18

「みんなに知らせておきたいから先に行くね」

 ルフィを担ぐ二人に、走りながら口早にそう言った。
 なぜなら、わたし達には時間がない。ルフィもロビンも全身を凍らされ、おそらく仮死状態にあるはずだ。仮死状態は確かにまだ死んではいない。
 とは言え心臓は止まり、脳に酸素が行かない状態でもある。それが続けば続くほど命に関わるし、一命を取り留めたとして、障害が残る可能性だって高くなる。
 おそらく今、船ではロビンの処置を慌ててしているはずだ。そんなところにルフィも担ぎ込めばおそらく混乱を招く。処置をする側も心の準備がいるだろうし、船内の設備にも限りがある。ただ事前に知らせておけばできる準備もあるし、準備ができていれば、ルフィの処置もスムーズに始められる。
 そんな僅かな時間でも無駄にしてはいけない。それほどに今の状態は切羽詰まっていた。

「わかった」
「すぐ追いつくから」
「うん。…“瞬身の術”」

 急いでいる、焦っている時だからこそ、尚冷静に。自分にそれを言い聞かせ、甲板の上に降り立った。
 いる場所はわかる。一階に入り、軽いノックの後、間を置かず浴室のドアを開けると仲間達の姿がそこにあった。

「ヨウ〜!!」
「ねェロビンが大変なの!」
「お前がいない間に海軍のヤバイやつに…」
「うん、わかってる。だから落ち着いて聞いて、今は時間が惜しい」

 それぞれが切羽詰まった表情でわたしを見た三人に、落ち着くように声をかける。声のトーンや表情でもそれを示した。
 すぐにそれは伝わったらしく、すぐに聞く体制をとってくれた。

「ルフィも今、全身凍らされた状態でここに運ばれてる」
「ええ?!」
「おそらくロビンと同じ状況で、仮死状態にある。急いで解凍して処置しないといけないけど、チョッパー、ロビンの状況は?」
「…うーんと、とりあえず氷の解凍はもう終わるところで、次は服を脱がせて身体を拭いて、徐々に体温を上げなくちゃ!」
「オーケー。じゃあルフィは浴室に運んでいいね。ロビンはとりあえず倉庫に出そう。浴室と離れない方がいいだろうから。ナミとわたしはロビンの処置を手伝うから、ウソップは甲板に出てゾロとサンジにルフィを浴室に運ぶよう伝えて」
「わ、わかった!」
「うん、それと、ありったけのタオルと毛布も欲しいんだ。頼める?」
「あァ任せろ!」
「うん、ありがとう。チョッパー、わたし心臓マッサージ程度のことなら心得があるから手伝えるよ、言ってね」
「うん!ありがとう」
「二人の状態をきちんと把握できるのはチョッパーしかいないから、指示はよろしくお願いしますドクター」
「う、うん!」

 こういう場合、お互いが自己判断で動くより、お互いが何をすべきなのか明確にしておいた方がきちんと動けるし無駄も少ない。

「よし、じゃあナミ、わたしがロビンを背負うから手伝いお願い。ウソップ、もう三人も近いから甲板へ」
「ええ」
「了解」

 そこまで言って表情を変えようとして、自分の顔が随分と強張っていたことに気づき、みんなにはバレないように心の中で苦笑した。 落ち着こうとしたって、どこかしらで本音が出るものらしい。
 よーしと気合いを入れ直す意味で自分の顔を叩き、みんなの顔を見た。

「助けよう、必ず」

 思わず口をついたその言葉に自分でも少し驚いた。でもその言葉が何故かとても心を落ち着かせ、大丈夫だという気持ちになり、口元を緩めた。うん、助けよう、絶対に。

「ええ!」
「おお、そうだそうだ!」
「絶対助けるぞ!」

 どんな時でも諦めない。それはこの船の船長がいつも自然と体現していることで、それはいつの間にか、自分達でも気づかぬうちに周影響されているのかもしれないと、少し思った。

 その後、すぐに運び込まれたルフィは、ロビンと同じく浴室で処置がなされた。ロビンはわたしとナミで服を脱がせ、バスタオルで全身を包みながらさすり、わたしは心臓マッサージを開始した。
 表面の氷は比較的簡単に溶かすことはできる。ただし問題は体内の冷えで、表面の氷を溶かしたところで、心臓が動き出すという確証はどこにもない。心臓が動いても脳に障害が出たり、血液が固まって血栓ができてもマズイ。わたしは医学について最低限しか知らないから、詳しいことはチョッパーに任せるしかないので、わたしにできることはとにかく身体を動かすことだった。
 心臓マッサージは意外に体力がいる。如何に医者とはいえ、たった一人で二人の処置をこなしながら二人分の心臓マッサージは難しい。その点で、わたしが手伝えたことは多少役に立てたのだと思う。
 チョッパーの指示に従い、とにかく無心で心臓マッサージを行なった。

「…っチョッパー!」
「ヨウ、やった!やったよ!おれ、みんなに知らせてくる!」
「うん、お願い」

 狭い室内に無駄に人数がいても逆に作業の妨げになると、男性陣は外に出ており、ナミも替えのタオルを取りに出ていたところで、倉庫内にはわたしとチョッパー、そしてやっと心臓が動き出したルフィとロビンしかいなかった。
 まだ二人とも目を覚ましてはいないし、これからしなければならないことはまだあるとしても、心臓が再び鼓動し始めたことは一先ずの安心材料ではあり、息を目一杯吐き出してそのまま後ろに倒れこんだ。
 体力の使いすぎでか、緊張の所為でか、それともどちらも合わさってか、目の前に掲げた指先はまだ少し震えており、それを隠すように両手を握りしめた。

「…良かった、本当に」

 そして漏れた言葉は、心からの言葉。情けなくか細い、そして少し震えた声だった。
 …もう大切な人を失うなんて、嫌。

「はあ、あ〜あ」

 やめだ、やめやめ。こういうことは考えても意味もなく暗くなるだけだ。
 ぐっと身体を起こして伸びをする。すると単純なのか、心なしか少し気持ちが晴れたような気がした。

「ヨウは大丈夫か?」
「うん、大丈夫大丈夫。チョッパーも、まだ油断はできないだろうけど、とりあえずお疲れさまでした。チョッパーがいてくれて本当に良かった」

 船室に戻ってきたチョッパーに伸びたままの姿勢でそう返すと、倉庫を出る前よりも複雑そうな表情なことに気づいた。

「…そうかな。おれ、最初焦っちゃって、とにかく氷を溶かさなきゃってことしか考えられなくて、」
「うん」
「合ってるかわからなくって不安で一杯で…」

 そうか、きっと船員の中で一番不安だったのはチョッパーだ。大きな責任と診たこともない身体異常への不安。でもそんな不安をどうにかしてる余裕もなく、必死で二人の処置をしていたんだ。
 危機的状況からは一応の回復をして、気が抜けないわけがない。

「ヨウが、ヨウが落ち着いて指示出してくれなかったら、おれ、」
「んーん。わたしだって、チョッパーっていうお医者さんがいなかったらあんなに落ち着いていらなれなかった。チョッパーに医療的なことは任せればいいって思えたから、サポートに専念すればいいって思えたから落ち着いていられた。だからチョッパーのおかげだよ」
「ヨウ…」
「ありがとう、チョッパー。二人を助けてくれて」

 心からの言葉を伝えると、チョッパーが胸に飛び込んできた。人の命を預かる仕事の重責が、この小さな肩にのしかかったんだ。きっととてつもない不安だったろう。
 よしよしとしばらく撫でていると、落ち着いたのか、チョッパーは少し照れたように笑って顔を上げた。

「さあ、もう少し二人の様子を見てから、ラウンジに運ぶ?」
「あァ、そうだな」
「じゃあ、わたしも外で待ってるね」
「ヨウ!ありがとな」
「…どういたしまして」

 チョッパーに笑顔を返して扉に手をかけた。
 時間としてはそんなに経っていないはずなのに随分太陽の光を浴びていなかったかのような錯覚に陥るほどには、ある意味濃厚な時間だった。

「ヨウお疲れさま〜!これからキッチン行くから、おれでも良ければコーヒー淹れようか?」
「ありがとう。お願いしようかな」
「もうラウンジに運ぶのか?」
「いや、まだもうちょっとかかるんじゃないかな」
「そう。…はあ、でも本当に良かったわ」

 キッチンへ向かったサンジ以外、一階のドア付近に残ったみんなは一様に少し疲れたような顔をしていたが、また同じように安心の気持ちも見て取れた。
 一味の危機を脱したところで、心境としては少し複雑なのかもしれない。

「今日のところは出さないよね?船」
「えェ。出航は二人の様子をみて、ね」
「そうだよね。はー、お腹もすいたなあ」

 というか、サンジも疲れてるだろうにご飯の支度に向かったんだろう。さっきは安易にコーヒー淹れるの頼んじゃったけど、申し訳なかったかもしれない。わたしも手伝いに行くかなあ。
 そんなことを考えていると、何か言いたげなナミと目が合った。

「ん?」
「…あんた、よくお腹なんか減るわね」
「それは減るさ。疲れている時こそ食べた方がいい。よく食べよく寝る、元気の秘訣だよ」

 そう考えてみると、ルフィの生活リズムはそれを体現しているような気がして、なんだか少しおもしろくなった。

「それは、そうなのかもしれないけど…」
「疲れたり睡眠が足りないとネガティヴな事を考えがちになるし、視野も狭くなる。身体と精神って、思ってる以上に相互関係があるんだよ?だからちょっと無理にでも食べて、寝て、体力つけなきゃ!それじゃわたしは先にラウンジに行っているから、もし手が必要なら声をかけて」

 まあ、考えたくなくても考えてしまうのが人間なのかもしれないけどね。
 ただ、ラウンジの扉を開けるとすでに何かの美味しそうな香りがし始めていて、きっとこの美味しくて温かいご飯を食べれば大丈夫だろうと思い直した。


 その後、ラウンジに全員が集まる形になって食事を頂いた。ロビンは目を覚まさなかったがルフィは食事の香りにつられてだろう、メシー!と叫びながら目を覚ました。素晴らしい生命力だと思う。
 みんながそれに安心する中、診察してからだとチョッパーに制止されるのに騒ぎ続けるルフィのお気楽加減に少し腹が立ったのか、ナミが少し乱暴気味に口に肉を突っ込んでいるのを見ながら、わたしはバレないように息を吐いた。とにかく、一時はという状態からは回復できたのだから本当に良かった。
 食事を終え、ルフィはすぐに寝始めた。やはりまだ全回復しているわけではないから。
 ロビンも状態は安定してきたし、明日には目を覚ますだろうという診断を聞き、安心したのも相まって、一人、また一人と意識を失うように深い眠りについていった。ラウンジで雑魚寝、という状況になってしまったけれど、まあ今日ばかりは構わないかとわたしも少し目を閉じることにした。

 全員が眠りについてから、時間がしばらく経過した頃、一人、起き出す気配にわたしも静かに目を開けた。
 どうするのかと思えば甲板へと気配は移動している。今身体を冷やすのは良くないと、とりあえず毛布を持ってあとを追えば、かの人はメリーの横に立ち、海の向こうを眺めていた。

「身体を冷やすのはよくないよ、ロビン」
「…ごめんなさい、起こしてしまったみたいね」
「それは大丈夫。とりあえず、戻る気がなければこれを」

 そう差し出した毛布はすんなりロビンの手に渡った。やはり、しばらく海の風に当たりたかったのかもしれない。
 あまりほめられた状況ではないけど、こういう時も、人にはある。だから無理に布団の中へと戻すのははばかられた。
 ただ、一人になりたい時ほど、あまり考えたくはないことがあるもので、その判断はわたしにはつけられなかった。

「一人になりたければわたしは戻るけど、良ければ少し話し相手にでもなりましょうか?」

 ということで選択はお任せすることにしよう。
 そう問えば、ひと時の間があってから、微笑みが返ってきた。

「せっかくだから、お話し相手をお願いしようかしらね」
「喜んで。まあでも、ほどほどにしておかないとチョッパーに叱られるから、少しだけね」
「そうね。船医さんに叱られたら落ち込んでしまいそうだもの」
「確かに」

 そうロビンは笑うが、やはりどこか少し落ち込んでいるようにわたしには見えた。
 やはりそれは違わず、ロビンは遠くを見つめたまま、肩までかけた毛布で口元を少し覆った。

「…あの後、私が凍ってしまった後、何があったのか聞いてもいいかしら」
「うん。ああでも、わたしも聞いただけだからざっくりとしかわからないんだけど、それでも?」
「えェ、構わないわ」
「…ロビンが凍らされた後、何とかロビンを割られないように引き離して、チョッパーとウソップで船に運んだらしい。でも青雉の強さは並じゃない、正直手に負えない強さだよね。…それでその場をルフィが一人で引き受けたんだって。一騎討ちがしたいって」
「船長さんが…」
「うん。それでルフィが一人で戦って、そして凍らされてしまった。ただ、ルフィが申し出た一騎討ちを青雉は受けたって形になるから、それでこの場はとりあえず手を引く、ってどこかに行っちゃったよ」

 みんなの手が空いた時、かいつまんで聞いた話をそのままロビンに聞かせると、彼女はそうと呟いた。

「船長さんの状態は…」
「ああ、大丈夫大丈夫。もう一回起きてね、すぐメシー!って騒いでたよ」
「…ごめんなさい。私の所為で迷惑を」
「ううん、みんなロビンの所為だなんて思ってないよ。だってわたし達は海賊だよ?元々追われる身なんだから」

 聞かなくたってわかる。みんなも今回の件で心配したり疲れたりしてはいたけれど、誰一人だってロビンの所為だなんてことは思ってない。
 ただ、きっとロビンは違うのだろう。

「それは、そうなのだけど…。でも今回のことを招いた原因が私であることに変わりはないわ」

 あまり感情の出ない、いや、おそらく出さないように生きてきたのだろうその目が、ほんの少しだけ細められた。

「彼の言った通り、私は私。これからもずっと、死ぬまで変わることなんてできない」

 溢れるような声だった。それはもしわたしが注意深く耳を傾けていなければ、聞き逃していたかもしれないほどに。
 そこから続く言葉はなく、何かを隠すかのように瞳は閉じられた。

「いいえ、何でもないの。ごめんなさい」

 触れて欲しくないのだろう。きっとこのまま聞かなかったことにする方が、彼女の望みには叶うのかもしれない。
 でも、わたしには聞き逃すことはできはしない。

「そうだね、ロビンはロビンだ。わたしと同じコーヒー好きで、ああそうだ、能力者っていうのも同じ」
「え?」
「それから博識で読書が好き。可愛いものも好きだよね。いつも冷静で、とても優しく笑う美しい人。まだわたしが知っているのはそれくらいで、またこれから少しずつ知っていくこともあるとは思うけど、ロビンがわたしの、わたし達の大切な仲間だっていうことは変わらない」

 たぶん、ロビンが言った変われない、というのはこういうことではないのだろう。
 でも、だからこそわたしは、変わらないでいいと伝えたかった。

「昔何があったとか、何をしてきたとか、まあ何かしらの組織に所属している場合とかは関係してくるのかもしれないけど、わたし達は海賊。何ものに囚われることなく、誰よりも自由に生きられる」
「自由…」
「そう。ルフィに海賊やろうって言われた時、ルフィが言ったんだ。海賊は一番自由なんだ、って。わたし、その言葉にやられちゃったんだよね〜、今思えば」

 その時のことを思い出して、少し口元が緩む。わたしも今のロビンのように、自由という言葉に反応した気がする。

「ねえ、ロビン。ロビンは今、これから何がしたいの?この旅の果てで叶えたいこと、ロビンにもあるんだよね?」
「私がしたいことは……それは、歴史の真実を知ること」
「そっか。ロビンは考古学者だもんね。わたしはね、自由に世界を見て回って、ルフィが海賊王になる姿をそばで見ていることなんだ」
「…そう。素敵ね」
「ありがとう。で、これからはロビンの夢を応援することも追加しておくね。まあとにかく、私はロビンのこと好きだし、これから何かがあって、何かが変わったとしてもそれは変わらない」

 仲間だから、変わらなくても変わっても、ロビンがロビンであれば何も問題はない。わたしが前世の記憶や能力を得ても、わたしはわたしであることと同じように。
 でも、彼女がこれほどに思い詰める何か大変な荷物を彼女が抱えているのだとすれば。

「一人じゃ大変でも、この船のみんなでなら乗り越えられるよ。大丈夫」
「えェ……そう、かもしれないわね」

 ニッと笑ったわたしに、少しく微笑んでそう返してくれたロビンからは、先ほど垣間見た深海のような闇の色はなくなっていた。

「さあロビン、そろそろ中へ入ろう」
「…そうね。付き合わせてしまってごめんなさい」
「いーえ。むしろロビンと話せたし役得です」
「あら。何でも屋さんは口がお上手ね」
「うーん?とりあえず褒め言葉として受け取っておくよ」

 ただ、深い深い闇はまだどこかに潜んで、襲い来る機を狙っているのかもしれない。
 だからわたしは、彼女がその闇にのまれないように手を差し伸べ続けよう。

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