秘密の共犯者

 夕飯の片付けと明日の仕込みを終えて、一服するためにラウンジから外に出れば、静寂が支配する夜の海で、おれにとっては聞き慣れた、しかしこの船ではおれ以外から滅多に聞かない音が、凪いでいる海の波音の合間を縫って微かに聞こえてきた。
 ん?と思いながら音の先へ目を向ければ、どうも見張り台から聞こえてきたらしい。確か今日の不寝番はヨウだ。……そう言えば、今日のヨウは珍しく、夜食に要望があった……というか、自分で作りたいという変わった要望だったから、少し気になったんだった。
 一度考えちまうと、そんなもやもやを残したまま眠れやしねェ。と、一度キッチンに戻って目的のものを持つと、タバコに火をつけながら見張り台へと向かった。

 彼女はとても変わった悪魔の実を食べていて、それで扱えるようになったらしい能力もまたとても変わっている。彼女はその能力で人の気配がわかる。と言っても、おれにはそれがどういう感覚なのかはよくわかってねェが、ただ、

「サンジ」

 おれの存在を目で見なくとも認識していて、きちんと呼びかけてくれる彼女の声が、実はとても心地良いと思ってる。
 もしそれを彼女に伝えれば、照れたように笑うだろうか。それとも困ったようにか。それはそれで楽しみな気もするが、それを伝えるまではこの呼び声を楽しみたいとも思うから、今しばらくこのまま心の内に留めておこう。

「太陽の下の君も素敵だが、この闇で輝く月明かりのような君はより美しいな」
「…もう大分慣れたと思ってたんだけど、不意打ちされるとあれだね。ええと、ありがとうサンジ。で、何かあった?」
「いや、そんな美しいヨウに差し入れでもどうかと思ってね」

 梯子を登り終えてから、本心から溢れる言葉を送れば、少し照れたような反応が返ってくる。それが少し新鮮で楽しく思いながら彼女に微笑んで、さっきキッチンから持ってきたものを見せれば、少し驚いたような表情に変わる。

「わお、それは美味しそうなワインだけど…飲んで大丈夫なの?」
「もちろん。他のクルーには内緒にしてくれるかい?」
「ふふ、では喜んで共犯者になりましょう」

 ヨウは基本的にいつも冷静だし、落ち着いた印象を受けることが多いが、案外遊び心があってノリが良い所もある。…まァ、子供の時からルフィの仲間になるって決めてるぐれェだから、当たり前っちゃ当たり前なのかもしれねェが。
 持ってきたワイングラスに注いでヨウに渡しながら秘密の提案をすれば、楽しそうにノってくれる。

「「乾杯」」

 一味で飲む時とは違い、静かな声と小さなチンというガラス音だけが響く中、口の中に広がる豊潤な香りを楽しんでから飲み込んだ。

「美味しいね」
「だろ?前に寄った町の酒屋で薦められて買ったんだが、正解だったな」
「やっぱりサンジの個人用だったんだね、ありがとう御馳走してもらって。…それで、本当の目的はこっちかな?」
「…気づいてたか」
「まあね」

 そう、本当の目的、気になっていた音の正体は、今ヨウの右手で燻っている細くて白い包紙――タバコに火をつけるライターの音だった。

「君が愛煙家だった覚えはなかったが…」
「うん、普段は吸ってないよ」

 過去を思い起こすような表情でもう短くなっている指先のタバコに目を向ける彼女が、一体何を思っているのか、おれには見当もつかねェ。
 彼女は聞けば何でも快く教えてくれるが、聞き役が上手い彼女のことは、案外知らないことが多い。そんな彼女の秘密をおれ一人が知るってのは、悪い気はしねェよな。

「これ、父愛用のタバコなんだ。珍しい銘柄だから、サンジも知らないんじゃない?」
「あァ、知らねェ香りだな。ヨウのお父上っていうと、喫茶店のマスターの?」
「そう。うちの父はサンジくらいよく吸う人でね、喫茶店はコーヒーとタバコとナポリタンだ、とかいう持論を展開しながらずっと吸ってた」

 なるほど、それが好物だったのだな、と何となくわかって笑ってしまった。
 そう言えば今日ヨウが自分で用意した夜食はナポリタンとチーズケーキだったはず。
 そう思って小さな台の上に目を向ければ、その二つにコーヒーカップが二つ、並べて置かれていた。
 もうフィルターだけになったタバコを灰皿に押しつけながら、台に向けられたおれの視線に気付いたらしいヨウは、一瞬目をつぶってから、優しげにその台の上に目をやり、おれを見た。

「言うようなことでもないからみんなにも言わなかったんだけどね、実は今日、両親の誕生日なんだ」
「へェ、ご両親の?」
「うん。珍しいけど、うちの両親は誕生日が一緒でね。父は母が亡くなってからも、命日じゃなくて誕生日を一緒に祝ってた。母の頼みなんだって」

 その瞳には悲しみではなく、懐かしさや温かさが浮かんでいて、ここでおれが悲しみを覚えるのは間違っているように思い、おれも笑顔を浮かべた。

「素敵な話だな」
「ありがとう。それでね、父が亡くなってからはわたしが引き継いだんだ。誕生日はいつも、母と父の好物を用意して……だから今日、夜食は自分で用意させてもらったんだよ。それも気になってたでしょ?」
「あァ、まあそうだな」
「母はチーズケーキ、父はナポリタン、それからコーヒー。タバコは……最初は父がいなくなったのが、やっぱり少し悲しくて、少しでも父の存在を感じられないかなと思って始めたんだけど、今となってはつい用意しちゃうんだ」

 懐かしむ表情の理由がわかり、納得する。なるほど、そうだったのか。

「それは悪かった。おれ邪魔しちまったみてェだな」
「いやいや、そんなことないよ。むしろ、今までずっと、一人でこの日を過ごしてきたけど、今日はみんなと過ごすことができた。それに、また一人の予定だったこの場にもサンジが来てくれた。父と母を祝うこの日を、こんなに幸せな気持ちで過ごせたのは初めてだから。…だから、ありがとうサンジ」

 そう言って笑うヨウの顔は、これっぽっちも作ったようには見えず、心からの笑顔に見えた。きっと、本心で良かったと言ってくれているんだろう。

「ねえサンジ、良かったらなんだけど、一緒にこれ食べてくれない?」
「…いいのかい?」
「もちろん。あ、まあご存知の通り作ったのはわたしだから、美味しさはサンジが作ったものに遠く及ばないわけなんだけど」
「そんなことないさ。ヨウがご両親のために作ったもんが旨くないはずがねェ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、どうぞ」
「じゃ、遠慮なく」

 フォークでナポリタンを一口、とても豪快で素朴な、しかし思わず次へ次へと手を出してしまうような味だった。その逆にチーズケーキは、繊細で、濃厚なチーズ本来の味を上手く引き出している。
 どちらも旨いことには違いないが、同じくヨウが作ったにしては少し違和感が残る。

「うん、旨いな。これは確かに両方ともコーヒーに合いそうだ」
「ありがとう。ナポリタンは父の得意料理で、チーズケーキは母のレシピなんだ」
「あァ、そういうことか」
「ん?何かおかしなところでもあった?」
「いや、違ェんだ。すごくうめェけど、何となく作り方と味の印象が二つの料理で違うような気がしてたんだ」
「へえ、さすがサンジ!一口食べただけでわかるなんて」
「はは、お褒めに預かり光栄です」
「ふふ。ホント、この一味のコックがサンジで良かった」

 ヨウはおれが贈る言葉に対しては少し照れることがある。それが見たくて言っているようなところもなくはねェが、ヨウも大概、一味に対する好意の言葉がどストレートだ。しかも口先だけじゃなくって心からの言葉だと顔を見ていればわかるせいで、よりたちが悪い。ナミさんが前、ヨウのことを人誑し、と称していたことがあるが、その通りだとおれも思う。
 一瞬グッと喉をつかまれたみたいに声が出なくなったのを笑顔で誤魔化してから、残っていたワインに口をつけた。

「あ、ヨウ。良かったら今度、このナポリタンとチーズケーキのレシピを教えてくれないか?チーズケーキはレディ達が喜ぶだろうし、ナポリタンは男受けが良さそうだ」
「もちろん。サンジが作ったらもっと美味しくなるだろうしね」
「そんなことねェよ。ヨウの愛情に比べたら、おれの腕なんかまだまださ」
「ふふ。じゃあそういう事にしておきます」

 楽しげに笑って、テーブルの灰皿の横に置いてあった箱を手慣れた様子でトントンと叩いておれに差し出した。

「最後に一服、いかがですか?」
「有り難く、いただこうかな」
「ありがとう、サンジ」

 火を付けてゆっくりと吸い込めば、いつもとは違う濃い煙が肺を支配し、ゆっくりと天に向けて吐き出す。その煙を懐かしげな表情で見つめたヨウの横顔を見て、未だ彼女から愛される家族はとてと幸せだろうと思った。
 来年のこの祝日は、もしかしたら宴会があるかもしれないと思う一方、またこうして秘密の共犯者にさせてもらうのも良い。
 初めて吸った銘柄のタバコは、確かにコーヒーに合う気がした。

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