月明06

「ヨウさん、土井先生はこの人っすよ」
「土井半助と申します」
「ヨウと申します。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、今晩はよろしくお願いします」

 きり丸くんとおばちゃんに連れられてこの学園に入った時はまだ明るかったはずだけど、込み入った話をしていたため、気づけばもう日も暮れる時間になっていた。
 学園長先生の計らいで学園に滞在することになり、夜間の外出も付き添い有りで許可をもらえた。個人的な予定に付き添わせる側としては大変申し訳ないが、まあ外出先での活動内容を明確にできる意味では良かったのかもしれない。
 …ただわたしの場合、影分身さえすれば一人で活動することも難しくはないのだけど。いや、しないけどね。
 とにかく今晩は、学園長先生の命令で土井先生という方に付き添いをお願いすることになり、きり丸くんに面通しのお願いをしたのだ。
 こうして直接お会いすると、先生方の中ではかなり若手の方だった。その所為で白羽の矢が立てられたんだろうと思う。昼間は普通に仕事をしていただろうに、本当に申し訳ない。

「いえいえ、大丈夫です。学園長の勝手な思い付きに巻き込まれてしまったのはヨウさんなんですから、気にしないでください」

 本当に気にしていないと伝えるような、そういう表情で笑顔を見せてくれた土井半助先生。
 とても優しそうな人で、そう言えば学園長室にきり丸くんか飛び込んで来た時に声をかけていたのは彼だったと思い出した。きっと優しくも厳しく生徒を指導できる、素敵な先生なのだろう。

「…そう言っていただけると幸いです」
「では、出掛ける時間になったら迎えに行きますので」
「はい。ありがとうございます」
「きり丸、ちゃんと案内するんだぞ」
「はーい!じゃあヨウさん行きましょ!」
「うん、お願いね。では、失礼します」
「ええ、では」

 また一つ頭を下げ、きり丸くんに引かれた手に従った。
 わたしには兄弟はいないし、記憶の中にも兄しかいないから下の兄弟の感覚ってわからないけど、もしかしたら、弟がいればこんな感じなのかな。

「でも最低限って、どこを案内すれば良いんすかね」
「そうだねえ…。今日のところはとりあえず生活に欠かせないところだけ教えてもらおうかな。トイレとかお風呂とか。最後に食堂に連れて行ってくれる?一緒に夕ご飯食べようよ」
「やった〜!ヨウさんとご飯食べられるなんてうれしいっす!」

 きり丸くんの顔からは本当に喜んでくれているのがわかり、その笑顔に温かい気持ちになった。癒しだなあ。

「ふふ。ああ、そうそう。きり丸くん、わたしには敬語使わなくていいよ。わたしはただの居候だし」
「え?いやーでも、ヨウさんはオレの恩人だし、年だって上だから…」

 少し困惑したようなきり丸くんの表情に、そうかと思い至った。彼は幼いながらにこの学園の生徒であり、その中で自然と上下関係が身についているんだ。なるほど、社会に出る前段階としては、素晴らしいことだろう。…でも、わたしはその社会とは関係ないのだ。
 わたしの顔を見つめるきり丸くんに、少しイタズラでもしているかのような顔で笑いかけた。

「じゃあ、わたしからのお願い、ってことなら良い?せっかくきり丸くんと仲良くなれたのに、敬語だと何だかさみしい感じがするし、ね?」

 どうかな?と首を傾ければ、そう言われれば仕方ないと笑って是の返事をくれたきり丸くんはやっぱりとても可愛くて、抱きしめるのを我慢するのはなかなかに根気が要った。


 こうして団体の中に入った途端、異世界による文化の違いに触れることになった。
 まず、トイレは座らずにしゃがんで使うと言われ目が点になった。さすがに使い方を男の子に聞くのは申し訳なく、近いうちに女性の誰かに聞く必要ができてしまった。
 また風呂は男女各一つ大きな共同浴場で、シャワーがない。というか、この世界には水道がないのだ。だから水は井戸と呼ばれるものからすくって様々な用途に使うらしく、その井戸の案内も受けた。お湯は火で沸かさなければならないから、風呂も火で炊いているらしい。ちなみにここ数日でなんとなくわかってはいたが、この世界には電気もない。
 こうなってくると言葉が通じるのが奇跡的な気がするし、本当に良かったと思う。というか通じなかったら絶望的だった。

 そうこう異文化に悩まされている内にすぐ時間が経ってしまい、結局その三ヶ所を見て回って食堂へと行くことになった。

「ここが食堂だよ。あ〜腹へった!」
「ホントに。ごめんねきり丸くん。案内してもらった所為できり丸くんまで遅くなっちゃった」
「良いって!おれが好きでヨウさんに案内してたんだから」

 さ、ここだよと笑ってくれたきり丸くんのその背を追う。彼が通って行った入り口の頭上には、"食堂"と書かれたしゃもじ型の板が吊るされていた。センス良いなあ。
 中に入ると、右手にキッチンがあり、カウンターのような仕切りで座席側と分かれている。そこから顔を出していた、昼間出会った食堂のおばちゃんと目が合う。

「あ、ヨウちゃん来たね!聞いたよ、しばらく学園に滞在するんだって?」
「そうなんです。こんな時間に伺ってすみません。きり丸くんに案内をお願いしたら、わたしがもたついていた所為で遅くなってしまいました」
「そんなの気にしなくて良いんだよ。さあ、主菜をどっちにするか選んでおくれ!あ、今日だけ特別に両方付けておくかい?」
「ありがとうございます。でもどっちかにしようかと」
「おばちゃんおれは?タダにしてくれる?」
「きり丸くんは関係ないだろ?」
「ちぇ〜」
「ふふ。えっと、煮魚か肉じゃがですか?」
「ああ、そうさ」
「なら、わたしは肉じゃがで」
「じゃあおれも!」
「あいよ。ちょっと待ってておくれ」

 この食堂では、ご飯を用意してくれるおばちゃんをその場で立って待つシステムらしい。
 ちなみに本来は、食堂では食券を支払ってご飯をいただくらしい。今晩はおばちゃんにご馳走してもらったから良いとして、わたしはこの世界では一文無しだ。つまり食券は買えないからどうするか…。まあ、とりあえず明日の朝にでも学園長先生に相談しよう。

「こんな時間でも食堂ってやってるんだね」
「まあ、ギリギリだけどね。先輩方とかは遅くまでかかる演習の授業もあるし、自主練してる人もいるから、大体これくらいの時間まではやってるよ。遅いと空いてるけど、売り切れると選べないこともあるから、おれは早めに来る方が得な気がする」
「そうなんだ。あ、話変わるんだけど、その制服の色って年齢毎に分かれてるの?違う色の生徒さんを見かけるから気になってて」
「うーんと、厳密には年齢じゃなくて学年。うちの学園は六年制だから六つあるんだよ。で、一年生がこれ」

 きり丸くんはそう言いながら井桁模様の入った水色の服を指差した。また学年が上がるごとに、青、萌黄、紫、群青、深緑と変わるのだとか。
 成る程、顔がわからなくとも、服を見れば学年がわかるようになっているらしい。
 …つまり、昨日きり丸くんを迎えにきた二人組の先輩は、六年生だったんだなあ。

「お待ちどうさま。二人共肉じゃが定食ね!」

 あっという間に盛り付けてくれた定食は、作りたてかと見紛うほどほかほかで、見ただけでも美味しいとわかり内心驚いた。これはすごい。

「ありがとうございます。とっても美味しそう」
「そりゃそうさ!おばちゃんの料理は最高なんだ」
「はは、嬉しいこと言ってくれるね。さあ、冷めないうちに食べとくれ」
「はい」

 先導してくれるきり丸くんに従って一番近くにあるテーブルに着き、隣に座った彼に従って手を合わせた。

「お残しは許しまへんで!」
「いっただっきまーす!」
「…いただきます」

 きり丸くんの様子からして、このおばちゃんの掛け声のようなものはどうやら決まり文句らしい。…ちょっと、びっくりした。
 初めてのことなので少し戸惑ってしまったけれど、少しだけ遅れて礼を済ませ料理に手を伸ばす。ここ最近は、向こうにいた頃も含めて粗食続きだった所為もあってか、こんなにきちんとした食事は随分久しぶりに感じた。

「…美味しい、美味しいですおばちゃん!」

 手を伸ばしたのはほくほくのじゃがいも。素材の味も殺さず、でも決して味が薄いのではなく、しっかりと味が染み込んでいる。わたしなんぞではこの繊細な味付けは上手く表現などできないが、とにかく、とても美味しいということだけは間違いない。
 その気持ちをできるだけ表情にのせておばちゃんの顔を見れば、少し照れたような、でもとても喜んだ顔を浮かべながら微笑みを返してくれた。こんなに美味しいご飯をしばらくの間だけでも食べられるのは、掛け値無しに幸せなことだと思う。

「きり丸くん、おばちゃんすごいね」
「だろ?しんべヱなんか、あ、しんべヱってのは昨日おれと一緒にいた中で一番太ってたやつね!で、しんべヱは本当に食べるのが大好きでいろんなもの食べてんだけど、そのしんべヱがおばちゃんのメシが一番うまいって言ってんだ」
「そうなんだ。あ、じゃあもう一人いた子は何ていうの?眼鏡の子」
「ああ、あいつは乱太郎。足が速くて似顔絵が上手いんだぜ?明日紹介するよ!」
「うん、お願い」

 きり丸くんも含め、今話に出た三人は、わたしがこの世界に来て初めて会った人だった。だからあの時のことは今でもよく覚えているし、きっと忘れない。

「あ、そうそう。ヨウさん図書室行きたいって言ってただろ?おれ図書委員会で、明日はおれも当番の日だし、せっかくだから明日来てよ」
「委員会?」
「うん。生徒が分担で学園内の仕事を担当してて、おれは図書委員会。本の貸出とかの管理が仕事なんだ」
「へえ。すごいなあ」

 なるほどなあ。わたしはあまり学校とは縁の無い生活になっちゃったから、向こうでの学校のこととかはあまり詳しくはないけれど、生徒が学校で学ぶべきことは勉学だけではないってことなんだろう。よく出来ている。

「他にもいろいろあってさ、例えば乱太郎は保健委員だし、しんべヱは用具委員なんだ。会計とか作法、体育に生物委員会なんてのもあるし…」
「おいきり丸、火薬委員会を忘れてるぞ」

 そう言いながら、土井先生は食堂に入って来た。一人、群青色の制服を身につけた生徒を伴って。うーん、確か群青色は、五年生だったかな…。

「あ、土井せんせーだ。それと五年い組の久々知兵助先輩!こんばんは〜」

 お、正解みたいだ。
 久々知兵助さんというらしい長い黒髪で睫毛の長い男の子は、五年生というだけあり、体格もしっかりしているように見える。

「土井先生は火薬委員会と何か関わりがあるんですか?」
「ええ、私は火薬委員会の顧問なんです」
「そうでしたか」

 食べながらでは失礼かと、箸と茶碗を置いて質問するとすぐに納得のいく返答があった。なるほど、だからきり丸くんにそう進言したわけだ。
 ちなみにきり丸くんはそう言えばそうだっけな〜ともぐもぐしながら呟いていた。行儀はあまり良くないが、何となくその姿が可愛くて笑っていると、もう一人の彼と目が合う。
 ああ、六年制の学校で五年生ということは上級生だ。つまりこの彼にも迷惑をかけることになる。

「それから、彼には火薬委員会の委員長代理を任せているんですよ」
「そうなんですか、優秀な方なんですね。あ、自己紹介がまだでした。ヨウと申します」
「…さっききり丸が言っていたと思いますけど、久々知兵助と申します」
「はい。おそらくもうご存知かと思いますが、わたしの個人的な都合で上級生の方にはご迷惑をおかけします」

 おそらく上級生は、全員ではないにしろあの場で情報を得ていたはずだ。つまりあの場で決められた内容も、おそらくほぼ全員の耳に入っていることだろう。
 申し訳ないという気を込めて頭を下げれば、見えないが少し慌てたような気配が伝わって来た。

「頭を上げてください。俺たちの夜間訓練も兼ねているわけですから…」
「お気遣い、ありがとうございます」

 土井先生といい、この久々知兵助さんといい、この学園には気の良い人しかいないのだろうか。
 というか、土井先生が来たということはもう出かけるのだろうか。まだ少し早いような気もするけれど。

「土井先生、もう時間でしょうか?」
「いえ、まだ少し早いかと思います。実は委員会の件で久々知と話しをしている内にこんな時間になってしまい、急いで食堂へ来たというわけなので夕飯がまだなんです。今日は肉じゃがですか?」
「はい。それか煮魚でした。わたしはもう食べてしまいましたが、副菜にほうれん草のおひたしと冷や奴もついてま」
「冷奴!」

 急に目の色が変わってそう言った久々知さんに全員揃って視線を向ける。と、彼も思わず口をついてしまったようで少し恥ずかしげな表情に変わった。

「あ、あ〜、えっと…すみません。つい」
「久々知先輩、豆腐小僧って呼ばれてますもんね〜。豆腐の話になると周り見えなくなるんすよ」
「はは……面目ない」

 土井先生もきり丸くんの言葉を否定しないところから、それは本当のことらしい。
 つまり、とても豆腐が好き、ってことかな。

「でも、豆腐は美味しいですよね。栄養もあって焼いたり煮たり揚げたりすれば食感も変わるし、味付けのバリエーションが豊富なのも良い」

 ちなみに酒のつまみにも最高だ。最近食べたものでは揚げ出し豆腐が美味しかったのを覚えてる。

「誰にだって好きなものはあります」

 わたしの場合にはコーヒーだ。コーヒーの味には癖があるし、苦手だと思う人がいるのもわかっている。だから、

「好きなものを他人にも押し付ければそれは迷惑になってしまうけど、好きなものを好きだということは恥ずかしいことでも悪いことでもないとわたしは思います。むしろ、その好きなものの良さを、それを知らない人に少しでも伝えられれば幸いです」

 例えばブラックでは難しくとも、ミルクや砂糖、蜂蜜、シナモンやチョコレートで味を変えれば美味しいと感じてくれる人もいる。だからわたしは、興味がある人には話をしたり、勧めてみたりするようにしている。もちろん、興味があれば、という点は重要なことではあるけれど。
 それでその人の興味や視野が広がれば、それはとても素敵なことだ。少なくともわたしはそう思う。

「だから謝らないでください。わたしはそう詳しいわけでもないので、むしろ今度時間があればもっと聞かせて欲しいくらい」

 そこまで言ってから、三人をポカンというような表情にさせていることに気づいて焦ったけど、直後に表情が和らぐのがわかってホッとした。

「はい、ぜひ今度」
「ヨウさんは教師に向いていそうですね」
「おれもヨウさんの授業なら聞きたーい!」
「あ、コラきり丸!ならってなんだ、ならって!」
「はは。ほらお二人共、早くしないとご飯なくなってしまうのでは?」

 そう言うと、二人があっと言ってからおばちゃんに声をかけに行ったのを、きり丸くんと顔を見合わせて少し笑った。
 注文を終えた彼らが座れるよう、再度肉じゃがを口に招き入れながらお盆を少し手前に引いた。うん、美味しい。

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