまった。なんて優しい人たちなんだろうか。 海賊の皆さんに再三お礼を述べたあと、わたしは海に背を向けた。素敵な出会いはあったものの、結局、わたしの世界に関してはこれといった収穫があったわけではなく、小さくため息をもらしていた。 やはり町で簡単な仕事を探して、あとは図書館か。…昨日見た限りあるようには思えなかったが、念には念を入れるべきだろう。今日はもうあまり時間がないから、町へ行くのは明日だ。 今日は食材を採らなくてもいいから、また川に行って簡単な食事をすませてからあの場所へ行こう。 そう考えを巡らせながら歩いていると、不意に視線を感じた。そちらを見ると、恰幅の良い女性がこちらを見ている。いや正しくは、わたしの持っている魚を見ているように見えた。 「ええと、なにか?」 「ああ、ごめんなさいね。実は魚を買いに海まで行こうと思ってたんだけど、あなたがとっても良い魚を持っていたものだから、つい不躾に見てしまってね」 「そうでしたか。…なら、差し上げましょうか?」 「えっ?!」 日も高く上がって久しい、おそらくもう午後なんだろう。 こんな時間から海へ行っていたら、夕飯の準備が遅くなってしまう。それではご主人や、もしかしたらお子さんも困るだろう。 わたしは新しく食材を山で調達すればいいだけの話だ。この魚も美味しいのだろうけれど、先程たくさん頂いたところなのだし。 「お困りのようですし。それに、こんな時間から海まで向かわれるのでは、帰ってからが大変でしょう。わたしはかまいませんので、どうぞ受け取ってください」 そう言って、魚を握らせた。 「頂き物ですから、お代は結構ですよ。それでは、わたしはこれで」 「あ、ちょっと、ちょっと待っとくれ!」 手首をぐっとつかまれ、振り払うのもどうかと思い足をとめた。 「はい?」 「本当にありがとうね。実は急いでも間に合うかどうかで困っていたんだよ。これでゆっくり準備ができそうだ。本当にありがとう」 「いえいえ、お気になさらず」 ほっとしたような顔をしている辺り、本当に困っていたんだろう。ちょっと良いことができて良かったな。 「ところであんた、これを私に渡しちゃったら、今晩は何を食べるんだい?」 「いえ、まあ、これから何か適当に…」 まさか山でとるとは言えない。 「なら、私の手料理をご馳走させとくれ!実はあたし、食堂の料理人をやっていてね」 食堂か…もしかして、あの町でだったりするかな。もしそうなら、働き口を紹介してもらえたりする、かも。 「きっと、口に合う料理を出すから、ね?そうしておくれよ。お礼も出来ずに魚だけいただくわけにはいかないから」 「…では、ご馳走になります」 「そうと決まれば早速!さあさ、こっちだよ。着いてきておくれ」 彼女の純粋なお礼の気持ちを無下に断るのもなんだか気分が良くない。 ちょっとした邪な思いもあるとはいえ、とりあえず今晩の食事は良いものを食べられそうだと、少し口角を上げた。 第三協栄丸さんには、機会があればお礼でもしよう。 「え?」 「ほら、ここだよ!入っておくれ」 大変に、困ったことになった。まさか彼女の言った食堂というのが、忍術学園だとは思わない。思うわけないだろう。 …昨日といい今日といい、なんだかおかしな縁がこことはあるらしい。 ああ、残念だけど、今晩の素敵な夕飯は諦めるしかなさそうだ。 「すみません。わたし、大事な用事があることを思い出してしまったので、ここで…」 「あ、ヨウさん?!」 しまった。 「…きり丸くん」 「ヨウさんだ!ヨウさん!ヨウさんだー!」 「おや?きり丸くん知り合いかい?」 結局、おばちゃんときり丸くんのゴリ押しで、名前を記しただけで学園内に入ってしまった。 というか、こんなに不審な人物を、こんなにもすんなり学園内に入れてもいいのだろうかと、逆に心配になる。 おばちゃんとは食堂の準備があるからと一旦別れ、わたしはきり丸くんに手を引かれ、なぜか学園長という一番偉い人に会う羽目になってしまった。 わたしはそんなに悪いことをしてしまったのだろうか…いや、してない。昨日ちょっと、きり丸くんの先輩に疑われただけだ。…あれ、それはダメじゃないか? きり丸くんは、わたしがどこへも行かないようにわたしの腕をつかんで離さなかった。今彼は一人で学園長先生という人の部屋に入ってわたしの説明などしていて扉の前で待たされているわけだが、「絶対にどこかに行かないでくださいね!絶対ですよ」と念をおされて、断るに断れなくてはいと返事をしてしまった。 なんでかわからないけど、きり丸くんの声を聞くと強く断れないんだよなあ。 「ヨウさん、入ってください」 すっと扉が横にスライドした。 一つため息を吐いてから、重い重い腰を何とか上げる。きり丸くんは部屋に入らず、扉のすぐ横で待っているらしく、入れ違いになるようにしてわたしだけが中に入った。 中にはご老人が一人と、そのそばに犬が正座をして座っていた。犬が正座しているのには内心驚いたが、たぶん忍犬なのだろう。 目の前のご老人は、今やかなりのお年のようだが、現役の頃は相当の手練れだったことがうかがい知れた。 「どうぞお掛けなさい」 「失礼いたします」 断ってから正座した。今生ではなかなか正座などする機会もないので、足がいつまで保つか…。確か血の巡りが悪くなるのが足が痺れる原因だったはず。それに気をつければ大丈夫だろう。 「お初にお目にかかる。わしは大川平次渦正、この学園の長をしておる」 「ヨウ、と申します」 「ヨウ殿、昨晩はきり丸が大変お世話になったと聞いておる。また、きり丸を迎えに出た者が失礼な態度をとってしまったことも聞いた。誠に申し訳なかった」 「いいえ、あの状況ではわたしが疑われるのも当然でした。あのような時間、場所にいた不審な人間にきり丸くんは背負われていたのですから、彼らの対応は然るべきものであったと思います。わたしは何も気にしておりませんので、どうか頭をお上げください」 内心、こんなにも偉い方がわたしなんかに頭を下げたことに驚いていた。生徒のためとはいえ、なんて出来たお方だろう。 「また、食堂のおばちゃんのことも聞いた。ヨウ殿は誠に出来たお方のようだ」 「いえ、そんなことは。本当に偶然が重なっただけなのです」 「兎も角、是非お礼はさせていただきたい。我が学園の食堂での食事は自慢なんじゃ。是非味わって行って欲しい」 「ありがとうございます」 「時にヨウ殿、そなた、かなりの腕の持ち主であると聞いておる」 そう告げた瞬間、なんとも言えない緊張感がこの部屋を支配した。ただ、その緊張感を放っているのは目の前のご老人ではない。この部屋を囲む、複数の人物の中の数人だ。 …気配は消しているというのに、隠れる気はないのだろうか。 「どこかの城に仕えておるのかな?」 城?城って、王様が住んでいるあれか?あまりそういうところとは関わらなく暮らしてたからよく実感がわかないけど。それにどこかの城ってことは、複数あるってこと?何が聞きたいのか、イマイチよくわからない。 ともかく、わたしがどこかの城に仕えている人間だとすると、なんらかの都合が悪いということらしい。 「いえ、仕事はこれから町で探そうと思っているくらいなので、そのようなことは。今後も、何か特別な事情でもない限りはどこかに仕えるような仕事はしないと思います」 「そうじゃったか」 この部屋に入る前からわかってはいたものの、やっぱり気分はいくらか良くはない。仕方のないことだとはしても。 だから、お互いのためにも、やはり早々に立ち去る方が良いだろう。 「…やはりわたしはこのままお暇した方が良さそうですね。このように警戒されたまま食事をとるのも、お互いにあまり気持ちの良いものでもないでしょうし」 「…ほう、流石じゃな。気づいておったか」 苦笑いを、答えの代わりにした。 「お気になさらず。得体の知れない人物であることは、わたし自身理解しております。では、わたしはこれで」 そして立ち上がろうとしたところに、扉を開けて飛びついてきたのはきり丸くんだった。 「ヨウさん!行かないでよ!」 「あ、コラきり丸っ!」 きり丸くんを止めるように声を出したのは、黒い服の人。先生、かな。なんとなくそう思った。 「学園長先生!ヨウさんは三人もいた強そうな山賊から、何にも知らないぼくのことを助けてくれたんだよっ!それから腰が抜けたぼくのことおぶって学園まで連れて行ってくれるって言ってくれて、危ないことしたぼくのこと叱ってくれたし、がんばったって言ってくれたんだ!」 「きり丸…」 「そんな人が悪い人なわけないじゃないか!」 子供というのは、純粋で眩しい。そんな眩しさに、少し目を細めた。 でも、彼が心の底からわたしのことを思って言ってくれていることはわかる。 「きり丸くん、ありがとう」 「ヨウさん…」 「でもねきり丸くん、もしわたしが本当に悪い人だったとしたら、もしかしたらあの山賊だってわたしの協力者だったのかもしれない。この忍術学園に入り込んで何かするために、わざと恩を売るようなことをしたのかもしれない。先生たちは、そんな事態に君たち生徒を巻き込まないように、わたしを警戒しているんであって、とても大事なことだとわたしも思う。だから、きり丸くんが気に病む必要はないから」 そう言って、彼の頭に触れた。 「きり丸くんがそう言ってくれただけで、わたしはもう十分お礼をもらっちゃったよ。…今度こそ会うこともないと思うけど、元気でね」 「待ちなされ、ヨウ殿」 スライド扉に足を向けたわたしに、静かに、ただし有無言わせぬ言葉がかかり足を止める。亀の甲より年の功ってやつかな。 「わしはそなたが悪者だとは思っておらん」 「学園長先生!ホント?!」 「長く生きておると身体は衰えるが、人を見る目だけは養われ続けるというもんじゃ。本当に悪い人間はそんなに優しい目をしておらぬ。表情や仕草は変えられても、目の色だけは変えられん」 自分ではわからないことを言われ、言葉が出なかった。 「先生方も、そんなところに隠れておらず、こちらに来てこの娘さんの顔をきちんと見てみなさい」 その言葉にすっと現れた人数は多く、この状況を理解していなかったきり丸くんは随分と驚いたような顔をしている。 ちなみにまだ、先生方とは違う気配があるけどね。 「ヨウ殿、気分を害するようなことをしてしまい、申し訳ない」 「いえ、本当に、お気になさらず」 「もし、なにか困っていることがあれば、わしは力になりたいと思っておる。話を聞かせてはくれないか?」 「…なんのことだか、わたしにはわかりかねます」 「そなた、昨日の昼間きり丸たちに道を尋ねたようじゃな?ここがどこなのかわからぬ様子であったと聞いておる。着物も、今着ているものとは異なる、南蛮のもののようであったとか」 しまった。昨日はここがどこかわかっていなかったから…迂闊だった。 「それに、先ほど仕事をこれから町で探すと申しておったな。それだけ腕が立つにも関わらず、どこの城にも仕えず、町で仕事を探すと」 さすがに、忍者を育てる学園の長。洞察力や観察力は伊達じゃない。 「失礼ながら、顔立ちや体格、纏う雰囲気も……上手い表現は見つからぬが、どこか、異邦な様子。なにか、容易に人を頼ることもできぬ事情があるのでは?そなたを見ておると、そう感じてしまうのじゃ」 …すごいなぁ。これっぽっちも間違っていない。 ついさっき会ったはずの人なのに、あまりにも正確にわたしの事情を見抜いていることが少しだけ嬉しくなって、笑ってしまった。 「なにか、可笑しなことを申したかな?」 「いえ、少し嬉しくて。申し訳ありません」 少しでも理解してくれている人がいる。この世界には何もないわたしには、そのことがなんだかとても、嬉しく思えた。 もう一度、学園長先生の前に座ると、今度はきり丸くんも隣に座ってくれた。なんだか小さなナイトみたいで、心強かった。 「正直、信じて欲しいなどと申し上げることもはばかられるような話ですが、聞いていただけますか?」 気が触れている。きり丸くんやこの人にそう思われるのは、ちょっと嫌なんだけど。 静かな瞳でこちらを見る学園長先生から目をそらすことなく、わたしは、わたしの世界について話し始めた。 |